<武節城趾>
住所:愛知県豊田市武節町シロ山194
駐車場あり(無料)
<現地解説>
この城は、名倉川を臨む断崖上にあり、段戸山系に続く尾根の先端を掘りきって
男山とし、これに主たる郭4、従たる小郭10数箇所を配した郡内では有数の
平山城であります。麓には関屋、古町屋、姫井戸など当時からの地名が残って
います。
一名地伏城とも呼ばれるこの城は、永正年間に田峯の菅沼定信の支城として築かれ、
菅沼十郎などの城代がおかれました。
弘治2年(1556年)、下条信氏の侵攻を受けて激戦がありました。
また、元亀2年(1571年)、武田信玄の三河侵攻のときは、本城である田峯
とともに戦わずしてその軍門に降りました。
天正3年(1575年)、長篠で大敗した武田勝頼は、この城で梅酢湯を喫し甲州
に帰ったと伝えられています。越えて7月、酒井忠次に攻略され、奥平信昌の領に
加えられましたが、天正18年徳川家康の関東移封とともに廃城となりました。
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愛知県豊田市の武節城趾に行ってきました。
豊田市とは言っても合併で豊田になった場所で、豊田市街からは数十キロ離れた
旧稲武町になります(豊田市街から車で1時間以上かかります)
国道153号線を走って行くと、道の駅「どんぐりの里いなぶ」のすぐ先にある
トンネルの上に「武節城趾」の看板が見えます。
道の駅の先の道路を左折すると武節城への上り道があります。狭い道を上ります
が200m位なのですぐに到着します。
現地には神社があり、そこが烽火台跡だった様です。
現地は高台で、飯田に通じる街道を眺め下ろす場所。要衝を押さえる重要な
城だったんでしょうね。
長篠の戦いで敗れた武田勝頼はこの城で1泊して甲斐へ引き上げていったと
いう事です。
<武節城趾>
平成27年秋旅1 遠江三河城攻め!
http://rover.seesaa.net/article/426484366.html
日本の城を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21222307.html
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