2024年10月09日

小町堂      (秋田県湯沢市)

令和6年8月7日、湯沢市にある小町堂に行ってきました。

<小町堂>
小町堂2.jpg
住所:秋田県湯沢市小野小町48−17
駐車場あり(無料)

小町堂に行ってきました。
ここは小野小町を祀ったお堂です。
昭和28年に建設され、現在のお堂は平成7年に建て替えられたものです。
この地は小野小町の生誕伝説があり(諸説あり)、その関係でお堂が建設されました。
道の駅おがちの近くにあるので、前にも来たことがあるのですが、今回久しぶりに
訪問・参拝させて頂きました。

小町堂3.jpg

小町堂.jpg

小町堂4.jpg

令和6年夏旅1東北旅
http://rover.seesaa.net/article/504324074.html



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大松川ダム・みたけ湖   (秋田県横手市)

令和6年8月7日、横手市にある大松川ダム・みたけ湖に行ってきました。

<大松川ダム>
大松川ダム.jpg
住所:秋田県横手市山内大松川
駐車場あり(無料)

<大松川ダムについて>
大松川ダム3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
大松川ダムに行ってきました。
大松川ダムは平成11年に竣工したダムで、横手市内の水道水に利用されている他
発電も行われています。
ダムによって造られた湖はみたけ湖という湖です。
訪問時、地元の小学生なのかな、集団で見学に来ていてダムの運営の方の説明を
聞いている感じでした。

私は訪問のうえダムカードをゲット。
ダムカードはここのダム事務所には無くて、事務所にある訪問証明を取得して近隣
の道の駅さんないで入手しました。

大松川ダム2.jpg

大松川ダム6.jpg

大松川ダム4.jpg

大松川ダム5.jpg

令和6年夏旅1東北旅
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2024年10月08日

御返事という地名    (秋田県湯沢市)

秋田県湯沢市に「御返事」という地名があります。
正式には秋田県湯沢市桑崎御返事の様です。

御返事は「おっぺち」と読みます。
この地は小野小町ゆかりの地で、小町の生誕の地とも言われています。
小町に思いをよせる深草少将が小町に対する恋文の返事をこの地で待った
事から「御返事」という地名になったという説があるそうです。

小町塚の前にいるときに、目の前にこんな標識があったので気になって
由来を調べた次第です。
御返事.jpg

令和6年夏旅1東北旅
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B級観光スポット・珍スポット
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小松川御番所跡   (秋田県横手市)

令和6年8月7日、横手市にある小松川御番所跡に行ってきました。

<小松川御番所跡>
小松川ご番所跡.jpg
住所:秋田県横手市山内小松川
駐車場無し

<小松川御番所について>
小松川ご番所跡3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
小松川御番所に行ってきました。
小松川御番所は秋田藩が設置した藩境の番所です。ここで禁制品の出入りのチェック
を行いました。
秋田藩は藩境に全部で14ヶ所の番所をもうけてこのような取り調べを行っていた
様です。
小松川御番所は北上と横手を結ぶ街道の横手の入り口付近に設置されていました。
現在遺構は残っておらず、最近建築されたと思われる門と説明板のみありました。

小松川ご番所跡2.jpg

小松川ご番所跡4.jpg

小松川ご番所跡5.jpg

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2020年09月26日

滝沢城址  (秋田県由利本荘市)

由利本荘市にある滝沢城址に行ってきました。

<滝沢城址>
滝沢城址.jpg
住所:秋田県由利本荘市前郷
駐車場無し

<滝沢城について>
滝沢城址2.jpg

滝沢城址3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
滝沢城址に行ってきました。
1603年、最上氏に臣従していた滝沢政道によって築城されたお城です。
関ヶ原後に造られた新しい城ですが、最上氏の改易とともにこちらの城も廃城と
なった様です。

最近は前郷小学校という小学校がこの地にあった様ですが、それも廃校となり、
碑と二宮金次郎の像が寂しそうにあるのみって感じでした。

<滝沢城址>
滝沢城址5.jpg

滝沢城址6.jpg

滝沢城址7.jpg

滝沢城址8.jpg

令和2年夏旅1 北海道大旅行
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日本の城を巡る
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2020年09月23日

羽州街道松並木   (秋田県能代市)

能代市にある羽州街道松並木を見てきました。

<羽州街道松並木>
羽州街道松並木.jpg
住所:秋田県能代市檜山寺田
駐車場あり(無料)

<羽州街道松並木について>
羽州街道松並木2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
江戸時代中期に整備された松並木が今に残るものです。
幕府も街道に松や杉並木を整備しましたが、ここは秋田藩が整備したものだそうです。
本数は少ないですけど、旧街道の雰囲気を感じました。

現地はポケットパークって感じで整備されていて、駐車場もありました。

羽州街道松並木3.jpg

羽州街道松並木4.jpg

羽州街道松並木5.jpg

羽州街道松並木6.jpg

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2020年09月21日

檜山城址   (秋田県能代市)

能代市にある檜山城址に行ってきました。

<檜山城址>
檜山城址.jpg
住所:秋田県能代市檜山
駐車場あり(無料)

<檜山城について>
桧山城址.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
檜山城址に行ってきました。
ここは15世紀後半、安東忠季の頃檜山城址が成立したと考えられ、その後
尋季、舜季、愛季、実季と5代にわたって安東氏の本拠地として存在しました。
その後、安東氏(秋田氏)が常陸に国替えになり、佐竹氏が入封し多賀谷宣家が
城代になりますが、江戸時代の一国一城令により廃城となりました。

現地へ向かう道はかなり急な道で車で走っていて不安になるような難所。
そんな山の上に郭跡などを確認する事が出来ました。

<檜山城址>
檜山城址2.jpg

檜山城址4.jpg

檜山城址6.jpg

檜山城址3.jpg

檜山城址5.jpg
本丸跡は今発掘調査中でした。

現地は熊出没注意の注意書きもありましたので、注意が必要です。

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脇本城   (秋田県男鹿市)

秋田県男鹿市にある脇本城址に行ってきました。

<脇本城址>
脇本城.jpg
住所:秋田県男鹿市脇本脇本七沢外
駐車場あり(無料)

<脇本城について>
脇本城2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
脇本城に行ってきました。続日本百名城、国指定史跡です。
城の築城年代は不明ですが、15世紀には城として機能していたようです。
日本海につき出した標高100mの丘陵に築城され、総面積は150haにも
及ぶ広大な城です。
この城は安東氏の居城で、安東愛季の代に最盛期を迎えました。
建物の跡は残っていませんが、土塁、虎口等が大規模に残っており、当時の巨城の
面影を感じる事が出来ました。その規模の大きさに感動しました。

脇本城9.jpg
国道沿いの駐車場に停めて、この細い道を歩いて登りました。
実はこの先300mくらいに案内所のプレハブがあり、そこに広い駐車場があります。
狭い道ではありますが、車で突っ込んでいっても問題ありません。まあ途中で車が前
から来たらアウトですが。

<脇本城址>
脇本城3.jpg

脇本城4.jpg

脇本城5.jpg

脇本城6.jpg

脇本城7主郭.jpg
主郭跡です。

脇本城8.jpg

<脇本城からの景色>
脇本城からの風景.jpg
男鹿半島方面です。

脇本城からの風景2.jpg
秋田市方面です。

脇本城からの風景3.jpg
秋田市方面の麓に見える集落。ここがかつて脇本城の城下町だったエリアです。

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2020年09月20日

忠犬ハチ公生家   (秋田県大館市)

大館市にある忠犬ハチ公の生家に行ってきました。

<忠犬ハチ公生家>
忠犬ハチ公生家2.jpg
住所:秋田県大館市大子内三ツ梨61−1
駐車場あり(無料)

<忠犬ハチ公の生家について>
忠犬ハチ公生家.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
忠犬ハチ公の生家に行ってきました。
忠犬ハチ公については僕が語るまでもないので、そこはパス。
大館市の郊外に生家があるというので行ってみました。

行ってみるとそこには大きな民家。今も人が住んでいます。
その私有地の中に、像と解説の碑が見えました。

忠犬ハチ公生家3.jpg
入って良いのか悩みましたが、私有地に入らないと像も碑も見えないので、行って
みました。

忠犬ハチ公生家4.jpg
こんな感じで像と碑があります。ここが生家なんですね。
ちなみに、墓は東京の青山霊園にあります。

この民家の前に公衆トイレと駐車スペースがあるので、そこに停めて見学する様な
感じです。

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藤原泰衡終焉の地@錦神社   (秋田県大館市)

大館市にある藤原泰衡終焉の地に行ってきました。

<錦神社>
藤原泰衡終焉の地錦神社.jpg
住所:秋田県大館市二井田上出向
駐車場あり(無料)

<錦神社について>
藤原泰衡終焉の地錦神社3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
大館にある錦神社に行ってきました。
直前に行った贄の柵でこの地が藤原泰衡終焉の地だという事を知り、そこから移動
しようとしたところ、錦神社の看板を発見して立ち寄ってみました。

藤原泰衡終焉の地錦神社2.jpg
神社は非常に小さな神社です。中に入れます。

藤原泰衡終焉の地錦神社4.jpg
神社に参拝出来ると共に、大河ドラマ『炎立つ』に関する展示などがあります。

藤原泰衡終焉の地錦神社5.jpg

『炎立つ』見たんですが、藤原泰衡役が渡辺謙さんで、すごく理知的でまともな人物
として描かれているのが印象的でした。
逆に源義経はややディスられている様な感じで、これもまた面白い感じでした。

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大河ドラマの舞台
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贄の柵跡   (秋田県大館市)

大館市にある贄の柵跡に行ってきました。

<贄の柵跡>
贄の柵.jpg
住所:秋田県大館市二井田贄ノ里
駐車場あり(無料)

贄の柵は平安時代比内を治めた河田氏が館を構えた場所です。
ここには壮大な館があり、当時の河田次郎は近隣に名を馳せた人物だった
そうです。

この城では、平安時代末期、頼朝に敗れた藤原泰衡が逃れて来た事による
悲劇がありました。

贄の柵4.jpg

結局泰衡は自刃し、その首を鎌倉方に持参した河田次郎も殺されました。
現在贄の柵は跡形もない状態です。
小さい小屋みたいなものが神社の建物としてあるだけという感じです。
一応前面に車を停めることが出来ますが、道が超狭いので、車でつっこま
ない方が良いと思います。

贄の柵3.jpg

贄の柵2.jpg

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大河ドラマの舞台
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日本の城を巡る
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安藤昌益の墓を参拝  (秋田県大館市)

大館市にある安藤昌益の墓を参拝しました。

<安藤昌益の墓@温泉寺>
温泉寺.jpg
住所:秋田県大館市二井田贄ノ里33
駐車場あり(無料)

<安藤昌益について>
温泉寺  安藤昌益の墓.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
安藤昌益の墓を参拝しました。
大館の温泉寺という寺に墓はあります。
安藤昌益は江戸時代、八戸で町医者をしていた人物ですが、この時代絶対である
封建制を批判するなど異端な人物でした。
安藤昌益の思想は農民を中心とした共産主義の様な思想で、この時代においては
先進的な考えであったと思われます。

<安藤昌益の墓>
温泉寺  安藤昌益の墓2.jpg
安藤昌益の生まれたのがこの地。私はてっきり八戸の出身なのかと思ってました。
集落の南側に安藤昌益の顕彰碑があるんですが、ここが生家跡だそうです。

<安藤昌益顕彰碑>
温泉寺  安藤昌益の墓3.jpg

令和2年夏旅1 北海道大旅行
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著名人の墓
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2018年11月20日

須川高原の紅葉      (秋田県東成瀬村)

秋田・岩手の県境の須川高原で紅葉を見てきました(^-^)

<須川高原の紅葉>
須川高原の紅葉1.jpg
住所:秋田県雄勝郡東成瀬村椿川
駐車場あり(無料)

須川高原は栗駒山の中腹、標高約1100mに広がる高原です。
国道342号線でちょうどこの地点が秋田・岩手の県境になります。
また、南に数キロ行くと宮城県になり、3県境の地でもあります。
標高が高いこともあり、紅葉も一足早くやってきます。
訪問は10月3日でしたが既に紅葉は見頃になってました。
色づいた山々の景色がとても良かったです(^-^)

平日だというのにかなりの混み方でビビりました。駐車場はほも満車。
休日はすごいんでしょうね。

<須川高原の紅葉・平成30年10月3日撮影>
須川高原の紅葉2.jpg

須川高原の紅葉3.jpg

須川高原の紅葉4.jpg

須川高原の紅葉5.jpg

須川高原の紅葉6.jpg

須川高原の紅葉7.jpg

<須川温泉>
須川温泉.jpg

須川温泉2.jpg
現地は温泉が湧いています。足湯なども楽しめます。

平成30年秋旅 奥州平泉へ
http://rover.seesaa.net/article/462029244.html

紅葉の名所巡り
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2018年11月18日

川原毛地獄     (秋田県湯沢市)

秋田県湯沢市にある川原毛地獄に行ってきました。

<川原毛地獄>
川原毛地獄.jpg
住所:秋田県湯沢市高松字湯尻沢
駐車場あり(無料)

<川原毛地獄について>
川原毛地獄2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
16年ぶりに川原毛地獄に行ってきました。16年前の訪問時は天気が悪かった
んですが、この日は天気に恵まれました。川原毛地獄は地面が硫黄で白くなって
いるため、青空の青と白のコントラストがとても良い感じでした。
地面から湯気が出ている場所など、地獄感もとても良かったです。

結構地獄は広いので、歩いてゆっくり見るには1時間は時間を見ておいた方が良い
かと思います。あと足下が悪いので、ちゃんとした靴があると良いですね。

川原毛地獄3.jpg

川原毛地獄4.jpg

川原毛地獄5.jpg

川原毛地獄6.jpg

川原毛地獄7.jpg

川原毛地獄8.jpg

川原毛地獄9.jpg

川原毛地獄9a.jpg

平成30年秋旅 奥州平泉へ
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2017年12月03日

岩崎城址      (秋田県湯沢市)

秋田県湯沢市にある岩崎城址にって来ました。

<岩崎城址>
岩崎城址.jpg
住所:秋田県湯沢市岩崎
駐車場あり(無料)

岩崎城は鎌倉時代中期に岩崎河内守によって築城された平山城です。
皆瀬川を自然の堀の様に使い、自然地形をうまく利用した軍事的なお城です。
湯沢城の支城として重要な城でした。
代々岩崎氏の居城でしたが、1590年奥州仕置き後最上領とされ、それを
認めなかった横手城主小野寺義道は雄勝郡を継続支配しますが、最上軍の
攻撃を受け岩崎城は落城。以後は最上の城となりました。

今は一部に土塁などの跡や、井戸の跡などが残ります。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
現地は千年公園という公園になっており、八幡岩崎神社という神社が鎮座しています。

岩崎八幡神社.jpg

神社の裏には鹿島様という謎のわら人形。
岩崎城址 鹿島様.jpg

<鹿島様について>
岩崎城址 鹿島様2.jpg
こういう地方信仰は面白いですね。トトロにでも出てきそうな感じです(^-^)
おしらさまとか、東北には昔ながらの信仰が残ってますね。

<玉子井戸>
岩崎城址 玉子井戸.jpg

岩崎城址 玉子井戸2.jpg

<能恵姫>
岩崎城址 能恵姫.jpg
姫の像の真裏に解説碑があって、よく見えません。碑を設置した人はそういう意識
なかったのかな〜・・・。

<城からの風景>
岩崎城址3.jpg

岩崎城址4.jpg

平成29年夏旅 青森へ
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日本の城を巡る
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四十二館跡       (秋田県大仙市)

大仙市にある四十二館跡に行ってきました。

<四十二館跡>
四十二館跡.jpg
住所:秋田県大仙市藤木字乙糠塚1他
駐車場無し

古代から中世にかけての豪族の居舘跡。
史跡は東西350m、南北300mで水堀が縦横にめぐっている。郭の小名には
本丸跡、御蔵跡、鍛冶屋敷跡、内馬場跡、外馬場跡などがあり、水堀で区
画された諸郭は「四十二館」の名称にふさわしい。後三年合戦沼柵跡とい
う説や清原氏の居宅跡という説があり、当時の様子を知る大事な手がかり
となる史跡である。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
四十二館(しじゅうにたて)跡に行ってきました。
発見ニッポン城巡りのアプリでの城攻めの一環です。
どこか場所が分からずさまよいましたが、民家の前に四十二館正門前の碑が建って
いるのを発見。これで攻略という事にしました。

四十二館跡4.jpg

四十二館跡2.jpg
説明板もありますが、完全に劣化していて何が書いてあるのか分かりません(>_<)

まわりは一面の田んぼで、遺構はまったく分かりません。
四十二館跡3.jpg

平成29年夏旅 青森へ
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2017年11月30日

六郷城址 / 佐竹義重終焉の地  (秋田県美郷町)

秋田県美郷町にある六郷城址に行ってきました。

<六郷城址>
六郷城址.jpg
住所:秋田県美郷町六郷字古館104-1
駐車場無し

<六郷城について>
六郷城址5.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
六郷城址に行ってきました。六郷城は1559年、六郷道行によって築城された
平城です。関ヶ原の戦い後、佐竹氏が秋田に転封になると、佐竹義重がこの城に入り
ます。
その勇猛さから「鬼義重」と呼ばれた佐竹義重。晩年をこの城で過ごし、六郷の町割り
など内政に従事したそうです。1612年、落馬による傷からこの城で亡くなりました。

現在城の遺構はほぼ残っていません。
本丸があった場所には田岡神社という小さな神社があり、その裏に佐竹義重を顕彰する
碑が建っていました。

<田岡神社>
六郷城址 田岡神社.jpg

<佐竹義重顕彰碑>
六郷城址2.jpg
1912年、義重300回忌に建立された顕彰碑です。

<400回忌祈念碑>
六郷城址3.jpg
更に100年後の400回忌の碑です。
書は、佐竹北家当主で秋田県知事の佐竹敬久氏によるものです。

六郷城址4.jpg

六郷城址6.jpg
まわりは一面の田んぼです。

平成29年夏旅 青森へ
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2017年11月29日

払田の柵跡     (秋田県大仙市)

大仙市にある払田の柵跡に行ってきました。

<払田の柵跡>
払田の柵.jpg
住所:秋田県大仙市払田
駐車場あり(無料)

<払田の柵について>
払田の柵2.jpg

払田の柵3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
払田の柵跡(ほったのさく)に行ってきました。
東北各地にある柵と呼ばれるものは、いわゆる柵ではなく、城の様なもので行政・
軍事の拠点とされた施設を指します。
払田の柵は1902年に発見され、その後の調査で、柵に使われている木の年輪から
西暦801年に伐採された木である事が判明したという事です。
年輪からここまで分かるんですね、びっくりです。
801年というと、平安時代の最初期で桓武天皇の時代。
坂上田村麻呂が東北を攻略し統治していった時代と重なります。東北統治の拠点と
して払田の柵は作られたものと考えられます。

払田の柵跡は、綺麗に整備されています。他の柵より整備度が良いですね。
大きな城であった事がうかがえました。

<払田の柵跡>
払田の柵4.jpg

払田の柵6.jpg

払田の柵5.jpg

払田の柵8.jpg

払田の柵7.jpg

払田の柵9.jpg

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2017年11月27日

本堂城址    (秋田県美郷町)

美郷町にある本堂城址に行ってきました。

<本堂城址>
本堂城跡.jpg
住所:秋田県美郷町本堂城回字館間
駐車場無し

<本堂城について>
本堂城跡2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
本堂城址に行ってきました。
ここは、戦国時代の天文4年(1535)に本堂忠親という武将によって築城
されたお城です。
平城で、外堀・内堀に囲まれた二重構造。内堀の所に土塁の跡が残ります。
畑や田んぼの中に、かろうじて城の跡らしきものが残る程度で、城の遺構はあまり
残っていませんでした。

<本堂城址>
本堂城跡3.jpg

本堂城跡4.jpg

本堂城跡5.jpg

平成29年夏旅 青森へ
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2017年11月26日

門屋城址    (秋田県仙北市)

仙北市にある門屋城址に行ってきました。

<門屋城址>
門屋城址.jpg
住所:秋田県仙北市西木町小山田沢口212
駐車場無し

<門屋城について>
門屋城址7.jpg

門屋城址6.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
門屋城址に行ってきました。
1228年、戸沢兼盛によって築城されたとされるお城で、その後代々戸沢氏の居城
となりました。
室町時代中期に角館に本拠が移された後は、戸沢氏の家臣が城を守りました。
1590年、秀吉の命により破却されたそうです。

現在は、本丸跡に三嶽神社という神社がありますが、城としての形跡はあまり残って
いませんでした。

<門屋城址>
門屋城址5.jpg

門屋城址2.jpg

門屋城址4.jpg

門屋城址3.jpg

平成29年夏旅 青森へ
http://rover.seesaa.net/article/452720301.html

日本の城を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21222307.html

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2017年11月02日

菅江真澄終焉の地    (秋田県仙北市)

仙北市にある菅江真澄終焉の地に行ってきました。

<菅江真澄終焉の地>
菅江真澄終焉の地2.jpg
住所:秋田県仙北市角館町岩瀬149-2
駐車場あり

<菅江真澄について>
菅江真澄終焉の地.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
菅江真澄終焉の地に行ってきました。
角館の武家屋敷群から南に1〜2キロ行った場所にある角館神明社の
入口のところに碑が建っていました。

神明社.jpg

菅江真澄は江戸時代後期の人物で、秋田県を中心に東北・北海道に関する
紀行文などを残した人物です。
秋田県の各地に「菅江真澄の道」という碑が建っていて、菅江真澄が訪問
した地であることが今に伝えられています。
僕も菅江真澄の様な生き方をしたいものですが、サラリーマンな自分には
無理というもので。老後こんな生活出来れば良いなと(^^;

お墓は秋田市にあります(以前訪問しました)
http://rover.seesaa.net/article/276938633.html

平成29年夏旅 青森へ
http://rover.seesaa.net/article/452720301.html

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2017年10月20日

増田の町並み      (秋田県横手市)

横手市にある増田の町並みを散策してきました。

<増田の町並み>
増田の町並み1.jpg
住所:秋田県横手市増田町増田字本町
駐車場あり(無料)

雄物川の支流、成瀬川と皆瀬川の合流地点に位置する増田町は古くから
産業・交通・物流の要の地として栄えました。
現在、明治〜昭和初期にかけての商家などが残り、往時を偲ばせる町並み
が残っています。
平成26年、国指定の重要伝統的建造物群保存地区に指定されました。

僕も今回は増田の町並みの事を知っていた訳ではなく、たまたま通りかかり
案内が出ていたので立ち寄りました。
増田というと、だいぶ前に矢口高雄氏(「釣りキチ三平」の作者)の出身地
という事で、氏の作品を主展示したまんが美術館に行ったことがありましたが、
こんな昔ながらの町並みが残ってるというのはびっくりしました。
重要伝統的建造物群保存地区指定で、そういう町並みがあるんだって事を知ら
しめる事にもなりましたね。日本国内、まだまだ知らない町並みがあるのか
なと思うとワクワクします(^-^)

<増田の町並み>
増田の町並み2.jpg

増田の町並み3.jpg

増田の町並み6.jpg

増田の町並み7.jpg

増田の町並み5.jpg

増田の町並み4.jpg

北都銀行発祥の地.jpg
北都銀行発祥の地という碑がありました。商都だったという事もあり、銀行
もここから出て行ったんですね。
余談ですが、僕は北都銀行(フィデアホールディングス)の株主でして、株価が低迷して
いて泣いているところです(>_<)

平成29年夏旅 青森へ
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日本の古い町並み
http://rover.seesaa.net/article/21960937.html

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2016年07月03日

大桟橋       (秋田県男鹿市)

秋田県男鹿市にある大桟橋に行ってきました。

<大桟橋>
大桟橋3.jpg
住所:秋田県男鹿市戸賀加茂青砂ヒロキ
駐車場あり(無料)

<大桟橋について>
大桟橋5.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
男鹿半島の景勝地「大桟橋」に行ってきました。
男鹿半島西岸は断崖絶壁の続く荒々しい景色が続きます。高い場所から
海を見下ろす形になるので、とても景色が良いです。

そんな男鹿半島の景勝地「大桟橋」です。
人工の橋がある訳ではありません。自然の岩が橋のようになっているの
で「大桟橋」と呼ばれます。

江戸時代の紀行家・菅江真澄もこの地を訪れています。
大桟橋4.jpg

大桟橋展望台から見るとこんな感じです。
大桟橋.jpg

大桟橋まで遠いので、どこが桟橋か分かりづらいです。
望遠で撮ってみました。
大桟橋2.jpg
この岩が中が空洞で、橋のようになってるんですね。

男鹿半島の遊覧船があって、それだと近くに接近して見ることができる様です。
今度は遊覧船も乗ってみようかな(^-^)

平成28年GWの旅
http://rover.seesaa.net/article/437560904.html

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染川城址     (秋田県男鹿市)

秋田県男鹿市にある染川城址に行ってきました。

<染川城址>
染川城址.jpg
住所:秋田県男鹿市北浦相川字神田
駐車場なし

室町時代、安東兼季の居城だったと言われる染川城址です。
男鹿半島の北側、日本海に面した城でしたが、今は跡形も無くなって
います。
江戸時代中期に菅江真澄がこの地を訪れた様で、秋田各地にある「菅江真澄の道」
の案内がありました。

<染川城址>
染川城址2.jpg

染川城址4.jpg

染川城址3.jpg

平成28年GWの旅
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日本の城を巡る
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2016年06月17日

八望台      (秋田県男鹿市)

秋田県男鹿市、八望台に行ってきました。

<八望台>
八望台.jpg
住所:秋田県男鹿市北浦西水口
駐車場あり(無料)

<八望台について>
八望台6.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
男鹿半島の観光名所のひとつ八望台に行ってきました。
ここは男鹿半島に行ったときには必ず行く場所です。
男鹿半島の先端、入道埼や戸賀湾、二ノ目潟、寒風山などを一望でき
ます。特に戸賀湾、二ノ目潟方面の景色は良いなと思います。

<八望台からの景色>
八望台2.jpg
手前の湖が二ノ目潟(火山の火口湖)です。

八望台3.jpg

八望台4.jpg

八望台5.jpg

ここに来るのは3回目ですが、いつ来てもここからの景色は良いなと
思います。

平成28年GWの旅
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2016年06月01日

潮瀬崎 / ゴジラ岩      (秋田県男鹿市)

秋田県男鹿市の潮瀬崎に行ってきました。

<潮瀬崎>
潮瀬崎2.jpg
住所:秋田県男鹿市船川港本山門前垂水
駐車場無し

<潮瀬崎について>
潮瀬崎.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
潮瀬崎に行ってきました。
潮瀬崎は男鹿半島南西端にある岬です。男鹿半島は荒々しい断崖が続く半島
ですが、潮瀬崎はその南端になります。
潮瀬崎の特徴は上の解説にもありますが、火山堆積物の岩が波風によって浸食
された奇岩です。

一番の見所はゴジラの様な形をしたゴジラ岩です。

<ゴジラ岩>
潮瀬崎 ゴジラ岩.jpg
こちらゴジラ岩です。確かにゴジラの様な・・・・。

能登半島にもゴジラ岩ってありました。
http://rover.seesaa.net/article/115390122.html
どっちが雰囲気ありますかね。

<潮瀬崎灯台>
潮瀬崎3.jpg
潮瀬崎灯台は簡易的な灯台です。

平成28年GWの旅
http://rover.seesaa.net/article/437560904.html

岬・灯台巡り
http://rover.seesaa.net/article/107423997.html

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2015年10月18日

唐松城     (秋田県大仙市)

秋田県大仙市にある唐松城に行ってきました。

<唐松城>
唐松城.jpg
住所:秋田県大仙市協和境字唐松岳44-2
駐車場あり(無料)

唐松城の築城に関して、詳しいことは分かっていません。
雄物川支流の淀川右岸の南側に張り出した丘陵突端に築かれた山城です。
戸沢氏の支城であったと思われ、1587年の戸沢氏と安東氏の合戦では、
合戦の拠点となったと思われています。

現在城跡には中世の館唐松城なる復元施設があり、何故か能舞台とかが整備
されています。復元城とは言いますが、観光用に造った箱ものですね。
唐松城3.jpg

城の前には佐竹氏入部400年記念碑がありました。
唐松城2.jpg

平成27年夏旅 最北の地へ
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日本の城を巡る
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2015年10月14日

戊辰戦争 境・上淀川古戦場 / 萬松寺    (秋田県大仙市)

秋田県大仙市の萬松寺に行ってきました。

<萬松寺>
萬松寺.jpg
住所:秋田県大仙市協和境字境57
駐車場あり

秋田県大仙市の萬松寺に行ってきました。
ここは戊辰戦争の古戦場です。
奥羽越列藩同盟から新政府側に寝返った秋田藩は庄内藩の攻撃を受け、戦線を
後退。本城である久保田城まで約30キロの距離まで迫られます。

新政府軍は、ここ境・上淀川に最終防御線をはります。
秋田藩兵に加え、薩摩・佐土原・島原・小倉・筑前・長州・因幡・新庄藩兵が
警備にあたりました。
1868年9月15日、庄内藩と新政府軍が激突し、双方で100名以上の戦死
者を出しました。この結果、新政府軍は最終防御線を守り切り久保田城落城は
避けられました。

<現地解説・クリックすると拡大します>
戊辰戦争 境・上淀川古戦場.jpg

激戦地となった萬松寺は遺体安置場になり、のちに官軍兵士の遺体は秋田市の
官修墓地に移されました。

<萬松寺本堂>
萬松寺2.jpg

<佐土原藩士慰霊碑>
萬松寺 佐土原藩士供養塔.jpg

<庄内藩兵慰霊碑>
萬松寺 庄内藩兵供養塔.jpg

この戦いは戊辰戦争の東北戦線最終盤の戦いです。
9月22日に会津藩が降伏したのを受け、庄内藩も24日に降伏します。

平成27年夏旅 最北の地へ
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古戦場めぐり
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小種戊辰公園 / 戊辰戦争小種古戦場   (秋田県大仙市)

秋田県大仙市にある小種戊辰公園に行ってきました。

<小種戊辰公園>
小種戊辰公園.jpg
住所:秋田県大仙市協和小種
駐車場あり(無料)

小種戊辰公園は戊辰戦争における古戦場跡につくられた公園です。
奥羽越列藩同盟から新政府方に寝返った秋田藩(藩主は佐竹氏)
秋田藩には列藩同盟側の庄内藩(藩主は酒井氏)が攻め込み、ここ小種でも戦いが
繰り広げられました。

対岸に布陣した庄内藩兵400と対峙しますが、最新式の装備の庄内藩に
なすすべもなく敗退。47名の戦死者を出しました。

<現地解説>
小種古戦場.jpg

現在は小さな公園として整備されていますが、観光客などが来ている気配はまった
くありませんでした。場所も分かりづらいですし、案内も無いから気がつかない様
なところです。

<戊辰公園>
小種戊辰公園3.jpg

小種戊辰公園2.jpg
公園から対岸を見渡します。対岸に庄内藩が布陣しました。

平成27年夏旅 最北の地へ
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古戦場めぐり
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2015年10月07日

湊城跡      (秋田県秋田市)

秋田県秋田市、湊城跡に行ってきました。

<湊城跡>
湊城跡.jpg
住所:秋田県秋田市土崎港中央3丁目9-37
駐車場なし

<現地解説>
湊城は安東氏の居城であった。築城年代や規模は明かでないが、1573年当時
すでに湊城があり、また現地形と元文年間(1736〜1740)の古絵図によ
ると、堀を巡らした平城であった。1599年から翌年にかけて本格的築造がなさ
れた。
1602年秋田入りした佐竹氏も一時ここに拠ったが、1604年久保田城に
移ったあと廃城となった。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
秋田市にある湊城跡に行ってきました。
現在の土崎神明社という神社のあるあたりが湊城跡と言われています。
湊城跡2.jpg

神社裏が公園になっており、ここに城主だった安東氏の顕彰碑があります。
湊城跡 安東氏顕彰碑.jpg

湊城跡 安東氏顕彰碑2.jpg

今は城だった事が分かるような遺構は特に残っていませんでした。

平成27年夏旅 最北の地へ
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日本の城を巡る
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2015年10月04日

全良寺官修墓地     (秋田県秋田市)

秋田県秋田市にある全良寺官修墓地に行ってきました。

<全良寺官修墓地>
全良寺官修墓地.jpg
住所:秋田県秋田市八橋本町6丁目5−30
駐車場あり(無料)

<現地解説>
1868年の戊辰戦争における秋田藩と援軍の薩摩・肥前・筑前・新庄など計16藩
の新政府側の戦死者を葬っており、当時内務省が定額の修繕費を支出して管理してい
た官修墓地である。
全良寺十一世大内海山和尚が墓石の建立を発願し、石工辻源之助の協力を得て、両者
ともに多額の私財を費やして1895年に完成したものである。
当初は523基を建立したが、後に遺族がそれぞれの故郷に改葬したので、現在は
323基、395霊が弔われている。
この墓地内に眠る戦死者は15歳の少年から63歳の高齢者に及び、多くの犠牲を
はらった明治維新をしのばせている。

<肥前藩士の墓>
全良寺官修墓地2.jpg

<薩摩藩慰霊碑>
全良寺官修墓地3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
秋田市の全良寺にある官修墓地(秋田市指定史跡)に行ってきました。
戊辰戦争で、当初奥羽越列藩同盟側についていた秋田藩は仙台藩の使者を切った
うえで新政府軍に寝返りました。それにより、列藩同盟側最強の庄内藩の攻撃を受
け、久保田城の目前まで迫られますが、新政府側の援軍の力もあり久保田城を守り
きります。その時(秋田戦争)の戦死者を祀った官修墓地です。

秋田戦線はかなりの犠牲者が出たと思われますが、歴史の表舞台ではあまり知られて
いません。こういう官修墓地を参拝すると、戊辰戦争の激戦が各地であった事を偲ぶ
ことが出来ますね。

平成27年夏旅 最北の地へ
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2015年09月30日

沼の柵跡 / 蔵光院      (秋田県横手市)

秋田県横手市にある沼の柵跡(蔵光院)に行ってきました。

<沼の柵跡>
沼の柵跡.jpg
住所:秋田県横手市雄物川町沼館429
駐車場あり
境内自由

<現地解説>
平安時代、1086年「沼の柵」合戦が起きた。
前九年の役後、奥羽二州を清原氏一族が支配しており、真衡の死後、陸奥六郡
を清衡・家衡兄弟が二分していた。
しかし土地や人民に対して統制ある支配を行うためには同族的連合の形では
不可能になり、族長権をめぐって一族に不和が生じて起こった戦いである。
清衡は朝廷から陸奥守に任ぜられて赴任した源義家の加勢を得て家衡の籠もる
沼の柵を攻めたのである。
水柵といわれた沼の柵は簡単には落城せず、やがて激しい風雪の中での戦い
になった。
清衡・義家軍は大雪と寒さ、その上食料の欠乏にあい、馬肉を食って飢えを
しのぎ仮死状態の兵を懐に抱いてぬくもりをあたえ、蘇生させたりしたが多く
の兵を失い苦戦した。
このように自然の要害に守られた沼の柵を攻め落とすことの出来なかった清衡
義家軍はいったん陸奥へ引き上げた。
その後、家衡は叔父武衡の信玄により沼の柵よりも要害堅固の地である金沢柵
へ移る。再び戦いが始まり、激しい攻防戦の後、清衡・義家軍は金沢の柵を
攻め落とし、後三年の役は終わった。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
後三年の役の古戦場である沼の柵跡に行ってきました。
現在は蔵光院というお寺になっているあたりが沼の柵推定地という事になって
います。ここで清原家衡軍と清原清衡・源義家軍がぶつかりますが、堅固な沼の柵
は落ちず、清衡・義家軍は撤退します。
柵というのは本当に柵があった訳ではなく、要塞とか砦という様なものです。

戦国時代には、稲庭城主小野寺氏が沼館城を築城し本拠地としました。
また、あわせて別の場所にあった蔵光院をこの地に移し不動明王や観世音菩薩を
信仰したという事です。
蔵光院は山門も立派で、由緒ある古刹という感じのお寺です。

沼の柵跡・蔵光院.jpg

沼の柵跡・蔵光院2.jpg

沼の柵跡・蔵光院3.jpg

沼の柵跡・蔵光院4.jpg
寺を外側から見ると堀の様に見える部分もあり、ここがお城だったという事を
偲ばせます。

平成27年夏旅 最北の地へ
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大河ドラマの舞台
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古戦場めぐり
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日本の城を巡る
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JR後三年駅     (秋田県美郷町)

秋田県美郷町にあるJR後三年駅に行ってきました。

<JR後三年駅>
JR後三年駅.jpg
住所:秋田県仙北郡美郷町飯詰字東山本
駐車場あり

JR後三年駅(ごさんねんえき)に行ってきました。
名前を見て頂ければ分かるかと思いますが、ここは1083年〜1087年に
奥州清原氏の内紛に源義家が介入して起こった後三年の役のあった場所です。

10年前に金沢の柵跡を訪問したことがあり、その時後三年という駅がある事
も知りました。が、その時は駅には行きませんでした。
最近変わった駅に行くのも旅のテーマになった為、今回訪問しました。

JR後三年駅は奥羽本線の駅で無人駅です。
予想通りといえば予想通りでしたが、駅には後三年の役に関する資料などが展示
されていて、さながらちょっとした後三年の役に関する資料館みたいになって
ました。

JR後三年駅4.jpg

後三年の役の解説などもありました。
JR後三年駅5.jpg

<後三年の役について・駅にあった解説文より>
後三年の役は清原氏の内紛に端を発します。そこに源義家が介入します。
沼柵で清原清衡・源義家軍に勝利した清原家衡は応援にかけつけた清原武衡
とともに、より強固で天然の要害と言われた金沢柵に本拠を移します。
これにより合戦は横手市と美郷町にまたがる金沢地区を主戦場に繰り広げられる
ことになりました。
金沢柵の堅い守りに対し、清衡・義家軍は日本史上最初と言われる兵糧攻めを
展開、難攻不落とされた金沢柵も1087年11月14日、ついに陥落し
後三年の役は終結しました。
合戦に勝利した清原清衡は姓を実父と同じ藤原に戻し本拠を平泉に移しました。

JR後三年駅3.jpg

JR後三年駅2.jpg

という事で、駅もミニ博物館みたいな感じなので、近隣の史跡めぐりの前に
立ち寄ってみると良いかと思います(^-^)

平成27年夏旅 最北の地へ
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大河ドラマの舞台
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古戦場めぐり
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2015年08月27日

本多正純終焉の地      (秋田県横手市)

秋田県横手市にある本多正純終焉の地に行ってきました。

<本多正純終焉の地>
本多正純終焉の地.jpg
住所:秋田県横手市城南町8
駐車場あり(無料)

<現地解説>
徳川幕府創業の権臣であった本多正純、正勝父子は2代将軍秀忠暗殺謀反の
企て(宇都宮城釣り天井)があるとの疑惑を受け1624年佐竹義宣に預か
りの身となり、横手城代須田美濃守盛秀のもと横手城三の郭の居館に移し
た。子正勝は1630年35歳で病死。父正純は悲嘆の日々をすごし、
1637年73歳で寂しく一生を終えた。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
本多正純終焉の地に行ってきました。
横手城の脇のちょっと狭い道の傍らに本多正純終焉の地の碑があります。

解説にあるように本多正純は宇都宮城釣り天井事件で徳川秀忠暗殺未遂の疑惑を
かけられ失脚。横手に流されます。

この釣り天井事件は濡れ衣であったと言われています。
本多正純は家康のもと、権勢をほしいままにした人物。しかし2代将軍秀忠の
治世になり、秀忠の側近である土井利勝らが正純を快く思わなかった為、正純
を陥れたでのはという事です(実際は分かりませんがね)

昔も今もよくある話ですよね。
うちの会社でもその様な光景を見てきました。
前の権力者の下で権勢を誇っていた人間は、次になると邪魔な存在になります。
会社でも前社長の側近は閑職に追い込まれたりします。
まあ、正純の追放もそういう事なんでしょうね。

<本多正純父子の墓>
本多正純墓碑.jpg
明治時代に造られたものの様です。

現地にある本多正純の句碑
本多正純句碑.jpg
「陽だまりを 恋しと想う うめもどき 日陰の紅を 見る人もなく」
これは横手で詠んだものだそうです。寂しい句ですね。

平成27年夏旅 最北の地へ
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著名人の墓
http://rover.seesaa.net/article/26837973.html

大河ドラマの舞台
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2012年07月07日

秋田城趾    (秋田県秋田市)

秋田県秋田市の秋田城趾(高清水公園)に行ってきました。

<秋田城>
秋田城跡.jpg
住所:秋田県秋田市寺内大畑
駐車場あり(無料)

『続日本紀』によると733年に出羽柵が移されてきたのが
秋田城の前身とされています。
奈良・平安時代に存在した政庁もあった城で、現在秋田市の中心部
にある江戸時代のお城(久保田城)とは別のお城です。
この秋田城は前九年の役後ほぼその役割を終えた様です。

昭和に入り秋田城の本格的な調査が始まり、政庁跡や土塀跡などが
確認されています。
現地には復元された門や、調査結果などを展示した資料館などが
あります。

<秋田城跡>
秋田城跡2.jpg

秋田城跡3.jpg

秋田城跡4.jpg

秋田城跡5.jpg

日本の城を巡る
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平成24年GWの旅
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2012年06月23日

菅江真澄の墓    (秋田県秋田市)

秋田県秋田市にある菅江真澄の墓を参拝してきました。

<菅江真澄の墓>
菅江真澄の墓.jpg
住所:秋田県秋田市寺内大小路137
駐車場あり(無料)

<現地解説>
菅江真澄(本名:白井英二)は1754年に三河の国で生まれた。
1783年に旅に出た時から白井秀雄と名乗り、1810年から
菅江真澄と称した。1829年に仙北の地で亡くなった。
墓碑には76、7とあるので、当時の秋田の友人も正確な年齢は
分かっていなかった様である。
人生の大半を旅に生きた翁は百種二百冊に及ぶ著作を残した。
著書には詳細な図絵が挿入され、読む人に感動を与えている。
日記・地誌・随筆・図絵集などの体裁をとっているが、その内容
は民族・歴史・地理・国学・詩歌・考古・本草などの分野に及んで
いる。人びとはこれを「菅江真澄遊覧記」と総称している。

翁は旅を好み、故郷を出る前にも、富士山に登り、伊吹山で薬草
をかり、姥捨山の月を見、大峰山では修験道を学んでいる。
旅に出てからは、長野・新潟・山形を通って、天明4年は柳田で
越年した。翌年秋田を訪れた後、青森・岩手・宮城で遊んだあと
北海道に渡り、青森を経て1801年に再び秋田に入った。

この時翁は48才であった。これより没するまでの28年間、翁は
秋田を離れることなく、藩主佐竹義和や多くの藩士・百姓・手工業者
遊芸人などと交際した。
藩の許可を得て、秋田六郡の地誌、雪・月・花の「出羽路」の編纂
に精魂を傾けた。
翁の著書は厳しい自然の中に生きた雪国の常民の喜びや悲しみを客観的
に記述したものとして、民族研究の貴重な資料となっている。

秋田を歩き、秋田を誌し、秋田を愛した翁は、取材途中梅沢(旧田沢湖
町)で病に倒れ、角館に運ばれて没したとも、梅沢で亡くなったとも
伝えられている。翁の遺骸は友人鎌田正家の墓域に葬られ、1832年
の三回忌をもって墓碑が建立された。

菅江真澄の墓2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
秋田市にある菅江真澄の墓を参拝してきました。
私が崇拝し、その人生にあこがれる人物です。
この人こそ元祖旅人という感じがします。またただ旅をしただけ
でなく、秋田を特に愛し、その風土や歴史などを著作に残した
人物として歴史的な評価が高い点も素晴らしいところです。

私も旅好きゆえに、こういう人生を自分もしてみたいなと思います。
まずは働かなくても何とかなるくらいに資金力を強化しないとダメ
ですかね(笑)

平成24年GWの旅
http://rover.seesaa.net/article/268720848.html

著名人の墓
http://rover.seesaa.net/article/26837973.html


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2012年05月06日

大潟村菜の花まつり    (秋田県大潟村)

秋田県大潟村の菜の花祭りに行ってきました。

<大潟村菜の花祭り>
大潟村菜の花祭り.jpg
住所:秋田県南秋田郡大潟村北1丁目3
駐車場あり(無料)

八郎潟の中にある大潟村。
そこで菜の花祭開催中という事で行ってみました。
ポルダー潟の湯っていう温泉施設の脇に菜の花畑がありました。

<大潟村の菜の花・平成24年5月4日撮影>
大潟村菜の花祭り2.jpg
菜の花と鯉のぼり。

大潟村菜の花祭り3.jpg

大潟村菜の花祭り4.jpg
菜の花の中をミニSLが走るようですが、この日は雨のためか動いていません
でした。

この会場以外も八郎潟の中は菜の花が道沿いに咲き、菜の花の
村という感じがしました。

平成24年GWの旅
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2010年06月30日

稲庭城    (秋田県湯沢市)

秋田県湯沢市(旧稲庭町)にある稲庭城に行ってきました。

<稲庭城>
稲庭城.jpg
住所:秋田県湯沢市稲庭町字古館前平50
入城:9:30〜16:30
料金:420円
駐車場あり(無料)

稲庭城は県南を支配した戦国大名小野寺氏の本拠地、県南文化の発祥
の地として栄えたところです。
その繁栄は県南一帯におよび城館は仙北、平鹿、雄勝、由利、山形領
まで入れると470もあったと記されています。
しかし次第に勢力を弱め、1600年に山形の最上義光の攻撃を受けて
敗退。関ヶ原の合戦後、津和野にお預けの身となりました。
標高300mの大森山系にあった稲庭城は山と川に守られた城でした。
昭和61年より発掘調査の結果、古代から近世まで地域の人々と
深い関わりがあったことを示す土師器などの遺物が城跡から出土して
います。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
泥湯温泉からの帰り道、たまたま立ち寄ったお城です。
標識が出ていたので、寄ってみました。
小さな城かなと思っていきましたが、意外に観光客が多くびっくり
しました。
まずは篭風のゴンドラに乗って城の山に登ります。
稲庭城 ゴンドラ.jpg

山頂までは1〜2分というところでしょうか。
山頂には城を復元した資料館がありました。屋根が瓦ではなくトタン
なのが気になりました(^^;

資料館には稲庭城についての話や、稲庭といえば有名な「稲庭うどん」
についての展示などがありました。
何故か黄金の茶室があったのにはびっくりしましたがあせあせ(飛び散る汗)
稲庭城 黄金の茶室.jpg

稲庭城は山城なだけに景色も良好。爽快でした!
稲庭城から.jpg

稲庭城から2.jpg

日本の城を巡る
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2010年05月19日

小安峡大噴湯   (秋田県湯沢市)

秋田県湯沢市の小安峡大噴湯を見に行ってきました。

<小安峡大噴湯>
小安峡大噴湯.jpg
住所:秋田県湯沢市皆瀬新処
駐車場あり(無料)

91度のお湯が毎分223リットル噴き出す大噴湯です。
江戸時代の紀行家菅江真澄も1814年に大噴湯を訪れ、「湯が三・四
丈(9〜12m)も吹き上がり、滝の落ちる川を越えて向こうの岸の
岩にあたり霧となって散っていく。噴湯が岩の裂け目ごとに湯気の雲
を湧き起こして雷神の様な響きをたて吹き上げる湯が出ている」と記録
しています。

僕も大噴湯に来るのは8年ぶり。久しぶりに見ましたが、やはりすごい。自然の力を感じます。写真では伝わり辛いので動画でどうぞ。



岩の裂け目から、吹き出す湯気に轟音。昔の人が雷神の様だと言った
のも、なるほどと思います。

まさに自然の神秘ですね。


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2010年05月05日

おしら様の枝垂れ桜  (秋田県湯沢市)

秋田県湯沢市の「おしら様の枝垂れ桜」を見てきました。

<おしら様の枝垂れ桜>
おしら様の枝垂れ桜1.jpg
住所:秋田県湯沢市横堀赤塚
駐車場あり(無料)

このしだれ桜は隣接する白山神社にちなんで、白山神社の枝垂れ桜と
呼ばれている。東北地方では白山信仰とおしら様とを重ね合わせる例
が多く、当地区でも白山神社をおしら様と呼んできたことから別名
「おしら様の枝垂れ桜」と称されている。
樹高約10m、目通幹周り3.65m、樹齢は約200と推定される。
(湯沢市指定天然記念物)

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
過去2回、見に行くも散っていた「おしら様の枝垂れ桜」に3度目の
チャレンジで行ってきました。
4月下旬が見頃という事もあり、5月のGWには散ってしまっており、
2回連続で見れないでいました。
さて、今年は・・・・。記録的な桜の開花の遅さもあり、初めて咲いて
いるところを見ることができました。しかし、今回はまだ早く、5分
咲きというところでした。

<平成22年5月4日撮影>
おしら様の枝垂れ桜2.jpg

おしら様の枝垂れ桜 大.jpg
クリックすると拡大します。

国道13号線から遠目で見ることができるくらいのところです。
いつか満開の状態を見たいもので。

<桜のある風景>
http://rover.seesaa.net/article/14535679.html


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2009年07月13日

法体の滝    (秋田県由利本荘市)

秋田県由利本荘市の法体の滝です。

<法体の滝>
法体の滝.jpg
住所:秋田県由利本荘市鳥海町百宅
駐車場あり(無料)

法体の滝を見に行ってきました。
秋田県の名勝・天然記念物にして、日本の滝百選にも選ばれている
名瀑です。
その名の由来は空海が滝に礼拝した事からきたものだそうです。
落差は57.4メートル。末広がりで豪快な滝です。

遊歩道も整備され観瀑台から全容を眺めることが出来ます。

日本の滝巡り
http://rover.seesaa.net/article/25540563.html



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2009年07月06日

奈曽の白滝    (秋田県にかほ市)

秋田県にかほ市の奈曽の白滝です。

<奈曽の白滝>
奈曽の白滝.jpg
住所:秋田県にかほ市象潟町小滝
駐車場あり(無料)

高さ26m、幅11m、秋田県を代表する名瀑です。
駐車場から金峰神社の階段を下り滝見スポットまで行きます。
ちゃんと道も整備されていて、見に行く難易度は低いです。

奈曽の白滝の良さは水の色にあると思います。
奈曽の白滝2.jpg
滝壺から流れる川の水の色。エメラルドグリーンというのか、とても
綺麗です。温泉水でも混じってるんですかね。

天気が良い日はこの水の色が非常に綺麗に見えます。

日本の滝巡り
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2009年06月06日

本荘公園   (秋田県由利本荘市 城跡)

秋田県由利本荘市の本荘公園に行ってきました。

<本荘公園>
本荘城.jpg
住所:秋田県由利本荘市尾崎地内
駐車場あり(無料)

本荘公園は大正時代に本荘城跡に整備された公園です。
本荘城は、1610年最上義光の家臣楯岡満茂によって築城された
城です。
最上氏改易後、本多正純、そして六郷氏が入城し明治を迎えます。
幕末には六郷氏が新政府軍に付いたため、庄内藩の攻撃を受け城
は焼失しました。

本荘城2.jpg

本荘城3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
本荘城跡地の本荘公園に行ってきました。
幕末に城主が火を放って逃走したという事で、江戸時代の面影を
感じさせるものはあまり無い状態でした。

本丸跡地には本荘神社があり、全体として普通の公園という感じ
です。

本荘神社.jpg

春には桜の名所として名高いところですが、平成21年5月4日
時点では既に散っていました。

日本の城を巡る
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平成21年GWの旅
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本荘公園

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2009年06月04日

山根館跡    (秋田県にかほ市)

秋田県にかほ市の山根館跡に行ってきました。

<山根館跡>
山根館跡1.jpg
住所:秋田県にかほ市小国古館
駐車場あり(無料)

山根館跡は、由利十二頭(由利地方に勢力を持っていた十二の豪族)
の一人仁賀保氏の居館となった山城跡です。
平安時代中頃に築かれたとの伝承をもちますが、1468年仁賀保氏
の祖である大井伯耆守友拳が修復して居住し、江戸時代の初期に廃城
となったという記録があります。

平成5・6年の発掘で礎石や郭、石畳などの遺構や15・16世紀
のものと思われる中国製陶器などが発見されました。

山根館跡 礎石.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
古代〜中世の城跡、山根館跡に行ってきました。
国道7号を離れること数キロ。かなり細い道に突入しました。

本当にこの道で良いのかな〜と途中何度か悩みつつ、やっとで
到着しました。

平成に入ってから本格的な発掘が行われた城跡。
国分寺跡みたいな感じで、礎石のみが残る城跡でした。
本当に誰もいないし、民家も無い山の中にポツンとある感じで、
熊でも出てくるんじゃないかとビクビクしました(^^;

山根館跡からの風景.jpg
ここからは眼下ににかほ市の田園が広がり、風景的には良かった
です。

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平成21年GWの旅
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山根館跡

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2009年06月03日

永泉寺     (秋田県由利本荘市)

秋田県由利本荘市の永泉寺に行ってきました。

<永泉寺>
永泉寺 本堂.jpg
住所:秋田県由利本荘市給人町44
電話:0184-22-0044
駐車場あり(無料)

永泉寺は、旧本荘藩主六郷氏の菩提寺として1623年に六郷政乗によって建立されました。
見所は、秋田県指定有形文化財に指定される山門。

永泉寺 由利本荘.jpg

1863年起工、1865年に完成した。
高さ8.035メートル総ケヤキ材からなり、構造は屋根が桟瓦葺
入母屋造、二層の楼門。
建造物としての特徴は、軒廻りを中心とした建築彫刻にあり、門自体
の形態の良さに加え、多彩な彫刻がそれを豪華に装飾している。

永泉寺 由利本荘4.jpg

仁王は本荘の梅津巳之吉の作。

永泉寺 由利本荘2.jpg

永泉寺 由利本荘3.jpg
近世末期、本荘藩の中心的禅宗寺院の遺構として当地方の代表的
な仏教美術である。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
永泉寺は山門が見所。
境内には「芭蕉翁」という石碑も。松尾芭蕉のゆかりもあるんでしょ
うか、その辺は良く分かりませんでした。

平成21年GWの旅
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永泉寺

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2009年05月31日

天鷺村    (秋田県由利本荘市 観光名所)

秋田県由利本荘市の天鷺村に行ってきました。

<天鷺村>
天鷺村1.jpg
住所:秋田県由利本荘市岩城亀田亀田町字亀田町92-2
TEL:0184-74-2525
駐車場あり(無料)
入場料:400円
年末年始休村

天鷺村は城下町亀田に散在していた民家などを移築し、歴史資料館
なども併設した施設です。

民家や武家屋敷などが移築されており、亀田藩当時の面影を感じる
事が出来ます。

天鷺村 佐々木家.jpg

天鷺村 佐々木家2.jpg

庭も良い感じです。
天鷺村 庭.jpg

亀田歴史館では、亀田藩の歴史や真田幸村の娘お田の方に関する
展示などがあり、歴史好きには大変興味深いものでした。

お田の方 資料館.jpg

天鷺村を一望する天鷺城からの風景です。
天鷺村 上から.jpg
天鷺城は上は展望台、下の階はお土産屋さんなどになっています。

平成21年GWの旅
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天鷺村
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龍門寺    (秋田県由利本荘市)

秋田県由利本荘市の龍門寺に行ってきました。

<龍門寺>
龍門寺.jpg
住所:秋田県由利本荘市岩城亀田
駐車場あり(無料)
境内自由

龍門寺 本堂.jpg

亀田藩主岩城家の菩提寺、龍門寺です。
ここに大名墓所が残っているというので行ってみました。
龍門寺は室町時代、福島県いわき市荒川に創建され、その後1628
年にこの地に移建されたものです。
1876年におこった火災で寺は焼失しますが、墓所は火災を免れ
ました。
秋田藩主佐竹家墓所(秋田市天徳寺)と並んで秋田県に残る貴重な
大名墓所です。

亀田藩主岩城家墓所.jpg

亀田藩主岩城家墓所2.jpg
大名墓所って、とても威厳を感じます。いろいろな墓所形態があり
ますが、ここは墓碑を板家で囲った様な感じになっていました。

平成21年GWの旅
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著名人の墓
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龍門寺

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妙慶寺    (秋田県由利本荘市)

秋田県由利本荘市にある妙慶寺に行ってきました。

<妙慶寺>
妙慶寺.jpg
住所:秋田県由利本庄市岩城亀田最上町字最上町
駐車場あり(無料)
境内自由

妙慶寺はお田の方が1629年に真田一族の菩提を弔うために当地に
建立したお寺です。
お田の方という人物、僕は知りませんでしたが、お田の方は真田幸村
の娘で、亀田藩主岩城宣隆の妻だった人物だそうです。

お田の方.jpg

現地には、お田の方の墓があり、真田家・岩城家の現当主の銘も
ありました。
お田の方の墓.jpg

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著名人の墓
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妙慶寺

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折渡千体地蔵尊   (秋田県由利本荘市)

秋田県由利本荘市の折渡千体地蔵尊を見に行ってきました。

<折渡千体地蔵尊>
折渡地蔵尊.jpg
住所:秋田県由利本荘市岩谷麓字折渡
駐車場あり(無料)

羽後亀田の町を見に行くべく車を走らせていると、何か不思議な
感じの場所を発見。立ち寄ってみました。
行ってみると、そこにはお地蔵様。
この地蔵尊は、約200年前是山和尚(赤田大仏開祖)が延命地蔵尊として建立さたものだそうです。

古いお地蔵様の背後の山には、居並ぶお地蔵様。
折渡千体地蔵というそうです。千体あるのかどうかは分かりませんが
山道にずらーっとお地蔵様が並び、まさに地蔵霊場という感じの
場所でした。

折渡千体地蔵尊2.jpg

折渡千体地蔵尊3.jpg

かなり急な山道を登り、頂上には千人隠れという小さな洞窟があり
ます。
千人隠れ.jpg
ここはかつての古戦場で1582年岩屋氏が武藤氏に攻撃された
時に隠れた洞穴とも言われます。

折渡千体地蔵尊からの景色.jpg
頂上付近からの景色も良好です!

平成21年GWの旅
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折渡地蔵尊

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2009年05月28日

鳥海ブルーライン鉾立展望台  (秋田県にかほ市)

秋田県にかほ市〜山形県遊佐町を結ぶ鳥海ブルーラインを走って
きました。

<鳥海ブルーライン鉾立展望台>
鳥海ブルーライン.jpg
住所:秋田県にかほ市象潟町小滝字鉾立
駐車場あり(無料)

鳥海ブルーラインは秋田県にかほ市〜山形県遊佐町を結ぶ約35キロ
の山岳道路です。鳥海山を一気に駆け上り、この秋田県にかほ市の
鉾立展望台は標高約1150メートルにあります。
鳥海ブルーラインはいつか走ってみたいな〜と思いつつ、ここを
通るときは何故か天気が悪く、毎回断念していました。

この日はまたもや天気がいまいち。どうしようかな〜と思いましたが、
ダメもとで行ってみることにしました。

道幅とか心配しましたが、普通に2車線でセンターラインもある
良好な道路でした。
5月4日ですが、鉾立展望台付近は雪の中。雪の壁の中を車で進み
ます。

鳥海ブルーライン 雪の壁.jpg

鉾立展望台からの景色は最高に良かったです。

<クリックすると拡大します>
鳥海ブルーライン 頂上から1.jpg

鳥海ブルーライン 頂上から2.jpg
谷底には雪解け水が川になって流れていくのが見えます。
そして遠くには日本海。とても雄大です。

鳥海ブルーライン 自然の滝.jpg
鳥海山を見ると、雪解け水で自然に出来た滝もありました。

鳥海ブルーラインは4月下旬〜11月上旬が通行可能です。
良い天気の日にまた来てみたいなと思いました。

平成21年GWの旅
http://rover.seesaa.net/article/118675040.html

鉾立展望台

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