2016年08月24日

高山城       (岐阜県高山市)

岐阜県高山市にある高山城址に行ってきました。

<高山城址>
高山城址3.jpg
住所:岐阜県高山市空町
駐車場あり(無料)

<高山城について・現地解説>
標高686m、通称城山、別名を臥牛山とも言う。古くは天神山城と呼
ばれた。
飛騨の守護代である多賀出雲守によって文安年中に築城され、近江の
多賀天神を祀った事から多賀天神山、城は多賀山城と呼ばれた。
天正13年7月、金森長近は、秀吉の命を受けて飛騨へ侵攻し、翌年飛騨
一国を賜った。
城地として最初は鍋山城を考えたが、後、この天神山古城跡を選定した。
飛騨の中央にあり、東西南北の街道が交差する最も適所と考えたのである。

築城は天正16年(1588)から始め、慶長5年(1600)までの
13年で本丸、二の丸が完成し、以後可重によって更に三年で三の丸が築
かれた。
高山上は信長の安土城構築直後に築かれ、大きな影響を受けている。
軍事的機能を最優先させた城ではなく、御殿風の古い城郭形式を持ち、
外観二層、内部三階の構造をもつ天守を備えてるのが特徴で、秀吉の
大坂城築城以前における城郭史上初期に位置づけられる。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
高山城址に行ってきました。
高山には何度も行っていますが、町中の古い町並みを見てはいたもの
の、城には一回も行っていませんでした。
今回初訪問です。

観光地高山という事もあり、駐車場あるかなと思いましたが、行ってみると
広い無料駐車場がありました。
駐車場を降りて、山登りです。

高山城址.jpg
こんなつづら折りの坂道を登って行きます。
まあ、登るのはたいした距離ではありません。10分もあれば本丸跡まで
たどり着くことが出来ます。

高山城址4.jpg
こちらが本丸跡。今は建物は残っていません。
わずかに石垣が残っているところで、城の雰囲気を感じることが出来ます。
高山城址5.jpg

駐車場脇の公園に、高山城を築城した金森長近の銅像がありました。
高山城 金森長親像.jpg

平成28年夏旅 目指せ名護屋城ツアー
http://rover.seesaa.net/article/441115763.html

日本の城を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21222307.html

銅像めぐり
http://rover.seesaa.net/article/142026310.html

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2016年05月29日

円鏡寺     (岐阜県北方町)

岐阜県北方町にある円鏡寺に行ってきました。

<円鏡寺>
円境寺.jpg
住所:岐阜県本巣郡北方町北方1345−1
駐車場あり(無料)
境内自由

<円鏡寺について>
円鏡寺2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
円鏡寺に行ってきました。
安藤守就の居城のある北方城下にある古刹です。奈良時代の創建で、所蔵している
文化財の多さから美濃の正倉院と呼ばれています。
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康らにもあつく庇護されたそうです。

僕が訪問したのは平成28年4月6日。桜の木も多く、とても綺麗でした。

<三重の塔>
円鏡寺3.jpg

<本堂>
円鏡寺.jpg

円鏡寺5.jpg

円鏡寺4.jpg

平成28年春旅1
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<桜の名所まとめのページはこちら>
http://rover.seesaa.net/article/14535679.html

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2016年05月01日

立政寺 / 織田信長・足利義昭対面の地   (岐阜県岐阜市)

岐阜市にある立政寺に行ってきました。

<立政寺>
立政寺.jpg
住所:岐阜県岐阜市西荘3丁目7-11
駐車場あり(無料)
境内自由

<立政寺について>
立政寺4.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
岐阜市の立政寺に行ってきました。
最近普通の観光地に行くのでは飽き足らなくなり、いろいろ歴史イベントの場所を
訪問してみようと思うようになりました。

織田信長は明智光秀の仲介で、足利義昭と面会し、義昭を奉じて上洛するという
有名な歴史イベントがあります。じゃあ面会したのは何処だろうという事で調べて
みました。
すると、岐阜市郊外にある立政寺というお寺という事が分かりました。
早速の訪問です。

お寺自体は古い建物等は残ってなくて、本堂も最近建てられたであろう新し目の
本堂でした。
立政寺3.jpg

そんな本堂の前にありました、「義昭公御座所・正法軒跡」の碑です。
立政寺2.jpg
ここに足利義昭が滞在した正法軒という建物があり、ここで信長と足利義昭が
面会したんですね。感慨深いです(-_-)
残念ながら正法軒は現存しません。

正法軒跡には1本の桜の木がありました。
立政寺開山智通上人杖桜と呼ばれる桜です。歴史に従えば樹齢700年超なんで
しょうけど、実際は2代目とか3代目なんでしょうかね。その辺の解説はありま
せんでした。訪問したとき杖桜は満開でした(^-^)

<智通上人杖桜・平成28年4月5日撮影>
立政寺 杖桜.jpg

立政寺 杖桜2.jpg

平成28年春旅1
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桜の名所巡り
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大河ドラマの舞台
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2016年04月23日

北方城趾    (岐阜県北方町)

岐阜県北方町にある北方城趾に行ってきました。

<北方城趾>
北方城趾.jpg
住所:岐阜県本巣郡北方町北方249
駐車場なし

<北方城について>
北方城趾3.jpg

北方城趾4.jpg
クリックすると拡大します。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
北方城趾に行ってきました。ここは西美濃三人衆の一人、安藤守就の居城だった城
です。安藤守就は武田と内通したという嫌疑をかけられ追放されます。
本能寺の変で信長が討たれると、北方城を奪還すべく兵をあげます。
この挙兵は明智光秀と通じてのものとも言われています。
しかし、挙兵もむなしく稲葉一鉄の軍勢に敗れ、安藤守就は討ち死にします。

現在北方城趾は跡形も残っていません。
常誓寺の前に北方城趾への入り口を示す案内板があります。現地には北方城趾の碑
と説明がありました。
駐車場はありませんので、町役場の前にある町営無料駐車場等を利用しましょう。

北方城趾2.jpg

平成28年春旅1
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日本の城を巡る
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2016年04月21日

軽海西城跡     (岐阜県本巣市)

岐阜県本巣市にある軽海西城跡に行ってきました。

<軽海西城跡>
軽海西城跡.jpg
住所:岐阜県本巣市軽海640
駐車場あり

<軽海西城について>
軽海西城跡3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
軽海西城に行ってきました。
岐阜市街から車で20分くらいかな、西の方に行った場所にあります。
かつて斎藤道三も居城とした時期もあるそうです。
現在は、円長寺というお寺のあたりが軽海西城跡で、お寺の前に解説板があります。

軽海西城跡2.jpg

土塁の跡も残っているんですが、現地ではどこがそれかよく分かりません。
航空写真を見て、何とかという感じです。
特に城として何かある感じでもありませんが、城の一部であった場所にあるさいがわ
公園では桜がとても綺麗でした(^-^)

平成28年春旅1
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日本の城を巡る
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桜の名所巡り
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2016年04月13日

龍峰寺 / 安藤守就の墓      (岐阜県岐阜市)

岐阜県岐阜市にある龍峰寺に行ってきました。

<龍峰寺>
龍峰寺.jpg
住所:岐阜県岐阜市奥225−1
駐車場あり(無料)
境内自由

龍峰寺は北方城主安藤守就が菩提寺として建立したお寺です。
先の記事でも書きましたが、安藤守就は美濃齋藤家家臣で、稲葉一鉄・氏家卜全
とともに、西美濃三人衆の一人です。織田信長の美濃攻めに呼応し信長に味方し、
織田家家臣となります。

しかしその後武田との内通を疑われ失脚。
本能寺の変で信長が死ぬと、居城であった北方城を奪還すべく兵を起こしますが、
同じく西美濃三人衆の一人稲葉一鉄と戦い討ち死にします。

安藤守就はこの龍峰寺に葬られます。
どこにも安藤守就の墓の場所の案内が無いので、知らなければ訪問する事が出来
ません。本堂左脇の坂道を登った先にあります。

龍峰寺2.jpg
この坂の上です。
歩いて2〜3分位で着きます。

安藤守就の墓2.jpg
昭和初期に建てられた案内板がありました。墓を破壊する人がいるんでしょうか(^^;

<安藤守就の墓>
安藤守就の墓.jpg
こちらが安藤守就の墓です。ひっそりとある墓を参拝しました。
安藤の文字は、安東でも良い様です。僕は「信長の野望」で育った人間なので、
安藤守就っていう漢字の方が普通に思えます。

平成28年春旅1
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著名人の墓
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2016年04月10日

安藤守就戦死の地    (岐阜県北方町)

岐阜県北方町にあり安藤守就戦死の地に行ってきました。

<安藤守就戦死の地>
安藤守就戦死の地.jpg
住所:岐阜県本巣郡北方町北方
駐車場あり(近くの町営無料駐車場利用)

<現地解説>
安藤守就戦死の地2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
安藤守就戦死の地に行ってきました。
安藤守就は美濃齋藤家家臣で、稲葉一鉄・氏家卜全とともに、西美濃三人衆の一人
です。織田信長の美濃攻めに呼応し信長に味方し、織田家家臣となります。

しかしその後武田との内通を疑われ失脚。
本能寺の変で信長が死ぬと、居城であった北方城を奪還すべく兵を起こしますが、
西美濃三人衆の一人稲葉一鉄と戦い、ここに討ち死にします。
84歳という高齢だった様です。武田と内通したというのも、本当かどうか良く分か
らないところですけどね。徳川信康のケースなどを見ていても、濡れ衣なんじゃない
かなと思ってしまうところもあります。

戦死の地には史跡の碑が建っています。
安藤守就戦死の地4.jpg

碑を見守るように1本の桜の木。満開で綺麗でした
安藤守就戦死の地3.jpg

平成28年春旅1
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中将姫誓願桜    (岐阜県岐阜市)

岐阜市にある中将姫誓願桜を見に行ってきました。

<中将姫誓願桜>
中将姫誓願桜.jpg
住所:岐阜県岐阜市大洞1丁目21−2 願成寺境内
駐車場あり(無料)

<中将姫誓願桜について>
中将姫誓願桜5.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
中将姫誓願桜(国指定天然記念物)を見に行ってきました。
前に、この願成寺というお寺に観光で行ったんですが、その時この桜の存在
を知りました。その時は全然桜の時期ではなく、咲いたときに訪問したいなと思って
おりました。
開花情報のHPを見て、4月3日満開との事で期待して訪問しました。
僕が訪問したのは4月6日になりました。さてどうでしょう。

満開を過ぎ、散り始めという感じでした。もう2〜3日早く訪問してれば満開の
桜を見ることが出来たんですが。桜は僕の休みを待ってくれないですからね〜(^^;
まあ一応咲いてるところは見る事が出来ました。

樹齢はよく分かりませんが、中将姫の伝説が本当だとしたら1000年を超える
んでしょうかね。
また、平成18年JAXAの『花伝説』プロジェクトに参加し、国際宇宙ステーション
日本実験棟「きぼう」に搭載された誓願桜の種が見事に発芽し、現在、順調に成長
しているそうです。

<中将姫誓願桜・平成28年4月6日撮影>
中将姫誓願桜2.jpg

中将姫誓願桜4.jpg

中将姫誓願桜3.jpg

<願成寺その他の桜>
願成寺の桜.jpg

願成寺の桜2.jpg

平成28年春旅1
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桜の名所巡り
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2016年04月07日

揖斐二度ザクラ   (岐阜県大野町)

岐阜県大野町で揖斐二度ザクラを見てきました。

<揖斐二度ザクラ>
揖斐二度ザクラ2.jpg
住所:岐阜県揖斐郡大野町南方186
駐車場あり(無料)

<揖斐二度ザクラについて>
揖斐二度ザクラ.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
揖斐二度ザクラを見てきました。
この桜は、1本の木から沢山の枝を出し、枝毎に花が一重のものと八重のもの、
八重の中には二段咲になるものがあるのが特徴です。
1年に2回咲くという意味の桜ではありません。
大正11年に学術的に貴重な桜として学会に紹介され、大正12年に国の天然
記念物に指定されました。

確かによくよく見ると、違う花が咲いています。こういう珍しい桜もあるんですね。
この桜は見て綺麗とかそういう桜じゃなくて、珍しい桜という事で見る桜です。

<揖斐二度ザクラ・平成28年4月6日撮影>
揖斐二度ザクラ3.jpg

揖斐二度ザクラ5.jpg

揖斐二度ザクラ6.jpg

揖斐二度ザクラ4.jpg

平成28年春旅1
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桜の名所巡り
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2016年04月06日

根尾谷の淡墨桜・再   (岐阜県本巣市)

岐阜県本巣市にある根尾谷の淡墨桜を見に行ってきました。

<根尾谷の淡墨桜>
淡墨桜2.jpg
住所:岐阜県本巣市根尾板所字上段995
駐車場あり(500円)

<淡墨桜について>
淡墨桜3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
根尾谷の淡墨桜を見に行ってきました。前回行ったのは平成15年。13年ぶりの
訪問です。
淡墨桜は日本三大桜。樹齢は約1500年。継体天皇お手植えという伝説のある
桜の木です。
13年ぶりでしたが、まったく変わることが無く見事な桜。1500年生きている
淡墨桜からすれば13年など短いものですね。
1500年もこれだけ綺麗な花を咲かせているのは本当に驚くべき事です。

今日11時過ぎに訪問しました。平日だというのに、かなり混んでます。
駐車場前に渋滞200m位。この渋滞、僕が帰ろうとした12時には3キロ以上に
伸びてました。平日でこれですから、土日は凄い状態でしょうね。

<根尾谷の淡墨桜・平成28年4月6日撮影>
淡墨桜.jpg

淡墨桜4.jpg

淡墨桜5.jpg

淡墨桜6.jpg

写真が多いので続きをどうぞ


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2015年12月23日

神岡の町並み      (岐阜県飛騨市)

岐阜県飛騨市、神岡の町を散策してきました。

<神岡の町並み>
神岡の町並み.jpg
住所:岐阜県飛騨市神岡町
駐車場あり(無料・市営駐車場あり)

神岡は越中東街道沿いにある町で、かつては江馬氏が居城を構えていました。
秀吉傘下、金森長近の侵攻により江馬氏は滅亡します。
江戸時代には鉱山の町として栄えました。

今は梶田さんのノーベル賞受賞の拠点となったスーパーカミオカンデのある町としても
有名です。

神岡の町は江戸から明治の雰囲気を残す木造住宅や、昭和の雰囲気を感じさせる商店など
があり、昔町好きの僕にはとても良い町でした。
今まで車で通り過ぎるだけの町でしたが、歩いてゆっくり見ると全然違って見えますね。

<神岡の町並み>
神岡の町並み2.jpg

神岡の町並み3.jpg

神岡の町並み4.jpg

神岡の町並み5.jpg

神岡の町並み6.jpg

神岡の町並み7.jpg
町中には梶田さんのノーベル賞受賞を祝うはり紙が沢山貼られていました。

平成27年秋旅2 信濃・越後・越中・飛騨城攻め!
http://rover.seesaa.net/article/427722656.html

日本の古い町並み
http://rover.seesaa.net/article/21960937.html

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2015年12月20日

松葉家住宅     (岐阜県飛騨市)

岐阜県飛騨市にある松葉家住宅に行ってきました。

<松葉家住宅>
松葉家住宅2.jpg
住所:岐阜県飛騨市神岡町城ヶ丘1-1
駐車場あり

<現地解説>
松葉家住宅.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
松葉家住宅に行ってきました。
神岡城と同じ場所にある飛騨地方の古民家です。明治元年の建築と言われ、後年
この地に移築されたものです。

やはりこの地方は雪深いという事もあり、屋根が急角度に設計されていますね。
こうじゃないと雪の重みで潰れるかもしれませんしね。

中は昔の道具などが展示されています。
松葉家住宅5.jpg

松葉家住宅4.jpg

松葉家住宅3.jpg

平成27年秋旅2 信濃・越後・越中・飛騨城攻め!
http://rover.seesaa.net/article/427722656.html

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神岡城     (岐阜県飛騨市)

岐阜県飛騨市にある神岡城に行ってきました。

<神岡城>
神岡城.jpg
住所:岐阜県飛騨市神岡町城ケ丘1
駐車場あり(無料)
入城料:460円

<神岡城について>
神岡城3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
神岡城に行ってきました。
神岡城は武田氏が飛騨での防衛拠点として、江馬氏に築かせたものです。
この神岡城のすぐそばに江馬氏館跡があり、こちらの神岡城が軍事上の防衛拠点
という事になります。

江戸時代の一国一城令により城は廃城となりますが、昭和45年に福井県の丸岡城
を模した天守閣を復元しています。

神岡城2.jpg

神岡城4.jpg

天守閣の中は簡単な博物館の様になっています。
神岡城5.jpg

平成27年秋旅2 信濃・越後・越中・飛騨城攻め!
http://rover.seesaa.net/article/427722656.html

日本の城を巡る
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2015年12月16日

江馬氏館跡        (岐阜県飛騨市)

岐阜県飛騨市にある江馬氏館跡に行ってきました。

<江馬氏館跡>
江馬氏館跡.jpg
住所:岐阜県飛騨市神岡町殿573−1
駐車場あり(無料)
入場:200円

<江馬氏館跡解説・クリックすると拡大します>
江馬氏館跡 解説.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
江馬氏館跡に行ってきました。
江馬氏は戦国期に飛騨地方を治めた地方豪族で、鎌倉北条氏の一族とも言われて
います。
飛騨では姉小路氏との戦いに敗れ、衰退して行きます。

土地改良工事の際に江馬氏館跡が見つかり、今は公園として整備されています。

<江馬氏館跡>
江馬氏館跡3.jpg

江馬氏館跡4.jpg

江馬氏館跡2.jpg

平成27年秋旅2 信濃・越後・越中・飛騨城攻め!
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日本の城を巡る
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2015年05月07日

西光寺の枝垂れ桜    (岐阜県高山市)

岐阜県高山市(旧清見村)にある西光寺で枝垂れ桜を見てきました。

<西光寺の枝垂れ桜>
西光寺の枝垂れ桜.jpg
住所:岐阜県高山市清見町大谷415
駐車場あり(無料)

<現地解説>
この桜はヒガンザクラの変種で、目通りは4.5メートル、樹高11メートル、
樹齢800年以上と推定されます。
岐阜県でも珍しい枝垂れ桜の巨木で開花時には地表を掃くように枝が風にゆれる
様は見事。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
高山市にある西光寺の枝垂れ桜です。
高山市とは言っても旧清見村なので、高山市中心部からは車で30分くらいは
かかります。山の中の小さな集落に西光寺はあります。
現地への道路は幅員も広く、楽々現地に到達できます。

樹齢800年超、岐阜県指定の天然記念物。
800年という樹齢は国内でも数少ないのではないでしょうか。
岐阜県内には樹齢1500年超という淡墨桜があり、これは別格ですけど、それに
次ぐ樹齢です。

樹勢も良い様で、イキイキとして綺麗な花を咲かせていました。

<西光寺の枝垂れ桜・平成27年5月2日撮影>
西光寺の枝垂れ桜2.jpg

西光寺の枝垂れ桜3.jpg

西光寺の枝垂れ桜4.jpg

<桜の名所まとめのページはこちら>
http://rover.seesaa.net/article/14535679.html

平成27年GWの旅
http://rover.seesaa.net/article/418505052.html

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2015年05月06日

荘川桜     (岐阜県高山市)

岐阜県高山市にある荘川桜を見に行ってきました。

<荘川桜>
荘川桜.jpg
住所:岐阜県高山市荘川町中野769-15
駐車場あり(無料)

<現地解説>
二本ともアズマヒガンザクラで5m余の大樹で樹齢400年と推定される。
御母衣ダムにより水没した中野地区の照蓮寺、光輪寺の庭にあった巨桜で
初代電源開発総裁高碕達之助氏のはからいにより重さ40トンはあったという
巨樹を昭和35年秋に現在地に移植されたものである。
移植当時は根がつくかどうか心配されたので枝をはらわれてまるで裸になった
異様な姿であったが翌年春には見事に活着し年々葉枝が伸びて花が咲くように
なり現在ではかつての両寺の境内にあった時のように美しい花を咲かせている。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
御母衣湖のほとりにある荘川桜を見に行ってきました。
高山市ではありますが、旧荘川村なので高山市街からは車で1時間ほどはかかり
ます。
御母衣湖は人工のダム湖で、そのダムの建設に際して水没した寺から桜の木が
移植されました。それがこの2本の荘川桜です。

観光協会のHPを見て行きましたが、事前に今年は花芽が少ないという理解で行き
ました。何でも裏年と言ってそういう年があるそうです。

五分咲きっていう情報で言ったんですけど、花は目立たない位しかさいていなくて、
多くの観光客が来ていましたが、皆がっかりという状況でした。
樹勢が弱ってるのでしょうか。心配です。

<荘川桜・平成27年5月2日撮影>
荘川桜2.jpg

荘川桜3.jpg

荘川桜4.jpg

こちらは平成19年5月4日撮影の荘川桜です。
荘川桜2007.jpg
夕方の訪問のため暗いです。平成19年も大して花は多くないですが、今年よりは
良いかな。まだ綺麗な荘川桜を見たことがありません。来年はどうでしょう。

桜は不完全燃焼でしたが、御母衣湖はとても綺麗でした。

<御母衣湖>
御母衣湖.jpg

御母衣湖2.jpg

<桜の名所まとめのページはこちら>
http://rover.seesaa.net/article/14535679.html

平成27年GWの旅
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2014年06月01日

関ヶ原ウォーランド     (岐阜県関ヶ原町)

岐阜県関ヶ原町の関ヶ原ウォーランドについてちょっと書いてみます。

<関ヶ原ウォーランド>
住所:岐阜県不破郡関ケ原町池寺1701−6
駐車場あり
入場料:500円
営業:10時〜16時

関ヶ原ウォーランドは昭和39年に開園した関ヶ原の戦いに関する屋内展示
及び野外における合戦模様を再現した施設です。

行ったのは10年位前でしょうか。関ヶ原古戦場の記事を書いていたらここの
事を思い出してしまい、書いてみることにしました。
屋内展示は甲冑などが展示されていたと思いますが、良く覚えてません(^^;
屋内展示はこういっちゃなんですが、ここでは問題ではありません。
ここに来たら見るべきは屋外。
関ヶ原の戦いを再現したあやしげな像が並ぶ屋外展示こそここの見所です。
とにかくあやしい。なんじゃこりゃ感じです。

<関ヶ原の合戦図>
関ヶ原ウォーランド.jpg
合戦のまっただ中です。

関ヶ原ウォーランド2.jpg
腹をめされる大谷吉継。隣にはどこから来たのかお坊様。

関ヶ原ウォーランド3.jpg
小早川秀秋の陣みたいです。

関ヶ原ウォーランド5.jpg
運ばれていく生首(^^;

関ヶ原ウォーランド6.jpg

関ヶ原ウォーランド4.jpg
最後には武田信玄の亡霊まで出てきてしまうと言う(^^;
もうどうなってるんだか状態です(笑)

また久しぶりに行ってみようかな〜。

B級観光スポット・珍スポット
http://rover.seesaa.net/article/106120393.html

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2014年05月28日

関ヶ原古戦場     (岐阜県関ヶ原町)

平成23年5月3日、関ヶ原古戦場めぐりをしました。

<関ヶ原古戦場>
関ヶ原の戦い 開戦地.jpg
住所:岐阜県関ヶ原町
駐車場(各所にあり)

<現地解説>
天下分け目の合戦で有名な関ヶ原の戦いは、豊臣と徳川がその運命をかけた一大
決戦であった。1600年9月15日午前8時頃、井伊、松平が先ず進出して
宇喜多の隊に向かって戦端を開いた。これを見た福島の隊は宇喜多の隊を攻撃
した。かくて戦機を得た東軍右翼の諸隊は石田、小西の隊を攻撃、左翼の藤堂
、京極隊も大谷の隊と抗戦し、戦はいよいよたけなわとなった。
家康は最初桃配山にあったが、午前11時頃には、陣場野に進出して全軍を指揮
した。
松尾山の小早川秀秋はかねてから家康に反応の約があったので、遂に反旗を翻し、
大谷の隊を突いてきた。
小早川等の反応で大谷の隊が壊滅すると形成は逆転した。
そして最後に島津維新(島津義弘)は東軍の中央を突破し、伊勢街道への脱出に
成功した。その結果東軍が大勝し、徳川家康は2世紀半に渡る泰平の世を実現
することになった。

<関ヶ原合戦・全体布陣図>
http://www.rekimin-sekigahara.jp/main/battle_of_sekigahara/progress/pdf/05.pdf

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
関ヶ原古戦場に行ってきました。
関ヶ原には何度も行ってましたが、家康の陣、三成の陣など個別に訪問して
全体を歩くことがありませんでした。この日はゆっくり巡ってみようという
事でいろいろまわりました。
関ヶ原古戦場はかなり広いエリアに陣などが点在しているので、車があった
方が良いと思います。
合戦のいきさつや、合戦の形勢等については、僕がいまさらここで書く必要も
無いかと思いますので割愛いたします。
ここでは現地写真を中心に書いて行きます。

<石田三成の陣>
関ヶ原の戦い 石田三成の陣.jpg
まずは石田三成の陣(関ケ原町大字関ケ原4008)です。

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関ヶ原の戦い 石田三成の陣2.jpg

ここは笹尾山の三成の陣。関ヶ原の戦場を西側から見渡せる位置関係にあります。
南側には松尾山の小早川秀秋の陣を見ることが出来ます。

<島左近の陣>
関ヶ原の戦い 島左近の陣.jpg
三成の右腕、島左近の陣です。
三成の陣の前に布陣しています。島左近は三成が家禄の半分を与えてまでも
士官させたと言われる人物。関ヶ原前日の杭瀬川の戦いで、中村隊を破り、
本戦では石田隊の先手として活躍。黒田・田中らと奮戦後、家康本陣に迫ろう
としましたは、銃弾を受けて討ち死にしました。

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2014年05月25日

関ヶ原古戦場 / 岡山烽火場     (岐阜県関ヶ原町)

関ヶ原古戦場(岡山烽火場)について書いてみます。

<関ヶ原古戦場/岡山烽火場>
関ヶ原古戦場 岡山烽火場.jpg
住所:岐阜県関ケ原町大字関ケ原732-27
駐車場あり(無料)

平成23年5月3日、関ヶ原古戦場めぐりをしました。
今ごろになってこの記事を書くきっかけは、本日の大河ドラマ『軍師官兵衛』
の関連地紹介で出てきたからです。
関ヶ原古戦場は広い範囲に各武将の陣地が点在しているので、全部見てまわる
のには時間と手間がかかるのが難点です。

この岡山烽火場は、家康の最初の陣地である桃配山から西に数百メートルの
小高い丘の上にあります。烽火場ゆえ、この位置なんでしょうね。

関ヶ原の戦いのとく、この山頂には黒田長政と竹中重門が陣をしきました。
霧も晴れ上がった午前8時頃、ここから烽火があげられ、東軍諸隊に攻撃の
合図が出されました。同時に西軍が陣取る笹尾山、北天満山にも烽火があが
り、東西両軍は一斉に正面の敵と戦闘を開始しました。

ここ岡山烽火場は、関ヶ原の平野を東側から一望出来、烽火場として最適の
場所と思われます。

関ヶ原古戦場 岡山烽火場2.jpg

ここに陣取ったのが、黒田長政と竹中重門。

関ヶ原古戦場 岡山烽火場3.jpg

竹中重門は、竹中半兵衛の子で最初西軍についていましたが、岐阜城落城後
井伊直政の仲立ちで東軍についたそうです。
黒田長政と竹中重門は幼少時からの知り合いという事で、運命的な陣という
事だったんでしょう。
竹中重門は関ヶ原の戦いの後処理で、小西行長を捕らえるなどの功績をあげ
ています。

大河ドラマの舞台
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古戦場めぐり
http://rover.seesaa.net/article/159539121.html

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2013年08月21日

禅幢寺 / 竹中半兵衛の墓   (岐阜県垂井町)

岐阜県垂井町にある禅幢寺に行ってきました。

<禅幢寺>
禅憧寺.jpg
住所:岐阜県不破郡垂井町岩手1038
駐車場あり
境内自由

<現地解説>
禅幢寺は1494年、薩摩金幢寺の僧正硝和尚が開基した。
豊臣秀吉公の軍師として活躍した竹中半兵衛公は1579年、播州
三木の陣で病没。当寺の重治公の墓は1587年父の菩提を弔うため
長男重門公が三木から移葬したものである。
現在の本堂は1663年建立したもので、平成23年に垂井町指定
建造物となった。

禅憧寺2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
垂井町にある禅幢寺に行ってきました。
武将の墓参り旅の訪問です。ここには軍師竹中半兵衛の墓があり
ます。

禅憧寺 竹中半兵衛の墓.jpg

霊屋で囲われています。こじんまりとしたお墓でした。

平成25年夏旅
http://rover.seesaa.net/article/372055300.html

大河ドラマの舞台
http://rover.seesaa.net/article/112515106.html

著名人の墓
http://rover.seesaa.net/article/26837973.html


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竹中氏陣屋跡   (岐阜県垂井町)

岐阜県垂井町にある竹中氏陣屋跡に行ってきました。

<竹中氏陣屋跡>
竹中氏陣屋跡.jpg
住所:岐阜県垂井町岩手
駐車場あり

竹中氏陣屋は羽柴秀吉に仕えた軍師・竹中半兵衛の嫡子竹中重門が築いた
屋敷跡です。竹中氏は江戸時代を通じ旗本として存続していきます。
この陣屋は屋敷というよりは城という位置づけの様です。
竹中氏の居城は菩提山城ですが、山城で不便なため平時はこちらを居城と
した様です。
現在は表門や石垣などが残ります。

また以前行ったときには無かった竹中半兵衛の銅像が出来てました。

竹中半兵衛像.jpg

平成25年夏旅
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大河ドラマの舞台
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銅像めぐり
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2013年08月18日

小簾紅園     (岐阜県瑞穂市)

岐阜県瑞穂市にある小簾紅園に行ってきました。

<小簾紅園>
小簾紅園.jpg
住所:岐阜県瑞穂市呂久
駐車場あり(無料)

カーナビでたまたま見つけた小簾紅園(おずこうえん)に行ってきました。
名前だけ見て、てっきり日本庭園か何かかなと思い立ち寄った感じです。

行ってみたところ、普通の公園という感じ。
現地の解説は以下の通りです。

<小簾紅園について>
この地は江戸時代、中山道の呂久の渡しという渡し場で、交通の
要衝として栄えた場所です。
1861年、皇女和宮が中山道をご降嫁の折この呂久川を渡られ、
その折船中から見た東岸の色鮮やかに紅葉した楓を眺めこれに感懐を
託されて
「落ちてゆく 身と知りながら もみじ葉の 人懐かしく こがれこそすれ」
と詠まれた。
後に和宮様のご遺徳をしのび昭和4年、この呂久の渡しの地に歌碑を中心
とした小簾紅園が建設され、昭和45年には史跡となりました。

小簾紅園2.jpg
 
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
呂久の渡しという中山道の渡し場だった様ですが、今は川が付け替えられた
ためか、川は少し離れたところにあります。
この小簾紅園は和宮のゆかりで造られたものでした。
和宮降嫁の話は中山道の各所に残っていますね。ここもそのひとつ。
偶然の発見でしたが、こういうところもあるんだなと初めて知りました。

小簾紅園3.jpg

小簾紅園4.jpg

平成25年夏旅
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大河ドラマの舞台
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金蓮寺    (岐阜県垂井町)

岐阜県垂井町の金蓮寺に行ってきました。

<金蓮寺>
金蓮寺.jpg
住所:岐阜県不破郡垂井町1609−1
駐車場なし
境内自由

足利春王・安王が処刑された金蓮寺です。
足利春王・安王については先ほどお墓の記事で書きましたのでそちらを
ご覧ください。
http://rover.seesaa.net/article/372332776.html

処刑された地がこの金蓮寺。垂井の駅から徒歩2〜3分のところにあります。

金蓮寺2.jpg

寺には春王・安王の木像が安置されています。
二人の非業の死に会われた藤沢遊行寺の17代暉幽上人
が自ら二人の真像を精魂込めて彫り冥福を祈ったという事です。

境内には碑と、供養塔と思われるものがありました。

安王・春王供養塔3.jpg

安王・春王供養塔4.jpg

平成25年夏旅
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春王・安王の墓     (岐阜県垂井町)

岐阜県垂井町にある安王・春王の墓に行ってきました。

<安王・春王の墓>
安王・春王供養塔.jpg
住所:岐阜県不破郡垂井町垂井
駐車場あり

岐阜県指定史跡の安王・春王の墓を参拝して来ました。
国道21号線沿いに上の看板が出ているので、以前から気にはしてたんですが、
なかなか立ち寄れてませんでした。
安王・春王は室町時代の人物で、鎌倉公方足利持氏の遺児です。
足利持氏は6代将軍義教と対立、最終的に永享の乱に破れ自刃します。
その後、遺児である春王・安王をかついだ結城氏朝により、結城合戦がおこり
敗れた末に春王・安王は捕らえられ京都に送られることとなります。
その途中、将軍足利義教の命により垂井の金蓮寺で斬られ、この地に葬られ
ました。

安王・春王供養塔2.jpg
ここの解説にはありませんでしたが、斬られる際兄の春王は、弟の助命を
嘆願し認められたことに安堵して自らは斬られたという話を聞いたことが
あります。13歳の春王の弟を思う気持ちに感動しました。

現地には池田輝政陣跡の碑が並んで建っていました。
池田輝政陣跡.jpg
ここは関が原の戦いの折、池田輝政が陣を張ったところでもあるみたいです。

平成25年夏旅
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著名人の墓
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2011年11月04日

崇福寺     (岐阜県岐阜市)

岐阜県岐阜市にある崇福寺に行ってきました。

<崇福寺>
崇福寺.jpg
住所:岐阜県岐阜市長良福光2403−1
駐車場あり(無料)
拝観:200円

崇福寺は臨済宗妙心寺派の寺で、寺伝によれば1469年2月、美濃守土岐成頼
とその家臣斎藤長弘が建立し、神護山崇福寺と号す。
のちには織田家菩提所、有栖川宮家祈願所となった。
崇福寺三世の快川国師は61才まで崇福寺に住し、のちに甲斐の武田信玄に招請
され、恵林寺において「安禅はかならずしも山水をもちいず心頭滅却すれば火
自ずから涼し」という有名な句をとなえ、山門において織田信忠に焼き殺された
名僧であった。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
岐阜市にある崇福寺に行ってきました。
ここは織田家の菩提寺で、寺の裏に織田信長・信忠親子の霊廟があります。

お寺は古刹で、しかも手入れも行き届いていて、雰囲気はとても良いです。
庭園もあって、こちらもなかなかに良い。

崇福寺2.jpg

崇福寺3.jpg

境内にある梵鐘は美濃三人衆のひとり稲葉一鉄が寄進したものだそうです。
稲葉一鉄寄進の梵鐘.jpg

こちらが境内裏にある織田信長・信忠廟です。
崇福寺 織田信長廟.jpg
織田信忠の攻撃で亡くなった快川国師が住職をつとめた寺に、信忠廟がある
ってのも皮肉なものだなと思いました・・・。

大河ドラマの舞台
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著名人の墓
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平成23年GWの旅
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2011年07月20日

円徳寺    (岐阜県岐阜市)

岐阜市にある円徳寺に行ってきました。

<円徳寺>
円徳寺.jpg
住所:岐阜県岐阜市神田町6丁目24
駐車場あり(無料)

円徳寺は織田信長そして孫の秀信ゆかりのお寺です。
もとは比叡山の寂円律師が1183年に法泉寺を創建、第二世
寂照が親鸞聖人に帰依して真宗に改宗し常泉坊の名を賜った
ものが円徳寺の始まりと言われています。
1547年、織田信秀の軍が斎藤道三に大敗し5千人もの戦死者
を出しました。その死者を供養するのがこのお寺にある織田塚です。

<織田塚>
織田塚.jpg

稲葉山城攻略後、信長は稲葉山に入城します。
その際、本陣跡四町四方を円徳寺に寄進し、門前に楽市楽座を開きました。
この
お寺には楽市楽座の制札が残ります。
楽市楽座制札.jpg

楽市楽座制札2.jpg

また、信長の孫にあたる織田秀信(三法師)は、関ヶ原前夜岐阜城で戦い、
敗れたのち円徳寺に落ち、剃髪し高野山に赴きました。
境内には織田秀信かみきり塚という塚がありました。

<織田秀信かみきり塚>
織田秀信かみきり塚.jpg

織田信秀、信長、秀信と織田家3代にまつわるものが残る円徳寺は
歴史を感じる事が出来るお寺でした。

<信長寄進の梵鐘>
円徳寺 梵鐘.jpg

平成23年GWの旅
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2011年07月19日

墨俣一夜城    (岐阜県大垣市)

岐阜県大垣市にある墨俣一夜城に行ってきました。

<墨俣一夜城>
墨俣一夜城碑.jpg
住所:岐阜県大垣市墨俣町墨俣
駐車場あり(無料)

墨俣一夜城は1566年に美濃稲葉山城攻略に際し、木下籐吉郎(羽柴秀吉)
が築いた城と言われています(異説あり)
墨俣一夜城の築城は謎に包まれているというのが実情の様です。
『太閤記』『日本外史』等の文献に見られますが、その概略を推測させる
範囲でしかないそうです。
一般に、この城を足がかりに美濃稲葉山城を攻略し、秀吉出世のきっかけ
となった城という事になっています。
現地には模擬天守閣が建ち、博物館になっていますが、墨俣一夜城に天守閣
があったわけではありません。

墨俣一夜城.jpg

墨俣一夜城2.jpg

城の前には木下籐吉郎(羽柴秀吉)の像。
墨俣城 秀吉像.jpg

また秀吉の出世にあやかったものでしょうか、絵馬のかわりに瓢箪に願い事が
書かれていました。

墨俣一夜城3.jpg

平成23年GWの旅
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日本の城を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21222307.html

大河ドラマの舞台
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2011年06月26日

道三塚     (岐阜県岐阜市)

岐阜県岐阜市にある道三塚に行ってきました。

<道三塚>
道三塚.jpg
住所:岐阜県岐阜市長良福光
駐車場なし

1556年、嫡子斎藤義龍と戦う事になった斎藤道三。
長良川を隔てて衝突したとされる両軍であったが、もとより数で
劣勢であった道三方は敗れて大半の将兵が戦死した。
道三の遺体は崇福寺の西南に埋葬されたが、塚は長良川の洪水に
たびたび流された。その後、1837年斎藤家の菩提寺の常在寺
第27世日椿上人がこの場所に移して現在の碑を建てたものである。

道三塚2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
道三塚に行ってきました。
無念の最後をとげた斎藤道三。その墓はどこにあるのかなと思って
探したらここにたどり着きました。
信長の菩提寺である崇福寺から数百メートルの距離。
しかしそこはお寺ではなく、住宅街の一角に塚があるという感じで
した。

著名人の墓
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平成23年GWの旅
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2010年08月18日

関ヶ原古戦場 大谷吉継の墓  (岐阜県関ヶ原町)

岐阜県関ヶ原町の大谷吉継の墓に行ってきました。

<大谷吉継の墓>
関ヶ原古戦場 大谷吉継の墓.jpg
住所:岐阜県関ヶ原町大字藤下
駐車場あり

<現地解説>
大谷吉継は石田三成の挙兵に対し、再三思いとどまるように説得しました
が、三成の決意は変わりませんでした。
旧友の苦痛を察した大谷吉継はとうとう死を共にする決意をし、死に装束
でここ宮上に出陣してきたのです。
壮絶な死闘の末吉継は首を敵方に渡すなと言い残して自害しました。
この墓は敵方の藤堂家が建てたものです。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
関ヶ原古戦場にある大谷吉継の墓を参拝してきました。
関ヶ原古戦場は広いんですが、その西の端の方にある山の中に吉継の墓
はありました。
道路沿いに車を停め、山道を歩くこと10分ほどでお墓に到着します。
敵方が作ったという大谷吉継のお墓。
その生き方はとても格好良いなと個人的には思います。
関ヶ原でも大谷吉継が大軍勢を率いていたらな〜、なんて想像してみた
りするとおもしろいですね。

著名人の墓
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平成22年夏旅
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2009年07月12日

仙人滝     (岐阜県下呂市)

岐阜県下呂市の仙人滝です。

<仙人滝>
仙人滝 下呂.jpg
住所:岐阜県下呂市小坂町落合濁河
駐車場あり(無料)

濁河温泉から数百メートル奥、市営駐車場から登山道を歩いて
15分位の所にある滝です。

落差は約30メートル。直瀑で非常に美しい滝です。
岐阜県では名瀑として名高い滝。
濁河温泉に行ったら是非立ち寄ってみてはいかがでしょう。
短い距離ではありますが登山道を歩きますので、それなりの靴で
行った方が良いと思います。

平成20年秋旅  (美濃の古い町並み巡り)
http://rover.seesaa.net/article/109402980.html

日本の滝巡り
http://rover.seesaa.net/article/25540563.html


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白糸滝     (岐阜県下呂市)

岐阜県下呂市の白糸滝です。

<白糸滝>
白糸滝 岐阜.jpg
住所:岐阜県下呂市小坂町落合
駐車場あり(無料)

下呂市にある白糸の滝です。下呂市ではありますが、下呂温泉からは
遠く、濁河温泉の近くにあります。
昨年濁河温泉に泊まったとき、朝見に行ってみました。
道路から眺める事が出来る滝で、写真も道路から撮影しました。

落差は20メートルくらいでしょうか。岩を滑り落ちる滝で、白糸
滝という名前とは裏腹にかなり迫力のある滝でした。

現地は御嶽山への登山口になっていて、駐車場はいっぱいですので、
なるべく朝早くか夕方に行くのが良いかもしれません。

平成20年秋旅  (美濃の古い町並み巡り)
http://rover.seesaa.net/article/109402980.html

日本の滝巡り
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白糸滝

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蛇穴の水    (岐阜県郡上市)

岐阜県郡上市の蛇穴の水(岐阜の名水50選)です。

<蛇穴>
蛇穴.jpg
住所:岐阜県郡上市和良町野尻
駐車場無し

蛇穴は八幡町堀越峠から続く石灰岩地帯にある鍾乳洞の東端の洞窟。
蛇穴の名のとおり、古くは大蛇が住み、常に豊かな水をこんこんと
湧かせ村に恵みを与え続けてきた。

蛇穴3.jpg

蛇穴4.jpg

郡上市にある名水「蛇穴の水」を見に行ってきました。
道の駅和良で休憩して、近くに名水ありという事で行ってみました。
確かに洞窟のような感じで、中に入ってみると薄暗い岩の奥から
水が湧き出してきていました。
水にさわってみましたが、本当に冷たい!
水の町郡上の隠れ名水という感じのところです。

平成20年秋旅  (美濃の古い町並み巡り)
http://rover.seesaa.net/article/109402980.html

日本の名水巡り
http://rover.seesaa.net/article/21971174.html



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宗祇水     (岐阜県郡上市)

岐阜県郡上市の宗祇水(日本名水百選)です。

<宗祇水>
宗祇水.jpg
住所:岐阜県郡上市八幡町本町
駐車場(近隣有料駐車場利用)

室町時代の連歌師・飯尾宗祇がこの湧き水の傍らに庵をむすび、この
湧き水を使ったという事から宗祇水という名前のついている湧き水
です。

宗祇水2.jpg
水の町郡上八幡を代表する水の名所。祠の中から湧き出る水は冷たく
澄んでいます。
郡上八幡が観光地という事もあり、宗祇水は多くの観光客で賑わって
います。

平成20年秋旅  (美濃の古い町並み巡り)
http://rover.seesaa.net/article/109402980.html

日本の名水巡り
http://rover.seesaa.net/article/21971174.html


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2009年04月17日

大垣城    (岐阜県大垣市)

岐阜県大垣市の大垣城に行ってきました。

<大垣城>
大垣城 門.jpg
住所:岐阜県大垣市郭町2-52
駐車場(近隣コインパークなど利用)

大垣城は、牛屋川を天然の外堀に取り入れた要害堅固な平城で、
1535年宮川安定によって創建されたと伝えられている。
1600年、関ヶ原の合戦では西軍の本拠地となり壮絶な攻防戦
が繰り広げられたが、戸田氏が入城してからは歴代藩主とともに
天下泰平の世を謳歌した。
第二次大戦で天守閣を焼失したが、再建され、博物館として利用さ
れている。

<大垣城天守閣>
大垣城.jpg

<戸田氏鉄像>
戸田氏鉄像.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
大垣城に行ってきました。
大垣城に行くのは今回で2回目。前回行ったのは2000年に開催
された決戦関ヶ原博覧会(関ヶ原の戦い400周年の記念博)。
それ以来となりました。
大垣城と言えば何と言っても関ヶ原の戦い。最終的に西軍は大垣城
を出て、関ヶ原で東軍を迎え撃つ事になるんですけどね。

大垣城の中は資料館になっており、関ヶ原の戦いに関する事も映像
などで見ることが出来ます。

<石田三成軍旗>
石田三成軍旗.jpg

16時過ぎに着いたため、17時閉館の資料館をゆっくり見ること
が出来ず残念。映像資料がなかなか興味深いので、ゆっくり見て
いたかったのでちと残念でした。

今は城付近が公園として整備され、桜も綺麗にさいていました。

<桜の名所まとめのページはこちら>
http://rover.seesaa.net/article/14535679.html

日本の城を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21222307.html

大河ドラマの舞台
http://rover.seesaa.net/article/112515106.html



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奥の細道むすびの地   (岐阜県大垣市)

岐阜県大垣市、史跡・奥の細道むすびの地に行ってきました。

<奥の細道むすびの地>
奥の細道結びの地2.jpg
住所:岐阜県大垣市船町
駐車場無し

「蛤のふたみに別行秋そ」
俳聖松尾芭蕉がこの地で詠んだ俳諧紀行『奥の細道』のむすびの句
です。
1689年3月27日江戸深川を出発した芭蕉は、門人曽良とともに
奥州から北陸を経て、ここ大垣で『奥の細道』の旅を終えました。
9月6日には俳友の谷木因や近藤如行ら大垣の俳人たちに見送られ
伊勢神宮の遷宮参拝のため、この船町港から桑名へ舟でくだりました。

奥の細道結びの地3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
大垣の史跡・奥の細道結びの地に行ってきました。
奥の細道関連地を巡っていますが、結びの地は車を降りて見た事が
ありませんでした。
現地には、解説と松尾芭蕉の銅像があり、船場跡は当時の面影を残し
ていました。

奥の細道結びの地.jpg

奥の細道というと、東北地方での句が有名で、北陸や結びの地は
あまり知られていない様な気がします。
結びの地はここ大垣という事で、大垣城とセットで観光というのが
良いですね。

奥の細道の旅
http://rover.seesaa.net/article/26835383.html



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2009年04月04日

霞間ヶ渓の桜   (岐阜県池田町 桜の名所)

岐阜県池田町の霞間ヶ渓(かまがたに)で桜を見てきました。

<霞間ヶ渓>
霞間ヶ渓の桜.jpg
住所:岐阜県揖斐郡池田町藤代
駐車場あり(無料)

度々災害にあったこの地は、鎌留めの桜の植樹などにより、桜の
名所をはぐくんでいきました。やがて、桜開花時に当地を見ると
山に桜色の霞がかかったように見える事から「霞間ヶ渓」と呼ばれ
るようになったと言います。当地には幕末の文人江馬細香や明治の
県令小崎利準はじめ多くの人々が訪れるようになりました。
昭和3年、ヤマザクラを主として天然変種を含む桜の植生地として
天然記念物の、景観が優れているとして名勝の、国のふたつの
文化財指定を受けました。
桜はヤマザクラを主に、ヒガンザクラ、オオヤマザクラ、ソメイヨシノ
、シダレザクラなどがあります。

<霞間ヶ渓の桜・平成21年3月28日撮影>
霞間ヶ渓の桜1.jpg

霞間ヶ渓の桜2.jpg

霞間ヶ渓の桜3.jpg

霞間ヶ渓の桜4.jpg

霞間ヶ渓の桜5.jpg

岐阜県池田町の霞間ヶ渓で桜を見てきました。ここは日本桜の名所
100選に選ばれている桜の名所で、岐阜に行ったら必ず見ようと
思っていました。
現地は公園みたいになっていて、この日は天気も良く、お弁当を広げ
る家族の姿も見受けられました。
ちょっと高台になっているので、ここから岐阜や大垣方面まで眺める
事が出来ます。すごく良い場所でした(^-^)

<桜の名所まとめのページはこちら>
http://rover.seesaa.net/article/14535679.html



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2009年04月03日

川原町の町並み  (岐阜県岐阜市 古い町並み)

岐阜県岐阜市の川原町を散策してきました。

<川原町>
川原町1.jpg
住所:岐阜県岐阜市湊町・玉井町・元浜町
駐車場なし(岐阜公園の駐車場から歩く)

川原町という名前は、湊町・玉井町、元浜町一帯の総称として古く
から使われてきました。
斎藤道三、織田信長の時代に市場が開かれ商業の拠点として繁栄し、
江戸時代には長良川役所が置かれ、紙問屋や材木商などが軒を連ね
その名を現在の格子のある町屋などにとどめています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
岐阜市の川原町に行ってきました。
岐阜城のある岐阜公園からあるいてすぐの所にある古い町並みです。
斎藤道三の時代から栄える町並みで、岐阜城との関係から岐阜の城下
町みたいな感じがします。

今は特に賑わっていませんが、昔ながらの風情をよく残しており、
なかなか良い町並みだなと思いました。

せっかく岐阜城にも近いことですし、もっとこちらにも観光客が来れ
ば良いんですけどね。

川原町2.jpg

川原町3.jpg

川原町4.jpg

川原町5.jpg

日本の古い町並み
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2009年04月01日

岐阜城    (岐阜県岐阜市)

岐阜県岐阜市の岐阜城に行ってきました。

<岐阜城>
岐阜城.jpg
住所:岐阜県岐阜市金華山天守閣18
電話:058-263-4853
駐車場あり(有料)

1201年に建築された山城。戦国期には斎藤道三が稲葉山城の城主
となる。稲葉山城は、織田信長の攻撃により落城。
稲葉山城の縄張りを壊し、信長が岐阜城を創建。
のち、関ヶ原の戦いにおいては、その前哨戦として織田信長の孫、
織田秀信が籠城するが落城。その後1601年に家康により廃城と
なっている。
現在の天守閣は昭和31年の再建で、中は資料館・展望台として
活用されている。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
岐阜城に行ってきました。
織田信長が居城として、「岐阜」と名付けた事は有名な話です。

本格的な山城で、麓から眺めると山頂に再建された天守閣が岐阜
の町を見下ろす様にあるのが分かります。

岐阜城付近にはいろいろなゆかりがあり、岐阜公園には明治天皇、
織田信長、板垣退助などの銅像があります。

<明治天皇像>
明治天皇像.jpg

<板垣退助像>
板垣退助像.jpg
板垣退助は岐阜で暴漢に襲われ(岐阜事件)、「板垣死すとも、自由
は死せず」の名言を残したと言われています(嘘という話も)
結局ここでは死ななかったんですけどね。

<織田信長像>
岐阜_織田信長1.jpg

<山内一豊婚礼の地>
山内一豊婚礼の地.jpg
大河ドラマのお話にもなった山内一豊。岐阜城に婚礼の地の碑があり
ました。

岐阜城には何度か行ってますが、今回は麓の岐阜公園に桜を見に
行ってました。
平成21年3月28日現在、まだ咲き始めという感じでした。桜の
木によってはすでに満開のやつもありました。

桜の写真は続きをご覧ください。

<桜の名所まとめのページはこちら>
http://rover.seesaa.net/article/14535679.html

日本の城を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21222307.html

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2009年03月31日

岐阜護国神社の桜  (岐阜県岐阜市)

岐阜県岐阜市の岐阜護国神社に桜を見に行ってきました。

<岐阜護国神社>
岐阜護国神社.jpg
住所:岐阜県岐阜市御手洗393
駐車場あり(無料)

日本各県にある護国神社のひとつ、岐阜護国神社に行ってきました。
岐阜護国神社は、岐阜城のふもとにあり、明治以降の戦死者などの
英霊を祀っています。

岐阜護国神社2.jpg

岐阜護国神社には樹齢100年と言われるエドヒガンザクラ「鵜飼桜」
があります。
平成21年3月28日現在満開でした。ソメイヨシノより早く咲き、
岐阜でも早咲きの桜として知られています。

岐阜護国神社 鵜飼桜.jpg

桜の写真は続きをご覧ください。

<桜の名所まとめのページはこちら>
http://rover.seesaa.net/article/14535679.html

岐阜護国神社の桜

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2009年03月28日

北一色の乳母桜   (岐阜県神戸町)

岐阜県神戸町にある北一色の乳母桜を見てきました。

<北一色の乳母桜>
北一色の乳母桜.jpg
住所:岐阜県神戸町北一色(大邑墓地)
駐車場なし

岐阜県神戸町にある北一色の乳母桜です。
樹齢は約300年という古木です。
県道53号線沿いの大邑墓地にあり、ここには乳地蔵と呼ばれる
お地蔵様があります。これにちなんで乳母桜と名づけられたの
でしょう。

乳地蔵.jpg

平成21年3月28日現在桜は満開で見ごろです。
小さい木ですが、木は活き活きとして活発な感じがしました。

北一色の乳母桜2.jpg

北一色の乳母桜 花.jpg

<桜の名所まとめのページはこちら>
http://rover.seesaa.net/article/14535679.html

北一色の乳母桜

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林陽寺の枝垂れ桜  (岐阜県岐阜市)

岐阜県岐阜市の林陽寺で枝垂れ桜を見てきました。

<林陽寺の枝垂れ桜>
林陽寺のしだれ桜1.jpg
住所:岐阜県岐阜市岩田西3-402 
駐車場あり(無料)
見学自由

岐阜市郊外にある林陽寺。ここに樹齢150年以上の枝垂れ桜が
あります。今日見に行きましたが、見事満開!
綺麗な花を咲かせていました(^_^)

<林陽寺の桜・平成21年3月28日撮影>
林陽寺のしだれ桜2.jpg

林陽寺のしだれ桜3.jpg

<クリックすると拡大します>
林聖寺のしだれ桜.jpg

<桜の名所まとめのページはこちら>
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2008年12月26日

郡上八幡の町並み   (岐阜県郡上市 古い町並み)

郡上八幡の町並みを散策してきました。

<郡上八幡の町並み>
郡上八幡
住所:岐阜県郡上市八幡町柳町 他
駐車場あり(有料)

郡上八幡城の城下町として栄えた町です。
今でも城下町時代の雰囲気を色濃く残して、非常に風情があります。
また、郡上八幡の良さは水にあると思います。
町にうまく水をとりいれて、それがとても良い感じです。

もう何年も郡上八幡に行ってなかったので、久しぶりに行ってみま
した。僕の記憶だと、以前はそんなに観光客がいなかったんですけ
ど、今回はものすごい観光客。いつの間にこんなに観光化したのか
なとびっくりしました。
最近CMなどでも郡上八幡が度々出ていましたからその影響なんで
しょうね。

昔ながらの町並みもかなりの規模で残っていて、歩いてゆっくり
まわると見応えがあります。
この町並みはいつまでも残してほしいものです。

平成20年秋旅  (美濃の古い町並み巡り)
http://rover.seesaa.net/article/109402980.html

日本の古い町並み
http://rover.seesaa.net/article/21960937.html

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2008年12月14日

日本大正村   (岐阜県恵那市 観光名所)

岐阜県恵那市の日本大正村に行ってきました。

<日本大正村>
日本大正村
住所:岐阜県恵那市明智町1884-3
駐車場あり(有料)
見学自由

日本大正村は、岐阜県恵那市(旧明智町)にあるテーマパーク
(町並み)です。
テーマパークって書きましたが、実際は入場料を払って入るような
ものではなく、町全体として大正時代の雰囲気を残している地域
と言った方がいいかもしれません。

かつて生糸を地場産業としていた頃の町並みが今も残り、昔ながら
の良い雰囲気です。
大正っていうと、洋館などのレトロチックなものを思い浮かべて
しまうんですが、大正村は木造建築がメインで、明治風の商家など
もあり、ちょっと僕のイメージとはズレがあります。
今回はこの日の宿まで急がなくてはならない事情があったため、ゆ
っくり見ることが出来ませんでした。前回来たときもそうだったん
で2回連続。次回はゆっくり3時間くらいかけて歩きたいなと思い
ました。

【写真は続きをどうぞ】

平成20年秋旅  (美濃の古い町並み巡り)
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日本の古い町並み
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2008年11月20日

岩村の町並み   (岐阜県恵那市 古い町並み)

岐阜県恵那市、岩村本通り伝統的建造物群保存地区を散策してきま
した。

<岩村本通り伝統的建造物群保存地区>
岩村の町並み
住所:岐阜県恵那市岩村町本町通り

岩村本通りの町並みは、城下町岩村の繁栄を今に伝える町並みで、
主に江戸〜明治にかけての商家が今も多く残っています。
その町並みは、平成10年に国指定重要伝統的建造物群保存地区に
指定されました。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
岩村城のあと、岩村本通りの町並みを散策しました。
いつの間にか重要伝統的建造物群保存地区に指定されていたよう
ですが、それを知らずにおりました。

ゆっくり岩村の町を散策するのは今回が初めて。
車では通りすぎるだけでしたが、改めてゆっくり歩いてみるとかな
りの数の古い商家が残り、昔ながらの町って感じが強く感じられます。

お土産屋とかもあまりなく、観光地化されていないところも良いです。

【写真は続きをご覧ください】

平成20年秋旅  (美濃の古い町並み巡り)
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日本の古い町並み
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2008年11月18日

岩村城    (岐阜県恵那市 城跡)

岐阜県恵那市にある岩村城に行ってきました。

<岩村城>
岩村城
住所:岐阜県恵那市岩村町
駐車場あり(無料)
見学自由

岩村城201808.jpg

岩村城は鎌倉幕府初代将軍源頼朝の重臣加藤景廉が遠山荘地頭に
なった事に始まる。景廉の長男景朝が岩村に移り、加藤の姓を
遠山に改め、以後遠山氏が代々居城した。
戦国時代に入り、武田信玄の家臣秋山信友が1573年に奪取し
入城したが、1576年に織田軍に敗れ以後城主は川尻鎮吉と
森蘭丸、森長一、森忠政の森三代、田丸具忠とめまぐるしく
交代した。
関ヶ原後には、松平家乗が入城し、松平・丹羽両氏が城主を
勤めた。
建物は明治維新により廃城され、取り壊された。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
岩村城址に行ってきました。
ここも10年振りくらいの訪問。本当に久しぶりでした。
10年も行ってないと、かなり印象も薄くなっているというもの
で、何を一番忘れてたかというと、城に行く道路です(笑)
なんかすごい細い道を走って城跡に行きましたが、10年前に
こんなところ走ったかどうか、まったく覚えてませんでした。

城跡自体はなんとなく記憶あり。
日本三大山城という事ですが、景色的にはここの直前に行った
苗木城の方が良く、景色的にはそんなにおすすめって感じはしま
せん。

ただ、残る石垣からは堅牢な城であったんだろうなという事は想像
出来ます。
天守や櫓などは既に無く、石垣のみの城からは兵どもが夢のあとと
いう言葉がよく合いそうです。

平成20年秋旅  (美濃の古い町並み巡り)
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2008年11月12日

恵那神社   (岐阜県中津川市)

岐阜県中津川市にある恵那神社に行ってきました。

<恵那神社>
恵那神社
住所:岐阜県中津川市中津川3786-1
駐車場あり(無料)
境内自由

恵那神社は1620年、恵那山頂にある祭神をこの地に祀り前社
とした。祭神は伊邪那岐、伊邪那美他六社である。
創立年次は定かではないが、日本書紀其他古書によっても古代から
の神社と言われている。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
中津川市の恵那神社に行ってきました。
恵那神社っていう位ですから恵那市にあるのかと思いましたが、住所
は中津川市です。
かつては恵那山自体がご神体だった様で、それを祀ったのがこの
恵那神社との事です。

中津川から岩村に向かう街道から少しそれた場所にあります。
境内は鬱蒼とした杉林の中にあり、静寂につつまれた雰囲気でした。

恵那神社

恵那神社

境内には樹齢600〜800年と言われる岐阜県指定天然記念物の
夫婦杉があります。
恵那神社 夫婦杉

平成20年秋旅  (美濃の古い町並み巡り)
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恵那神社

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2008年11月11日

苗木城   (岐阜県中津川市 城跡)

岐阜県中津川市にある苗木城跡に行ってきました。

<苗木城>
苗木城
住所:岐阜県中津川市苗木2897-2
駐車場あり(無料)
見学自由

苗木城は戦国時代に遠山直廉よって築城されたお城。
その後、豊臣・徳川の戦いの中で落城したが、関ヶ原後再び遠山氏
の居城となり、幕末まで遠山家が治めます。

木曽川を天然の堀とし、巨岩重なる岩山である高森山の頂上部
(432m)一帯にあり、眼下の木曽川から約170mの比高差が
あります。ここからの眺望は素晴らしく、正面にはかつての中山道
中津川宿場町の町並みとその背後には恵那山(2191m)が一際
高く聳えています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
苗木城に行ってきました。
行くのは6年振り。実は前回行ったとき、工事中でして一番上まで
登れませんでした。
今回、一番上まで初めて登ることが出来ました。

ここからの景色は良いという噂だったので、期待して登頂です。
行ってみて実感。確かにすごい景色の良さ!

苗木城からの風景

苗木城からの風景

こういう景色の良い山城というと、兵庫県にある竹田城もありますが、
苗木城も負けない位良い景色です。
別名「赤壁城」というらしいですが、これは三国志からきたものなん
でしょうかね。
とにかく感動しました!

平成20年秋旅  (美濃の古い町並み巡り)
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日本の城を巡る
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2008年11月10日

馬籠宿    (岐阜県中津川市 観光名所)

岐阜県中津川市の馬籠宿に行ってきました。

<馬籠宿>
馬籠宿
住所:岐阜県中津川市馬籠4300-1
駐車場あり

馬籠宿は江戸から数えて中山道43番目の宿場町。
街道が山の尾根にそった急斜面を通っているので、その両側に石を
積んで屋敷を造る「坂のある宿場」が特徴となっている。
明治25年に木曽川沿いに国道が開設され、明治45年には国鉄
中央線が全線開通することにより、宿場としての使命を終えた。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
10年以上ぶりに馬籠宿に行ってきました。
本当に久しぶり。ここに前回行ったときは20代前半でした(笑)
その時と、決定的に違うことがひとつ。
前回来たときは、長野県でしたが、今回は岐阜県という事。
馬籠宿のある長野県山口村が県を越えて岐阜県中津川市と合併した
ため、馬籠宿は岐阜県となりました。

島崎藤村の出身地で、『夜明け前』で木曽路の入り口とされる馬籠
が信濃じゃなくて美濃っていうのには、少し違和感を感じるのは
僕だけでしょうか。

さて、まあその件は良いとして、久しぶりに馬籠宿を散策しました。
坂道にある宿場町という事で、全国的にも珍しい町並みです。
あいにく江戸時代の遺構は、明治・大正期の大火でほぼ焼失してし
まっているそうですが、それでも良い雰囲気の町並みです。
約600メートルにわたって、石畳の古い町並みが続きます。
観光客も多く、賑わいがあるなと思いました。

平成20年秋旅  (美濃の古い町並み巡り)
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日本の古い町並み
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2008年09月15日

ほうのき平スキー場のコスモス  (岐阜県高山市)

岐阜県高山市(旧丹生川町)のほうのき平スキー場でコスモスを見て
きました。

<ほうのき平スキー場のコスモス>
ほうの木平 コスモス
住所:岐阜県高山市丹生川町久手
駐車場あり(無料)
入場料100円

岐阜県高山市のほうのき平スキー場では、シーズンオフを利用して
コスモスを植えています。
8月下旬から9月下旬(見頃は9月上旬)にコスモスを見る事が出来
ます。コスモスの本数は800万本との事です。

平成20年9月14日夕方訪問しました。
見頃はやや過ぎたかな〜という感じでしたが、それでも飛騨の山々
をバックに綺麗に咲く秋桜に癒されました。
いよいよ秋って感じがしてきました(^-^)

【写真は続きをご覧ください】

コスモスの名所
http://rover.seesaa.net/article/25051497.html

ほおのき平コスモス園

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2008年07月29日

うだつのあがる町並み  (岐阜県美濃市 観光名所)

岐阜県美濃市にある「うだつのあがる町並み」です。

<うだつのあがる町並み>
美濃うだつの町並み
住所:岐阜県美濃市泉町
駐車場あり(市営無料)

「うだつ」とは、屋根の両端を一段高くして火災の類焼を防ぐために
造られた防火壁の事です。岐阜県美濃市の他、徳島県美馬市脇町も
うだつの町並みが有名です。美濃市は水運の便があり、美濃和紙な
どで栄えた町です。

岐阜県美濃市の「うだつのあがる町並み」は日本で一番「うだつ」
が残る町だそうです。

平成11年3月22日、平成19年11月24日の過去2回散策
しました。
最初訪問したときと、昨年では雰囲気が一変してました。
電線とかも地中化されて、観光化したな〜という感じがしました。
実際、昨年はかなりの観光客が来ていました。
古い町並みをよりよく堪能出来るようになって、すごく良くなった
なと個人的にも思いました。

美濃うだつの町並み

美濃うだつの町並み

美濃うだつの町並み

美濃うだつの町並み

日本の古い町並み
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