2016年11月27日

田村家廟所      (宮城県白石市)

白石市にある田村家廟所に行ってきました。

<田村家廟所>
田村家廟.jpg
住所:宮城県白石市福岡蔵本字愛宕山
駐車場あり(無料)

<田村家廟所について>
田村家廟3.jpg

田村家廟2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
白石にある田村家廟所に行ってきました。
田村家は戦国時代三春に本拠を構え、当主田村清顕は娘の愛姫(めごひめ)
を伊達政宗の正室とし、その関係を深めました。
しかし、小田原の役に参戦しなかった事から改易となるも、清顕の孫の定広
は後に片倉喜多の名跡を継ぎ仙台藩士として取り立てられます。
定広はまた真田幸村の遺児、阿菖蒲姫を妻としてめとっており、その関係も
あり田村家墓所には、阿菖蒲姫、そしてその父である真田幸村の供養塔も
作られています。

正面の大きな墓が愛姫の父である田村清顕公、その左に田村定広公、
阿菖蒲姫、真田幸村供養塔と並びます。

田村家廟4.jpg

宮城県には真田ゆかりの地が人知れず残ってますね。

平成28年秋旅1
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著名人の墓
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大河ドラマの舞台
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片倉家廟所      (宮城県白石市)

宮城県白石市にある片倉家廟所に行ってきました。

<片倉家廟所>
片倉家廟.jpg
住所:宮城県白石市福岡蔵本字愛宕山
駐車場あり(無料)

<片倉家廟所について>
片倉家廟2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
最近大河ドラマ『独眼竜政宗』を再び見ていまして、ふとそのゆかりの
地めぐりをしたくなりました。
片倉家廟所も相当前に一度訪問しているんですが、まあ記憶の彼方と
いう事もあり久しぶりに訪問する事にしました。
ここには片倉家初代景綱から10代宗景までの墓碑が並びます。

この片倉家廟所を作ったのは3代片倉小十郎景長です。
片倉家は代々小十郎の名を踏襲しています。

1680年に初代景綱、2代重長の墓もこの地に移し、仙台から石工を
招いて阿弥陀如来像を作らせたとの事です。

片倉家廟3.jpg

大名墓所には珍しく、その片隅には初代景綱に殉じた家臣6名の墓も
併せて作られています。
片倉家廟 殉死者の墓.jpg

片倉家廟所を訪問し、一旦駐車場に戻ります。
そこから片倉喜多の墓に向かいます。片倉家廟所とは繋がっていないので、
一旦国道113号線に出て歩いて数分です。

片倉喜多の墓.jpg

<片倉喜多について>
片倉喜多の墓3.jpg

<片倉喜多の墓>
片倉喜多の墓2.jpg

片倉喜多は片倉小十郎景綱の異父姉で、父は鬼庭左月。
伊達政宗の養育をするとともに、政宗の正室愛姫付として京都にも
のぼっています。
晩年はよく分かっていない様なのですが、片倉家の領地白石で過ごし亡くなった
様です。
大河ドラマ『独眼竜政宗』では竹下景子さんが喜多役を演じています。
前回来たときには喜多の墓は参拝していなかったので、今回初訪問です。
伊達政宗の人生において、片倉小十郎だけでなくその姉の喜多も大きな影響を
及ぼしたことは間違いないです。
片倉家の黒い釣り鐘の旗印は、片倉家の名を天下に響き渡らせるという意味
で、喜多が考えたものと言われています。

<片倉景綱像および釣り鐘の旗印>
片倉景綱.jpg

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2016年11月26日

真田幸清筆子塚      (宮城県蔵王町)

宮城県蔵王町にある真田幸清筆子塚に行ってきました。

<真田幸清筆子塚>
真田幸清筆子塚.jpg
住所:宮城県蔵王町大字矢附字舘
駐車場あり(無料)

<真田幸清筆子塚について>
真田幸清筆子塚3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
真田幸清筆子塚を見てきました。
この筆子塚は、幕末の仙台真田氏当主真田幸清を供養した塔です。

碑文は非常に見づらくなっています。
真田幸清筆子塚2.jpg
真田幸村十世の真田幸清に関する銘文です。

真田豊治の墓の記事でも書きましたが、仙台真田氏は真田幸村の次男、
真田大八の子孫で、仙台伊達家の家臣として幕末まで存続しました。

平成28年秋旅1
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著名人の墓
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真田豊治の墓    (宮城県蔵王町)

宮城県蔵王町にある真田豊治の墓を参拝してきました。

<真田豊治の墓>
真田豊治の墓.jpg
住所:宮城県蔵王町大字矢附字舘
駐車場あり(無料)

<真田豊治について>
真田豊治の墓2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
真田豊治(さなだとよじ)の墓を参拝してきました。
真田豊治は、真田信繁(幸村)の次男真田大八の子孫で、仙台真田氏
の分家の当主です。
真田幸村の次男大八は、大坂夏の陣の折、敵方である伊達家の片倉重長
に預けられ、後に伊達家の家臣として仕えます。
これが仙台真田氏で、真田幸村の血脈を現代に伝えることになります。

蔵王町には仙台真田氏ゆかりの旧跡があり、真田豊治の墓もその一つ
です。

松川沿いの道を走ると、案内の看板が出ていました。
真田豊治の墓5.jpg
仙台真田氏ゆかりの地です。

墓碑は一番上の写真です。墓碑をよく見てみますと、「幸村十一世」と
あり、真田幸村の子孫である事が刻まれています。
真田豊治の墓4.jpg

敵である片倉重長に自分の息子や娘の行く末を託した真田幸村の心境、
またそれを受け入れた片倉重長の度量というものはすごいなと思います。
幸村の子をかくまえば、片倉重長のみならず、伊達家すらも幕府から
謀反を疑われる事にもなりまねません。実際疑われましたが、何とか
かわしてごまかした様です。

そんな仙台真田氏の幕末の人物のお墓、謹んで参拝してきました(・o・)
真田豊治の墓3.jpg

平成28年秋旅1
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著名人の墓
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2015年09月02日

日和山公園     (宮城県石巻市)

宮城県石巻市にある日和山公園に行ってきました。

<日和山公園>
日和山公園.jpg
住所:宮城県石巻市日和が丘2丁目
駐車場あり(無料)

<現地解説>
日和山は標高60.4m。参上に鹿島御児神社が鎮座し、世には葛西氏が城館を構
えていたと伝えられ、平成9年・10年の発掘調査では殿の北側から空堀跡などが
見つかりました。
眼下に見える北上川の河口は江戸時代には仙台藩の買米制度によって集められた米
の積み出し港として、千石船の出入りで賑わいました。
日和山は出向に都合の良い風向きや潮の流れなど「日和」を見る場所であることか
らその名が付いたと考えられています。
1689年、松尾芭蕉と曾良が石巻を訪れたときの『曾良日記』には「日和山と
云え上る 石ノ巻中不残見ゆる奥の海 遠嶋尾駮ノ牧山眼前也 真野萱原も少見ゆる」
と日和山からの眺望が記されています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
日和山公園に行ってきました。10年ぶりの訪問です。
2011年の東日本大震災の時、日和山から見た石巻の風景が何度も放送され
ました。多くの人がこの公園に避難したそうです。

日和山には何度か来ていましたが、震災以降は初訪問。どうなってるのかなと
思って行きました。
日和山からの景色を見て、やっぱりこうなっちゃったんだと・・・。
すべて津波で流されてしまった感じです。

<現在の写真>
日和山2015.jpg

<2005年訪問時の写真>
日和山公園2005.jpg

日和山公園20052.jpg

写っている建物がほとんど無くなっています。津波の破壊力は恐ろしい。
これからまた10年後復興した景色を見たいものです。

日和山の山頂に鎮座する、鹿島御児神社(昔の写真です)
日和山公園2.jpg

日和山は松尾芭蕉と曾良が奥の細道の旅で訪れています。
現地には芭蕉像があります。
日和山公園 松尾芭蕉.jpg

また日和山一帯は葛西氏の城があった場所と言われています。
特にこれというものは残っていませんが、現地には石巻城の解説板がありました。
石巻城趾.jpg

平成27年夏旅 最北の地へ
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銅像めぐり
http://rover.seesaa.net/article/142026310.html

日本の城を巡る
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奥の細道の旅
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2015年08月26日

登米の町並み      (宮城県登米市)

宮城県登米市の町並みを散策してきました。

<登米の町並み>
登米の町並み.jpg
住所:宮城県登米町寺池桜小路 他
駐車場あり(無料)

登米には明治時代に建築された小学校や警察署など洋風建築も残り、
「みやぎの明治村」と呼ばれ親しまれています。
また藩政時代の武家屋敷や蔵造り商家なども残り、江戸時代の面影も
感じる町並みです。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
北海道へ向かう途中、久しぶりに登米の町を歩いてきました。
登米に行くのは平成19年9月16日以来です。8年ぶりの訪問になりました。
今回は登米に油麩丼を食べようと思って立ち寄ったので、町並み散策はほどほど
にしました。武家屋敷のエリアを少し歩いてきました。
立派な塀の続く武家屋敷群は江戸時代の面影を感じさせてくれて、とても趣がありま
す。

登米の町並み2.jpg

登米の町並み3.jpg

武家屋敷鈴木家
登米の町並み 武家屋敷鈴木家.jpg

今回は武家屋敷のエリアだけなので、ここからの写真は8年前の写真です。

<旧登米尋常小学校>
登米尋常小学校.jpg

登米尋常小学校2.jpg
中には当時の様子などが再現されています。

<旧登米警察署>
登米警察庁舎.jpg

登米警察庁舎2.jpg
中は警察資料館になってます。

<旧水沢県庁舎>
登米の町並み 旧水沢県庁.jpg

これらの建物は明治時代のもの。
明治と江戸の風景を残す登米の町はとても良いですね(^-^)

平成27年夏旅 最北の地へ
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日本の古い町並み
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2015年08月23日

追戸横穴墓歴史公園    (宮城県涌谷町)

宮城県涌谷町にある追戸横穴墓を見に行ってきました。

<追戸横穴墓歴史公園>
追戸横穴墓群1.jpg
住所:宮城県遠田郡涌谷町小塚字追戸沢二27番地6
駐車場あり(無料)

<現地解説>
古墳時代末期に造られた有力者の横穴墓で、追戸地区から中野地区に100基以上
あるとみられます。
このうちA地区9基の横穴墓が史跡公園として整備され見学する事が出来ます。
奥行き10mの大型横穴墓や赤く彩色された横穴墓もあります。

追戸横穴墓群.jpg

追戸横穴墓群2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
古墳時代の豪族の墓と思われる横穴墓です。
埼玉にも吉見百穴など横穴墓がありますが、それと同様のものと思われます。

誰の墓かは分かっていないようですが、東北地方にも有力者の墓を造る文化が
広がっていたことが分かります。

この歴史公園では、何個かの横穴を見学してきました。

平成27年夏旅 最北の地へ
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2015年08月16日

涌谷城      (宮城県涌谷町)

宮城県涌谷町にある涌谷城に行ってきました。

<涌谷城>
涌谷城.jpg
住所:宮城県遠田郡涌谷町涌谷字下町3−2
駐車場あり(無料)
入場(210円)

<現地解説>
涌谷城は崑岳丘陵を背に北東に深い谷をかかえ、前面は江合川の流れによって守ら
れる天険の要害である。
平山城で東西109m、南北327mの長方形をしている。
中世大崎氏の支族涌谷氏の居城であった。現在涌谷神社のあるところが本丸で、北
に空堀、南に物見の松がある。
二ノ丸の西部に腰曲輪が張り出し、犬走りも残存している。
1591年に亘理重宗が入城し以後277年仙台藩一門2万2600余石の涌谷
伊達(亘理)氏の要害屋敷として知られた。
天守閣は無く、二ノ丸が削平拡張されて邸宅風建築が並んだ。
伊達騒動で有名な伊達安芸の摘子宗元が日光廟修営奉行として出張中、元禄二年
に失火により全焼し、復興に数年を要した。江戸時代の末期には建築21棟、
土蔵3棟となり堀をめぐらしていた。
明治2年、登米県庁が置かれて、権知事鷲津宣光が来任した。明治5年居館は
すべて取り壊され、今は詰門付近の石垣と角櫓に昔の名残をとどめるのみで
ある。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
涌谷城跡に行ってきました。ここに来るのは今回で2回目です。
前回の訪問は2006年4月2日でしたので9年ぶりです。
前回は外から見ただけで帰りましたが、今回は天守の中にある資料館も見て
きました。
まあ天守は無かったという事で、復元天守でも何でもなく、城としてイメージ
するために天守を作ったというものです(あまりこういうのは好きじゃない
です)
中には涌谷の歴史に関する展示があります。ビデオを見たりして20分くらい
で見学してきました。

現存する角櫓(太鼓堂)です。
涌谷城 太鼓堂.jpg

涌谷城からの景色です。
涌谷城からの風景.jpg
地形から天然の要害といえる場所です。

平成27年夏旅 最北の地へ
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日本の城を巡る
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二木の松史跡公園    (宮城県岩沼市)

宮城県岩沼市にある二木の松史跡公園に行ってきました。

<二木の松史跡公園>
二木の松.jpg
住所:宮城県岩沼市二木2丁目2番
駐車場なし

<現地解説>
この松は陸奥の歌枕の中でもその詠歌が多い事では屈指の名木である。
千余年前陸奥国司として着任した藤原元良が植え、以後能因法師、西行
をはじめ多くの歌人に詠まれるようになった。
1689年、この松を訪れた松尾芭蕉は「武隈の松にこそ覚る心地はすれ。
めでたき松のけしきになん侍りし」と『奥の細道』に記して
「桜より松は二木を三月越シ」の句で結び曾良の「随行日記」には「岩沼
入り口の左の方に竹駒明神と云うあり。その別当の寺の後ろに武隈の松あり
竹がきをして有り。その辺侍りやしき也」とある。
この松は植え継がれて7代目と言われ、1862年の植えられたものと伝え
られている。

二木の松2.jpg

昭和44年市の文化財に指定された。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
陸奥にはいろいろな歌枕の地がありますが、そんな中のひとつ二木の松です。
「信夫文知摺石」「末の松山」「沖の石」と有名な歌枕があります。
この三つに比べると、二木の松ってそこまで有名かなとも思うところですが、
松尾芭蕉も詠んだりしてるので、やっぱ有名なんでしょうね。

現地には芭蕉句碑もありました。
二木の松 芭蕉句碑.jpg

平成27年夏旅 最北の地へ
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2015年04月29日

傑山寺    (宮城県白石市)

宮城県白石市にある傑山寺に行ってきました。

<傑山寺>
傑山寺.jpg
住所:宮城県白石市南町2丁目7-20 
駐車場あり(無料)
境内自由

<現地解説>
1608年初代片倉小十郎景綱が妙心寺第十一世天心智寛大和尚を開山として
建立したのが傑山寺である。
片倉家の菩提寺として、初代片倉小十郎景綱はじめ代々の領主とその奥方、家族
が葬られている。

【片倉家墓所】
傑山寺 片倉家墓所.jpg

初代景綱の墓は、敵にあばかれないように墓標を作らず一本杉をその墓印にしたと
言われている。

【片倉小十郎景綱の墓】
傑山寺 片倉小十郎墓標.jpg

墓所には初代谷風(江戸時代の力士)の墓や片倉家とゆかりの深い北海道松前藩縁故
の松前安廣そその子孫の墓所などがある。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
片倉家ゆかりの傑山寺に行ってきました。
ずっと前に行ったのですが、久しぶりすぎて完全に記憶から消え去っておりました。
寺の入り口のところに、ここ数年で造られた片倉小十郎景綱の銅像が出来てました。

【片倉小十郎景綱像】
傑山寺 片倉小十郎像.jpg
凛々しい銅像ですね!
片倉小十郎景綱は伊達政宗の軍師として活躍した人物で、人取橋の戦いや摺上原の戦い
など政宗と行動をともにし戦功をあげています。
また、伊達家の騎馬鉄砲隊を考案したのも景綱と言われています。

傑山寺にある佐藤孝郷氏のお墓です。
【佐藤孝郷の墓】
傑山寺 佐藤孝郷の墓.jpg
佐藤孝郷は藩政時代に片倉家の家老を務めた人物です。
戊辰戦争のあと、旧片倉家中の者達は家屋敷を失い、この白石で刀を捨て
農民となるか、士族として北海道へ入植するかの岐路に立たされます。
この時、若干19歳の青年家老佐藤孝郷の決意は片倉家中の心を動かし、士族
として生きることを決意させました。
北海道に渡り、北海道最月寒(現在の札幌市白石区)に104戸が入植しました。
若き指導者佐藤孝郷は一団をまとめながら士気を鼓舞し現在の白石区の礎を築き
あげました。
明治7年初代札幌区長に登用された孝郷は亡き後ここふるさと白石に戻り、彼の
郷愁を感じさせる墓所で静かに眠っています。

著名人の墓
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平成26年秋旅
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2014年11月30日

当信寺     (宮城県白石市)

宮城県白石市にある当信寺に行ってきました。

<当信寺>
当信寺.jpg
住所:宮城県白石市字本町62
駐車場なし
境内自由

<現地解説>
1597年、良益上人開山と伝えられる。本尊は阿弥陀如来立像で、黒本尊
とも呼ばれ大阪の陣に従軍した片倉家中遊佐勘四郎によって、大坂天王寺より
もたらされたと伝えられている。

当信寺2.jpg
表門は、もともと白石城の東口門であったもの。
三間一戸二階建て瓦葺き。

境内裏には真田阿梅・大八の墓があります。
真田阿梅・大八の墓.jpg
【現地解説】
1615年大坂夏の陣の時大坂方の名将真田幸村は落城と自分の最期を覚悟し、
知勇兼備を見込んだ敵将片倉重長に阿梅と穴山小助の娘の養育を託した。
重長は幸村の遺児、阿梅・阿菖蒲・おかね・大八たちを白石城二の丸で密かに
養育し、阿梅は重長の後妻に、阿菖蒲は田村定広の妻に、おかねは早世、大八
は片倉四郎兵衛守信と名乗り伊達家に召し抱えられた。
阿梅と大八の墓はこの当信寺に、阿菖蒲の墓は田村家墓地にある。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
白石にある当信寺に行ってきました。
当信寺は真田幸村の遺児、阿梅と大八の墓があるとの事でした。
真田幸村には遺児が何人かいて、大坂の陣後も生き残ってるんですよね。
以前、秋田県由利本荘市にある妙慶寺というお寺にある、お田の方の墓を参拝して
きました。

http://rover.seesaa.net/article/120557428.html
お田の方は真田幸村の遺児で、亀田藩主岩城宣隆の妻になっています。

阿梅と大八は敵である片倉重長が養育したというのに驚きます。
大坂の陣で、真田幸村の軍と伊達家はまさに直接激突しているからです。
片倉重長は器が大きいですね。

さて、真田と言えば再来年の大河ドラマは幸村が主人公の『真田丸』
当信寺もゆかりの地としてすでに旗がたっていました。
気が早いですね(^-^)
当信寺 大河.jpg

平成26年秋旅
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大河ドラマの舞台
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著名人の墓
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2014年11月09日

世良修蔵の墓     (宮城県白石市)

宮城県白石市にある世良修蔵の墓を参拝してきました。

<世良修蔵の墓>
世良修蔵の墓.jpg
住所:宮城県白石市福岡蔵本字陣場45-4
駐車場あり

<現地解説>
石棚の中に二基の墓碑がある、向かって右側が長州藩士世良修蔵、左は同藩士
勝見善太郎、松野儀助、従者繁蔵の墓である。

世良修蔵の墓2.jpg

戊辰の役に世良修蔵は、奥州鎮撫総督府下参謀をして来仙した。
しかし、奥州諸藩よりの会津・庄内両藩謝罪の嘆願を退けた上に、さらに、
仙台の米沢藩を「仙米賊」として「奥羽皆敵とみて進撃の大策」を致すべき
との同僚大山格之助宛ての密書が暴露されて明治元年閏4月19日夜、福島
の金沢屋に宿泊していた世良たち一行が憤激していた仙台藩士姉歯武之進ら
の襲撃を受けて惨殺され、首は白石市森合の月心院に葬られた。
明治3年に現地に改葬し、明治8年に宮城県が墓碑を建立した。
翌明治9年の明治天皇行幸の際、旧交のあった木戸孝允は歌一首と石灯籠
一基を献じた。

【木戸孝允奉納の燈籠】
世良修蔵の墓 木戸孝允奉納の燈籠.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
世良修蔵の墓を参拝してきました。
世良修蔵の殺害が奥羽越列藩同盟の正式な誕生につながったものです。
昨年の大河ドラマ『八重の桜』でも世良の悪役ぶりは印象的でした。
世良の態度が横柄であったという話ですが、もともと周防大島の百姓の出で奇兵隊
に入り奥州鎮撫の参謀という役職に駆け上がったため、成り上がりの偉ぶりみたいな
のが出たんでしょうね。世良の様な身分の者が諸藩の藩主や家老に命令出来るんです
からそうなっても仕方なかったのかもしれません。
その横柄さゆえに殺害されたわけですが。

この世良の墓がある陣場山はかつて伊達政宗が上杉家家臣甘粕備後守が守る白石城
を攻め落とした時に陣をしいた場所でもあるそうです。
ここからは遠くに白石城を見る事が出来ます。

伊達政宗宿陣地.jpg

著名人の墓
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大河ドラマの舞台
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2014年05月06日

青い鯉のぼりプロジェクト   (宮城県東松島市)

宮城県東松島市、青い鯉のぼりを見てきました。

<青い鯉のぼり>
東松島 青いこいのぼり.jpg
住所:宮城県東松島市大曲下台
駐車場なし

2011年3月11日、東日本大震災で多くの子ども達も亡くなり
ました。亡くなった子ども達が天国で寂しくない様にという事で、
この青い鯉のぼりプロジェクトは始まったとの事です。
全国の方から贈られた青い鯉のぼり、毎年増えている様です。

この青い鯉のぼりには「家族の絆」「鎮魂の祈り」「地域の絆」という
願いが込められています。

青空の下で泳ぐ鯉のぼりが見たかったですが、この日は曇り。
風は強かったので、気持ちよさそうに泳いでました。

旅行から帰って報道ステーションを見ていたらまさにこの鯉のぼり
が出ていました。このプロジェクトがずっと続いて行くと良いですね。

東松島 青いこいのぼり2.jpg

東松島 青いこいのぼり3.jpg



平成26年GWの旅(城めぐり&本州最東端へ!)
http://rover.seesaa.net/article/396337322.html

[ここに地図が表示されます]

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2013年09月23日

材木岩    (宮城県白石市)

宮城県白石市にある材木岩を見に行ってきました。

<材木岩>
材木岩.jpg
住所:宮城県白石市小原字上台
駐車場あり(無料)

<現地説明>
材木岩はマグマが第三紀層の基盤を貫いて噴出し、冷え固まるときに
三角〜六角柱状の節理を表したものである。材木を立て並べた様な景観は
自然の造形の妙である。
材木岩 高さ約65m
    幅約100m

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
国指定特別名勝「材木岩」を見に行ってきました。
相当前に一回来たことがあって、今回2回目の訪問でした。

前に来たときには無かった検断屋敷(移築もの)など、いつの間にか
公園として整備されていてびっくりしました。

材木岩はひとつの大きな岩ではなく、マグマが固まったいわゆる
柱状節理の集合体という感じの岩です。
写真を見ての通りです。柱状の岩が集まったような感じのものです。

同じ様な柱状節理は他でも見ることが出来ますが、ここと兵庫県の
玄武洞は規模の大きさでは突出しているかなと思います。

<玄武洞/過去の記事>
http://rover.seesaa.net/article/288538779.html

こういう機械で切り出したような岩の形を見ていると、自然の神秘の
様なものを感じますよね。すごいとしか言いようがありません。

材木岩2.jpg

材木岩3.jpg

材木岩4.jpg

材木岩 大.jpg
クリックすると拡大します。

平成25年夏旅
http://rover.seesaa.net/article/372055300.html


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2012年07月07日

旗巻古戦場   (宮城県丸森町)

宮城県丸森町にある旗巻古戦場に行ってきました。

<旗巻古戦場>
旗巻古戦場 石碑.jpg
住所:宮城県伊具郡丸森町大内字青葉上149−13
駐車場あり(無料)

<現地解説>
旗巻の名については、前九年の役の頃、源頼義・義家父子の軍が安倍貞任を
討つため、騎馬に旗をたてたまま峠を越そうとしたが、森林が深く通行を
阻まれ旗を巻いて通ったという言い伝えによるもの。

戊辰戦争の頃、旗巻は中村城を眼下に出来る場所として仙台藩の重要な戦略
拠点であった。浜街道の駒ヶ嶺城が落城してからは旗巻は仙台藩最後の拠点
として残り、北進する西軍を阻止する体勢にあった。
明治元年、細谷十太夫の率いる仙台衝撃隊(からす組)を含む仙台藩勢を
石田正親、鮎貝太郎平が指揮し、更に庄内藩、米沢藩の応援も得て砲4門
を主軸に兵1200名で守備していた。
山が峻険のため、西軍は正面からの攻撃を攻めあぐねていたが、9月10日
夜奇襲で椎の木方面より攻め込み、一気に山上に迫る気勢を示した。
西軍は鬼石あたりで激突したが、東軍により後方を遮断される危険を感じて
旗巻陣は総崩れ陣屋を焼いて大内方面へ退却した。
態勢をたてなおし戦おうとしたが9月11日仙台から降伏使節が青葉に着いて
「これより追撃無之事」と協定が成立し、戦いは終わった。
各藩は夫々兵を引き上げ、戊辰戦争中仙台藩にとってこの地が最後の戦場と
なった。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
平成24年GWの旅、最後の訪問地が旗巻古戦場です。
戊辰戦争の古戦場で、仙台藩と新政府軍がぶつかった古戦場です。
奥羽越列藩同盟のなかで一番の大藩である仙台藩ですが、いまいち
戊辰戦争ではぱっとせず。
長岡藩や庄内藩の方が目立つ戦いをしていました。
加賀藩などの大藩も戊辰戦争では表に出てきません。要はその経済力
で軍備拡張をしていたわけじゃ無いという事ですね。

旗巻古戦場は仙台藩の少ない戊辰戦争の古戦場です。
現在は古戦場公園として整備されています。

<旗巻古戦場>
旗巻古戦場3.jpg
旗巻峠旧道

旗巻古戦場.jpg

旗巻古戦場2.jpg
旗巻峠の風景です。

旗巻古戦場 仙台藩戦死塚.jpg
仙台藩の戦死者を供養する供養塔です。

古戦場めぐり
http://rover.seesaa.net/article/159539121.html

平成24年GWの旅
http://rover.seesaa.net/article/268720848.html


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大雄寺   (宮城県亘理町)

宮城県亘理町の大雄寺に行ってきました。

<大雄寺>
大雄寺1.jpg
住所:宮城県亘理郡亘理町泉ケ入88
駐車場あり(無料)
境内自由

大雄寺はもとは福島県小倉村にあったものを伊達成実が最初の
居城であった小堤城跡に移築したもの。
創建当時の建物は罹災で消失し、現在の建物は1800年代初期に
再建されたものである。

大雄寺2.jpg

境内には伊達成実、伊達実元らの廟所や、亘理伊達家累代の墓など
があります。

<伊達成実廟>
大雄寺 伊達成実廟.jpg

<伊達実元廟>
大雄寺 伊達実元廟.jpg

<亘理伊達家累代の墓>
亘理伊達家累代の墓.jpg

大雄寺は少し高いところにあるので、亘理の町を一望する事が出来
ます。景色良好です。
大雄寺から見た風景.jpg

日本の城を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21222307.html

著名人の墓
http://rover.seesaa.net/article/26837973.html

平成24年GWの旅
http://rover.seesaa.net/article/268720848.html


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角田城跡    (宮城県角田市)

宮城県角田市にある角田城跡に行ってきました。

<角田城跡>
角田城跡.jpg
住所:宮城県角田市角田字牛舘1
駐車場なし

この城は戦国時代の終わり頃に田手氏が1591年に伊達成実がそれ
ぞれ居城とした。のち1598年に伊達政宗の叔父である石川昭光が
入り、以後明治維新まで約270年間、石川氏代々の居城となってきた。
この丘陵の形が伏せた牛に似ていることから別名「臥牛城」とも呼ばれる。

江戸幕府が一国一城令を定めていたことから、角田城は対外的には城
ではなく要害として扱われたが、実質的には城としての機能を持って
いた。
明治時代に入ると新政府から城の破却を命じられたため、現在城郭が
残っていない事が惜しまれる。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
角田城跡に行ってきました。
明治維新後すべて壊されてしまっており、今現地は角田高校・
角田中学校の敷地となっています。

角田城跡2.jpg
現地の写真ですが、城の石碑がある以外は面影が無いのが残念
です。

日本の城を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21222307.html

平成24年GWの旅
http://rover.seesaa.net/article/268720848.html


posted by 南行 at 18:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 宮城県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

岩崎山金窟跡  (宮城県蔵王町)

宮城県蔵王町にある岩崎山金窟跡に行ってきました。

<岩崎山金窟跡>
岩崎山金窟 看板.jpg
住所:宮城県蔵王町遠刈田温泉字遠刈田温泉北山
駐車場あり(無料)

岩崎山は遠刈田温泉の西側に位置する岩山で、金や銅などの鉱脈を
含んでおり、江戸時代の初期(1645年頃)には仙台藩の金山と
して採掘が行われていました。
しかし、その歴史は長くは続かず、江戸時代の中期には廃坑になって
久しい忘れられた金山であった。
その理由は定かではないが、一説には坑内で大量の出水があり、やむなく
廃坑となったとも言われている。
当時の採掘法は、金の鉱脈をたどって地下を縦横に掘り進む狸堀りと
呼ばれるもので、細い坑道が無数に交差するさまが、あたかも竹かご
編み目のようであることから籠山という別名がつけられた。
体がやっと入るほどの狭い坑道はすべて手堀りであり、当時の工夫たちの
苦労を物語っている。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
車で走っていたところ「伊達政宗ゆかりの金山」という看板を発見。
立ち寄ってみました。
ここは岩崎山金窟というところで、蔵王町指定の文化財になっています。
大きな岩山に細い坑道入り口があり、ここから掘ったと思うとかなりの
重労働だなとしみじみ思いました。

岩崎山金窟.jpg

岩崎山金窟1.jpg

岩崎山金窟2.jpg

現地は遠刈田公園として整備されています。
平成24年5月5日の訪問でしたが、桜が咲いていてそちらも楽しむ
事が出来ました。

遠刈田公園の桜1.jpg

遠刈田公園の桜2.jpg

遠刈田公園の桜3.jpg

<桜のある風景>
http://rover.seesaa.net/article/14535679.html

平成24年GWの旅
http://rover.seesaa.net/article/268720848.html


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三階の滝・不動の滝   (宮城県蔵王町)

宮城県蔵王町にある三階の滝と不動の滝を見に行ってきました。

<三階の滝>
三階の滝.jpg
住所:宮城県蔵王町遠刈田温泉
駐車場あり(無料)

宮城県蔵王町の滝見台と呼ばれるビューポイントから見える
2つの滝、三階の滝と不動の滝を見てきました。

三階の滝は標高750mから569mに落下する総延長181
mの滝で、途中滝壺が三ヶ所ある事から三階の滝と命名されて
います。

<不動の滝>
不動の滝.jpg

蔵王山中の瀑布の中でも大きな滝で、落差54m、幅16mあります。
この滝には伝説としてカニとウナギとの壮絶な滝壺(住み家)争いが
伝えられています。

不動の滝は秋に行くと紅葉が綺麗。
こちらは10年ほど前に行ったときの写真です。
不動の滝2.jpg

滝見台からだと遠くに滝を見る感じになります。近くに
寄る事が出来るようでしたら、近くからも見てみたいものです。

日本の滝巡り
http://rover.seesaa.net/article/25540563.html

平成24年GWの旅
http://rover.seesaa.net/article/268720848.html


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2012年05月06日

かくだ菜の花まつり    (宮城県角田市)

宮城県角田市の「かくだ菜の花まつり」に行ってきました。

<かくだ菜の花まつり>
角田菜の花まつり.jpg
住所:宮城県角田市梶賀
駐車場あり(無料)

阿武隈川のほとり角田橋の麓の3.2haに約250万本
の菜の花が咲く菜の花スポットです。
市内に菜の花祭会場はこちらという表示があったため、それに
吸い込まれる様に言ってみました(^-^)
遠くに蔵王連峰を見渡す菜の花畑は非常に綺麗でした。
ポニーがいたり、出店が出たりでまつりらしい雰囲気でしたが、
ここは地元の人ばかりという感じでした。
県外の車のナンバーはあまりなかったです。
もう15回も開催されている様ですので、県外の方にも来ても
らえれば良いものですね。

<かくだの菜の花・平成24年5月5日撮影>
角田菜の花まつり2.jpg

角田菜の花まつり3.jpg

角田菜の花まつり 大.jpg
クリックすると拡大します。

平成24年GWの旅
http://rover.seesaa.net/article/268720848.html


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2011年08月18日

竹駒神社      (宮城県岩沼市)

宮城県岩沼市の竹駒神社に行ってきました。

<竹駒神社>
竹駒神社3.jpg
住所:宮城県岩沼市稲荷町1-1
駐車場あり(無料)
境内自由

竹駒神社は842年、小野篁卿が陸奥守として着任に際し、東北開拓、
殖産興隆の大神を奉祀して創建されました。
日本三大稲荷の一つに数えられる事もあり、崇拝されています。
かつての社殿は伊達家藩主寄進の江戸時代の建造物でしたが、平成2年
に焼失。現在の社殿は再建されたものです。

竹駒神社 本殿.jpg

<楼門・1812年の建築>
竹駒神社.jpg

<芭蕉句碑>
竹駒神社 芭蕉句碑.jpg
松尾芭蕉は奥の細道の旅の際、近くにある阿武隈の松を訪れています。
また曽良の記録には竹駒神社を参拝したというものがあり、ここに芭蕉句碑
が建てられています。
「佐くらより 松盤二木を 三月越し」芭蕉

<その他 社>
竹駒神社 2.jpg

竹駒神社 命婦社.jpg

竹駒神社には過去3回位参拝していますが、ブログで紹介する機会があり
ませんでした。今回の訪問を機にブログに書きました。
平成に入ってから焼失した社殿は大変残念でした。初めて行ったのが平成9年だったので、
再建後しか見たことがありません。

神社としての格式高く、岩沼に行ったら是非訪問したいところです。

平成23年夏旅
http://rover.seesaa.net/article/220709348.html

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奥州街道有壁宿   (宮城県栗原市)

宮城県栗原市の有壁宿に行ってきました。

<奥州街道有壁宿>
奥州街道有壁宿1.jpg
住所:宮城県栗原市金成有壁
駐車場なし

奥州街道は江戸から弘前藩三厩までの街道で、長さで最長の街道
になります。宮城県内はほぼ国道4号線と一致し、白石、国分町、
築館、古川など25の宿駅が設けられていました。

現在、有壁宿には1744年築の本陣が残り、そこを中心に宿場町
の風情を感じる事が出来ます。

<有壁宿本陣>
有壁宿本陣.jpg
有壁宿本陣には明治9年に明治天皇も来られて小休所として使用され
ました。

観光地化されていませんが、奥州街道有壁宿という旗がたち、観光
アピールはしている感じでした。
5年くらい前に1回来ていたので、久々の訪問になりました。

<有壁宿の町並み>
奥州街道有壁宿2.jpg

奥州街道有壁宿3.jpg

奥州街道有壁宿4.jpg

日本の古い町並み
http://rover.seesaa.net/article/21960937.html

平成23年夏旅
http://rover.seesaa.net/article/220709348.html


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2011年08月16日

多聞山      (宮城県七ヶ浜町)

宮城県七ヶ浜町の多聞山に行ってきました。

<多聞山>
多聞山.jpg
住所:宮城県七ヶ浜町代ヶ崎浜
駐車場あり(無料)

多聞山は標高56メートルの景勝地で、多聞天像を安置する毘沙門堂
があるので多聞山と呼ばれるようになった。
多聞山は眼下に馬放水道、塩釜湾を臨み、松島湾の南部景観の好点を占め
大高森、富山、扇谷と合わせ松島四大観として知られ、多聞山からの景観
は美観と称されている。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
七ヶ浜町の多聞山に行ってきました。
車で走っていて、景勝地という様な標識が出ていたので知らない場所
ではあったんですが立ち寄ってみました。
駐車場から毘沙門天を祀る毘沙門堂まで歩いて5分くらい。
ちょっとアップダウンはありますが、そんなにきつい道ではありません。

多聞山毘沙門堂.jpg
毘沙門堂の前の灯籠は地震の影響か倒れてしまっていました。

その毘沙門堂の裏からの景色が松島四大観のひとつと言われる景観です。

<多聞山よりの景色>
多聞山より.jpg

松島を南側から眺める景観です。
碧々とした海に浮かぶ島々。確かに綺麗で良い景色でした!




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ひまわりの丘     (宮城県大崎市)

宮城県大崎市(旧三本木町)にあるひまわりの丘に行ってきました。

<ひまわりの丘>
三本木 ひまわり1.jpg
住所:宮城県大崎市三本木斉田
駐車場あり(有料:250円)

旧三本木町はヒマワリで有名で、ひまわりの丘には6ヘクタールの
斜面に約42万本のひまわりが咲き誇ります。
三本木のひまわりは昔から有名で、以前道の駅で「ひまわりアイス」
など食べたこともありました。
今回初めて咲いているひまわりを見に訪問しました。
平成23年8月9日訪問しましたが、青空に映えてとても綺麗な花を
見ることが出来ました(^-^)

協賛金という名目で、駐車1台につき250円支払う必要があります。
平成23年は本日16日までがひまわり祭りとの事です。

<三本木のひまわり・平成23年8月9日撮影>
三本木 ひまわり2.jpg

三本木 ひまわり3.jpg

三本木 ひまわり4.jpg

三本木 ひまわり5.jpg


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2011年03月22日

定義如来/西方寺   (宮城県仙台市)

宮城県仙台市にある定義如来西方寺に行ってきました。

<定義如来/西方寺>
定規如来.jpg
住所:宮城県仙台市青葉区大倉字上下1
駐車場あり(無料)
境内自由

今から800余年前、平重盛の重臣、肥後守貞能公は平家が壇ノ浦
の戦いに敗れた後、重盛公の遺命を奉じてこの地に隠れ、重盛公が平和
祈願のため、中国の欣山寺に黄金若干寄進に際して送献された阿弥陀如来
の画像宝軸を護持しました。
源氏の追討を逃れるため、貞能公はなおも世をはばかり、名を定義と
改め、その後、朝夕尊像を礼拝し世の平和を祈ったのです。
今この地を定義(じょうぎ)と称し如来様を定義如来と申し上げるのも
ここに起縁するものです。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
住所は仙台市ですが、場所的には山形県に近い山の中にあるお寺です。
大きなお寺、そして平家落人の里という事で、以前から気になっていま
したが、昨年訪問しました。
国道から定義如来に通じる道を10キロくらいでしょうか、走って
到着。びっくりしたのはかなり大勢の参拝客で賑わっていたことです。
門前にはお土産屋や食事処も並び、山の中の閑かなお寺という感じでは
ありませんんでした。

まずはおなかがすいたので、名物やきめしを食しました。
定義如来 やきめし.jpg
食べる前に写真を撮れば良かったんですが(^^;
定義ではこの様な味噌をつけた焼きめしと三角の油揚げが名物だそうです。
お寺の門前だと門前蕎麦みたいなのが定番ですけど、こういうのは珍しい
ですね(^-^)

お寺は堂宇も大きく見応えがありました。

<貞能堂>
定義如来 貞能堂.jpg

<新本堂>
定義如来 新本堂.jpg

<五重の塔>
定義如来 五重塔.jpg

定義如来 五重塔2.jpg

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2010年12月14日

高蔵寺阿弥陀堂    (宮城県角田市)

宮城県角田市にある高蔵寺阿弥陀堂に行ってきました。

<高蔵寺阿弥陀堂>
高蔵寺 阿弥陀堂.jpg
住所:宮城県角田市高倉寺前49
駐車場あり(無料)
見学自由

高蔵寺の創建は古く平安時代の初期819年、南都の僧徳一によって
開山されたと伝えられ、嵯峨天皇の筆によると言われる「高蔵寺」の
額が秘蔵されている。

高蔵寺 阿弥陀堂2.jpg

阿弥陀堂は1177年、藤原秀衡によって建立されたものであり、
宮城県最古の木造建造物である。
宇治の平等院鳳凰堂などとともに日本最古の七阿弥陀堂のひとつに
数えられる。東北には平泉の中尊寺金色堂、いわき市の白水阿弥陀堂
があり、古代平安文化の香りを今もとどめている。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
宮城県角田市の高蔵寺阿弥陀堂を見てきました。
東北屈指の歴史を誇る阿弥陀堂です。中尊寺金色堂、白水阿弥陀堂は
見たことがあったので、ここを見たことで達成感がありました。

建物はいかにも平安建築という感じ。正方形の整った形が美しさ
を感じさせます。藁葺きっていうんですかね、屋根の形状も独特
の雰囲気です。

国指定重要文化財ですが、中尊寺金色堂、白水阿弥陀堂も国宝に
指定されているという事で、この建物はいずれ国宝に指定されるので
はないでしょうか。個人的には見事な建物だなと思いました。

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posted by 南行 at 22:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 宮城県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月01日

秋保大滝     (宮城県仙台市)

仙台市太白区にある秋保大滝に行ってきました。

<秋保大滝>
秋保大滝.jpg
住所:宮城県仙台市太白区秋保町馬場字大滝
駐車場あり(無料)

秋保大滝(あきうおおたき)は名取川の上流にある滝。
高さ55メートル。水量多く、東北地方屈指の名瀑です。
仙台市ですが、仙台市街からはかなり離れており、山の中の滝
という感じです。
ここに来るのは10年以上ぶり。久しぶりで、滝までの道とか
全然記憶の片隅にも残っていない様な状況でした。
駐車場に車を止め、そこから観瀑台までは歩いて2〜3分。
整備されているので苦労せずに見ることが出来ます。

秋保大滝2.jpg

この日は水量も多く、迫力ある滝を感じることが出来ました。
紅葉にはやや早かったですが、紅葉したらますます綺麗だろうな
と思いました。

<秋保大滝・クリックすると拡大します>
秋保大滝 大.jpg

動画もどうぞ。


日本の滝巡り
http://rover.seesaa.net/article/25540563.html

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2010年10月10日

みちのく公園   (宮城県川崎町)

宮城県川崎町にある「みちのく公園」に行ってきました。

<みちのく公園>
みちのく公園 サルビア.jpg
住所:宮城県柴田郡川崎町大字小野字二本松53-9
駐車場あり(有料・300円)
入園料:400円

みちのく公園で、コスモスとコキアが見頃という情報があったので行ってみました。
前日の河北新報にみちのく公園でコキアが紅く色づいているという記事がありました。
コキアって何?って感じだったんですが、とりあえず行ってみました。

コキアは別名ホウキグサというそうです。ちょうど今紅葉しており、紅く色づいて
不思議な感じでした。
みちのく公園 コキア.jpg

みちのく公園は、東北地方唯一の国営公園。広い敷地には花だけじゃなくて、いろいろ
なものが。古民家園みたいなエリアもあり、古民家が移築展示されていました。
みちのく公園 古民家1.jpg

みちのく公園 古民家2.jpg

ちょうどこの日は、古民家の中で蒟蒻作り体験などというイベントが開催されて
いました。


コスモスの記事は続きをどうぞ。

続きを読む
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2009年11月23日

瑞鳳殿    (宮城県仙台市)

宮城県仙台市にある瑞鳳殿に行ってきました。

<瑞鳳殿>
瑞宝殿.jpg
住所:宮城県仙台市青葉区霊屋下23-2
駐車場あり(無料)
入場料:550円

瑞鳳殿は伊達政宗の遺言によって作られた廟所です。桃山様式を
伝える豪華絢爛な建物で国宝に指定されていましたが、1945年の
戦災で焼失。その後1979年に再建されたものです。

瑞鳳殿は伊達政宗の墓ですが、同じ敷地内には二代藩主伊達忠宗の
お墓である感仙殿、三代藩主伊達綱宗の墓である善応殿もあります。

資料館では、再建時に行われた発掘調査に関する映像なども見る
事が出来、非常に興味深いものです。
僕は10年振りくらいで瑞鳳殿に行きました。やはり10年も行って
ないと忘れるもので、瑞鳳殿の建物の雰囲気など初めて見たような
感じでした(^^;
ただ、資料館の映像はインパクトがあったせいか、今でも覚えていて
「あ、これ見たな〜」っていうものでした。

<感仙殿と善応殿>
感仙殿と善応殿.jpg

<善応殿>
善応殿.jpg

著名人の墓
http://rover.seesaa.net/article/26837973.html



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2009年11月20日

白石城    (宮城県白石市)

宮城県白石市の白石城に行ってきました。

<白石城>
白石城.jpg
住所:宮城県白石市益岡町1-16
駐車場あり(無料)
天守閣入場料:300円

1591年、豊臣秀吉は伊達氏の支配下にあったこの地方を没収し、
蒲生氏郷に与えた。蒲生氏郷の家臣蒲生郷成は城下町を含む城郭、
白石城を築城し城主となった。
1598年上杉領になってから上杉家家臣甘糟備後守清長は白石城の
再構築を行い居城とした。
1600年、関ヶ原の戦いの直前、伊達政宗は白石城を攻略し、
この地方は再び伊達領となり、伊達氏の家臣である片倉小十郎が
大改修を行い以後明治維新まで260年余の間片倉氏の居城となった。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
白石城に久しぶりに行ってきました。前回来たときには天守閣には
入らず、外から見ただけで帰っていましたが、今回は天守閣の中にも
入ってみました。
再建された天守閣とはいえ、天守閣があるだけで趣があるもの。
天守閣からは白石市内や蔵王の山を見渡すことが出来、非常に景色が
良かったです。

白石城2.jpg

白石城からの風景.jpg

白石城からの風景2.jpg

白石城からの風景3.jpg

現地にある博物館のシアタールームでは片倉小十郎の映画を見る事
が出来るのですが、上映時間が決まっていて、またもやタイミングが
合わず見ることが出来ませんでした(>_<)
また次回って感じです。

日本の城を巡る
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2009年05月17日

洞雲寺    (宮城県仙台市)

宮城県仙台市、洞雲寺に行ってきました。

<洞雲寺>
洞雲寺.jpg
住所:宮城県仙台市泉区山の寺2丁目3−1
駐車場あり(無料)
境内自由

<現地案内版より>
慶雲年間定彗法師がこの地に蓮葉山円通寺を開創し、慈覚大師が
これを中興し山の寺と称した。
その後、加賀の大乗寺三世名峯素哲禅師により寺跡を復興し、龍門山
洞雲寺と称した。
その後、廃寺となったが1400年、梅国祥三禅師が領主国分盛行
に請い七堂伽藍他二十五院の塔頭を造営し大道場となった。
が、その後明応と文禄の年間再度火災にあい荒廃した。
1732年、仙台輪王寺前住牲蕃和尚はこのような由緒ある名刹を
再興しようと藩主吉村公に請い、所堂を造営し再び輪奐の美を
誇り、禅宗道場として奥州に重きをなした。
昭和18年の山火事で古い由緒深い諸堂を全焼した事は惜しまれて
ならない。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
仙台市泉区の洞雲寺に行ってきました。
まわりは、開発されたニュータウンみたいなところで、一段低く
なったところにこのお寺がありました。
国道4号からすぐのところに、こんなひっそりとしたお寺がある
事に驚きました。

洞雲寺 参道.jpg
参道は、こんな感じで静かな林の中を進みます。

洞雲寺2.jpg
ちょっとした庭園もありました。

岩谷観音堂.jpg
ここは岩谷観音堂と言い、観音像が納められた岩の洞窟です。
今は塞がれて中に入ることは出来ません。

ちょうど八重桜が綺麗な感じに咲いていました。
<洞雲寺の八重桜・平成21年5月2日撮影>
洞雲寺 桜1.jpg

洞雲寺 桜2.jpg

平成21年GWの旅
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洞雲寺

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2009年05月13日

沖の石    (宮城県多賀城市 観光名所)

宮城県多賀城市にある歌枕の地「沖の石」を見てきました。

<沖の石>
沖の石.jpg
住所:宮城県多賀城市八幡2丁目19
駐車場無し

沖の石は、古来和歌に詠まれた歌枕であり、今もって池の中の奇岩
はるいるいとした姿をとどめており、古の情景を伝えています。
江戸時代の元禄2年5月8日『奥の細道』の旅の途上、松尾芭蕉
と同行者の曾良はこの地を訪れました。
また仙台藩4代藩主伊達綱村の時代には名所整備が行われ、手厚い
保護を受けていたことが知られています。

沖の石2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「わが袖は しほひにみえぬ おきの石の 人こそしらね かわくまもなき」二条院讃岐

百人一首でも有名なこの句に出てくる歌枕「沖の石」を見に多賀城市
に行ってきました。
先に紹介した末の松山から歩いてすぐの所にあります。

沖の石って言う位ですから海にあるのかな〜と思いきや、住宅地の
中にありました。
不自然にある池みたいなところに、何故か岩が・・・。
今は池の中の岩なんですけど、かつてはここまで海だったという
話です(本当かな〜)

正直「沖の石」は住宅地の中にある不自然な景観でした(^^;

名高い歌枕「末の松山」と「沖の石」は近くにありますので、一緒
に観光すると良いかと思います。

奥の細道の旅
http://rover.seesaa.net/article/26835383.html

平成21年GWの旅
http://rover.seesaa.net/article/118675040.html

沖の石

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2009年05月12日

末の松山   (宮城県多賀城市)

宮城県多賀城市で「末の松山」を見てきました。

<末の松山>
末の松山.jpg
住所:宮城県多賀城市八幡2丁目8-28
駐車場あり(無料)
見学自由

末の松山は古くから和歌に詠まれた歌枕の地です。
中でも有名なのは清原元輔の
「契りきな かたみに袖をしぼりつつ 末の松山波越さじとは」
この句は百人一首でも有名ですね。

「君をおきてあだし心をわが持たば末の松山波も越えなむ」
古今和歌集 東歌。

などが有名です。

末の松山の所在地には諸説あるようですが、この多賀城市八幡説が
最も有力だそうです。
1689年には松尾芭蕉が奥の細道の旅で訪れ、
「はねをかはし枝をつらぬる契の末も終はかくのごとしと悲しさ
も増さりて」と無常観を感じたことを記している。

百人一首に昔はまった者として、この末の松山はいつか行こうと
思っていたところでした。
場所がよく分からなかったんですが、国道45号線からそれること
すぐの場所で、今まで何度も近くを通りかかっていました。
国道45号沿いにはそれらしき標識も無いので、なかなか分かり
辛いところですね。
歌枕としては超有名なところなので、是非どうぞ(^-^)

末の松山2.jpg

奥の細道の旅
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平成21年GWの旅
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2009年05月06日

塩竈神社の桜  (宮城県塩釜市)

宮城県塩釜市の塩竈神社に桜を見に行ってきました。

<塩竈神社>
塩竈神社.jpg
住所:宮城県塩竈市一森山1-1
駐車場あり(無料)
境内自由

塩竈神社は1200年以上の歴史を持つ陸奥国一宮です。
塩竈神社には何度か初詣で行っているんですが、今回は桜を見よう
と思って行ってみました。
塩竈神社と言えば、何と言っても塩竈桜。
堀河天皇の和歌にも詠まれている桜で、国の天然記念物に指定され
ています。
サトザクラ系八重桜で枝に手鞠状に着く。
花弁は35〜50枚。
めしべが1〜2稀に3枚の緑色小葉に変化するのが特徴。
花期は晩期。花色は淡々紅色で次第に濃くなっていく。

<塩竈桜・平成21年5月2日撮影>
塩竈桜.jpg

塩竈桜1.jpg

塩竈桜2.jpg

塩竈桜3.jpg

塩竈桜 大.jpg
クリックすると拡大します。

<桜の名所まとめのページはこちら>
http://rover.seesaa.net/article/14535679.html

一之宮めぐり
http://rover.seesaa.net/article/26834634.html

平成21年GWの旅
http://rover.seesaa.net/article/118675040.html



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2008年08月24日

大林寺    (宮城県栗原市 観光名所)

宮城県栗原市の大林寺に行ってきました。

<大林寺>
大林寺
住所:宮城県栗原市若柳字大林町裏219
電話:0228-32-2020
駐車場あり(無料)

大林寺はもともと金成町にあったものを1508年、改めて曹洞宗
熊野山大林寺として開山。
寺の前には樹齢500年と言われる傘松(栗原市指定天然記念物)
があります。

それよりも、この寺には気になる碑があります。
僕もそれを見に訪れました。
東北道若柳金成ICを降りると目の前に「安重根の碑 大林寺」の
標識が見えました。
何故に、安重根。しかも宮城のこんな場所に???
安重根と言えば、伊藤博文を暗殺した人物。日本で安重根の碑文が
あるなんて考えられないと思いました。

行ってみると、本当にあります。安重根の碑。
そこには「為国献身軍人本分」と書かれています。

何故にここに安重根の碑があるかという事が、解説されていました。
安重根死刑囚を看守する役目にある、千葉十七というこの地出身の
人物がいて、安重根義士の東洋平和論と民族独立への悲願に深く
心を動かされ、いつしか二人は互いに敬愛の念で結ばれるように
なったそうです。

安重根は、死を目前に千葉氏に「為国献身軍人本分」の書を
今生の別れに贈ったとの事。

安重根生誕100周年の1979年、それまで千葉氏並びに遺族
により大切にされてきたこの書は、祖国に返還された。
碑はこれを記念して千葉氏が建立した物という事です。

<安重根の碑>
安重根の碑

まさに、「へ〜」って感じでしたね。
安重根は歴史上の人物として認識していますが、こういういきさつで
ここ大林寺に碑があるっていうのは、歴史の知識だけでは分からない
人間ドラマを感じました。

でもまあ、日本にはいらない碑だと個人的には思いますがね。

平成20年夏旅
http://rover.seesaa.net/article/104997161.html



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2008年08月03日

村田の町並み    (宮城県村田町)

宮城県村田町の町並みを散策してきました。

<村田の町並み>
村田の町並み
住所:宮城県村田町大字村田
駐車場あり(観光用無料駐車場)

宮城県村田町はかつて仙台と山形をむすぶ街道の要衝として栄えた
町で、今でも蔵造りの建物が残り当時の雰囲気を感じることが出来ます。

昨年の9月15日に久しぶりに村田の町を散歩しました。
村田は随所に蔵造りの建物が残る感じで、大規模な感じではあり
ませんが、古都の雰囲気を感じる事が出来る町並みです。
みちのく宮城の「小京都」とも呼ばれます。

村田の町並み.jpg

<村田の町並み>
村田の町並み

村田の町並み

村田の町並み

日本の古い町並み
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2008年07月20日

氷の水族館    (宮城県気仙沼市 観光名所)

これからの暑い時期にという事で、宮城県気仙沼市の氷の水族館
を紹介します。

<氷の水族館>
氷の水族館
住所:宮城県気仙沼市魚市場前7-13
駐車場あり(無料)

マイナス20度の館内に約80種類450匹の魚が氷漬けにされた
世にも珍しい水族館です。

僕も真夏に行ったんですが、まずは防寒コートを着用して中に入り
ます。
世界が一変。マイナス20度の世界です。

氷の水族館

「さぶ・・・」とか言いながらも、不思議な光景に興味津々です。

氷の水族館

水族館の魚たち

氷の水族館

こちらは南極観測船「しらせ」が持ち帰った南極の氷です。
南極の氷

外に出ると気温差で眼鏡が一気に曇ります。
気温差40度以上ありますもんね。

暑い時期におすすめです(^-^)



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2006年04月03日

仙台四郎  (宮城県仙台市)

仙台のお土産で仙台四郎の色紙を購入してきました。

<仙台四郎の色紙 1050円>
仙台四郎.jpg

<仙台四郎とは>
明治期に実在した人物で、仙台四郎が訪れた家に幸福をもたらし、店は
千客万来であったそうです。
仙台の旧家や老舗には「福の神仙台四郎」の写真が飾られています。

<ひとこと>
仙台の人なら知らない人はいないであろう仙台四郎。
ただ仙台以外では知る人も少ないかと思います。
何でも実在した人物だそうで、知恵遅れだった様ですが、その笑顔で
いろいろな人を幸福に導いたという話です。
仙台以外の人に是非気にしていていただきたいのですが、仙台でお店に
入るとこの仙台四郎の絵が飾ってある事が多いです。見ましたら、福の神
仙台四郎だ!と思っていただければと思います。
僕も今日は仙台の御朱印船という居酒屋でランチを食べましたが、目の前
に仙台四郎がいらしゃいました。

仙台駅のお土産で仙台四郎の色紙を購入。
早速机の上に飾りました。
幸福が訪れれば良いんですが。
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姉歯の松  (宮城県栗原市 歌枕の地 奥の細道 観光名所)

宮城県栗原市(旧金成町)にある姉歯の松伝承地に行ってきました。

<姉歯の松>
姉歯の松.jpg
住所:宮城県栗原市金成姉歯
駐車場:あり
東北自動車道若柳金成ICから数キロ

<ひとこと>
旅のテーマとして、歌枕の地を巡っています。
伊勢物語で在原業平に「栗原のあねはの松の人ならば、都のつとにいざと言わましを」と詠まれる歌枕の地、姉歯。
松尾芭蕉の『奥の細道』にも姉歯の松の記載が見られます。
そんな姉歯の地を訪れました。
場所は宮城と岩手の県境にある栗原市(旧金成町)。
いつか行こうと思いつつも、そんなには気にしていなかったんですが、最近
とみに姉歯という名前がTVなどに出ますので、意を決して出かけました。
在原業平、鴨長明、松尾芭蕉など多くの人に歌われた姉歯の松ですが、今
現地には、コレが姉歯の松だっていう松はありません。
おそらく今はもう無くて、歌枕や伝承のうちに残るものなんでしょう(僕の
勝手な判断)一応現地には姉歯の松に関する歌碑や石碑がたち、松の木も
存在しますが、そんなに樹齢を重ねた木ではありませんでした。
また、『奥の細道』の地であることを示す碑もたっています。

鴨長明「ふるさとの 人に語らむ くりはらや 姉歯の松の うくひすのこえ」
藤原秀能「くりはらの 姉歯の松を さそいても 都はいつと 知らぬたひかな」

などと詠まれています。
姉歯の松は奥州の歌枕として語り継がれています。
是非みなさんも姉歯の地を訪れてみてはいかがでしょう。

<栗原市HP>
http://www.kuriharacity.jp/past/kannari/rekisi/mukasi/mukasi03.html

姉歯の松(奥の細道 歌枕の地)

続きをご覧ください

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2005年10月10日

船岡城址公園   (宮城県柴田町 城跡 観光名所)

宮城県柴田町 船岡城址公園。

<船岡城址公園>
船岡城.jpg
住所:宮城県柴田郡柴田町船岡城址公園
駐車場あり(無料)

歴代の船岡藩主が城を構えていた場所にできた公園。
桜が4月中旬頃に一斉に開花し、白石川堤も一望出来る
名スポット。
伊達藩内の内紛で山本周五郎の小説『樅の木は残った』
の舞台でもあり、公園内にはその樅の木がひっそりと
茂っている。
船岡城2.jpg
公園から急な坂道を歩き10分強で船岡平和観音がある。
高さ20メートル、昭和31年に開眼との事。
世界平和を祈る白衣観音。
船岡平和観音.jpg
急な坂道にはスロープカーがあり、往復数百円で登れる
様です。僕は二日酔いのなか、歩いて山頂に向かいました。
すごい急坂ですので、スロープカーを使った方が楽かも
しれません。
船岡城謎の乗り物.jpg
観音像からは柴田の町並みが一望できます。
国道4号から船岡城址っていう看板と、観音像が遠望できます。
ちょっと寄ってみるのも良いかと思います。

<筆者より>
僕も以前桜咲く時に来たことがありますが、非常に良かった
です。是非桜のシーズンに来たい場所ですね。

日本の城を巡る
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posted by 南行 at 17:13| Comment(0) | TrackBack(1) | 宮城県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする