2024年10月24日

戊辰戦争・長岡山古戦場   (山形県寒河江市)

令和6年8月9日、寒河江市にある長岡山古戦場に行ってきました。

<長岡山古戦場>
長岡山古戦場.jpg

長岡山古戦場2.jpg
住所:山形県寒河江市八幡町4
駐車場無し

<長岡山の戦いについて>
1868年(明治元年)9月20日、鶴岡城攻略のために新政府軍が寒河江に進軍し、
桑名藩及び退却の準備をしていた庄内藩兵と沼川をはさんで十日市場で交戦
しました。
桑名藩は立見鑑三郎の指揮で沼川沿いに陣を敷きましたが、新政府軍の攻撃に
押され、霧の中で唯一見える長岡山に兵を引き上げました。
新政府軍と桑名軍は高所に陣取り、双方が砲弾を交え、多くの戦死者を出し
ました。桑名藩は敗退し、白岩・慈恩寺方面へと退却しました。

新政府軍(薩摩藩・主力、長州藩、佐賀藩、米沢藩)
旧幕府軍(桑名藩、庄内藩)

新政府軍に降伏した米沢藩も入っています。
後に米沢藩は庄内藩に和睦を勧める使者を出しています。

古戦場の碑は寒河江八幡宮の赤い鳥居の前付近に建っています。
駐車場は無いので、路駐してささっと見てきました。

令和6年夏旅1東北旅
http://rover.seesaa.net/article/504324074.html

古戦場めぐり
http://rover.seesaa.net/article/159539121.html



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寒河江八幡宮    (山形県寒河江市)

令和6年8月9日、寒河江市にある寒河江八幡宮に行ってきました。

<寒河江八幡宮>
寒河江八幡宮.jpg
住所:山形県寒河江市八幡町5−70
駐車場あり(無料)
境内自由

<寒河江八幡宮について>
寒河江八幡宮2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
寒河江八幡宮に行ってきました。
八幡宮という事で、源頼義・源義家親子が前九年の役の戦勝を祈願し、勝利した
ので、京都男山八幡宮を勧請し創建したのがこの神社です。
その後、寒河江を領した大江親広が鎌倉の鶴岡八幡宮を分霊し、現在地に社殿を
建築し大江氏(寒河江氏)の産土神としたものです。
そんな歴史の寒河江八幡宮、非常に雰囲気のある神社でした。

寒河江八幡宮3.jpg

寒河江八幡宮6.jpg

寒河江八幡宮4.jpg

寒河江八幡宮5.jpg

令和6年夏旅1東北旅
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2024年10月11日

長岡観音・長念寺     (山形県寒河江市)

令和6年8月9日、寒河江市にある長念寺に行ってきました。

<長岡観音・長念寺>
長念寺.jpg
住所:山形県寒河江市丸内2丁目4−19
駐車場あり(無料)
境内・拝観自由

<長念寺について>
長念寺6.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
長岡観音・長念寺に行ってきました。
まず入り口にこの寺が鎌倉殿の13人にも出てきた大江広元ゆかりの寺である事が
示されています。
長念寺2.jpg

このお寺を建立したのが、大江広元の長男・大江親広だからです。
代々大江氏の祈願所となり、大江氏累代のお墓もあります。
長念寺3.jpg

長念寺4.jpg

寺は無料で拝観も出来、勝手に靴を脱いで堂内を拝観させて頂きました。
鎌倉時代からの歴史を誇る寺だけあり、堂内も威厳のある趣でした。

令和6年夏旅1東北旅
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大河ドラマの舞台
http://rover.seesaa.net/article/112515106.html

著名人の墓
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フラワー長井線・西大塚駅    (山形県川西町)

令和6年8月9日、川西町にある西大塚駅に行ってきました。

<西大塚駅>
西大塚駅.jpg
住所:山形県東置賜郡川西町西大塚
駐車場あり

フラワー長井線・西大塚駅に行ってきました。
先ほど記事にした羽前成田駅と同じくフラワー長井線の駅。
西大塚駅の駅舎は羽前成田駅より古く、1914年(大正3年)の建築で、
国登録有形文化財です。

駅の中に、文化財指定に関する写真資料がありました。
西大塚駅2.jpg

羽前成田駅の方は駅舎の中に囲炉裏があったりして味がありましたが、西大塚
駅はシンプルな造りです。
この西大塚駅は現役で使われている駅舎として、東北最古の物だそうです。

西大塚駅3.jpg
横から見るとより古さを感じます。

西大塚駅6.jpg

西大塚駅7.jpg

西大塚駅5.jpg

西大塚駅4.jpg

西大塚駅8.jpg

令和6年夏旅1東北旅
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フラワー長井線・羽前成田駅     (山形県長井市)

令和6年8月9日、フラワー長井線・羽前成田駅に行ってきました。

<羽前成田駅>
羽前成田駅2.jpg
住所:山形県長井市成田
駐車場あり

フラワー長井線・羽前成田駅に行ってきました。
羽前成田駅は1922年(大正11年)に建築された木造駅舎です。
同じフラワー長井線の西大塚駅とともに、国指定の登録文化財になっている
駅舎です。

フラワー長井線というと、映画『スゥイングガールズ』を思い出します。


スゥイングガールズの風景を思いながら、昔ながらの駅舎も堪能してきました(^-^)

羽前成田駅.jpg

羽前成田駅3.jpg

羽前成田駅4.jpg

羽前成田駅5.jpg

羽前成田駅7.jpg

羽前成田駅6.jpg

令和6年夏旅1東北旅
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楯山公園・日本一公園    (山形県大江町)

令和6年8月9日、大江町にある楯山公園(日本一公園)に行ってきました。

<楯山公園>
日本一公園.jpg
住所:山形県西村山郡大江町左沢
駐車場あり(無料)

楯山公園に行ってきました。
ここは日本一公園と言われてるらしいのですが、道路工事の工事関係者が
ここから見る景色が日本一だと言ったからという様な話らしいです。
著名人が言ったとかいうならなんですが、工事関係者か〜(^^;
まあそれは良いですが。。

無料駐車場があり、そこから数百メートル奥に公園があります。
日本一公園2.jpg

ここは左沢楯山城という城の城跡を公園にしたものです。

<左沢楯山城について>
日本一公園4.jpg

日本一公園3.jpg

日本一公園5.jpg

もともと大江氏の城だった城ですが、最上氏によって攻め落とされたという
歴史がある様です。

公園の端に最上川を見下ろす展望台があります。
確かに、素晴らしい眺望です(^-^)
日本一公園7.jpg
ちょうど最上川が蛇行している場所で、良い景色。日本一かどうかはあれですが、
素晴らしい眺望というのは間違い無いですね。

日本一公園8.jpg

日本一公園9.jpg
しばしその絶景を眺めてきました。

日本一公園9a.jpg

日本一公園6.jpg

令和6年夏旅1東北旅
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日本の城を巡る
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銀山温泉の町並み    (山形県尾花沢市)

令和6年8月8日、尾花沢市の銀山温泉の温泉街を散策してきました。

<銀山温泉>
銀山温泉の町並み3.jpg
住所:山形県尾花沢市銀山新畑
駐車場あり(有料)

銀山温泉の温泉街を散策しました。
一度来たことがあるんですが、だいぶ前なので記憶も曖昧。
温泉に入るわけではなく、町並み散策です。
銀山温泉は戦国時代に野辺沢銀山の鉱夫によって発見されたという温泉で
江戸時代には温泉街として賑わった様です。
その後衰退するも、ドラマ『おしん』の舞台として人気を博し、おしんが中国や
東南アジアでも人気となっている事から、近年はそちら方面からの観光客も多いそう
です。

町並みは大正時代に建築された能登屋本館など木造3階建ての宿が多く、非常に良い
雰囲気です。

<能登屋本館>
銀山温泉の町並み9a.jpg

昔、アメリカ人女将がいて有名だった藤屋も営業中でした。
隈研吾デザインで建て替えたあげく、女将は離婚してアメリカに帰国、その後民事再生
法で事実上倒産という流れだったかと思いますが、今はスポンサーがついたんでしょう
ね、普通に営業してました。

<銀山温泉の町並み>
銀山温泉の町並み.jpg

銀山温泉の町並み2.jpg

銀山温泉の町並み4.jpg

銀山温泉の町並み5.jpg

銀山温泉の町並み6.jpg

銀山温泉の町並み7.jpg

銀山温泉の町並み9.jpg

<白銀の滝>
銀山温泉の町並み8.jpg
銀山温泉の一番奥にある滝です。
暑い日の訪問だったので、マイナスイオンを感じて涼む事が出来ました(^-^)

令和6年夏旅1東北旅
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日本の古い町並み
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日本の滝巡り
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2024年10月08日

空気神社    (山形県朝日町)

令和6年8月9日、空気神社に行ってきました。

<空気神社>
空気神社7.jpg
住所:山形県西村山郡朝日町白倉
駐車場あり(無料)
境内自由

<空気神社について>
空気神社3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
空気神社に行ってきました。
この近くは何度か車で走った事があるんですが、この神社にまったく気づいてま
せんでした。
たまたま標識を発見して、何だこれはという事で訪問しました。

世界に唯一「空気」をご神体とした神社です。
空気が無いと生きていけませんし、綺麗な空気に感謝するとう意味でもありがたい
神社かと思います。

<本殿>
空気神社5.jpg
こちらが本殿になります。
ここの下に地下空間があって、そこにご神体がある様です。

空気神社6.jpg
ステンレス製で、鏡の様になっています。

空気神社4.jpg
参拝の仕方も独特です。
この作法に則って参拝してきました(^-^)

空気神社2.jpg

夜はライトアップも行われているそうです。

令和6年夏旅1東北旅
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2024年10月03日

寒河江市役所    (山形県寒河江市)

令和6年8月9日、寒河江市役所に行ってきました。

<寒河江市役所>
寒河江市役所.jpg
住所:山形県寒河江市中央1丁目9−45
駐車場あり(無料)

寒河江市役所に行ってきました。
何故に市役所にという事ですが、寒河江市役所の建物が国登録の有形文化財に指定
されているので、見てみようという事での訪問です。
建物は1967年(昭和42年)の建築で黒川紀章氏初期の代表作です。
寒河江市役所3.jpg

建物を見て回ります。
寒河江市役所7.jpg

寒河江市役所2.jpg
いや〜すごいですね〜。大胆にオーバーハングして宙に浮いている様に見えるデザイン。
斬新すぎる。
この建物で耐震性大丈夫なんだろうかと心配してしまいます(^^;)
旧耐震基準の時期の建物ですが、耐震補強とかどうなってるのか気になりました。

建物の中に入ってみます。
寒河江市役所4.jpg
市役所の建物が紹介された雑誌などが展示されていました。

<岡本太郎作のオブジェ・生誕>
寒河江市役所5.jpg
吹き抜けになった空間には岡本太郎氏のオブジェがつり下がっています。

<大江家家紋>
寒河江市役所6.jpg
寒河江ゆかりの大江家の家紋が吹き抜けの上に刻まれています。
大江家の家紋は「一文字三ツ星」。大江家を祖とする毛利氏の家紋も同じものです。

建物の外観も、中の様子も素晴らしいです。
しかし、有形文化財に指定されてしまったが故に、もはや壊せないですよね(^^;)

令和6年夏旅1東北旅
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三宝寺    (山形県天童市)

令和6年8月9日、天童市にある三宝寺に行ってきました。

<三宝寺>
三宝寺.jpg
住所:山形県天童市仲町1丁目2−5
駐車場あり(無料)

<三宝寺について>
三宝寺3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
天童藩・織田家菩提寺の三宝寺に行ってきました。
天童藩織田家は、信長の次男信雄の流れ。1800年代に入ってから立藩された
藩です。戊辰戦争では新政府軍と奥羽越列藩同盟の間で身のふりに苦しみ、庄内藩
から攻められ大敗。翌年から奥羽越列藩同盟軍として戦う事となりました。

そんな天童織田家の菩提寺がこの三宝寺。
早朝に訪問しました。
お寺の中に仰徳殿という織田家の廟所があります。

<仰徳殿>
三宝寺4.jpg

<本堂>
三宝寺5.jpg
このお寺には宣教師が描いたという織田信長の肖像画があるそうです。
それを拝観出来るのかどうかは不明です。
早朝につき、廟所等を見て終了にしました。

三宝寺2.jpg

令和6年夏旅1東北旅
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著名人の墓
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2024年08月18日

横山城址   (山形県三川町)

令和6年5月15日、三川町にある横山城址に行ってきました。

<横山城址>
横山城址.jpg
住所:山形県東田川郡三川町横山横山155
駐車場無し

<横山城について>
横山城址2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
横山城址に行ってきました。
横山城は1512年頃に押切備前守によって築城されたと考えられている平城です。
泊まった宿の近くにあった為、朝一で立ち寄りましたが、まず駐車場が無い。
ちょっとした集落の中にあり、道も狭いので車を停める場所に苦慮。
空き地みたいなところにしばし車を停めさせて頂きました。

現地には稲荷神社と城に関する解説がありますが、城の遺構と思われるものは見当
りませんでした。

横山城址3.jpg

令和6年春旅3 飛島観光
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日本の城を巡る
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日和山公園    (山形県酒田市)

令和6年5月14日、酒田市にある日和山公園に行ってきました。

<日和山公園>
日和山公園.jpg
住所:山形県酒田市日吉町1丁目7−32
駐車場あり(無料)

酒田市にある日和山公園に行ってきました。
酒田市外の南西、酒田港を眺める公園です。
日本の都市公園100選、日本の歴史公園100選、日本の夕陽百選にも選ばれて
います。

公園内には1895年に完成した洋式木造六角灯台(旧酒田灯台)があり、シンボル
的なものになっています。

<洋式木造六角灯台(旧酒田灯台)>
日和山公園5酒田灯台.jpg
なかなか木造の灯台というのは珍しいんじゃないでしょうか。

<松尾芭蕉像>
日和山公園3.jpg
松尾芭蕉像です。
松尾芭蕉は山形に40日逗留し、そのうち9日間は酒田に逗留しました。

<東宮殿下の碑>
日和山公園2.jpg
昭和天皇が摂政宮だった大正14年に東北をまわった際詠まれた詩の歌碑。

<NKエージェント跡>
日和山公園8.jpg
昔、映画『おくりびと』のロケが行われたんですよね。
平成24年に来たときには、映画そのままに公開されていました。
http://rover.seesaa.net/article/278589117.html

今はこの建物はレストランみたいになっており、映画当時のものはその脇に
仮設物として設置されたモニュメントとして見る事が出来ます。

<日和山公園からの景色>
日和山公園7.jpg

日和山公園6.jpg

日和山公園4.jpg
この花はつつじの一種かな。きれいに咲いていました。

令和6年春旅3 飛島観光
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銅像めぐり
http://rover.seesaa.net/article/142026310.html

岬・灯台巡り
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2024年08月17日

本間家旧本邸    (山形県酒田市)

令和6年5月14日、酒田市にある本間家旧本邸に行ってきました。

<本間家旧本邸>
旧本間家.jpg
住所:山形県酒田市二番町12−13
駐車場あり(無料)
入場料:900円

<本間家旧本邸について>
旧本間家3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
本間家旧本邸に行ってきました。
江戸時代中期・1768年の建築。一度酒井家に献上した建物を再度本間家が
拝領して本邸として使用した建物です。

旧本間家2.jpg

本邸内は写真撮影不可の為、写真がありませんが、さすが豪商本間家の本邸だけ
あって、素晴らしい建物でした。

幕末の庄内藩は奥羽越列藩同盟にあって、戊辰戦争では新政府軍に対して連勝する
など軍事的に非常に強力な藩でした。
その根源が、本間家の財力をもとにした軍事力の強化でした。
さすが歴史に名を残す豪商の家という感じでした。

<本間家旧本邸・別館>
旧本間家9.jpg

令和6年春旅3 飛島観光
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旧青山本邸   (山形県遊佐町)

令和6年5月14日、遊佐町にある旧青山本邸に行ってきました。

<旧青山本邸>
旧青山本邸.jpg
住所:山形県飽海郡遊佐町比子青塚155
駐車場あり(無料)
入場料:400円

<旧青山本邸について>
旧青山本邸2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
旧青山本邸に行ってきました。
旧青山本邸は、北海道でのニシン漁で財をなした青山留吉が建てた住宅です。
小樽にも同時期に旧青山別邸という建物が建てられています。
建物の中には青山留吉の生涯や当時の青山家についての展示などがありました。

北海道でもニシン御殿を見たことがありますが、本当に贅をつくした家という感じ
です。明治時代の北海道ではニシンが捕れまくったんですね。
とりすぎた影響で、昭和に入った頃には漁獲量は激減してしまった様ですが。。

この旧青山本邸では映画のロケも行われています。
ドラマの方ではなく、映画の『おしん』。そして『サムライマラソン』のロケも
行われています。
旧青山本邸7.jpg
おしんは昔映画館で見たので、家に帰ってから『サムライマラソン』をネット
で見ました(^-^)

旧青山本邸、素晴らしい建物でした。
旧青山本邸8.jpg

旧青山本邸9.jpg

旧青山本邸9a.jpg

旧青山本邸3.jpg

旧青山本邸4.jpg

旧青山本邸6.jpg

旧青山本邸5.jpg

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2024年08月16日

鳥海山大物忌神社 蕨岡口の宮   (山形県遊佐町)

令和6年5月14日、遊佐町にある鳥海山大物忌神社 蕨岡口の宮に行ってきました。

<鳥海山大物忌神社 蕨岡口の宮>
大物忌神社.jpg
住所:山形県飽海郡遊佐町上蕨岡松ケ岡51
駐車場あり(無料)
境内自由

<鳥海山大物忌神社 蕨岡口の宮について>
大物忌神社8.jpg
大物忌神社9.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
鳥海山大物忌神社 蕨岡口の宮に行ってきました。
鳥海山大物忌神社は鳥海山をご神体とする山岳信仰の神社で、鳥海山山頂にある
本社と、麓にある数社の総称になります。
今回訪問したのは麓にある鳥海山大物忌神社 蕨岡口の宮になります。
本社ではありませんが、非常に雰囲気のある神社でした。
本殿は明治29年の建築で国登録有形文化財に指定されています。

<本殿>
大物忌神社6.jpg

この神社を訪問したのは、映画『るろうに剣心 京都大火編/伝説の最期編』で剣心
と沢下条張が決戦を行う京都の神社としてこの神社がロケ地として使われている
ので、寄ってみようと思った次第です。
訪問出来て良かったです。

大物忌神社7.jpg
本殿前のこの場所でバトルシーンが撮影されました。

<随神門>
大物忌神社2.jpg

<社事務所>
大物忌神社3.jpg

<宝筺印塔>
大物忌神社5.jpg

大物忌神社4.jpg

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出羽松山城   (山形県酒田市)

令和6年5月15日、酒田市にある松山城に行ってきました。

<松山城>
松山城3.jpg
住所:山形県酒田市新屋敷36
駐車場あり(無料)

<松山藩・出羽松山城について>
松山城4.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
松山城に行ってきました。
松山城というと、伊予の松山城が一番有名なので、便宜上出羽松山城という表題に
しました。

出羽の松山城は、戦国時代の城ではなく、江戸時代中期、出羽庄内藩の支藩である
松山藩の藩庁として築城されたものです。
幕末まで存在し、現在は大手門のみが残っています。
この大手門はなかなか迫力がある大手門で非常に良かったです(^-^)
松山城2.jpg

松山城.jpg

城内には資料館がありますが、今回は時間が無かった為パスしました。
また余裕があれば立ち寄ってみたいと思います。

松山城6.jpg

松山城5.jpg

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眺海の森 展望台   (山形県酒田市)

令和6年5月15日、酒田市にある眺海の森 展望台に行ってきました。

<眺海の森 展望台>
眺海の森 展望台.jpg
住所:山形県酒田市土渕
駐車場あり(無料)

酒田市にある眺海の森 展望台に行ってきました。
眺海の森は野外スポーツ施設などを備えた大規模な公園で、ひとつの
山が公園になってる様な場所です。

そんな眺海の森の一番うえに展望台があります。
最上川や庄内平野を眺め下ろす事が出来る展望台です。
庄内平野を眺めるのも良いですね(^-^)
眺海の森 展望台2.jpg

眺海の森 展望台3.jpg

眺海の森 展望台4.jpg

眺海の森 展望台6.jpg

令和6年春旅3 飛島観光
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2024年06月30日

十六羅漢岩    (山形県遊佐町)

令和6年5月14日、遊佐町にある十六羅漢岩に行ってきました。

<十六羅漢岩>
十六羅漢岩2.jpg
住所:山形県飽海郡遊佐町吹浦西楯
駐車場あり(無料)

<十六羅漢岩について>
十六羅漢岩.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
十六羅漢岩に行ってきました。
ここは何度か来ているんですが、ブログを振り返ったところ書いていない様だった
ので、今回記事にしました。

この羅漢岩は吹浦海禅寺21代石川寛海和尚が幕末に造ったもので、海岸の岩を削り
羅漢様の姿を表しています。
十六羅漢に加え文殊菩薩像なども彫られ、全部で22体あるそうです。

十六羅漢岩の道路の反対側の坂を登ったところに駐車場(無料)があり、そこから
橋を渡って十六羅漢を見に行くことが出来ます。

12年ぶりに行きましたが、良いですね。
これだけのものが海の自然の岩に彫り込まれているのは、不思議ですし驚きが
あります。
この像は、水産庁指定「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選」にも選ばれて
います。

十六羅漢岩3.jpg

十六羅漢岩4.jpg

十六羅漢岩5.jpg

十六羅漢岩6.jpg

十六羅漢岩7.jpg

<2004年に撮影した十六羅漢岩>
十六羅漢岩2004.jpg

令和6年春旅3 飛島観光
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2024年06月29日

トトロの木・小杉の大杉   (山形県鮭川村)

令和6年5月15日、鮭川村にあるトトロの木を見てきました。

<トトロの木・小杉の大杉>
トトロの木3.jpg
住所:山形県最上郡鮭川村曲川
駐車場あり(無料)

<小杉の大杉について>
トトロの木1.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
トトロの木を見に行ってきました。
平成4年にJRのポスターで使われ、人気になった木だそうです。
自分は正直知りませんでした。
今年、GWの新聞記事で、トトロの木が人気で混雑しているという記事を見て、
こんなのあるんだという事で訪問しました。

現地には7〜8台停められる駐車場がありますが、現地までの道は狭い所もあり、
GWは相当パニックだったのではないかと思われます。
この日は平日の夕方という事もあり、駐車場には1台も車は停まってませんでした。

駐車場のところには、トイレとちょっとした休憩小屋みたいなのが設置されて
いました。
トトロの木4.jpg

ここから歩いて数分でトトロの木があります。
向かってる最中にもトトロの木は見えます。
トトロの木2.jpg

トトロの木5.jpg
ただですね、この木はちゃんと撮影ポイントまで行かないとトトロには見えない
のです。

トトロの木6.jpg
ここが撮影ポイント。

ここから撮影するとこうなります(^-^)
トトロの木.jpg
おお、本当にトトロみたいに見えますね。素晴らしいです。

樹齢1000年超という杉の木です。
「小杉の大杉」ってのが正式名称なんだそうです。
小杉なのか大杉なのか、不思議な名前ですよね(^^;
樹勢もあり、素晴らしい大杉でした(鮭川村指定天然記念物)

令和6年春旅3 飛島観光
http://rover.seesaa.net/article/503367026.html



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2024年06月22日

飛島観光    (山形県酒田市)

令和6年5月15日、酒田市の飛島を観光しました。

<飛島>

住所:山形県酒田市飛島

飛島観光マップ

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
今年は正月に三重の答志島、2月に伊豆諸島の新島、式根島に行きましたので、
今年度離島攻略4島目になります。

飛島は酒田から北西約40キロの位置にある島で、周囲約10キロほどです。
朝、酒田港から定期船とびしまに乗って飛島に向かいます。

<定期船・とびしま>
https://www.city.sakata.lg.jp/sangyo/kotsu/teikisen/

01飛島.jpg
こいつが定期船とびしま。

料金はやや高めです。
01飛島2.jpg

20240515_083509675.jpg

行ったのが5月で、5月はGWと土日は1日2便あるんですが、平日は1便。
よって、今回の観光は10時45分に飛島着。そこから3時間観光して13時45分
の戻り便で帰るという強行軍になります。
まあ周囲10キロという事なので、駆け足で観光すれば大丈夫だろうという読みです。

酒田港の待合所でしばし出港待ち。
02飛島.jpg

03飛島.jpg
しあわせ鳥見んぐ』という山形が舞台の漫画がある様です。そのキャラのイラスト
がありました。

では出港です。
事前に船事務所でこの日の波の具合を確認。
波は穏やかとの事。よって酔い止めは飲みませんでした。
出港1時間ちょいで飛島に到着です。
04飛島.jpg
飛島上陸!!

田舎の漁村という雰囲気。
04飛島2.jpg

民宿がちらほら。また、閉業したと思われる民宿の廃墟等も。
この辺は三重の答志島と重なるものがあります。

事前調査で、飛島には無料自転車の貸し出しがある事を確認していま
した。酒田市が運営しているものです。
平日ですし、大丈夫だろうと思っていました。

定期船を一番におりて、真っ先に貸し出し自転車置き場に行きます。
が、しかし、1台も自転車がありません!
どういう事???
船で自分より先に降りた人はいないし、という事は前日に借りた人が
まだ返して無いという事?
まったく分かりませんが、とにかく自転車は無い。

1周10キロだし、歩くしか無いか。有料自転車のレンタルはあるみ
たいでしたが、歩く事にします。
予定が完全に狂いました。

島を時計と反対回りに歩きます。

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2024年06月05日

玉簾の滝     (山形県酒田市)

令和6年5月14日、酒田市にある玉簾の滝に行ってきました。

<玉簾の滝>
玉簾の滝4.jpg
住所:山形県酒田市升田52−1
駐車場あり(無料)

<玉簾の滝について>
玉簾の滝.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
玉簾の滝に行ってきました。
ここは約1200年前、弘法大師によって発見されたという滝です。
直瀑、落差63mです。
大型駐車場があり、そこから歩いて約10分。
結構観光客いるので大丈夫かなとは思うのですが、熊が出る可能性もありそうな
山道を歩くので、一応念のため熊鈴は持って行きました。

御嶽神社という神社があり、その裏に玉簾の滝がありました。
新緑のもと、美しい滝を見る事が出来ました。

<玉簾の滝>
玉簾の滝3.jpg

玉簾の滝2.jpg

玉簾の滝5.jpg



令和6年春旅3 飛島観光
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日本の滝巡り
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不動滝    (山形県酒田市)

令和6年5月14日、酒田市にある不動滝に行ってきました。

<不動滝>
不動滝2.jpg
住所:山形県酒田市下黒川滝道1
駐車場あり(無料)

御瀧神社という神社の裏にある落差15mの滝です。
別名「開運出世の滝」と言うそうです。
FIRE生活中の私には、出世は関係無いのですが、開運で株価が
上がってくれれば良いなと参拝しました。

滝の方は落差15mとの事ですが、落差以上に迫力のある滝でした。
前日雨が降っていたせいもあるのかな、水量多めで非常に良かった
です。

<不動滝>
不動滝.jpg

不動滝3.jpg



令和6年春旅3 飛島観光
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日本の滝巡り
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2020年09月30日

堀粂之助の墓を参拝    (山形県米沢市)

米沢市の龍泉寺にある堀粂之助の墓を参拝しました。

<龍泉寺>
龍泉寺.jpg
住所:山形県米沢市大町4丁目1番46号
駐車場あり(無料)
境内自由

<堀粂之助の墓>
龍泉寺  堀粂之助の墓.jpg

龍泉寺  堀粂之助の墓2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
会津藩士・堀粂之助の墓を参拝しました。
1868年8月、鶴ヶ城に籠城する会津藩は隣国である米沢藩に援軍を求める使者
を派遣しました。それが堀粂之助です。堀粂之助が米沢に着いたのが9月3日。
しかし米沢藩は8月24日には新政府軍に恭順する旨藩論が統一されており、
会津の援軍要請を断る事になりました。
米沢藩主上杉茂憲の正室は土佐藩主山内豊資の三女であり、土佐からの恭順要請に
より結局恭順したものです。

堀粂之助は主君の命を果たせなかった事に責を感じ、米沢で自刃しました。
墓の前にある碑には辞世の句が刻まれています。
「神かけて 誓ひしことの かなはずば ふたたび家路 思はざりけり」

令和2年夏旅1 北海道大旅行
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著名人の墓
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2020年09月26日

アイディアの泉神社  (山形県米沢市)

米沢にあるアイディアの泉神社に行ってきました。

<アイディアの泉神社>
アイディアの泉神社.jpg
住所:山形県米沢市相生町1
駐車場あり(100円)

米沢にある小島洋酒店の店主が造った神社だとか。
湧き水が湧いている様で、それを飲むと御利益があるみたいです。

アイディアの泉神社3.jpg

アイディアの泉神社2.jpg

境内?には、見る猿、聞く猿、話す猿、考える猿の4像があり、そこの台座に
蛇口がついています。この蛇口から湧き水が出るので、それを飲むと良いみ
たい。一応全部飲んでみました(^-^)

アイディアの泉神社6.jpg

アイディアの泉神社5.jpg

アイディアの泉神社4.jpg

なんだかよく分からないけど、変な神社です(^^;

令和2年夏旅1 北海道大旅行
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B級観光スポット・珍スポット
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高擶城址   (山形県天童市)

天童市にある高擶城址に行ってきました。

<高擶城址>
高擶城.jpg
住所:山形県天童市高擶
駐車場あり

<高擶城について>
高擶城6.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
高擶城址(たかだまじょうし)に行ってきました。
ここは室町時代中期に高擶義直によって築城された城です。
江戸時代初期には最上家臣斎藤伊予守が城主となり、1847年には館林藩の
陣屋が置かれました。
戦争の為の城というより、居城としての城だった様です。

高擶の公民館の前に高擶城址の石碑があります。そこに車を停めて、奥にある
あかつき公園へ。ここが本丸跡だそうです。

<あかつき公園>
高擶城5.jpg

高擶城2.jpg

高擶城3.jpg

高擶城4.jpg

令和2年夏旅1 北海道大旅行
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日本の城を巡る
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2020年09月21日

若木山防空壕  (山形県東根市)

東根市にある若木山防空壕に行ってきました。

<若木山防空壕>
若木山防空壕2.jpg
住所:山形県東根市神町東4丁目4
駐車場無し

<若木山防空壕について>
若木山防空壕3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
東根市にある若木山防空壕に行ってきました。
若木山公園という公園の南側、山の麓にコンクリートで造られた防空壕があります。
かつては16ヶ所あった様ですが、今は4ヶ所。入口が見えるのみです。

若木山防空壕.jpg

防空壕の前に自衛隊宿舎が並んでいるあたりが何か意味深な感じがしました。
若木山防空壕4.jpg

令和2年夏旅1 北海道大旅行
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戦争遺跡・軍事遺跡
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2019年07月17日

出羽丸岡城        (山形県鶴岡市)

鶴岡市にある出羽丸岡城址に行ってきました。

<丸岡城址>
丸岡城.jpg
住所:山形県鶴岡市丸岡町の内96
駐車場あり(無料)

<丸岡城について>
丸岡城2.jpg

丸岡城4.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
出羽丸岡城址に行ってきました。
戦国時代に交通の要衝であった地に築城されたものです。
江戸時代に加藤忠広が改易され、丸岡城で余生を送りました。

丸岡城址は公園として整備されていて、堀や土塁などを見る事が出来ます。
また隣接する天澤寺には加藤清正の墓などもあります。

<丸岡城址>
丸岡城3.jpg

丸岡城5.jpg

丸岡城6.jpg

丸岡城7.jpg

丸岡城8.jpg
城の脇にガイダンス施設があるので、まずここを見てから行くと良いかと思います。

2019年GWの旅
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日本の城を巡る
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加藤清正の墓          (山形県鶴岡市)

山形県鶴岡市にある加藤清正の墓を参拝してきました。

<加藤清正の墓>
加藤清正の墓3.jpg
住所:山形県鶴岡市丸岡町の内36
駐車場あり(無料)

鶴岡市にある天澤寺というお寺の裏に豊臣家の重臣加藤清正の墓が
あります。加藤清正と言えば最後は熊本城主だった訳で、何で山形に
墓があるのかという話になります。

清正亡き後、跡を継いだ加藤忠広は1632年に改易され領地を没収。
庄内藩・酒井忠勝預けとなり、庄内丸岡に一代限り1万石を与えられ
余生を送りました。
庄内に送られる際、清正の遺骨も庄内に移した事から、清正の墓が
この地にあるのです。

長らく清正の墓と言い伝えられてきたものを、昭和24年に発掘調査が
行われ、清正の墓である事が裏付けられたそうです。
意外なところに清正の墓があるのにびっくりです。

<清正の墓>
加藤清正の墓.jpg

加藤清正の墓2.jpg

<清正の遺骨出土の地碑>
加藤清正の墓4.jpg

<加藤忠広家士の墓>
加藤忠広家士の墓.jpg

加藤忠広家士の墓2.jpg

<清正閣>
清正閣.jpg

清正閣2.jpg

2019年GWの旅
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著名人の墓
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大河ドラマの舞台
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2018年11月28日

専称寺・駒姫の墓      (山形県山形市)

山形市にある専称寺に行ってきました。

<専称寺>
専称寺.jpg
住所:山形県山形市緑町3丁目7−67
駐車場無し
境内自由

専称寺2.jpg

<専称寺について>
専称寺2駒姫の墓4.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
山形市の専称寺に行ってきました。
専称寺は最上義光が娘の駒姫の菩提を弔う為、もともと天童にあったお寺を
山形市に移したものです。

駒姫は関白秀次の目にとまり側室として召し出されますが、秀次謀反の疑惑により
秀次一族もろともに三乗河原で斬首されました。
まだ秀次のもとに来て1ヶ月もたっておらず、実質側室になる前だった事もあり、
助命嘆願されたにもかかわらず処刑された為、最上義光は激怒し、後に関ヶ原の
戦いで東軍につくきっかけになったと言われています。
15歳という若さで何の罪もなく殺された駒姫は本当に悲劇の話と思います。

専称寺本堂右裏に駒姫の墓があり参拝しました。

<駒姫の墓>
専称寺2駒姫の墓.jpg
新しいお墓です。最近建立されたものと思われます。

専称寺2駒姫の墓2.jpg
脇に小さな墓石の様な物がありました。こちらが昔からのお墓でしょうか。

<駒姫について>
専称寺2駒姫の墓3.jpg

平成30年秋旅 奥州平泉へ
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大河ドラマの舞台
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著名人の墓
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最上三代の墓       (山形県山形市)

山形市にある最上三代の墓を参拝しました。

<最上三代の墓>
最上家三代の墓.jpg
住所:山形県山形市鉄砲町2丁目5−7
駐車場あり(無料)

<最上三代について>
最上家三代の墓2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
最上三代の墓を参拝しました。
お墓がある光禅寺は1596年に最上義光が自らの菩提寺とする為建立した曹洞宗
のお寺です。
最上家は山形藩主となりますが、義俊の代に最上騒動というお家騒動がおこり、改易
となってしまいます。

ここ光禅寺には、最上義光、家親、義俊の3代の墓が並んであり、参拝させて頂き
ました。

<最上義光の墓>
最上義光の墓.jpg

<最上家親の墓(右)、最上義俊の墓(左)>
最上家親・義俊の墓.jpg

平成30年秋旅 奥州平泉へ
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大河ドラマの舞台
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2016年12月19日

千眼寺 / 色部家墓所    (山形県米沢市)

米沢市にある千眼寺に行ってきました。

<千眼寺>
千眼寺.jpg
住所:山形県米沢市窪田町窪田1861
駐車場あり(無料)
境内自由

<千眼寺について>
千眼寺は1457年に色部長真によって岩船郡平林に建立されたのが始まり
で、上杉氏の米沢移封により色部氏に伴い当地に移されました。
本堂の他に保呂羽堂、仁王堂、観音堂、太子堂などがあります。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
米沢市郊外にある千眼寺に行ってきました。
ここは上杉氏の臣である色部家の菩提寺です。上杉家の米沢移封に
あわせてこの地に移転してきた様です。

大きなお寺ですが、あまり観光的に整備されておらず、お寺の説明や
色部家墓所に関する案内もありませんでした。

<色部家墓所>
色部家墓所.jpg

色部家墓所2.jpg
こちら色部家の墓所です。どれがどなたの墓かさっぱり分かりません(>_<)
上杉謙信のもとで活躍した色部勝長の墓を参拝しようと思って行ったのですが、
どれか分からず。この中のどれかが勝長の墓の様ですが・・・。

<保呂羽堂>
保呂和堂.jpg

保呂和堂2.jpg

平成28年秋旅2 米沢へ出陣!
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著名人の墓
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2016年12月18日

資福寺跡     (山形県高畠町)

山形県高畠町にある資福寺跡に行ってきました。

<資福寺跡>
資福寺跡.jpg
住所:山形県東置賜郡高畠町夏茂990
駐車場なし

<資福寺について・クリックすると拡大します>
資福寺跡3.jpg

資福寺跡2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
資福寺跡に行ってきました。お寺の歴史は古く鎌倉時代に長井氏に
よって創建されたお寺だそうです。
資福寺というと伊達と思っていただけに、ちょっと意外でした。

伊達氏が米沢に入ると資福寺を帰依寺として保護したそうです。
伊達輝宗は資福寺に虎哉宗乙を招き住職とし、嫡子政宗の学問の師と
なりました。
大河ドラマ『独眼竜政宗』で、政宗が子供の時に資福寺を訪れ、この
大河での名言「梵天丸もかくありたい」は史実だそうですが、この寺
での話ではないでしょうか。

資福寺は、伊達家が岩出山、そして仙台へと移っていく事により移転し
今は仙台にあります。
よってここ山形の資福寺は資福寺跡で、建物は残っていません。
現地には伊達輝宗の墓、輝宗に殉じた遠藤基信の墓、
伊達家9代伊達政宗(儀山)の墓、政宗(儀山)室の墓などが残されて
います。
寺だけ行って墓は取り残されるものなんですかね???少し不思議な感じ
です(^^;

<伊達輝宗の墓>
資福寺跡 伊達輝宗の墓.jpg
政宗の父輝宗の墓です。

<遠藤基信の墓>
資福寺跡 遠藤元信の墓.jpg
輝宗の側近として活躍した武将で、輝宗の死後殉死しています。

<伊達政宗(儀山)の墓>
資福寺跡 伊達政宗の墓.jpg
いわゆる独眼竜政宗の墓ではありません。政宗は伊達家9代政宗(儀山)に
ちなんで同じ名前をつけられています。この墓は9代政宗の墓です。

資福寺跡4.jpg
資福寺の本堂があった場所は、今は何もありません。

平成28年秋旅2 米沢へ出陣!
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著名人の墓
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大河ドラマの舞台
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2016年12月14日

近藤勇の墓 / 高国寺    (山形県米沢市)

米沢市にある高国寺で近藤勇の墓を参拝してきました。

<近藤勇の墓>
近藤勇の墓.jpg
住所:山形県米沢市鍛冶町4586
駐車場あり(無料)
境内自由

米沢に近藤勇の墓があるというので訪問しました。
近藤勇の墓2.jpg

何故米沢に近藤勇の墓が?
近藤勇の墓3.jpg
この解説を見ると、近藤勇の従兄弟が首を持ち帰り米沢に埋葬した
との事。本当なんでしょうかね・・・。
近藤勇の墓は、岡崎の法蔵寺、三鷹の龍源寺、会津若松の天寧寺などに
もあります。分骨とかされてるんでしょうね。それだけ、近藤勇を思う
人物は多かったという事でしょうか。

近藤勇の墓、しっかり参拝してきました(・o・)

平成28年秋旅2 米沢へ出陣!
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著名人の墓
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新撰組関連の史跡
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雲井龍雄の墓を参拝      (山形県米沢市)

米沢市にある雲井龍雄の墓を参拝してきました。

<雲井龍雄の墓>
雲井龍雄の墓.jpg
住所:山形県米沢市城南5-1-23
駐車場あり(無料)

雲井龍雄は幕末〜明治初期の志士。米沢藩士です。
奥羽越列藩同盟での行為から禁固の処分を受けますが、その才能を買われ
集議院議員に召し出されましたが、すぐに辞任。
「帰順部曲点検所」という看板をかかげ、脱藩者や旧幕臣の帰順をもとめ
ました。
この集まりが、政府への反乱行為と受け取られ捕縛。充分な詮議もされ
ないまま斬首・晒し首となりました。

僕も雲井龍雄という人物については実は知りませんでした。
昨年、大河ドラマ『獅子の時代』を見ていたんですが、そこで雲井龍雄が
出てきたため知りました。
歴史の教科書には出てこない人物ですが、明治初期に薩長政府に対し物申
した人物がいたんですね。司法もまだ確立していないなかで、薩長政府の
思惑で斬首され、闇に消された感じです。

米沢の墓も「雲井龍雄の墓」という石碑は建ってますが、雲井龍雄がいかな
る人物かという解説などは一切ありません。
地元の人でも知っている人は少ないのが実情なんじゃないですかね。
こういう人物がいた事ももっと知られても良いのではないかと思いました(・o・)

平成28年秋旅2 米沢へ出陣!
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大河ドラマの舞台
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舘山城址        (山形県米沢市)

米沢市にある舘山城址に行ってきました。

<舘山城址>
館山城.jpg
住所:山形県米沢市舘山
駐車場あり

<舘山城について>
館山城11.jpg

館山城12.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
舘山城址に行ってきました。
上の写真にあるように、伊達政宗生誕の地です。
伊達政宗って米沢城の生まれじゃ無かったっけ?ふとそう思いました。
以前、松が岬公園(米沢城址)で政宗生誕の地の碑を見たことがあります。
どういう事なんでしょう??

調べてみると、伊達時代の米沢城はどうもこの舘山城だった様なのです。
伊達というと仙台のイメージが強いかもしれませんが、政宗の祖父伊達
晴宗の時に米沢に居城を移しています。その後、秀吉の奥州仕置で国替え
になるまで米沢は伊達家の本拠となっています。

てっきり松が岬公園のところが伊達時代も米沢城なのかと思ってましたが
違うんですね。
この舘山城こそが、伊達家の米沢城。こここそが伊達政宗生誕の地なんです。
正直びっくりしました。

その舘山城を散策します。
駐車場に車を停め、城に向かいます。

館山城2.jpg
何々、私有地につき立ち入り禁止??かと思ったら立ち入り大歓迎でした(^^;
寛大な地主ですな〜(笑)

随所に井戸の跡など、発掘で見つかった遺構があります。
館山城3.jpg

館山城4.jpg
短刀なども出土している様です。

舘山城は山城です。ここから山登りです。
入り口に水のボトルがありました。
館山城5.jpg
地主の方が用意してるのかな、気遣いが良いですね(^-^)

館山城6.jpg
足下注意の案内。山城攻略は足場が悪いので注意が必要。
それは分かっていたんですが、舘山城攻略中に木の根に足がかかり転倒。
泣くほど痛い(>_<)
左膝を痛めました。この痛み、1ヶ月引きずりました。
骨まではいかなかったのが不幸中の幸いでした。

山頂には虎口、枡形などお城の遺構がいろいろ残っていました(^-^)

館山城7.jpg

館山城8.jpg

館山城10.jpg

館山城9.jpg

舘山城攻略です。独眼竜政宗を見ているところなので、旧米沢城址
訪問できてとても良かったです(^O^)

平成28年秋旅2 米沢へ出陣!
http://rover.seesaa.net/article/443372694.html

日本の城を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21222307.html

大河ドラマの舞台
http://rover.seesaa.net/article/112515106.html

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2016年07月03日

新庄藩主戸沢家墓所    (山形県新庄市)

山形県新庄市にある新庄藩主戸沢家墓所に行ってきました。

<新庄藩主戸沢家墓所>
新庄藩主戸沢家墓所.jpg
住所:山形県新庄市十日町6716
駐車場あり

<戸沢家墓所について>
新庄藩主戸沢家墓所2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
新庄藩主戸沢家墓所に行ってきました。
戸沢家墓所は2ヶ所にあります。他の藩主の墓は市内の瑞雲院にあり
そちらは以前行ったことがありました。
こちらは2代藩主の御霊屋で、桂嶽寺というお寺に墓所があります。
寺の裏手の山の中にありますが、歩いて数分です。
国指定の史跡になっています。
新庄藩主戸沢家墓所3.jpg

新庄藩主戸沢家墓所4.jpg

平成28年GWの旅
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著名人の墓
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2016年06月30日

新田目城址    (山形県酒田市)

山形県酒田市にある新田目城址に行ってきました。

<新田目城址>
新目田城址.jpg
住所:山形県酒田市本楯字新田目89
駐車場あり(無料)

<新田目城について>
新目田城址5.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
酒田市にある新田目城址(あらためじょうし)に行ってきました。
ここは上の解説にもあるように、城輪柵の国司の代わりに職務を代行する
留守居の館跡です。
築城は平安時代、須藤氏によって築城されたものと思われます。
戦国期の城ではないので、どこまで軍事的な城だったか不明ですが、
発掘では堀や土塁も発見されています。
大物忌神社の境内が当時の新田目城の場所であったと思われます。

新目田城址2.jpg

新目田城址3.jpg

新目田城址4.jpg

平成28年GWの旅
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日本の城を巡る
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2016年06月29日

砂越城    (山形県酒田市)

山形県酒田市にある砂越城に行ってきました。

<砂越城>
砂越城址.jpg
住所:山形県酒田市砂越楯之内
駐車場あり(無料)

<砂越城について>
砂越城は1154年、播州の豪族赤松氏の一族石黒氏が築いた物で、東西
約670m、南北約435mの方形の城。
1189年、源頼朝が奥州平泉の藤原泰衡を滅ぼし、砂越氏を出羽の
郡司に任じました。砂越氏はのちにこの砂越城に入り居城としました。
その後、砂越城は戦国時代まで残りますが、砂越氏は武藤氏との戦に敗れ
武藤氏が入城。1617年に砂越城は廃城になります。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
砂越城氏に行ってきました。
酒田市にある平安時代末期〜戦国期の城跡です。
今は城址公園として整備されています。

かつては最上川を自然の堀としたような城だった様です。
砂越城址3.jpg

特に遺構は残っていません。復元された橋などがあります。
また本丸跡には櫓が造られていました。

砂越城址4.jpg

砂越城址2.jpg

砂越城址5.jpg

砂越城址6.jpg

平成28年GWの旅
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2016年06月22日

西山の丘 / 小磯国昭の墓     (山形県新庄市)

山形県新庄市、西山の丘にある小磯国昭の墓を参拝してきました。

<小磯国昭の墓>
小磯国昭の墓.jpg
住所:山形県新庄市上西山
駐車場なし

<小磯国昭について>
小磯国昭について.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
新庄市の郊外、西山の丘にある小磯国昭の墓を参拝してきました。
小磯国昭は東条英機内閣の後を受けて第41代首相になった人物です。
小磯の首相在任は約9ヶ月。その間軍部の統制もさることながら、各
方面からの反発も強く、安定した政権運営をすることはできなかった
様です。まあ東条内閣辞任後の混乱期ですから、やむないかもしれませ
んけどね。

小磯は戦後戦犯として逮捕。東京裁判で終身刑を言い渡され、服役中に
病死しました。

元新庄藩士の子という事で、新庄市の西山の丘に小磯の墓が建てられて
いるものです。
場所は分かりづらいですが、桂嶽寺の前の細い道路を入って100m位先
にあります。

平成28年GWの旅
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2016年06月20日

松尾芭蕉乗船の地   (山形県新庄市)

山形県新庄市、松尾芭蕉乗船の地です。

<松尾芭蕉乗船の地>
松尾芭蕉乗船の地.jpg
住所:山形県新庄市本合海
駐車場なし

<松尾芭蕉乗船の地について>
松尾芭蕉乗船の地5.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
松尾芭蕉乗船の地です。
奥の細道の旅の中で、松尾芭蕉と曾良はここから船に乗り、出羽三山へ
向かいます。
この船旅の最中に有名な「五月雨を あつめて早し 最上川」の句が
詠まれました。

この乗船の地には松尾芭蕉と曾良の像、そして五月雨の句碑が建てられて
います。

松尾芭蕉乗船の地2.jpg

<芭蕉句碑>
松尾芭蕉乗船の地 芭蕉句碑.jpg

<乗船地の風景>
松尾芭蕉乗船の地3.jpg

松尾芭蕉乗船の地4.jpg

平成28年GWの旅
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銅像めぐり
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奥の細道の旅
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2016年06月17日

城輪柵     (山形県酒田市)

山形県酒田市にある城輪柵跡に行ってきました。

<城輪柵>
城輪柵2.jpg
住所:山形県酒田市城輪
駐車場あり(無料)

<城輪柵について>
城輪柵.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
酒田市にある城輪柵(きのわのさく)跡に行ってきました。
城輪柵は奈良時代に大和朝廷によって作られた出羽国国府跡と言われて
いる場所です。柵とは城としての機能も備えた行政庁の様なものです。
宮城県にある多賀城も国府跡であり、城と柵の呼び名の違いこそあれ、
その機能は同じものです。

城輪柵3.jpg

城輪柵は出羽国府として山形・秋田地方を統括したものと思われます。
今は基礎等を残すのみですが、門が復元されて史跡公園として整備されて
います。

<城輪柵跡>
城輪柵4.jpg

城輪柵6.jpg

城輪柵5.jpg

平成28年GWの旅
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日本の城を巡る
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2016年05月29日

清水城趾     (山形県大蔵村)

山形県大蔵村にある清水城趾に行ってきました。

<清水城趾>
清水城跡.jpg
住所:山形県最上郡大蔵村清水
駐車場あり(無料)

<清水城について>
清水城跡2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
清水城趾に行ってきました。
清水城は、最上氏の一族である清水氏の居城で、最上氏の前線の防衛拠点として
その役割を果たしました。

清水城は最上氏の改易と共に廃城となりますが、現在も本丸・二ノ丸・外堀・内堀
土塁跡などが残っており、山形県指定の史跡に指定されています。

<清水城趾>
清水城跡3.jpg

清水城跡4.jpg

清水城跡5.jpg

平成28年GWの旅
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日本の城を巡る
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2016年05月08日

夏山塚公園 / 鳥打湯古戦場  (山形県大蔵村)

山形県大蔵村にある夏山塚公園(鳥打湯古戦場)に行ってきました。

<夏山塚公園>
夏山塚公園.jpg
住所:山形県大蔵村合海
駐車場あり(無料)

<夏山塚について・クリックすると拡大します>
夏山塚公園3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
1565年、武藤氏の軍勢が最上氏傘下の清水城に迫り、清水城主清水義高は
ここ鳥打湯に武藤勢を迎え撃ち、敵を退けることに成功しますが、義高は流れ矢に
あたり討ち死にしてしまいます。

夏山塚は江戸時代、義高の200回忌に鳥打湯の地に義高公を偲び、碑を建てたもの
だそうです。

<夏山塚>
夏山塚公園2.jpg

夏山塚公園は、桜の名所でもあります。八重桜中心ですが、綺麗な花を咲かせて
いました(^-^)

<夏山塚の桜・平成28年5月5日撮影>
夏山塚公園の桜.jpg

桜の写真は続きをどうぞ。

平成28年GWの旅
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桜の名所巡り
http://rover.seesaa.net/article/14535679.html

古戦場めぐり
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2016年05月06日

注連寺の七五三掛桜   (山形県鶴岡市)

山形県鶴岡市にある注連寺・七五三掛桜を見に行ってきました。

<七五三掛桜>
注連寺の七五三掛桜.jpg
住所:山形県鶴岡市大網中台92−1
駐車場あり(無料)

<七五三掛桜について>
注連寺の七五三掛桜5.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
湯殿山の注連寺に行ってきました。お寺としても由緒あるお寺で、かつて
作家森敦がその体験をもとに執筆した『月山』はこの寺が舞台です。
この小説で昭和49年に芥川賞を受賞しています。

今回はお寺に興味があって行ったわけでは無く、桜を見に訪問しました。
樹齢200年超。このお寺にある天然記念物の桜「七五三掛桜(しめかけさくら)」
です。
七五三と書いて「しめ」って読みます。以前七五三さんという苗字の方に会った事
があった為読めましたが、知らなければ分からない読み方です。
何でこの名前がついたのかは不明です。

5月3日に訪問しましたが、やや青葉が目立つ感じでした。
例年GWの頃に見頃を迎えるようですが、今年は少し早かった様です。

<七五三掛桜・平成28年5月3日撮影>
注連寺の七五三掛桜2.jpg

注連寺の七五三掛桜3.jpg

注連寺の七五三掛桜4.jpg

平成28年GWの旅
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桜の名所巡り
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2015年08月04日

伊達政宗の墓      (山形県高畠町)

山形県高畠町にある伊達政宗の墓を参拝してきました。

<伊達政宗の墓>
伊達政宗の墓.jpg
住所:山形県東置賜郡高畠町竹森
駐車場あり

<現地解説>
伊達氏は源頼朝の奥州征伐の戦功によって伊達郡を与えられた朝宗が伊達を称した
のが始まりとされている。
政宗は9代にあたり父宗遠とととに周辺地域への領土拡大を積極的に図ったことで
知られる。
長井氏の所領であった置賜への侵攻もその一つであり、1380年にはすでに置賜
の中央部あたりまで進出し、1385年長井氏の滅亡により置賜全域を掌握した。
政宗の正室は将軍足利義満の生母の妹であり、政宗は義満の義理の叔父ということ
となる。宗遠、政宗親子の置賜侵攻は将軍家との姻戚関係を背景として、将軍義満
と鎌倉公方足利氏満との対立の中、その機を逃さず鎌倉府で要職にあり氏満と関係
の深い長井氏領へ攻め入ったものであろう。以後も政宗は鎌倉府や稲村・篠川御所
と対立し、三度挙兵している。
政治的手腕にたけ、一方では和歌をよくするなど、文武を兼ねた政宗は伊達家
中興の祖と言われ、その名は独眼竜の呼称で知られる17代政宗に受け継がれる。
1402年、置賜統治の拠点であった屋代城に入り1405年9月同城にて没した。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
平成25年8月16日、山形県高畠町にある伊達政宗の墓を参拝してきました。
カーナビを見ていたら「伊達政宗の墓」ってあるじゃないですか。
伊達政宗の墓といえば、仙台の瑞鳳殿だよな〜と思いつつ、日本は分骨とかでいろ
んなところに墓があったりするから、そんなひとつかなと思い訪問しました。

解説を見たら、全然違うじゃないですか(^^;
伊達政宗って「独眼竜政宗」の他にもいたんですね。
というより、この名君伊達政宗にあやかって、独眼竜政宗の方が政宗を名乗った
という事で、元祖は伊達家9代政宗の方だったんですね。
そこまでマニアな話は僕も知りませんでした。

平成25年夏旅
http://rover.seesaa.net/article/372055300.html

著名人の墓
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2014年06月26日

直江石堤     (山形県米沢市)

山形県米沢市にある直江石堤に行ってきました。

<直江石堤>
直江堤公園.jpg
住所:山形県米沢市直江石堤
駐車場あり

<現地解説>
上杉景勝の重臣直江兼続の計画によって築かれた石積みの堤防で、地名をとり
谷地河原堤防とも呼ばれています。
1600年、関ヶ原の戦いで上杉景勝は西軍に荷担した事により、会津120万石
から米沢30万石に領地を削られました。このため米沢は上杉氏の本城となり、大勢
の家臣団が移り住み、直江兼続の指揮で新たな城下町作りが行われました。
この直江石堤は兼続みずから赤崩山に登り米沢城や松川の地形を見渡し、洪水を
防ぐにはどうしてもここに堤防を築かなくてはならないと決心し、大規模な築堤を
計画したものと伝えられています。
現在長さ1.2キロにわたって石堤が残り昭和61年に市の史跡に指定されました。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
平成24年10月28日、山形県米沢市にある直江石堤に行ってきました。
現在は直江堤公園という形で整備されています。
直江兼続が指揮をとって作ったという大規模な堤防で、今でもしっかりと形の残った
堤防です。玉石がずらっと並んだ堤防は、機械がなかった時代に人力で作られた堤防
に当時の苦労を偲ぶことが出来ます。

直江堤1.jpg

直江堤2.jpg

直江堤.jpg

堤防の史跡としては、ここの他に山梨の信玄堤とか、埼玉にある石田堤とかあります。
石田堤は攻城戦での堤防なので、性格はちょっと違いますけどね。

大河ドラマの舞台
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2014年06月22日

堂森善光寺 / 前田慶次供養塔    (山形県米沢市)

山形県米沢市にある堂森善光寺に行ってきました。

<堂森善光寺>
堂森善光寺.jpg
住所:山形県米沢市万世町堂森375
駐車場あり(無料)
境内自由

<現地解説>
真言宗豊山派の寺院で、山号は松心山。807年の開基、1192年に
長田将次の妹益王姫が中興したと伝えるが、数度の火災で古記録が焼失し、
由緒は定かでない。見返り阿弥陀如来は益王姫を救うため振り返った姿
になったという伝説が残る。
また、置賜郡の地頭・長井氏の創建ともいい、伝長井時広夫妻座像(県
指定文化財)を所蔵している。
中世期には、当寺において大般若教の写経事業が行われその一部が山形
立石寺に残っている。その奥書から、1357年頃に出羽国長井荘堂森
今善光寺の僧・本聖仁光が中心となり、各地の僧の協力を得て大事業が
遂行されたことが知られる。
境内の阿弥陀堂は1750年の再建、寺名の由来となる善光寺三尊像と
見返り阿弥陀を安置した。

堂森善光寺2.jpg

また、本堂と阿弥陀堂の奥には前田慶次郎供養塔が建ち、多くの参拝者
が訪れる。
傾奇者として知られる前田慶次は、晩年は堂森で悠々自適の生活を送り、
1612年6月4日に死去したと伝えられる。堂森の里人と親交した慶次
をしのび、昭和55年に建立されたものである。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
平成24年10月28日、山形県米沢市にある堂森善光寺に行ってきました。
お寺の由緒などはあまり知りませんでしたが、前田慶次の供養塔があると
いう事で、それを目当てに訪問しました。
前田慶次は滝川氏の出身とも言われ、前田利家の義理の甥にあたる人物。
傾奇者として知られます。
僕の中では漫画『花の慶次』の印象が強いのですが、あれは相当脚色され
たもの何だろうなとは思います。
慶次は直江兼続の知己を得て、上杉景勝に仕え長谷堂城の戦いでは殿軍と
して弱気になる兼続を鼓舞したそうです。
関ヶ原の戦い後も米沢30万石に減封された上杉家に従い、米沢の堂森で
隠棲したそうです。
そのゆかりもあり、近年堂森善光寺に前田慶次供養塔が建てられたそうです。

<堂森善光寺>
堂森善光寺3.jpg

堂森善光寺4.jpg

堂森善光寺 前田慶次力石.jpg
前田慶次の力石

<前田慶次供養塔>
堂森善光寺 前田慶次供養塔.jpg

著名人の墓
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大河ドラマの舞台
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2014年06月08日

東根城跡     (山形県東根市)

山形県東根市にある東根城趾に行ってきました。

<東根城趾>
東根城.jpg
住所:山形県東根市本丸南1丁目1−1
駐車場あり(無料)

東根城は1347年に小田島荘の地頭、小田島長義によって築城されたという
城で、白水川・日塔川の河岸段丘が南側に舌状に張り出す要害の地に位置して
います。
1395年より里見氏が7代にわたり居城としますが、1622年山形城主
最上義俊の改易により幕府に没収されています。

東根城2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
山形県東根市にある東根城趾に行ってきました。
この城も今はほぼ面影は残っていない完全な城跡です。
現在、本丸跡は東根小学校の敷地になっています。
東根小学校の前に、大ケヤキ(国指定特別天然記念物)があります。
樹齢は500年以上。その昔、雄槻、雌槻と呼ばれた2本の大槻
がありましたは、明治18年に雄槻が枯れてしまい、雌槻が現在
残っています。高さは28mに達する大木です。
このケヤキは戦国の世から東根城の歴史を見てきたのでしょうね。

東根の大ケヤキ.jpg

東根の大ケヤキ2.jpg

日本の城を巡る
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平成26年GWの旅(城めぐり&本州最東端へ!)
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2014年06月04日

天童城    (山形県天童市)

山形県天童市にある天童城に行ってきました。

<天童城>
天童城2.jpg
住所:山形県天童市天童
駐車場あり(無料)

<現地解説>
舞鶴山は城山とも呼ばれ、全山が戦国時代の山城である。
最初にここを本拠としたのは14世紀の南北朝時代に南朝
方であった北畠天童丸といわれている。
その後、1375年に成生荘地頭の里見頼直がこの山城
に移り、天童氏を名乗り10代にわたって村山地域の東部
一帯に勢力をのばし、土豪や地侍を従え、盟主的な地位に
あった。ところが戦国時代に入り1584年に山形の
最上義光に攻められ、これまで天童氏を支えてきた各地の
有力な領主が離反し、壮絶な合戦の末落城し、その後廃城
となっている。
この山城には、主郭である愛宕山頂を中心に防御施設で
ある切岸(人工の崖)によって囲まれた曲輪がいたる
ところに残り、県内では最大の規模の戦国期山城である。

天童城.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
天童城跡に行ってきました。今は天童公園として整備されています。
公園内には愛宕神社や建勲神社、舞鶴山のつつじなどいろいろな見所
があります。
山頂部にある愛宕神社が主郭跡。
中央郭は駐車場他になっていますが、ここでは天童で有名な人間将棋
が行われる場所としても有名です。

chess2014a.jpg

城跡ではありますが、今は城であったことを感じさせる物はほとんど
残っていません。その山の雰囲気に要害であったことがうかがえる程度
です。

【天童城からの風景】
天童城からの風景.jpg

天童城からの風景2.jpg

主郭と中央郭の間に、吉田大八という人物の銅像があります。

吉田大八像.jpg

吉田大八は幕末の天童藩織田家家老。
幕末の天童藩は小藩で、奥羽越列藩同盟と新政府軍の間で翻弄
され、吉田大八はその渦中で藩のために自刃するという悲劇の
人物だという事です。この人物についてはまったく知りませんで
したが、幕末維新の混乱の中で、歴史上の表に出てくる話の他に
いろいろな人間模様や、藩の動きというものがあったという事で
すね。

日本の城を巡る
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平成26年GWの旅(城めぐり&本州最東端へ!)
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2014年05月24日

長崎館跡     (山形県中山町)

山形県中山町にある長崎館跡に行ってきました。

<長崎館跡>
長崎館.jpg
住所:山形県東村山郡中山町長崎
駐車場なし

<現地解説>
寒河江市に下向した大江親弘(源頼朝の重臣大江広元の嫡子)の武将中山忠義
を始祖とする中山継信は最上川南岸沼尻郷の開拓にあたり、1384年長崎に
館を築いた。
三代宗朝の時代(1445年)には外堀をめぐらした輪郭式平城(本丸東西60間、
南北45間、西の丸東西250間、南北150間、三の丸東西300間、南北200
間)を完成し、領地開発と統治に当たったが
、1622年山形最上氏改易とともに廃止された。大銀杏は中山氏居城の本丸内の
館の庭先にあったものと伝えられ、まれに見る大木である。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
山形県中山町にある長崎館跡です。
ここもかつてあった城跡。長崎館も最上氏改易の折に破壊され、今は
面影を残すものは本丸跡にあったと伝えられる大銀杏のみとなっています。

長崎館跡は、案内表示等も無いので、見つけるのが大変でした。
この場所自体も2回通り過ぎて3回目でやっと気がつきました。
大銀杏が目印で、これを気にしてないと分かりません。
マニアな城跡です。

日本の城を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21222307.html

平成26年GWの旅(城めぐり&本州最東端へ!)
http://rover.seesaa.net/article/396337322.html

[ここに地図が表示されます]
posted by 南行 at 21:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 山形県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする