2011年03月13日

浜川砲台跡    (東京都品川区)

東京都品川区にある浜川砲台跡に行ってきました。

<浜川砲台跡>
浜川砲台跡.jpg
住所:東京都品川区東大井2丁目
駐車場なし

浜川橋のたもとから立会川が海に注ぐところまでが、土佐藩抱屋敷であった。
幕府への「指出」によると869坪が抱屋敷の広さである。
(抱とは借用していたものである)
ここは土佐から送られてくる物資の荷揚げ地であり、立会川から荷を陸上に
あげていた。
ペリー来航の1853年、土佐藩は砲台構築の願を幕府に提出し許可を得て
翌年砲台を造った。浜川砲台といわれた。
砂浜の柔らかい土地を、石、土砂で埋め立て、2300坪に拡大させている。
砲台は八門を設置していた。
警備陣は品川下屋敷を宿所としてこの砲台に配置されていた。
浜川砲台と品川下屋敷を結ぶ連絡路は現在の立会川商店街の道路であり、その
距離約200メートルである。
若き日の坂本龍馬も警備陣に加わっており、この道を毎日歩いていた。

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浜川砲台跡に行ってきました。
立会川は土佐藩ゆかりの地で、坂本龍馬に関わるものがあふれていました(笑)

浜川砲台は土佐藩設置の砲台で、今は礎石の様なものが残っていました。
(はたして、当時のものかどうかは不明です)

砲台のまわりはこんな景色です。
浜川砲台跡2.jpg

大河ドラマの舞台
http://rover.seesaa.net/article/112515106.html

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広徳寺大名墓所   (東京都練馬区)

東京都練馬区にある広徳寺大名墓所に行ってきました。

<広徳寺>
広徳寺.jpg
住所:東京都練馬区桜台6-20-19
駐車場あり(無料)

広徳寺は北条氏政の子、岩槻城主太田氏房が明そう和尚を小田原に
招き、早雲寺の子院として開山したのが創建で、小田原城落城の際、
焼失したと伝えられています。
その後、徳川家康が再興。1635年には下谷に移り、加賀前田家
をはじめ諸大名を檀家とする大寺院となりました。
その後、関東大震災で寺域は焼失。1925年から区画整理のため
練馬に移転し現在に至ります。

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練馬の広徳寺に行ってきました。大名墓所に行ってみたいと思って
いました。
このお寺は、入り口に「参詣謝絶」とあり、以前それを見ただけで
退散していました。
今回は意を決して、お寺の方に話をしてみました。
大名墓所は見学は許していません、ただ参拝したいのでしたらどうぞ
という事で、中に入れていただきました。
なるほど、お墓ですからね、ちゃんと手を合わせましょうという事
なんですね。
お寺の中は、大名墓所らしい威厳あるお墓が並んでいました。

<柳生家墓所>
広徳寺 柳生家墓所.jpg
柳生宗矩他、柳生家墓所です。

<前田家墓所>
広徳寺 大聖寺前田家墓所.jpg
大聖寺新田藩前田家墓所。

<近衛家墓所>
広徳寺 近衛家墓所.jpg
公家の近衛家墓所です。ここには近衛秀麿のお墓があります。

<織田家墓所>
広徳寺 織田家墓所.jpg
織田信雄、織田信包他織田家墓所です。

<立花家墓所>
広徳寺 立花家墓所.jpg
立花宗茂他立花家墓所です。
名将立花宗茂の墓がここにあるんですね。

<小笠原家墓所>
広徳寺 小笠原家墓所.jpg

著名人の墓
http://rover.seesaa.net/article/26837973.html

posted by 南行 at 14:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 東京都 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

夕焼け小焼けの碑    (東京都八王子市)

東京都八王子市にある夕焼け小焼けの碑を見てきました。

<夕焼け小焼けの碑>
夕焼け小焼けの碑.jpg
住所:東京都八王子市上恩方町(宮尾神社境内)
駐車場あり(無料)

「夕焼け小焼け」は童謡の中でも非常にポピュラーな曲で、小学校の音楽の
授業などでも歌ったりする曲です。
この曲は大正8年に中村雨紅の作詞、草川信の作曲により発表されました。
田舎の情景を表現しており、中村雨紅の住んでいた八王子上恩方町をモチーフ
にしているとも言われています。

中村雨紅の生家のあった上恩方町の宮尾神社境内に夕焼け小焼けの碑があります。

<宮尾神社>
宮尾神社・八王子.jpg

八王子でも郊外になるので、田舎の風景で歌のイメージにあうのどかな感
じがします。


posted by 南行 at 13:06| Comment(1) | TrackBack(0) | 東京都 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月26日

北条氏照の墓   (東京都八王子市)

東京都八王子市にある北条氏照の墓に行ってきました。

<北条氏照の墓>
北条氏照の墓.jpg
住所:東京都八王子市元八王子三丁目
駐車場(八王子城駐車場に駐車)

北条氏照は北条氏康の子で、陸奥守を称した。
滝山城主大石定久の後を襲い、八王子に居住して、八王子、
根木、古河、栗橋、小山など数城を併有し、戦国時代
広く勢力をもった。
1569年、武田勢と戦い、さらには1590年小田原
攻めのとき豊臣秀吉の武将前田利家、上杉景勝と戦い、この
時落城。7月11日小田原で自刃した。享年46。
この氏照の供養塔は百回忌追慕の際建立したものである。

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八王子城から少し東に行ったところに城主北条氏照の墓があります。
城主の氏照は小田原にいたため、八王子城の攻防戦には参戦して
いませんが、のちに八王子城近くに供養塔が建てられたものだそう
です。

著名人の墓
http://rover.seesaa.net/article/26837973.html


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八王子城   (東京都八王子市)

東京都八王子市にある八王子城跡に行ってきました。

<八王子城跡>
八王子城.jpg
住所:東京都八王子市元八王子
駐車場あり(無料)

八王子城は北条氏照によって築城された山城です。
氏照は当初
多摩川と秋川の合流地点にある滝山城を居城としていました。
その支配地は八王子はもとより、北は五日市・青梅・飯能・所沢の
一帯、南は相模原・大和から横浜の一部まで及んでいました。
氏照が居城を滝山城から八王子城に移した動機は、1569年武田信玄
が滝山城を攻撃し、落城寸前にまで攻められたことから強固で強大な
八王子城の築城を思い立たせたと言われています。
築城時期は定かではありませんが、1570年代はじめに築城が
開始され、1570年代中頃に氏照が八王子城に移ったと考えられて
います。1588年には豊臣秀吉の来攻に備え、兵糧の確保や兵士の
妻子の入城を命じ、守備固めの準備を急いでいます。
1590年、小田原在城の城主氏照を欠いたまま、豊臣秀吉の小田原
攻めの一隊、前田利家、上杉景勝などの軍勢の猛攻を受け、1日で
落城しました。八王子の落城は小田原城の開城をうながし、豊臣秀吉
が天下を統一する上に、大きな影響を与えました。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
昨年、八王子城に行ってきました。
現在では日本100名城に選ばれるなど、観光地として賑やかな
八王子城ですが、秀吉との戦いでは壮絶な戦いが繰り広げられ、
御主殿の滝では自刃した将兵や女子供の血で3日3晩赤く染まった
とう伝説も残るお城です。

<御主殿の滝>
御主殿の滝.jpg

現在城は整備され、多くの観光客で賑わっています。
八王子城2.jpg

八王子城 御主殿跡.jpg
この広場は御主殿跡で、北条氏照の居宅跡と言われています。

御主殿から本丸までは、山道を片道40分ほど登ることになります。
普通の登山になりますので、それなりの靴や装備は必要になります。

八王子城から.jpg
本丸からの景色は良好で、ちょっとしたハイキング気分です(^-^)

天気が良いと景色も良く気分も良いんですが、御主殿の滝付近は
結構有名な心霊スポットです。北条方の兵士の霊が出るとか出ないとか・・・。
僕は霊感とかないので、よく分かりませんけどね。

日本の城を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21222307.html


posted by 南行 at 12:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 東京都 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

縁切榎    (東京都板橋区)

東京都板橋区の縁切榎です。

<縁切榎>
縁切榎.jpg
住所:東京都板橋区本町18
駐車場なし

江戸時代には、この場所の道を挟んだ向かい側に旗本近藤登之助の抱え屋敷
がありました。その垣根の際には榎と槻の古木があり、そのうちの榎がいつの
頃からか縁切榎と呼ばれるようになりました。
そして、嫁入りの際には縁が短くなることを恐れ、その下を通らなかったと言い
ます。
1861念の和宮下向の際には榎を避けるための迂回路がつくられています。

男女の悪縁を切りたいときや断酒を願う時にこの榎の樹皮を削ぎとり煎じ、
ひそかに飲ませると願いが成就するとされ、霊験あらたかな神木として庶民
の信仰を集めました。

縁切榎2.jpg

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中山道板橋宿散策時に発見したのがこの縁切榎です。
縁切りの恐れから、和宮の中山道下向の迂回路まで出来てしまう
んですから、たいそうなものです。
現在の榎は3代目だそうです。

何でも悪い縁は絶つけれども、良縁は結んでくれるという事で、大衆
に信仰されているそうです。


posted by 南行 at 10:39| Comment(1) | TrackBack(0) | 東京都 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月23日

松陰神社     (東京都世田谷区)

世田谷区にある松陰神社に行ってきました。

<松陰神社>
松陰神社 鳥居.jpg
住所:東京都世田谷区若林4-35-1
駐車場あり(無料)
境内自由

松蔭先生は幕末の思想家、教育者で私塾松下村塾を主宰し、
明治維新を成し遂げ多くの若者を教育しました。しかし、
安政の大獄に連座し江戸の伝馬町の獄舎にて30歳の若さで
刑死されました。その4年後の1863年に松蔭先生門下生
であった高杉晋作、伊藤博文らによって当時長州毛利藩藩主
毛利大膳太夫の所領で大夫山と呼ばれていたこの地に改葬
されました。
1882年11月、松蔭先生門下の人々が相談し、墓畔に社
を築いて先生の御霊を祀り神社が創建されました。

松陰神社.jpg

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何年かぶりに松陰神社に行ってきました。
世田谷線の駅に松陰神社前ってのがあるので、名前を知っている人
は多いのではないでしょうか。
名前の通り、祭神は吉田松陰。吉田松陰と言えば長州藩ですが、
亡くなった東京にそのお墓はあります。小塚原回向院にも墓が
あったと思いますが、こちらに改葬されえちるそうです。

吉田松陰の墓.jpg

境内には模造ですが松下村塾があります。いかにも雰囲気の
ある建物です。
松下村塾.jpg

松下村塾2.jpg

吉田松陰は教育者として、維新を支える若者を教育したという
事ですが、自らも30歳という若さで亡くなってるんですね。
ちょっとびっくりです。
境内には吉田松陰の銅像があります。

松陰神社 吉田松陰像.jpg

松陰神社は23区内にある神社ですが、無料の駐車場があるのもありがたい
です。

大河ドラマの舞台
http://rover.seesaa.net/article/112515106.html

著名人の墓
http://rover.seesaa.net/article/26837973.html

<桜のある風景>
http://rover.seesaa.net/article/14535679.html

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2011年02月21日

近藤勇生家跡    (東京都調布市)

東京都調布市にある近藤勇生家跡に行ってきました。

<近藤勇生家跡>
近藤勇生家跡.jpg
住所:東京都調布市野水1-6-8
駐車場なし

この地は新選組局長近藤勇の生家跡である。
近藤勇は1834年、宮川久次郎の三男としてこの地に生まれ育った。
15歳の時、天然理心流近藤周助に入門、翌年理心流の目録を得て周助
の養子となり近藤姓を名乗った。
当時、宮川家の屋敷は面積約7000平米の広さがあり、建物は母屋の
他蔵屋敷、文庫蔵、乾燥納屋、地下蔵、農具入納屋等があり、周囲は
ケヤキ、カシその他の大木や竹林が茂っていた。
現在の跡地は、屋敷の東南部に位置し、昭和18年に家が取り壊され
るまで使用していた井戸を残すのみである。

近藤勇 産湯の井戸.jpg

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近藤勇の生家に行ってきました。近くにはお墓がある龍源寺もあり、
近藤勇ゆかりの地です。
当時は大きな屋敷だったようですが、今は産湯の井戸と、その脇に
近藤神社という小さな神社が残るのみです。
近藤勇生家跡2.jpg

近藤神社.jpg

近藤神社は、昭和初期に徳川将軍家のために忠誠心を貫いた近藤勇を
尊び有志により建立されたものだそうです。

新撰組関連の史跡
http://rover.seesaa.net/article/26835008.html


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2011年02月12日

森鴎外住居跡    (東京都台東区)

東京都台東区にある森鴎外住居跡に行ってきました。

<森鴎外住居跡>
森鴎外住居跡.jpg
住所:東京都台東区池之端3−3−21
駐車場無し

森鴎外は1862年石見の国津和野藩典医森静男の長男として
生まれた。本名を林太郎という。
1889年、海軍中将赤松則良の長女登志子と結婚し、この夏に
根岸からこの地に移り住んだ。この家は現在でもホテルの中庭
に残されている。

家庭的には恵まれず、1890年に登志子と離婚し、翌10月
本郷区駒込千駄木に転居していった。

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池之端を歩いていたときに偶然見つけた森鴎外旧居跡です。

森鴎外住居跡2.jpg

現地は水月ホテル鴎外荘というホテルになっていました。

ホテル内中庭に当時の建物が残っているそうですが、宿泊する
わけでもないので、中には入りませんでした。
温泉の日帰り入浴(1500円)というのもあるみたいなので、
温泉に入れば見ることが出来るかもしれません。

意外な発見でした。


posted by 南行 at 21:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 東京都 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月25日

旧岩崎邸    (東京都台東区)

東京都台東区にある旧岩崎邸に行ってきました。

<旧岩崎邸>
旧岩崎邸.jpg
住所:東京都台東区池之端1丁目3−45
電話:03-3823-8340
駐車場なし
入館料:400円

旧岩崎邸洋館はジョサイア・コンドルの設計により明治29年
に完成した。当時の岩崎邸は15000坪の敷地に20棟以上の
建物があった。現存する3棟のうち1棟が木造2階建て地下室付き
の洋館で、本格的な洋風建築。
17世紀の英国ジャコビアン様式を基調に、ルネサンスやイスラム
風のモチーフなどがとりいれられている。

旧岩崎邸2.jpg

旧岩崎邸3.jpg

和館
旧岩崎邸 和館.jpg

撞球場(ビリーヤード場)
旧岩崎邸4.jpg
撞球場もコンドルの設計です。

何年かぶりに岩崎邸に行ってきました。やはりきっかけは龍馬伝。
ここ岩崎邸は岩崎弥太郎の子・岩崎久弥が建てた建造物です。
ちょうど行った時に、龍馬伝に関する展示もありました。
あいにく建物内の撮影が出来ず、外観だけ写真撮影しました。
中もステンドグラスや壁紙など一つ一つがすばらしい建物で、久々
に良い物を見たなという感じです。
よくぞ空襲で焼けなかったと思います。
すばらしい建物、今後も大切に保存してほしいものです。


posted by 南行 at 15:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 東京都 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月18日

中山道板橋宿   (東京都板橋区)

東京都板橋区、中山道板橋宿を散策してきました。

<中山道板橋宿>
中山道板橋宿.jpg
住所:東京都板橋区板橋・中宿付近

板橋宿は日本橋から北へ、中山道第一番目の宿場町です。
東海道・品川宿、日光街道・千住宿、甲州街道内藤新宿とならび江戸四宿
にあげられています。
中山道を京方面から下ってきた人や荷物はここから江戸市中にまた、ここから
中山道に旅立って行きました。
宿場は南から平尾宿、中宿、上宿で構成され、本陣が一軒、脇本陣が三軒、
54軒の旅籠屋がありました。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
先日西が丘サッカー場にサッカーを見に行った帰りに中山道板橋宿を散策
しました。都営三田線の蓮沼駅付近から板橋区役所前駅付近まで、2駅
分歩きました。国道17号の1本裏に旧中山道があります。
旧中山道は商店街になっており、特に仲宿商店街は賑わいを見せていました。

中山道板橋宿3.jpg

板橋の名前は石神井川にかかる板橋に由来します。
中山道板橋宿2.jpg
現在の橋は昭和47年に再建されたものですが、もともとの板橋は
鎌倉時代の文献にも名前が見える古い橋で、江戸時代には宿場町の名前
にもなりました。

現在の板橋宿は、当時の面影はほぼありません。
石碑や解説文を読み、当時を偲びます。

中山道板橋宿4.jpg
こちらは古めの建物、ちょっと宿場な雰囲気ですかね。

中山道板橋宿5.jpg

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2010年10月13日

井上源三郎資料館   (東京都日野市)

東京都日野市にある井上源三郎資料館に行ってきました。

<井上源三郎資料館>
井上源三郎記念館.jpg
住所:東京都日野市日野本町4-11-12
駐車場なし
開館時間 : 12:00〜16:00 毎月第一・第三日曜日のみ開館
料金:500円

<現地解説>
井上源三郎は1829年、井上藤左衛門の三男として日野宿に生まれた。
天然理心流近藤周助へ入門し剣術を学び、1863年浪士組に加わり
上京し、新選組結成後は副長助勤・六番隊長として活動した。
1868年1月、鳥羽伏見の戦いで淀千両松にて銃弾を受けて戦死した。

井上源三郎資料館では、井上源三郎及びその兄で八王子千人同心であった
井上松五郎に関する資料を展示している。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
日野にある井上源三郎資料館に行ってきました。
土方歳三資料館には以前行ったので、今回は井上源三郎という事にしました。
日野駅から歩いて数分、車で行くと駐車場が無いので、どこか
コインパークにでも停めることになります。
「井上」という表札があり、普通に民家なんですが、その一角に資料館
の建物である蔵の様なものがあります。

蔵の中は写真を撮れませんでしたが、井上源三郎に関する資料が
展示されており、源三郎の子孫の方が丁寧に説明をしてくれます。
資料館としての規模は小さいですが、そのあたりを解説で補い、マニア
受けする施設だなと思いました。

資料館脇では関連グッズなどの販売も行っています。
開館しているのが月に2日だけなので、ご注意ください。

新撰組関連の史跡
http://rover.seesaa.net/article/26835008.html

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posted by 南行 at 23:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 東京都 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月11日

楠木正成像   (東京都千代田区)

江戸城にある楠木正成公像です。

<楠木正成像>
楠木正成像(江戸城).jpg
住所:東京都千代田区千代田
駐車場なし

江戸城にある楠木正成像です。
明治30年1月、住友吉左衛門謹製という文字が台座にありました。

楠木正成は後醍醐天皇に忠誠を尽くした武将として、明治時代に天皇への
忠誠を尽くす象徴としてここに銅像が造られたのではないかと思います。
(あくまで想像ですが)
個人的にこの銅像は、霞城公園にある最上義光の銅像とならんで僕の好きな
銅像です。

<クリックすると拡大します>
楠木正成像(江戸城)大.jpg

銅像めぐり
http://rover.seesaa.net/article/142026310.html

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posted by 南行 at 22:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 東京都 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月24日

山内容堂の墓   (東京都品川区)

東京都品川区にある山内容堂の墓(品川区指定史跡)に行ってきました。

<山内容堂の墓>
山内容堂の墓.jpg
住所:東京都品川区東大井4−8
駐車場なし
見学:9時〜17時

<現地の解説>
山内豊信は容堂と号した。1827年に分家の山内豊著の長子と
して埋まれ、1848年に宗家を継いで第15代の土佐高知藩主
となり人材を登用して藩政の刷新に努めた。
一方国策についてもいろいろ論議し、策をたてて多難な幕末期の
幕政に大きな影響を与えた。
進歩的で強力な言動は幕閣に恐れを抱かれ、一時大井の下屋敷に
蟄居させられたが、1862年に再び政治の場に復し、大政奉還
をはじめ幕府と朝廷の間の斡旋に力を尽くした。
1868年に維新後の新政府の内国事務総長となったが、翌年
引退し、明治5年に45歳の若さで亡くなった。
遺言によって、大井村の下総山(土佐山)と呼ばれた現地に葬ら
れた。

山内容堂の墓 明治5年.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
大河ドラマ『龍馬伝』でもおなじみの土佐藩主山内容堂の墓を
見に行ってきました。
京浜急行の鮫洲駅から歩いてすぐ、立会小学校の脇の小さな敷地
に山内容堂、他関係者の墓がありました。
いろいろな大名墓地を見てきましたが、ここは墓石の大きさ等
とても威厳を感じるお墓でした。
墓石には大きな文字で「贈従一位山内豊信公之墓」とあります。

山内容堂は松平春嶽、島津斉彬、伊達宗城とならび、幕末の四賢侯
に数えられる人物。
大政奉還をはじめとし、幕末の国政に大きな影響をもたらしました。今年の大河ドラマでの容堂の描かれ方はただのよっぱらいみ
たいな感じで、いかんせんよろしくありませんが、酒が好きだった
のは確かな様です。45歳という若さで亡くなったのも酒が原因
だったのかもしれませんね。

ここは小学校の敷地の様で、見学に時間制限があるのと、年末年始
は開いていない様です。ご注意ください。

大河ドラマの舞台
http://rover.seesaa.net/article/112515106.html

著名人の墓
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2010年06月26日

音無親水公園のアジサイ  (東京都北区)

東京都北区にある音無親水公園に行ってきました。

<音無親水公園>
音無親水公園.jpg
住所:東京都北区王子本町1丁目
駐車場なし
入園無料

音無親水公園は、石神井川の旧流路に整備された公園です。
石神井川は北区付近では「音無川」と呼ばれるそうです。
都会のオアシスのような緑の茂る公園は「日本の都市公園100選」
に選ばれています。
音無親水公園1.jpg

昨日、音無親水公園に行ったんですが、数は少ないながらアジサイ
が咲いていました。

<音無親水公園のアジサイ・平成22年6月25日撮影>
音無親水公園 アジサイ1.jpg

音無親水公園 アジサイ2.jpg

音無親水公園 アジサイ3.jpg

音無親水公園 アジサイ4.jpg


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2010年06月21日

慈眼寺   (東京都豊島区)

東京都豊島区にある慈眼寺に行ってきました。

<慈眼寺>
慈眼寺.jpg
住所:東京都豊島区巣鴨5-35-33

染井霊園の脇にある慈眼寺というお寺に行ってきました。
久しぶりに染井霊園に行ったこともあり、ここも久しぶりの訪問と
なりました。

慈眼寺には、芥川龍之介、谷崎潤一郎、司馬江漢、斉藤鶴磯の墓など
があります。

<芥川龍之介の墓>
芥川龍之介の墓.jpg

<谷崎潤一郎の墓>
谷崎潤一郎の墓.jpg
谷崎潤一郎の墓は、案内板も無く、探すのが大変でした。

<司馬江漢の墓>
司馬江漢の墓.jpg

<斉藤鶴磯の墓・江戸時代の儒学者>
斉藤鶴磯の墓.jpg

著名人の墓
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2010年06月17日

妙法寺   (東京都杉並区)

東京都杉並区にある妙法寺に行ってきました。

<妙法寺>
妙法寺 山門.jpg
住所:東京都杉並区堀ノ内3丁目48-8
駐車場あり(無料)
境内自由

【現地解説】
本寺院は日円山と号し、日蓮宗の寺で十界諸尊と祖師像が祀られていま
す。開基は不明ですが、中興開山は妙仙院日円といい、1622年寂し
たと伝えられています。
寺伝によれば、祖師堂の日蓮像は、日蓮聖人が42才の時、法難に
あい伊豆に流されたおり、同行を許されなかった日朗上人が、鎌倉の
岸辺に流れ着いた霊木を得て、祖師の御影を刻んだものと言われてい
ます。その後、目黒の法華寺からこの寺に移され、俗に「堀の内
厄除祖師」として信仰されてきました。
11代将軍徳川家斉や12代徳川家慶が当書院に立ち寄って休憩され
たことから、いっそう有名になりました。
寺には国指定重要文化財の鉄門、東京都指定有形文化財の祖師堂、
書院、仁王門、日蓮聖人像など数多くの文化財があります。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
この前の日曜日に杉並区の妙法寺に行ってきました。
目的は、菖蒲の花を見るためです。
杉並のお寺で菖蒲が見頃って、ちょっとびっくりしました。
どんなところかよく知らずに訪問です。

行ってびっくりしたのは、花の綺麗さもそうですが、お寺の大きさ。
杉並区の住宅街の中に、かなりの敷地をもつ大寺院でした。
しかも文化財指定の仁王門や祖師堂など建物も歴史あるもので、お寺
としても見所満載でした。

<祖師堂>
妙法寺 祖師堂.jpg

<本堂>
妙法寺 本堂.jpg

<日朝堂>
妙法寺 日朝堂.jpg

<有吉佐和子の碑>
妙法寺 有吉佐和子の碑.jpg
なぜかあった小説家・有吉佐和子の碑です。なにかゆかりがあるのか
もしれません。

さて、菖蒲は満開でした(^-^)
規模はそんなに大きくありませんが、都心でこれだけ咲いてるのが
見れるなら十分。
写真は続きをご覧ください。



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2010年06月02日

勝海舟生誕の地   (東京都墨田区)

東京都墨田区の両国公園内にある勝海舟生誕の地の碑です。

<勝海舟生誕の地>
勝海舟生誕の地.jpg
住所:東京都墨田区両国四丁目25番3号
駐車場なし

勝海舟は幼名を麟太郎といい、1823年1月13日にこの地、
男谷精一郎邸内で生まれた。剣は島田虎之助に師事し、蘭学海洋術
を学び、1860年幕府軍艦咸臨丸艦長として太平洋を横断した。
1868年、高輪薩摩藩邸において西郷隆盛と会談し、江戸城
の開城を決定して、官軍の江戸進撃を中止させ、江戸百万の庶民
を戦禍から救った事は有名。
1899年、赤坂氷川町の自邸で死去。墓は洗足池畔に建立されて
いる。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
かなり久しぶりで、両国公園に行ってきました。
両国公園は小学校裏にあり、子供が遊んでいる様な普通の公園です。
そんな公園の片隅に、一つの碑があります。
それが勝海舟生誕の地という碑文です。

一昨年の大河ドラマ『篤姫』、そして今年の大河ドラマ『龍馬伝』
どちらでも重要な役割を果たす人物ですね。
そういう事もあってか、平日だというのに見学ツアーみたいな集団
がこの碑を見にきていました。

大河ドラマの舞台
http://rover.seesaa.net/article/112515106.html

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2010年04月28日

田沼意次の墓    (東京都豊島区)

東京都豊島区にある田沼意次の墓に行ってきました。

<田沼意次の墓>
田沼意次の墓.jpg
住所:東京都豊島区駒込7丁目4−14(勝林寺)
駐車場無し

田沼意次は徳川10代将軍家治の治世において、側用人・老中として
政治を行った人物です。
その歴史的評価としては、賄賂政治など良いイメージが伝わっていま
せんが、蝦夷地開発計画、印旛沼の干拓、株仲間の結成などなど、
内政分野において非常に有能な人物だったのではないかと個人的
には思っています。

そんな田沼意次の墓が、豊島区の勝林寺にあります。
勝林寺は染井霊園の隣にあり、一見染井霊園の一角かと思う様な
場所です。
墓園内に「ここ」っていう案内板が無いので、田沼意次の墓を見つける
のに苦労しますが、一番立派なのがそれです。
正面を見ても分かりませんが、墓石の脇に意次の名前が書いてあります。

田沼意次の墓2.jpg

著名人の墓
http://rover.seesaa.net/article/26837973.html


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2010年04月22日

雑司ヶ谷霊園  (東京都豊島区)

豊島区にある都営雑司ヶ谷霊園です。

<雑司ヶ谷霊園>
住所:東京都豊島区南池袋4-25-1
駐車場無し

雑司ヶ谷霊園には数々の著名人の墓があります。
それらを巡ってみました。

永井荷風の墓
永井荷風の墓.jpg

千葉定吉(左)、千葉重太郎(右)の墓
千葉重太郎・定吉の墓.jpg
龍馬伝でもおなじみの千葉親子の墓です。

大河ドラマの舞台
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著名人の墓
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2010年04月06日

分倍河原古戦場   (東京都府中市)

東京都府中市の分倍河原古戦場です。

<分倍河原古戦場>
分倍河原古戦場.jpg
住所:東京都府中市分梅町2−59
駐車場なし

1274年、1281年の元寇を経験した頃、北条執権政治は根底
からゆるぎ御家人救済の方法として徳政令を発布したは、これがかえ
って政権破滅の速度を早めた。
1333年5月、新田義貞は北条高時を鎌倉に攻めるため、上野
武蔵、越後の兵を率いて上野国新田庄から一路南下し、小手指ヶ原
で北条方の副将長崎高重、桜田貞国を破りさらに久米川の戦いで
優勢にたった。北条方は分倍に陣をしき北条泰家を総帥として新田
勢を迎撃した。新田勢は敗れて所沢方面に逃れたが、この時武蔵
国分寺は新田勢のために焼失させられたという。
その夜(5月15日)、新田勢に三浦義勝をはじめ相模の豪族が
多く協力し、16日未明再び分倍の北条勢を急襲し、これを破って
一路鎌倉を攻め、22日に鎌倉幕府は滅亡した。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
新田義貞の鎌倉攻めの有名な戦いである、分倍河原の戦い。
今は、公園になっています。
公園には石碑がたち、分倍河原の戦いに関し、上の様な解説が書いて
ありました。
鎌倉攻めに関しては新田義貞は破竹の勢いで鎌倉まで攻め込んで活躍
しましたね。個人的にはこの時焼失した武蔵国分寺が残念でなりま
せんが(^^;

京王線分倍河原駅前には新田義貞の銅像があります。
平成14年2月6日訪問。

分倍河原_新田義貞像.jpg

銅像めぐり
http://rover.seesaa.net/article/142026310.html


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2010年03月30日

新宿御苑の桜   (東京都新宿区)

新宿御苑に桜を見に行ってきました。

<新宿御苑>
新宿御苑.jpg
住所:東京都新宿区内藤町11
駐車場あり(有料)
入園料:200円

新宿御苑は江戸時代の高藤藩下屋敷のあった場所。
日本庭園や後に作られた西洋風庭園などがあり、春は桜の名所として
知られています(さくらの名所100選)

この前の土曜に新宿御苑に行ってみました。
ソメイヨシノはまだ咲き始め。しかし、枝垂れやその他早咲きの品種
は見頃を迎えているものもあり、それなりに綺麗でした(^-^)
ソメイヨシノが満開になるのは今度の週末でしょうか、満開になった
ら相当良いでしょうね。

<新宿御苑の桜・平成22年3月27日撮影>
新宿御苑の桜1.jpg

新宿御苑の桜2.jpg

新宿御苑の桜3.jpg

新宿御苑の桜4.jpg

新宿御苑の桜5.jpg

<桜の名所まとめのページはこちら>
http://rover.seesaa.net/article/14535679.html



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2010年03月29日

金王八幡宮    (東京都渋谷区)

東京都渋谷区にある金王八幡宮に行ってきました。

<金王八幡宮>
金王八幡宮.jpg
住所:東京都渋谷区渋谷3-5-12
駐車場なし
境内自由

<現地の解説>
金王八幡宮は1092年、渋谷氏の祖、河崎基家によって鎮祭され、
基家の子重家が鎌倉街道沿いの要所であるこの地に館を構えて居城
として以来、渋谷氏の氏神として尊崇されました。
渋谷重家には嫡子が無く当神社に祈願したところ、大神の御神徳
により渋谷金王丸常光のちの土佐坊昌俊を授かりました。
金王丸の活躍は平治物語、吾妻鏡などに見られるとおりであります。
当神社は当初「渋谷八幡宮」といっていたものを金王丸の名声に
因み「金王八幡宮」と称するようになりました。
また境内の金王桜は。源頼朝が金王丸を偲び植えたもので、一重と
八重が混じって咲く珍しい桜で、江戸三名桜に数えられました。
江戸時代には徳川家光の教育係・青山忠俊と乳母の春日局が家光の
三大将軍就任を当神社に祈願し、その願いが成就したのは大神の神
慮によることと、現在の社殿・神門を寄進しました。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
渋谷駅から歩いて数分の所にある金王八幡宮に行ってきました。
目当ては桜。
頼朝にゆかりのある「金王桜」を見に行きました。
神社のゆかりは知らなかったのですが、上のような話で、源義朝・頼朝
に仕えた金王丸に由来するものでした。
また、現在の本殿や門は春日局・青山忠俊の寄進という事で、そち
らもすごいなと思いました。

金王八幡宮 本殿.jpg

絵馬を見ていたらこんな特注版絵馬も(笑)
金王八幡宮 絵馬.jpg

肝心の金王桜(渋谷区指定天然記念物)は満開でした(^-^)
写真は続きをご覧ください。

<桜の名所まとめのページはこちら>
http://rover.seesaa.net/article/14535679.html


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2010年03月11日

春日局像    (東京都文京区)

東京都文京区礫川公園にある春日局像です。

<春日局像>
春日局像 文京区.jpg
住所:東京都文京区春日1丁目(礫川公園)
駐車場なし

国道254号線を走っていると文京区役所近くに見える春日局像です。
春日局は明智光秀の家臣斎藤利三の娘。
稲葉正成と結婚し、後に徳川家光の乳母。
大奥をつくった人物でもあります。家光時代には政治にも大きな
影響を与えました。

文京区春日という地名は、春日局が家光からこの地を与えられた事、
また墓がこの地の麟祥院にあることからと言われています。

1989年の大河ドラマ『春日局』の放送を期にこの銅像が造られた
そうです。

大河ドラマ『春日局』は僕もかすかに覚えています。
大原麗子が春日局でした。懐かしいです。

銅像めぐり
http://rover.seesaa.net/article/142026310.html

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2010年03月10日

土方歳三資料館   (東京都日野市)

東京都日野市にある土方歳三資料館に行ってきました。

<土方歳三資料館>
土方歳三資料館.jpg
住所:東京都日野市石田2−1−3
入館料:500円
駐車場なし
第一・第三日曜日の12時〜16時に開館

土方歳三の生家跡に作られた資料館です。
生家は平成2年に老朽化の為立て替えられて、今はありません。
立て替え後の当地に、土方歳三の子孫の方が資料館を開いています。
月に2回しか開いていないため、なかなかタイミングが合わなかった
んですが、今回初めて行ってみました。

中の写真は撮ることが出来ないので、写真はありませんが、愛刀
和泉守兼定(日野市指定有形文化財)、歳三使用の鉢金や鎖帷子、
石田散薬の薬研などなど興味深いものが多数展示されていました。

新撰組好きにはたまらない場所です。

外には一風変わった土方歳三の銅像もありました。
土方歳三資料館 銅像.jpg

銅像めぐり
http://rover.seesaa.net/article/142026310.html

新撰組関連の史跡
http://rover.seesaa.net/article/26835008.html


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2010年03月09日

高幡不動金剛寺   (東京都日野市)

東京都日野市の高幡不動に行ってきました。

<高幡不動>
高幡不動仁王門.jpg
所在地:東京都日野市高幡733
電話番号 042-591-0032
駐車場あり(無料)
境内自由

大宝以前の創建とも、行基菩薩の開基とも伝えられる古刹で、のち
平安時代の初め慈覚大師が清和天皇の勅によって山中に不動堂を建立
し、東関鎮護の霊場に定めました。
三万余坪の境内に重要文化財の不動堂、仁王門、壮麗な五重塔、勅願
所の風格を偲ばせる大日堂など二重数棟の堂々たる伽藍が建ち並び、
ご本尊の不動三尊像、大日如来像をはじめ平安時代からの古文化財
寺宝が数多く収蔵されています。

高幡不動不動堂.jpg

高幡不動五重塔.jpg

また、桜・あじさい・紅葉なお四季折々の良さがあります。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
久しぶりに高幡不動尊金剛寺に行ってきました。
高幡不動の大伽藍はかつての繁栄を感じることが出来ます。

高幡不動は土方歳三の菩提寺としても知られています。
その関係で、境内には土方歳三の銅像や近藤勇らの顕彰碑なども
あります。

高幡不動 土方歳三銅像.jpg

近藤勇・土方歳三顕彰碑.jpg

日野は新撰組ゆかりの地。高幡不動もその名所の1つです。
土方の銅像は格好良いですね(^-^)

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2010年02月22日

赤塚城趾    (東京都板橋区)

東京都板橋区にある赤塚城址に行ってきました。

<赤塚城趾>
赤塚城趾.jpg
住所:東京都板橋区赤塚5丁目

赤塚城は1456年に千葉自胤によって築城されたと伝えられます
が詳しいことは分かっていません。
武蔵千葉氏は南北朝以来の領主であった京都鹿王院の支配を排除
するなど赤塚の支配の強化につとめ、北条氏が武蔵国へ進出して
くるとこれに従い、豊臣秀吉い滅ぼされる1590年まで勢力を
ふるいました。
城は荒川低地に面し、東と西に大きく入り込んだ谷に挟まれた台地
上にあります。
今は、城跡というより、のどかな公園という感じで、梅園があります。

今回は板橋区立郷土資料館に行くときに偶然、赤塚城の碑を発見し
て写真を撮りました。ここに城跡があろうとは、全然知りませんでし
た。また、城跡には梅園があり、花が咲いていました。
見頃は少し先かなという感じでした。

<赤塚城趾の梅・平成22年2月20日撮影>
赤塚城趾 梅.jpg

赤塚城趾 梅2.jpg

赤塚城趾 梅3.jpg

梅の名所巡り
http://rover.seesaa.net/article/13842621.html

日本の城を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21222307.html

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2010年01月28日

正福寺    (東京都東村山市)

東京都東村山市にある正福寺に行ってきました。

<正福寺>
正福寺 山門.jpg
住所:東京都東京都東村山市野口町4-6-1
駐車場あり(無料)
境内自由

金剛山正福寺は臨済宗の寺院で、鎌倉の建長寺の末寺です。
その仏殿である地蔵堂は1407年の建築。典型的な禅宗様建築で
あり、東京都唯一の国宝建造物です。
鎌倉幕府執権であった北条時宗か、またはその父である時頼によって
開基され、勧請開山は中国南宋の石渓心月仏海であると言い伝え
られていますが、確たる資料は存在しません。
正福寺山門は1701年の建築。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
久しぶりに正福寺に行ってきました。正福寺は東京都唯一の国宝建造物
「千体地蔵堂」があるお寺です。

正福寺 千体地蔵堂.jpg

正福寺 千体地蔵堂2.jpg
千体地蔵堂と呼ばれるとおり、堂内には多くの小地蔵尊が奉納されて
います。一木造り、丸彫りの立像で、高さが10〜30センチのもの
が大部分とのこと。
あいにく中を見ることは出来ませんが、建物自体は室町時代の建造物
で、いかにも重みのある建物です。さすが国宝!

<本堂>
正福寺 本堂.jpg

<貞和の板碑>
正福寺 貞和の板碑.jpg
1349年の板碑だそうです。

東京都唯一の国宝建造物。東京にもこんなに立派な建造物が残って
る事におどろきます。

国宝建造物を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21220842.html


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2010年01月26日

本妙寺    (東京都豊島区)

豊島区巣鴨にある本妙寺です。

<本妙寺>
本妙寺.jpg
住所:東京都豊島区巣鴨5-35-6
駐車場なし

山号は徳栄山と言い、徳川が栄える事を願い名付けられたものです。
元々本郷丸山にあり、1657年に起こった江戸の大火(明暦の大火)いわゆる振り袖火事の火元と言われています(実際は違うみたいですが)。

平成14年7月13日に本妙寺を訪問しました。目的は千葉周作の墓
があるというので行ってみました。

<千葉周作の墓>
千葉周作の墓.jpg
千葉周作は北辰一刀流の開祖。大河ドラマ『龍馬伝』を見ていて
ふと思い立ってこの記事を書いてみました。

<遠山景元の墓>
遠山景元の墓.jpg
同じく本妙寺にある遠山景元の墓です。遠山景元は幕末の北町奉行で
遠山の金さんの名で知られています。
遠山景元の墓は都の旧跡に指定されています。

他にも老中久世広周の墓もあうみたいなんですが、この時は見逃し
ました。今度また拝みに行きたいと思います。

大河ドラマの舞台
http://rover.seesaa.net/article/112515106.html

著名人の墓
http://rover.seesaa.net/article/26837973.html


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2009年10月20日

信松院     (東京都八王子市)

東京都八王子市にある信松院に行ってきました。

<信松院>
信松院.jpg
住所:東京都八王子市台町3-18-28
駐車場あり(無料)
境内自由

信松院は1590年、武田信玄の娘の松姫(信松尼)によって開基
のお寺。八王子七福神布袋様を祀ります。

武田信玄の娘である松姫は、元武田家の家臣である千人同心や、
大久保長安の心のよりどころでもあり、墓を囲む玉垣は没後132
年目に千人頭・千人同心らが寄進したもの。
また、一緒に甲斐から逃れてきた松姫の兄・仁科盛信の娘小督の
墓は大横町の極楽寺にある。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
八王子にある信松院に行ってきました。ここは武田信玄の娘で
織田信忠の婚約者であった松姫のお墓があります。
織田信忠と婚約していたものの、織田家・武田家が戦う事になった
事もあり結婚は実現せず。武田家の滅亡とともに八王子に逃れ、のち
にこのお寺を創建しています。

派手やかな建物の裏の墓場の一角に松姫のお墓があります。

信松院 松姫の墓.jpg
廟には武田菱もあり、武田の由緒あるお墓なんだなと一目で分かり
ます。

信松院 松姫像.jpg
寺の前には八王子へ下る際の松姫の像があります。

信松院 八王子七福神 布袋様.jpg
信松院は八王子七福神布袋様を祀ります。

著名人の墓
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2009年08月30日

日本橋     (東京都中央区)

東京都中央区にある「日本橋」です。

<日本橋>
日本橋.jpg
住所:東京都中央区日本橋1丁目
駐車場無し

日本橋がはじめて架けられたのは、徳川家康が幕府を開いた1603
年と伝えられています。幕府は東海道をはじめとする五街道の起点を
日本橋とし、重要な水路であった日本橋川と交差する点として江戸
経済の中心となっていました。
現在の日本橋は東京市により石造り二連アーチの道路橋として明治
44年に完成しました。橋銘は徳川第15代将軍徳川慶喜の筆によ
るもので、青銅の証明装飾品の麒麟は東京市の繁栄を、獅子は守護
を表しています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
車では何度も通る日本橋ですが、今回は歩いてみました。
江戸時代の五街道の起点、今でも道路標識で東京までの距離というの
は日本橋までの距離を意味します。

現在の日本橋周辺は発展し、日本橋三越をはじめ大変な賑わいです。
日本橋三越.jpg

橋自体も国指定重要文化財になり、大変価値のあるものですが、やは
り上を走る首都高速が気になります。
完全に覆われる感じですからね〜。

日本橋2.jpg

いつぞや小泉首相(当時)が日本橋のうえにかかる首都高速をどかそう
という話をして物議を醸しましたが、たしかに一理あるなと思います。
まあ大動脈の首都高をとめるわけにも行かず、お金の問題もあり、その
後その話がどうなったのかさっぱり分かりませんが、何とかなれば
うれしいところですね。

日本橋3.jpg



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2009年07月12日

払沢の滝     (東京都檜原村)

東京都檜原村の払沢の滝に行ってきました。

<払沢の滝>
佛沢の滝.jpg
住所:東京都西多摩郡檜原村5545-3
駐車場あり(無料)

払沢の滝は日本の滝百選にも選ばれている檜原村最大の観光名所
として知られています。
この滝は4段からなり、1段目の滝は落差26メートルで、全段
の高さを合わせると60メートルにもなります。
古くは払子の滝と呼ばれ、滝の水が流れ落ちる様が僧侶の払子を垂ら
したように見えたのでこの名がついたと伝えられています。
深い滝壺には主(大蛇)が棲んでいたという伝説が残っています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ふと思い立って払沢の滝に行ってきました。
前回行ったのはもう10年も前。
現地に着いて遊歩道を歩きますが、全然記憶に残っていませんで
した。(やはり10年もたつと忘れますね)

払沢の滝への道.jpg

遊歩道は綺麗に整備され、子供でも大丈夫です。今日はアジサイも
咲いていました。
その遊歩道を歩くこと10分くらい。払沢の滝に到着です。

払沢の滝2.jpg

払沢の滝は全部で4段で構成されているそうです。正直上の方は
よく見えません。主たる部分は直瀑で、かなり近くから見ることが
出来ます。
山の緑の中に美しい滝。ここが東京である事を忘れてしまいそうです。

水も綺麗で、清流に癒されてきました。

日本の滝巡り
http://rover.seesaa.net/article/25540563.html



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2009年07月09日

自由の女神像@お台場   (東京都港区)

東京都港区、お台場海浜公園にある自由の女神像です。

<お台場の自由の女神像>
お台場の自由の女神.jpg
住所:東京都港区台場1-4-1
駐車場(近隣の有料駐車場利用)

1998年4月〜1999年5月まで、日本におけるフランス年を
記念してフランスの自由の女神像が設置され、これが好評であった
ことから、後にフランスでレプリカが制作され2000年に設置
されたもの。別名「台場の女神」。
先の記事で青森の自由の女神を紹介した流れでこの記事を
書きました。
今やお台場のシンボルみたいな感じですね。ブロンズ製で質感も
とても良いです。
お台場の風景に非常にマッチするなと思います。
青森の自由の女神には違和感を感じました(失礼)が、こちらは景色
にとけ込んでいます。

お台場の自由の女神2.jpg

自由の女神像

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2009年06月17日

龍源寺 近藤勇の墓   (東京都三鷹市)

東京都三鷹市の龍源寺に行ってきました。

<龍源寺>
龍源寺 三鷹.jpg
住所:東京都三鷹市大沢6-3-11
駐車場あり(無料)
境内自由

龍源寺は近藤家の菩提寺で、新撰組局長の近藤勇のお墓があります。
近藤勇は1834年武州多摩郡上石原村の宮川久次郎の三男として
生まれ、15才で天然理心流近藤周助に入門、近藤家の養子となって
28才で天然理心流四代目を襲名した。
1863年、土方歳三らと京都にのぼり、1867年の大政奉還ま
での4年間新撰組として活躍した。
明治元年板橋宿で処刑された。

<近藤勇の墓>
龍源寺 近藤勇墓.jpg

<近藤勇胸像>
龍源寺 近藤勇像.jpg

新撰組関連の史跡
http://rover.seesaa.net/article/26835008.html

著名人の墓
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土方歳三の墓    (東京都日野市)

東京都日野市、石田寺にある土方歳三の墓に行ってきました。

<石田寺>
石田寺 日野.jpg
住所:東京都日野市石田1-1-10
駐車場あり
境内自由

石田寺は「せんきでんじ」と読みます。
創建は南北朝時代の1361年という事です。
この石田寺は土方歳三の故郷、石田村にあり、土方歳三の墓がありま
す。そのお墓を見に石田寺に行ってきました。

<土方歳三の墓>
石田寺_土方歳三の墓.jpg
土方歳三ファンが大勢きており、その人気の高さに驚きました。
歴史上の人物のお墓で、参拝客がここまで多いのは土方以外には
ないのではないでしょうか(沖田総司の墓は参拝出来ないですし)
やはり幕末くらいになると写真が残っているのも大きいのかもしれ
ませんね。

僕が石田寺に行ったのは平成15年。翌16年の大河ドラマが新撰組
だったので、こんなポスターも貼ってありました。
石田寺 新撰組.jpg

おそらく新撰組放映中は観光客であふれたんでしょうね。

新撰組関連の史跡
http://rover.seesaa.net/article/26835008.html

著名人の墓
http://rover.seesaa.net/article/26837973.html

石田寺

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2009年06月16日

板橋新撰組墓所   (東京都北区)

板橋駅前にある板橋新撰組墓所に行ってきました。

<板橋新撰組墓所>
近藤勇の墓 板橋.jpg
住所:東京都北区滝野川7−8−10
駐車場無し
見学自由

1868年4月、新撰組局長であった近藤勇は平尾の一里塚で官軍
によって処刑され、その直後、胴体がここに埋葬されたと伝えられ
ています。墓地内には三基の石塔があります。これは、局長近藤勇
と副長土方歳三をはじめ殉死した新撰組隊士を供養する目的で建て
られたものです。
設立の発起人は、元新撰組二番隊組長永倉新八です。

<近藤勇・土方歳三の墓>
近藤勇・土方歳三の墓.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
板橋新撰組墓所に行ってきました。
板橋と言えば、近藤勇が処刑された場所。その地に生き残った永倉
新八が近藤勇や新撰組隊士を供養するために作ったものだそうです。

近藤勇・土方歳三の墓の他、その脇には永倉新八の墓もありました。
永倉新八の墓 板橋.jpg

近藤勇 板橋.jpg

新撰組関連の史跡
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著名人の墓
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板橋新撰組墓所

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2009年06月13日

沖田総司の墓   (東京都港区)

東京都港区の専称寺にある沖田総司の墓です。

<専称寺>
専称寺(港区芝).jpg
住所:東京都港区元麻布3丁目1−37
駐車場無し

新撰組一番隊組長、沖田総司の墓は都心の小さなお寺にあります。
平成14年10月6日、元麻布の専称寺を訪ねました。
沖田総司は新撰組の中でも土方歳三と並んで人気の高い人物。
病気のため25才で亡くなっています。

こちらが沖田総司のお墓。
専称寺(沖田総司の墓).jpg
変な写真ですいません。

実は今は参拝出来ないのです。この時も墓の入り口は閉まっており、
入り口から望遠で撮影しました。
何でも心ない人が墓石を削って行ったりして、墓石はボロボロとの
事。困ったものですね。
今は年に1回の「総司忌」の時のみ参拝出来るそうです。

新撰組関連の史跡
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著名人の墓
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沖田総司の墓
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2009年06月06日

宝泉寺    (東京都日野市)

東京都日野市の宝泉寺です。

<宝泉寺>
宝泉禅寺.jpg
住所:東京都日野市日野本町3-6-9
駐車場あり(無料)
境内自由

平成19年8月25日、日野市の宝泉寺に行ってきました。
宝泉寺は臨済宗建長寺派の禅寺で、1330年頃の創建です。
本堂は平成13年に再建されたもので、新しい建物です。

宝泉禅寺 本堂.jpg

このお寺に行った理由はお墓参り。
ここには新撰組六番隊組長・井上源三郎の墓があります。
井上源三郎は試衛館時代から近藤、土方らと行動を共にした隊士で、
人柄もよく人望あつい人物だったそうです。
大河ドラマでも人情味溢れる感じがしました。
井上源三郎は鳥羽伏見の戦いで戦死。
ここ宝泉寺に埋葬されています。

井上源三郎の碑.jpg

井上源三郎の旗.jpg

井上源三郎の墓.jpg

井上源三郎の墓2.jpg

境内には自由に書けるノートがあるんですが、新撰組ファンの多くの
書き込みがありました。井上源三郎は密かに人気高いですね!

新撰組関連の史跡
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著名人の墓
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宝泉寺

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2009年04月26日

日の出山荘   (東京都日の出町 観光名所)

東京都日の出町にある日の出山荘に行ってきました。

<日の出山荘>
日の出山荘 看板.jpg
住所:東京都日の出町大久野5270
駐車場あり
入場料:300円

日野で産そうは1850年頃に建てられたと言われる茅葺き農家で、
昭和30年代過疎化が進む日の出村を心配した当時の村長から依頼を
受けたことがきっかけとなり、中曽根元首相がこの農家を購入し、
日の出農場(後に日の出山荘に変更)と名付けた。

日の出山荘.jpg

昭和58年、ロナルドレーガン米大統領来日時には、ここでもてな
したため、現在は日米首脳会談記念館として開館している。
中曽根氏が総理を辞してから、ゴルバチョフ元ソ連大統領、
全斗煥元韓国大統領夫妻、フォーリー駐日大使、ベーカー駐日大使
などを招いてもてなしたという事です。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
東京都日の出町の日の出山荘に行ってきました。
僕もここの存在は最近知りました。
中曽根康弘元首相の別荘で、平成18年に中曽根氏から日の出町に
寄付されたものだそうです。
今は、日米首脳会談(いわゆるロンヤス会談?)の記念館、そして
中曽根元首相の記念館として展示が行われていました。

東京ですが、ここは別世界。都会の雑踏など微塵も感じられません。
新緑がすごく綺麗で、心安らぐ感じでした。

日の出山荘6.jpg

日の出山荘7.jpg
総理を務めるというのは、精神的にも相当なものでしょうから、
こういう所でたまには心を落ち着けたんでしょうね。

首脳会談などの写真は続きをどうぞ。

日の出山荘

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2009年03月11日

吉野梅郷    (東京都青梅市 観光名所)

東京都青梅市の吉野梅郷に行ってきました。

<吉野梅郷>
吉野梅郷
住所:東京都青梅市梅郷4-537
駐車場(近隣の民間駐車場利用)
梅の公園は入園200円

吉野梅郷は梅の公園を中心に、この一帯に約2万5千本の梅の木
がある大きな梅の名所です。
平成21年2月14日日経新聞「春を感じるおすすめの梅の名所」
にて全国1位になった場所です。

ふと久しぶりに吉野梅郷でも行ってみようかなと思い行ってみました。
休日の混み方は半端じゃないので、今日みたいに平日に行けるときが
チャンスと思いました。
が、やはり平日でも混んでました(>_<)

なんとか車を停め、観光スタート。
吉野梅郷に来るのは4〜5年ぶりです。梅はまさに見頃。
すごく綺麗です。
吉野梅郷の良さは、いろいろな品種が混ざってる事です。
梅の公園は、白、ピンク、赤と色とりどりで凄く綺麗(^-^)
今日は写真もいっぱい撮りました。最高の吉野梅郷を堪能出来て
良かったです。

<吉野梅郷・平成21年3月11日撮影>
吉野梅郷

吉野梅郷

吉野梅郷

梅の名所巡り
http://rover.seesaa.net/article/13842621.html

写真が多いので続きをどうぞ




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2008年10月11日

映画看板の町並み  (東京都青梅市 観光名所)

東京都青梅市の映画看板の町並みです。

<映画看板の町並み>
青梅の町並み
住所:東京都青梅市住江町
駐車場(近隣有料駐車場)

平成5年の青梅アートフェスティバルで、看板絵師の久保板観さんが映画看板を描いたのがきっかけでこの町並みが作られたという青梅の映画看板街道。
とてもレトロな雰囲気です。

先日「ゆうばりキネマ街道」の記事を書いたついでにこちらもアップ
してみました。

【写真は続きをどうぞ】

映画看板の町並み

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2008年07月20日

目黒寄生虫館    (東京都目黒区)

東京都目黒区にある目黒寄生虫館に行ってきました。

<目黒寄生虫館>
目黒寄生虫館
住所:東京都目黒区下目黒4-1-1

目黒寄生虫館は、世界で唯一の寄生虫専門博物館です。
中には寄生虫に関する資料や、実際に寄生虫そのものがホルマリン漬
けみたいな感じで展示されています。

実はここに行くのは今回で2回目。
二度と行くことも無いだろうと思っていましたが、今日近くに
行ったためフラっと立ち寄ってしまいました。

行ってびっくり。大盛況じゃないですか(^^;
最近こういう珍スポット流行ってますからね〜(笑)
しかも無料なのも気軽に立ち寄れるわけです。

展示はこんな感じです。
寄生虫

寄生虫

寄生虫って言うと引くかもしれませんが、結構みんな楽しんでる
感じです。寄生虫をバックに記念撮影したりしてますし(笑)

お土産もあって、寄生虫のポストカードや、サナダムシのデザイン
の入ったTシャツなどなど。サナダムシTシャツは外で着るには
抵抗ありますね(^^;

目黒の珍スポット、是非いかがでしょう。



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陸上自衛隊広報センター   (東京都練馬区)

陸上自衛隊広報センター(りっくんランド)に行ってきました。

<陸上自衛隊広報センター>
陸上自衛隊広報センター
住所:東京都練馬区大泉学園町
■入館料:無料(手続き無しで自由に入館できます)
■開館時間:午前10時〜午後5時
■休館日:月曜日,第4火曜日
駐車場あり(無料)

ここはその名の通り、陸上自衛隊の広報センターで、自衛隊の歴史
や活動について展示や映像などで紹介する施設です。

国道254号線沿いにあり、僕は何百回もここの前を通っていた
んですが、この施設に気がついていませんでした(^^;

今回雑誌でここの存在を知り立ち寄ってみました。
こういう所は子供が喜ぶんでしょうね、子供連れの家族なども
多く来ていました。

陸上自衛隊広報センター_コブラ.jpg
ここがメインホールみたいな所です。
対戦車攻撃ヘリ「コブラ」が展示されています。

3D映像館では、自衛隊のイラクでの活動についての映像を見まし
た。

施設の外には実物の戦車が。

陸上自衛隊広報センター

陸上自衛隊広報センター_戦車.jpg
74式戦車とか実際に触れるんですから、驚きです。
子供は大喜び。

<お土産屋>
陸上自衛隊広報センター_お土産ショップ.jpg
こちらはお土産屋さんです。
自衛隊グッズや、いわゆるミリメシなどを売っています。
ここがなかなか面白い。
興味深い商品が多くて、あれこれ欲しくなってしまいます(^^;

詳しくは続きをごらんください。

陸上自衛隊広報センター

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2007年11月01日

フジテレビからの夜景  (東京都港区)

フジテレビ球体展望室「はちたま」で夜景を見てきました。

<フジテレビ本社からの夜景>
フジテレビ球体展望台 夜景


東京お台場にあるフジテレビ本社球体展望台「はちたま」に行ってき
ました。
ここは夜景が綺麗という事で有名なんですが、いまだ一度も行ったこ
とが無かったので行ってみました。
料金は500円です。
私はフジテレビの株主なので、無料入場券で入場しました。

のぼって見て感想「す、凄い!」
噂に違わぬ、いやいや、これほどまでの夜景とは。
驚きました。
目の前にはレインボーブリッジ、そして対岸の芝浦方面。
東京はこんなに都会だったのか〜と思わせる高層ビル群の光。

都内でもいろいろ夜景を見てきましたが、ここの夜景は都内一じゃ
ないかと思います。
お世辞言葉では言い尽くせません。是非皆さんも行ってみてください!

<夕暮れの写真・クリックすると拡大します>
フジテレビからの夕暮れ.jpg

夜景の名所巡り
http://rover.seesaa.net/article/23565397.html

<注意>
はちたまの営業時間が変わったようです。今は18時までみたいなの
で、冬じゃないとこの夜景は見れないかもしれません。

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2007年08月29日

勝海舟・西郷南洲会見の地  (東京都港区 観光名所)

東京都港区芝にある勝海舟・西郷南洲(隆盛)会見の地に行って
きました。

<勝海舟・西郷南洲会見の地>
勝海舟 西郷隆盛
住所:東京都港区芝5-33-1
駐車場なし


<由緒>
ここは、田町薩摩邸跡で、明治維新前、慶応4年3月14日幕府の
陸軍総裁・勝海舟が江戸100万市民を悲惨な兵火から守るため、
西郷隆盛と会見し江戸無血開城を取り決めた「勝・西郷会談」の
行われた場所です。

この屋敷の裏はすぐ海に面した砂浜で当時、薩摩藩国元より船で
送られてくる米などはここで陸揚げされました。

現在は鉄道も敷かれ明治5年に更に埋め立てられ海までは遠くなり
ましたが、この付近は最後まで残った江戸時代の海岸線です。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
仕事で三田に行く機会があったんですが、その時勝海舟・西郷南洲
会見の地の碑を発見したので写真におさめました。

三田にあるのは知っていたんですが、偶然発見して驚きました。

江戸無血開城のきっかけとなったこの会見。
今は大都会のビルの下にこの石碑がその歴史の事実を伝えるべく
建っているという感じです。

勝海舟・西郷南洲会見の地

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2007年06月09日

小岩菖蒲園  (東京都江戸川区)

東京都江戸川区にある小岩菖蒲園に行ってきました。

<小岩菖蒲園>
小岩菖蒲園
住所:東京都江戸川区北小岩4 江戸川河川敷
駐車場あり
入園無料

江戸川区の江戸川河川敷にある小岩菖蒲園に行ってきました。
小岩菖蒲園は昭和57年開園。
約100種類、9000株、50000本の花菖蒲が咲き誇ります。
開花時期は5月下旬から7月上旬です。

ちょうど菖蒲祭り開催中という事で行ってみました。
感じとしては、見頃まではあと1週間くらいかかるのかなという
様な状況。
一面に咲き誇るって感じではなかったですが、花を見てくつろいで
来ました。
ここには紫陽花もあって、紫陽花は満開!って感じでした。

小岩菖蒲園

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水元公園の菖蒲  (東京都葛飾区)

東京都葛飾区にある水元公園で菖蒲を見てきました。

<水元公園の菖蒲>
水元公園の菖蒲
住所:東京都葛飾区水元公園 東金町5・8丁目
駐車場あり(有料)

水元公園は葛飾区金町にある公園です。
池を中心にした大きな公園で、野鳥なども多く見ることが出来る
都会のオアシスです。

今日は菖蒲を見に行ってきました。
ちょうど第26回水元公園葛飾菖蒲祭りが開催中でした。
約100種類、1万4000株の菖蒲が咲くんですが、まさに今が見頃と
いう感じでした。
都内でこれほど大規模な菖蒲園があるっていうのも驚きですね。

水元公園の菖蒲

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2007年04月07日

鳩山会館   (東京都文京区 観光名所)

東京都文京区にある鳩山会館に行ってきました。

<鳩山会館>
鳩山会館
住所:東京都文京区音羽1−7−1
電話:03−5976−2800
開館時間:10:00〜16:00
入館料:大人500円、学生300円、小・中学生200円
駐車場なし

<鳩山会館について・パンフレットより>
鳩山家が文京・音羽の地に居を構えたのが明治24年。
洋館が完成したのが大正13年。そして平成7年現代の
最新技術を駆使した大規模修復工事が行われ、当寺の面影を
忠実に再現し、先代の偉業を紹介する記念館機能と集会機能を
兼ね備えた会館となりました。

この洋館を建てたのは鳩山一郎(元首相)で、ここを舞台に
戦後政治の画期となった自由党の創設が計られ、また首相と
して決断した日ソ国交回復の下順墓も行われている。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
何年かぶりに鳩山会館に行ってきました。
ここは俗に「音羽御殿」と呼ばれる鳩山家の洋館です。

大正時代の建築である洋館があり、中は鳩山一郎・威一郎らの
資料館となっています。
たまにTVで、民主党の懇親的な会合などが報道されるときに、
ここ鳩山会館でのものだったりするので、印象的な場所です。

この日は、桜を見たいと思って鳩山会館に行ってきました。
鳩山会館は、少し高い丘みたいな場所にあるんですが、そこま
で登る道に桜並木があります。

何年か前に、鳩山会館前にマンションが出来たため、若干暗く
なった様な気もしますが、桜の並木は健在。
音羽御殿へのお出迎えの桜はは、また趣があって良いものです。

<桜の名所まとめのページはこちら>
http://rover.seesaa.net/article/14535679.html



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posted by 南行 at 23:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 東京都 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月06日

隅田公園の桜  (東京都墨田区 桜の名所)

隅田公園で桜を見てきました。

<隅田公園>
隅田公園
住所:東京都墨田区向島・台東区花川戸ほか
駐車場あり(有料)

都内有数の桜の名所、隅田公園に行ってきました。
隅田公園は、隅田川沿いにある公園で、吾妻橋から桜橋に
至る川沿いに桜の木が約660本。綺麗な花を咲かせています。
徳川吉宗の頃より、「隅堤の桜」として親しまれた桜の名所です。

平成19年4月1日に行ったのですが、桜は満開!
ちょうど桜祭り開催中みたいで、すごい賑わいでした。
また、隅田川ならではの光景が屋形船!
桜のシーズンに会わせたプランがあるのか、屋形船の数も
半端じゃなかったです。
当然屋形船の中は宴会モード。端から見ていて、結構楽しそう
でしたね(笑)
いつか屋形船で桜鑑賞なんてしてみたいものです。

<桜の名所まとめのページはこちら>
http://rover.seesaa.net/article/14535679.html

隅田公園の桜

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2007年04月04日

谷中霊園   (東京都台東区 桜 著名人の墓)

東京都台東区にある谷中霊園に行ってきました。

<谷中霊園>
谷中霊園
住所:東京都台東区谷中7-5-24
駐車場なし
入園自由

谷中霊園は1874年に天王寺の墓域の大半を官有として、
東京府の共同墓地としたのが始まり。
総面積10万平米、墓碑は7000を超えます。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
桜を見ようと谷中霊園に行ってきました。
東京の都営霊園には必ずと言っていいほど桜の木があります。
谷中霊園も多分に漏れず、桜の綺麗な霊園です。

上野寛永寺側から谷中霊園に入りました。
そこには見事な桜並木。
ここがお墓であることを忘れてしまいそうです。

都営霊園として有名人のお墓もあります。
一番の見所としては、江戸時代最期の将軍、徳川慶喜の墓
でしょうか。

渋沢栄一のお墓、阿部 正弘(幕末の老中)のお墓などは公開されて
いません。

<桜の名所まとめのページはこちら>
http://rover.seesaa.net/article/14535679.html

著名人の墓
http://rover.seesaa.net/article/26837973.html

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