島根県大田市にある石見銀山遺跡です。
<石見銀山の集落>

住所:島根県大田市大森町
駐車場あり(無料)
石見銀山は14世紀の初めに大内氏により発見され開発された銀山です。
大内氏の財源として開発されました。
16世紀になり、博多の商人神谷某らが本格的な開発をし、莫大な産出
量をほこりました。この銀を巡り大内、尼子、毛利らの争奪戦が繰り広げ
られ、最後は毛利氏の占有するところとなりました。
関ヶ原の戦い後は幕府の直轄地として明治に至るまで代官を置いて支配
しています。
石見銀山の最盛期は戦国時代から江戸時代初期で、最盛期には人口5万人
以上という賑わいをみせた様です。
幕末にはほぼ産出もなくなり、衰微しています。
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仁摩サンドミュージアムを出て、次に向かったのは石見銀山遺跡。
石見銀山というと、戦国時代に尼子氏や毛利氏の激戦が行われた場所と
いうイメージが僕にはあります。
昨年初めて石見銀山遺跡に立ち寄りました。
石見銀山の遺跡はすごい広範囲に及んでいて、全部見ようと思ったら半日
以上はかかりそうな感じです。
今回は、車を停めた場所に近い大森地区の伝統的建造物群保存地区周辺
を散策しました。
いわゆる金山とか銅山の遺跡っていうと、採鉱した穴の中を散策するって
いうイメージですよね。ここ石見銀山もそういう場所「龍源寺間歩」も
もちろんあるんですが、ここが他と違うのは、銀山の繁栄を物語る町並み
や代官屋敷跡など、石見銀山としての町並みを楽しめる点です。
正直行ってみて、鉱山遺跡というより、宿場町の様な感じを受けました。
伝統的建造物群保存地区にも指定されています。
今残る町並みは1800年の大火の後に建築されたものだそうです。
1800年というと、石見銀山の歴史の中では衰退期。それでもこれだけ
の町並みがあったんですから、最盛期はさぞすごかったんでしょうね。
この町並みの奥には、「間歩」という採鉱の跡があります。
数々の「間歩」がある様ですが、現在公開されているのは「龍源寺間歩」
のみだそうです。
今回は時間の関係で「龍源寺間歩」には行けませんでした。
また次回の楽しみにとっておこうと思います。
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