2015年04月29日

長楽寺      (福島県福島市)

福島県福島市にある長楽寺に行ってきました。

<長楽寺>
長楽寺.jpg
住所:福島県福島市舟場町3-10
駐車場あり(無料)
境内自由

長楽寺は室町時代に上杉氏の重臣本庄氏の菩提寺として、今の村上市に創建された
お寺です。

長楽寺2.jpg

本庄氏では上杉謙信に仕えた猛将本庄繁長が有名です。一時武田信玄の調略により
謙信に反旗を翻しますが、後に帰順。
謙信死後の御館の乱では景勝方につき、新発田重家の乱の鎮圧にも功績をあげました。
福島城代をつとめ、死後この長楽寺に弔われました。

寺の境内には本庄繁長一族の墓があります。

<本庄繁長一族の墓>
長楽寺 本庄繁長の墓.jpg

この長楽寺は幕末に歴史の舞台となります。
長楽寺に仙台藩の軍事局が置かれ、新政府軍への対応の拠点となります。
またこの寺で、横暴をきわめる長州の世良修蔵暗殺の密議も行われたという事です。
世良修蔵はその後、仙台藩士・瀬上主膳、姉歯武之進、鈴木六太郎、浅草屋宇一郎
らに襲われ捕縛。阿武隈川の河畔で殺されます。

長楽寺には世良を襲ったひとり浅草屋宇一郎の碑があります。

<浅草屋宇一郎の碑>
仙台藩からす組の碑.jpg
左が浅草屋宇一郎の碑。右は仙台藩烏天狗組(通称:鴉組)の碑です。
鴉組は果敢に夜襲をしかけ白河口の戦いなどで戦った部隊です。
【鴉組についてはこちらをご覧下さい】
http://rover.seesaa.net/article/382551510.html

またこの寺は明治時代に活躍した会津出身の女性瓜生岩子ゆかりの地です。
瓜生岩子はこの長楽寺で窮民貧児のための救済機関設置に関する活動を
行っています。その後の社会福祉に関する功績により明治29年(1896年)に女性初
の藍綬褒章を受章しています。
そのゆかりで、長楽寺に瓜生岩子の像(遺髪塚)が造られました。

<瓜生岩子像>
瓜生岩子像.jpg

大河ドラマ『八重の桜』で、瓜生岩子も出てくるのかと思っておりましたが、
瓜生岩子は作品で出てきませんでした。瓜生岩子を出すと八重が霞んでしまう
から出さなかったんでしょうね。瓜生岩子の実績は会津では有名な話なので。


長楽寺、とても歴史的由緒のあるお寺でした。
分かりづらい場所にありますが、曲がるところに本庄繁長・瓜生岩子ゆかりの
寺である案内板があります。

長楽寺3.jpg

著名人の墓
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平成26年秋旅
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2015年04月22日

陽林寺       (福島県福島市)

福島県福島市にある陽林寺に行ってきました。

<陽林寺>
陽林寺 山門.jpg
住所:福島県福島市小田位作山13
駐車場あり(無料)
境内自由

<現地解説>
位作山陽林寺は、16世紀の初頭に盛南禅師によって開かれた曹洞宗のお寺
です。
寺の創建には禅師に心から私淑した時の西山城主伊達種宗の諸寄進が預かって
大きく、従って開基とされており、その証状等の中世文書は寺宝として今に伝存
している。
本堂などの現伽藍は多くが1805年前後の建立で、その後の修理は加えられな
がらも古型をよく保っており、特に内部荘厳の絵画や彫刻それに奉納額などは
福島の文化史の一面を伝えていて貴重である。

<本堂>
陽林寺.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
福島市の郊外にある陽林寺に行ってきました。
16世紀創建のお寺で、伊達家とゆかりの深いお寺です。
伊達政宗の曾祖父にあたる伊達種宗が創建に大きく関与しているお寺だそうです。

境内には立派な山門や、民間信仰に基づく石塔など歴史的なものが多く残ります。

またその広い境内には、創建に関与した伊達種宗の墓などもあり、歴史的な見所
の多いお寺でした。

<伊達種宗の墓>
伊達種宗の墓.jpg
現在の墓碑は新しそうだったので、近年新調されたものと思われます。

<伊達実元の墓>
伊達実元の墓.jpg
種宗の三男で、亘理城主伊達成実の父親である伊達実元の墓です。

著名人の墓
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平成26年秋旅
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2014年11月27日

紅葉山公園 / 福島城跡    (福島県福島市)

福島市の紅葉山公園(福島城跡)に行ってきました。

<紅葉山公園>
紅葉山公園.jpg
住所:福島県福島市杉妻町
駐車場なし

<現地解説>
この一帯は福島城主板倉氏の「二の丸外庭」と呼ばれた庭園でした。
かつては板倉神社の地が築山で、阿武隈川ごしの弁天山・椿館を借景に、
ひょうたん形の泉池がありました。
明治前期に竹下文明がこの地を入手し、のちに福島銀行に買収されました。
将来を案じた福島市は昭和8年に払い下げを受け、紅葉山公園としました。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
福島市の紅葉山公園に行ってきました。
ここは福島城の二の丸。すぐ脇に本丸跡の碑があります。

紅葉山公園 本丸跡.jpg

福島城は今は跡形も無く、その面影を忍ぶことが出来ません。
城があったところは福島県庁になっています。
紅葉山公園もかつての庭園の面影はありませんが、かつて阿武隈川の借景を
利用したという話で、現地で阿武隈川を眺めるととても良い風景です。

紅葉山公園 阿武隈川.jpg

福島城主は板倉氏。1702年に移封となり幕末まで板倉氏が支配します。
その初代板倉重昌を祀った神社が板倉神社で、紅葉山公園の端にあります。

紅葉山公園 板倉神社.jpg
板倉重昌はある意味有名な人物。
島原の乱鎮圧の司令をつとめるも鎮圧出来ず。老中松平信綱が出陣するに至り
総攻撃を仕掛けるも銃弾を受けて討ち死にしています。
そんな板倉重昌が福島で祀られているのはちょっと驚きです。

【若山牧水歌碑】
紅葉山公園 若山牧水歌碑.jpg
「つばくらめ ちちととびかひ阿武隈の きしの桃のはな いまさかりなり」
1916年に若山牧水は福島に来て、この「阿武隈川のうた」を残しました。

<紅葉山公園・平成26年11月3日撮影>
紅葉山公園2.jpg

紅葉山公園3.jpg

紅葉山公園4.jpg

平成26年秋旅
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日本の城を巡る
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紅葉の名所巡り
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2014年11月12日

元客自軒      (福島県福島市)

福島市の民家園の中にある元客自軒を見に行ってきました。

<元客自軒>
客自軒.jpg
住所:福島県福島市上名倉字大石前地内
駐車場あり(無料)
入園無料

客自軒は福島にあった割烹旅館で、この建物も幕末の建築です。
幕末の事件である世良修蔵襲撃の際には、金沢屋に泊まっていた世良修蔵が
襲われここ客自軒に引き立てられたあと、阿武隈川の河畔で惨殺されました。

明治に入り所有者がかわり、旅館から下宿になり、昭和61年まで利用されていた
という事です。
平成4年に福島民家園に解体移築されています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
幕末維新の史跡めぐり、客自軒に行ってきました。
世良修蔵襲撃事件に関する史跡を巡ろうと思い、今回旅をしました。
前日に宮城県白石市にある世良修蔵の墓を参拝。
そして、翌日客自軒訪問となりました。
世良修蔵が襲撃されたのは金沢屋という旅籠です。
金沢屋は現在は完全に無くなっていて、跡地を訪問するだけとなりますが、金沢屋
から引き立てられた客自軒は移築されて残っていました。
木造二階建て数寄屋造りの手法を用いた建物。移築時に復元したんでしょうけど、
とても綺麗な状態です。

客自軒3.jpg

客自軒2.jpg

客自軒4.jpg

その後明治に入り、下宿となり、庭の紅葉にちなみ紅葉館という名前になった
そうです。昭和61年まで使われていたというのは凄いですね。

客自軒 庭2.jpg

客自軒 庭1.jpg

大河ドラマの舞台
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平成26年秋旅
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2014年11月08日

信夫文知摺観音     (福島県福島市)

福島県福島市にある信夫文知摺観音に行ってきました。

<信夫文知摺観音>
信夫文知摺観音.jpg
住所:福島県福島市山口字文知摺前70
駐車場あり(無料)
拝観料:400円

<現地解説>
この地は信達三十三観音二番札所としての霊地であり、また文知摺石を
めぐる伝説の地としても古くから親しまれてきた所です。
この信仰と伝説とが中核となって、この地には長い歳月にわたり堂塔が
建立され多くの碑が配置されてきました。
1267年の文字が刻まれている鎌倉期の板碑や1699年に福島城主
堀田正虎が文知摺石を顕彰した碑、松尾芭蕉の句碑などは史実が明かで
しかも当地の文化や歴史を跡づける価値の高いものです。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
福島市にある信夫文知摺観音に行ってきました。
平成11年に訪問して以来なので、15年ぶりでの訪問です。

信夫文知摺観音はそこにある信夫文知摺石に関する伝説が有名です。
この地に赴任していた河原の左大臣源融(みなもとのとおる)とこの地の
長者の娘虎女の恋の話です。
都に帰った源融を思い、再会を待ちわびますがかなわず、嘆き悲しむので
すがこの文知摺石に源融の姿が映し出されたとかいう伝説が残ります。
その後、虎女は再会かなわぬまま亡くなります。

【信夫文知摺石】
文知摺石.jpg

源融は使いの者を出して虎女に歌を送ります。
それが百人一首でも有名なこの句です。
「陸奥のしのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし われならなくに」

その句碑もありました。この句碑は明治初期に建てられたものです。
信夫文知摺観音 河原左大臣歌碑.jpg

【源融、虎女の墓】
信夫文知摺観音 源融の墓.jpg
最近造られたと思われる源融と虎女の墓です。

【松尾芭蕉像】
信夫.jpg

【安洞院宝塔】
信夫文知摺観音 宝塔.jpg
1812年に建てられた宝塔。

著名人の墓
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紅葉の名所巡り
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2014年11月06日

伊達晴宗の墓     (福島県福島市)

福島市の宝積寺にある伊達晴宗の墓を参拝してきました。

<宝積寺>
宝積寺1.jpg
住所:福島県福島市舟場町3−16
駐車場あり(無料)

福島市の宝積寺にある伊達晴宗の墓を参拝しました。
福島城(現在の福島県庁)から1キロくらい東に行ったところに宝積寺があり
ます。
伊達晴宗は伊達家15代当主で、伊達政宗の祖父にあたります。
晴宗の父種宗との親子の争いは有名です。
晴宗は1578年に亡くなり、宝積寺に葬られます。
宝積寺は伊達晴宗の正室久保姫が晴宗の菩提を弔うために建立した寺院との事
です。

寺の外には晴宗の墓所の案内は無く、寺内にも特に説明の看板などもありません。
墓の前に「従四位下左京大夫伊達晴宗墓」という碑によってのみ分かる状態
です。

<伊達晴宗の墓>
宝積寺 伊達晴宗の墓2.jpg

宝積寺 伊達晴宗の墓.jpg

著名人の墓
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2014年07月06日

相馬中村城    (福島県相馬市)

福島県相馬市にある相馬中村城に行ってきました。

<相馬中村城>
相馬中村城.jpg
住所:福島県相馬市中村北町140
駐車場あり(無料)
入場無料

<現地解説>
中村城は馬陵城ともいわれる。
古くはこの地は天神山と言われ、中世にはその一部に館が構えられていたこと
もあった。
1611年7月、相馬利胤が木幡勘解由長清を責任者として築城に着手し、
11月に完成、12月2日小高城よりここに移った。以後、明治初年に廃される
まで、約300年にわたる相馬氏歴代藩主の居城として、藩政の中心となった。
城の正面の東南部には外大手門がある。ここより中門跡を経て廊下橋を渡ると
内大手門跡があり、本丸に達する。ここより中門跡を経て廊下橋を渡ると内大手門
があり、本丸に達する。
築城された1611年に天守閣が本丸南隅に建てられたが、1670年の落雷の
ため焼失した。その後は再建されていない。
本丸のまわりには郭・濠・溜池・土塁・空堀などをめぐらし、二の丸を東西南北に
三の丸を東西北に配している。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
相馬中村城に久しぶりに行ってきました。ここもまた10年以上ぶりです。
現在は公園風に整備されていて、城跡には相馬神社・中村神社の2つの神社が
あります。

<相馬神社>
相馬神社.jpg

<中村神社>
相馬中村神社.jpg

中村神社は有名な相馬野馬追において、藩主が出陣する社です。
相馬野馬追祭は今でも相馬家ご当主の出陣ではじめるという由緒あるお祭です。
一度行ってみたいのですが、なかなか時間が合わず、見に行けていません(>_<)

そんなからみもあるのか、神社の境内には馬が飼われていました。
相馬中村城4.jpg

相馬中村城は、濠や石垣など比較的良い状態で残っています。
1611年なので、大坂の陣より前ではありますが、戦国期の城という感じでは
なく江戸時代のお城というイメージですね。

相馬中村城2.jpg

相馬中村城3.jpg

日本の城を巡る
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平成26年GWの旅(城めぐり&本州最東端へ!)
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2014年07月02日

北畠顕家像    (福島県伊達市)

福島県伊達市、霊山神社前にある北畠顕家の銅像です。

<北畠顕家の銅像>
霊山神社 北畠顕家像.jpg
住所:福島県伊達市霊山町大石字古屋舘1
駐車場あり(無料)

福島県伊達市の霊山は修験道の霊場として慈覚大師円仁が山寺を創建した
と言われる場所です。
南北朝時代には北畠顕家が霊山城を築き、奥州における南朝方の拠点とし
ました。北畠顕家は石津の戦いで討ち死にし、霊山城は1347年に落城。
この地にあった霊山寺も同時に焼失したという事です。
明治時代になり、南朝正統論からこの地に霊山神社が作られる事になりま
した。

霊山神社.jpg

霊山神社のふもと、駐車場のところにゆかりの北畠顕家の銅像があります。
ちょっと可愛らしい公家の様な感じの銅像です。
かつて大河ドラマ『太平記』で、北畠顕家の役は後藤久美子だったのも懐かしい
です。

銅像めぐり
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平成26年GWの旅(城めぐり&本州最東端へ!)
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2014年06月18日

小浜城    (福島県二本松市)

福島県二本松市にある小浜城趾に行ってきました。

<小浜城>
小浜城.jpg
住所:福島県二本松市小浜下館
駐車場なし

<現地解説>
大内氏はかつて福井県の小浜に居住していたが、晴継の代である応永年間
(1394〜1428)、東安達を統治していた石橋氏の家臣となり当地
に移住した。そして、その子宗政が築城した折、地形が本国に似ている
ことから小浜城と名付けたという。
その後、戦国の世に弱小の国人領主であった定綱は、大名領主であった伊達・
芦名に交互に身を寄せては自分の安全を計っていたが、1585年伊達政宗
に背いて芦名に属した事から攻撃を受け敗走した。そして政宗は畠山氏が
居住する二本松城の包囲戦を実行するため当城に一年ほど在陣している。

小浜城6.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
二本松市郊外にある小浜城に行ってきました。
名前も小浜城(おばまじょう)、福井と同じだと思ったところ、ゆかりは
やはり若狭の小浜城でした。国人領主の大内氏というのは僕は知りません
でしたが、戦国の世ではこういう小さい国人領主は主君をコロコロ変えな
いと生きていけない厳しさがあったんだなとしみじみ思います。

小浜城2.jpg

小浜城3.jpg

小浜城跡は小さな公園風に整備されています。
城跡には「大内氏屋敷跡」の碑などが建てられています。

小浜城4.jpg

城からの風景
小浜城5.jpg

日本の城を巡る
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2014年06月12日

中野竹子殉節の地    (福島県会津若松市)

福島県会津若松市にある史跡・中野竹子殉節の地に行ってきました。
平成25年10月13日訪問。

<中野竹子殉節の地>
中野竹子殉節の地.jpg
住所:福島県会津若松市神指町大字黒川街道西250
駐車場なし

<現地解説>
明治戊辰(1868)の役で、西軍を迎え撃ったところで西側には旧越後
街道が通っていた。
8月23日には、中野竹子・優子の姉妹を中心とした婦女子隊は坂下まで
出陣したが、8月25日には婦人の従軍が許可されたので、黒髪を断ち、
薙刀をかかえ衝鋒隊に加わり、城下に迫る長州・大垣藩の兵士とここで
遭遇し、激しい戦いが展開された。

竹子は辞世の「武士の猛き心にくらぶれば 数には入らぬ我が身ながらも」
と詠んだ短冊を薙刀に結びつけて奮戦したが、敵の銃撃に会い、壮烈な
戦死を遂げた。時に22歳であった。

中野竹子殉節の地2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
福島県会津若松市の中野竹子殉節の地(史跡)に行ってきました。
竹子が戦死した柳橋の近くに碑が建立されています。
この碑は昭和13年に建立されたもので、裏には竹子の辞世の句など
が刻まれています。
昨年の大河ドラマで山本八重が注目されましたが、会津戦争で名を
残した女性と言えば昔から中野竹子だったような気がします。
実際会津の歴史資料館みたいなところでも、竹子の事は見たことが
ありましたが、八重の事は今回の大河で初めて知りました。
大河での竹子の最後も感動しましたが、歴史上の史実の様なえぐい
部分はさすがにカットされたなという感じでしたね。

ちなみにこの場所は、戦国末期、直江兼続が家康の侵攻に備え神指城
を作った地のすぐ近くになります。

大河ドラマの舞台
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古戦場めぐり
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2014年06月11日

長命寺     (福島県会津若松市)

福島県会津若松市の長命寺に行ってきました。
平成25年10月13日訪問。

<長命寺>
会津 長命寺.jpg
住所:福島県会津若松市日新町5-51
駐車場あり(無料)

長命寺は1605年、京都本願寺第12世教如が蒲生秀行に請い、
若松城下日野町(今の上町)に一寺を建立、本願寺輪番(本願寺
出先機関)の地とし「本願寺掛所」としたのが始まりとされている。
そして、浅草本願寺と同じ寺格を賜り、会津一円は勿論東北の各地
にも布教した。
1667年、院地狭隘のため今の地を賜って移り、これまでこの寺
は御坊と尊称されてきたが「幸甫」の代より長命寺と改め、輪番制
を廃し世襲の寺となった。
寛文年間(1661〜1672)本願寺直轄寺院であったこの寺は
最高の寺格を示す白線の五條の築地塀を許された。

<築地塀>
会津 長命寺 築地塀2.jpg

この築地塀の名を高らしめたのは、戊辰の役における長命寺での攻防戦
であり、当時の鉄砲弾がこの築地塀に無数に残っていて、その戦いのすさ
まじさを物語っている。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
会津若松市の長命寺に行ってきました。
ここは戊辰戦争の激戦地として知られる寺です。
大河ドラマ『八重の桜』ではこの寺の名前は出ませんでしたが、佐川官兵衛
が主君松平容保から酒を賜り翌朝の出陣を寝過ごした逸話、その戦いの
舞台がこの長命寺(長命寺の戦い)になります。
この戦いで、佐川官兵衛の父直道も討ち死にしています。

本当に激戦だったのでしょう、築地塀には穴が数多く残っています。
これが戊辰戦争の銃弾の跡というのはびっくりします。

会津 長命寺 築地塀.jpg

また境内には会津藩士の墓があります。
会津藩戦死者の墓.jpg
激戦後、遺体は葬ることも許されず放置されました。
見かねた長命寺の住職が付近の遺体を集めて埋葬したのがこのお墓です。

大河ドラマの舞台
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古戦場めぐり
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山本家墓所 / 大龍寺   (福島県会津若松市)

福島県会津若松市にある大龍寺に行ってきました。
大河ドラマ『八重の桜』に関連する、山本家墓所を参拝しました。
平成25年10月13日訪問。

<大龍寺>
大龍寺.jpg
住所:福島県会津若松市慶山2丁目7-23
駐車場あり(無料)

大龍寺は1643年、機外禅師が開山したお寺で、境内
墓地には会津藩士山本家墓所があります。山本家はこの大龍寺を
菩提寺にしており、昭和6年に山本八重がバラバラになっていた
家族のお墓をここに集めたという事です。

山本家墓所の前には「山本家之墓」の碑があります。
山本家の墓.jpg
これは山本八重の直筆との事です。

山本家の墓 会津若松.jpg
この墓所完成の翌年、昭和7年に山本八重は87歳で永眠します。

大龍寺には信濃守護・小笠原長時の墓もありました。
小笠原長時公墓.jpg

大河ドラマの舞台
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著名人の墓
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2014年02月09日

阿津賀志山古戦場    (福島県国見町)

阿津賀志山古戦場に行ってきました。

<阿津賀志山古戦場>
阿津賀志山防塁1.jpg
住所:福島県国見町石母田字国見山下
駐車場なし

1189年、源頼朝率いる鎌倉軍と奥州藤原泰衡の命を受けた藤原国衡率いる
平泉軍が決戦を行った阿津賀志山周辺には中腹から阿武隈川旧街道まで約
3.2kmもの長大な防塁が築かれています。この要塞施設は平泉軍が短期間
に完成させたもので、現在その痕跡を随所で見ることが出来ます。

この戦いは鎌倉軍が畠山重忠を初めとする約25000の兵力。
平泉軍は藤原国衡らの軍勢約20000と言われています。
戦いは激戦となりますが、最終的に鎌倉軍が勝利。
藤原国衡は和田義盛に討たれました。
義経を討ち恭順を示した藤原泰衡ですが、結局頼朝に討たれる結末に
なるわけで、たらればですが、義経と一緒に戦っていればという歴史上の
ポイントともいえるところですね。
奥州藤原氏の軍は、阿津賀志山で敗れた後は大規模な反撃も出来ず、平泉
が陥落し滅亡します。

現在の阿津賀志山防塁は一部その痕跡を確認できる状況です。
国道4号線沿いに看板が建っています。

阿津賀志山防塁2.jpg

阿津賀志山防塁3.jpg

古戦場めぐり
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2013年12月18日

中野竹子の墓/法界寺   (福島県会津坂下町)

福島県会津坂下町にある中野竹子の墓を参拝してきました。

<中野竹子の墓>
中野竹子の墓3.jpg
住所:福島県河沼郡会津坂下町光明寺東甲3944
駐車場なし

中野竹子は会津藩江戸詰勘定役・中野平内の長女として江戸で生まれました。
戊辰の役の折、会津に戻り、照姫を守る為娘子隊を編成し、自ら隊長となり
鶴が城救援に赴いた。
薙刀に長じた竹子は勇戦奮闘中不幸にも銃弾に倒れ、介錯を命ぜられた妹優子
は泣く泣く首をはね娘子隊編成の地である法界寺に葬った。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
会津坂下にある中野竹子の墓を参拝してきました。
以前会津の資料館などで見て中野竹子の事は少し知ってました。
今年大河ドラマに登場した事で、改めてその関連地を訪問してみました。
墓は会津若松から車で30分位走った会津坂下町にあります。
法界寺というお寺です。

中野竹子の墓.jpg

中野竹子の墓 法界寺.jpg

駐車場はありません。今年限定でしょうけど、臨時駐車場が少し離れたところに
設置されていました。

墓碑には「小竹女子之墓」とありました。

中野竹子の墓2.jpg

大河ドラマが新島八重主人公だったため、そちらメインになりましたが、
以前から会津で戊辰戦争で活躍した女性と言えば中野竹子というのが
一般的認識の様です。私も中野竹子は知ってましたが、新島八重(山本八重)は
まったく知りませんでした。

著名人の墓
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平成25年夏旅
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大河ドラマの舞台
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2013年12月12日

仙台藩士戊辰戦没之碑   (福島県白河市)

福島県白河市にある仙台藩士戊辰戦没之碑です。

<仙台藩士戊辰戦没之碑>
仙台藩士戊辰戦没之碑.jpg
住所:福島県白河市女石
駐車場なし

かつて会津街道(現在の国道294号線)と奥州街道(現在の国道4号線)の分岐点で
あったここ女石の地にあるこの碑は明治23年、戊辰戦争における仙台藩の戦死者の慰霊
のため、旧仙台藩主伊達宗基により建てられたものである。
なおこの碑の傍らの「戦死供養碑」は、白河周辺で戦死した仙台藩士150余名を葬った
墓で明治2年の建立である。

仙台藩士戊辰戦没之碑2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
白河市の市街から少し離れたところに仙台藩士を葬ったお墓と、慰霊の
碑がありました。ここは何度か車で通りかかった事があったのですが、
素通りしていました。
白河市の戊辰戦争絡みの史跡を調べてみたところ、ここに仙台藩がらみ
の碑があることを知り立ち寄りました。

明治時代に入ってから、旧藩主による慰霊碑です。
現地には旧仙台藩の「からす組」と呼ばれる部隊の説明がありました。
この部隊が白河口の攻防戦などで戦った様です。

仙台藩からす組.jpg


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2013年12月11日

大塩天然炭酸水    (福島県金山町)

福島県金山町にある大塩天然炭酸水です。

<大塩天然炭酸水>
大塩天然炭酸水.jpg
住所:福島県金山町大塩
駐車場あり

<大塩天然炭酸水について>
古くから大塩の地獄沢にわき出すガス泉が、薬泉であると評判になっていました。
明治10年、この天然炭酸水を白磁のビンに詰め旧会津藩士が「太陽水」と命名し、
会津はもとより近県の薬店に卸し、慢性胃腸病、糖尿病、便秘の妙薬として販売し
ていました。
明治36年、日本の飲料の父と言われる倉島謙氏が岩代天然炭酸鉱泉株式会社を
設立し、この場所に工場を設置しました。
国内では「万歳炭酸水」ドイツに「芸達者タンサンミネラルウォーター」という名前
で輸出もしたそうです。
平成16年、この隣接地に製水工場が建設され、現在「aQaizu」として販売されて
います。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
会津若松方面から六十里越えで新潟の小出に向かう街道(現在の国道252号線)沿いに
天然炭酸水の看板が何ヶ所かあります。
前から気になっていましたが、今回初めてどんなものか立ち寄ってみました。

現地には井戸があります。
大塩天然炭酸水4.jpg
駐車場もあり、誰でも自由に井戸から水を汲むことが出来ます。

大塩天然炭酸水2.jpg
中をのぞき込むと、並々と水をたたえています。
ヤカンの釣瓶があるので、それでくみ上げます。

大塩天然炭酸水3.jpg

天然炭酸水、どんなものか非常に気になります。
早速一口飲んでみました。

いわゆるサイダーの様にシュワーっとくる感じじゃないです。
ただ、炭酸が入ってるなというのは分かります。うっすらとという
感じです。
後味もあります。多分鉄分を含んでいるんだと思います。鉄っぽい
味がします。
上の説明にもありますが、薬泉っていう表現は合ってるかもしれません。
体に良さそうな感じの湧き水です。

現在は瓶詰めして売られています。
それが「aQaizu」です。

aqaizu.jpg
買ってきたんですけど、まだ飲んでません(^^;
製品ではあの後味はあるのかな。。。そのうち飲んでみます。

日本の名水巡り
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2013年11月06日

戸ノ口原古戦場    (福島県会津若松市)

福島県会津若松市にある戸ノ口原古戦場に行ってきました。

<戸ノ口原古戦場>
戸ノ口原古戦場.jpg
住所:福島県会津若松市湊町
駐車場なし

<現地解説>
1868年8月22日、母成峠の藩境を突破した西軍は、怒濤の如く猪苗代湖畔
の要衝「戸ノ口十六橋」に殺到しこれを占拠した。

<戸ノ口十六橋>
戸ノ口十六橋.jpg

また、別働隊は湖を渡り笹山への襲撃に成功し、この両面作戦で挟み撃ちを
受けた会津藩守備隊は苦戦を強いられた。
急遽松平容保公警護の白虎隊士中二番隊が滝沢本陣より派遣されたが、
会津藩守備隊に対し、数倍の兵力と優れた性能の武器を持つ西軍は優勢に
戦いをすすめた。
戸ノ口原で展開された戦闘では孤立無援となり、散り果てた藩士も多く、
派遣された白虎隊士中二番隊は藩主に復命するため後退し、そのうち20
名は弁天洞窟をくぐり飯森山へたどり着くのであった。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
会津にある戊辰戦争の古戦場、戸ノ口原古戦場に行ってきました。
十六橋を越えた西軍を迎え撃った場所です。
現在、十六橋はコンクリートの橋になり、現地に解説も無いので、
古戦場の面影はありません。

そこから数キロのところに戸ノ口原古戦場があり、「白虎隊奮戦の地」
という看板が建っています。
現地には供養塔などもあります。

<供養塔>
戸ノ口原古戦場2.jpg

また近隣には会津藩士のお墓がありました。
戊辰戦争 戦死者の墓 会津.jpg

会津藩の戦死者を近隣の住民が葬ったものの様です。
お墓には今年設置された解説板がありました。大河にあわせて
設置したんでしょうね。これがなければ、ダレも気がつかないでしょう。
知らずに通り過ぎていたものが、説明があることによって意味ある場所に
なるのは良いことですね。

大河ドラマの舞台
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古戦場めぐり
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2013年10月30日

河井継之助の墓     (福島県只見町)

福島県只見町にある河井継之助の墓に行ってきました。

<河井継之助の墓>
河井継之助の墓.jpg
住所:福島県只見町大字塩沢字上ノ台258
駐車場あり

河井継之助は幕末の長岡藩家老。
長岡藩は河井の指導のもと、近代兵制を導入。
ガトリング銃やアームストロング砲などを導入していました。

奥羽越列藩同盟に加わり、新政府軍と北越戦争を戦い負傷。
八十里越え(今の新潟県三条市から福島県只見町に向かう峠)で会津を目指して
落ちていく途中、この地で亡くなりました。

河井継之助の墓は只見町の医王寺というお寺にあります。
遺体は荼毘に付され若松城下の建福寺に運ばれ更に明治2年に長岡城下
栄凉寺に改葬されました。
残った遺骨は村人たちによってここ医王寺に葬られました。
後日幕府医師松本良順・長岡藩医阿部宗達の両名によって墓石が築かれ
ました。

医王寺から数分の所に河井継之助記念館があり、継之助に関する展示を
見ることが出来ます。そこに「河井継之助終焉の地」の碑があります。

<河井継之助終焉の地碑>
河井継之助 終焉の地.jpg

現地はこんな長閑なところです。
河井継之助 終焉の地2.jpg

著名人の墓
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2013年09月11日

如来堂・新選組殉難の地  (福島県会津若松市)

福島県会津若松市にある如来堂に行ってきました。

<如来堂>
新選組殉難の地2.jpg
住所:福島県会津若松市神指町如来堂
駐車場あり

<如来堂・新選組殉難地>
1868年9月4日、山口次郎こと斎藤一ら新選組隊士が守備したここ如来堂
が新政府軍によって襲われ、隊士が全滅したとされる場所である。
近藤亡き後、会津に入った土方歳三率いる新選組は母成峠防衛の任となるが、
西軍の攻撃の前に敗走した。庄内へ援軍を求めて会津を離れようとする土方に
対し、山口は会津藩主松平容保への恩義から「今、落城せんとするのを見て
志を捨て去る、誠義にあらず」と、会津に残留して徹底抗戦を主張した。
会津を去った土方とは対照的に、山口は20名ばかりの隊士とともにこの地に
宿陣していたが、西軍の攻撃を受けて全滅したとされている。
ここ会津で隊長として新選組を率いた山口においては会津藩が降伏開城した
後、藩士と共に斗南藩に移り、苦渋をともにしたのち、大正の世まで生き抜いた。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
如来堂に行ってきました。ここは戊辰戦役の古戦場で、西軍の攻撃の前に
山口次郎こと斎藤一の率いる新選組軍がやられた場所です。

新選組殉難の地.jpg

田んぼの広がる一帯の中、小さな森があり、そこにこの如来堂はあります。
また、ここから数十メートルの所には直江兼続が関ヶ原の戦いの折に築城
したという神指城跡があります。

今年の大河ドラマにも斎藤一は出ていますが、斎藤は義の人ですね。
同じく義に生きた上杉家、また直江兼続のゆかりの地でつながるのも
興味深いですね。

平成25年夏旅
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古戦場めぐり
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2013年08月15日

蒲生氏郷の墓     (福島県会津若松市)

福島県会津若松市にある蒲生氏郷の墓です。

<蒲生氏郷の墓>
蒲生氏郷の墓.jpg
住所:福島県会津若松市栄町2-12
参拝自由

1590年、天下統一を果たした秀吉は信長にも仕えた戦国武将蒲生氏郷
を奥羽の押さえとして会津に封じた。氏郷は黒川といったこの町を郷里
(滋賀県日野町)の森の名にちなみ「若松」と名付けた。
また鶴ヶ城や城下町を整備し、漆器産業を植え付け文化興隆にも力を注いだ。
しかし会津領主となってわずか5年後に病のため京都で不帰の人となった。
興徳寺の五輪塔には遺髪が収められ、辞世の歌碑も建っている。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
会津若松にある蒲生氏郷の墓です。
過去のデータを整理していたら出てきたので、記事にしてみました。
行ったのが結構前の為、駐車場があったかどうかうる覚えですが、
確か駐車場は無かった様な気がします。

蒲生氏郷は文武両道の名将として知られます。
会津に配置されたのも、秀吉が恐れたゆえに会津に送られたとも言われて
いますが、実際は伊達政宗への押さえとして会津に領地を与えられたものと
思われます。

40歳での急死は、伊達政宗や直江兼続による暗殺説もある様です。

この会津の興徳寺は遺髪塚。
蒲生氏郷の墓2.jpg
当時は御霊屋があったそうですが、戊辰戦役で焼失との事です。

また境内には辞世の句の歌碑があります。
「限りあれば 吹かねど花は 散るものを 心短き 春の山風」
蒲生氏郷の辞世.jpg

著名人の墓
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2013年06月16日

大檀口古戦場    (福島県二本松市)

福島県二本松市、戊辰戦争の古戦場である大檀口古戦場に行ってきました。

<大檀口古戦場>
大檀口古戦場 二勇士の碑.jpg
住所:福島県二本松市向原
駐車場あり

<現地解説>
ここが戊辰戦役に木村銃太郎を隊長とする二本松少年隊奮戦の地である。
隊長はここで戦死。また少年隊を援護して壮絶な戦死を遂げた青山助之丞、
山岡栄治の二勇士の奮戦の地でもある。
1868年7月29日未明、三春藩の突然の降伏により二本松の横腹を突く
形となった西軍は、潮のごとく二本松城下に押し寄せたが、血気盛んな壮年
各守備口に出陣しており、藩はやむなく少年隊に出陣を命じた。
木村銃太郎率いる少年隊は12〜17歳までの少年の一隊で、獅子奮迅の戦い
は西軍を悩ませましたが、衆寡敵せず、維新の夜明けを前にして可憐な花を
散らせたのであった。
大檀口に出陣した二本松少年隊は63名のうち22名で、戦死者は隊長
木村銃太郎をはじめ16名、戦傷者6名であり戊辰戦争史上特筆すべき一大
決戦の地である。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
国道4号線から東北自動車道二本松ICへ向かって走ると、東北本線の
跨線橋の手前に「大檀口古戦場」の看板があります。
前から気になってはいたのですが、今年になって初めて車を降りて碑を
見てきました。
ここは戊辰戦争の古戦場。有名な白虎隊とは違って、二本松少年隊につ
いてはあまり知られていません。歴史の教科書などで、もっと表に出して
も良い史実かなと思います。
この大檀口で、薩摩藩の野津道貫ら率いる西軍と二本松少年隊が激突。
砲撃で西軍を悩ませたものの、隊長をはじめ16名の戦死者を出し二本松
少年隊は退却という戦いです。

現地には、隊長木村銃太郎戦死の地という石碑があります。
大檀口古戦場 木村銃太郎戦死の地.jpg

平成25年4月14日に訪問しました。その時、ちょうど桜が見頃で、
夕暮れと桜が「強者どもが夢のあと」という感じを醸し出しているような
気がしました。

大檀口古戦場2.jpg

大檀口古戦場3.jpg

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2013年06月05日

小峠古戦場   (福島県福島市)

福島県福島市の小峠古戦場に行ってきました。

<小峠古戦場>
小峠古戦場3.jpg
住所:福島県福島市土湯温泉町
駐車場あり

磐梯吾妻スカイラインから土湯峠に向かう県道沿いに看板を発見しました。
「小峠古戦場」と書いてあります。正直全然知りませんでした。

<看板の解説>
1866年、仙台藩を先発とする官軍が陣をかまえ、大峠に布陣する会津軍と対峙
した古戦場で、当時の模様を「・・瀬上主膳を隊長として築州藩50の兵を加えた
850の兵を土湯に進め、会津街道小峠六合坂に陣を築いて、大峠の頂上で待ちか
まえる会津軍と戦いを交えた。
両軍の戦いの声は鬼面山にこだまし、打ち合う大砲の煙はもうもうと立ちこめて
空を覆い、戦いは数時間に及んだが、夕暮れになっても勝敗は決まらず両軍は
互いに退いて戦いは終わった」と伝えています。

小峠古戦場.jpg

小峠古戦場2.jpg
現地は看板に説明が書いてあるだけです。車で走っていると気がつかずに
通り過ぎてしまいそうな感じです。
標高1000mくらいあるでしょうか。こんな所でも戊辰戦争の戦いがあったのか
という事に驚きです。

古戦場めぐり
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2013年06月04日

磐梯吾妻スカイラインをドライブ   (福島県福島市)

福島県福島市、磐梯吾妻スカイラインをドライブしてきました。

<磐梯吾妻スカイライン>
磐梯吾妻スカイライン.jpg
住所:福島県福島市土湯温泉町 他
料金:1570円(平成25年11月15日まで無料開放中)

磐梯吾妻スカイラインは福島市の山側、高湯温泉と土湯峠を結ぶ山岳道路です。
最高地点付近の浄土平は標高約1600m。途中の景色も素晴らしいです。
この道路は「日本の道100選」にも選ばれています。
道路の各所にビューポイントがあり、小説家井上靖が吾妻八景として名付けて
います。

浄土平には食事処、お土産屋などがあります。
ここから登山道があり、標高1948mの一切経山、1707の吾妻小富士に
登ることが出来ます。なにぶん浄土平で1600mありますので、一切経山の山頂
までは片道1時間ほどで到達します。

<一切経山頂からの景色>
一切経山 山頂.jpg
こちらは5年くらい前に登ったときの写真です。

<磐梯吾妻スカイラインの風景>
磐梯吾妻スカイライン2.jpg

磐梯吾妻スカイライン3.jpg

磐梯吾妻スカイライン4.jpg

磐梯吾妻スカイライン 天狗の庭2.jpg

磐梯吾妻スカイライン 天狗の庭.jpg

磐梯吾妻スカイライン大.jpg
クリックすると拡大します。

磐梯吾妻スカイラインの景色は本当に素晴らしい。晴れた日に行くことをおすすめ
します。本来有料道路ですが、平成25年度は無料開放されています。


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2013年04月20日

大蔵寺の桜    (福島県福島市)

福島市の大蔵寺で桜を見てきました。

<大蔵寺>
大蔵寺.jpg
住所:福島県福島市小倉寺字拾石7
駐車場あり(無料)
境内自由

<現地の解説>
大蔵寺の開創は平安初期に東北鎮護を祈願した坂上田村麻呂が千手観音を造立せしめたること
によるとされ、また徳一大師の開眼とも伝えられる古刹です。
江戸時代末期まで、阿武隈川の西岸に300石近い大蔵寺村があり、この寺の朱印地だった
と言われますように、寺は初め大蔵寺村にあったと伝えられています。
それが東岸に移りさらに小倉山の観音堂とともにあるようになったのはいつからか明かではあ
りません。かつては天台宗だったようですが、江戸時代前期に臨済宗に改められ、現在に至って
います。
山麓の枝垂れ桜に迎えられて山路の参道を登り詰めますと、視界の広いこの地に達します。
山門も堂宇も今はなく、かやぶきの方丈と庫裏だけとなっています。

大蔵寺 巨大わらじ.jpg
境内には巨大なわらじがありました。これは何か由緒あるのかな??
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
大蔵寺に桜を見に行ってきました。
花見山公園に行った後、すぐ近くにあるこのお寺を訪問しました。
車だと数分で着きます。
花見山の人の多さで参ったあと、このお寺の閑かさが対照的です。
桜が非常に綺麗ですが、観光客はあまり来ておらず、ゆっくり桜
鑑賞が出来ます。

<大蔵寺の桜・平成25年4月14日撮影>
大蔵寺の桜1.jpg

大蔵寺の桜2.jpg

大蔵寺の桜3.jpg

大蔵寺の桜4.jpg

大蔵寺の桜5.jpg

大蔵寺の稚児桜.jpg
こちらが大蔵寺の稚児桜。樹齢は600年超だそうです。
ソメイヨシノは満開でしたが、こちらはすでに散っていました。
ソメイヨシノより開花は早いようです。残念。
咲いている稚児桜をまた見に行きたいです。

<桜のある風景>
http://rover.seesaa.net/article/14535679.html


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2013年04月17日

花見山    (福島県福島市)

福島県福島市の花見山に行ってきました。

<花見山>
花見山.jpg
住所:福島県福島市渡利字原
駐車場あり(無料)
駐車場からシャトルバスで現地に向かいます

福島の春の名所、花見山に行ってきました。桜もそうですが、他にも梅、ハナモモ、レンギョウ、ボケ、サンシュユ、モクレンなどなどの花も咲き、「花見山」の名そのものの風景が広がります。
小高い山が花に包まれる感じです。
山の上からは福島市の町並み、そして安達太良山などの山々を眺める事が出来、とても
すばらしい景色です。
この花見山は個人の所有だそうで、春のシーズンに無料開放しているそうです。
すばらしいですね。

僕は花見山に行くのは今回で2回目。5年前に一度行きました。
前回行ったときは早朝に行ったせいか混んでいた記憶が無いんですが、今回ははまり
ました。9時半に駐車場付近まで着きましたが、そこから渋滞。
車を停めて現地に着いたのは11時半くらいになってました(>_<)
作戦としては、朝一番に行く(9時前)。あとは福島駅からもシャトルバスが出ている
ので、駅近くに駐車(有料)してこちらからバスで向かうのが良いでしょう。
そうじゃないと、渋滞にはまって死にます。

<花見山の風景・平成25年4月14日撮影>
花見山1.jpg

花見山2.jpg

花見山3.jpg

<桜のある風景>
http://rover.seesaa.net/article/14535679.html

続きます。

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2013年03月06日

善龍寺    (福島県会津若松市)

福島県会津若松市にある善龍寺に行ってきました。

<善龍寺>
善龍寺1.jpg
住所:福島県会津若松市北青木13-33
駐車場あり
境内自由

善龍寺は1643年、曹洞一派の泉海という僧が藩祖保科正之に従い花畑に建立、その
後現在地に移った。本堂は戊辰戦争の戦火にあい焼失し、山門は寛文年中に建造され、
今もなお当時の面影を残している。
この寺には会津藩家老西郷頼母一家の墓があり、同邸内で自刃した西郷千重子の辞世の句
を記した「なよ竹の碑」もあり、戊辰戦争の悲劇をとどめている。

<本堂>
善龍寺2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
大河ドラマ『八重の桜』が始まったので、関連する記事を書いてみました。
会津若松にある善龍寺です。
ここは会津藩の家老・西郷頼母の墓があるお寺です。
西郷頼母の妻や子どもなど一族21人が戦いの足手まといになると自刃。
自刃した一族の墓「二十一人之墓」もあります。

<二十一人之墓>
二十一人之墓.jpg

西郷頼母は明治維新後も生き残り、その人生を全うします。
一族自刃の悲劇は、いかばかりかと思います。

<西郷頼母の墓>
西郷頼母の墓.jpg

<なよ竹の碑>
なよ竹の碑.jpg
西郷頼母の妻・千重子の辞世の句にちなんだ石碑です。
「なよ竹の風にまかする身ながらも たわまぬ節はありとこそきけ」

大河ドラマの舞台
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著名人の墓
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2012年11月07日

乙字ヶ滝  (福島県玉川村)

福島県玉川村にある乙字ヶ滝に行ってきました。

<乙字ヶ滝>
乙字ヶ滝.jpg
住所:福島県石川郡玉川村竜崎滝山
駐車場あり(無料)

<現地解説>
那須高原に源を発する阿武隈川が滝をなして乙字の形をしている。
水かさが増した時は100mの滝幅いっぱいに落下する水しぶきは
松の緑に映えて雄大である。
1689年、松尾芭蕉が「五月雨の滝降りうつむ水かさ哉」の句を
残し、句碑は滝見不動堂の傍らに建っている。
昔は川を遡る鱒、鮎、鮭を城主に献上する御用梁場であり、また
阿武隈川船運のため滝の北壁を堀割りして舟を通した跡がある。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
日本の滝100選「乙字ヶ滝」に行ってきました。
実に15年ぶりの訪問。すっかり忘れて、初めて行くような感じ
でした。
乙字ヶ滝は幅100m、落差は5m。
群馬県の吹割れの滝の規模を小さくした様な滝です。
まあ正直な感想としては、ちと迫力不足かなと。
水量が多いと豪快になるのかもしれませんが。

乙字ヶ滝1.jpg

乙字ヶ滝 大.jpg
クリックすると拡大します。

乙字ヶ滝は日本の滝100選に選ばれています。
規模や迫力では、いまいちかなと思うんですが。歴史的な由緒とかも
選考の対象になったのでしょうか。
江戸時代に松尾芭蕉が訪れ、俳句を詠んでいる由緒ある滝でもあります。
現地には松尾芭蕉の石像がありました。

乙字ヶ滝 松尾芭蕉.jpg

滝の脇には瀧見不動堂。創建は808年。弘法大師による開基と言われています。

滝見不動堂.jpg

日本の滝巡り
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奥の細道を歩く
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2012年10月29日

中津川橋からの紅葉  (福島県猪苗代町)

福島県猪苗代町にある中津川橋から紅葉を見てきました。

<中津川橋からの紅葉>
中津川橋からの紅葉1.jpg
住所:福島県耶麻郡猪苗代町若宮吾妻山甲2998-47
駐車場あり(無料)

磐梯吾妻レークラインを走っていると橋の上に写真を撮っていると
おぼわしき観光客と整理する警備員を発見。何かな〜と思った
ところ、ここにある中津川橋から素晴らしい紅葉を眺める事が出来る
場所と分かり立ち寄りました。
中津川休憩所という施設があり、そこに車を停めて歩いて行きます。
歩いて3分くらい。
秋元湖に流れ込む中津川を上から眺めおろせる中津川橋です。
天気はいまいちでしたが、紅葉は見事。
こんな名所があるとは全然知りませんでした。
中津川橋はかなりの高さがあり、下を見下ろすとかなり怖いです。
高所恐怖症の方は要注意ですね(^^;

<中津川橋からの紅葉・平成24年10月28日撮影>
中津川橋からの紅葉2.jpg

中津川橋からの紅葉3.jpg

中津川橋からの紅葉4.jpg

中津川橋からの紅葉 大.jpg
クリックすると拡大します。

紅葉の名所巡り
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2011年12月05日

大網遺跡      (福島県古殿町)

福島県古殿町にある大網遺跡に行ってきました。

<大網遺跡>
如信上人大網遺跡.jpg
住所:福島県石川郡古殿町大字竹貫
駐車場あり(無料)

親鸞の孫にあたる如信上人は1253年、父と共に陸奥国に赴き布教活動
を行いました。陸奥国大網のこの地に草庵をむすび、ここを拠点に布教活動を
行いました。
この地での布教は大きな勢力をつくり、大網門徒と呼ばれる勢力となりました。

現地には、如信上人大網遺跡という石碑と、墓か?というような謎な建造物が
ありましたが、特に解説文などもなく、観光客にとっては残念でした。
親鸞に子がいたのは知っていましたが、孫の如信上人という人物は今回この
大網遺跡について調べて初めて知りました。
奥州の奥地で浄土真宗の布教が行われていたんですね。

あと、大網遺跡は何気に紅葉が綺麗でした。
日が当たっていればもっと綺麗だったんですけどね。

<大網遺跡の紅葉・平成23年11月23日撮影>
如信上人大網遺跡 紅葉.jpg

如信上人大網遺跡 紅葉2.jpg

如信上人大網遺跡 紅葉3.jpg

紅葉の名所巡り
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2011年11月29日

長久寺    (福島県棚倉町)

福島県棚倉町にある長久寺に行ってきました。

<長久寺>
長久寺.jpg
住所:福島県東白川郡棚倉町花園176
駐車場あり(無料)
境内自由

<現地解説>
長久寺は宝永2年、太田備中守資晴公が駿州田中より移り、棚倉藩5代城主
となり、棚倉城南門外に仮堂を建て宝永4年5月12日、花園の地に総本山
久遠寺第33世日享上人を開山として太田公ご母堂本成院の菩提と、この地
に法華経の道場を建立。
当山山門はその時に棚倉城二の丸南門を山門として長久寺開基太田公が寄進
移築したもので、初代城主丹羽長重公が築城の門と言われ、棚倉城に縁ある
建物として現存する唯一のものである。

長久寺 本堂.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
長久寺に行ってきました。
棚倉城に行こうと思い車で走っていたところ、紅葉の綺麗なお寺を発見、
立ち寄ってみました。
現地の解説によると、山門は棚倉城の遺構とのこと。
現在の棚倉城には石垣以外残っていないので、貴重な遺構です。

境内に清正公堂と言われるお堂がありました。
長久寺 清正公堂.jpg
詳しいゆかりは分かりませんが、加藤清正のゆかりのあるお寺と
思われます。

紅葉はちょうど見頃を迎えていて、とても綺麗でした。
ただ、夕方だったため、薄暗かったのが残念でした。

<長久寺の紅葉・平成23年11月23日撮影>
長久寺 紅葉1.jpg

長久寺 紅葉2.jpg

長久寺 紅葉3.jpg

紅葉の名所巡り
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2011年11月26日

閼伽井嶽薬師・常福寺   (福島県いわき市)

福島県いわき市にある閼伽井嶽薬師・常福寺に行ってきました。

<閼伽井嶽薬師・常福寺>
常福寺 福島1.jpg
住所:福島県いわき市平赤井字赤井岳1
駐車場あり(無料)
拝観自由

<現地解説>
閼伽井嶽薬師は正式な名称を水晶山玉蔵院常福寺という。
734年、東北地方に大地震あり、次いで疫病が流行し、その
惨状目を覆うばかり、大和国鷲峰山竹林寺の住持源海阿闍梨は
座視するに忍びず、三国伝来の薬師如来を源観上人に託し疫病
平癒を発願す。
源観上人は現在地より西北の剣が峰に薬師如来を安置、37日間
の祈願を凝らす。
後70有余年経た807年、徳一大士が剣が峰を詣でるに坂道
険しく且つ風雨の被害甚だしきを見て、現在地閼伽井嶽に堂塔
伽藍を造営。現在に至る。
境内は33000坪、樹齢400年をこえる杉、檜等古木林立
し、その間に巨巌点綴する様はまさに東北屈指の古刹の名に恥じず。

<本堂>
常福寺 福島2.jpg

<多宝塔>
常福寺 福島3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
いわき市にある閼伽井嶽薬師に行ってきました。
いわき市の内陸部にあり、常磐自動車道のいわき中央インターから数キロ山登り
になります。
まあ細い道ではありますが、悪路ではないので、車でのすれ違いも
問題ありません。

山頂付近に閼伽井嶽薬師があります。
確かに雰囲気は大寺院という感じで、古刹の風格ただようお寺でした。
境内からは、遠く太平洋を望む事も出来、初日の出とかも楽しめるのかなと
いうロケーションでした。

本堂参拝後、紅葉を楽しみました。
ちょうど良い具合に紅葉していて、とても綺麗でした。

<閼伽井嶽薬師の紅葉・平成23年11月26日撮影>
常福寺 紅葉1.jpg

常福寺 紅葉2.jpg

常福寺 紅葉3.jpg

常福寺 紅葉4.jpg

常福寺 紅葉5.jpg

紅葉の名所巡り
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2011年11月24日

棚倉城     (福島県棚倉町)

福島県棚倉町にある棚倉城に行ってきました。

<棚倉城>
棚倉城1.jpg
住所:福島県東白川郡棚倉町棚倉字城跡
駐車場あり(無料)
入城無料

徳川二代将軍秀忠は、丹羽長重に命じて棚倉に平城を築かせた。
長重は案を練り、この地にあった近津神社の神境を最適地とし、宮を
現在の馬場都々古気神社に移し、寛永2年、この地に築城をはじめた。
寛永4年、長重は白河に移されたが、かわって近江山城より内藤
豊前守信照が城主となった。
阿部美作守正静の代になり、戊辰戦争の兵火にかかり慶応4年6月
24日落城した。

棚倉城2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
棚倉城(亀ヶ城公園)に行ってきました。
棚倉は藩主松平氏のゆかりで川越とは姉妹都市のため、棚倉城に
ついては僕はよく知っていて、以前にも来たことがありました。
今回は紅葉が綺麗というので訪問しました。
行ってみてびっくり、かなりの綺麗さでした。

城というと、桜が綺麗ってところは多いですが、紅葉がここまで
綺麗な城は珍しいです。岡崎城も良かったですが、ここも本当に
素晴らしい。

<棚倉城の紅葉・平成23年11月23日撮影>
棚倉城の紅葉1.jpg

棚倉城の紅葉2.jpg

棚倉城の紅葉3.jpg

棚倉城の紅葉4.jpg

棚倉城の紅葉5.jpg

棚倉城の紅葉6.jpg

これで晴れていれば最高だったんですけど、曇りだったのが残念です。

紅葉の名所巡り
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日本の城を巡る
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2011年11月23日

下滝不動の紅葉    (福島県古殿町)

福島県古殿町にある下滝不動の紅葉です。

<下滝不動の紅葉>
下滝不動の紅葉.jpg
住所:福島県古殿町山上
駐車場あり(無料)

福島県古殿町の国道349号線沿いで、綺麗な紅葉を発見したので
立ち寄ってみました。
そこには古殿町指定文化財である下滝不動堂があり、そこに見事な
モミジがありました。
光を浴びて紅々と輝くモミジが何とも美しかったです。
ここは穴場ですね(^-^)

<下滝不動の紅葉・平成23年11月23日撮影>
下滝不動の紅葉2.jpg

下滝不動の紅葉3.jpg

下滝不動の紅葉4.jpg

クリックすると拡大します。
下滝不動の紅葉 大.jpg

紅葉の名所巡り
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白水阿弥陀堂     (福島県いわき市)

福島県いわき市にある白水阿弥陀堂に行ってきました。

<白水阿弥陀堂>
白水阿弥陀堂.jpg
住所:福島県いわき市内郷白水町広畑219
拝観料:400円
駐車場あり(無料)

白水阿弥陀堂は1160年に藤原清衡の娘で岩城則道夫人である徳姫によって
建立されました。
徳姫は夫の菩提を弔うため、この阿弥陀堂を建立し願成寺と名付けました。
阿弥陀堂内には阿弥陀三尊像と持国天、多聞天像が安置されています。
その阿弥陀堂を中心に浄土式庭園があり、平安時代の寺院の様相を呈しています。
これは平泉の毛通寺などの影響を受けたものです。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
9年ぶりに白水阿弥陀堂に行ってきました。
9年前は、国宝建築物である阿弥陀堂を一目見ようというのが目的でした。
今回は紅葉を見に行ったんですが、何と、行ってびっくり今日はお休みでした(^^;
紅葉まっさかりの祭日なのに休みとは・・・。
という事で寺には近づけず。ただ、寺の周囲は自由に散歩出来るため、寺をとり
囲む浄土式庭園を散歩してきました。

白水阿弥陀堂2.jpg

阿弥陀堂の写真は平成14年撮影のものです。

紅葉はちょうど見頃でした。銀杏は葉がかなり落ちて見頃を過ぎたかなと
いう感じです。とても綺麗な紅葉を見ることが出来ました。

<白水阿弥陀堂の紅葉・平成23年11月23日撮影>
白水阿弥陀堂 紅葉1.jpg

白水阿弥陀堂 紅葉2.jpg

白水阿弥陀堂 紅葉3.jpg

白水阿弥陀堂 紅葉4.jpg

白水阿弥陀堂 紅葉5.jpg

白水阿弥陀堂 紅葉6.jpg

紅葉の名所巡り
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国宝建造物を巡る
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中釜戸のシダレモミジ   (福島県いわき市)

福島県いわき市にある中釜戸のシダレモミジを見に行ってきました。

<中釜戸のシダレモミジ>
中釜戸のシダレモミジ1.jpg
住所:福島県いわき市渡辺町中釜戸字表前117-2
駐車場あり(無料)

<現地解説>
このシダレモミジは2本共に樹幹がねじれ曲がって、各所にコブをつくり、
樹冠は傘状に広がっています。
傘の広がりは東西約10m、南北2mほどで大株の樹高6.8m・根回り
2.75m、胸高直径1.1mです。
品種はイロハカエデで、樹幹のねじれ曲がった姿はカエデ本来の習性では
なく大変珍しいものです。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
いわき湯本温泉から数キロのところにある国指定天然記念物のカエデです。
樹齢は何年くらいなんでしょうか、かなりの古木です。
枝はウネウネと曲がり、何とも言えない雰囲気。
おどろおどろしい感じもします。

平成23年11月23日現在、紅葉は5分くらいでしょうか。
もう少しで見頃になりそうです。

<中釜戸のシダレモミジ・平成23年11月23日撮影>
中釜戸のシダレモミジ2.jpg

中釜戸のシダレモミジ3.jpg

駐車場はありますが、駐車場から現地までは歩いて5分ほどかかります。

紅葉の名所巡り
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2011年05月10日

白河の関跡    (福島県白河市)

福島県白河市の白河の関跡に行ってきました。

<白河の関跡>
白河の関跡.jpg
住所:福島県白河市旗宿関ノ森120
駐車場あり(無料)
見学自由

白河の関は古くよりみちのくの関門として歴史にその名を
刻み、また文学の世界では歌枕として数多くの古歌に詠まれた
場所である。
関の位置については久しく不明であったが、江戸時代後期、
時の白河藩主松平定信の考証により、この地が白河の関跡で
あると断定され、1800年に「古関蹟」の碑が建てられ
今日に至っている。

古蹟碑.jpg

関が置かれた年代については不明であるが、799年、835年
の太政官符には「白河せき」の名が認められることや歴史的な背景
からみて大化の改新以後の7・8世紀頃には存在していたものと
みられる。

白河関跡には白河神社があります。
白河神社.jpg
第13代成務天皇5年(135年)白河国造命と、天太玉命を奉祀し、
勅命により鎮座、のち白河の関設置にあたり、関所南北に住吉、玉津島明神
を祀ります。

白河の関脇の施設に、松尾芭蕉と曽良の像。
白河の関跡 松尾芭蕉像.jpg
松尾芭蕉の奥の細道の冒頭に「白河の関こえんと」という文言も出て
きますし、松尾芭蕉『奥の細道』ゆかりの地でもあります。

銅像めぐり
http://rover.seesaa.net/article/142026310.html

奥の細道の旅
http://rover.seesaa.net/article/26835383.html


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丹羽長重霊廟    (福島県白河市)

福島県白河市にある丹羽長重霊廟に行ってきました。

<丹羽長重霊廟>
丹羽長重霊廟.jpg
住所:福島県白河市円明寺
駐車場あり(無料)

丹羽長重は織田信長の家臣丹羽長秀の嫡子で、越前・若狭など
123万石の大名であったが、前田利長と争い、所領を没収
された。
慶長八年、徳川家康より常陸古渡に1万石を与えられ、元和八年
に棚倉藩5万石、そして寛永四年白河藩の成立と共に10万石で
入封した。
長重は小峰城の改修、町割りの整備など現在の白河の町並みの
基礎を築いたが、寛永十四年江戸桜田上屋敷で没した。
遺体は現在地に埋葬され、4.27メートルの塔が建てられた。
霊廟は天保七年に建立された。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
カーナビで発見した丹羽長重の霊廟に行ってきました。
白河には何度も行っていましたが、丹羽長重の霊廟があるのは
知りませんでした。
ここは丹羽長重だけじゃなくて、白河藩大名家墓所という事で、
その後の松平氏の墓所もありましたが、今回は地震の影響で
立ち入り禁止になっていたため、丹羽長重の霊廟だけ参拝して
きました。

こちらが霊廟です。
丹羽長重霊廟2.jpg
目の前の灯籠が倒れているのは地震の影響です。
灯籠という灯籠すべて倒れていました。ここは津波など関係
ないところですが、地震の揺れのすさまじさを感じました。
ただ、霊廟はまったく被害が無さそうだったのは良かったです。

霊廟の裏に丹羽長重供養の塔があります。
丹羽長重霊廟3.jpg
かなり大きな塔ですが、ここは近づけませんでした。
遠くから参拝です。

丹羽長重霊廟前には、二本松藩戊辰戦役の供養塔です。
二本松藩戊辰戦役供養塔.jpg
二本松藩は、戊辰戦争で白虎隊の話の様に有名ではありませんが、
二本松少年隊の悲劇を味わっていますが、二本松藩の藩主が白河
から異封した丹羽家だったので、この碑が建ってるのかなと
推測しました。

偶然の発見でびっくりしました。

著名人の墓
http://rover.seesaa.net/article/26837973.html


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2011年04月28日

庄司戻しの桜     (福島県白河市)

福島県白河市にある庄司戻しの桜を見てきました。

<庄司戻しの桜>
庄司戻しの桜 大.jpg

住所:福島県白河市表郷中野字正司戻58

1180年、源頼朝の挙兵を知り、奥州平泉から鎌倉に馳せる
源義経に対し、信夫の庄司佐藤基治は自子継信・忠信を従わせ、
決別するにあたり「汝等忠義の士たらばこの桜の杖が生づくで
あろう」と諭して携えていた一本の桜の杖をこの地に突き立てた。

この後、戦いに臨み兄弟ともに勇戦し、義経の身代わりとなって
討ち死にした。
桜はその忠節に感じて活着し繁茂したという。
天保年間(1830〜1844)に野火によって焼失した後も、
新しい芽が次々と出て美しい花を咲かせるという。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
庄司戻しの桜という桜を見てきました。
源義経に従って討ち死にした佐藤兄弟ゆかりの桜だそうです。
現地に行って解説を見て初めて知りました。
佐藤兄弟の父、基治はこの地まで見送ってきたという伝説の地です。

うえの解説にもありますが、焼失してしまい、今の木は2代目(?)
3本の桜が集まってあたかも1本の桜の木の様に花を咲かせています。
その姿はとても美しいです。

<庄司戻しの桜・平成23年4月27日撮影>
庄司戻しの桜.jpg
クリックすると拡大します。

<霊桜碑>
霊桜碑.jpg
桜の根元にこの碑があります。
桜を祀ったものなんでしょうかね。

<桜のある風景>
http://rover.seesaa.net/article/14535679.html

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2011年04月27日

高萩の桜    (福島県白河市)

福島県白河市にある高萩の桜を見てきました。

<高萩の桜>
高萩の桜1.jpg
住所:福島県白河市表郷小松
駐車場あり(無料)

白河市表郷地域の高台にあり、国道289号線からも見ることができる
枝垂れ桜。高さ16m、幹周りは4メートル。
樹齢は不明。

国道289号線を白河から棚倉方面へ走り、ローソン表郷社田店がある
少し手前の高台に高萩の桜が見えます。
ローソンのすぐ先を右に曲がり、高台に上り桜を見てきました。
平成23年4月27日現在、桜は散り始め。
あと数日楽しめるかなという状況でした。

桜への入り口が分かりづらいので注意してください。

<高萩の桜・平成23年4月27日撮影>
高萩の桜2.jpg

高萩の桜3.jpg

高萩の桜 大.jpg
クリックすると拡大します。

<桜のある風景>
http://rover.seesaa.net/article/14535679.html

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源清桜    (福島県白河市)

福島県白河市で源清桜を見てきました。

<源清桜>
源清桜1.jpg
住所:福島県白河市金屋町113
駐車場あり(無料)

妙徳寺境内にある薄墨色の枝垂れ桜。
慶長年間、片岡駿河守源清が妙徳寺を建立した際植樹した
ものと言われており「源清桜」と呼ばれています。

平成23年4月27日、源清桜を見に行きました。
桜は満開を過ぎ散り始めという感じ。
逆光で写真写りが良くないのが残念です。

<源清桜・平成23年4月27日撮影>
源清桜2.jpg

源清桜3.jpg

<桜のある風景>
http://rover.seesaa.net/article/14535679.html



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2011年03月18日

三忠碑/摺上原古戦場   (福島県猪苗代町)

福島県猪苗代町にある三忠碑/摺上原古戦場に行ってきました。

<三忠碑/摺上原古戦場>
三忠碑.jpg
住所:福島県耶麻郡猪苗代町長田
駐車場なし

1589年旧暦6月5日、伊達政宗は宿願の芦名の所領会津を攻略する
べく摺上原に軍をすすめた。この地の戦いに芦名義広の家臣金上盛備、佐瀬種常
、その子平八郎常雄の三士は主君の危機を救う。だが三人共々戦いの果てに
討ち死にした。その忠誠のさまを後生に伝えるため、会津藩主松平容敬公が建立
したものであり、全文437文字を唐の書家、顔真卿の書体を集めて刻まれた
日本でも珍しい碑文である。

三忠碑2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
伊達と蘆名の決戦の地、摺上原古戦場です。
猪苗代湖の近くにあります。
合戦は大きな戦いで、伊達軍21000×芦名軍18000の戦いでした。
ただ、蘆名軍は士気が高くなく、最終的に総崩れになり、当主蘆名義広は
実家である佐竹家を頼って落ち延びていきます。

これだけ大きな合戦ですが、今碑文として残るのはこの三忠碑のみです。
しかもとても分かりづらいところにあります。
せっかくの大きな合戦の古戦場ですから、もう少し整備してほしいもの
だなと思いました。

旧二本松街道.jpg
ここからは二本松に向かう旧二本松街道が延びており、昔の面影を
感じることが出来ます。

古戦場めぐり
http://rover.seesaa.net/article/159539121.html


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2010年11月04日

亀ヶ城   (福島県猪苗代町)

福島県猪苗代町にある亀ヶ城に行ってきました。

<亀ヶ城>
亀ヶ城.jpg
住所:福島県耶麻郡猪苗代町古城町
駐車場あり(無料)

三浦氏の一族である佐原義連は「奥州征伐」の軍功により、頼朝から
会津四郡を与えられました。その子、盛連には六男があり、長男で
ある経連が猪苗代を領して猪苗代氏を称しました。
経連は磐梯山南麓の弦峯の地に1191年、亀ヶ城を築いたと伝えられ
ています。
以後、14代盛胤まで猪苗代氏代々の居城でしたが、1589年
摺上原の戦いで葦名方が伊達勢に敗退したことにより、盛胤も湖南
横沢に引退し、猪苗代城主はここに終わりを告げました。
しかし、亀ヶ城は江戸初期に出された一国一城令にも破却されず、
近世を通じて城代がおかれ、幕末の戊辰戦争によって焼失するまで
会津藩東の要として残された名城です。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
鎌倉時代から幕末まで続いたお城です。猪苗代城とも言うそうです。
碑文だけかな〜と思って行ったんですが、石垣も残り、かつて要害
であった事がうかがわれる古城でした。

亀ヶ城2.jpg

亀ヶ城3.jpg

本丸跡は公園として整備され、散歩するのには良い感じです。
亀ヶ城4.jpg
春には桜も咲くみたいです。

本丸跡にある野口英世像。
亀ヶ城 野口英世.jpg
この銅像見てびっくり。まるでさらし首(^^;;;;;
いくら何でもこの像は無いんじゃないかな〜と思いました。

日本の城を巡る
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2010年10月06日

会津松平家廟所   (福島県会津若松市)

福島県会津若松市にある会津松平家廟所に行ってきました。

<会津松平家廟所>
会津松平家墓所3.jpg
住所:福島県会津若松市東山町大字石山字院内
駐車場あり(無料)
参拝自由

会津藩主歴代の墳墓があるこの山は、1657年、保科正之の長子正頼の死去
の時に開かれ、保科松平家の墓所に定められたと伝えられている。
2代正経は仏教で、3代正容から9代容保までは神道で葬られており、他に
家族や子孫の墓もある。神道の廟所は碑石、表石、鎭石の3体からなって
いる。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
会津松平家墓所に行ってきました。ひとつの山が墓所になっている
様な感じで、ちょっと坂道を登る事になります。

<案内図・クリックすると拡大します>
会津松平家墓所.jpg

廟所は聖域の様な感じで、スピリチュアルな雰囲気が漂い
ます。碑石にはその藩主の一生の業績が刻まれています。

会津松平家墓所2.jpg

土津神社にあった初代藩主保科正之公のお墓も同じような感じでした。

墓域の左端の方に幕末の有名な藩主、松平容保(まつだいらかたもり)の
お墓があります。

会津松平家墓所 松平容保の墓.jpg
容保のお墓は他のお墓より新しいためか、綺麗な墓石でした。

著名人の墓
http://rover.seesaa.net/article/26837973.html

新撰組関連の史跡
http://rover.seesaa.net/article/26835008.html

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2010年09月28日

土津神社    (福島県猪苗代町)

福島県猪苗代町にある土津神社に行ってきました。

<土津神社>
土津神社.jpg
住所:福島県耶麻郡猪苗代町見祢山1
駐車場あり(無料)
境内自由

会津藩祖保科正之公を祀り、1675年に造営された神社。
その豪華絢爛な様式は日光東照宮にも比されたと言われています。
惜しくも戊辰戦争の戦火に遭い焼失してしまいましたが、明治13年に
再建され現在に至っています。

土津神社2.jpg

保科正之公は徳川二代将軍徳川秀忠の子として1611年に生まれ、
4代将軍家綱の後見役として20年間幕政の実験を握るとともに会津藩
の好学・尚武の藩風を築いた名君と慕われています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
福島県猪苗代町にある土津神社(はにつじんじゃ)に行ってきました。
最近保科正之に関する本を読んで、お墓が猪苗代にある事を知りました。
江戸が長い人なので、てっきり江戸にあるのかと思ってました。

境内には大きな石碑に保科正之公の足跡が刻まれています。
土津神社霊之碑.jpg
これは会津藩代々の藩主の墓にも共通します。同じように石碑に足跡が
刻まれています。これは初代藩主の保科正之公に始まって、続いたもの
と思われます。

土津神社本殿から保科正之公のお墓までは坂道の参道をかなり歩きます。
車で行った方が良いかもしれません(距離にして1キロ近くあると思います)

土津神社 保科正之の墓.jpg
墓碑には会津中将と刻まれています。

来年の大河ドラマはお江の方が主人公。最後の方で子供の保科正之も
登場する事でしょう。

著名人の墓
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大河ドラマの舞台
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2010年04月08日

人取橋古戦場   (福島県本宮市)

福島県本宮市の人取橋古戦場です。

<人取橋古戦場>
人取橋古戦場.jpg
住所:福島県本宮市大字青田字茂庭

1585年11月17日、常陸の佐竹、会津の芦名、白川、石川、
須賀川の二階堂、磐城、相馬の連合軍3万と伊達政宗の軍勢7千余
が戦った古戦場。
この10月、伊達政宗が二本松城を攻め風雪のため兵を引く。
畠山の急を聞いた芦名、佐竹は政宗に仙道(中通り)を奪われんと
することをおそれ、仙道、磐城、相馬の援軍と須賀川に会して安積
を攻略し、前田沢南の原に陣をとる。
これを知った政宗は小浜より岩角に出て高倉城に援軍を送り、本宮
玉井に兵を配して後方に備え、伊達成実を高倉街道小山の下に置き、
自らは本宮観音山を本陣とし、青田原に軍勢を配して高倉に備える。
合戦は高倉より始まる。
荒井を経て伊達の本陣を目指す佐竹勢と人取橋を挟んだ戦いは熾烈を
きわめ、乱戦中鬼庭左月が討ち死に。伊達の本陣はもとより、成実
の陣も激戦となり、舟橋辺では、伊場野遠江が討ち死に、日没して
双方兵を引く。
その夜、佐竹の軍師が家僕に刺殺され、優勢の連合軍は本宮を抜く
ことなく兵を返し、戦いは伊達方の有利に終わる。
政宗は1589年、芦名氏を追い仙道を手中に収めることになるが、
この間で最大の激戦であった。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
福島県本宮市の人取橋古戦場です。
行ったのは平成15年ごろだったかと思います。
国道4号線から見えるところに「人取橋古戦場」という看板を発見。
ここがそうなんだ〜という偶然の発見でした。
車通りの多い国道4号で、ここに立ち寄る人はほとんどいません。
歴史マニアのみぞ訪れる観光地って感じです。

現地は非常にのどかな感じで、かつて激戦が合ったことなど考え
られないような感じのところです。

人取橋古戦場2.jpg


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2010年04月06日

塩屋崎    (福島県いわき市)

福島県いわき市の塩屋崎に行ってきました。

<塩屋崎>
塩屋崎灯台.jpg
住所:福島県いわき市平薄磯
駐車場あり(無料)

塩屋崎は福島県いわき市、小名浜漁港から数キロ北、太平洋に突き
出た岬です。塩屋崎には明治32年に建築された塩屋崎灯台。
海抜73メートルの灯台からは周辺の海岸を一望することが出来ます。

塩屋崎1.jpg

塩屋崎2.jpg

塩屋崎3.jpg
久しぶりに塩屋崎へ。塩屋崎灯台の100段の階段を上り、上から
見た景色は壮観です。
この日は天気も良く、とても良い景色でした(^-^)

また塩屋崎といえば美空ひばりの「みだれ髪」で有名。
現地には「みだれ髪」の歌碑があり、実際に音楽が流れます。
塩屋崎 みだれ髪の碑.jpg

という事もあり、美空ひばりのファンも大勢来ています。
永遠のひばり像.jpg
これは永遠のひばり像。塩屋崎にあります。

岬・灯台巡り
http://rover.seesaa.net/article/107423997.html



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posted by 南行 at 23:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月22日

専称寺    (福島県いわき市)

福島県いわき市の専称寺に行ってきました。

<専称寺>
専称寺山門.jpg
住所:福島県いわき市平山崎字梅福山
駐車場あり(無料)
境内自由

梅福山専称寺は1395年、良就上人十声大和尚が開創した浄土宗
名越派のお寺です。
延徳年間(1489〜1492)専称寺は勅願寺となり、以後江戸
時代初期までに建立した末寺は三百とも五百とも言われています。
江戸初期以来、幕府から寺領70石を受け、奥羽の浄土宗全寺院
を支配する総録所を兼ね、如来寺をしのぐ隆盛をみせていた専称寺
は1661年に名越派奥州総本山の地位を確立しました。
江戸期の本堂と庫裏が残存しることも浄土宗壇林の姿をとどめるもの
として貴重です。

専称寺本堂.jpg

昭和初年植栽された600本の白梅はこの境域にひとしおの風趣を
添えています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
福島県いわき市の専称寺に行ってきました。
目的は梅。いわき市で梅と言ったらこの専称寺とのこと。
どんなものか楽しみにして行きました。
カーナビの誘導で寺の前まで来るとそれは見事な梅の花。
ちょっとした山になってるんですが、梅で覆い尽くされたような
感じです。

<専称寺の梅・平成22年3月22日撮影>
専称寺 梅1.jpg

専称寺 梅2.jpg

専称寺 梅3.jpg

専称寺 梅4.jpg

梅はまさに満開!とても良かったです(^-^)

梅の名所巡り
http://rover.seesaa.net/article/13842621.html


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2009年07月26日

銚子ヶ滝     (福島県郡山市)

福島県郡山市の銚子ヶ滝です。

<銚子ヶ滝>
銚子ヶ滝.jpg
住所:福島県郡山市熱海町
駐車場(駐車スペース・数台分あり)

銚子ヶ滝の名前の由来は、形が酒を入れる銚子に似ていることから
名付けられました。
安達太良連峰から流れでる清流は、福島の名水30選にも選ばれ
ています。銚子ヶ滝およびその周辺は、豊かな自然に恵まれており、
四季をを通じて多くの観光客が訪れ、憩いの場として親しまれてい
ます。
また、この滝は、娘を人身御供にすると滝壺にひそむ竜神が雨を
降らすと言われており、その昔、名主の娘が滝壺に身を投じ干ばつ
に苦しむ村人を救ったという物語が伝えられています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
平成19年6月17日、福島県郡山市の銚子ヶ滝に行ってきました。
磐梯熱海温泉から北に数キロ。細い道に駐車スペースに車を停めて
そこから山道を歩いて30分ほどです。

最初は普通の道でしたが、最後の方でかなり厳しい道が待っていま
した。

銚子ヶ滝への道.jpg
ロープをつたってこんなところを登るところもあります。難易度は
中くらいです。
この道を乗り切ると、水の音が聞こえ銚子ヶ滝に到着します。
緑も水も本当に綺麗です。

銚子ヶ滝付近.jpg

銚子ヶ滝2.jpg

日本の滝百選に選ばれている名瀑です。

日本の滝巡り
http://rover.seesaa.net/article/25540563.html

銚子ヶ滝

posted by 南行 at 08:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月14日

思いの滝     (福島県福島市)

福島県福島市の思いの滝に行ってきました。

<思いの滝>
思いの滝.jpg
住所:福島県福島市佐原竹ノ森
駐車場あり

この滝はふた筋の滝が折り重なって一筋の滝になっており、新緑、
紅葉のころには他に見られない美しさを呈します。
滝の名称は、会津落城の際の里娘と若武者との恋物語に由来して
います。滝の入り口近くには作者不明の古碑があり、
「行きて見ば 後も思ひの滝つなみ かかるながめを余所にすな人」
と書かれています。
また文化・文政〜江戸末期頃に土湯俳諧同人であった土屋房吉は、
「川音の かすかにとどく 若葉哉」と詠んでいます。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
平成15年7月20日、福島県福島市の「思いの滝」に行ってきま
した。土湯の温泉街から細い道に入り仁田沼方面に向かって走った
方にありました。
何でも会津落城の時、会津の娘を救い出してきた若武者が、おった
深手のため、この地で命をおとしたというお話の残る滝です。

滝は非常に美しい。緑に映えるとても神秘的な感じの滝でした。
この滝は2段に別れていて、左奥の隠れたところにも大きな筋と
なって流れて居るんですが、そこはいまいち良く見えませんでした。

思いの滝2.jpg

もう少し近づければ良かったんですけどね。

日本の滝巡り
http://rover.seesaa.net/article/25540563.html


posted by 南行 at 23:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月11日

天寧寺    (福島県会津若松市)

福島県会津若松市の天寧寺に行ってきました。

<天寧寺>
天寧寺 会津若松.jpg
住所:福島県会津若松市東山町大字石山字天寧208
境内自由

1447年、蘆名盛信によって創建。かつては蘆名氏の菩提寺。
そんな天寧寺に平成16年に行ってきました。

このお寺には新撰組局長の近藤勇の墓があります。
この年は大河ドラマで新撰組が放映されているという事もあり、
このお寺も大変賑わっていました。

天寧寺 誠とは忠義なり.jpg

近藤勇は板橋で処刑され、首は京都の三条大橋下流にさらされ
ました。しかし何者かが持ち去りこの地に埋めたと言われています。
このお墓は会津藩の手によって建立されたものです。

天寧寺 近藤勇の墓.jpg
大河ドラマでは、会津藩主の松平容保が斎藤一に命じて近藤勇の
首を奪い返してきた事になっていました。

会津士魂.jpg
会津士魂の碑です。早乙女貢氏の「会津士魂」という小説に関する
ものです。

会津士魂


この寺には会津藩家老、萱野権兵衛の墓もあります。

新撰組関連の史跡
http://rover.seesaa.net/article/26835008.html

著名人の墓
http://rover.seesaa.net/article/26837973.html

天寧寺

posted by 南行 at 22:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする