2022年08月17日

寺家新屋敷古館跡   (富山県南砺市)

南砺市にある寺家新屋敷古館跡に行ってきました。

<寺家新屋敷古館跡>
寺家新屋敷古館跡.jpg
住所:富山県南砺市やかた
駐車場無し

<寺家新屋敷古館について>
寺家新屋敷古館跡4.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
寺家新屋敷古館に行ってきました。
ここは城巡りアプリに出ていたので訪問しました。
現地解説によると南北朝時代に築かれた館で、時代柄土塁で囲まれ簡易的な城として
の機能を持ったものだった様です。
越中国守護・桃井氏の家臣田中貞行の築城の館との事です。

現在は土塁等を見る事が出来、公園となっています。
公園の真ん中に建物があって、そこが簡単な資料館みたいになっています。
また当地には今は神明社っていう神社が建っていました。

寺家新屋敷古館跡2.jpg

寺家新屋敷古館跡3.jpg

寺家新屋敷古館跡5.jpg

寺家新屋敷古館跡6.jpg

令和4年GWの旅
http://rover.seesaa.net/article/487759392.html

日本の城を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21222307.html



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2022年01月30日

境関所跡   (富山県朝日町)

富山県朝日町にある境関所跡に行ってきました。

<境関所跡>
境関所跡.jpg
住所:富山県下新川郡朝日町境1561
駐車場あり(無料)

<境関所について>
境関所跡4.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
境関所跡に行ってきました。
1614年に設置された北国街道の関所。加賀藩最大の関所です。
先は越後に通じ、親不知の難所をひかえた場所にあります。

あくまで跡地なので特に遺構は残ってませんが、復元された大門や境関所跡の碑
などがありました。

境関所跡2.jpg

境関所跡7.jpg

境関所跡3.jpg

<関所の池>
境関所跡5.jpg

境関所跡6.jpg

令和3年夏旅1
http://rover.seesaa.net/article/482621174.html



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護国寺   (富山県朝日町)

富山県朝日町にある護国寺に行ってきました。

<護国寺>
護国寺.jpg
住所:富山県下新川郡朝日町境1558
駐車場あり(無料)
境内自由

護国寺に行ってきました。
護国寺は809年に弘法大師によって創建されたといわれる真言宗
の古刹です。

昭和24年に護国寺が全焼。その後再建され、昭和39年に入寺した
住職により寺の裏に池泉回遊式の庭園が造られました。

庭園見学も無料との事で行ってみました。
火災による焼失、昭和時代の再建という事で古い建物はありませんが、
寺としては大きなお寺です。
裏にまわり、庭園を鑑賞しました。

<護国寺庭園>
護国寺3.jpg

護国寺2.jpg

護国寺4.jpg

護国寺5.jpg

護国寺8.jpg

<五大力明王滝>
護国寺6.jpg

護国寺7.jpg

令和3年夏旅1
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雨晴海岸   (富山県高岡市)

高岡市にある雨晴海岸に行ってきました。

<雨晴海岸>
雨晴海岸.jpg
住所:富山県高岡市太田
駐車場あり(道の駅雨晴の駐車場利用)

<雨晴海岸について>
雨晴海岸2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
雨晴海岸に行ってきました。
能登半島国定公園内の渚で、日本の渚百選に選ばれています。
名前の由来は、源義経一行が奥州に逃れる途中、この地で雨宿りした事から
その名前がついたそうです。

冬の空気が澄んだときには雪景色の立山連峰が見えるそうなんですが、7月の訪問
という事もあり立山連峰はいまいちはっきり見えず。
ただ天気は良かったので、綺麗な渚を見てくつろいできました。

雨晴海岸8.jpg

雨晴海岸7.jpg

雨晴海岸6.jpg
この岩が雨晴海岸の「女岩」

<義経社>
雨晴海岸3.jpg

<義経岩>
雨晴海岸4.jpg

雨晴海岸5.jpg
義経岩、神殿の様に柱の様な岩が天井の岩を支える感じ。
ここで義経一行が雨宿りをしたとの伝説です。

令和3年夏旅1
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大河ドラマの舞台
http://rover.seesaa.net/article/112515106.html



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2020年08月06日

福光城址と福光の町並み  (富山県南砺市)

南砺市の福光城址に行ってきました。

<福光城址>
福光城址.jpg
住所:富山県南砺市福光4698
駐車場無し

<福光城について>
福光城址3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
福光城址に行ってきました。
福光城は平安時代末期、1183年に石黒光弘によって築城されたお城です。
石黒氏の居城として続きますが、石黒氏は一向一揆に敗れ15世紀末には
廃城になったものと思われます。

その後荒れていた城跡は幕末になり福光の豪商・前村礼蔵らにより「栖霞塾」
という学問所が造られました。
現在は「福光城址栖霞園」という施設になり、地域の方の憩いの場になって
います。

僕は中には入れなかった為、外から見ただけで撤収しました。
福光城址2.jpg

城を見たあと、福光の町中をふらふら歩いてみました。
福光は南砺地方から金沢に向かう街道沿いの街として栄えました。

<福光の町並み>
福光の町並み.jpg

福光の町並み3.jpg

福光の町並み2.jpg

福光の町並み5.jpg

福光の町並み4.jpg

令和2年初夏旅(北陸)
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日本の古い町並み
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日本の城を巡る
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2020年08月05日

井波瑞泉寺門前 八日町通り  (富山県南砺市)

南砺市の瑞泉寺門前街である八日町通りを散策しました。

<八日町通り>
八日町通り6.jpg
住所:富山県南砺市井波3050
駐車場あり(市営有料)

井波瑞泉寺の門前街、八日町通りを散策しました。
井波瑞泉寺は後小松天皇の勅願寺で、戦国時代には一向一揆の拠点と
なりました。一向一揆鎮圧後は豊臣秀吉の庇護を受け、江戸時代にも
真宗東派の大寺院として栄えました。
大寺院ゆえ門前街も栄え、八日町通りという石畳道があります。
道の両側には昔ながらの建物が並び、とても風情のある町並みでした。

<瑞泉寺>
瑞泉寺.jpg

<八日町通り>
八日町通り1.jpg

八日町通り2.jpg

八日町通り3.jpg

八日町通り4.jpg

八日町通り5.jpg

八日町通り7.jpg

八日町通り8.jpg
ちょっと反れた路地も味わいがありました。

令和2年初夏旅(北陸)
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日本の古い町並み
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2020年07月08日

太田本郷城址  (富山県富山市)

富山市にある太田本郷城址に行ってきました。

<太田本郷城址>
太田本郷城址3.jpg
住所:富山県富山市太田南町字西ノ田
駐車場無し

<太田本郷城について>
太田本郷城址2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
太田本郷城址に行ってきました。
1573年に河田長親によって築城された城です。
一向一揆対策の城だった様です。上杉謙信も越中の一向一揆には苦しめられました
から。
今は田んぼの真ん中に城跡の碑のみありましたが、それ以外の遺構は分からない
状況でした。
駐車場も無いので、路駐して少しだけ現地を見た感じです。

令和2年初夏旅(北陸)
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日本の城を巡る
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2018年07月19日

宮崎城址          (富山県朝日町)

富山県朝日町にある宮崎城址に行ってきました。

<宮崎城址>
宮崎城址.jpg
住所:富山県朝日町宮崎字城山
駐車場あり(無料)

<宮崎城について>
宮崎城址2.jpg

宮崎城址3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
1183年、宮崎長康によって築城された山城です。
交通の要衝であった事から戦国時代は上杉、武田、織田などの軍勢による攻防が
あった様です。

今回の旅で、一番印象に残ったのがこの宮崎城。城跡として石垣も良かったですが、
なにより景色が良かった。標高249mの山頂から見下ろす日本海の美しさ。
天気が良い事もあって、最高に良かったです。

宮崎城址に通じる道路は狭いですが、すれ違いも出来ますしそんなに難易度が高く
もありません。
宮崎城址は天気が良い時に行くのがお勧めです。城に興味が無くても展望スポット
としても楽しめます(^-^)

<宮崎城址>
宮崎城址4.jpg

宮崎城址5.jpg

宮崎城址6.jpg

<宮崎城址から見た景色>
宮崎城址7.jpg
親不知方面の眺め。

宮崎城址8.jpg
富山の入善方面の眺め。

宮崎城址9.jpg

平成30年GWの旅
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日本の城を巡る
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2018年07月18日

岩室の滝        (富山県立山町)

立山町にある岩室の滝を見てきました。

<岩室の滝>
岩室の滝.jpg
住所:富山県中新川郡立山町虫谷
数台分くらい停車できるスペースあり

<岩室の滝について>
岩室の滝2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
富山の滝37選のひとつ岩室の滝です。落差24m。
滝の水で削られた岩穴がある事からこの名前がついたそうです。

車を滝の入口に停め、約5分位遊歩道を歩くと滝に到着します。

岩室の滝3.jpg
迫力ある滝ではありませんが、まっすぐ流れ落ちる滝はとても優美な雰囲気です。

岩室の滝4.jpg
滝の付近の岩は柱状節理を見る事が出来ます。



平成30年GWの旅
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日本の滝巡り
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2018年07月17日

天神山城址       (富山県魚津市)

魚津市にある天神山城址に行ってきました。

<天神山城址>
天神山城跡.jpg
住所:富山県魚津市小川寺
駐車場あり(無料)

<天神山城について>
天神山城跡3.jpg

天神山城跡4.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
天神山城に行ってきました。魚津市街から数キロ走った山の上にある山城です。
現在は、魚津歴史民俗博物館があり、そこに車を停めて歩いて5分ほどで主郭跡
に着きます。

織田軍に攻め込まれた魚津城の戦いでは、魚津城の援軍にかけつけた上杉景勝が
この城に陣をはったそうです。ここからは魚津城の様子がよく分かったんでしょうね。

天神山城跡5.jpg

今はどうも木が鬱蒼としていて、魚津城方面はよく見えませんでした。
主郭にも特に何かある訳でもなく、城跡らしい雰囲気はあまり感じられませんでした。

天神山城跡6.jpg

天神山城跡2.jpg


平成30年GWの旅
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2018年07月11日

称名滝    (富山県立山町)

立山町にある日本の滝100選「称名滝」を見に行ってきました。

<称名滝>
称名の滝.jpg
住所:富山県立山町芦峅寺
駐車場あり(無料)

日本の滝100選「称名滝」に行ってきました。
日本の滝100選も見て感動する滝から、これが何で100選に選ばれたんだ
ろうと思ってしまう物までいろいろです。
この称名滝は前者。見て本当に感動します。10年以上ぶりに称名滝を見に
行ってきました。

駐車場から遊歩道を歩いて10分ほどで滝見台に着きます。
GWの訪問で、まだ行きが多く残っていました。この日は晴れてかなり暑かっ
たんですが、滝壺は雪解け水の上をふく風の影響でとても涼しかったです(^-^)

<称名滝>
称名の滝2.jpg
2つ滝が見えます。称名滝は左側。右側はハンノキ滝という滝です。
ハンノキ滝の方が落差があるように見えます。
ハンノキ滝は雪解け水の時期のみの滝で、夏場とかは水が流れていないそうです。

称名の滝3.jpg

称名の滝4.jpg

クリックすると拡大します。
称名の滝 大.jpg



平成30年GWの旅
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日本の滝巡り
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悪城の壁展望台    (富山県立山町)

立山町にある悪城の壁展望台に行ってきました。

<悪城の壁展望台>
悪城の壁.jpg
住所:富山県立山町芦峅寺
駐車場あり(無料)

悪城の壁には「すごく恐ろしく、砦のように人を寄せ付けない崖」という
意味があります。高さ500m、長さ2キロに及ぶ断崖は日本一の規模を
誇ります。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
称名の滝に向かう道の途中にある断崖絶壁です。
展望台があって、そこから眺めてみました。

高さ500m、東京タワーより高さがあるんですね、そんなにあるかな。
ただ絶壁の迫力は本当に凄い。圧巻の景色に感動しました。
雪解け水の滝の様なものも見えました(^-^)

悪城の壁2.jpg

悪城の壁3.jpg

クリックすると拡大します。
悪城の壁 大.jpg

平成30年GWの旅
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2018年06月24日

岩瀬家住宅     (富山県南砺市)

南砺市にある岩瀬家住宅に行ってきました。

<岩瀬家住宅>
岩瀬家住宅.jpg
住所:富山県南砺市西赤尾町857−1
駐車場あり(無料)
料金:300円
時間:8時〜17時

<岩瀬家住宅について>
岩瀬家住宅3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
国指定重要文化財、岩瀬家住宅に行ってきました。
泊まった赤尾館の目の前にあり、朝8時から空いている事から、朝一で訪問しま
した。

岩瀬家は加賀藩の塩硝上煮役の旧家で、五箇山にある合掌造りの建物で最大のもの
になります。間口26.4m、奥行き12.7m、高さ14.4mある建物です。
外からだとよく分かりませんが、中は5階建ての様な構造になており、3〜5階
は養蚕の作業場になっています。

入館すると、解説の方がいろいろ説明してくださり、大変興味深かったです。
3階の養蚕場は、煙でいぶされて香ばしい感じでした(^-^)

<岩瀬家>
岩瀬家住宅2.jpg

岩瀬家住宅4.jpg

岩瀬家住宅5.jpg

岩瀬家住宅6.jpg

岩瀬家住宅7.jpg
熊の皮が敷かれてました。

平成30年GWの旅
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2015年12月14日

諏訪町本通り       (富山県富山市)

富山県富山市(旧八尾町)にある諏訪町本通りを散策してきました。

<諏訪町本通り>
八尾 諏訪町通り5.jpg
住所:富山県富山市八尾町諏訪町
駐車場なし

越中八尾、諏訪町本通りを散歩しました。10年以上ぶりの訪問です。
今は富山市に合併されましたが、以前は八尾町でした。
越中八尾の町は、聞名寺の門前町であるとともに、飛騨往還の宿場町でも
あり、旅籠などもあり賑わったそうです。
現在も諏訪町通りを中心に江戸時代の面影の残る町並みです。

越中八尾と言えば何と言っても有名なのが9月に行われる祭り「おわら風の盆」
です。風の盆のメイン会場がこの諏訪町本通りになります。
風の盆は私の地元川越まつりにもゲスト参加される事があるため、その踊りは
何度か見たことがあります。とても優雅です。
夜に燈籠の明かりの中、あの優雅な舞はとても幻想的でしょうね。一度現地で
見てみたいものです。

<諏訪町本通り>
八尾 諏訪町通り6.jpg

八尾 諏訪町通り2.jpg

八尾 諏訪町通り4.jpg

八尾 諏訪町通り.jpg

八尾 諏訪町通り3.jpg

八尾の町は巨大な石垣の上に構築されています。
八尾 諏訪町通り7.jpg
この石垣は壮観です。まるで城壁の様。
いつ造られたものか分かりませんが、作り替えようと思ったらすごい事になり
そうな気がしてなりません(^^;

平成27年秋旅2 信濃・越後・越中・飛騨城攻め!
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日本の古い町並み
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2015年12月13日

富山湾展望台       (富山県富山市)

富山市にある富山湾展望台に行ってきました。

<富山湾展望台>
富山港展望台.jpg
住所:富山県富山市東岩瀬町100
駐車場あり(無料)
入場無料

<展望台について>
この展望台は港湾の利用促進を図るため、富山市の海の玄関口である富山湾の
シンボル的施設として、海のふれあいの場や県内外との交流に活用されるよう、
伏木富山港港湾環境整備事業の一環として、昭和60年11月に建設されました。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
富山湾展望台に行ってきました。
昔ながらの町並みの残る東岩瀬の町、そして富山湾を見下ろす事が出来ます。

高さは24.85m、そんなに大きな展望台ではありませんが、近くに大きな
建物などないのであたりを一望出来ます。
エレベーターは無いので、展望室へは階段で上ります。
階段で行くにはこれくらいが限界ですね(^^;

<富山湾展望台からの景色>
富山港展望台4.jpg

富山港展望台3.jpg

富山港展望台2.jpg
東岩瀬の町並みを見下ろしました。

平成27年秋旅2 信濃・越後・越中・飛騨城攻め!
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2015年12月02日

大村城跡 / 瑞円寺    (富山県富山市)

富山県富山市にある大村城跡に行ってきました。

<瑞円寺/大村城跡>
瑞円.jpg
住所:富山県富山市海岸通57
駐車場あり(無料)

<大村城解説>
瑞円禅寺 大村城跡.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
大村城は越中の国人轡田氏(つくねだし)によって永正年間(1504〜1520)に
築城されたものです。
1578年に上杉方の河田長親に攻められ落城。
城主の轡田豊後守雅正は城を枕に討ち死にしたそうです。
落城とともに廃城となり、現在は瑞円寺というお寺になっています。

城跡と感じられるものは特に残っていません。
城の解説があって城跡だと気付くくらいの感じです。

瑞円禅寺2.jpg

瑞円禅寺3.jpg

平成27年秋旅2 信濃・越後・越中・飛騨城攻め!
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日本の城を巡る
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2015年11月30日

東岩瀬の町並み      (富山県富山市)

富山県富山市、東岩瀬の町を散策してきました。

<東岩瀬の町並み>
東岩瀬の町並み 森家.jpg
住所:富山県富山市東岩瀬町
駐車場無し

<東岩瀬について>
東岩瀬の町並み6.jpg

東岩瀬は北前船の港町として、また北陸街道の宿場町として栄えた町です。
東岩瀬には多くの回船問屋が並び、江戸時代には大いに栄えたそうです。
上の写真は回船問屋の建物で今も残る森家住宅です。

東岩瀬の駅から北に数分歩いた場所に森家があり、その並びに昔ながらの
町並みが残っています。
電柱等も地中化され、昔の雰囲気がよく感じられる町並みです。

観光地としての知名度は低いですが、昔町としての雰囲気はとても良いんじゃ
ないかなと僕は思いました。

<東岩瀬の町並み>
東岩瀬の町並み4.jpg

東岩瀬の町並み2.jpg

東岩瀬の町並み3.jpg

東岩瀬の町並み5.jpg

東岩瀬の町並み 北前船.jpg
北前船です。

日本の古い町並み
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平成27年秋旅2 信濃・越後・越中・飛騨城攻め!
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2015年11月13日

安田城跡        (富山県富山市)

富山県富山市にある安田城跡に行ってきました。

<安田城跡>
安田城跡.jpg
住所:富山県富山市婦中町安田244−1
駐車場あり(無料)
資料館(入場無料)

<安田城解説>
安田城跡4.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
1585年、羽柴秀吉は富山城に籠もる佐々成政を攻めます。秀吉の越中攻めです。
その時、本陣を置いた白鳥城の支城として造られたのが安田城です。

平城で、現在もその構造がよく残っており、国指定の史跡に指定されています。

安田城跡2.jpg

安田城跡3.jpg

現地は公園になっており、無料で見る事が出来る資料館もあります。
ここで安田城発掘の展示や、越中攻めに関する展示を見る事が出来ます。

安田城跡5.jpg

平成27年秋旅2 信濃・越後・越中・飛騨城攻め!
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日本の城を巡る
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2015年10月29日

白鳥城趾     (富山県富山市)

富山県富山市にある白鳥城趾に行ってきました。

<白鳥城趾>
白鳥城趾.jpg
住所:富山県富山市吉作
駐車場あり(無料)

<現地解説>
白鳥城趾解説.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
白鳥城趾に行ってきました。
ここに行く予定は無かったんですが、直前に寄った安田城跡で白鳥城の説明もあっ
たので訪問する事にしました。

城の歴史は古く木曽義仲の家臣今井兼平が1183年に陣をはったというのが最初
の記録だそうです。

その後、佐々成政を攻めた豊臣秀吉が白鳥城に本陣を置いたという事で知られます。
今はその遺構はほぼ残っていません。

現地東出丸跡からは、富山市方面の眺望が良好です。

<白鳥城図>
白鳥城趾 平面図.jpg

<本丸跡>
白鳥城趾 本丸跡.jpg

<東出丸からの風景>
白鳥城趾2.jpg

白鳥城趾3.jpg

現地への道は整備されていて車で簡単に訪問できます。
駐車場もあります。
駐車場からすぐのところに「白鳥城」の碑があり、本丸まではちょっとした山道
を10分位歩けば到着します。

平成27年秋旅2 信濃・越後・越中・飛騨城攻め!
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日本の城を巡る
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2012年07月29日

北陸街道 泊宿   (富山県朝日町)

北陸街道泊宿を散策してきました。

<北陸街道泊宿>
宿場町泊.jpg
住所:富山県朝日町泊
駐車場あり

江戸時代、越中・越後の境には境の関所があり厳しい関所だったそう
です。その関所を抜け越中に入ると泊の宿場があります。
越後側から来ると、関所もそうですが、親不知・子不知の難所を越えて
来ているので、疲れて泊の宿場に来ているんだろうなと昔をしのぶ事が
出来ます。

今は、泊駅から歩いて5分くらいのところに旧北陸道があり、そこに
かつての名残を見ることが出来ます。

<宿場町泊の町並み>
宿場町泊2.jpg

宿場町泊3.jpg

宿場町泊4.jpg

宿場町泊5.jpg

宿場町泊6.jpg

<泊宿 明治天皇行在所>
宿場町泊 明治天皇行在所.jpg

日本の古い町並み
http://rover.seesaa.net/article/21960937.html


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2012年07月21日

高瀬湧水の庭   (富山県入善町)

富山県入善町にある高瀬湧水の庭に行ってきました。

<高瀬湧水の庭>
高瀬湧き水の庭1.jpg
住所:富山県入善町高瀬102
駐車場あり(無料)

高瀬湧水の庭は、高瀬公民館脇にある湧水の水くみ場という
感じの場所です。
富山県入善町・黒部市は黒部川扇状地湧水群という名水の町
で、数多くの湧き水がありそれらをまとめて日本名水100選
に選ばれています。
立山連峰の豊富な雪解け水が扇状地湧水群として各所から湧き水
として湧き、生活の水として地元の人にも使われています。

先日、うだる様な暑さの中、この湧き水を飲みに行ってきました。

高瀬湧き水の庭.jpg

高瀬湧き水の庭2.jpg
綺麗な水が湧いていました。他にも水くみの人たちが来ていました。
特に暑い中ゆえかもしれませんが、水が冷たく感じました。
ペットボトルに水を詰めて、車の中で飲みながら帰ってきました。

日本の名水巡り
http://rover.seesaa.net/article/21971174.html


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2012年06月16日

黒部湖     (富山県立山町)

富山県立山町、黒部ダムに行ってきました。

<黒部ダム>
黒部湖ダム.jpg
住所:富山県立山町芦峅寺

黒部ダムは昭和38年に完成した関西電力のダムです。
そのスケール、また難工事から『黒部の太陽』という映画も作られた
日本を代表するダムです。

今は観光地として全国から人が集まる名所です。
富山県側と長野県側それぞれ行くルートがありますが、今回は長野の大町
側から向かいました。
扇沢というところに車を停めます。
手前の市営と思われる駐車場は無料ですが、奥に行くと有料です。
今回は幸い、手前の無料駐車場に停めることが出来ました。
ここからは関電トンネルトロリーバスで向かいます。
本数は1時間に2本。往復で1人2500円です(高い・・・・)
ちなみにJAFの会員は1割引になります。

片道15分のバスでトンネルを抜けると黒部ダムに到着します。
トンネル内に県境があり、ダムは富山県になります。

出た瞬間、感動しました。
雄大な湖。その水はエメラルドグリーン。
良いですね〜、何とも言えません。
今回は遊覧船に乗って黒部湖を1周しました。
黒部湖 遊覧船.jpg

遊覧船からだと、本当に綺麗な黒部湖を見ることが出来ます。
行ったら乗るべきですね。

黒部湖2.jpg

黒部湖3.jpg

黒部湖4.jpg

黒部湖5.jpg

黒部湖6.jpg

黒部湖、本当に綺麗でした。

少し続きます
続きを読む
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2011年05月21日

阿尾城      (富山県氷見市)

富山県氷見市にある阿尾城跡に行ってきました。

<阿尾城跡>
阿尾城.jpg
住所:富山県氷見市阿尾
駐車場あり(無料)

阿尾城跡は富山湾に面した標高20〜40メートルの独立丘陵上に
位置し、その独特の景観とともに市民に親しまれている史跡である。
発掘調査では、伝二の丸・伝三の丸から中世の土器・陶磁器類が
多数出土した。
また伝本丸には櫓があったと伝えられ、ここで海上交通を監視して
いたと思われる。
築城の時期は不明であるが、出土遺物からは15世紀後半頃に
城として利用が始まったと推定できる。
天正・文禄年間には菊池右衛門入道・十六郎父子が居城した。
菊池氏は織田信長配下の佐々成政に従ったが、成政と前田利家
が対立すると前田方へ寝返り1万石を安堵された。
慶長年間には廃城となり菊池氏の子孫は加賀藩士となった。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
阿尾城に行ってきました。
氷見の民宿に泊まり、朝一で阿尾城へ。阿尾城は富山湾に突き出す
岬に築城された自然の要害です。

かつて前田慶次が城代を勤め、ここから末森合戦に出陣したそうです。
城跡は今は当時をしのぶものは残っていませんが、公園として整備
され、花も咲き非常に綺麗なところでした。

阿尾城2.jpg

阿尾城3.jpg

また、富山湾に面し、海が綺麗。
その日は見えませんでしたが、空気が澄んでいれば立山の方まで
よく見える事でしょう。

阿尾城より1.jpg

阿尾城より2.jpg

平成23年GWの旅
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日本の城を巡る
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2011年05月10日

為景塚       (富山県砺波市)

富山県砺波市にある為景塚に行ってきました。

<為景塚>
為景塚.jpg
住所:富山県砺波市頼成新
駐車場なし

戦国時代越後の守護代長尾氏は、越中の一向一揆勢や神保氏を
討つために、長尾能景、為景、景虎の三代にわたりしばしば
越中へ侵攻し、梅壇野が戦地となっている。
為景の没年には諸説あるが、越中において討ち死にし、梅壇野
を没地としているものもある。
『越登賀三州志』には、1542年4月11日に為景は増山
攻めで討ち死にしたと伝えており、この塚はその為景を葬った
塚と言われる。
ここは砺波市頼成新地内で、小字名を長尾塚という。
また、為景の父能景は、1506年9月19日、芹谷の合戦
で討ち死にしたとされ、東方180メートルの永田家屋敷に
ある塚が能景塚と伝えられている。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
砺波市にある為景塚に行ってきました。
上杉謙信の父にあたる長尾為景はここで討ち死にして葬られた
という塚です。
僕は長尾為景は病死したという認識でいました。
諸説あるんですね、ここで討ち死にしたという伝説に基づく
塚です。
今回の旅で、この塚を見つけた事が一番歴史マニアとして感動
したところです。観光ガイドにも出ていない、マニアなスポット、
こういう所を見つけると本当にうれしいです。

<為景塚>
為景塚2.jpg

為景塚3.jpg
ちなみにここは、田んぼの畦道みたいなところを歩いてたどり着き
ました。車を停めるところもありません。
見つけるのには苦労するかと思いますが、地図を参照して行って
みてはいかがでしょうか。

著名人の墓
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富山城    (富山県富山市)

富山県富山市にある富山城に行ってきました。

<富山城>
富山城3.jpg
住所:富山県富山市本丸1
駐車場あり(有料)

富山城は1543年に神保長職によって築城されたと言われていますが、
室町時代前期の遺構が発見されたことにより、創建時期はさらにさかのぼる
と考えられています。
その後、富山城は織田信長によって越中を支配した佐々成政によって改修
され越中支配の拠点とされました。
佐々成政は神通川を城の堀の様に使用したため、浮城と呼ばれる城となった。
本能寺の変後、羽柴秀吉と対立、秀吉率いる軍勢と戦い、降伏。
富山城は破却されました。
江戸時代には前田家が入城し、幕末まで富山城は続きます。

明治維新後の廃城令後、昭和29年富山城趾一帯で富山産業大博覧会
が開催され、その際建築されたのが現在の富山城(富山市郷土博物館)
です。

富山城.jpg

富山城2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
富山城に行ってきました。
僕が富山城に行ったのはそうとう久しぶりで、懐かしい場所でした。
富山城は僕の中では、佐々成政の城というイメージがあって、その後の
前田家ってのはちょっとイメージが違うんですよね。

佐々成政に関する何かあるかな〜と思ったんですが、資料館内に
説明があるだけで、銅像とかはありませんでした。

富山城内にあ銅像は富山藩2代藩主前田正甫公の銅像でした。
富山城 前田正甫(10代藩主).jpg

城は立派な石垣は残っていますが、建物は残っていません。
そこは残念なところです。

平成23年GWの旅
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日本の城を巡る
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魚津城     (富山県魚津市)

富山県魚津市にある魚津城に行ってきました。

<魚津城>
魚津城趾.jpg
住所:富山県魚津市本町1-10-39(大町小学校内)
駐車場あり

松倉城のふもとを流れる角川の河口付近に位置し、旧北陸道
に面した交通の要衝に築かれた平城です。築城年代は定かではありません
が、室町時代には松倉城の重要な支城として機能していました。
1582年、越後を本拠とする上杉方にとって越中における重要な
拠点であった魚津城は西方より勢力を拡大してきた織田方の柴田勝家、
佐々成政、前田利家らの攻撃を受け、「本能寺の変」の翌日である
6月3日に落城しました。その後魚津城は、佐々氏、次いで前田氏の
支配下となりましたが、江戸時代の初めに廃城になりました。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
大河ドラマ『天地人』でも出てきたお城、魚津城に行ってきました。
上杉・織田の激しい戦いの後、本能寺の変の翌日に落城という悲劇
の城です。
今はどうなってるのかなと思って行くと、なんとそこは小学校に
なっていました!
大町小学校という小学校で、入り口には城見学の方は学校の事務室
にお寄りくださいとあるじゃないですか。
しかしながらGWに訪問したので、不在。まあ普通に見ることが
出来るので、見てきました。
学校脇にうえの「魚津城趾」の碑。魚津城に関する上記解説文も
ありました。

校舎裏の校庭には「ときわの松」と「上杉謙信歌碑」があります。
ときわの松は、古くから魚津城にあった松の木で現在の木は2代目。
何でも上杉謙信が植えたという伝説もあるそうです。

魚津城趾 ときわの松.jpg

上杉謙信の歌碑には、
「もののふの よろいの袖を かたしきて 枕にちかき はつかりの声」
1573年、上杉謙信が越中に進軍し魚津城外にたむろした時の歌。
初秋の風景を歌ったものだそうです。

魚津城趾 上杉謙信歌碑.jpg

残るのはこれくらいです。
小学校内ですので、行く場合はご注意ください。

魚津城趾2.jpg

大河ドラマの舞台
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平成23年GWの旅
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日本の城を巡る
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2011年05月06日

倶利伽羅峠古戦場    (富山県小矢部市〜石川県津幡町)

富山県小矢部市〜石川県津幡町にまたがる倶利伽羅峠古戦場に行ってきました。

<倶利伽羅峠古戦場>
倶利伽羅峠古戦場.jpg
住所:富山県小矢部市石坂
駐車場あり(無料)

1183年、信州木曽山中で兵をあげた木曾義仲(源義仲)は、10万
の兵を率いて京都から下った平維盛の軍と倶利伽羅峠で対戦した。
春の夜半、木曾義仲が角に松明をくくりつけた牛の群れを先頭に、
この山道を駆け抜け平家10万の大軍を破った。

倶利伽羅峠 牛.jpg

ここが源平の戦いに名高い火牛の計を策した古戦場である。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
源平の倶利伽羅峠古戦場に行ってきました。
富山・石川県境にありますが、本陣跡が富山県側ですので、
カテゴリーは富山県にしました。
倶利伽羅峠古戦場は源平の戦いの中でも奇襲攻撃で大軍を
破った戦いとして名高いところです。
一ノ谷の戦いも崖を駆け抜けるシチュエーションですが、ここも
山深いところです。

倶利伽羅峠 風景.jpg
こちらが倶利伽羅峠の風景です。
決して険しい山ではないですが、ここを牛が駆け抜けたと思うと
すごい光景だろうなと思います。
平家軍も混乱した事でしょう。

古戦場には一番上の碑の他、戦死者の供養塔もあります。
昔の供養塔で「為盛塚」というものがあります。

倶利伽羅峠 為盛塚.jpg
平維盛の配下で戦った平為盛の供養塔です。
春の長閑な日に桜が満開の中、古戦場を堪能してきました。

大河ドラマの舞台
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平成23年GWの旅
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古戦場めぐり
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<桜のある風景>
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2011年05月05日

砺波のチューリップ   (富山県砺波市)

富山県砺波市で開催中の砺波チューリップフェアに行ってきました。

<砺波チューリップフェア>
砺波チューリップフェア.jpg
住所:富山県砺波市花園町1ー32
駐車場あり(有料)
入園料:1000円

砺波市特産の花、チューリップの公園です。
毎年春には400品種、100万本のチューリップが咲き誇ります。
日本で一番のチューリップ畑ではないかと思いますが、僕はまだ
行ったことがありませんでした。
今回初訪問です。
砺波チューリップフェアは今年で60回目だそうで、かなりの歴史を
重ねているんだなと思いました。
チューリップ公園内には、出店などもあり賑わっていました。

僕が行ったのが、夕方16時過ぎで、17時半で閉まるという事で
慌ただしい見学になりました。
出来れば3時間くらい余裕があると良いかと思います。
平成23年5月1日現在、満開までもう少しって感じでした。
晴れてると尚良かったんですが。

<砺波のチューリップ・平成23年5月1日撮影>
砺波チューリップフェア2.jpg

砺波チューリップフェア3.jpg

砺波チューリップフェア4.jpg

砺波チューリップフェア5.jpg

砺波チューリップフェア6.jpg

砺波チューリップフェア7.jpg


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2010年09月11日

瑞龍寺   (富山県高岡市)

富山県高岡市の瑞龍寺に行ってきました。

<瑞龍寺>
高岡瑞龍寺1.jpg
住所:富山県高岡市関本町35
拝観料:500円
駐車場あり(無料)

高岡山瑞龍寺は加賀藩二代藩主前田利長公の菩提を弔うため、
三代藩主前田利常公によって建立された寺である。
利長公は高岡城を築城し、この地で亡くなった。
加賀120万石を譲られた異母弟利常はその恩を感じ、時の
名匠山上前右衛門嘉広をして禅宗建築の七堂伽藍を完備し、
広山恕陽禅師をもって開山とされた。
造営は正保年間から、利長公の五十回忌の寛文三年(1663)
まで約20年の歳月を要して完成した。当時、寺域は36000坪
で、周囲に堀を巡らし、まさに城郭の姿を思わせるものがあった。
平成9年、山門、仏殿、法堂が国宝に指定され、禅堂、大庫裏、
大茶堂、回廊が重要文化財に指定となり、江戸時代を代表する
禅宗建築として高く評価されている。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
平成22年8月14日、高岡の瑞龍寺に行ってきました。
何気に3回目の訪問です。それだけ高岡の観光にはきっても
きれない場所といえます。

瑞龍寺は数々の国宝建造物も見事の一頃ですが、四角く廊下で
囲まれた構造や、綺麗な芝生などいろいろあるんじゃないかなと
思っています。
今回の訪問は、あいにくの雨で芝生があまり綺麗に見えなかったの
が残念。写真は以前行ったときの写真を使いました。

高岡瑞龍寺2.jpg

高岡瑞龍寺3.jpg

高岡瑞龍寺4.jpg

JR東海の「Japnese Beauty Hokuriku」のポスターにも使用された様です。
高岡瑞龍寺5.jpg

禅宗のお寺で、今でも禅体験ができるそうです。

高岡瑞龍寺 前田利長公像.jpg
瑞龍寺に続く道路には前田利長公の銅像もあります。

平成22年夏旅
http://rover.seesaa.net/article/159668694.html

銅像めぐり
http://rover.seesaa.net/article/142026310.html

国宝建造物を巡る
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高岡城   (富山県高岡市)

富山県高岡市にある高岡城に行ってきました。

<高岡古城公園>
高岡古城公園.jpg
住所:富山県高岡市古城
駐車場あり(無料)

1598年、前田利家のあとをついで加越能三国の太守となった前田家
二代の藩主利長は慶長10年封を利常に譲り富山城に隠居したは、慶長
14年同城は火災にかかり新たに高岡に築城して町作りを行った。
設計はキリシタン大名高山右近が行い、約半年後に入城した。
総面積71261坪あり、城内は、本丸、二の丸、鍛冶丸、三の丸、明丸
などに分かれていた。
慶長19年、廃城となり明治維新後民間に払い下げされんとしたが、
時の高岡区長服部嘉十郎らの奔走により、明治8年公園として保存される
ことになった。
昭和14年に富山県の史跡に指定。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
高岡城跡である、高岡古城公園に行ってきました。
ここに来るのは2回目です。正直高岡城の由来に関してはよく知らなかった
のですが、キリシタン大名である高山右近の設計という事で、城内には
高山右近の銅像もありました。
高岡古城公園 高山右近像.jpg
この高山右近の銅像はインパクトありましたね。持っているのは十字架で、
キリストがはりつけられているという。

高岡城自体、あっという間に廃城になっており、利長の隠居のための城
という感じです。これは大阪の陣後、一国一城令により取り壊された
という事です。

現在は大きな堀などが残り、堀を舟で観光するコースなどもある様です
(今回は乗りませんでしたが)

高岡古城公園2.jpg

城内には博物館があり、高岡の産業や、前田利長に関することなど無料で
見ることが出来ます。
高岡古城公園 博物館.jpg

本丸跡には築城主の前田利長の銅像があります。
高岡古城公園 前田利長公像.jpg

高岡古城公園は桜の名所として有名なので、出来れば桜のシーズン
にも来てみたいものです。

平成22年夏旅
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日本の城を巡る
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2010年09月08日

前田利長公墓所   (富山県高岡市)

富山県高岡市にある前田利長公墓所に行ってきました。

<前田利長公墓所>
前田利長公墓所.jpg
住所:富山県高岡市関73
駐車場あり(無料)
参拝自由

加賀藩主前田家墓所は、高岡市の前田利長墓所と金沢市の野毛山前田家墓所
からなる近世大名家の墓所です。
前田利長墓所は、1614年に53歳で生涯を閉じた利長の三十三回忌にあ
たり、三代利常が造営したものです。
近世階段の墓域の総面積は33000平米と広大で、大名個人墓所としては
国内屈指の規模を誇ります。
二重の堀で囲まれた墓域の中心部には幅15.5m、高さ5mの御廟が
あり、その立面は狩野探幽下絵と伝承される130枚もの蓮華図文様が
彫刻され荘厳な印象を与えます。

前田利長公墓所2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
前田利長公墓所に行ってきました。金沢藩主ですが、亡くなったのは自ら
が造営した高岡城。お墓も高岡にあります。
前田利長公を祀る瑞龍寺には以前も行ったことがあったんですが、そこから
1キロくらい離れたところにあるお墓には今回初めての訪問になりました。

この前田利長公墓所は本当に大きい。敷地の広さにびっくりです。
かつては50000平米もの敷地があったそうで、瑞龍寺も含め、三代
藩主利常公がいかに利長公を敬愛していたかが分かりますね。

平成22年夏旅
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著名人の墓
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2010年09月07日

高岡大仏    (富山県高岡市)

富山県高岡市の高岡大仏に行ってきました。

<高岡大仏>
高岡大仏.jpg
住所:富山県高岡市大手町11-29
駐車場あり(無料)
料金:志納

高岡大仏は1745年に等誉上人が木造金色の仏像を建立したのが
始まり。その後度々焼失し、現在の大仏は1907年に松木宗左衛門
が再建を発願し1933年に完成。
古式鋳造法である焼型重ね吹きの技法で、鋳造から着色に至るすべての
工程を高岡の工人・職人達の手で行った。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
高岡の大仏を見に行ってきました。
以前、車で通りかかった事があり、外観だけは見たことがあったんで
すが、今回は車から降りて参拝です。
お寺の方が無料で解説。解説を聞いたあと、大仏の中に入り参拝しました。

高岡の大仏は鎌倉の大仏・奈良の大仏と並び日本三大仏に数えられます
が、比較的新しいので、見た目のインパクトでは他の2大仏に劣るかな
という印象です。

平成22年夏旅
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2010年09月01日

金屋町の町並み   (富山県高岡市)

富山県高岡市の金屋町を散策してきました。

<金屋町の町並み>
高岡金屋町の町並み1.jpg
住所:富山県高岡市金屋町
駐車場あり(無料・金屋緑地の駐車場利用)

金屋町は加賀藩主前田利長が高岡城を築城したおり、城下の産業発展を
図るため、砺波郡西部金屋から7人の鋳物師が招かれたことに始まる高岡
の鋳物発祥の地。
千本格子の家並みと銅片の敷き込まれた石畳が美しい佇まいを見せています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
高岡市の金屋町の町並みを散策しました。
あいにくの雨のせいか、観光客もほとんどいませんでした。

千本格子の町並みというだけあり、木の格子が美しい町並み。
距離にして数百メートルですが、石畳が敷かれ、昔ながらの町並みが
残っていました。
金屋町は重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。

高岡金屋町の町並み2.jpg

高岡金屋町の町並み3.jpg

高岡金屋町の町並み4.jpg

平成22年夏旅
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日本の古い町並み
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2007年07月26日

城端の町並み   (富山県南砺市 古い町並み)

富山県南砺市の城端の街中を散策しました。

<城端の町並み>
城端の町並み
住所:富山県南砺市城端西上付近

城端(じょうはな)の町並みは越中の小京都と呼ばれる古い町並み
の残るところです。
城端は善徳寺の門前町として発展しました。

今回は善徳寺に久しぶりに行ったついでに、街中も散策してきました。
このページにある板塀の建物は、善徳寺のすぐ前にある建物で、城端
で一番雰囲気の良い建物だなと思います。

また、善徳寺から国道を渡って反対側の少し低くなった場所にも古い
町並みが残っています。
規模的にはそんなに大規模ではないですが、板塀の建物は趣があって
非常に良いなと思いました。

平成19年GWの旅
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日本の古い町並み
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2007年07月23日

善徳寺   (富山県南砺市 観光名所)

富山県南砺市(旧城端町)にある善徳寺に行ってきました。

<善徳寺>
善徳寺
住所:富山県南砺市城端西上
駐車場あり(無料)
拝観自由

<由緒>
1471年本願寺八世蓮如は越前吉崎御坊より金沢を経て東国下向の
際、加賀国境の砂子坂旧地を尋ね、その仏法有縁の地に道場を創建
し、周覚の孫で、蓮如の甥蓮真に附属させた。その後蓮真の子実円が
相続し1501年には越中山本の里に移り、本願寺九世実如より寺号
善徳寺を免許され加賀・越中・能登三ヶ国の惣禄に任ぜられた。
江戸時代には加賀藩における真宗東派寺院の触頭となり栄えた。

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平成19年GW後半戦は富山・石川方面へ。
最初の訪問地がここ善徳寺です。ここには7〜8年前に1回来ている
んですが、記憶も曖昧になっていたため、久しぶりに行ってみました。
以前は城端(じょうはな)町という町だったのですが、いつの間に
か合併で南砺市になっているのにも驚きました。

越中の小京都と言われる城端はここ善徳寺の門前町として栄えた
ところで、すべてはこの寺院が中心になっています。

山門、本堂と威厳ある建造物が残ります。
久々に行きましたが、やはり「おお!」っていう感慨の残るお寺
でした。ちょうど能登地震があったという事で義援金の賽銭箱も
あり、少しばかり賽銭を入れてきました。

<善徳寺 本堂>
善徳寺 本堂

<善徳寺 太鼓堂>
善徳寺 太鼓堂

平成19年GWの旅
http://rover.seesaa.net/article/40884949.html

善徳寺

posted by 南行 at 23:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 富山県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月06日

明日の大桜  (富山県黒部市 桜の名木)

富山県黒部市(旧宇奈月町)桜の名木「明日の大桜」(あけびのおおざくら)です。

<明日の大桜>
asita.jpg
住所:富山県黒部市宇奈月明日
駐車場あり

<ひとこと>
806年の創建と伝えられる古刹法福寺。戦国時代末期には前田家の祈願所となっていました。その法福寺の境内に樹齢400年の桜の名木「明日の大桜」があります。
高さ4メートルで枝が4つに分かれ、東西15メートル、南北13メートル
におよびます。富山県指定天然記念物です。
宇奈月といえば、温泉で有名な場所。僕みたいな法学部出身者にとって
は民法の有名な判例でも印象に残るところです。
その宇奈月の地に桜の名木があります。
「明日の大桜」、そうしても「あすのおおざくら」とか呼んでしまいそう
ですが、正しくは「あけびのおおざくら」です。
法福寺の観音様も「あけびの観音様」と言われているそうです。どうして
「あけび」なのかってのは分かりません。
桜は4月中旬に見事に満開でした。宇奈月温泉の帰りにでも立ち寄って
みるのには良い場所かと思います。

<桜の名所まとめのページはこちら>
http://rover.seesaa.net/article/14535679.html

明日の大桜(法福寺境内)

続きをご覧ください

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posted by 南行 at 07:54| Comment(2) | TrackBack(2) | 富山県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月02日

五箇山合掌集落 (富山県南砺市 古い町並み 世界遺産)

旧平村、上平村、現在は合併して南砺市になりましたが、この地に
残る合掌集落、五箇山合掌集落です。

相倉、菅沼の2つの集落からなります。
白川郷から北へ20キロ位かな。結構近いです。
白川郷とともに世界遺産に指定されていますが、いまいち知名度は低い
ですね。

<菅沼集落>
菅沼集落.jpg

<相倉集落>
相倉集落.jpg
相倉の駐車場は有料だった様な気が。

合掌集落に関しては、地域的にも近い白川郷と同様です。
この地域に伝わった伝統的建造物です。
<白川郷>
http://rover.seesaa.net/article/7608816.html

白川郷からもほど近いので、ここ五箇山も一緒に見ると
良いと思います。

<近隣の見所>
庄川峡の景色
秘境大牧温泉

世界遺産なので、おすすめ度はパス。

[ここに地図が表示されます]


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posted by 南行 at 22:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 富山県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする