2019年04月28日

大聖寺のベニシダレ      (福島県田村市)

田村市にある大聖寺のベニシダレを見てきました。

<大聖寺のベニシダレ>
大聖寺のベニシダレ.jpg
住所:福島県田村市船引町笹山立石13
駐車場無し

<大聖寺のベニシダレについて>
大聖寺のベニシダレ2.jpg

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大聖寺のベニシダレを見てきました。
ここはまったく知らなかった場所です。たまたま車で通りかかったら、道路から
綺麗な1本桜が見えたため立ち寄りました。

三春滝桜の子桜と言われる樹齢約250年のベニシダレです。
青空に映えて紅色がとても綺麗です。この桜はノーマークだった分、新たな発見で
良かったです。

<大聖寺のベニシダレ・平成31年4月17日撮影>
大聖寺のベニシダレ3.jpg

大聖寺のベニシダレ4.jpg

大聖寺のベニシダレ5.jpg

大聖寺のベニシダレ6.jpg

大聖寺のベニシダレ7.jpg

<桜の名所まとめのページはこちら>
http://rover.seesaa.net/article/14535679.html

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光岩寺の桜        (福島県三春町)

三春の光岩寺で桜を見てきました。

<光岩寺の桜>
光岩寺の桜.jpg
住所:福島県田村郡三春町亀井
駐車場あり(無料)

三春藩主松下長綱の母加藤氏(当時の会津藩主加藤嘉明の娘)が建立した
光岩寺の桜です。
光岩寺というお寺という事ですが、墓地はあるのですが、お寺の建物が
見当たりませんでした。

桜は様々な品種があり、とても良かったです。ピンク色の濃い枝垂れ桜が
特に綺麗でした。

<光岩寺の桜・平成31年4月17日撮影>
光岩寺の桜2.jpg

光岩寺の桜3.jpg

光岩寺の桜4.jpg

光岩寺の桜5.jpg

光岩寺の桜6.jpg

光岩寺の桜7.jpg

光岩寺の桜8.jpg

光岩寺の桜9.jpg

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龍穏院の桜      (福島県三春町)

三春町の龍穏院で桜を見てきました。

<龍穏院>
龍穏院.jpg
住所:福島県田村郡三春町荒町160
駐車場あり(無料)
境内自由

<龍穏院について>
龍穏院2.jpg

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三春の龍穏院に行ってきました。
三春の観光ガイドに出ていたお寺です。
秋田氏の菩提寺で、幕末戊辰戦争では新政府軍の病院として使われたというお寺です。

桜は江戸彼岸桜が何本か綺麗に咲いていました(^-^)

<龍穏院の桜・平成31年4月17日撮影>
龍穏院桜4.jpg

龍穏院桜1.jpg

龍穏院桜2.jpg

龍穏院桜3.jpg

龍穏院桜5.jpg

龍穏院桜6.jpg

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2019年04月24日

法蔵寺の桜   (福島県三春町)

三春町の法蔵寺で桜を見てきました。

<法蔵寺>
法蔵寺.jpg
住所:福島県田村郡三春町荒町169
駐車場あり(無料)
境内自由

<法蔵寺について>
法蔵寺2.jpg

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法蔵寺で桜を見てきました。樹齢100年超と思われる枝垂れ桜他多くの桜が
咲いていました。三春町の観光ガイドにものっている桜の名所です。

<法蔵寺の桜・平成31年4月17日撮影>
法蔵寺桜1.jpg

法蔵寺桜2.jpg

法蔵寺桜3.jpg

法蔵寺桜4.jpg

法蔵寺桜5.jpg

法蔵寺桜7.jpg

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お城坂枝垂れ桜     (福島県三春町)

三春町のお城坂枝垂れ桜を見てきました。

<お城坂枝垂れ桜>
お城坂枝垂れ桜.jpg
住所:福島県田村郡三春町南町
駐車場無し

三春城に向かう坂道の途中にある枝垂れ桜です。
桜は浪岡さんというお宅の敷地内にあるため、接近は出来ませんが、
道路からも綺麗な桜を見る事が出来ます。
樹齢約400年のベニシダレサクラです。

<お城坂枝垂れ桜・平成31年4月17日撮影>
お城坂枝垂れ桜2.jpg

お城坂枝垂れ桜3.jpg

お城坂枝垂れ桜4.jpg

お城坂枝垂れ桜5.jpg

お城坂枝垂れ桜6.jpg

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2019年04月21日

法華寺の桜      (福島県三春町)

三春町の法華寺で桜を見てきました。

<法華寺の桜>
法華寺の桜.jpg
住所:福島県田村郡三春町八幡町117
駐車場あり(無料)

三春町の観光ガイドに出ていた桜訪問です。
法華寺は三春が蒲生氏の領地だった頃に開山された日蓮宗のお寺です。

お寺の前に樹齢約200年という枝垂れ桜があります。
花の色はやや赤色が濃いめです。

<法華寺の桜・平成31年4月17日撮影>
法華寺の桜2.jpg

法華寺の桜3.jpg

法華寺の桜4.jpg

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天澤寺の枝垂れ桜       (福島県三春町)

三春町にある天澤寺で枝垂れ桜を見てきました。

<天澤寺>
天澤寺2.jpg
住所:福島県田村郡三春町清水361
駐車場あり(無料)
境内自由

<天澤寺について>
天澤寺.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
安寿と厨子王の伝説のある天澤寺で枝垂れ桜を見てきました。

三春町の観光ガイドを見ての訪問です。
本堂裏に枝垂れ桜があります。品種はベニシダレザクラ。
樹齢は100年位でしょうか。詳細情報はありません。

<天澤寺の枝垂れ桜・平成31年4月17日撮影>
天澤寺枝垂れ桜.jpg

天澤寺枝垂れ桜2.jpg

天澤寺枝垂れ桜3.jpg

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常楽院桜     (福島県三春町)

福島県三春町で常楽院桜を見てきました。

<常楽院桜>
常楽院桜1.jpg
住所:福島県三春町四軒丁
駐車場あり(無料)

三春の個人邸の中にある樹齢約200年の枝垂れ桜です。
かつてここには常楽院というお寺があったそうで、それで常楽院桜
という名前がついています。

個人邸という事もあり、写真撮る場所に制限がある為、逆光だったり
遠くからしか撮れなかったりで、写真はいまいちのものになって
しまいました(>_<)

個人邸の桜なんですけど、道路向かいにこの桜鑑賞専用の駐車場がある
のには驚きました。

<常楽院桜・平成31年4月17日撮影>
常楽院桜2.jpg

常楽院桜3.jpg

常楽院桜4.jpg

常楽院桜のすぐ近くに1本綺麗な桜の木がありました。化粧坂という坂の入口
で碑や化粧清水の井戸があります。常楽院さくらから歩いてすぐなので、合わせて
記事にしました。

<化粧坂入口の一本桜>
化粧坂入口の桜.jpg

化粧坂入口の桜2.jpg

化粧坂入口の桜3.jpg

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上石の不動桜      (福島県郡山市)

郡山市にある上石の不動桜を見に行ってきました。

<上石の不動桜>
上石の不動桜.jpg
住所:福島県郡山市中田町上石字舘
駐車場あり(無料)

<上石の不動桜について>
上石の不動桜6.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
上石の不動桜を見てきました。
不動堂のある小さな丘の上に1本見事な桜がありました。
三春滝桜の子桜とも言われる樹齢350年超の桜だそうです。

朝6時半位に訪問したんですが、既に観光客が10数人は来ていました。
咲き具合は3分咲きくらいでした。このブログを書いてる4月21日くらい
が見頃の様な気がします。

<上石の不動桜・平成31年4月17日撮影>
上石の不動桜2.jpg

上石の不動桜4.jpg

上石の不動桜5.jpg

上石の不動桜3.jpg

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2019年04月17日

三春滝桜【再】        (福島県三春町)

三春滝桜を見に行ってきました。

<三春滝桜>
滝桜5.jpg
住所:福島県田村郡三春町滝桜久保115
駐車場あり(無料)
入場料:300円

<三春滝桜について>
滝桜3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
平成18年に初訪問、平成21年に夜のライトアップを鑑賞。そこから10年ぶり
に三春滝桜を見に行ってきました。
平成最後の桜という事で、今年は神代桜も見に行きましたし、メジャーな桜を改めて
堪能しています。

昨日の夜、家を出て東北道の鏡石PAで車中泊しました。郡山の松屋で朝ご飯食べ
て三春滝桜に着いたのは朝6時40分位です。着いてびっくり、平日でしかも7時前
ですよ、駐車場は既に8割がたうまってました。
滝桜9a.jpg
平日の早朝でこの混み方なら土日はどうなってしまうんでしょ。恐くなりました。

滝桜を見るには300円払わないといけません。
地元の人とおぼわしき人の会話を小耳にはさんだのですが、朝6時より前に来ると
お金払わなくても見れるとか(真相不明です)

さて、滝桜の方はまさに満開でした。天気も良いし、とても綺麗な滝桜を見る事が
出来ました。苦労して来た甲斐がありました(^-^)

<滝桜・平成31年4月17日撮影>
滝桜.jpg

滝桜2.jpg

滝桜4.jpg

滝桜6.jpg

滝桜7.jpg

滝桜8.jpg

滝桜9.jpg

<動画>


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2018年11月14日

世良修蔵官制墳墓      (福島県福島市)

福島市にある世良修蔵官制墳墓を参拝しました。

<世良修蔵官制墳墓>
福島稲荷神社 世良修三慰霊碑.jpg
住所:福島県福島市宮町1−29
駐車場あり(無料)

世良修蔵は長州藩士で奥羽鎮撫総督府下参謀として奥州入りしますが、
その横暴な振る舞いから仙台藩士・福島藩士らによって宿泊している金澤屋
を襲撃され惨殺されました。

この墓は明治維新後に福島に入った官軍により造られた慰霊碑です。
<慰霊碑について・クリックすると拡大します>
福島稲荷神社 世良修三慰霊碑2.jpg

東北人からすると世良は悪の権化みたいな人物で好きな人はいないと思うん
ですけどね。墓にはちゃんと花が手向けられておりました。

<福島稲荷神社>
福島稲荷神社.jpg
墓は福島稲荷神社の敷地の一角にあります(境内ではありません)

平成30年秋旅 奥州平泉へ
http://rover.seesaa.net/article/462029244.html

著名人の墓
http://rover.seesaa.net/article/26837973.html

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百尺観音    (福島県相馬市)

相馬市にある百尺観音に行ってきました。

<百尺観音>
百尺観音.jpg
住所:福島県相馬市日下石高根沢686
駐車場あり(無料)
見学自由

相馬出身の仏師荒嘉明氏によって30年の歳月をかけて造られた観音様です。
荒嘉明氏が死去したため未完の観音様で、後継者の方が制作を続けています。

13年ぶりの訪問。久しぶりに大きな観音様に感動しました(^o^)
ただ、東日本大震災で左手が崩落してしまったとの事で、そこは残念な限り。
個人の観音様なだけに修復の費用とかも厳しいんでしょうね。

<昔の写真・平成17年1月撮影>
百尺観音2.jpg

平成30年秋旅 奥州平泉へ
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2018年09月30日

鶴ヶ城           (福島県会津若松市)

会津若松市にある鶴ヶ城に行ってきました。

<鶴ヶ城>
鶴ヶ城5.jpg
住所:福島県会津若松市追手町1-1
駐車場あり(有料)
天守閣入場:410円

<鶴ヶ城について>
鶴ヶ城.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
鶴ヶ城(会津若松城)に行ってきました。過去何度も行っているので、当ブログでも
てっきり記事にしているかと思いきや、書いてませんでした(^^;
有名な城なのであえて書いてなかったのかもしれません。

鶴ヶ城は1384年蘆名直盛によって築かれた黒川城を元として、蒲生氏郷の時代
に若松城として城下町が整備されました。
その後、上杉景勝、加藤嘉明などが入城。保科正之が入封してからは、幕末まで
松平氏の居城となります。
幕末には新政府軍との間で約1ヶ月に及ぶ籠城戦が繰り広げられました。
明治維新後廃城。昭和35年に復元され、平成23年に明治の解体前の赤瓦に復元
されました。
復元後初訪問でした。赤瓦の美しさに感動(^-^)
天気が良かったので、良い写真が撮れました。

鶴ヶ城6.jpg

鶴ヶ城7.jpg

今年は戊辰戦争150周年という事で、それに関する展示など特別展が開催されて
いました。

鶴ヶ城3.jpg

鶴ヶ城2.jpg

鶴ヶ城4.jpg

<鶴ヶ城からの景色>
鶴ヶ城東側.jpg

鶴ヶ城西側.jpg

鶴ヶ城 小田山方面.jpg
前に見える山が小田山です。
西軍は小田山に陣を置き、ここから鶴ヶ城を砲撃しました。

平成30年夏休みの旅(前半)
http://rover.seesaa.net/article/461036108.html

大河ドラマの舞台
http://rover.seesaa.net/article/112515106.html

日本の城を巡る
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2018年09月26日

立木観音    (福島県会津坂下町)

会津坂下町にある立木観音に行ってきました。

<立木観音>
立木観音.jpg
住所:福島県河沼郡会津坂下町大字塔寺字松原2944
駐車場あり(無料)
拝観料:300円

<立木観音について>
立木観音2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
会津坂下町にある立木観音に行ってきました。
重要文化財・立木観音堂の中に弘法大師作という立派な観音様が鎮座されています。
写真不可のため、以下のサイトからご覧ください。
http://gokujo-aizu.com/areainfo/598

一木から削り出したという観音様は圧巻でした。
拝観料は300円かかりますが、一見価値ありと思いました。

立木観音堂.jpg

立木観音三重塔.jpg

平成30年夏休みの旅(前半)
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心清水八幡神社    (福島県会津坂下町)

会津坂下町にある心清水八幡神社に行ってきました。

<心清水八幡神社>
心清水八幡神社.jpg
住所:福島県河沼郡会津坂下町塔寺松原2859
駐車場あり(無料)
境内自由

<心清水八幡神社について>
心清水八幡神社2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
心清水八幡神社に行ってきました。
平安時代末期に源頼義・義家親子が京都石清水八幡宮を勧請し、戦勝祈願したのが
始まりという神社です。
現在の社殿は幕末に会津藩によって造営されたものだそうです。

境内を歩いていたらこんなものを発見。
吉田松陰遊歴の碑2.jpg

そういえば大河ドラマ『八重の桜』で、吉田松陰が会津を訪れるシーンがありました。
ここにも来ていたんですね。

<吉田松陰遊歴の碑>
吉田松陰遊歴の碑.jpg

吉田松陰遊歴の碑3.jpg

平成30年夏休みの旅(前半)
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大河ドラマの舞台
http://rover.seesaa.net/article/112515106.html

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堀部安兵衛像    (福島県会津坂下町)

会津坂下町にある堀部安兵衛像を見てきました。

<堀部安兵衛像>
堀部安兵衛像.jpg
住所:福島県河沼郡会津坂下町字舘ノ内甲34
駐車場無し

<堀部安兵衛像>
堀部安兵衛像2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
会津坂下にある堀部安兵衛の銅像を見てきました。
堀部安兵衛は赤穂四十七士の一人で、仇討ちでも主要な役割を担った人物です。
赤穂藩の出身では無いですが、赤穂藩士堀部家の養子となり、後に主君浅野内匠頭
の仇討ちをする事になります。

出身は越後の新発田というのが通説だと思っていましたが、会津坂下出身で、のち
に新発田の祖父のもとにひきとられたという説もある様です。
実際はよく分かっていないみたいですね。

JA会津よつば坂下支店の前に堀部安兵衛の銅像がありました(^-^)

平成30年夏休みの旅(前半)
http://rover.seesaa.net/article/461036108.html

大河ドラマの舞台
http://rover.seesaa.net/article/112515106.html

銅像めぐり
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2018年09月19日

堀部安兵衛生誕の地@貴徳寺   (福島県会津坂下町)

会津坂下町にある貴徳寺に行ってきました。

<貴徳寺>
貴徳寺.jpg
住所:福島県河沼郡会津坂下町茶屋町甲3873
駐車場あり(無料)

赤穂四十七士の一人、堀部安兵衛の生誕の地という貴徳寺に行ってきました。
僕はというか、かなりの人は堀部安兵衛は新潟の新発田出身と思ってるんじゃ
ないでしょうか。
そんななか、たまたま会津坂下の観光案内を見ていたら、堀部安兵衛生誕の地
なんてあるのを見てビビりました。

会津坂下説は、父で新発田藩士の中山安太郎が会津坂下に移り住み、ここで生
まれたのが安兵衛というものです。
新発田で生まれたのか、会津坂下で生まれたのかは分かっていないそうで、生誕
の地説のひとつという事です。

境内には堀部安兵衛の両親の墓や、顕彰碑などがありました。

<堀部安兵衛生誕の地>
堀部安兵衛生誕の地.jpg

貴徳寺2.jpg

<堀部安兵衛の両親の墓>
堀部安兵衛両親の墓.jpg

堀部安兵衛両親の墓2.jpg

平成30年夏休みの旅(前半)
http://rover.seesaa.net/article/461036108.html

大河ドラマの舞台
http://rover.seesaa.net/article/112515106.html

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2018年05月17日

大寺城址     (福島県玉川村)

福島県玉川村にある大寺城址に行ってきました。

<大寺城址>
大寺城址.jpg
住所:福島県石川郡玉川村南須釜
駐車場あり(無料)

<大寺城について>
大寺城址2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
大寺城址に行ってきました。
大寺城は平安時代築城の古いお城で、この地を治めた石川氏の拠点となりました。
室町時代に近くに移ってきた東福寺にちなみ大寺城と改名されたそうです。
その後、伊達氏の侵攻などもあり、戦国時代末期に廃城となった様です。

現地は城址公園になっていて、駐車場やトイレなども完備されています。
大寺城址8.jpg

大寺城址7.jpg

また、大寺城跡からは四方を見渡すことが出来、とても景色が良いです。
大寺城址3.jpg

大寺城址4.jpg

大寺城址5.jpg

大寺城址6.jpg
遠くには安達太良山や磐梯山なども見る事が出来ました(^-^)

平成30年いわき湯本温泉ちょい旅
http://rover.seesaa.net/article/457700247.html

日本の城を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21222307.html

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2018年05月16日

東堂山昭和羅漢    (福島県小野町)

福島県小野町にある昭和羅漢を見てきました。

<東堂山万福寺>
東堂山萬福寺.jpg
住所:福島県田村郡小野町小戸神字日向128
駐車場あり(無料)

東堂山万福寺は807年奈良の高僧徳一大師によって開山された古刹です。
境内は古刹らしく、閑かな環境です。
東堂山萬福寺2.jpg

東堂山萬福寺3.jpg

そんな万福寺の観音堂奥に昭和羅漢という羅漢様が鎮座しています。
昭和60年から奉安が始まり、現在約470体の羅漢様が鎮座されています。
誰でも奉納出来る様です。ここにはいろんな羅漢様がおられました。

昭和羅漢1.jpg

昭和羅漢.jpg
スイカを食べてる羅漢様。

昭和羅漢3.jpg
磐越自動車道?

昭和羅漢2.jpg
歌を歌ってますね♪

昭和羅漢4.jpg
ゴルフクラブを持っている羅漢様。

いろいろあって興味深かったです。

平成30年いわき湯本温泉ちょい旅
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2018年05月13日

上遠野城址        (福島県いわき市)

いわき市にある上遠野城址に行ってきました。

<上遠野城址>
上遠野城跡.jpg
住所:福島県いわき市遠野町上遠野堀切1−1
この住所は駐車場のある上遠野公民館の住所です。
駐車場あり(無料)

<上遠野城について>
上遠野城跡2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
いわき市にある上遠野城址に行ってきました。
いわき湯本温泉から内陸に7〜8キロ走ったところにある山城です。
戦国時代、この地を治めた上遠野氏の居城で、物見台からは太平洋の8つの浜が見
えることから八潮見城とも言われます。

登城の方は上遠野公民館の駐車場に止めて良いという事で、公民館に車を停めて
山城攻めに向かいます。

上遠野城跡3.jpg
この様な山道を進みます。10分位で亀の子石という狼煙台の岩に到着。
上遠野城跡 亀の子石.jpg

更に進みます。アップダウンが激しく、登ったり降りたりです。
上遠野城跡4.jpg
途中ロープを伝って登る場所もあり、難易度的にはややハードな山城攻めです。

<土塁>
上遠野城跡5.jpg

<本丸跡>
上遠野城跡6主郭.jpg

上遠野城跡6主郭2.jpg
人工の石垣の一部と思われる石積みが残っています。

<物見台からの景色>
上遠野城跡7.jpg

上遠野城跡8.jpg

全て見て歩くのには1時間以上かかります。それなりの時間と登山用の装備が
必要です。

平成30年いわき湯本温泉ちょい旅
http://rover.seesaa.net/article/457700247.html

日本の城を巡る
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小野篁館跡    (福島県小野町)

福島県小野町にある小野篁館跡に行ってきました。

<小野篁館跡>
小野篁館跡.jpg
住所:福島県田村郡小野町大字谷津作字平舘10
駐車場無し

小野篁館跡5.jpg

小野篁館跡3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
小野篁の館跡に行ってきました。
小野篁の父小野岑守は、陸奥守としてこの地に赴任しました。
小野篁もこの地に館を構え、地域を治めたという事です。
そして、この地で愛子という女性との間に生まれたのが、後の小野小町という伝説
になっています。
小野篁は昼は朝廷に仕え、夜は冥府で閻魔大王に仕えるという怪しげな伝説の残る
人物でもあります。

小野篁の館跡は、現在の小野新町駅付近一帯だった様で、小野新町の駅前に館跡の
碑がたっています。
小野篁館跡3.jpg

平成30年いわき湯本温泉ちょい旅
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小野小町生誕の地    (福島県小野町)

福島県小野町にある小野小町生誕の地に行ってきました。

<小野小町生誕の地>
小野小町生誕の地.jpg
住所:福島県田村郡小野町小野新町
駐車場無し

小野小町生誕の地2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
小野小町生誕の地に行ってきました。小野小町は平安時代の歌人で、絶世の美女と
言われた人物です。
その生涯はよく分かっておらず、父親も小野篁という説や、小野良真説などあり、
また生誕の地も秋田県湯沢市(旧雄勝町)説や、ここ小野町説などがあります。

小野町説は、小野篁がこの地に赴任の際、荘園に仕える愛子(めずらこ)との間に
設けた比古姫が小野小町という説に基づくものです。

小野町ふるさと文化の館という施設の前に「小野小町生誕の地碑」が建っています。

小野小町生誕の地3.jpg

平成30年いわき湯本温泉ちょい旅
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2016年12月16日

鴫山城址     (福島県南会津町)

南会津にある鴫山城址(しぎやまじょうし)に行ってきました。

<鴫山城址>
鴫山城址9.jpg
住所:福島県南会津郡南会津町田島
駐車場あり(無料)

<鴫山城について>
鴫山城址3.jpg

<攻略マップ・クリックすると拡大します>
鴫山城址map.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
鴫山城址に行ってきました。会津田島の町を車で走っていると案内板が
出ているので、気になってはいたのですが訪問したのは今回が初めてで
す。
ルートは複数あり、どのルートから行っても頂上の愛宕神社までは最低
でも片道30分位。休み休みなら40分以上かかります。
時間が無い、体力に自信が無い場合はあえて登らなくても、虎口や空堀
などがある山麓付近だけでも城跡を感じる事が出来るので良いかもしれ
ません。

鴫山城は15世紀中旬には築城されていた様で、長沼氏の居城でした。
戦国時代後期には蒲生氏、そして上杉氏が入城。
上杉時代には直江兼続の弟の大国実頼が城代をつとめました。

江戸時代初期に廃城になっています。

今回は中央のルートを進みます。
鴫山城址1.jpg
城の入り口には愛宕神社の鳥居があります。そこから入るとすぐに
城の遺構が現れます。

鴫山城址4.jpg
大手門跡です。

鴫山城址 空堀.jpg
空堀です。

鴫山城址8.jpg
大手門裏付近。

鴫山城址2.jpg
この辺は山道を登る前なので、普通に見る事が出来ます。

ここから厳しい山城攻めです。標高は700m超。ちょっとキツいです。
息を切らして登ると愛宕神社の門が見えます。
鴫山城址5.jpg
この門の奥に本丸跡があります。

鴫山城址6.jpg
あれ、礎石しかない(^^;
神社があるのかと思って行きましたが、何も無し。城に関するものも何も無し。
苦労して登頂したのに・・・。ちょっとショックでした(>_<)

鴫山城址7.jpg
ここからは会津田島の町が一望出来ます。景色は良かったです(^-^)

平成28年秋旅2 米沢へ出陣!
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日本の城を巡る
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2016年12月11日

喜多方ラーメン神社      (福島県喜多方市)

喜多方市にある喜多方ラーメン神社を参拝してきました(^-^)

<喜多方ラーメン神社>
喜多方ラーメン神社.jpg
住所:福島県喜多方市二丁目4662
駐車場なし
参拝自由(無料)

喜多方の町をあるいていたところ、ふと変なものを発見。
ラーメン神社??
なんじゃこりゃ(^^;

鳥居は箸の形になってるし、ちゃんと麺もぶらさがっているという(笑)
参拝してみました。

喜多方ラーメン神社6.jpg
参道?にも丼がかたどられています。

喜多方ラーメン神社2.jpg
こちらが神社です。

何を祈れば良いんでしょう??
とりあえず、今年もおいしいラーメンが食べられますようにと(^O^)

神社の横はちょっとしたラーメン博物館になっています。
喜多方ラーメンメインですが、展示があります。
喜多方ラーメン神社5.jpg

喜多方ラーメン神社3.jpg

喜多方ラーメン神社4.jpg

喜多方ラーメンは昭和初期に源来軒というお店が「志那そば」を提供したのが
始まりと言われています。
僕も喜多方では既に15軒ほど食べ歩いていますが、元祖の源来軒はとても
おいしかった記憶があります。また久しぶりに行ってみたいなと思いました。

平成28年秋旅2 米沢へ出陣!
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B級観光スポット・珍スポット
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喜多方蔵の街      (福島県喜多方市)

喜多方市の蔵の街を散策してきました。

<喜多方蔵の街>
喜多方の町並み.jpg
住所:福島県喜多方市南町他
駐車場あり(市営有料駐車場利用)

<蔵の街について>
喜多方の町並み4.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
喜多方と言えばなんと言ってもまずはラーメンという事になりますが、
観光的にはもうひとつ。市内に数多く残る蔵が有名です。
かつて喜多方の蔵はあまり観光的に意識されておらず、壊された蔵も
多かった様です。昭和後期になり蔵の保存運動などが起こり、観光の
目玉としてアピールする様になりました。これは我が地元川越と一緒
です。川越も蔵の保存がうたわれたのはここ30年くらいの話です。

何度も喜多方に行ってはいますが、蔵の街って知ってはいるものの、
蔵を見ようと思って行ったことはありませんでした。

インパクトが弱いのは、蔵の町並みを見たいならココ!っていうような
まとまって町並みを形成している場所が少ない事でしょうか。
本当に蔵が点在してる感じです。
今回、喜多方の街を2時間位歩いて蔵を見て歩きました。
この記事の写真は旧米沢街道沿いに残る、かつて小田付とよばれた町
です。

<喜多方 小田付の蔵>
喜多方の町並み3.jpg

喜多方の町並み6.jpg

喜多方の町並み2.jpg

喜多方の町並み5.jpg

喜多方の町並み7.jpg

喜多方の蔵はベンガラ色の蔵が目立ちますね。地域や時代によって蔵の
流行もあったので、今残っている蔵が時期的にも同じ時期に建築された
んだろうなと思います。

平成28年秋旅2 米沢へ出陣!
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日本の古い町並み
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会津新宮城址   (福島県喜多方市)

喜多方市にある会津新宮城址に行ってきました。

<会津新宮城址>
会津新宮城.jpg
住所:福島県喜多方市慶徳町新宮字館内
駐車場あり(無料)

<新宮城について・クリックすると拡大します>
会津新宮城5.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
新宮城址に行ってきました。
新宮城は鎌倉時代初期の1212年新宮時連によって築城されたお城で、
代々新宮氏が居城としました。
城は東西480m、南北440mの規模の平城で、天然の谷を外堀にした
東北地方では有数の規模の城であったと思われています。
2009年には国の史跡に指定さえています。

室町時代になり、新宮城は黒川(後の会津若松)の蘆名氏に攻め滅ぼされ、
新宮城も廃城となった様です。

現地は個人所有の畑になっていて、ここが城跡であった事が分かる物は
少ないです。

<新宮城址>
会津新宮城2.jpg

会津新宮城4.jpg
案内板にも私有地なので、畑への立ち入りはご遠慮くださいという文言
がありました。

会津新宮城3.jpg
これが自然の川を利用した外堀になりますが、草が鬱蒼としていて
分かりづらいです。

Wikipediaに航空写真がありましたのでリンクを貼ります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%AE%AE%E5%9F%8E_(%E9%99%B8%E5%A5%A5%E5%9B%BD)#/media/File:%E6%96%B0%E5%AE%AE%E5%9F%8E.jpg
上空から見るとしっかりと城らしいものが分かるんですね。
地上からだとよく分かりませんでしたが・・・・。

平成28年秋旅2 米沢へ出陣!
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日本の城を巡る
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日輪寺 / 人取橋の戦い伊達政宗陣跡    (福島県本宮市)

本宮にある日輪寺に行ってきました。

<日輪寺>
日輪寺.jpg
住所:福島県本宮市本宮山田36−2
駐車場あり(無料)

日輪寺に行ってきました。
ここは伊達政宗の若き日の一大決戦、仙道人取橋の戦いにおいて
政宗の本陣があった場所と言われています。

日輪寺2.jpg

人取橋の戦いは圧倒的な兵力の佐竹軍が優位に戦いをすすめ、伊達方は
鬼庭左月が討ち死にするなど苦戦を強いられます。
しかし、佐竹の本国で北条方の侵攻の話が出るなどして、佐竹軍はそのまま
撤退する事になります。

日輪寺は人取橋を眺める丘の上にあります。
ここから人取橋方面を眺めてみました。
日輪寺5.jpg
下の道路は国道4号線です。
ここからなら戦況がよく見えたでしょう。

あいにく日輪寺にはお寺の説明板も、ここが政宗本陣であった事が分かる
案内板等のものは何もありません。

日輪寺には天然記念物になっているしだれ桜がありました。
日輪寺3.jpg

日輪寺4.jpg
樹齢200年の枝垂れ桜です。
桜の時期にまた来てみたいです(^-^)

平成28年秋旅1
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大河ドラマの舞台
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古戦場めぐり
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須賀川城址        (福島県須賀川市)

福島県須賀川市、須賀川城跡に行ってきました。

<須賀川城址>
須賀川城址.jpg
住所:福島県須賀川市宮先町78
駐車場なし

須賀川城は室町時代に足利満兼が奥州支配のため配下の二階堂行続を派遣し
築城したお城だそうです。その後二階堂氏の居城となります。
戦国時代には伊達、佐竹の攻防があり、伊達家の石川昭光が城主となりますが、
秀吉の奥州仕置きにより蒲生氏郷の所領となり、蒲生家の家臣が入城。
江戸時代初期に須賀川城は廃城となりました。

現在は城の遺構はほぼなく、跡地に二階堂神社が鎮座しています。
駐車場も無いので、ハザードつけて停車しながら速攻で二階堂神社を参拝して
退散しました。

須賀川城址3.jpg

<クリックすると拡大します>
須賀川城址2.jpg

平成28年秋旅1
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2016年12月08日

北田城址      (福島県湯川村)

福島県湯川村にある北田城址に行ってきました。

<北田城址>
北田城址.jpg
住所:福島県河沼郡湯川村大字三川字大舘
駐車場なし

<北田城について>
北田城址2.jpg

北田城址3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
北田城址に行ってきました。
湯川村というのは喜多方と会津若松の間にある村です。
北田城は一面の田んぼの中にぽつんと石碑がありました。
中世の城跡で、鎌倉時代初期に佐原盛連の次男・広盛が北田氏を名乗り
居城としたのが始まりだそうです。
室町時代中期に北田氏は葦名氏に攻め滅ぼされ、その後廃城になったもの
と思われます。

北田城址4.jpg

北田城址5.jpg

北田城址6.jpg
ほんとに田んぼの真ん中です。田んぼ以外何もありません。
ここが城跡ってよく分かったなと思ってしまいます(^^;

平成28年秋旅2 米沢へ出陣!
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2016年12月07日

瀬戸川館跡    (福島県本宮市)

本宮市にある瀬戸川館跡に行ってきました。

<瀬戸川館跡>
瀬戸川館跡.jpg
住所:福島県本宮市仁井田桝形
駐車場なし

<瀬戸川館について>
瀬戸川館跡3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
本宮市にある瀬戸川館跡に行ってきました。
瀬戸川館は瀬戸川氏の居城でした。途中より伊達政宗に与し、
仙道人取橋の戦いでは、伊達成実の軍がこの瀬戸川館に陣取りました。

現地は住宅街の中にあり、現在は公園になっています。
居館を思わせるようなものは何も残っていません。
瀬戸川館跡2.jpg

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小手森城址   (福島県二本松市)

二本松市にある小手森城址に行ってきました。

<小手森城>
小手森城氏.jpg
住所:福島県二本松市針道愛宕森
駐車場なし

<小手森城について>
小手森城氏4.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
小手森城に行ってきました。
小手森城は伊達政宗による撫で切り事件?の地として知られます。
若かりし頃の政宗は、小手森城に籠もる大内定綱の家臣菊池顕綱を攻め
菊池顕綱のみならず、女子供、さらには犬までも惨殺したというもの。
殺された者は800人とも1000人とも言われています。

これは大内定綱に対するもののみならず、近隣の敵対勢力に対しての威圧
であったものと思われます。

さて、小手森城跡を攻略します。
国道349号線沿いに案内の看板が出ていますので、それに従って進み
ます。
現地なんですが、駐車場がありません。道も狭く車を停める場所があり
ません。かなり厳しかったですが、小手森城の入り口にかろうじて1台
位なら寄せておく場所があり、そこに停めました。

小手森城跡には現在愛宕神社があります。
小出森城氏.jpg
ここが入り口です。訪問者も少ないのか、荒れ放題です。

少し進むと階段が現れます。
小出森城氏2.jpg
ここからが戦いです。階段はいったい何段あるかな。400段くらいは
あろうか。辛いのなんの。途中何度も休みながら登って行きます。
タオルと飲み物持ってくるんだった。
汗だくになりながら何とか登頂。

小手森城氏3.jpg
山頂の愛宕神社を参拝します。ここが惨殺の舞台と思うと少し不気味な感じ
もします。僕一人だけで誰もいないもので。

小手森城氏5.jpg
自然の石ではなさそうな岩を発見。城の遺構かな??

政宗ゆかりの小手森城、無事攻略しました(・o・)

平成28年秋旅1
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2016年12月06日

宮森城址       (福島県二本松市)

二本松市にある宮森城址に行ってきました。

<宮森城址>
宮森城址.jpg
住所:福島県二本松市小浜字上館
駐車場なし

<宮森城について>
宮森城址5.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
宮森城址に行ってきました。だいぶ前に一度訪問していましたが、
今回大河ドラマ『独眼竜政宗』を見ている事から、関連地として再訪問
しました。

宮森城と言えば、なんと言っても政宗の父伊達輝宗がこの城から拉致
されたという事件があります。
政宗に家督を譲った輝宗は宮森城に隠居します。
畠山義継が政宗に降伏を申し入れた際、輝宗が斡旋し、それに対する
お礼で宮森城を訪れた畠山義継に連れ去られてしまいます。

『独眼竜政宗』でも父輝宗を討つシーンは涙無くしては語れません(T_T)
そのシーンを思い浮かべながら宮森城を散策しました。

宮森城址2.jpg
ちょっとした山城ですが、本丸跡までは歩いて数分です。苦も無く行くこと
が出来ます。

宮森城址3.jpg
本丸跡には神社がありました。

宮森城址4.jpg
礎石の様なものが見えます。当時のものかな??

宮森城址6.jpg
宮森城には大内定綱が入った事があるんですね。独眼竜政宗では
大内定綱がとても良い味を出してます。

宮森城址7.jpg

宮森城址8.jpg
輝宗公御前清水。

平成28年秋旅1
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戊辰戦争・供中口古戦場   (福島県二本松市)

福島県二本松市にある戊辰戦争供中口古戦場に行ってきました。

<供中口古戦場>
供中口古戦場4.jpg
住所:福島県二本松市榎戸二丁目
駐車場なし

<供中口古戦場について>
供中口古戦場2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
戊辰戦争供中口古戦場(ぐちゅうぐちこせんじょう)に行ってきました。
二本松藩は奥羽越列藩同盟に参加し、会津藩の要請により白河口に兵を
送っていた関係で、二本松城を守る兵力が手薄になっていました。

そんな中、磐城平城が落城し、平藩が降伏すると新政府軍は三春に進軍。
三春藩は降伏しそのまま二本松に軍勢は侵攻しました。

二本松藩は、農兵や少年兵を動員し防戦にあたります。
二本松の戦いで有名なのは、二本松少年隊の悲劇の舞台となった大壇口
古戦場でしょう。
その他に、あまり有名じゃないですが、この供中口古戦場があります。
安達ヶ原の黒塚から見て阿武隈川の対岸にあたる場所が古戦場の様です。
阿武隈川の橋の下に古戦場の案内がありました。
三浦権太夫義彰ら農兵がこの地で戦いましたが、この戦いは新政府軍の
圧勝に終わり、阿武隈川の渡川を許してしまった様です。

供中口古戦場.jpg
現地は草が生い茂り、とても観光客が来れる様な状況ではありません。
こんな橋の下にひっそりと案内があっても、誰も気付かないでしょ。
まったく観光的にやる気の無い状況です。

供中口古戦場3.jpg
来るのは僕のような歴史マニアくらいか・・・。

二本松藩の丹羽家は、織田信長の重臣、丹羽長秀の子孫である家柄です。
外様大名である丹羽家が、ほぼ玉砕する様な奮戦をしたのは何故なんでしょう。
二本松藩の藩祖、丹羽長重(長秀の嫡男)は関ヶ原で西軍についたため、
一旦改易となりますが、再び取り立てられ大名に復帰します。
その恩義を感じてか、丹羽長重の遺言には「「将軍の恩を第一として、幕僚と
円滑に付き合い、徳川幕府への忠勤に励め」というものがあります。
この遺言が二本松藩の戦いに繋がったのではないかと、僕は考えています。

平成28年秋旅1
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古戦場めぐり
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2016年12月04日

黒塚     (福島県二本松市)

二本松にある黒塚に行ってきました。

<黒塚>
黒塚2.jpg
住所:福島県二本松市安達ヶ原
駐車場あり(無料)

<黒塚について>
黒塚3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
奈良時代、この地に住んでいた鬼婆を熊野の僧が討ち、鬼婆を埋めた
場所が黒塚といわれているこの地です。
「黒塚」は歌舞伎の演目としても有名です。
僕はこの地には以前も来ていて、観世寺に拝観料を払って入って鬼婆に
関する資料などを見たことがありました。
観世寺には鬼婆の供養塔などもあり、僕はこれが黒塚なのだとばっかり
思い込んでいました。
大いなる勘違いでした。
黒塚は観世寺の中じゃなくて、すぐ近くではありますが、阿武隈川の河川敷
にありました。

黒塚.jpg
これが黒塚。確かに黒塚って書いてあるし。
10年来勘違いしてましたよ。黒塚見れて良かったんですけど、少しモヤモヤ
してしまいました。

黒塚4.jpg
この木の下に黒塚があります。

平成28年秋旅1
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田地ヶ岡館跡    (福島県二本松市)

二本松にある田地ヶ岡館跡に行ってきました。

<田地ヶ岡館跡>
田地ヶ岡館跡.jpg
住所:福島県二本松市塩沢町1
駐車場なし

<田地ヶ岡館について>
田地ヶ岡館跡3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
田地ヶ岡館(でんじがおかたて)跡に行ってきました。
ここは奥州管領畠山高国が1346年に下向した際、館を構えた
場所と言われています。
今は何か残っているかというと、現地を見た感じでは何一つ遺構らしき
ものは見て取れませんでした。

田地ヶ岡館跡2.jpg

畠山氏は管領家の名門ですが、奥州畠山氏は畠山義継が伊達輝宗を拉致し
その際輝宗もろとも義継も殺された事により実質滅亡する事になります。
実際は二本松城で伊達軍と戦うんですが、1586年には開城し畠山義綱
らは葦名家へ落ち延びています。

平成28年秋旅1
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日本の城を巡る
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大波城址      (福島県福島市)

福島市にある大波城址に行ってきました。

<大波城址>
大波城址.jpg
住所:福島県福島市大波字館
駐車場あり(無料)

<大波城について>
大波城址8.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
大波城に行ってきました。
大波城は南北朝時代のお城で、南朝方についた大波氏の居城です。
北畠顕家の死後、弟顕信が鎮守府将軍となり後醍醐天皇の孫である
守永親王を奉じましたが多賀城国府の軍勢に敗れ、この大波城に
迎えられたというお話が伝わる城です。

ちょっとした山城で、石碑や説明板、狼煙台跡などが残ります。

<大波城址>
大波城址7.jpg

大波城址3.jpg

大波城址2.jpg

大波城址4.jpg
のろし台跡

大波城址6.jpg

大波城址5.jpg

平成28年秋旅1
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日本の城を巡る
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2016年12月03日

伊達朝宗の墓    (福島県桑折町)

福島県桑折町にある伊達朝宗の墓を参拝してきました。

<伊達朝宗の墓>
伊達朝宗墓所2.jpg
住所:福島県伊達郡桑折町大字万正寺字下万正寺
駐車場あり(無料)

<伊達朝宗について>
伊達朝宗墓所3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
伊達朝宗はもとは藤原朝宗と言いましたが、頼朝の奥州征伐に功績
があり伊達郡を拝領した事から伊達姓を名乗り、伊達朝宗となりました。
朝宗が伊達家の始祖と言われています。

伊達家は藤原氏の出なんですね。
そう言えば訪問した丸森城にあった伊達種宗の墓には藤原朝臣種宗之墓
とありました。なるほどねという感じです。

伊達郡はその後、伊達家の国替えで他の大名のものになるので、始祖朝宗
の墓は他家の領土に取り残された形になるんでしょうかね。

道路沿いに案内看板あり。
伊達朝宗墓所.jpg

細い道の奥にお墓はあります。
伊達朝宗墓所4.jpg

平成28年秋旅1
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著名人の墓
http://rover.seesaa.net/article/26837973.html

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2016年12月02日

兜駅     (福島県伊達市)

阿武隈急行「兜駅」に行ってきました。

<兜駅>
兜駅.jpg
住所:福島県伊達市梁川町舟生
駐車場なし

相馬から福島へ向かう街道沿いに「兜」っていう駅があります。
この道は何度も通っているので、知ってはいましたが、あえて
立ち寄ることはありませんでした。

兵庫県に「鎧」っていう駅があって、昨年訪問しました。
鎧に行ったら兜も行ってみよう理論で訪問です(^-^)

何か由来があるんでしょう。しかしながら、どこにも説明はあり
ません。地名も兜っていう地名ではないんですよね。いったい
何なんでしょう。よく分からないまま写真だけ撮って退散しました(^^;

ここで降りる人がいるとはとても思えない様な場所でした。

兜駅2.jpg

兜駅3.jpg

平成28年秋旅1
http://rover.seesaa.net/article/442550291.html

B級観光スポット・珍スポット
http://rover.seesaa.net/article/106120393.html

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2016年11月06日

福満虚空蔵尊圓蔵寺    (福島県柳津町)

福島県柳津町にある福満虚空蔵尊圓蔵寺に行ってきました。

<福満虚空蔵尊圓蔵寺>
福満虚空蔵尊.jpg
住所:福島県河沼郡柳津町大字柳津字寺家町甲176
駐車場あり(川の対岸に町の観光無料駐車場あり)

<福満虚空蔵尊圓蔵寺について>
福満虚空蔵尊3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
圓蔵寺に行ってきました。
ここ圓蔵寺は平安時代初期に徳一大師によって創建され、本尊の
福満虚空蔵尊は弘法大師の作と言われています。

虚空蔵菩薩が本尊っていうのは珍しいですね。全国でもそんなに数が
ある訳で無いような気がします。

茨城の村松山虚空蔵尊、伊勢の朝熊虚空蔵尊とならび、日本三大虚空蔵尊
のひとつとなっています。
寺域は大きく、また奥の院弁天堂は室町時代の建築で国指定の重要文化財
になっています。

<福満虚空蔵尊圓蔵寺>
福満虚空蔵尊4.jpg

福満虚空蔵尊2.jpg
虚空蔵尊本堂から只見川を見下ろします。ここからの景色は非常に良い
です(^-^)

福満虚空蔵尊 奥の院弁天堂.jpg
こちらが奥の院弁天堂です。この写真は今回の旅のものではなく、以前撮影
したものです。

今回の訪問は紅葉を見ようと思っての訪問でした。紅葉の写真は続きをご覧
ください。


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2016年11月04日

塔のへつり       (福島県下郷町)

福島県下郷町にある塔のへつりに行ってきました。

<塔のへつり>
塔のへつり.jpg
住所:福島県南会津郡下郷町弥五島下タ林
駐車場あり(有料:200円)

塔のへつりは、百万年の歳月をかけて、浸食と風化を繰り返し出来た
柱状の奇岩群で、国指定の天然記念物です。
「へつり」とはこの地方の方言で、危険な断崖を意味するものだそう
です。

塔のへつりには何度も訪問していますが、紅葉が見頃という情報があった
ので訪問してみました。
塔のへつりの岩の上方も紅葉を見る事が出来ますが、本当に綺麗なのは
塔のへつり駅から塔のへつりの駐車場付近ですね。とても良かったです(^-^)

久しぶりに塔のへつりの岩の上も歩いてきました。何度来ても危険な場所だ
な〜って思ってしまいます(笑)

<塔のへつり>
塔のへつり2.jpg

塔のへつり3.jpg

塔のへつり4.jpg

塔のへつり 20081102.jpg
この写真だけ、平成20年11月2日撮影のものです。

<塔のへつり駅付近の紅葉・平成28年11月3日撮影>
塔のへつり 駐車場付近5.jpg

塔のへつり 駐車場付近.jpg

塔のへつり 駐車場付近2.jpg

塔のへつり 駐車場付近3.jpg

塔のへつり 駐車場付近4.jpg

平成28年秋旅2 米沢へ出陣!
http://rover.seesaa.net/article/443372694.html

紅葉の名所巡り
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2015年12月27日

磐城平城       (福島県いわき市)

福島県いわき市にある磐城平城に行ってきました。

<磐城平城>
平城3.jpg
住所:福島県いわき市平字旧城跡
駐車場なし

磐城平城(いわきたいらじょう)は1615年、鳥居元忠の次男鳥居忠政によって
築城されたお城です。1615年ですから大阪の陣があった年。戦国の終わりに
造られたお城です。
この城は地理的に、奥州伊達家をおさえるために造られた城とも言われています。

幕末に磐城平城は戊辰戦争の戦火にのまれます。
平藩の藩主は老中をつとめた安藤信正で、藩論は佐幕です。
平藩は奥羽越列藩同盟に参加し、新政府軍と戦います。
3度に渡る激戦があり、平、仙台、米沢、中村藩の軍勢が立て籠もり
薩摩・長州・佐土原・岡山・鳥取藩の軍勢と戦いました。
新政府軍は平城攻略に苦戦しますが、最終的には平城を落城させます。

この攻防戦で平城の主力を担ったのは仙台藩の兵力。
仙台を監視する為に造られた城は、最後仙台藩の軍勢が籠城する形となり
最後を迎えたのは皮肉な感じがします。

<磐城平城本丸跡>
平城4.jpg

<旧城図>
平城2.jpg

<平城からの風景>
平城からの風景.jpg

<旧仮藩庁>
平城 旧仮藩庁.jpg
明治維新後に造られた旧仮藩庁舎です。

平成27年秋旅3 いわき湯本温泉へ
http://rover.seesaa.net/article/430138643.html

日本の城を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21222307.html

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2015年12月26日

長源寺      (福島県いわき市)

福島県いわき市にある長源寺に行ってきました。

<長源寺>
長源寺.jpg
住所:福島県いわき市平字胡摩沢130
駐車場あり(無料)
境内自由

<長源寺について>
長源寺3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
長源寺は鳥居元忠の子忠政が平城主として平に入り、鳥居元忠の菩提を弔う為
この長源寺が建立されたそうです。

お寺に入ると、鳥居家墓所の案内があります。
長源寺4.jpg

墓マイラーの僕は墓地に入って鳥居元忠の墓を探しました。
しかし・・・、どれが元忠の墓かさっぱり分かりませんでした(>_<)
墓地に入ると案内は無く、まったく分かりません。
お寺の方に聞こうにもだれも姿が見えず、残念でしたが分からないまま
退散という事になりました。
結局分からずじまいでしたが、ここに元忠の墓があることは間違いない
ようです。

長源寺2.jpg

長源寺5.jpg

平成27年秋旅3 いわき湯本温泉へ
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著名人の墓
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2015年12月17日

安藤信正の墓 / 良善寺 (福島県いわき市)    

福島県いわき市にある安藤信正の墓を参拝しました。

<良善寺>
良善寺.jpg
住所:福島県いわき市平字古鍛冶町107
駐車場あり(無料)
境内自由

安藤信正は幕末期の磐城平藩主。
井伊直弼が桜田門外の変で暗殺された後、老中として幕政を指揮します。
坂下門外の変で、水戸浪士に襲われ負傷。その後諸問題により老中を失脚。

戊辰戦争で平藩は奥羽越列藩同盟に参加し、新政府軍と戦いますが敗れ平城
は落城。安藤信正も捕らえられ永蟄居とされます。
最後は無念のうちに亡くなった様です(明治4年歿)

墓は福島県いわき市の安藤家の菩提寺良善寺にあります。
良善寺も戊辰戦争の攻防戦があったようで、山門には銃弾の跡が残っています。
良善寺2.jpg

本堂奥に安藤信正の立派なお墓があります。

<安藤信正の墓>
良善寺 安藤信正の墓.jpg

またその奥には、戊辰戦争で戦死した兵士のお墓が並んでいました。

<戊辰戦争戦死者の墓>
良善寺 戊辰戦争戦死者の墓.jpg

著名人の墓
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平成27年秋旅3 いわき湯本温泉へ
http://rover.seesaa.net/article/430138643.html

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2015年10月14日

示現寺     (福島県喜多方市)

福島県喜多方市にある示現寺に行ってきました。

<示現寺>
示現寺.jpg
住所:福島県喜多方市熱塩加納町熱塩甲795
駐車場あり(無料)
境内自由

<示現寺について>
示現寺は1375年曹洞宗の源翁禅師開山の古刹です。
上の写真の総門は江戸時代(1741年)建築の門で、喜多方市指定の有形
文化財になっています。
境内には幕末から明治時代に活躍した瓜生岩子の墓や、自由民権運動の中で
起こった三島通庸暗殺未遂事件である加波山事件殉難志士の慰霊顕彰碑など
があります。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
喜多方市(旧熱塩加納村)にある示現寺に行ってきました。
熱塩温泉に泊まり、泊まったホテルの目の前に示現寺があったので、出発前に
立ち寄りました。
室町時代建立というお寺は歴史を感じる威厳のあるお寺でした。

本堂はあいにくの工事中で足場とかあって、写真はいまいちです。
示現寺2.jpg

示現寺観音堂
示現寺観音堂.jpg

本堂裏の山の中に瓜生岩子の墓があります。
瓜生岩子は会津藩出身の女性で、特に明治期に社会福祉活動で活躍じた人物です。

<瓜生岩子座像>
示現寺 瓜生岩子座像.jpg

示現寺 瓜生岩子座像2.jpg

<瓜生岩子の墓>
示現寺 瓜生岩子の墓.jpg

平成27年夏旅 最北の地へ
http://rover.seesaa.net/article/424226743.html

著名人の墓
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銅像めぐり
http://rover.seesaa.net/article/142026310.html

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河井継之助の墓     (福島県会津若松市)

福島県会津若松市にある河井継之助の墓を参拝してきました。

<河井継之助の墓>
河井継之助の墓.jpg
住所:福島県会津若松市建福寺前
駐車場あり(無料)

会津若松の建福寺墓地にある河井継之助の墓を参拝してきました。
長岡での戦いに敗れた長岡藩兵たちは八十里越えをして会津に向かいます。
戦いで負傷した長岡藩家老河井継之助は会津若松に着く事無く、只見の塩沢村
で亡くなりました。その場で火葬された継之助の遺骨は建福寺に避難していた
長岡藩主・牧野忠訓に届けられ、この地に仮埋葬されたそうです。

河井継之助の墓石は長岡の方角に向けて建てられているそうです。

継之助のお墓は小田山の麓にある建福時墓地にあります。
建福寺に行っても墓はないですし、解説もありません。
下の地図の場所に行ってみてください。

平成27年夏旅 最北の地へ
http://rover.seesaa.net/article/424226743.html

著名人の墓
http://rover.seesaa.net/article/26837973.html

<塩沢にある河井継之助の墓>
http://rover.seesaa.net/article/378977934.html

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2015年10月07日

田子倉湖           (福島県只見町)

福島県只見町にある田子倉湖に行ってきました。

<田子倉湖>
田子倉湖2.jpg
住所:福島県南会津郡只見町大字田子倉
駐車場あり

田子倉湖は昭和35年に田子倉ダムの建設によって出来た人造湖です。
貯水量は日本のダムで第3位の規模を誇ります。
ダム湖には遊覧船が巡回し、魚はイワナやワカサギ・サクラマスなどが釣れる
との事です。

僕は会津から家(川越)に帰るルートにあるため、よく田子倉湖の脇は通りか
かるのですが、ブログの記事にしてませんでしたので今回初紹介という事に
しました。

田子倉湖は国道252号線沿いにあり、新潟からは関越道小出ICから、福島
側からは会津若松方面から小出方面に走ります。どちらからもそれなりに距離
があります。
田子倉湖から新潟へぬける道は六十里越と言われ、一里の道が六十里に感じる
ほどの難所だったそうです。

今は車で通過出来ますので、田子倉湖の美しい風景を見ながら六十里越えをする
事が出来る良いドライブコースになります(^-^)

<田子倉湖>
田子倉湖6.jpg

田子倉湖4.jpg

田子倉湖.jpg

田子倉湖3.jpg
この写真はダムの上からダムの下を眺めたものです。

田子倉湖7.jpg

田子倉湖8.jpg
六十里越の峠の上の方から見た田子倉湖です。

平成27年夏旅 最北の地へ
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2015年10月06日

葦名家花見ヶ森廟     (福島県会津若松市)

福島県会津若松市にある葦名家花見ヶ森廟に行ってきました。

<葦名家花見ヶ森廟>
葦名家花見が森廟.jpg
住所:福島県会津若松市花見ヶ丘2丁目
駐車場なし

<現地解説>
会津初代城主である葦名家は、初代佐原義連(後に葦名氏を称した)から1589
年に20代義広が磐梯山麓摺上原において伊達政宗に敗れて会津を去るまで400
年にながきにわたった。

葦名家花見が森廟2.jpg

この墳墓は16代盛氏を中心として左が17代盛興、右が18代盛隆の墓である。
特に16代盛氏は徳望があったばかりでなく、武略に優れ、長沼・二本松・須賀川
郡山などを従わせ、越後の上杉氏・甲斐の武田氏・相模の北条氏・古河の足利氏と
交わり、威を四方にはったので葦名家中興の祖と言われる。

<葦名盛氏の墓>
蘆名16代盛氏の墓.jpg

<葦名盛興の墓>
葦名18代盛興の墓.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
会津若松市にある葦名家花見ヶ森廟に行ってきました。
葦名氏はながらく会津の領主を務めた家です。戦国期には葦名盛氏のもと勢力を
拡大しましたが、伊達政宗との摺上原の決戦で敗れ葦名家は滅亡します。

そんな葦名家16代から18代の墓があるのが花見ヶ森廟です。
先日紹介した小田山西軍砲陣のある小田山公園のすぐ近く、住宅地の中に花見ヶ森廟
がありました。
会津観光の客の多くが鶴ヶ城とか飯盛山とか行くかと思いますが、花見ヶ森廟に来る
人はまずいません。今の会津で葦名氏の影はうすいなと思います。

会津若松には葦名氏の歴史、その後に来た蒲生氏郷、そして上杉景勝・直江兼続の
歴史、江戸時代の松平氏と濃い歴史がつまっています。
葦名氏にもスポットをあてると見る場所も増えるのかなと思うところです。

平成27年夏旅 最北の地へ
http://rover.seesaa.net/article/424226743.html

著名人の墓
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2015年10月01日

小田山西軍砲陣跡      (福島県会津若松市)

福島県会津若松市にある小田山西軍砲陣に行ってきました。

<小田山西軍砲陣>
小田山公園4.jpg
住所:福島県会津若松市花見ヶ丘三丁目
駐車場あり(無料)

<現地解説>
1868年8月23日、会津軍は城門を閉じ籠城に入りました。翌24日、東部
戦線にあった会津藩兵も漸次退き、ひとまず城内に入りました。
25日に侵攻してきた西軍に地形上すぐれている事を内通する者がいて、西軍は
小田山に砲塁を築きました。
薩摩・肥前・松代、大村、土佐、岡山、加賀の諸藩は城を眼下に見下ろしながら、
一斉に砲門を開きました。
小田山と城までの距離は約1600メートル。鍋島藩のアームストロング砲は
2000数百メートルの射程距離が有り威力を発揮しました。
当初本丸まで弾丸が届かぬ大砲がありましたが、砲口を上に向けて発射する
ようになって、本丸まで無数の弾丸が届くようになりました。
焼き玉も使われて、しばしば城内に火災が発生し、城中の驚きは一方ではあり
ませんでした。
会津軍も急遽砲を豊岡東照権現堂の付近及び三の丸に出して応戦し、一時は
小田山上の砲門を沈黙させたと言います。
西軍は更に館の荒神、慶山村の畑地に砲門を据え小田山と合わせて三方から
天守閣を目標にしてさかんに砲撃を開始しました。
会津軍も8月27日、青木・小田の線より小田山奪還を試みましたが猛反撃
を受け奪還は失敗しました。
9月14日より3日間、西軍は小田山・館・慶山の砲門をはじめ若松城下外郭
十六門に砲列を布き、一斉に砲撃を開始しました。この総攻撃により、城内は
修羅場と化し、将卒婦女子に多数の死傷者を出しました。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
会津若松市にある小田山西軍砲陣跡に行ってきました。
一昨年の大河ドラマ『八重の桜』で鶴ヶ城が攻撃される時、小田山の話が出て
きました。
小田山からの砲撃に対し、八重と夫の川崎尚之助が小田山に砲撃して反撃する
シーンが印象的でした。

小田山からは鶴ヶ城を見下ろす事が出来、砲撃する陣場としてはもってこいの
場所です。
小田山公園3.jpg
城までは距離にして1.6キロあるので鶴ヶ城は小さく見えます。

小田山公園 鶴ヶ城.jpg
こちらは望遠で撮ってみました。
昨年鶴ヶ城は瓦の葺き替えなどして、幕末時と同じような感じになりました。

小田山は現在小田山公園として整備されています。
入り口のところに小田山公園の看板があります。
小田山公園.jpg

曲がった先の道がとにかく狭い(>_<)
小田山公園2.jpg
すれ違い不能の狭さの道が200m〜300m位です。正直入っていくのが
躊躇われますが、ほんの少しなので勇気を出してつっこみましょう(^^;
奥にはちゃんと広い駐車場があります。

駐車場から砲陣跡までは歩いて15分位です。
西軍砲陣より更に先があり、会津藩家老の墓があったりしますが、今回は砲陣
まで行って引き返しました。山頂まで行くようだと片道30分以上はかかると
思います。

<小田山案内図・クリックすると拡大します>
小田山公園 地図.jpg

平成27年夏旅 最北の地へ
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大河ドラマの舞台
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古戦場めぐり
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2015年09月28日

長福寺 / 佐川官兵衛夫妻の墓     (福島県喜多方市)

福島県喜多方市にある長福寺に行ってきました。

<長福寺>
長福寺.jpg
住所:福島県喜多方市岩月町大都前田252
駐車場なし

<現地解説>
この寺は1233年、飯島筑後守開基、密侶看信の開山した飯島山長福寺と言い
ます。1612年、若松徒之町一乗寺の僧良讃が再興して浄土宗となりました。
本堂、庫裏合わせて42坪の大きさでしたが、老朽化が進んだため、昭和56年
現在の堂宇に再建されました。本尊は阿弥陀如来です。

<この寺の逸話1>
明治元年戊辰戦争の終結後、会津藩士は東京と高田に謹慎させられ、その家族の
老幼婦女子は城下の混乱を避けてこの地方に避難しました。
この時、この寺もその住まいとして使用されました。戊辰の戦いで勇名を馳せた
佐川官兵衛の家族はこの寺に移り住んでおりました。官兵衛は明治10年の西南
の役に従軍して阿蘇山中で壮烈な戦死をとげましたが、本籍地は大都村となって
おります。この寺を本籍地にしたのかもしれません。

<この寺の逸話2>
社会福祉の先駆者として著名な瓜生岩子が小田付の幼学校跡が手狭になったため、
明治12年この寺を借り受け貧困者を住まわせ仕事を世話し、また裁縫教授所を
解説して近隣の農家の娘に裁縫や礼儀作法を教え、僧侶の法話などを聞かせ教育
しました。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
佐川官兵衛の墓があるという喜多方市の長福寺に行ってきました。
佐川官兵衛は幕末の会津藩家老で、戊辰戦争で活躍しました。
明治10年の西南の役で戦死しています。

佐川官兵衛は愛妻家で、死んだら妻の側に埋葬して欲しいという願いがあったそう
です。熊本で戦死した官兵衛は熊本に葬られますが、近年熊本の土とともに長福寺
の妻の墓の隣に墓が建てられたそうです。

佐川官兵衛夫妻の墓.jpg

また、日本のナイチンゲールと言われる瓜生岩子はこの地で貧困者の教育などを
行ったという事で、その顕彰碑が境内に建てられていました。

長福寺 瓜生岩子の碑.jpg

平成27年夏旅 最北の地へ
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大河ドラマの舞台
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著名人の墓
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2015年08月16日

大隣寺     (福島県二本松市)

福島県二本松市にある大隣寺に行ってきました。

<大隣寺>
大隣寺.jpg
住所:福島県二本松市成田町1-532
駐車場あり(無料)
境内自由

<現地解説>
二代丹羽長重公は、初代丹羽長秀公の菩提を弔うため、1627年越前国の
融法全祝和尚を招き、白河の地に大隣寺を建立した。
三代光重公は白河より二本松へ国替えとなり同年冬には大隣寺も当地に移り、
二本松藩主歴代の菩提寺となった。寺領は100石余り。その後、方角などの
理由から城下内において二度移転し、現在地へ移った。伽藍は数度となく改築や
改修が行われたが、1811年の大改築によって現在の本堂が出来た。戊辰の役
直後には二本松藩庁の仮事務所や藩校などにも使用された。

大隣寺2.jpg

寺号は初代丹羽長秀公の法名「総光寺との大隣宗徳大居士」の大隣に由来し、
寺紋には丹羽家の家紋「違棒」を用いている。
境内には歴代藩主の霊廟、丹羽家の位牌堂である御霊屋、戊辰の役で幼い命を
散らした二本松少年隊の墓がある。

<丹羽氏歴代廟>
二本松藩主の墓.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
二本松の大隣寺に行ってきました。
二本松城や戊辰の古戦場は以前行ってましたが、二本松少年隊や丹羽家歴代藩主
の墓がある大隣寺には行っていませんでした。

目的はやはり二本松少年隊の墓参拝です。
境内左側に少年隊の慰霊碑を中心に墓が並んでいます。
二本松少年隊慰霊碑.jpg

二本松少年隊no.jpg

二本松少年隊の墓.jpg
二本松少年隊は13歳から出陣しています。
白虎隊より更に下の年齢の少年たちが出陣して、戦死しているという戊辰戦争
の悲劇のひとつです。
大河ドラマ『八重の桜』では、隊長の木村銃太郎が「二本松は敵に寝返って生き
延びるより、死すとも同盟への信義を貫く方途を選んだ。誇りを持って戦え」
という号令のもと大檀口の戦いに挑みました。
この言葉、この大河ドラマで一番心を打たれました。

二階堂守衛戦死の地.jpg
大隣寺の石段の前には副隊長・二階堂守衛、岡山篤次郎(13才)戦死の地碑があります。
大河ドラマでも、二人が討たれるシーンは涙ものでした。
篤次郎が「若先生(木村銃太郎)の仇」と敵兵にかかり鉄砲で撃たれました。
家に帰って、改めて八重の桜のそのシーンを見返して泣きました。

平成27年夏旅 最北の地へ
http://rover.seesaa.net/article/424226743.html

著名人の墓
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大河ドラマの舞台
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