雲仙仁田峠から、雲仙を下り島原半島南部にある原城址に行きました。
<原城跡>

住所:長崎県南島原市南有馬町乙
駐車場あり(無料)
城内は自由に見ることが出来ます。
原城は1496年、領主有馬貴純が築城したものと言われ、別名「日暮城」
と呼ばれている。城は県下最大の平山城で、周囲3キロメートル、41万
平方メートルの規模を持ち、有明海に面して南東に突出した岬を利用した
要害である。
1614年、島原藩主有馬直純は日向に転封され1616年松倉重政が
入部した。
松倉氏の藩政は領民への過酷な賦役と重税を課し、キリシタンの弾圧など
厳しく行ったため、1637年に天草四郎時貞を盟主として島原の乱が
起こった。
原城は同年12月3日から1638年2月28日まで約37000人が
88日間立てこもった島原の乱終焉の地である。
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原城は島原の乱で天草四郎が立てこもった城という事で、今回是非言って
みようと思っていました。
行ってみて思ったのは、3万の一揆軍が立てこもったにしては小さい
城跡だなという事でした。
まあかつての城郭はもっと大きいものだったんでしょうけどね。
今は雲仙を望む海沿いにあるのどかな場所にある、こじんまりとした
城跡という感じでした。
島原の乱は川越藩主で将軍家光の側近であった老中松平信綱が鎮圧した
という事で、川越市民の僕としては少しは関係あるかなという気もして
います(無いか・・・)

平成17年夏旅
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