2020年09月30日

堀粂之助の墓を参拝    (山形県米沢市)

米沢市の龍泉寺にある堀粂之助の墓を参拝しました。

<龍泉寺>
龍泉寺.jpg
住所:山形県米沢市大町4丁目1番46号
駐車場あり(無料)
境内自由

<堀粂之助の墓>
龍泉寺  堀粂之助の墓.jpg

龍泉寺  堀粂之助の墓2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
会津藩士・堀粂之助の墓を参拝しました。
1868年8月、鶴ヶ城に籠城する会津藩は隣国である米沢藩に援軍を求める使者
を派遣しました。それが堀粂之助です。堀粂之助が米沢に着いたのが9月3日。
しかし米沢藩は8月24日には新政府軍に恭順する旨藩論が統一されており、
会津の援軍要請を断る事になりました。
米沢藩主上杉茂憲の正室は土佐藩主山内豊資の三女であり、土佐からの恭順要請に
より結局恭順したものです。

堀粂之助は主君の命を果たせなかった事に責を感じ、米沢で自刃しました。
墓の前にある碑には辞世の句が刻まれています。
「神かけて 誓ひしことの かなはずば ふたたび家路 思はざりけり」

令和2年夏旅1 北海道大旅行
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著名人の墓
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2020年09月26日

アイディアの泉神社  (山形県米沢市)

米沢にあるアイディアの泉神社に行ってきました。

<アイディアの泉神社>
アイディアの泉神社.jpg
住所:山形県米沢市相生町1
駐車場あり(100円)

米沢にある小島洋酒店の店主が造った神社だとか。
湧き水が湧いている様で、それを飲むと御利益があるみたいです。

アイディアの泉神社3.jpg

アイディアの泉神社2.jpg

境内?には、見る猿、聞く猿、話す猿、考える猿の4像があり、そこの台座に
蛇口がついています。この蛇口から湧き水が出るので、それを飲むと良いみ
たい。一応全部飲んでみました(^-^)

アイディアの泉神社6.jpg

アイディアの泉神社5.jpg

アイディアの泉神社4.jpg

なんだかよく分からないけど、変な神社です(^^;

令和2年夏旅1 北海道大旅行
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B級観光スポット・珍スポット
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高擶城址   (山形県天童市)

天童市にある高擶城址に行ってきました。

<高擶城址>
高擶城.jpg
住所:山形県天童市高擶
駐車場あり

<高擶城について>
高擶城6.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
高擶城址(たかだまじょうし)に行ってきました。
ここは室町時代中期に高擶義直によって築城された城です。
江戸時代初期には最上家臣斎藤伊予守が城主となり、1847年には館林藩の
陣屋が置かれました。
戦争の為の城というより、居城としての城だった様です。

高擶の公民館の前に高擶城址の石碑があります。そこに車を停めて、奥にある
あかつき公園へ。ここが本丸跡だそうです。

<あかつき公園>
高擶城5.jpg

高擶城2.jpg

高擶城3.jpg

高擶城4.jpg

令和2年夏旅1 北海道大旅行
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日本の城を巡る
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2020年09月21日

若木山防空壕  (山形県東根市)

東根市にある若木山防空壕に行ってきました。

<若木山防空壕>
若木山防空壕2.jpg
住所:山形県東根市神町東4丁目4
駐車場無し

<若木山防空壕について>
若木山防空壕3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
東根市にある若木山防空壕に行ってきました。
若木山公園という公園の南側、山の麓にコンクリートで造られた防空壕があります。
かつては16ヶ所あった様ですが、今は4ヶ所。入口が見えるのみです。

若木山防空壕.jpg

防空壕の前に自衛隊宿舎が並んでいるあたりが何か意味深な感じがしました。
若木山防空壕4.jpg

令和2年夏旅1 北海道大旅行
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戦争遺跡・軍事遺跡
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2019年07月17日

出羽丸岡城        (山形県鶴岡市)

鶴岡市にある出羽丸岡城址に行ってきました。

<丸岡城址>
丸岡城.jpg
住所:山形県鶴岡市丸岡町の内96
駐車場あり(無料)

<丸岡城について>
丸岡城2.jpg

丸岡城4.jpg

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出羽丸岡城址に行ってきました。
戦国時代に交通の要衝であった地に築城されたものです。
江戸時代に加藤忠広が改易され、丸岡城で余生を送りました。

丸岡城址は公園として整備されていて、堀や土塁などを見る事が出来ます。
また隣接する天澤寺には加藤清正の墓などもあります。

<丸岡城址>
丸岡城3.jpg

丸岡城5.jpg

丸岡城6.jpg

丸岡城7.jpg

丸岡城8.jpg
城の脇にガイダンス施設があるので、まずここを見てから行くと良いかと思います。

2019年GWの旅
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日本の城を巡る
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加藤清正の墓          (山形県鶴岡市)

山形県鶴岡市にある加藤清正の墓を参拝してきました。

<加藤清正の墓>
加藤清正の墓3.jpg
住所:山形県鶴岡市丸岡町の内36
駐車場あり(無料)

鶴岡市にある天澤寺というお寺の裏に豊臣家の重臣加藤清正の墓が
あります。加藤清正と言えば最後は熊本城主だった訳で、何で山形に
墓があるのかという話になります。

清正亡き後、跡を継いだ加藤忠広は1632年に改易され領地を没収。
庄内藩・酒井忠勝預けとなり、庄内丸岡に一代限り1万石を与えられ
余生を送りました。
庄内に送られる際、清正の遺骨も庄内に移した事から、清正の墓が
この地にあるのです。

長らく清正の墓と言い伝えられてきたものを、昭和24年に発掘調査が
行われ、清正の墓である事が裏付けられたそうです。
意外なところに清正の墓があるのにびっくりです。

<清正の墓>
加藤清正の墓.jpg

加藤清正の墓2.jpg

<清正の遺骨出土の地碑>
加藤清正の墓4.jpg

<加藤忠広家士の墓>
加藤忠広家士の墓.jpg

加藤忠広家士の墓2.jpg

<清正閣>
清正閣.jpg

清正閣2.jpg

2019年GWの旅
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著名人の墓
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大河ドラマの舞台
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2018年11月28日

専称寺・駒姫の墓      (山形県山形市)

山形市にある専称寺に行ってきました。

<専称寺>
専称寺.jpg
住所:山形県山形市緑町3丁目7−67
駐車場無し
境内自由

専称寺2.jpg

<専称寺について>
専称寺2駒姫の墓4.jpg

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山形市の専称寺に行ってきました。
専称寺は最上義光が娘の駒姫の菩提を弔う為、もともと天童にあったお寺を
山形市に移したものです。

駒姫は関白秀次の目にとまり側室として召し出されますが、秀次謀反の疑惑により
秀次一族もろともに三乗河原で斬首されました。
まだ秀次のもとに来て1ヶ月もたっておらず、実質側室になる前だった事もあり、
助命嘆願されたにもかかわらず処刑された為、最上義光は激怒し、後に関ヶ原の
戦いで東軍につくきっかけになったと言われています。
15歳という若さで何の罪もなく殺された駒姫は本当に悲劇の話と思います。

専称寺本堂右裏に駒姫の墓があり参拝しました。

<駒姫の墓>
専称寺2駒姫の墓.jpg
新しいお墓です。最近建立されたものと思われます。

専称寺2駒姫の墓2.jpg
脇に小さな墓石の様な物がありました。こちらが昔からのお墓でしょうか。

<駒姫について>
専称寺2駒姫の墓3.jpg

平成30年秋旅 奥州平泉へ
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大河ドラマの舞台
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著名人の墓
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最上三代の墓       (山形県山形市)

山形市にある最上三代の墓を参拝しました。

<最上三代の墓>
最上家三代の墓.jpg
住所:山形県山形市鉄砲町2丁目5−7
駐車場あり(無料)

<最上三代について>
最上家三代の墓2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
最上三代の墓を参拝しました。
お墓がある光禅寺は1596年に最上義光が自らの菩提寺とする為建立した曹洞宗
のお寺です。
最上家は山形藩主となりますが、義俊の代に最上騒動というお家騒動がおこり、改易
となってしまいます。

ここ光禅寺には、最上義光、家親、義俊の3代の墓が並んであり、参拝させて頂き
ました。

<最上義光の墓>
最上義光の墓.jpg

<最上家親の墓(右)、最上義俊の墓(左)>
最上家親・義俊の墓.jpg

平成30年秋旅 奥州平泉へ
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大河ドラマの舞台
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2016年12月19日

千眼寺 / 色部家墓所    (山形県米沢市)

米沢市にある千眼寺に行ってきました。

<千眼寺>
千眼寺.jpg
住所:山形県米沢市窪田町窪田1861
駐車場あり(無料)
境内自由

<千眼寺について>
千眼寺は1457年に色部長真によって岩船郡平林に建立されたのが始まり
で、上杉氏の米沢移封により色部氏に伴い当地に移されました。
本堂の他に保呂羽堂、仁王堂、観音堂、太子堂などがあります。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
米沢市郊外にある千眼寺に行ってきました。
ここは上杉氏の臣である色部家の菩提寺です。上杉家の米沢移封に
あわせてこの地に移転してきた様です。

大きなお寺ですが、あまり観光的に整備されておらず、お寺の説明や
色部家墓所に関する案内もありませんでした。

<色部家墓所>
色部家墓所.jpg

色部家墓所2.jpg
こちら色部家の墓所です。どれがどなたの墓かさっぱり分かりません(>_<)
上杉謙信のもとで活躍した色部勝長の墓を参拝しようと思って行ったのですが、
どれか分からず。この中のどれかが勝長の墓の様ですが・・・。

<保呂羽堂>
保呂和堂.jpg

保呂和堂2.jpg

平成28年秋旅2 米沢へ出陣!
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著名人の墓
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2016年12月18日

資福寺跡     (山形県高畠町)

山形県高畠町にある資福寺跡に行ってきました。

<資福寺跡>
資福寺跡.jpg
住所:山形県東置賜郡高畠町夏茂990
駐車場なし

<資福寺について・クリックすると拡大します>
資福寺跡3.jpg

資福寺跡2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
資福寺跡に行ってきました。お寺の歴史は古く鎌倉時代に長井氏に
よって創建されたお寺だそうです。
資福寺というと伊達と思っていただけに、ちょっと意外でした。

伊達氏が米沢に入ると資福寺を帰依寺として保護したそうです。
伊達輝宗は資福寺に虎哉宗乙を招き住職とし、嫡子政宗の学問の師と
なりました。
大河ドラマ『独眼竜政宗』で、政宗が子供の時に資福寺を訪れ、この
大河での名言「梵天丸もかくありたい」は史実だそうですが、この寺
での話ではないでしょうか。

資福寺は、伊達家が岩出山、そして仙台へと移っていく事により移転し
今は仙台にあります。
よってここ山形の資福寺は資福寺跡で、建物は残っていません。
現地には伊達輝宗の墓、輝宗に殉じた遠藤基信の墓、
伊達家9代伊達政宗(儀山)の墓、政宗(儀山)室の墓などが残されて
います。
寺だけ行って墓は取り残されるものなんですかね???少し不思議な感じ
です(^^;

<伊達輝宗の墓>
資福寺跡 伊達輝宗の墓.jpg
政宗の父輝宗の墓です。

<遠藤基信の墓>
資福寺跡 遠藤元信の墓.jpg
輝宗の側近として活躍した武将で、輝宗の死後殉死しています。

<伊達政宗(儀山)の墓>
資福寺跡 伊達政宗の墓.jpg
いわゆる独眼竜政宗の墓ではありません。政宗は伊達家9代政宗(儀山)に
ちなんで同じ名前をつけられています。この墓は9代政宗の墓です。

資福寺跡4.jpg
資福寺の本堂があった場所は、今は何もありません。

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2016年12月14日

近藤勇の墓 / 高国寺    (山形県米沢市)

米沢市にある高国寺で近藤勇の墓を参拝してきました。

<近藤勇の墓>
近藤勇の墓.jpg
住所:山形県米沢市鍛冶町4586
駐車場あり(無料)
境内自由

米沢に近藤勇の墓があるというので訪問しました。
近藤勇の墓2.jpg

何故米沢に近藤勇の墓が?
近藤勇の墓3.jpg
この解説を見ると、近藤勇の従兄弟が首を持ち帰り米沢に埋葬した
との事。本当なんでしょうかね・・・。
近藤勇の墓は、岡崎の法蔵寺、三鷹の龍源寺、会津若松の天寧寺などに
もあります。分骨とかされてるんでしょうね。それだけ、近藤勇を思う
人物は多かったという事でしょうか。

近藤勇の墓、しっかり参拝してきました(・o・)

平成28年秋旅2 米沢へ出陣!
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著名人の墓
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新撰組関連の史跡
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雲井龍雄の墓を参拝      (山形県米沢市)

米沢市にある雲井龍雄の墓を参拝してきました。

<雲井龍雄の墓>
雲井龍雄の墓.jpg
住所:山形県米沢市城南5-1-23
駐車場あり(無料)

雲井龍雄は幕末〜明治初期の志士。米沢藩士です。
奥羽越列藩同盟での行為から禁固の処分を受けますが、その才能を買われ
集議院議員に召し出されましたが、すぐに辞任。
「帰順部曲点検所」という看板をかかげ、脱藩者や旧幕臣の帰順をもとめ
ました。
この集まりが、政府への反乱行為と受け取られ捕縛。充分な詮議もされ
ないまま斬首・晒し首となりました。

僕も雲井龍雄という人物については実は知りませんでした。
昨年、大河ドラマ『獅子の時代』を見ていたんですが、そこで雲井龍雄が
出てきたため知りました。
歴史の教科書には出てこない人物ですが、明治初期に薩長政府に対し物申
した人物がいたんですね。司法もまだ確立していないなかで、薩長政府の
思惑で斬首され、闇に消された感じです。

米沢の墓も「雲井龍雄の墓」という石碑は建ってますが、雲井龍雄がいかな
る人物かという解説などは一切ありません。
地元の人でも知っている人は少ないのが実情なんじゃないですかね。
こういう人物がいた事ももっと知られても良いのではないかと思いました(・o・)

平成28年秋旅2 米沢へ出陣!
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舘山城址        (山形県米沢市)

米沢市にある舘山城址に行ってきました。

<舘山城址>
館山城.jpg
住所:山形県米沢市舘山
駐車場あり

<舘山城について>
館山城11.jpg

館山城12.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
舘山城址に行ってきました。
上の写真にあるように、伊達政宗生誕の地です。
伊達政宗って米沢城の生まれじゃ無かったっけ?ふとそう思いました。
以前、松が岬公園(米沢城址)で政宗生誕の地の碑を見たことがあります。
どういう事なんでしょう??

調べてみると、伊達時代の米沢城はどうもこの舘山城だった様なのです。
伊達というと仙台のイメージが強いかもしれませんが、政宗の祖父伊達
晴宗の時に米沢に居城を移しています。その後、秀吉の奥州仕置で国替え
になるまで米沢は伊達家の本拠となっています。

てっきり松が岬公園のところが伊達時代も米沢城なのかと思ってましたが
違うんですね。
この舘山城こそが、伊達家の米沢城。こここそが伊達政宗生誕の地なんです。
正直びっくりしました。

その舘山城を散策します。
駐車場に車を停め、城に向かいます。

館山城2.jpg
何々、私有地につき立ち入り禁止??かと思ったら立ち入り大歓迎でした(^^;
寛大な地主ですな〜(笑)

随所に井戸の跡など、発掘で見つかった遺構があります。
館山城3.jpg

館山城4.jpg
短刀なども出土している様です。

舘山城は山城です。ここから山登りです。
入り口に水のボトルがありました。
館山城5.jpg
地主の方が用意してるのかな、気遣いが良いですね(^-^)

館山城6.jpg
足下注意の案内。山城攻略は足場が悪いので注意が必要。
それは分かっていたんですが、舘山城攻略中に木の根に足がかかり転倒。
泣くほど痛い(>_<)
左膝を痛めました。この痛み、1ヶ月引きずりました。
骨まではいかなかったのが不幸中の幸いでした。

山頂には虎口、枡形などお城の遺構がいろいろ残っていました(^-^)

館山城7.jpg

館山城8.jpg

館山城10.jpg

館山城9.jpg

舘山城攻略です。独眼竜政宗を見ているところなので、旧米沢城址
訪問できてとても良かったです(^O^)

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2016年07月03日

新庄藩主戸沢家墓所    (山形県新庄市)

山形県新庄市にある新庄藩主戸沢家墓所に行ってきました。

<新庄藩主戸沢家墓所>
新庄藩主戸沢家墓所.jpg
住所:山形県新庄市十日町6716
駐車場あり

<戸沢家墓所について>
新庄藩主戸沢家墓所2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
新庄藩主戸沢家墓所に行ってきました。
戸沢家墓所は2ヶ所にあります。他の藩主の墓は市内の瑞雲院にあり
そちらは以前行ったことがありました。
こちらは2代藩主の御霊屋で、桂嶽寺というお寺に墓所があります。
寺の裏手の山の中にありますが、歩いて数分です。
国指定の史跡になっています。
新庄藩主戸沢家墓所3.jpg

新庄藩主戸沢家墓所4.jpg

平成28年GWの旅
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著名人の墓
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2016年06月30日

新田目城址    (山形県酒田市)

山形県酒田市にある新田目城址に行ってきました。

<新田目城址>
新目田城址.jpg
住所:山形県酒田市本楯字新田目89
駐車場あり(無料)

<新田目城について>
新目田城址5.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
酒田市にある新田目城址(あらためじょうし)に行ってきました。
ここは上の解説にもあるように、城輪柵の国司の代わりに職務を代行する
留守居の館跡です。
築城は平安時代、須藤氏によって築城されたものと思われます。
戦国期の城ではないので、どこまで軍事的な城だったか不明ですが、
発掘では堀や土塁も発見されています。
大物忌神社の境内が当時の新田目城の場所であったと思われます。

新目田城址2.jpg

新目田城址3.jpg

新目田城址4.jpg

平成28年GWの旅
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2016年06月29日

砂越城    (山形県酒田市)

山形県酒田市にある砂越城に行ってきました。

<砂越城>
砂越城址.jpg
住所:山形県酒田市砂越楯之内
駐車場あり(無料)

<砂越城について>
砂越城は1154年、播州の豪族赤松氏の一族石黒氏が築いた物で、東西
約670m、南北約435mの方形の城。
1189年、源頼朝が奥州平泉の藤原泰衡を滅ぼし、砂越氏を出羽の
郡司に任じました。砂越氏はのちにこの砂越城に入り居城としました。
その後、砂越城は戦国時代まで残りますが、砂越氏は武藤氏との戦に敗れ
武藤氏が入城。1617年に砂越城は廃城になります。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
砂越城氏に行ってきました。
酒田市にある平安時代末期〜戦国期の城跡です。
今は城址公園として整備されています。

かつては最上川を自然の堀としたような城だった様です。
砂越城址3.jpg

特に遺構は残っていません。復元された橋などがあります。
また本丸跡には櫓が造られていました。

砂越城址4.jpg

砂越城址2.jpg

砂越城址5.jpg

砂越城址6.jpg

平成28年GWの旅
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日本の城を巡る
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2016年06月22日

西山の丘 / 小磯国昭の墓     (山形県新庄市)

山形県新庄市、西山の丘にある小磯国昭の墓を参拝してきました。

<小磯国昭の墓>
小磯国昭の墓.jpg
住所:山形県新庄市上西山
駐車場なし

<小磯国昭について>
小磯国昭について.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
新庄市の郊外、西山の丘にある小磯国昭の墓を参拝してきました。
小磯国昭は東条英機内閣の後を受けて第41代首相になった人物です。
小磯の首相在任は約9ヶ月。その間軍部の統制もさることながら、各
方面からの反発も強く、安定した政権運営をすることはできなかった
様です。まあ東条内閣辞任後の混乱期ですから、やむないかもしれませ
んけどね。

小磯は戦後戦犯として逮捕。東京裁判で終身刑を言い渡され、服役中に
病死しました。

元新庄藩士の子という事で、新庄市の西山の丘に小磯の墓が建てられて
いるものです。
場所は分かりづらいですが、桂嶽寺の前の細い道路を入って100m位先
にあります。

平成28年GWの旅
http://rover.seesaa.net/article/437560904.html

著名人の墓
http://rover.seesaa.net/article/26837973.html

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2016年06月20日

松尾芭蕉乗船の地   (山形県新庄市)

山形県新庄市、松尾芭蕉乗船の地です。

<松尾芭蕉乗船の地>
松尾芭蕉乗船の地.jpg
住所:山形県新庄市本合海
駐車場なし

<松尾芭蕉乗船の地について>
松尾芭蕉乗船の地5.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
松尾芭蕉乗船の地です。
奥の細道の旅の中で、松尾芭蕉と曾良はここから船に乗り、出羽三山へ
向かいます。
この船旅の最中に有名な「五月雨を あつめて早し 最上川」の句が
詠まれました。

この乗船の地には松尾芭蕉と曾良の像、そして五月雨の句碑が建てられて
います。

松尾芭蕉乗船の地2.jpg

<芭蕉句碑>
松尾芭蕉乗船の地 芭蕉句碑.jpg

<乗船地の風景>
松尾芭蕉乗船の地3.jpg

松尾芭蕉乗船の地4.jpg

平成28年GWの旅
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銅像めぐり
http://rover.seesaa.net/article/142026310.html

奥の細道の旅
http://rover.seesaa.net/article/26835383.html

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2016年06月17日

城輪柵     (山形県酒田市)

山形県酒田市にある城輪柵跡に行ってきました。

<城輪柵>
城輪柵2.jpg
住所:山形県酒田市城輪
駐車場あり(無料)

<城輪柵について>
城輪柵.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
酒田市にある城輪柵(きのわのさく)跡に行ってきました。
城輪柵は奈良時代に大和朝廷によって作られた出羽国国府跡と言われて
いる場所です。柵とは城としての機能も備えた行政庁の様なものです。
宮城県にある多賀城も国府跡であり、城と柵の呼び名の違いこそあれ、
その機能は同じものです。

城輪柵3.jpg

城輪柵は出羽国府として山形・秋田地方を統括したものと思われます。
今は基礎等を残すのみですが、門が復元されて史跡公園として整備されて
います。

<城輪柵跡>
城輪柵4.jpg

城輪柵6.jpg

城輪柵5.jpg

平成28年GWの旅
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日本の城を巡る
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2016年05月29日

清水城趾     (山形県大蔵村)

山形県大蔵村にある清水城趾に行ってきました。

<清水城趾>
清水城跡.jpg
住所:山形県最上郡大蔵村清水
駐車場あり(無料)

<清水城について>
清水城跡2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
清水城趾に行ってきました。
清水城は、最上氏の一族である清水氏の居城で、最上氏の前線の防衛拠点として
その役割を果たしました。

清水城は最上氏の改易と共に廃城となりますが、現在も本丸・二ノ丸・外堀・内堀
土塁跡などが残っており、山形県指定の史跡に指定されています。

<清水城趾>
清水城跡3.jpg

清水城跡4.jpg

清水城跡5.jpg

平成28年GWの旅
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日本の城を巡る
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2016年05月08日

夏山塚公園 / 鳥打湯古戦場  (山形県大蔵村)

山形県大蔵村にある夏山塚公園(鳥打湯古戦場)に行ってきました。

<夏山塚公園>
夏山塚公園.jpg
住所:山形県大蔵村合海
駐車場あり(無料)

<夏山塚について・クリックすると拡大します>
夏山塚公園3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
1565年、武藤氏の軍勢が最上氏傘下の清水城に迫り、清水城主清水義高は
ここ鳥打湯に武藤勢を迎え撃ち、敵を退けることに成功しますが、義高は流れ矢に
あたり討ち死にしてしまいます。

夏山塚は江戸時代、義高の200回忌に鳥打湯の地に義高公を偲び、碑を建てたもの
だそうです。

<夏山塚>
夏山塚公園2.jpg

夏山塚公園は、桜の名所でもあります。八重桜中心ですが、綺麗な花を咲かせて
いました(^-^)

<夏山塚の桜・平成28年5月5日撮影>
夏山塚公園の桜.jpg

桜の写真は続きをどうぞ。

平成28年GWの旅
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桜の名所巡り
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古戦場めぐり
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2016年05月06日

注連寺の七五三掛桜   (山形県鶴岡市)

山形県鶴岡市にある注連寺・七五三掛桜を見に行ってきました。

<七五三掛桜>
注連寺の七五三掛桜.jpg
住所:山形県鶴岡市大網中台92−1
駐車場あり(無料)

<七五三掛桜について>
注連寺の七五三掛桜5.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
湯殿山の注連寺に行ってきました。お寺としても由緒あるお寺で、かつて
作家森敦がその体験をもとに執筆した『月山』はこの寺が舞台です。
この小説で昭和49年に芥川賞を受賞しています。

今回はお寺に興味があって行ったわけでは無く、桜を見に訪問しました。
樹齢200年超。このお寺にある天然記念物の桜「七五三掛桜(しめかけさくら)」
です。
七五三と書いて「しめ」って読みます。以前七五三さんという苗字の方に会った事
があった為読めましたが、知らなければ分からない読み方です。
何でこの名前がついたのかは不明です。

5月3日に訪問しましたが、やや青葉が目立つ感じでした。
例年GWの頃に見頃を迎えるようですが、今年は少し早かった様です。

<七五三掛桜・平成28年5月3日撮影>
注連寺の七五三掛桜2.jpg

注連寺の七五三掛桜3.jpg

注連寺の七五三掛桜4.jpg

平成28年GWの旅
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桜の名所巡り
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2015年08月04日

伊達政宗の墓      (山形県高畠町)

山形県高畠町にある伊達政宗の墓を参拝してきました。

<伊達政宗の墓>
伊達政宗の墓.jpg
住所:山形県東置賜郡高畠町竹森
駐車場あり

<現地解説>
伊達氏は源頼朝の奥州征伐の戦功によって伊達郡を与えられた朝宗が伊達を称した
のが始まりとされている。
政宗は9代にあたり父宗遠とととに周辺地域への領土拡大を積極的に図ったことで
知られる。
長井氏の所領であった置賜への侵攻もその一つであり、1380年にはすでに置賜
の中央部あたりまで進出し、1385年長井氏の滅亡により置賜全域を掌握した。
政宗の正室は将軍足利義満の生母の妹であり、政宗は義満の義理の叔父ということ
となる。宗遠、政宗親子の置賜侵攻は将軍家との姻戚関係を背景として、将軍義満
と鎌倉公方足利氏満との対立の中、その機を逃さず鎌倉府で要職にあり氏満と関係
の深い長井氏領へ攻め入ったものであろう。以後も政宗は鎌倉府や稲村・篠川御所
と対立し、三度挙兵している。
政治的手腕にたけ、一方では和歌をよくするなど、文武を兼ねた政宗は伊達家
中興の祖と言われ、その名は独眼竜の呼称で知られる17代政宗に受け継がれる。
1402年、置賜統治の拠点であった屋代城に入り1405年9月同城にて没した。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
平成25年8月16日、山形県高畠町にある伊達政宗の墓を参拝してきました。
カーナビを見ていたら「伊達政宗の墓」ってあるじゃないですか。
伊達政宗の墓といえば、仙台の瑞鳳殿だよな〜と思いつつ、日本は分骨とかでいろ
んなところに墓があったりするから、そんなひとつかなと思い訪問しました。

解説を見たら、全然違うじゃないですか(^^;
伊達政宗って「独眼竜政宗」の他にもいたんですね。
というより、この名君伊達政宗にあやかって、独眼竜政宗の方が政宗を名乗った
という事で、元祖は伊達家9代政宗の方だったんですね。
そこまでマニアな話は僕も知りませんでした。

平成25年夏旅
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著名人の墓
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2014年06月26日

直江石堤     (山形県米沢市)

山形県米沢市にある直江石堤に行ってきました。

<直江石堤>
直江堤公園.jpg
住所:山形県米沢市直江石堤
駐車場あり

<現地解説>
上杉景勝の重臣直江兼続の計画によって築かれた石積みの堤防で、地名をとり
谷地河原堤防とも呼ばれています。
1600年、関ヶ原の戦いで上杉景勝は西軍に荷担した事により、会津120万石
から米沢30万石に領地を削られました。このため米沢は上杉氏の本城となり、大勢
の家臣団が移り住み、直江兼続の指揮で新たな城下町作りが行われました。
この直江石堤は兼続みずから赤崩山に登り米沢城や松川の地形を見渡し、洪水を
防ぐにはどうしてもここに堤防を築かなくてはならないと決心し、大規模な築堤を
計画したものと伝えられています。
現在長さ1.2キロにわたって石堤が残り昭和61年に市の史跡に指定されました。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
平成24年10月28日、山形県米沢市にある直江石堤に行ってきました。
現在は直江堤公園という形で整備されています。
直江兼続が指揮をとって作ったという大規模な堤防で、今でもしっかりと形の残った
堤防です。玉石がずらっと並んだ堤防は、機械がなかった時代に人力で作られた堤防
に当時の苦労を偲ぶことが出来ます。

直江堤1.jpg

直江堤2.jpg

直江堤.jpg

堤防の史跡としては、ここの他に山梨の信玄堤とか、埼玉にある石田堤とかあります。
石田堤は攻城戦での堤防なので、性格はちょっと違いますけどね。

大河ドラマの舞台
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2014年06月22日

堂森善光寺 / 前田慶次供養塔    (山形県米沢市)

山形県米沢市にある堂森善光寺に行ってきました。

<堂森善光寺>
堂森善光寺.jpg
住所:山形県米沢市万世町堂森375
駐車場あり(無料)
境内自由

<現地解説>
真言宗豊山派の寺院で、山号は松心山。807年の開基、1192年に
長田将次の妹益王姫が中興したと伝えるが、数度の火災で古記録が焼失し、
由緒は定かでない。見返り阿弥陀如来は益王姫を救うため振り返った姿
になったという伝説が残る。
また、置賜郡の地頭・長井氏の創建ともいい、伝長井時広夫妻座像(県
指定文化財)を所蔵している。
中世期には、当寺において大般若教の写経事業が行われその一部が山形
立石寺に残っている。その奥書から、1357年頃に出羽国長井荘堂森
今善光寺の僧・本聖仁光が中心となり、各地の僧の協力を得て大事業が
遂行されたことが知られる。
境内の阿弥陀堂は1750年の再建、寺名の由来となる善光寺三尊像と
見返り阿弥陀を安置した。

堂森善光寺2.jpg

また、本堂と阿弥陀堂の奥には前田慶次郎供養塔が建ち、多くの参拝者
が訪れる。
傾奇者として知られる前田慶次は、晩年は堂森で悠々自適の生活を送り、
1612年6月4日に死去したと伝えられる。堂森の里人と親交した慶次
をしのび、昭和55年に建立されたものである。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
平成24年10月28日、山形県米沢市にある堂森善光寺に行ってきました。
お寺の由緒などはあまり知りませんでしたが、前田慶次の供養塔があると
いう事で、それを目当てに訪問しました。
前田慶次は滝川氏の出身とも言われ、前田利家の義理の甥にあたる人物。
傾奇者として知られます。
僕の中では漫画『花の慶次』の印象が強いのですが、あれは相当脚色され
たもの何だろうなとは思います。
慶次は直江兼続の知己を得て、上杉景勝に仕え長谷堂城の戦いでは殿軍と
して弱気になる兼続を鼓舞したそうです。
関ヶ原の戦い後も米沢30万石に減封された上杉家に従い、米沢の堂森で
隠棲したそうです。
そのゆかりもあり、近年堂森善光寺に前田慶次供養塔が建てられたそうです。

<堂森善光寺>
堂森善光寺3.jpg

堂森善光寺4.jpg

堂森善光寺 前田慶次力石.jpg
前田慶次の力石

<前田慶次供養塔>
堂森善光寺 前田慶次供養塔.jpg

著名人の墓
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大河ドラマの舞台
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2014年06月08日

東根城跡     (山形県東根市)

山形県東根市にある東根城趾に行ってきました。

<東根城趾>
東根城.jpg
住所:山形県東根市本丸南1丁目1−1
駐車場あり(無料)

東根城は1347年に小田島荘の地頭、小田島長義によって築城されたという
城で、白水川・日塔川の河岸段丘が南側に舌状に張り出す要害の地に位置して
います。
1395年より里見氏が7代にわたり居城としますが、1622年山形城主
最上義俊の改易により幕府に没収されています。

東根城2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
山形県東根市にある東根城趾に行ってきました。
この城も今はほぼ面影は残っていない完全な城跡です。
現在、本丸跡は東根小学校の敷地になっています。
東根小学校の前に、大ケヤキ(国指定特別天然記念物)があります。
樹齢は500年以上。その昔、雄槻、雌槻と呼ばれた2本の大槻
がありましたは、明治18年に雄槻が枯れてしまい、雌槻が現在
残っています。高さは28mに達する大木です。
このケヤキは戦国の世から東根城の歴史を見てきたのでしょうね。

東根の大ケヤキ.jpg

東根の大ケヤキ2.jpg

日本の城を巡る
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平成26年GWの旅(城めぐり&本州最東端へ!)
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2014年06月04日

天童城    (山形県天童市)

山形県天童市にある天童城に行ってきました。

<天童城>
天童城2.jpg
住所:山形県天童市天童
駐車場あり(無料)

<現地解説>
舞鶴山は城山とも呼ばれ、全山が戦国時代の山城である。
最初にここを本拠としたのは14世紀の南北朝時代に南朝
方であった北畠天童丸といわれている。
その後、1375年に成生荘地頭の里見頼直がこの山城
に移り、天童氏を名乗り10代にわたって村山地域の東部
一帯に勢力をのばし、土豪や地侍を従え、盟主的な地位に
あった。ところが戦国時代に入り1584年に山形の
最上義光に攻められ、これまで天童氏を支えてきた各地の
有力な領主が離反し、壮絶な合戦の末落城し、その後廃城
となっている。
この山城には、主郭である愛宕山頂を中心に防御施設で
ある切岸(人工の崖)によって囲まれた曲輪がいたる
ところに残り、県内では最大の規模の戦国期山城である。

天童城.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
天童城跡に行ってきました。今は天童公園として整備されています。
公園内には愛宕神社や建勲神社、舞鶴山のつつじなどいろいろな見所
があります。
山頂部にある愛宕神社が主郭跡。
中央郭は駐車場他になっていますが、ここでは天童で有名な人間将棋
が行われる場所としても有名です。

chess2014a.jpg

城跡ではありますが、今は城であったことを感じさせる物はほとんど
残っていません。その山の雰囲気に要害であったことがうかがえる程度
です。

【天童城からの風景】
天童城からの風景.jpg

天童城からの風景2.jpg

主郭と中央郭の間に、吉田大八という人物の銅像があります。

吉田大八像.jpg

吉田大八は幕末の天童藩織田家家老。
幕末の天童藩は小藩で、奥羽越列藩同盟と新政府軍の間で翻弄
され、吉田大八はその渦中で藩のために自刃するという悲劇の
人物だという事です。この人物についてはまったく知りませんで
したが、幕末維新の混乱の中で、歴史上の表に出てくる話の他に
いろいろな人間模様や、藩の動きというものがあったという事で
すね。

日本の城を巡る
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平成26年GWの旅(城めぐり&本州最東端へ!)
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2014年05月24日

長崎館跡     (山形県中山町)

山形県中山町にある長崎館跡に行ってきました。

<長崎館跡>
長崎館.jpg
住所:山形県東村山郡中山町長崎
駐車場なし

<現地解説>
寒河江市に下向した大江親弘(源頼朝の重臣大江広元の嫡子)の武将中山忠義
を始祖とする中山継信は最上川南岸沼尻郷の開拓にあたり、1384年長崎に
館を築いた。
三代宗朝の時代(1445年)には外堀をめぐらした輪郭式平城(本丸東西60間、
南北45間、西の丸東西250間、南北150間、三の丸東西300間、南北200
間)を完成し、領地開発と統治に当たったが
、1622年山形最上氏改易とともに廃止された。大銀杏は中山氏居城の本丸内の
館の庭先にあったものと伝えられ、まれに見る大木である。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
山形県中山町にある長崎館跡です。
ここもかつてあった城跡。長崎館も最上氏改易の折に破壊され、今は
面影を残すものは本丸跡にあったと伝えられる大銀杏のみとなっています。

長崎館跡は、案内表示等も無いので、見つけるのが大変でした。
この場所自体も2回通り過ぎて3回目でやっと気がつきました。
大銀杏が目印で、これを気にしてないと分かりません。
マニアな城跡です。

日本の城を巡る
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2014年05月21日

建勲神社     (山形県天童市)

山形県天童市にある建勲神社(たけいさおじんじゃ)に行ってきました。

<建勲神社>
建勲神社1.jpg
住所:山形県天童市天童字城山1043
駐車場あり(無料)
境内自由

<現地解説>
建勲神社は天童藩織田家の始祖織田信長公を祀る。
明治3年、藩知事織田信敏が城山山頂に社殿を造営、建織田神の神号を
賜ったが、後建勲社と改称、県社となり明治17年現在地に遷座した。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
天童城のある城山の中腹に建勲神社があります。
建勲神社というと京都にもあります。こちらも祭神は織田信長公。
関係はあるんでしょうけど、その辺はよく分かりません。

建勲神社2.jpg

天童藩は信長の次男織田信雄の流れをくむ織田家の藩で、小大名
ながら江戸幕府からは特別の扱いを受けた藩でもあります。
幕末には庄内藩の攻撃の前に屈したり、激流にのまれた感があります。
明治維新後に信長を祀る神社がつくられました。

天童と織田信長のつながりを知る人は少ないと思いますけど、そんな
関係があるわけです。

建勲神社 信長の顕彰碑.jpg
こちらの顕彰碑は織田信長公の功績を顕彰したものです。

境内裏山はツツジの名所との事。
建勲神社 つつじ2.jpg
今年は開花が遅れて咲いているのはほんの少し(平成26年5月3日現在)

建勲神社 つつじ.jpg
満開になるとこんなに綺麗になるそうです。

平成26年GWの旅(城めぐり&本州最東端へ!)
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中野城趾    (山形県山形市)

山形県山形市にある中野城趾に行ってきました。

<中野城趾>
中野城趾.jpg
住所:山形県山形市中野506
駐車場なし

中野城は、中世における山形城の支城として、山形三代最上満直の二男満基が
応永年間(15世紀初め)に築城した連廓式の平城である。
本丸は東西約340m、南北約250mで約73000平米の広さであるが、
二の丸を含めると171,500平米で内堀は幅6m〜10mで高さ2m
の土塁をめぐらし、二の丸に当たる南西部には外堀を構築し、東北部には寺院
を配置している。
中野の地は戦略上、経済上のみならず水陸の交通上からも重要な地点であった。
1622年、最上氏の改易後は、この城も廃城となり、遂に破却された。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
山形市の郊外にある中野城趾に行ってきました。
最上氏の支城で、最上氏改易後に取り壊されています。現在は濠の
一部などが僅かに残るのみです。

上の中野城趾の碑は、大郷小学校の敷地にあり、当時は本丸の西部に
位置していた場所だそうです。

中野城趾2.jpg

日本の城を巡る
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2014年05月12日

山野辺城趾    (山形県山辺町)

山形県山辺町にある山野辺城趾に行ってきました。

<山野辺城趾>
山野辺城趾.jpg
住所:山形県東村山郡山辺町山辺55
駐車場あり

山野辺城は、平安時代の前九年の役で知られる奥羽地方の戦乱時に須賀川山辺氏が
領有築城したという。
室町時代になると山野辺氏の活躍が伊達家や各地の記録に見えるし、軍記物語にも
最上氏配下の武将として登場し、信頼に応えた大きな働きをしている。
その当時の城郭は1761年の古絵画によると、旧役場から山辺小学校プールまでの
東西四十間、南北五十六間の台地に置き、西部の出羽丘陵から村山盆地に向けて突き
出た丘陵部の舌端部を利用し絶好の位置に立地した中世の城郭であった。

山野辺城趾2.jpg

山野辺城趾3.jpg

1601年、19300石で山野辺城主となった山野辺義忠は領主として役22年間
の治世の間に数多くの業績をあげ、最上宗家の当主として期待されたほどの人物
であった。特に山野辺城池の完成と城下町の整備に意をそそいだ。
しかし、1622年最上氏の左遷により山野辺城は破壊されてしまった。
1823年、白河藩阿部氏は出羽国の飛び地を支配するため、陣屋を設けた。
その玄関は幾多の変遷を経た後、町指定の文化財として指定、保存されている。

<陣屋玄関遺構>
山野辺陣屋遺構.jpg
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
山野辺城趾に行ってきました。
平安時代から江戸時代初期の城の遺構です。

現在は残っているものはほぼ無く、山野辺城があったという場所である
山辺小学校脇に「山野辺城趾」の碑が建っています。
また、その近くに江戸時代の陣屋の遺構「玄関」が残っています。
玄関はそれだけポツンとあるので、ちょっと違和感がありました(^^;

日本の城を巡る
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平成26年GWの旅(城めぐり&本州最東端へ!)
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2014年05月11日

荒砥城趾 / 八乙女八幡神社   (山形県白鷹町)

山形県白鷹町にある荒砥城趾に行ってきました。

<荒砥城趾>
荒砥城趾3.jpg
住所:山形県西置賜郡白鷹町荒砥
駐車場あり

荒砥城は石灘城・八乙女城とも言われたお城で、永長年間(1096〜1097)に荒川泰清が築城し、元中年間(1384〜1392)に馬場将監が堀を巡らすなどの整備を行い、戦国時代には伊達氏配下の桑島上野守・荒砥三郎・大立目氏3代の居城であったと伝えられている。

現在、最上段の本丸跡には御盾稲荷神社、一段低い北側には八乙女八幡神社が建っており、西側から北側にかけて2段の平地がめぐり、南西隅には空堀や土塁も見られる。

<八乙女八幡宮>
荒砥城趾2.jpg

八乙女八幡宮は源義家が後三年の役の際、京都の石清水八幡宮をこの地に勧請したものと伝えられている。
(山川出版社:山形県の歴史散歩より引用)

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
山形県白鷹町の荒砥城趾に行ってきました。現地に解説が無かったので、
書籍より説明を引用しました。

現在は神社になってまして、源義家ゆかりの神社という事です。

<城外観>
荒砥城趾.jpg

<城空堀>
荒砥城趾 空堀.jpg

<荒砥城趾の桜・平成26年5月3日撮影>
荒砥城趾 桜3.jpg

荒砥城趾 桜2.jpg

荒砥城趾 桜1.jpg

こちらは樹齢500年の「八乙女の種蒔き桜」です。
八乙女の種蒔き桜.jpg
あいにく見頃を過ぎて葉桜になっていました。

荒砥城と言うと、長野にも同じ名前の城があります。
長野の荒砥城は大河ドラマ『風林火山』で海ノ口城として、
また大河ドラマ『江 姫達の戦国』では小谷城としてロケに使われた
城で、こちらの方が有名って言えば有名ですね。

長野の荒砥城
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<桜のある風景>
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2014年05月07日

鮎貝城趾 / 鮎貝八幡宮    (山形県白鷹町)

山形県白鷹町にある鮎貝城趾に行ってきました。

<鮎貝城趾>
鮎貝城1.jpg
住所:山形県西置賜郡白鷹町鮎貝3303−1
駐車場あり(無料)

<鮎貝城について>
鮎貝城は1396年、初代鮎貝成宗が築城。現在の鮎貝八幡宮
の境内全体が本城跡である。
土塁造り本丸、二の丸、三の丸に分かれ内濠は川を利用した自然
ほ濠であった。
城代、春日氏の後は本城から出て、本庄氏の代までお屋敷・お役屋
となった。土塁の下に水をたたえた薬研濠が今も残っている。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
鮎貝城趾に行ってきました。
現在は鮎貝八幡宮という神社になっています。鮎貝八幡宮は
明治31年に旧地よりこの鮎貝城趾に移築されたものです。
本殿は1844年の造営になります。

鮎貝八幡宮本殿.jpg

現在は普通に神社なんですけど、濠が残っていたりして、確かに城
の様な感じがします。

<鮎貝城趾・平成26年5月3日訪問>
鮎貝城2.jpg

鮎貝城3.jpg

鮎貝城4.jpg
八重桜が見頃でした!

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瑞龍院     (山形県白鷹町)

山形県白鷹町にある瑞龍院に行ってきました。

<瑞龍院>
瑞龍院(白鷹)1.jpg
住所:山形県西置賜郡白鷹町高玉4069
駐車場あり
境内自由

<現地解説>
瑞龍院は1453年、伊達持宗の創建。
1485年に勅願所となる。境内には陀枳尼尊を祀る稲荷堂、
地蔵堂(1903年移築)、龍門図書館、参道奥には勅使門があり、
江戸時代末期までは総門もあった。
隆盛時には末寺が500ヶ寺あった。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
白鷹町にある瑞龍院です。
伊達家ゆかりの寺という事でおじゃましました。
解説は上にある簡単な物しかありませんでした。かつては大寺院
だった様ですが、今は町のはずれの1寺院という感じです。
ただ、立派な勅使門はかつてこの寺がかなりの力を持った寺で
あったことをうかがわせるものだと思いました。

瑞龍院(白鷹)2.jpg

勅使門
瑞龍院(白鷹) 勅使門.jpg

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原田城趾    (山形県川西町)

山形県川西町にある原田城趾に行ってきました。

<原田城趾>
原田城趾.jpg
住所:山形県川西町大字上小松置賜公園
駐車場あり

原田城は三方を崖に囲まれた平山城で、大きさは東西350m
南北100mというものです。
城主は伊達家の宿老の原田氏であり、米沢近郊の重要な支城で
した。最後の城主は原田宗時。その宗時の孫にあたる原田甲斐
は小説『樅の木は残った』で主人公としてえがかれてている人物です。

現在城跡は公園になっており、わずかに堀の跡などを確認出来る
程度です。

<原田城趾・平成26年5月3日訪問>
原田城趾2.jpg

原田城趾3.jpg

原田城趾4.jpg
原田城趾からの風景

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2013年12月18日

日向洞窟   (山形県高畠町)

山形県高畠町にある日向洞窟に行ってきました。

<日向洞窟>
日向洞窟1.jpg
住所:山形県東置賜郡高畠町竹森
駐車場あり

日向洞窟は縄文時代の最も古い時期(今から1万年前)に人々が住まいと
して利用した洞窟で、日本を代表する洞窟遺跡のひとつです(国指定史跡)
この地域には凝灰岩塊の露頭で積年の侵蝕、風化作用によって形成された4か所の
自然洞窟、岩陰があり居住に利用されたものと考えられている。

日向洞窟.jpg

日向洞窟2.jpg
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
日向洞窟に行ってきました。

縄文時代の住居跡との事で、縄文式土器などが見つかっています。
縄文初期の土器発見現場としては、日本海側の北限だそうです。


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上山城    (山形県上山市)

山形県上山市にある上山城に行ってきました。

<上山城>
上山城1.jpg
住所:山形県上山市元城内3−7
入場:400円
駐車場あり(無料)

上山城は室町時代の応永年間(1400年前後)に羽州探題で最上氏の祖、斯波兼頼の
曾孫里見満長が初めて着封、上山殿と称し虚空蔵山に山城を築いたのが初めとされ、当時
は高盾城または亀ヶ岡城とも言われていた。
1514年には伊達種宗に攻略され、翌年和睦し返還、5年後に再び攻略されたが、1535
年満長の子孫、武衛義忠が挙兵し奪還した。

その後、城主は武衛氏、里見氏、能見松平氏、蒲生氏、土岐氏と変わり、17世紀後半
には城郭として最も整備され白壁の城壁をめぐらし後景には四季折々の緑や紅葉に映えた
上山城は小藩ながら奥羽の名城と称されていたと伝えられている。
しかし1692年土岐氏が転封直後幕府の命により跡形もなく破壊された。
現在の上山城は昭和57年に旧二の丸跡に城郭風の郷土資料館として建設したものである。

上山城2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
上山城に行ってきました。
現在の建物は昭和の再建ものですが、貫禄のある立派な天守です。
中は資料館になっており、上山城の歴史や蔵王の修験道に関するものなど
が展示されています。

天守の展望台からは上山市街を一望する事が出来ます。

上山城からの風景.jpg

上山城からの風景2.jpg
遠くに見える大きい建物は、スカイタワー41と言う41階建ての超高層
マンション。何でこんなところに高層マンションたてたんだろうという、
謎のマンション。俳優の○口洋介がこのマンションの1室を別荘として持ってる
とかいう噂も・・・。

平成25年夏旅
http://rover.seesaa.net/article/372055300.html

日本の城を巡る
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2012年11月14日

直江兼続公 鉄砲鍛造遺跡  (山形県米沢市)

山形県米沢市にある直江兼続公鉄砲鍛造遺跡の石碑を見てきました。

<直江公鉄砲鍛造遺跡>
直江兼続公鉄砲鍛造遺跡.jpg
住所:山形県米沢市白布温泉
駐車場なし

江戸時代の初め、ここ白布温泉で直江兼続公が火縄銃を製造、それを記念した
直江城州公鉄砲鍛造遺跡の石碑が建っている。
上杉景勝公の執政として米沢城下の整備を指揮した兼続は軍備にも力を注ぎ、
1604年に江州国友村から吉川惣兵衛、泉州堺から和泉屋松右衛門と二人
の鉄砲職人を迎え、人里離れた白布高湯で火縄銃を鍛造させた。
その総数は1000挺で、10匁筒・15匁筒・20匁筒・30匁筒が
作られたという。
温泉旅館に残る古記録には、先祖が鉄砲職人の食事等の世話を行ったと記され
る。また兼続は1604年11月に「鉄砲稽古定」を発し、鉄砲技術の修練
を奨励した。こうした鉄砲製造と鍛錬の結果、1614年の大阪冬の陣に
おいて上杉軍の鉄砲隊は大活躍し、直江や杉原等の武将は徳川秀忠から褒賞を
受けた。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
白布温泉、中屋旅館の駐車場の前にある「直江兼続公鉄砲鍛造遺跡」の石碑を
見てきました。
大河ドラマでも出てきましたが、直江兼続は米沢の片隅で秘かに鉄砲を製造
します。それが福島県との県境に近い白布温泉です。
温泉という立地は硫黄の調達にも利があったんでしょうね。

それを顕彰する石碑、白布温泉に行った時には見ておきたいところです。

大河ドラマの舞台
http://rover.seesaa.net/article/112515106.html


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2012年11月04日

白布大滝   (山形県米沢市)

山形県米沢市にある白布大滝に行ってきました。

<白布大滝>
白布大滝.jpg
住所:山形県米沢市白布温泉
駐車場なし

山形県米沢市、白布温泉のかたすみにある落差約30mの滝「白布大滝」を見に行ってきました。
大樽川にある滝で、秋は紅葉の中に滝を見ることが出来ます。
県道から階段を下りて行きます。歩く時間は10分ほどでしょうか。
豪快な滝を見ることが出来ます。
滝の上部は人工的な構造物。間知石みたいなところから水が流れ落ちています。
ちょっとそこが興ざめなんですけどね。

先日訪問しましたが、紅葉の中で滝を見ることが出来て、とても綺麗でした。

<白布大滝付近の紅葉・平成24年10月28日撮影>
白布大滝 紅葉1.jpg

白布大滝 紅葉2.jpg

白布大滝 紅葉3.jpg

白布大滝 大.jpg
クリックすると拡大します。

紅葉の名所巡り
http://rover.seesaa.net/article/22577081.html

日本の滝巡り
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2012年07月07日

日枝神社    (山形県酒田市)

山形県酒田市にある日枝神社に行ってきました。

<日枝神社>
酒田日枝神社.jpg
住所:山形県酒田市日吉町1丁目
駐車場あり(無料)

映画「おくりびと」ロケ地NKエージェント(旧割烹小幡)の
前に立派な山門が見えたので、寄ってみました。
日枝神社という神社です。

日枝神社の祭神は大己貴神、大山咋神、胸肩仲津姫神の三神です。
1784年にに本間光丘によって建立されました。
5月19日〜21日の例祭「山王祭」(酒田まつり)は大いに賑わいをみせます。

現在の随身門は、本間光丘の寄進したもの1894年の震災で倒壊したため、
1907年に本間光輝が再建しました。
「至誠通神」の額は東郷平八郎の揮亳によるものです。

酒田日枝神社2.jpg

平成24年GWの旅
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2012年07月04日

映画「おくりびとロケ地」月光川河川公園  (山形県遊佐町)

山形県遊佐町にある月光川河川公園に行ってきました。

<月光川河川公園>
月光川河川公園.jpg
住所:山形県飽海郡遊佐町小原田
駐車場あり(無料)

月光川河川公園は鳥海山を水源とする月光川(がっこうがわ)の
河川敷にある公園です。
ここは映画「おくりびと」で、本木雅弘さんがチェロを弾くシーン
のロケが行われたところです。

おくりびとポスター.jpg

堤防の上には今でも観光用にその時のイスが置かれています。
この日は猛烈な風が吹いていて、歩くのも大変なくらいでしたが、
イスは固定されている様で、ぴくりとも動きませんでした(笑)

おくりびとロケ地 チェロを弾くシーン.jpg
背後に鳥海山を望むロケーションは、晴れていたらさぞかし綺麗
だったろうなと、ちょっと残念でした。

平成24年GWの旅
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2012年07月02日

NKエージェント/映画おくりびとロケ地  (山形県酒田市)

山形県酒田市にあるNKエージェント(おくりびとロケ地)に行ってきました。

<NKエージェント>
おくりびと NKエージェント.jpg
住所:山形県酒田市日吉町2-9-37
駐車場あり(無料)
入場:100円

<現地解説>
地元山形に戻り、就職先を探す大悟(本木雅弘さん)
目にとまる一枚の求人広告、そして面接に。

期待と不安をむねに日和山の坂を上りNKエージェントの
扉をたたく大悟。ここ旧割烹小幡はNKエージェントの社屋という設定
で使われました。
ここ旧割烹小幡は建造が昭和元年頃と伝えられ、当時の建築物としては
珍しく奥の和風建造物と今回ロケに使用された洋風の3階建てで構成
されております。
昔の割烹らしく建物本体は大きくかなりの部屋数もあり、戦後の頃より
洋館の1階部分ではダンスホールとしても使われていました。

撮影時外観は現在の状態に多少手が加えられた程度で、ほぼこのままでの
撮影となりました。
建物内部はNKエージェント内の事務所はセットでの撮影が多かったので
すが、2階にあがる階段や鶴乃湯のお母さん(吉行和子)の納棺シーン
などでも撮影に使用されました。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
映画「おくりびと」のロケ地、NKエージェント(旧割烹小幡)に行って
きました。
映画「おくりびと」は第81回アカデミー賞外国語映画賞を受賞した
映画で、納棺士という職業をえがいたものです。

映画を見ていたので、そのままのNKエージェントの様子に感動しました。
まさにロケ当時の様子そのままなんですね。

NKエージェント事務所内
NKエージェント.jpg

NKエージェント2.jpg

鶴乃湯のお母さんの納棺シーン
NKエージェント3.jpg

社長の部屋
NKエージェント4.jpg
まさにそのままなんですね。

1階には本木雅弘さんのポスターが飾ってありました。
おくりびとポスター.jpg
またここ限定で販売しているお土産などもあり、なかなか楽しめ
ます。おくりびとを見た人は是非足を運んでみてはいかがでしょう。

平成24年GWの旅
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2012年06月30日

山居倉庫   (山形県酒田市)

山形県酒田市の山居倉庫に行ってきました。

<山居倉庫>
山居倉庫.jpg
住所:山形県酒田市山居町1-1
駐車場あり(無料)

山居倉庫は明治26年に酒田米穀取引所の倉庫として旧庄内藩主
酒井家によって作られた倉庫で、運営も酒井家によって行われました。
全部で14の倉庫が作られ、現在は12の倉庫が残っています。
驚くべきは今も倉庫として現役で使われており、JA全農庄内が
管理運営をしています。
かつて放送されたNHK連続テレビ小説「おしん」のロケ地にも
なりました。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
酒田の山居倉庫に行ってきました。
山居倉庫の風景は酒田の代表的な風景という気がします。
単なる倉庫と言えばそうなのかもしれませんが、倉庫裏の風景
が何とも言えない風情を感じます。並木道と倉庫の風景が合う
んですよね。ここは何度でも訪れたい場所です。
駐車場も無料、見学自由ですので気軽に行けますね。

山居倉庫2.jpg

山居倉庫3.jpg

山居倉庫5.jpg

平成24年GWの旅
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2012年06月23日

致道博物館   (山形県鶴岡市)

山形県鶴岡市にある致道博物館に行ってきました。

<致道博物館>
旧西田川郡役所.jpg
住所:山形県鶴岡市家中新町10-18
料金:700円
駐車場あり(無料)

致道博物館は鶴岡城の三の丸跡にある博物館です。
名前は庄内藩の藩校「致道館」に由来し、藩校致道館に関する資料や
重要有形文化財を数々転じしています。
また、近隣の歴史的建造物を移築してきており、価値ある建物を見る
事も出来ます。

一番上の写真は旧西田川郡役所です。

<御隠殿>
御隠殿.jpg
1863年、幕末の藩主酒井忠発の時に藩主の隠居所として
建てられたもので、江戸から移築されたものと言われています。

御隠殿の裏には酒井氏庭園という日本庭園があります。
酒井氏庭園.jpg

酒井氏庭園2.jpg

<旧渋谷家住宅>
旧渋谷家住宅.jpg

<旧鶴岡警察庁舎>
旧鶴岡警察庁舎.jpg

平成24年GWの旅
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善宝寺      (山形県鶴岡市)

山形県鶴岡市にある善宝寺に行ってきました。

<善宝寺>
善宝寺.jpg
住所:山形県鶴岡市下川字関根100
駐車場あり(無料)
境内自由

善宝寺は平安時代に妙達という人物が龍華に庵を結んだのが
始まりと言われています。
近世には公家の信奉もあつく、有栖川家の祈願所となっています。

境内の主要建造物は、幕末〜明治期の再建。
山門、五重塔、龍王殿、本堂、龍華庵など壮大な伽藍を誇ります。

<本堂>
善宝寺 本堂.jpg

<龍王殿>
善宝寺 本堂2.jpg

<龍華庵>
善宝寺 龍華庵.jpg

<五重塔>
善宝寺 五重塔.jpg

<弥勒菩薩>
善宝寺 弥勒堂.jpg

ここ、善宝寺はかつて「人面魚」騒動のあったお寺です。
今はその騒ぎもなく、静かなお寺になっています。

平成24年GWの旅
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尾浦城     (山形県鶴岡市)

山形県鶴岡市にある尾浦城(大浦城)に行ってきました。

<尾浦城>
尾浦城趾.jpg
住所:山形県鶴岡市大山字城山
駐車場あり(無料)

現在、大山公園として整備されている尾浦城は、古くは鎌倉
時代に築城されたとも言われるお城です。
戦国時代には武藤氏が砂越氏の攻撃を受け、堅固なこの尾浦城
に本拠を移し、戦国の争乱の中の要害として存在を示しました。
1587年、最上氏と内応した前森蔵人の反乱により落城。
最上氏の手に落ちる。しかし翌年の戦いで、上杉氏が城を
落とし尾浦城は上杉氏の支配下に。関ヶ原の戦い後、減封され
た上杉氏は米沢に移り、城は再び最上氏の支配下に。
1622年、最上氏の改易により廃城となりました。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
尾浦城に行ってきました。
今は普通の城址公園。朝早い時間に行ったため、あまり人もいませ
んでした。ちょっと時期は過ぎた感じでしたが、4月中旬くらいには
桜が綺麗そうな感じです。
上の解説にもありますが、この城は戦国の争乱の最前線の様なお城
です。支配者がころころ変わるという戦国の象徴の様なお城です。
現地には解説とか特に無くて、現地では詳しいことが分かりません。
城址公園からは庄内平野を見渡すことが出来、今は長閑な雰囲気の
公園です。

<尾浦城からの景色>
尾浦城趾2.jpg

尾浦城趾からの風景1.jpg

尾浦城趾からの風景2.jpg

尾浦城趾からの風景3.jpg

日本の城を巡る
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2012年06月02日

加茂水族館    (山形県鶴岡市)

山形県鶴岡市にある加茂水族館に行ってきました。

<加茂水族館>
加茂水族館.jpg
住所:山形県鶴岡市今泉字大久保656番地
駐車場あり(無料)
入館料:800円

鶴岡市の加茂水族館に行ってきました。
今回はここに行く予定ではなかったんですが、あいにく天気が悪く
屋外観光より屋内かなという事で立ち寄りました。
朝10時くらいに行ったのですが、とにかく混んでました。
GWという事もあるんでしょうけど、地方の小さな水族館がここまで
混むのには訳があります。
この加茂水族館はクラゲの水族館として最近有名なところだからです。
もちろん、他の魚もいますし、アザラシやアシカもいます。
でもやはりここはクラゲです。

以前、TVで見たことがありました。
入館者が減って厳しい状況のなか、クラゲに活路を見いだしたお話。
飼うのが難しいクラゲを水槽も工夫して飼育しているという事です。
水族館に展示されているクラゲの種類が最多という事でギネスにも
認定されているとのことです。

たしかにここのクラゲは凄かった。
ライトアップされるとクラゲって本当に綺麗ですね。
一見の価値ありかと思います。

<加茂水族館のクラゲ>
加茂水族館 クラゲ1.jpg

加茂水族館 クラゲ2.jpg

加茂水族館 クラゲ3.jpg

加茂水族館 クラゲ4.jpg

加茂水族館 クラゲ5.jpg

多いので続きます。
続きを読む
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2010年08月03日

清河神社    (山形県庄内町)

山形県庄内町の清河神社に行ってきました。

<清河神社>
清河神社.jpg
住所:山形県東田川郡庄内町清川字上川原37
駐車場あり(無料)

山形県庄内町の清河神社に行ってきました。
GWに行ったんですが、長らく記事を書き忘れていました。
庄内町は最上川沿いにあり、芭蕉上陸の地などがあります。
そこからほど近いところに清河神社はあります。
清河神社は昭和8年の創建。祀られているのは幕末の志士・清河八郎です。
清河八郎は新撰組の前身となる浪士組を結成した人物。
のちに近藤勇らとは意見の違いから別れ江戸に戻ります。
尊皇攘夷を唱えた清河は幕府から危険人物と目され、1863年に暗殺
されます。
清河の生誕の地がここで、清河神社はのちに創建されました。
また、この地には清河八郎の遺品などを展示する清河八郎記念館もあります。超久しぶりに記念館にも行ってきました。

清河八郎記念館.jpg
改めて清河八郎についてじっくり資料を見て、昔とは違った感じを受けま
した。親思いの人柄も見て取れます。

外には清河八郎の銅像。
清河八郎像.jpg

また、清河神社はGWに桜が満開でした(^-^)
清河神社 桜1.jpg

清河神社 桜2.jpg

こちらは史跡・御殿林の碑。
史跡 御殿林.jpg
この地は戊辰戦争の古戦場でもあります。
1868年、薩摩の大山格之助率いる政府軍は清川村に攻撃を開始。
庄内藩は松平甚三郎を総大将に、水野弥兵衛を士大将として御殿林を
中心に応戦。政府軍の急襲により苦戦したが午後には援軍が到着し、
戦況は逆転、午後3時には腹巻岩の要地を奪還し政府軍を撃退した。

明治26年(1893年)に正岡子規は清川に立ち寄り、御殿林が
戊辰戦争の戦跡と聞いて次の句を詠みました。
「ひぐらしの二十五年も昔かな」

新撰組関連の史跡
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<桜の名所まとめのページはこちら>
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銅像めぐり
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2010年07月07日

芭蕉上陸の地   (山形県庄内町)

山形県庄内町の芭蕉上陸の地に行ってきました。

<芭蕉上陸の地>
芭蕉上陸の地.jpg
住所:山形県東田川郡庄内町清川字花崎1番地1
駐車場あり

奥の細道ゆかりの地に行ってきました。
新庄を出て、1689年6月3日、本合海よりこの地に上陸し、狩川を通って羽黒に
向かいました。
「五月雨を 集めて早し 最上川」
この名句はその舟の中で作ったものと言われています。
清川は往時、最上川の水駅として栄え、この地に清川関所がありました。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
廃校になった清川小学校の校舎の裏にひっそりと芭蕉上陸の地の碑がありました。
清川は幕末の志士、清川八郎の出身地としても知られますが、芭蕉ゆかりの地でも
あります。
現地には「五月雨を」の句碑と芭蕉の銅像があります。

<芭蕉句碑>
芭蕉上陸の地 歌碑.jpg

<松尾芭蕉像>
松尾芭蕉像 山形.jpg

銅像めぐり
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奥の細道の旅
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2010年06月03日

戊辰戦役 関川口古戦場  (山形県鶴岡市)

山形県鶴岡市にある戊辰戦役・関川口古戦場に行ってきました。

<戊辰戦役・関川口古戦場>
戊辰戦争 関川口の激戦.jpg
住所:山形県鶴岡市関川
駐車場(スペースあり)

慶応4年、徳川慶喜追討令が発せられて、戊辰の役が起こり、追って
4月に庄内藩討伐の指令が出され、4月23日には清川口から庄内藩
と西軍との戦端が開かれた。
5月奥羽越列藩同盟が成立したが、7月には西軍の勢いに押され漸次
崩壊し、庄内藩は孤立して西軍と戦うことになった。さらに7月29日
長岡城が陥落すると西軍は勢いを増して北上し、羽越の国境に迫った。
9月11日、西軍が関川口を奇襲、双方激しい戦闘の末関川を占拠
した。その後、庄内勢は引き上げた越沢から数次にわたり関川奪還
を試みたが効を奏せず9月27日庄内藩が謝罪を決めて終戦となった。
関川口は戊辰の役での内地最後の激戦地であり、庄内藩ではただ一ヶ所
西軍の占拠を許したところであることなど、戊辰の役の古戦場として
歴史的意義のある場所である。

関川口古戦場.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
鶴岡市街を南下、鼠ヶ関から山間部に向かったところに関川口古戦場
はありました。
本当にのどかな集落があり、ここが古戦場だったとは思えない様な
ところです。

戊辰戦争 関川口の激戦2.jpg

しかしながら、関川の民家には戦いにおいてついた刀傷なども残る
そうで、激しい戦いが繰り広げられた事がうかがわれます。

奥羽越列藩同盟で、会津藩や長岡藩の戦いは有名ですが、実は庄内藩
はかなり強かったっていうのはあまり知られていない様な気がします。
庄内藩も徳川四天王・酒井忠次の嫡流の酒井家が藩主をつとめるだけ
に、他の藩とは一線を画すものがありますね。

古戦場めぐり
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