2025年11月08日

大慈寺で原敬の墓を参拝   (岩手県盛岡市)

令和7年9月15日、盛岡市の大慈寺で原敬の墓を参拝しました。

<大慈寺>
大慈寺.jpg
住所:岩手県盛岡市大慈寺町5−6
駐車場あり(無料)
境内自由

原敬の墓を参拝しました。

<原敬について>
大慈寺2.jpg

原敬は盛岡の出身。
藩閥政治が続いてきた明治維新後の政治の中で、政友会総裁として
1918年(大正7年)に第19代内閣総理大臣に就任。
爵位を持たなかった事から平民宰相と呼ばれました。
1921年(大正10年)11月4日、東京駅で暗殺。
盛岡の大慈寺に葬られました。

<原敬の墓>
大慈寺3.jpg
飾らない原敬のお墓らしい、普通のお墓でした。

令和7年秋旅1 (東北旅)
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著名人の墓
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円光寺で米内光政の墓を参拝  (岩手県盛岡市)

令和7年9月15日、盛岡市の円光寺で米内光政の墓を参拝しました。

<円光寺>
米内光政の墓  円光寺.jpg
住所:岩手県盛岡市南大通3丁目11−49
駐車場あり(無料)
境内自由

盛岡市の円光寺で米内光政の墓を参拝しました。

<米内光政について>
米内光政の墓2.jpg

米内光政は海軍軍人で、第37代内閣総理大臣を勤めた人物。
首相退任後も、小磯内閣〜幣原内閣までの間海軍大臣を歴任しました。
鈴木貫太郎内閣の時も海軍大臣で、終戦に向けての動きで鈴木首相を助け
ました。
1948年(昭和23年)死去。
この円光寺にお墓があります。

<米内光政の墓>
米内光政の墓.jpg

令和7年秋旅1 (東北旅)
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著名人の墓
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志波城    (岩手県盛岡市)

令和7年9月15日、盛岡市にある志波城址に行ってきました。

<志波城>
志波城.jpg
住所:岩手県盛岡市上鹿妻五兵エ新田47−11
駐車場あり(無料)

<志波城について>
志波城2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
志波城に行ってきました。
国の史跡に指定されている城。
803年、 阿弖流為を降伏させた坂上田村麻呂が、この地を治める為に造営した
古代城柵跡です。
しかし、水害等の被害を受けた為、この城柵が利用されたのは10年たらずで、
文室綿麻呂によって徳丹城に統治機構が移転されました。
志波城にはガイダンス施設もあり、無料で志波城に関する資料や、映像なども見る
事が出来るのが良かったです。

志波城3.jpg

志波城4.jpg

志波城5.jpg

志波城6.jpg

志波城7.jpg

志波城8.jpg

志波城9.jpg

令和7年秋旅1 (東北旅)
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日本の城を巡る
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2025年08月19日

楢山佐渡の墓を参拝  (岩手県盛岡市)

令和7年7月8日、盛岡市にある楢山佐渡の墓を参拝しました。

<楢山佐渡の墓>
楢山佐渡の墓.jpg
住所:岩手県盛岡市三ツ割2丁目3−5
駐車場あり(無料)

楢山佐渡は本名楢山隆至。
幕末の盛岡藩主席家老です。
奥羽越列藩同盟への参加など、幕末の盛岡藩の藩政を担っていた人物ですが、
それゆえに敗戦後その責任を負って盛岡で切腹とあいなりました。
幕末史好きとしては、佐渡の墓は是非参拝したいと思っておりました。

楢山佐渡の墓2.jpg

墓参拝者用の専用駐車場があります。

令和7年夏旅 奥尻島攻略
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著名人の墓
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2025年08月17日

松井元哉 第113回医師国家試験 不合格発表閲覧之地 石碑 (岩手県一関市)

令和7年5月9日、松井元哉 第113回医師国家試験 不合格発表閲覧之地 石碑
を見てきました。

<松井元哉 第113回医師国家試験 不合格発表閲覧之地 石碑>
_1100733.jpg
住所:岩手県一関市川崎町門崎銚子255
駐車場無し

松井元哉 第113回医師国家試験 不合格発表閲覧之地 石碑を見てきました。
その名の通りです。
松井元哉さんという人が、ここで医師試験の不合格を知った場所。
自分はまったく前知識が無く、googlemapでこの場所を見て、何なのか
まったく分からず訪問しました。

何でも少し前にSNSで話題になっていた場所だそうです。
これを作った動機は後輩を驚かせようという事だった様ですが、結果的に
自分への戒めみたいにもなってるそうです。
調べたら新聞記事にもなってました。
https://www.yomiuri.co.jp/national/20231013-OYT1T50203/

令和7年春旅2
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B級観光スポット・珍スポット
http://rover.seesaa.net/article/106120393.html



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河崎の柵跡   (岩手県一関市)

令和7年5月9日、一関市にある河崎の柵跡に行ってきました。

<河崎の柵跡>
河崎の柵.jpg
住所:岩手県一関市川崎町門崎川崎
駐車場あり(無料)

河崎の柵跡に行ってきました。
2003年の発掘調査で堀の跡などが発掘されています。
前九年の役の古戦場であり、源頼義の軍勢を安倍貞任傘下の金為行ら4000
の兵をこの柵に結集し迎え撃ち、見事頼良の軍勢を撃退しています。

河崎の柵4.jpg

現地には石碑も建っています。
河崎の柵2.jpg
こちらは「川」という字で川崎の柵になってました。

河崎の柵3.jpg

この柵というのは、いわゆる柵ではなく、城というイメージの物です。

令和7年春旅2
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大河ドラマの舞台
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日本の城を巡る
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留守政景の墓を参拝   (岩手県一関市)

令和7年5月9日、一関市にある留守政景の墓を参拝しました。

<留守政景の墓>
留守政景の墓.jpg
住所:岩手県一関市機織山
駐車場無し

<留守政景について>
留守政景の墓2.jpg

留守政景は伊達晴宗の三男で、伊達政宗の叔父にあたる人物で、
留守家の後継として留守氏に養子として入りました。
留守政景の墓3.jpg

伊達政宗の勢力拡大にも貢献し、関ヶ原の戦いでは東北で最上義光の軍を
攻撃していた上杉軍の直江兼続の軍勢と戦いこれを撃退する功をあげました。

江戸時代初期、仙台藩領となった一関を与えられ治めました。
お墓は非常に分かりづらいところにあります。
googlemapを見ると、新幹線の線路の脇あたりを示しています。
ただ、こちらがわには車は入っていけなさそうです。
墓から見て新幹線の線路の反対側の道路から墓に向かう歩道があり、そこ
からお墓に向かいました。
車は、道路のやや広い部分に一時路駐です。

もともとお墓の場所にはお寺があった様ですが、その後留守氏(伊達氏)は
水沢に移った為、お寺も水沢に移された様で、お墓だけが残っています。
(何故お墓は移さないのか、その辺がよく分からんのですが)

<留守政景の墓>
留守政景の墓4.jpg

留守政景の墓5.jpg
塀の向こうは東北新幹線の線路です。すごい場所に墓があるなと思いました。

留守政景の墓6.jpg
政景の墓の前にある小さなお墓。こちらは殉死者のお墓だそうです。

令和7年春旅2
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大河ドラマの舞台
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著名人の墓
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旧国鉄バス 鬼死骸停留所   (岩手県一関市)

令和7年5月9日、旧国鉄バス 鬼死骸停留所に行ってきました。

<旧国鉄バス 鬼死骸停留所>
鬼死骸バス停2.jpg
住所:岩手県一関市真柴祈祷33
駐車場あり(無料)

バス停マニアとして、ここは行きたいと思っていた鬼死骸バス停に
行ってきました。
まあここはかつてバス停であったところで、今はバス停としては機能
していません。
しかし、名前のインパクトもあり観光地として残ってる感じです。
観光用の駐車場も完備されています。

かつてこの地は鬼死骸村という村だったそうです。
名前の由来は坂上田村麻呂がこの地の賊を討伐し、その賊の死骸をこの地に
埋めた事によるものだそうです。

鬼死骸バス停.jpg
かつてと同じようなバス停と待合所が残されています。

鬼死骸バス停3.jpg
熊とともに鬼にも注意しないといけない様です(^^;

令和7年春旅2
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B級観光スポット・珍スポット
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2025年08月14日

鹿島精一記念展望台   (岩手県盛岡市)

令和7年7月8日、盛岡市の鹿島精一記念展望台に行ってきました。

<鹿島精一記念展望台>
岩山展望台202501.jpg
住所:岩手県盛岡市川目第19地割80
駐車場あり(無料)

盛岡市街から岩手山まで一望できる鹿島精一記念展望台に行ってきました。
ここには何度か来てまして、ここが岩山展望台という名称なのかと思って
たんですが、google mapだと鹿島精一記念展望台というのが正式名称になって
ました。
15時過ぎくらいに訪問したんですが、やや逆光もあり写真はぱっとしない
感じになってしまいました。
岩山展望台202503.jpg

岩山展望台202502.jpg

岩山展望台202504.jpg

岩山展望台202505.jpg

こちらは20年ほど前に撮った写真です。
岩山展望台.jpg

岩山展望台2.jpg

岩山展望台3.jpg

岩山展望台4.jpg

令和7年夏旅 奥尻島攻略
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2025年08月10日

大林寺墓地で斉藤実の墓を参拝  (岩手県奥州市)

令和7年7月8日、奥州市にある大林寺墓地で斉藤実首相の墓を参拝しました。

<大林寺墓地>
大林寺墓地.jpg
住所:岩手県奥州市 水沢真城北上野17−2
駐車場あり(無料)

斉藤実首相は海軍軍人で、西園寺・桂両内閣で海軍大臣を務めた後、
五・一五事件で犬養首相が暗殺されるとその後を受けて首相をつとめました。
昭和9年に起きた帝人事件による政府批判により退陣。
後に内大臣になりますが、二・二六事件で青年将校らに暗殺されました。

<斉藤実首相の墓>
大林寺墓地 斉藤実の墓.jpg

同じ大林寺墓地には原田甲斐の妻の墓もありました。

<原田甲斐の妻の墓>
大林寺墓地 原田甲斐の妻.jpg
原田甲斐は『樅ノ木は残った』で知られる伊達騒動の中心人物です。

令和7年夏旅 奥尻島攻略
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著名人の墓
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2024年01月21日

めがね橋    (岩手県遠野市)

令和5年11月3日、遠野市にあるめがね橋を見に行ってきました。

<めがね橋>
めがね橋.jpg
住所:岩手県遠野市宮守町下宮守30−37−1
駐車場あり(道の駅みやもり)

<めがね橋について>
めがね橋2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
遠野市にあるめがね橋を見に行ってきました。
道の駅みやもりの脇にあり、道の駅に車を停めて見学しました。
めがね橋は通称で、宮守川橋梁というのが正式名称です。
昭和18年に完成した橋梁。手前に煉瓦の柱があるんですが、これは大正4年に作られ
た岩手軽便鉄道の鉄橋の一部が残っているものです。

めがね橋って言うと長崎のイメージですが、日本各地にめがね橋って残ってる様で
ここもそのひとつです。

めがね橋3.jpg

めがね橋4.jpg

めがね橋5.jpg

めがね橋6.jpg

平成3年からはライトアップも行われているそうです。
めがね橋9.jpg

令和5年秋旅 北海道天売島・焼尻島を目指す旅
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2024年01月19日

黒岩城址     (岩手県北上市)

令和5年11月3日、北上市にある黒岩城址に行ってきました。

<黒岩城址>
黒岩城.jpg
住所:岩手県北上市黒岩18地割
駐車場無し(停めるスペースはあり)

<黒岩城について>
黒岩城2.jpg

クリックすると拡大します
黒岩城7.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
黒岩城址に行ってきました。
ここは二子城と並んでこの地を治めた和賀氏の城跡です。
かつては館などが立ち並ぶ大規模な城郭だった様です。

今は現地に行くと、小さな神社があるのみです。
駐車場も無く、一応現地解説板の近くに車を停めれそうなスペースがあったので、
そこに車を停めて見学させてもらいました。

黒岩城3.jpg

黒岩城4.jpg

黒岩城5.jpg

黒岩城6.jpg

令和5年秋旅 北海道天売島・焼尻島を目指す旅
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日本の城を巡る
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二子城址    (岩手県北上市)

令和5年11月3日、北上市にある二子城址に行ってきました。

<二子城址>
二子城.jpg
住所:岩手県北上市二子町渋谷
駐車場あり(無料)

<二子城について>
二子城5.jpg

二子城6.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
二子城址に行ってきました。二子城は奥州藤原氏が滅んだ後秀吉の天下統一まで
和賀氏の居城として存在しました。別名「飛勢城」。
二子城7.jpg

北に北上川がを天然の堀とした様な大規模な城郭。

二子城2.jpg

城跡には和賀氏ゆかりの二子八幡神社が鎮座しています。
二子城3.jpg

二子城4.jpg

この城の築城年代等は不明の様ですが、1591年、秀吉の奥州仕置で廃城となった
模様です。

現地は駐車場も綺麗に整備されており、容易に見学出来ます。
訪問時は紅葉も綺麗でした(^^)

二子城9.jpg

二子城8.jpg

二子城9a.jpg

令和5年秋旅 北海道天売島・焼尻島を目指す旅
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日本の城を巡る
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紅葉の名所巡り
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2024年01月14日

イギリス海岸    (岩手県花巻市)

令和5年11月3日、花巻市のイギリス海岸に行ってきました。

<イギリス海岸>
イギリス海岸.jpg
住所:岩手県花巻市上小舟渡
駐車場あり(無料)

イギリス海岸に行ってきました。
イギリス海岸という名前は宮沢賢治が、ここの風景がイギリスのドーバー海峡
の崖に似ているという事から名付けたものです。

その風景は北上川の水が少なくなっている時に現れる光景なんだそうですが、
ここ最近は上流部のダムの関係もあり水量は安定していて、渇水の状況になる
事が少なく、あまり見る事が出来ないそうです。

今回の訪問時も水量は多く、残念ながらイギリス海岸の風景を見ることは出来
ませんでした。

<これが宮沢賢治の言うイギリス海岸>
イギリス海岸2.jpg
こういう状況が賢治の言うイギリス海岸なんですが、水量は豊富で全然普通の
北上川でした。

イギリス海岸3.jpg

イギリス海岸4.jpg
水量が少ないと、この浅瀬の部分とかが出てくるんでしょう。

イギリス海岸5.jpg

イギリス海岸6.jpg

令和5年秋旅 北海道天売島・焼尻島を目指す旅
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葛巻八幡宮    (岩手県葛巻町)

令和5年11月2日、葛巻町にある葛巻八幡宮に行ってきました。

<葛巻八幡宮>
葛巻八幡宮.jpg
住所:岩手県岩手郡葛巻町葛巻第17地割7
駐車場無し(1台位停められるスペースはあり)

<葛巻八幡宮について>
葛巻八幡宮3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
葛巻八幡宮に行ってきました。
ここは戦国時代の南部氏の当主・南部信直ゆかりの神社です。
南部信直が子供の頃、病になり、ここに八幡宮を造営し祈願したところ病が治癒
したというお話です。
その後、南部信直は南部氏の家督を継ぎ、江戸時代の南部藩の基礎を築きました。

また、この八幡宮の場所には葛巻城というお城があった様です。
現地には特に解説や城の遺構と思われる物は見る事は出来ませんでした。

車は神社の入り口のところにスペースがあったので、そこに駐車しました。

P1570806.jpg

葛巻八幡宮6.jpg

葛巻八幡宮2.jpg

葛巻八幡宮5.jpg

葛巻八幡宮4.jpg


令和5年秋旅 北海道天売島・焼尻島を目指す旅
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日本の城を巡る
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2021年12月28日

花巻城址   (岩手県花巻市)

花巻市にある花巻城址に行ってきました。

<花巻城址>
花巻城址.jpg
住所:岩手県花巻市城内
駐車場あり(無料)

<花巻城について>
花巻城址4.jpg

花巻城址5.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
花巻城址に行ってきました。
花巻城は、享禄年間(1528〜1532)稗貫氏によって築城された城です。
稗貫氏は秀吉の小田原攻めに参戦しなかった事を理由に領地を没収されます。

その後、浅野氏が入城。また、後に南部氏の家臣・北氏が入城します。
1600年、関ヶ原の戦いの折には和賀義忠の遺児忠親が一揆を起こしますが、
北信愛は少数の兵ながら花巻城でこれを撃退しています。

花巻城は明治維新まで存在しましたが、廃城令により取り壊し。
現在は門の部分だけが復元されています。

<花巻城址>
花巻城址6.jpg

花巻城址7.jpg

花巻城址3.jpg

花巻城址8.jpg

花巻城址2.jpg

令和3年夏休み旅
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日本の城を巡る
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2021年12月26日

正法寺   (岩手県奥州市)

奥州市にある正法寺に行ってきました。

<正法寺>
正法寺.jpg
住所:岩手県奥州市水沢黒石町正法寺129
駐車場あり(無料)
拝観:500円

<正法寺について>
正法寺3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
奥州市の正法寺に行ってきました。
若干行動予定ルートから外れていたため、行く予定は無かったんですが、前日訪問
した、えさし藤原の郷で正法寺の無料拝観券を頂いた為、行く事にしました。
こういうのって、後日行こうと思っていても忘れちゃうんですよね。

正法寺は奥州で最初の曹洞宗寺院だそうで、東北における曹洞宗の中心的な寺院と
して、今でも曹洞宗の僧の修行の場でもあるそうです。

ここの見所は何よりもその建築物です。とにかく大きい!
1811年建築の法堂は、日本一の茅葺き建築物と言われる大きな建物です。

<法堂>
正法寺4.jpg
国指定の重要文化財です。

<庫裏>
正法寺2.jpg
1799年建築の庫裏。これも国指定重要文化財。
ここから寺の中に入り、法堂の方まで見学出来ます。

正法寺5.jpg

正法寺はさすが奥州の曹洞宗寺院の本山的位置づけの寺だけあって、見応えある
寺院でした。
予約制ですが、3000円で拝観と精進料理のセットプランもあるそうです。

行く予定無かったですが,行って良かったなと。

令和3年夏休み旅
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胆沢城跡  (岩手県奥州市)

胆沢城跡に行ってきました。

<胆沢城>
胆沢城.jpg
住所:岩手県奥州市水沢佐倉河渋田
駐車場あり(無料)

胆沢城は802年、坂上田村麻呂によって築城されたお城です。
常時700名の兵士が常駐。
その後、1083年の後三年の役の頃まで政庁として使用されました。

今は建物等何も残っていません。跡地です。
政庁なので、多賀城とか秋田城とかと同じような感じです。
城域はかなり広いです。

<胆沢城跡>
胆沢城4.jpg

胆沢城5.jpg

<政庁正殿跡>
胆沢城2.jpg

胆沢城7.jpg

令和3年夏休み旅
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日本の城を巡る
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2019年06月09日

黒崎仙峡      (岩手県陸前高田市)

陸前高田市の黒崎仙峡に行ってきました。

<黒崎仙峡>
黒崎仙峡.jpg
住所: 岩手県陸前高田市広田町黒崎9−41
駐車場あり(無料)

岩手県南東部、陸前高田市の広田半島東端にある岬です。
三陸復興国立公園最南部の景勝地で、リアス式海岸特有の絶壁と屈曲による
奇勝を形成しています。

無料駐車場に車を停め、5分ほど遊歩道を歩きます。
黒崎仙峡2.jpg

その先に展望台があり、太平洋の雄大な景色、リアス式海岸の絶壁などを
堪能することが出来ます。
晴れていたので、その景色のすばらしさに感動しました(^-^)

<黒崎仙峡展望台より>
黒崎仙峡3.jpg

黒崎仙峡4.jpg

黒崎仙峡5.jpg

黒崎仙峡6.jpg

<動画>



2019年GWの旅
http://rover.seesaa.net/article/465522397.html

岬・灯台巡り
http://rover.seesaa.net/article/107423997.html

[ここに地図が表示されます]



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2019年06月02日

あまちゃんハウス   (岩手県久慈市)

久慈市にあるあまちゃんハウスに行ってきました。

<あまちゃんハウス>
あまちゃんハウス.jpg
住所:岩手県久慈市中央2丁目9
駐車場無し
入場無料

久慈駅前にある「あまちゃんハウス」に行ってきました。
NHK連続テレビ小説「あまちゃん」の記念施設です。
ロケで使った小道具などが展示されている他、地元のお土産も買う事が
出来ます。入場無料なので、気軽に立ち寄れます。

連ドラ、基本的に見ていないんですが、あまちゃんだけは全部見たので
とても懐かしかったです(^-^)

あまちゃんハウス6.jpg

あまちゃんハウス3.jpg

あまちゃんハウス2.jpg

あまちゃんハウス4.jpg

あまちゃんハウス5.jpg

あまちゃんハウス8.jpg

お土産にまめぶ汁を買ってきました(^o^)
あまちゃんハウス7.jpg

2019年GWの旅
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三王岩      (岩手県宮古市)

宮古市にある三王岩に行ってきました。

<三王岩>
三王岩.jpg
住所:岩手県宮古市田老青砂里
駐車場あり

高さ50メートルの男岩の両側に女岩、太鼓岩という2つの岩が並ぶこの3
つの岩の事を三王岩と言います。
1億年前の海に堆積して出来た砂岩や礫岩から造られたものです。
東日本大震災の津波にも耐えた力強い岩です。

三王岩4.jpg
展望台があるんですが、ここから見るより入口付近から見た方がはっきり
見える様な気がしました(^^;

三王岩2.jpg

三王岩3.jpg

2019年GWの旅
http://rover.seesaa.net/article/465522397.html

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震災遺構・たろう観光ホテル    (岩手県宮古市)

宮古市にある震災遺構・旧たろう観光ホテルを見てきました。

<旧たろう観光ホテル>
たろう観光ホテル2.jpg
住所:岩手県宮古市田老野原80−1
駐車場あり(無料)

<たろう観光ホテルについて>
たろう観光ホテル.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
震災遺構・たろう観光ホテルに行ってきました。

東日本大震災の震災遺構。3階まで完全に破壊され、鉄骨がむき出しの状態で残され
ていました。RCの建物がここまで破壊されるんですから恐いです。

道の駅たろうから近く、ここで休憩してから訪問しました。

<旧たろう観光ホテル>
たろう観光ホテル3.jpg

たろう観光ホテル4.jpg

たろう観光ホテル5.jpg


たろう観光ホテルの駐車場に境界標の様なものがありました。何かと思って説明を
見てみると、東日本大震災で地殻変動があり、ポイントが東南に約2m移動したそう
です。
たろう観光ホテル6.jpg
こういうのを見ると、地震がプレートに関連してるんだなと実感しますね。

2019年GWの旅
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2019年05月29日

女遊部        (岩手県釜石市)

釜石に女遊部という場所があり、存在を確認してきました(^^;

<女遊部>
女遊部.jpg
住所:岩手県釜石市両石町

岩手県釜石市の両石町に「女遊部」という集落があります。
「おんなあそび部??」なんとすごい名前かなと・・。
そんな部活あったらおそるべしです(^^;
「女遊部=おなっぺ」と読むそうです。

難読地名でもありますし、面白い名前の地名ですよね。
びっくりでございます(^^;

2019年GWの旅
http://rover.seesaa.net/article/465522397.html

B級観光スポット・珍スポット
http://rover.seesaa.net/article/106120393.html



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広田崎     (岩手県陸前高田市)

岩手県陸前高田市、広田崎に行ってきました。

<広田崎>
広田崎.jpg
住所:岩手県陸前高田市広田町
駐車場あり(無料)

岩手県の南端部にして、リアス式海岸である三陸海岸の南端部でもある岬です。
陸前高田市の市街地から車で20〜30分程度かかります。
最近知ったんですが、俳優の村上弘明さんは広田町の出身だそうで。ちょっと
びっくりしました(・д・)

現地には大きな駐車場があり、そこから岬に向かって遊歩道があります。
下り坂を数分で広田崎に到着します。
荒々しい海岸が見所。遠くには陸前椿島灯台が見えます。

<広田崎>
広田崎2.jpg

広田崎3.jpg

広田崎4.jpg

広田崎5.jpg

広田崎8.jpg

広田崎7.jpg

広田崎6.jpg
遠くに見えるのが陸前椿島灯台です。ウミネコの繁殖地だそうです。

2019年GWの旅
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岬・灯台巡り
http://rover.seesaa.net/article/107423997.html

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2019年05月22日

震災遺構・旧気仙中学校

震災遺構・旧気仙中学校を見に行ってきました。

<旧気仙中学校>
気仙中学校.jpg
住所:岩手県陸前高田市気仙町小渕
駐車場無し

奇跡の一本松からすぐの場所に旧気仙中学校があります。
震災遺構として震災の時の状況のまま保存されています。
奇跡の一本松は多くの観光客が来ていましたが、気仙中学校の方は
誰もいませんでした。

震災の悲惨さを知るためにも、こちらも見ておくべきと思いました。
3階建ての校舎の屋上部分に津波がここまで来たという案内板がつけて
あります。

気仙中学校2.jpg

気仙中学校3.jpg
ここまで津波が来たら逃げれないですよね・・・。

気仙中学校4.jpg
1階部分は完全に破壊されています。

2019年GWの旅
http://rover.seesaa.net/article/465522397.html

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奇跡の一本松      (岩手県陸前高田市)

陸前高田市にある奇跡の一本松を見に行ってきました。

<奇跡の一本松>
奇跡の一本松2.jpg
住所:岩手県陸前高田市気仙町砂盛176−6
駐車場あり(無料)

<奇跡の一本松について>
奇跡の一本松.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
震災遺構・奇跡の一本松を見に行ってきました。

東日本大震災前、ここには高田松原という松原が広がっていました。
仙台藩と地元豪商らの手によって植えられた防砂林で、約7万本の松の木が松原を
形成していました。観光地としても賑わい、道の駅「高田松原」がありました。

しかし、東日本大震災の津波により松原は壊滅。
そんな中、この1本の松の木だけが残されました。奇跡の一本松と呼ばれる様にな
りましたが、海水によって根が腐り枯れてしまいました。
そんな木を後世に残すため、防腐処理などが施され、現在に至ります。

代表的な震災遺構という事もあり、早朝にもかかわらず多くの観光客が来ていました。
RCの建物すら破壊するような津波によく耐えたと、その力強さを感じることが出来
る一本松です。

<奇跡の一本松>
奇跡の一本松3.jpg

奇跡の一本松4.jpg
一本松のうしろにある建物は陸前高田ユースホステルです。こちらも震災遺構。

やなせたかしヒョロ松君.jpg
やなせたかし氏の「ヒョロ松君」という絵

<震災直後の写真>
奇跡の一本松5.jpg
2011年8月の写真。破壊された車と奥にあるのは道の駅「高田松原」です。
この時の現地は本当に衝撃的でした(・д・)

2019年GWの旅
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2018年11月26日

弁慶の墓     (岩手県平泉町)

平泉町にある弁慶の墓を参拝しました。

<弁慶の墓>
弁慶の墓3.jpg
住所:岩手県西磐井郡平泉町平泉衣関
駐車場無し

<弁慶の墓について>
弁慶の墓4.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
平泉にある武蔵坊弁慶の墓を参拝しました。
弁慶は源義経に仕え、最期は藤原泰衡の軍勢に攻められ主従ともに討ち果たされ
ました。
弁慶は持仏堂の前に立ちはだかり、矢を射られても動くことなく立ったまま
討たれたという事です。

弁慶の墓は中尊寺の入口のところにあります。小さな石の墓と、近年造られたと
思われる碑がありました。

<弁慶の墓>
弁慶の墓2.jpg

弁慶の墓.jpg

平成30年秋旅 奥州平泉へ
http://rover.seesaa.net/article/462029244.html

大河ドラマの舞台
http://rover.seesaa.net/article/112515106.html

著名人の墓
http://rover.seesaa.net/article/26837973.html

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2018年11月21日

毛越寺      (岩手県平泉町)

平泉にある毛越寺に行ってきました。

<毛越寺>
毛越寺2.jpg
住所:岩手県西磐井郡平泉町平泉字大沢58
拝観料:500円
駐車場あり(有料)

<毛越寺について>
毛越寺.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
毛越寺、18年ぶりに訪問してきました。
毛越寺は奥州藤原氏2代基衡の建立した寺院です。奥州藤原氏3代はそれぞれ大きな
お寺を建立しています。初代清衡は中尊寺、3代秀衡は無量光院です。

中尊寺は奇跡的に残っていますが、毛越寺・無量光院はその後の戦火などで焼失し、
あまり遺構は残っていません。

<伽藍>
毛越寺3.jpg
在りし日の毛越寺はこんな感じだった様です。

今は浄土庭園が残り、世界遺産の一角をなしています。

<本堂>
毛越寺4.jpg

<常行堂>
毛越寺常行堂.jpg

<浄土庭園>
毛越寺5.jpg

毛越寺9a.jpg

毛越寺9.jpg

毛越寺8.jpg

毛越寺7.jpg

<平成12年10月11日撮影>
毛越寺9b.jpg

毛越寺9c.jpg

平成30年秋旅 奥州平泉へ
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大河ドラマの舞台
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2017年10月13日

館跡     (岩手県奥州市)

岩手県奥州市にある館跡に行ってきました。

<館跡>
館跡.jpg
住所:岩手県奥州市衣川区石神
駐車場なし

<館跡について>
館跡4.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
奥州市にある館跡(たてあと)に行ってきました。
館跡って何?と思いますが、前九年の役の当事者として知られる奥州
安倍氏の館跡です。安倍頼義・貞任親子らがこの地に屋敷を構えていま
した。

安倍氏は、前九年の役に敗れ滅亡。この館も役目を終えたものと思われ
ます。現在は田んぼの一角に館跡の説明板があるのみという感じでした。

館跡3.jpg

館跡2.jpg

安倍氏の一族は完全に滅んだわけではなく、四国に追放された者なども
いて、その末裔が現在の安倍総理というという話もあります。

平成29年夏旅 青森へ
http://rover.seesaa.net/article/452720301.html

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2017年09月13日

衣河関跡    (岩手県奥州市)

奥州市にある衣河関跡に行ってきました。

<衣河関跡>
衣川関跡.jpg
住所:岩手県奥州市衣川区松下
駐車場無し

<衣河関について>
衣川関跡2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
奥州市にある衣河関跡に行ってきました。
ここ、平泉かと思ったらギリギリ奥州市側になる様です。
古代の関所跡で、安倍頼義によってこの地に移された様です。
現在は東北自動車道の脇の細い道のところに衣河関跡の案内があります。
この道路が旧街道なんですかね。

衣川関跡3.jpg

衣川関跡4.jpg

平成29年夏旅 青森へ
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posted by 南行 at 22:22| Comment(0) | 岩手県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

卯の花清水       (岩手県平泉町)

平泉町にある卯の花清水です。

<卯の花清水>
卯の花清水.jpg
住所:岩手県西磐井郡平泉町平泉柳御所
駐車場なし

<卯の花清水について>
卯の花清水3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
平泉にある卯の花清水跡を訪問しました。
源義経終焉の地である高館。その地に湧くわき水です。
室町時代初期に成立した軍記物語『義経記』に十郎権頭兼房という架空の
人物が登場します。義経に仕える忠臣で、義経の正室の守り役であったと
いう話です。
兼房は、義経の死を見届けると高館に火を放ち、敵将長崎太郎を切り倒し、
その弟次郎を小脇に抱えて炎に飛び込み壮絶な最期を遂げました。

松尾芭蕉とともに奥の細道を旅した曾良は以下の句を残しています。
「卯の花に 兼房みゆる 白毛かな」

その地に湧く霊泉を卯の花清水と名付け、地域の人は大事にしてきたそう
です。
卯の花清水2.jpg
今も水が湧いてますね。と思ったんですが、後で調べたら水は涸れてしまい、
今は水道水で再現しているのだそうです。残念ですね(・o・)

平成29年夏旅 青森へ
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柳之御所跡     (岩手県平泉町)

平泉にある柳之御所跡に行ってきました。

<柳之御所跡>
柳之御所跡23.jpg
住所:岩手県西磐井郡平泉町平泉字加羅楽108-1
駐車場あり(無料・柳之御所跡資料館に駐車)

<柳之御所について>
柳之御所跡4.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
柳之御所跡に行ってきました。
ここは奥州藤原氏初代、藤原清衡が平泉に移ってきて館を構えた場所
で、3代秀衡が政庁として整備しました。
4代泰衡の時、源頼朝に攻められ泰衡は柳之御所に火をつけ焼失しました。

松尾芭蕉の『奥の細道』では、秀衡が跡は田野になりてとありますが、
芭蕉がこの地に訪れた時には跡形もなくなっていたのでしょう。

近年発掘調査が行われ、巨大な空堀を備えた政庁跡が見つかりました。
柳之御所跡.jpg

柳之御所跡2.jpg
これだけ大きな空堀、政庁であるとともに、城としての役割も大きかった
と思われます。

柳之御所跡6.jpg

柳之御所跡5.jpg

<柳之御所資料館>
柳之御所跡7.jpg
柳之御所資料館では、発掘で見つかったものや、奥州藤原氏に関する資料を
見る事が出来ます。無料というのもありがたいです(^-^)

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日本の城を巡る
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大河ドラマの舞台
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2017年09月10日

高館義経堂       (岩手県平泉町)

岩手県平泉町にある高館義経堂に行ってきました。

<高館義経堂>
高館義経堂.jpg
住所:岩手県西磐井郡平泉町柳御所14
駐車場あり(無料)
入場料:200円

<高館義経堂について>
高館義経堂2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
源義経終焉の地、高館義経堂に行ってきました。
源頼朝の圧力に屈した藤原泰衡に襲撃され、義経は非業の最期を迎えます。
その終焉の地が高館です。

後に、仙台藩4代藩主伊達綱村によって、この地に義経を祀る義経堂が
建立され、中に義経の木造が安置されました。
また、1689年には松尾芭蕉がこの地を訪れ、かつて栄華を極めた
奥州藤原氏もその栄華の痕跡も無く、だた山々のみが当時を伝えるのみと
いう感慨を、奥の細道の中で記しています。

<奥の細道・高館>
高館義経堂 奥の細道.jpg
この高館の段は、僕も中学だったか高校だったか忘れましたが、国語の授業で
読んだ記憶があります。すごく良く覚えてます。
「夏草や兵どもが夢の跡」の句は奥の細道の中でも有名な句の一つですね。

「まず高館にのぼれば、北上川南部より流るる大河なり」
高館義経堂 北上川.jpg
松尾芭蕉もこの北上川の風景を見たと思うと感慨深いです。
芭蕉は、更に昔の奥州藤原氏の栄華をこの地の風景を見て思いにふけった
訳で、僕がこの地で芭蕉に思いをはせるのも不思議な感じです。

<高館義経堂>
高館義経堂3.jpg
伊達綱村によって建立された義経堂です。

高館義経堂4.jpg
中には義経像。

高館義経堂 源義経供養塔.jpg
脇には源義経供養塔があります。

高館義経堂5.jpg
こちらは高館にある資料館です。義経や奥州藤原氏に関する資料が展示されて
います。

平成29年夏旅 青森へ
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著名人の墓
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大河ドラマの舞台
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2017年09月02日

無量光院跡    (岩手県平泉町)

平泉町にある無量光院跡に行ってきました。

<無量光院跡>
無量光院跡.jpg
住所:岩手県西磐井郡平泉町平泉字花立地内
駐車場あり(無料)

<無量光院について>
無量光院跡5.jpg

<想像図>
無量光院跡6.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
平泉の無量光院跡に行ってきました。
奥州藤原氏の栄華を象徴する無量光院跡です。
奥州藤原氏初代清衡が中尊寺、2代基衡が毛越寺を建立。そして3代
秀衡がこの無量光院を建立しました。
宇治の平等院を模した建築だった様です。

あいにく無量光院は奥州藤原氏滅亡後火災で焼失し、今は土塁や礎石、
池のみが残る跡地になっています。

確かに現地を見ると何かあったんだろうなと思える場所です。
想像図を見ながら思いをはせました(・o・)

無量光院跡4.jpg

無量光院跡2.jpg

無量光院跡3.jpg

平成29年夏旅 青森へ
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2015年09月01日

江刺 蔵の町     (岩手県奥州市)

岩手県奥州市旧江刺地区にある蔵の町を散策してきました。

<蔵の町>
蔵まちモール.jpg
住所:岩手県奥州市江刺区中町
駐車場あり(無料)

江刺は古くから北上川の水運で栄え、交通の要衝として商業も盛んでした。
今でも多くの土蔵が残り、当時の繁栄を偲ぶことが出来ます。
平成2年から蔵を生かした町作りをスタート。
統一された町並みの形成をすすめています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
明治記念館を訪問したとき、説明員のおじさんが「蔵の町にも行ってみたら」と
駐車場の場所など教えてくれました。
明治記念館から川を渡ってすぐのところに、蔵まちモールという蔵が並ぶ通りが
ありました。石畳で整備され、蔵が並ぶ商店街です。

蔵まちモール4.jpg

蔵まちモール5.jpg

蔵まちモール7.jpg

雨だったせいもあるのかもしれませんが、観光客も地元の人もいません。
静まりかえってました。
まあ写真を撮るのには良いんですが、寂しい感じがしました。

蔵まちモール近隣にも明治時代の蔵が点在しています。

蔵まちモール3.jpg

蔵まちモール2.jpg

蔵まちモール6.jpg
江戸から明治時代にかけて栄えたんだろうなと言うことが見て取れます。

あとは現代に観光客を呼び込んで賑わいを作り出さないといけないですね(^-^)

平成27年夏旅 最北の地へ
http://rover.seesaa.net/article/424226743.html

日本の古い町並み
http://rover.seesaa.net/article/21960937.html

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2015年08月23日

明治記念館     (岩手県奥州市)

岩手県奥州市にある明治記念館に行ってきました。

<明治記念館>
明治記念館.jpg
住所:岩手県奥州市江刺区南町4−8
駐車場あり
入館:無料

<現地解説>
旧岩谷堂共立病院は近代医学を取り入れた西洋式病院として明治8年に創設
されました。下層の1・2階、下層屋根裏の3階、上層の4階を4本の通し
の支柱が支え、さらに頂部に八角形の塔屋を載せた楼閣式建築です。
勾配の急なハシゴ形式の階段や腰障子などの和風の小屋組・室内装備を
備えています。一方で左右半開きの片引き硝子窓は当時の洋式の工夫が
取り入れられています。
伝統的な技法を基礎としながらも、西欧のデザインを取り入れた擬洋風
建築の特徴を備えており、病院建築の発展を知るうえで建築史的、文化史
的にも貴重な建物となっています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
奥州市にある明治記念館に行ってきました。
ここは知らなかったんですが、カーナビに出ていたので立ち寄りました。
入場料は無料。中にはこの建物の歴史などが展示されています。
また、ガイドの方もいるので、詳しく話を聞くことも出来ます。

明治時代に病院として建築された建物です。
木造4階建て、帽子をかぶった様な特徴さる建築は目を惹きます。

明治記念館4.jpg

階段で上階に上がることが出来ます。
結構急な階段を上ります。
明治記念館2.jpg
これが4階かな。上の階は狭いです。

明治記念館3.jpg
3階の壁には文字のようなものが。どういう事が書かれてたんでしょう。

この建物は病院として使われなくなった後、岩谷堂町の役場として昭和36年まで
使用されたという事です。

また、昭和22年7月から3年半にわたってNHKラジオで放送され人気をはくした
という連続放送劇『鐘の鳴る丘』はここをモチーフにしているとの事です。
どんなお話か知らないでの、何とも言えませんが。

平成27年夏旅 最北の地へ
http://rover.seesaa.net/article/424226743.html

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2015年08月19日

五位塚 / 藤原経清の墓    (岩手県奥州市)

岩手県奥州市にある五位塚に行ってきました。

<五位塚>
五位塚.jpg
住所:岩手県奥州市江刺区岩谷堂字五位塚
駐車場あり(無料)

<現地解説>
この墳丘群は、古くから五位塚と呼ばれ、平泉藤原氏初代清衡公の父
藤原経清とその一族郎党の墳墓と伝えられている。
経清は平安貴族藤原氏の一門で、宮城県亘理地方を支配した国府の五位
の官人であったと言われ、亘理大夫とも称された。
また経清は当時奥六郡を支配していた大豪族、俘囚の長と言われた安倍
頼時の娘を妻とし、江刺郡豊田館に移り住んでいた。
平安朝廷が奥州経略のため派遣した陸奥守源頼義、義家父子と安倍氏の
戦いが「前九年の役」であるが、この戦いで経清ははじめ朝廷軍の武将
であった。しかし、途中から妻の父である安倍頼時に味方し、度々朝廷軍
を打ち破る奮戦をしたが、最後は厨川柵で安倍氏とともに討滅された。
この付近には豊田館をはじめ、八幡太郎義家の創建と伝えられる八幡社
や白旗池、また古代清衡道としての「東海道」の跡など多くの史跡が
残されている。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
藤原経清の墓と言われる五位塚に行ってきました。
入り口からちょっとした山道を1〜2分歩くと五位塚という塚がありました。
藤原経清が従五位の官位だったので、五位塚と言われている様です。

五位塚2.jpg

五位塚3.jpg

現地には平成5年に大河ドラマ『炎立つ』の放映を記念して作られた藤原経清の
慰霊顕彰碑がありました。

藤原経清顕彰碑.jpg

大河ドラマ『炎立つ』では、藤原経清を渡辺謙さんが演じ凛々しい武将のイメージ
でした。

平成27年夏旅 最北の地へ
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著名人の墓
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大河ドラマの舞台
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豊田館跡 / 藤原清衡生誕の地    (岩手県奥州市)

岩手県奥州市にある豊田館に行ってきました。

<豊田館跡>
豊田館跡.jpg
住所:岩手県奥州市江刺区岩谷堂下苗代沢
駐車場あり(無料)

<現地解説>
豊田館は亘理権太夫藤原経清その子清衡の館であった。
経清は、ムカデ退治の伝説で知られる田原ノ藤太・藤原秀郷の子孫と言われ、
陸奥の国司に従って奥州に下り、初の宮城県亘理地方を支配して亘理権大夫と
呼ばれたが、後に俘囚の長と言われた大豪族安倍頼時の娘婿となって、江刺
郡に移り住みこの地で清衡が生まれた。
経清は安倍氏征討のための「前九年の役」が始まると、初め朝廷軍の源頼義に
従ったが、中途から妻の父である安倍頼時に味方して、源頼義・・義家父子と
出羽の清原武則の連合軍と戦い、厨川柵で敗死し、経清の妻は清衡を伴って
敵将清原武貞に再嫁した。
後に清原氏の内訌からおこった「後三年の役」で清衡は源義家の援けを得て
勝ち残り、生誕のこの地に戻って奥六郡の主となった。

安永三年(1774年)銘の石碑に、ここが藤原経清、清衡父子の館跡で
あり、付近に舟橋の地名や高清寺跡、白旗の池がある、と刻まれている。

<安永の碑>
豊田館跡4.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
先に紹介した館山史跡公園同様、藤原経清の館跡推定地です。
推定地なので、いろいろありますが、この地には江戸時代に記された石碑があり、
それにはこの地が経清の屋敷跡であると記されています。
まあ江戸時代の碑だって経清の時代から700年も経っているわけで、正しい
かどうかは定かではありません。

昭和54年「豊田館想像図」です。
豊田館跡2.jpg
これもよく分からないスケッチが現地にありました(^^;

ここ、豊田館跡には敷地内に「藤原清衡生誕の地碑」があります。
豊田館跡 藤原清衡生誕の地.jpg

また、敷地の裏の方には藤原清衡産湯の泉と清衡のへその緒を祀った
十二藍婆社があります。
<清衡公産湯の泉>
藤原清衡産湯の泉.jpg

藤原清衡産湯の泉2.jpg
この泉は枯れること無く今も水をたたえています。

<十二藍婆社>
十二藍婆社.jpg
藤原清衡公のへその緒を祀っています。

平成27年夏旅 最北の地へ
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大河ドラマの舞台
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日本の城を巡る
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館山史跡公園 / 藤原経清館跡    (岩手県奥州市)

岩手県奥州市にある館山史跡公園に行ってきました。

<館山史跡公園>
館山史跡公園.jpg
住所:岩手県奥州市江刺区岩谷堂
駐車場あり(無料)

<現地解説>
この地は古来御館山とよばれ、平安時代末期。藤原経清とその子藤原清衡父子の
居住した砦館の跡とも伝えられ、大規模な土塁や城砦の遺構と堀の一部が現存
している。
経清は、ムカデ退治の伝説で知られる田原ノ藤太・藤原秀郷の子孫と言われ、
陸奥の国司に従って奥州に下り、初の宮城県亘理地方を支配して亘理権大夫と
呼ばれたが、後に俘囚の長と言われた大豪族安倍頼時の娘婿となって、江刺
郡に移り住みこの地で清衡が生まれた。
経清は安倍氏征討のための「前九年の役」が始まると、初め朝廷軍の源頼義に
従ったが、中途から妻の父である安倍頼時に味方して、源頼義・・義家父子と
出羽の清原武則の連合軍と戦い、厨川柵で敗死し、経清の妻は清衡を伴って
敵将清原武貞に再嫁した。
後に清原氏の内訌からおこった「後三年の役」で清衡は源義家の援けを得て
勝ち残り、生誕のこの地に戻って奥六郡の主となった。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
奥州市の館山史跡公園に行ってきました。
ここは奥州藤原氏の祖となる藤原清衡の父である藤原経清の館のあった場所だそう
です。

館山史跡公園2.jpg

大河ドラマ『炎立つ』を見ての訪問です。
藤原経清は奥州の安倍氏、中央の源頼義・義家親子との間で時代に翻弄された
あげくに前九年の役に巻き込まれ、安倍氏とともに敗れて敗死する運命をたどり
ます。悲劇の武将のイメージを受けました。

館跡は推定地ですが、ここが館であったという場所です。
後年建てられた二清院という八角のお堂があります。
館山史跡公園 二清院.jpg
経清と清衡を祀っているものと思われます。

またこの館山史跡公園の地は、室町時代には岩谷堂城という城になり、葛西氏の
居城となったという事です。

見頃は過ぎていましたが、アジサイも多かったので、あと1ヶ月早ければ良かった
かなと思いました。
館山史跡公園 あじさい2.jpg

館山史跡公園 あじさい1.jpg

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2015年08月18日

源義経供養塔      (岩手県奥州市)

岩手県奥州市にある源義経供養塔に行ってきました。

<源義経供養塔>
源義経供養塔.jpg
住所:岩手県奥州市江刺区重染寺
駐車場あり

<現地解説>
1189年4月30日、源義経公は衣川館に於いて藤原泰衡の軍勢に襲撃を受けて
自害したといわれる。
家臣の鈴木三郎重家も同所で戦没した。
その後建久年間(1190〜1198)鈴木三郎重家の子、鈴木小太郎重染は、
父の敵を討つため故郷の紀伊国から陸奥国に入りこの地に到った時、敵の顔に
似た人面石を見て覚めるところがあり、亡君源義経公と亡父鈴木三郎重家の追福
のため一寺を建立して、鈴木山重染寺と称したと伝えられる。
この伝承によってここ重染寺跡へ源義経公と鈴木三郎重家父子の供養の塔を建立
するものである。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
奥州市にある源義経供養塔に行ってきました。
ここには義経の供養塔があります。ここはかつて重染寺というお寺があった場所
との事ですが、今は何もありません。

近年と思われますが、重染寺のあった場所に源義経と家臣の鈴木重家の供養塔が
作られた様です。

<源義経供養塔>
源義経供養塔 奥州市.jpg
真ん中が義経供養塔です。

源義経供養塔 奥州市2.jpg

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著名人の墓
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大河ドラマの舞台
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2015年08月16日

巣伏古戦場    (岩手県奥州市)

岩手県奥州市にある巣伏古戦場に行ってきました。

<巣伏古戦場>
巣伏古戦場.jpg
住所:岩手県奥州市水沢区佐倉河字北田地内
駐車場あり(無料)

<現地解説>
胆沢は『続日本紀』776年、陸奥軍3000人を発し、胆沢の賊を伐つ
と初めて登場する。その後802年に胆沢城がつくられる平安時代初期に
かけて古代東北史の歴史舞台となった。
この胆沢の歴史は国家支配の拡大という歴史の流れに飲み込まれていく
蝦夷社会をうつしだす歴史でもあった。
宮城県栗原の蝦夷出身の郡司・伊治公呰麻呂の乱で伊治城と陸奥国府
多賀城が焼き落とされ9年後の延暦8年には紀古佐美の率いる朝廷軍
をアテルイとモレが日上湊にやぶる巣伏の戦いが起こっている。
朝廷軍は丈部善理らの将が討ち死にし、紀古佐美の遠征は失敗に終わっ
ている。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
奥州市にある巣伏古戦場に行ってきました。
ここはアテルイ公園といわれ、かつてアテルイと朝廷軍が戦った古戦場です。
大河ドラマ『炎立つ』の第一話はアテルイのシーンから始まります。
アテルイの頃から続く、朝廷と陸奥の俘囚たちとの関係を描いていくのがこの
大河ドラマでした。

巣伏の戦いはまだ坂上田村麻呂が出てくる前の話で、アテルイが朝廷軍を潰走させ
た戦いです。

現在は公園になっており、まわりは一面の田んぼです。
平成27年8月9日に訪問したところ、この田んぼで田んぼアートが行われて
いました。数年前から開催されているそうです。

アテルイの里.jpg
歌舞伎「連獅子」の図柄

おもっち.jpg
岩手国体マスコット「おもっち」
ちょっと恐い(笑)

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古戦場めぐり
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2014年07月06日

太郎淵     (岩手県遠野市)

岩手県遠野市の太郎淵に行ってきました。

<太郎淵>
太郎淵.jpg
住所:岩手県遠野市松崎町光興寺
駐車場あり

<現地解説>
「川には河童多く住めり。猿ヶ石川ことに多し」と遠野物語に記されるように
この流域には河童の伝説が多くある。光興寺の淵に太郎という河童が住んで
いて、洗濯など水仕事に来る集落の女達をのぞきに来てはいつも悪さをして
困ったと言う。また、この淵の下方にも淵があって、太郎河童に言い寄る
女河童が住んでいたと言われたところである。
今でも太郎淵、女ヶ淵と言い二匹の河童が住むと言われている。

太郎淵2.jpg

太郎淵 かっぱ.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
遠野の太郎淵に行ってきました。
遠野には河童の伝説が数多くあり、その地のひとつがこの太郎淵です。
そのお話は柳田国男が地元の伝承を聞きまとめた『遠野物語』で紹介されて
います。
河童もそうですし、座敷わらしとか日本古来の伝承話もいろいろあって
面白いものですね。座敷わらしの宿は燃えてしまって残念でしたが。

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2014年06月18日

黒森神社    (岩手県宮古市)

岩手県宮古市にある黒森神社に行ってきました。

<黒森神社>
黒森神社1.jpg
住所:岩手県宮古市山口第4地割132
駐車場あり
境内自由

<現地解説>
黒森神社を擁する黒森山(標高310m)はかつては一山が巨木に覆われ、
鬱蒼として昼なお暗い山であったと言われています。黒森山は宮古湾で
漁をしたり、航海する際の「当て山(目当て山)」となった事から、旧
盛岡藩閉伊郡の中でも代表的な神社として信仰を集めました。
黒森神社は「黒森山大権現社」「黒森観音」などと呼ばれ、地元の修験者
が修行する神仏習合の霊山でもありました。
現在の本殿は嘉永三年(1850年)に再興された物で、本殿の造営は
宮古代官所が主体となり、江戸の廻船問屋や宮古・トドが崎の漁業関係者
、管内の村から金品が寄進されたことがわかります。

黒森神社2.jpg

黒森神社3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
宮古市の郊外にある黒森神社に行ってきました。
途中から結構細い道を走り、山道を進みます。標高300mほどの
山の山頂付近に黒森神社があります。

鬱蒼と茂った山の中に小さな社が鎮座します。
この神社には義経の伝説も残っています。平泉を脱出した義経が
ここに三年三ヶ月にわたって滞在し、般若経六百巻を写経し奉納し
たという事です。
「黒森」という名は、源九郎義経のゆかり「九郎森」から転じたも
のという説もあるそうです。

義経は実は死んでいなくて、北に逃げたという伝説はいろんなところ
にありますね。

<薬師水>
黒森神社 薬師水.jpg
黒森で修行する山伏が喉を潤したという湧き水「薬師水」

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日本の名水巡り
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福泉寺     (岩手県遠野市)

岩手県遠野市にある福泉寺に行ってきました。

<福泉寺>
福泉寺.jpg
住所:岩手県遠野市松崎町駒木7-57
駐車場あり(無料)
拝観料:300円

遠野の福泉寺に行ってきました。
結構大きいお寺で、本堂の他、五重塔や多宝塔などあり昔からの由緒のある
お寺かなと思いましたが、実は大正元年に開かれたお寺と言うことで、まだ
そんなに長い歴史をほこるお寺では無い様です。
写真は撮れませんでしたが、木像としては日本最大の観音像を安置している
お寺です。春は桜・秋は紅葉も綺麗との事、今回の旅ではちょうど桜を見る
事が出来ました。

<本堂>
福泉寺2.jpg

<多宝塔>
福泉寺3.jpg

<五重塔>
福泉寺4.jpg

桜の写真は続きをどうぞ

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<桜のある風景>
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2014年06月11日

清心尼公の墓    (岩手県遠野市)

岩手県遠野市にある清心尼公の墓に行ってきました。

<清心尼公の碑>
清心尼の碑.jpg
住所:岩手県遠野市松崎町光興寺2地割
駐車場なし

<現地解説>
遠野南部第21代の領主、清心尼公は八戸南部第20代直政の夫人で、
29才で未亡人となり、剃髪して仏門に入り清心尼と称した。
嗣子がなかったので、封建時代には異例の女の殿様が誕生した。
1627年八戸から遠野への転領にあたっては養子直栄を補佐して
遠野郷の統治につとめ、遠野南部氏250年の基礎を築いた女傑で、
1644年6月4日59才で没した。この墓は菩提寺の大慈寺が廃
されたとき現在の場所に残された。

清心尼の墓.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
遠野にある清心尼公の墓に行ってきました。
清心尼は江戸時代初期の人物で、遠野南部家の礎を築いた人物でもあります。
戦国時代にも女の城主(岩村城主となった、おつやの方)とか、男にも勝る
様な人物として立花宗茂の妻ァ千代とかの話もありますが、封建社会の中の
江戸時代に正式に家督を継いだというのは相当珍しい話と思います。

それは単に緊急避難的な話でもあったでしょうけど、実際に人物的に優れた
人であったからこそというものもあったんでしょうね。
清心尼の墓は遠野市の郊外にポツンと碑と墓が並んでありました。

著名人の墓
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キツネの関所    (岩手県遠野市)

岩手県遠野市にあるキツネの関所に行ってきました。

<キツネの関所>
キツネの関所.jpg
住所:岩手県遠野市土淵町土淵
駐車場なし

国道340号線沿いにあるキツネの関所に立ち寄ってみました。
そもそもキツネの関所って何だろうというところですが、遠野と
言えば民話の里。そんな遠野にはキツネの関所という言い伝えがあり、
ここの前を通ると娘などに化けたキツネに化かされ、お土産などを
奪われるという事です。

<現地に書いてあったお話です>
キツネの関所3.jpg

現地は長閑な風景で、夜になったら当時は何も見えない様なところ
だったんでしょうね。キツネに化かされるわけですね(笑)

キツネの関所2.jpg

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2014年05月21日

阿曽沼氏歴代の碑    (岩手県遠野市)

岩手県遠野市にある阿曽沼氏歴代の碑に行ってきました。

<阿曽沼氏歴代の碑>
阿曽沼氏歴代の碑.jpg
住所:岩手県遠野市松崎町光興寺4地割
駐車場なし

遠野の最初の統治者阿曽沼四郎広郷をはじめ、歴代の霊が祀られて
いる。1189年、源頼朝から平泉征討の恩賞として遠野十二郷を
領した阿曽沼氏はよく領内を治め繁栄した。
関ヶ原の戦いがあった1600年、当主は14代広長であった。
徳川家康の上杉景勝攻めに出陣した留守中に家臣の謀反にあい、
約400年続いた政権は亡びたのである。五輪塔はもと阿曽沼氏
の菩提寺である養安寺にあったもので、製作は室町期と伝えられ
この地方では最古のものである。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
遠野市にある阿曽沼氏歴代の碑を見に行ってきました。
遠野というと、江戸時代は南部藩の支藩で八戸から移ってきた南部
氏が統治したイメージがあります。
それ以前の遠野ってどうだったのかは正直よく知りませんでした。
関ヶ原までは阿曽沼氏という一族が支配したそうです。
その阿曽沼氏の歴代の碑(お墓)が遠野の郊外にありました。

碑は小さな塚の様なところにあり、芝桜や枝垂れ桜が綺麗な場所
でした。枝垂れ桜は樹齢は分かりませんが、100年は超えている
であろう大きな枝垂れ桜。見頃はやや過ぎていましたが、それでも
綺麗で良かったです。

<阿曽沼氏歴代の碑・桜&芝桜 平成26年5月4日撮影>
阿曽沼氏歴代の碑 芝桜.jpg

阿曽沼氏歴代の碑 芝桜2.jpg

阿曽沼氏歴代の碑 枝垂れ桜1.jpg

阿曽沼氏歴代の碑 枝垂れ桜2.jpg

阿曽沼氏歴代の碑 枝垂れ桜3.jpg

<桜のある風景>
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著名人の墓
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2014年05月18日

大槌城趾      (岩手県大槌町)

岩手県大槌町にある大槌城趾に行ってきました。

<大槌城趾>
大槌城跡.jpg
住所:岩手県上閉伊郡大槌町城山
駐車場あり(無料)

<現地解説>
城山として町民から親しまれている「大槌城趾」は、大槌氏累代の居城
跡である。建武年間(1334年〜)の頃、遠野横田城主阿曽沼朝綱が、閉伊郡
の沿岸地方治安のために、自らの二男遠野次郎を当地に派遣する。
遠野次郎は大槌氏を称し、以来最後の城主孫八郎政貞が自刃して果てる1616年
までの280年ほどの間のことである。
1437年頃、時の城主大槌孫三郎は南部十三世守行の大軍と戦う。
諸書に「この城は滄海を前にして、高山を後にして、大槌小槌の二川を左右に
し、城をその中央に占め、これを攻めれども陥らず」とあり、また
「所は屈竟之要害後は峨々たる山に続き、前は満々たる荒磯にて千尋立たぬ
所なれば、守行公も攻めあぐんで和談にこそしたりけり」とある。
大槌氏は存亡の危機を免れた。
その後、大槌氏は南部氏の下で平田から豊間根までを支配し、三千石を
与えられた。
しかし後日南部氏の謀計によって大槌氏は滅亡する。
平場の標高120〜140m、東西400m。
主郭には帯郭を伴う。
平場の面積は2284坪前後となる。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
大槌城跡に行ってきました。
現在は城山公園という公園になっています。公園を歩いてこようと
思ったんですが、何と駐車場が満車。停める場所がなく、やむなく
大槌城跡の碑だけ写真を撮ってきました。
大槌城趾の碑は、町立図書館の前にありました。

確かにこの城、ちょっとした山城で、眼下には海。なかなかの
要害と思われます。
城跡から見下ろすと、そこは東日本大震災の被災地。
ここは海の近くの被災地のところは完全に更地になり、今は何もあり
ません。集団移転でどこかに移るのでしょう。

<大槌城からの風景>
大槌城跡2.jpg

大槌城跡3.jpg
こういう風景を見ると復興の度合いも場所によって様々だなと思います。

日本の城を巡る
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2014年05月16日

トドヶ崎 / 本州最東端    (岩手県宮古市)

本州最東端「トドヶ崎」に行ってきました。

<トドヶ崎>
本州最東端の碑.jpg
住所:岩手県宮古市重茂第9地割大平
駐車場あり(無料)

トドヶ崎は本州最東端の岬になります。
先端には明治35年より点灯するトドヶ崎灯台があります。
本州の最北端「大間崎」、最南端「潮岬」、最西端「毘沙ノ鼻」は到達が
容易なんですけど、最東端「トドヶ崎」は片道1時間歩かないと着かない
という話だったので、なかなかアタック出来ないでいました。
ここ行けば、本州の先端はすべて制覇という事になります。

遊歩道の入り口です。
とどヶ崎2.jpg

とどヶ崎1.jpg
入り口付近には熊に注意する旨の掲示も。まあ歩いている人は多いので、
熊の警戒心なら寄ってこないでしょうけど、注意は必要です。
僕は熊よけの鈴を持参しました。

遊歩道を歩き始めて数分で、小さな掲示を発見。
とどヶ崎3.jpg
なんて書いてあるかというと、東日本大震災でここまで津波が到達した
という掲示です。こんな高いところまで来たんかいとびっくり。

そんな事に驚きながら遊歩道を進みます。
とどヶ崎4.jpg
片道1時間と言われてましたが、自分の足で何分かかるか計ってみました。
アップダウンは少しありますが、そこまで激しくはありません。
ただ山道なので、ちゃんとした靴は必要でしょう。

歩いて歩いて、やっとトドヶ崎に到達です。
80メートルが1分と言われる不動産屋の僕の足で50分かかりました。
やっぱハードですね。
でも着いてしまえば達成感があります。白亜の「トドヶ崎灯台」が迎えて
くれます。

とどヶ崎5.jpg

とどヶ崎6.jpg

<トドヶ崎灯台>
とどヶ崎 灯台.jpg

とどヶ崎 灯台2.jpg

トドヶ崎って言うくらいですから、トドがいるんですかね。
そういう気配は無かったですが(^^;

さて、ここから帰ることになるんですが、また帰り50分かと思うと
疲れモードに。そしたら、灯台の前に怪しげなおじさん。
何と帰り船で帰らないかとの事。GW特別半額で500円だって。
そりゃーもう、50分を500円で買えるなら安い物で、おじさんに
ついて行きます。

とどヶ崎7.jpg
お、確かにモーターボートが。帰りはなんと10分かからず帰還です。


船に乗ったので、海から灯台を見ることが出来ました。

しかし、帰りの船があって、何故行きは無いのか?
本当に不思議です。行きはやってないって話なんですよね。

まあ良いや。帰りは楽をする事ができました。
時間に余裕を持って行くべきですね。
あと、遊歩道の先は灯台まで行っても自販機などはありません。
事前に飲み物は買ってから行きましょう。
また、トイレも遊歩道の先にはありません。

岬・灯台巡り
http://rover.seesaa.net/article/107423997.html

平成26年GWの旅(城めぐり&本州最東端へ!)
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2011年09月13日

報恩寺     (岩手県盛岡市)

岩手県盛岡市の報恩寺に行ってきました。

<報恩寺>
報恩寺 盛岡.jpg
住所:岩手県盛岡市名須川町31-5
拝観:羅漢堂拝観300円
駐車場あり

報恩寺は1394年、南部家13代の英主守行公によって三戸に創建され、
1601年に27代利直公のとき現在地に移転された。
藩政時代は寺領200石を有する南部領内208ヶ寺の総領であった。
現在も寺域7000坪を有する曹洞宗一方の勝刹である。
本尊釈迦文殊普賢の三尊像は元大和中善寺本尊像で、聖徳太子作と伝え、
羅漢堂の中尊毘廬舎那仏は元大和橘寺金堂本尊像で弘法大師作と伝えている。
市指定文化財指定の羅漢堂及び五百羅漢像は1735年の落成開光で、像は
中国天台山像を模して京都で作成されている。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
盛岡の報恩寺に行ってきました。

報恩寺 盛岡2.jpg

盛岡では由緒ある古刹で、南部家ゆかりのお寺です。
見所はなんといっても羅漢堂。

報恩寺 羅漢堂.jpg

拝観料は300円かかりますが、一見の価値があります。
羅漢堂の中には五百羅漢像があります。川越の喜多院にある五百羅漢の
様に様々な表情の五百羅漢がならんでいます。
一体一体の表情を眺めるだけでもかなかかに興味深かったです。

平成23年夏旅
http://rover.seesaa.net/article/220709348.html

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