2017年02月12日

田貫湖から見た富士山    (静岡県富士宮市)

田貫湖で富士山を見てきました(^-^)

<田貫湖>
田貫湖.jpg
住所:静岡県富士宮市佐折634-1
駐車場あり(無料)

田貫湖は富士山を眺めるスポットとして有名です。
湖面に映る富士山を逆さ富士と言い、その名所として特に有名です。
1月2日、あまりに天気が良かったので、寄る予定は無かったんですが、
急遽田貫湖に立ち寄りました。

ほんに見事。こんな綺麗な富士山は滅多に見る事が出来ません。
年始から素晴らしい景色を見ることが出来ました(^O^)

<田貫湖から見た富士山>
田貫湖 富士山.jpg

田貫湖 富士山2.jpg

田貫湖 富士山3.jpg

田貫湖 富士山 第.jpg
クリックすると拡大します。

平成28年〜29年 年末年始の旅
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2016年09月20日

長浜城址       (静岡県沼津市)

静岡県沼津市にある長浜城址に行ってきました。

<長浜城址>
長浜城跡.jpg
住所:静岡県沼津市内浦重須
駐車場あり(無料)

<長浜城について>
長浜城跡6.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
長浜城址に行ってきました。
長浜城というと、秀吉ゆかりの滋賀県の長浜城が思い浮かびますが、静岡の沼津
にも長浜城というお城があります。
沼津市街からは車で30分ほど。伊豆半島の大瀬崎方面に向かう途中に長浜城は
あります。

長浜城が築城されたのは戦国時代後期。1577年に武田勝頼が三枚橋城(沼津城)
を築城し水軍を設置したのに対抗し、北条水軍の拠点として築城されたものと思わ
れています。

実際その地形を見ると、船の拠点となるような入り江と、上陸戦に対応した堀や
土塁などを備えた要害である事が分かります。

また、長浜城の櫓からは遠くに三枚橋城を見渡すことが出来、この城ならば武田
水軍の動きが良く見てとれたものと思われます。
国指定史跡だけあり、綺麗に整備されていました(^-^)

<長浜城址>
長浜城跡2.jpg

長浜城跡4.jpg

長浜城跡3.jpg

長浜城跡5.jpg

日本の城を巡る
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2016年09月08日

沼津港深海水族館     (静岡県沼津市)

静岡県沼津市にある沼津港深海水族館に行ってきました。

<沼津港深海水族館>
沼津深海水族館.jpg
住所:静岡県沼津市千本港町83
駐車場なし(近隣有料駐車場利用)
入場料:1600円(大人)、こども(小・中学生)800円
    幼児(4才以上)400円

沼津にある深海水族館に行ってきました。ここは日本で唯一の深海魚の水族館
です。深海魚はその生態がよく分かっていないことや、輸送が難しいことなど
から水族館での展示は非常に難しいのです。
沼津深海水族館では、目の前に広がる駿河湾の深海からあがる深海魚を、すぐ
に運ぶことができるという地の利があります。

沼津深海水族館.jpg
駿河湾は岸に近いところから急激に深くなっています。日本の近海では一番
深いのがこの駿河湾なのです。

深海魚の飼育方法に関しても、胃袋を開いて何を食べているかなど研究もし
ているそうです。

深海水族館は、シーラカンスミュージアムっていう副題がついています。
その名の通り、シーラカンスに関する展示がいろいろあります。
発見の話とか、生態の話などです。
シーラカンスは絶滅危惧種ということで、研究用でも捕獲が禁止されてい
ます。よって、生きたシーラカンスは見ることができません。
そのかわり、冷凍されたシーラカンスが2匹展示されています。

シーラカンス.jpg
深海魚らしくグロテスクですね。
深海の世界は、水温も地上の影響をあまり受けていないことから、生物も
進化せず昔のまま残った可能性が高いようです。
確かに、深海魚はグロテスクで古代生物の面影を感じますものね。
この水族館では、いろいろな深海生物を見ることができます。

<深海魚たち>
【エビスダイ】
エビスダイ.jpg
鱗が固く、調理は難しいですが、食べてもおいしいそうです。

【ボウズカジカ】
ボウズカジカ.jpg

【オウム貝】
オウム貝.jpg
オウム貝は古代生物感満点ですね(^-^)

【ダーリアイソギンチャク】
ダーリアイソギンチャク.jpg

【ダイオウグソクムシ】
ダイオウグソクムシ.jpg
フナムシのお化けの様なダイオウグソクムシ。
確か静岡県内のどこかで、ダイオウグソクムシ入りのお煎餅が売ってた様な
話を聞きました。
こんなの食べるなんて勇気がいりますね(^^;

【名前不明の魚】
沼津深海水族館2.jpg
名前不明です。でもグロい(笑)

こんなかわいらしいシーラカンスの絵もありました(^-^)
沼津深海水族館3.jpg

深海魚バーガー.jpg
水族館を見たら、外で深海魚バーガーなどいかがでしょう。
僕はお昼食べたばっかだったので、バーガー食べれませんでした。

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2016年04月18日

西山本門寺 / 織田信長首塚   (静岡県富士宮市)

静岡県富士宮市にある西山本門寺に行ってきました。

<西山本門寺>
西山本門寺.jpg
住所:静岡県富士宮市西山671
駐車場あり(無料)
境内自由

<西山本門寺について>
西山本門寺3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
富士宮市の西山本門寺に行ってきました。
富士宮の中心街から相当西に行った方にあり、武田氏、徳川氏の手厚い保護を
受けた大寺院です。

<本門寺の梵鐘・1644年鋳造>
西山本門寺2.jpg

ここの見所は何と言っても織田信長の首塚です。
本能寺で散った信長の首塚が何でこんな所に?
こんな解説が現地にありました。

西山本門寺4.jpg

燃えさかる本能寺から信長の首を持ち帰ったなんて話があるんですね。
そんな説は初めて知りましたよ(^^;
歴史にはいろんな説があって驚かされます。本能寺で自刃した信長の遺体は
見つかってないというのが一般の認識ですけどね。

<信長の首塚>
西山本門寺 織田信長首塚.jpg

西山本門寺 織田信長首塚2.jpg

西山本門寺 大柊.jpg
この柊の木が首塚の目印らしいです。樹齢は500年とか。

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著名人の墓
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2016年04月17日

上稲子の棚田 / 平維盛の墓   (静岡県富士宮市)

上稲子の棚田に行ってきました。

<上稲子の棚田>
上稲子の棚田4.jpg
住所:静岡県富士宮市上稲子
駐車場無し(1台位置くスペースはあり)

静岡県棚田等十選に選ばれる棚田です。
上稲子は平家落人の里の様で、この棚田を開拓したのもそういう方達なのかも
しれません。
上稲子の棚田のど真ん中に、お墓があります。これが平維盛の墓です。
平維盛は平清盛の嫡孫にあたる人物。父平重盛が早世したため維盛の立場は微妙
になり、源平の戦いの最中戦線を離脱し那智沖で入水自殺しました。
実際、那智の滝の近くにお墓があったり、三重県にもお墓がありますが、実は
自殺せずこの上稲子に落ち暮らしたという話もあるようです。
その説に基づくお墓が棚田のど真ん中にあるのです。
棚田の真ん中の墓は何か違和感がありました。

<上稲子の棚田>
上稲子の棚田3.jpg

上稲子の棚田.jpg

上稲子の棚田2.jpg

<平維盛の墓>
上稲子の棚田 平維盛の墓.jpg

<那智勝浦の維盛の墓>
http://rover.seesaa.net/article/100747432.html

<三重県津市にある維盛の墓>
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2016年03月30日

梶原堂    (静岡県静岡市)

静岡市にある梶原堂に行ってきました。

<梶原堂>
梶原堂3.jpg
住所:静岡県静岡市清水区大内841-64
駐車場なし

<梶原堂について>
梶原堂.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
梶原堂に行ってきました。
梶原堂は鎌倉幕府の有力武将梶原景時一族を祀ったお堂です。
梶原景時は、石橋山の合戦で敗れた頼朝が鵐窟(しとどのいわや)に潜伏している
ところを意図的に見逃した事で有名な人物です。
その後頼朝に仕え、鎌倉幕府でも重きをなします。頼朝の死後、頼家の代にも宿老
として権勢をほこりますが、他の御家人との間での権力争いに巻き込まれ、ここ駿河
の地で討ち取られます。

住宅地の中に、ひっそりと梶原堂というお堂があります。
梶原堂2.jpg

お堂の脇には梶原景時とその子供達の墓が並んでいます。
梶原景時一族の墓.jpg

梶原堂の近くには梶原景時終焉の地碑や合戦の碑などいろいろな史跡があった様な
んですが、時間も無くここだけ訪問しました。
今度行くときは他の史跡も見て歩きたいと思います。

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2016年03月29日

増善寺 / 今川氏親菩提寺   (静岡県静岡市)

静岡市にある増善寺に行ってきました。

<増善寺>
増善寺.jpg
住所:静岡県静岡市葵区慈悲尾302
駐車場あり(無料)
境内自由

<増善寺について>
増善寺2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
静岡市の増善寺に行ってきました。
ここは今川義元の父で、今川氏中興の祖今川氏親の菩提寺です。
寺の建物は再建された物で、古い建物は残っていない様です。

増善寺5.jpg

本堂の左側奥の墓地を少し登っていった所に今川氏親廟があります。
増善寺 今川氏親廟.jpg

簡易的な霊廟の中に、今川氏親のお墓がありました。
増善寺 今川氏親廟2.jpg

山門をくぐった所に今川氏親に関する碑があります。
増善寺3.jpg
「釈教の心を 今川氏親 いかがえむ 四十あまりの 年のせに
 とかぬ所の 法のまことを」と書いてあります。

四十歳になっても仏の教えが何たるかよく分からない。まだまだ精進が必要
かな〜という感じの意味です。
人生というのは一生勉強し続けるものなんでしょうね。

増善寺は徳川家康ゆかりの寺でもあるそうです。
増善寺4.jpg

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2016年03月24日

小島陣屋跡    (静岡県静岡市)

静岡市にある小島陣屋跡に行ってきました。

<小島陣屋跡>
小島陣屋跡.jpg
住所:静岡県静岡市清水区小島町
駐車場なし

<小島陣屋について>
小島陣屋跡6.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
小島陣屋跡に行ってきました。
小島の地は、駿河から甲斐へ向かう身延街道を眺め下ろす丘の上にあった江戸時代
中期の陣屋跡です。
陣屋とは簡易的な城の役割を果たした江戸時代の藩の政務所です。
ここでは松平氏の小島藩が政治を行いました。

明治維新後ほとんどの建物は壊され現地には何も残っていませんが、書院は移築され
小島町文化財資料館として利用されています。

<小島陣屋跡>
小島陣屋跡5.jpg

小島陣屋跡2.jpg

小島陣屋跡3.jpg

小島陣屋跡4.jpg

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2016年03月17日

光鏡院 / P名氏館跡      (静岡県静岡市)

静岡市にある光鏡院に行ってきました。

<光鏡院>
光鏡院.jpg
住所:静岡県静岡市葵区瀬名1丁目38−36
駐車場あり(無料)

<光鏡院について>
光鏡院3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
静岡市の光鏡院に行ってきました。
ここは今川氏の一族、今川一秀の菩提寺です。

光鏡院2.jpg

今川氏6代当主義忠が死去すると、跡目をめぐって竜王丸(今川氏親)派と小鹿範満
派に分れて争いが起こりました。一秀は竜王丸側につきました。
一秀はここP名の地に館を構え、P名氏を名乗り今川氏親を補佐したとの事です。
今川氏親は今川義元の父にあたります。

境内には今川一秀の供養塔があります。

<今川一秀供養塔>
光鏡院 今川一秀供養塔.jpg

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2016年03月11日

丸子城趾    (静岡県静岡市)

静岡市にある丸子城趾に行ってきました。

<丸子城趾>
丸子城.jpg
住所:静岡県静岡市駿河区丸子
駐車場なし

<丸子城について>
丸子城解説.jpg

丸子城城郭図.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
静岡市にある丸子城(まりこじょう)に行ってきました。
この城は東海道の要衝に位置し、駿府の西の入り口を守る山城です。
今川氏によって築かれた城を後に武田家が改修し守りの拠点としたものです。

建築遺構は無いものの、地形を利用した虎口跡や堀切などの形状が良く残って
おり、中世山城の構造をよく見る事が出来ます。

登り口は何ヶ所かあるようですが、今回は誓願寺の前の登山口から登りました。
車も誓願寺の駐車場に一時停めさせて頂きました。
ここが入り口です。
丸子城 登山道.jpg
どこかって??
奥に見える民家と、左側のブロック塀の間です。
これ分かりづらいですよね。これが登山道なのって思ってしまいました(^^;

ここを登ること15分位で本丸跡に到着します。
丸子城2.jpg
山城ではありますが、木に覆われていて眺望は残念ながら良くありません。

<虎口跡>
丸子城 虎口.jpg

<堀切>
丸子城 堀切.jpg

訪問したのが1月2日の午前中。新年早々山登りでヒーヒー言いながら攻城
しました(笑)

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2016年03月10日

石脇城趾       (静岡県焼津市)

静岡県焼津市にある石脇城趾に行ってきました。

<石脇城趾>
石脇城趾.jpg
住所:静岡県焼津市石脇下字山崎
駐車場なし

<石脇城について>
石脇城趾3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
石脇城趾に行ってきました。
ここは伊勢新九郎こと北条早雲の居城であったと思われるお城です。
伊勢新九郎は最初今川氏に仕えており、今川氏の居城であった石脇城の城主
となったと思われていますが、確かな記録があるわけではない様です。

ここは焼津方面から駿府へ向かう街道沿いにあり、山城として防衛の拠点で
あったと思われます。

<石脇城趾>
石脇城趾2.jpg
公道からこの道を歩いて石脇城に向かいます。向かいの山が石脇城趾です。

石脇城趾4.jpg
本丸跡です。特に何かある訳ではありません。

石脇城趾5.jpg
石脇城からの景色。新幹線も見えます。

石脇城趾6.jpg
この石垣はいつ頃のものでしょう。当時のものではなさそうな気がします。

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田中城趾     (静岡県藤枝市)

静岡県藤枝市にある田中城趾に行ってきました。

<田中城趾>
田中城趾.jpg
住所:静岡県藤枝市田中1−7−20
駐車場なし

<田中城の歴史>
田中城趾3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
静岡県藤枝市にある田中城趾に行ってきました。
田中城は築城以来、今川・武田・豊臣・徳川とめまぐるしく支配者が変わった
お城です。
江戸時代に入ってからは駿府城の西の守りとして重要だった事から徳川譜代の
大名を藩主として配置しました。
城主は酒井氏にはじまり、12氏21代を数え幕府の要職についた人も多くあり、
出世城とも呼ばれました。

本丸跡は藤枝市立西益津小学校になっており、そこに本丸跡碑などが残っています。

<城概要>
田中城趾4.jpg
堀を構えた大きな城であった事が分かります。

田中城趾2.jpg
小学校の中にあったミニチュアのお城。こんな天守があったんでしょうか。

<二之堀>
田中城趾6 二之堀.jpg

<三之堀>
田中城趾5 三之堀.jpg

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2016年01月06日

花倉城跡      (静岡県藤枝市)

静岡県藤枝市にある花倉城跡に行ってきました。

<花倉城跡>
花倉城趾.jpg
住所:静岡県藤枝市花倉
駐車場あり(無料)

<花倉城について>
花倉城趾7.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
藤枝市にある花倉城に行ってきました。
ここは今川家の家督争い、花倉の乱の舞台として有名です。
花倉の乱は今川氏輝が亡くなったあと、玄広恵探と栴岳承芳(のちの今川義元)が
家督を争った戦いです。
詳しくはこちらをどうぞ(花倉の乱

先に今川氏の菩提寺長慶寺を訪問し、そこから花倉城に向かいます。
案内板も出ていて、車で走って行くのですが、途中からすごい道になりました。
車1台がやっとの幅員。しかも急勾配で車がひっくり返るんじゃないかと心配
になるほど。ガードレールも無いし、生きた心地がしませんでした。
大きい車だと厳しいですし、運転に自信が無い方は行かない方が良いと思います。

命がけで花倉城入り口に到着。車を2台くらい停められるスペースがあります。
そこから山道を15分位ですかね、登って本丸に到着します。
花倉城趾6.jpg

途中、空堀やら曲輪やらあります。意外によくその形状が残っていました。
花倉城趾2.jpg

花倉城趾4.jpg

花倉城趾3.jpg

花倉城趾5.jpg

なんとか花倉城を攻略しましたが、1回行けばもういいやって感じです。
せっかく花倉の乱という歴史上の重大事件の舞台なんですから、もう少しアクセス
道路を何とかしてほしいものです。

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長慶寺        (静岡県藤枝市)

藤枝市にある長慶寺に行ってきました。

<長慶寺>
長慶寺2.jpg
住所:静岡県藤枝市下之郷1225
駐車場あり(無料)
境内自由

<長慶寺について>
長慶寺は嘉慶年間(1387〜1388)に真言宗のお寺として建立されました。
このお寺は今川氏3代今川泰範の開基で、その菩提寺です。
長慶寺3.jpg

その後、太原雪斎により再興され、宗派も臨済宗妙心寺派にかわります。
今川家の没落により寺も衰退しますが、江戸時代にも地元の壇信徒に支えられ
寺は存続します。幕末に火災で焼失もその後再建され現在に到ります。

長慶寺4.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
藤枝に今川氏ゆかりのお寺があるという事で行ってみました。
今川氏3代今川泰範ゆかりのお寺です。
西暦1300年代後半の人物なので、あまり知られていません。僕もよく知らない
人物でした。今川氏は室町初期に活躍した今川貞世(了俊)が有名ですが、泰範は
今川了俊の甥にあたるそうです。

長慶寺には今川泰範の五輪塔、そして並んで太原雪斎の墓があります。
太原雪斎は今川義元の軍師として活躍し、また人質時代の徳川家康を教育した人物
でもあります。雪斎はこの長慶寺を再興し晩年ここに隠居したそうです。

<今川泰範の墓(左)、太原雪斎の墓(右)>
今川泰範の墓・雪斎の墓.jpg

長慶寺5.jpg

太原雪斎の墓は静岡市の臨済寺にもあります。
http://rover.seesaa.net/article/12888459.html

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2015年12月27日

井伊谷宮        (静岡県浜松市)

浜松市にある井伊谷宮に行ってきました。

<井伊谷宮>
井伊谷宮3.jpg
住所:静岡県浜松市北区引佐町井伊谷1991-1
駐車場あり(無料)
境内自由

<井伊谷宮について>
井伊谷宮2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
井伊谷宮に行ってきました。
すぐ近くに井伊氏ゆかりの龍譚寺があります。

ここは南北朝時代に南朝方で活躍した後醍醐天皇の皇子宗良親王終焉の地で、
この神社の裏には宗良親王の墓があります。
井伊谷 宗良親王の墓.jpg
よくある天皇陵墓と一緒で、宮内庁の注意書き看板が建っています。
天皇陵墓ってあまり情緒が無いというのか、見て感慨がわくわけでもなく、旅マニア
の僕でもあまり興味が無いところです。
ここは親王の墓ですが、同じく味気ない感じでした。

井伊谷宮4.jpg
井伊谷宮の本殿を参拝。本殿の隣にある資料館を見学してきました。
井伊谷宮の御祭神は宗良親王。その遺徳を偲び参拝しました(・o・)
龍譚寺と一緒にあわせて訪問すると良いですね。

平成27年秋旅1 遠江三河城攻め!
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著名人の墓
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2015年11月25日

井殿ノ塚     (静岡県浜松市)

静岡県浜松市にある井殿ノ塚に行ってきました。

<井殿ノ塚>
井殿の塚2.jpg
住所:静岡県浜松市北区引佐町井伊谷
駐車場なし

<現地解説>
井殿の塚3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
井伊谷にある井殿の塚に行ってきました。
1544年、井伊家の井伊直満、井伊直義兄弟が讒言により今川義元から自害を
命じられるという事件が起こります。
井伊氏は遠江の国人で、この頃は今川家に仕えていました。

井伊氏というと井伊直政以降徳川氏の武将として有名になりますが、この頃の
井伊氏はまだあまり力が無かったんでしょうね。
僕も正直よく分かっていません。

幕末には大老井伊直弼もこの井殿ノ塚を訪れ祖先を偲び、石垣を寄進したという
事です。

井殿の塚.jpg

平成27年秋旅1 遠江三河城攻め!
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著名人の墓
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大河ドラマの舞台
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2015年11月11日

清瀧寺 / 徳川信康廟    (静岡県浜松市)

静岡県浜松市にある清瀧寺に行ってきました。

<清瀧寺>
清龍寺.jpg
住所:静岡県浜松市天竜区二俣町二俣1405
駐車場あり(無料)

<現地解説>
清龍寺3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
徳川家康の嫡男信康の菩提寺である清瀧寺に行ってきました。
信康は武田家と通じたという疑惑を持たれ、織田信長から信康を殺す様命令された
家康により自刃に追い込まれます。
信康の器量を恐れた信長の陰謀であるとか、いろいろ説はあるようです。
tokugawanobuyasu.jpg

清瀧寺には徳川信康廟がありますが、入り口が閉ざされており、今は中を見ることが
出来ない様です。

<徳川信康廟>
清龍寺 徳川信康廟.jpg

<徳川信康木像>
清龍寺 徳川信康木造.jpg

<清瀧寺>
清龍寺2.jpg

ここ清瀧寺の近くで生まれ育った本田技研の本田宗一郎は、ここで子供の頃よく
遊んだそうです。

平成27年秋旅1 遠江三河城攻め!
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著名人の墓
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2015年11月08日

本田宗一郎ものづくり伝承館     (静岡県浜松市)

浜松市天竜区にある本田宗一郎ものづくり伝承館に行ってきました。

<本田宗一郎ものづくり伝承館>
本田宗一郎ものづくり伝承館.jpg
住所:静岡県浜松市天竜区二俣町二俣1112
駐車場あり(無料)
入場無料

本田宗一郎は、本田技研工業の創始者です。
現在の浜松市天竜区に生まれたという事で、この地に本田宗一郎の記念館があり
ます。
建物は、旧二俣町役場で昭和11年の建築です。
館内には本田宗一郎に関する資料や商品などが展示されています。

本田宗一郎ものづくり伝承館2.jpg

本田宗一郎ものづくり伝承館3.jpg

本田宗一郎ものづくり伝承館4.jpg

僕も大学生の時にホンダシビックに乗っていました。
昔のホンダはいろいろ楽しい車があったなと思います。
今は大変申し訳ないですが、興味ある車が全然ありません。
楽しい車造りは今ならマツダかなって気がします。ホンダにももっと
頑張ってもらいたいですね。

この本田宗一郎ものづくり伝承館は入場無料なので、近くに行ったら寄って
みると良いかと思います。

平成27年秋旅1 遠江三河城攻め!
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2015年10月25日

遠州森の町並み    (静岡県森町)

遠州の小京都と言われる森の町並みを散策してきました。

<遠州森の町並み>
遠州森の町並み.jpg
住所:静岡県森町森、静岡県森町城下
駐車場無

かつては火伏せの神「秋葉神社」へ通じる街道の宿場町として、江戸時代中期
頃からは古着の町として葛飾北斎の「栄える都市の番付」の前頭に、その名が
掲げられるほど盛況をみせていました。
明治時代の中頃、森町を訪れた地理学者志賀重昂は山紫水明のこの町を小京都
と賞賛し、以来遠州の小京都と呼ばれるようになり、平成24年11月、全国
京都会議に加盟しました。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
遠州の小京都森町に行ってきました。
静岡の森町ってどこ?あまり知られてませんよね。
僕も静岡に行っても通るのは東名沿線、国道1号線沿線、また海沿いの国道150号
線沿線。このあたりはまったく行かないエリアでした。
森の町は秋葉神社へ向かう街道沿いにあり、その宿場町として栄えた様です。

東海道沿線は開発が進み、古い町並みもほとんど無くなってしまいました。
内陸にある森はまだ昔ながらの町並みを残しています。

町の中心部「本町通り」と少し北に行った森町城下エリアの2ヶ所に古い町並みが
残っています。

<遠州森の町並み>
遠州森の町並み4.jpg

遠州森の町並み5.jpg

遠州森の町並み2.jpg

遠州森の町並み3.jpg

遠州森の町並み6.jpg

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日本の古い町並み
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2015年10月17日

龍譚寺     (静岡県浜松市)

静岡県浜松市にある龍譚寺に行ってきました。

<龍譚寺>
龍譚寺.jpg
住所:静岡県浜松市北区引佐町井伊谷1989
駐車場あり(無料)
拝観:500円(9時〜16時半)

<現地解説>
当寺の歴史は古く、奈良時代行基菩薩開創と寺伝にある。
龍譚寺のある井伊谷は古く「井の国」と言われ「井の国の大王」が治めた
土地である。平安時代の井伊氏の祖井伊共保が生まれ、井伊氏は遠江の有力
武士として、すでに保元物語にその名を連ねている。
鎌倉時代、源頼朝に仕え、南北朝時代には後醍醐天皇皇子、宗良親王を井伊
谷城に迎え北朝軍と戦った名門である。
24代直政は徳川家康に仕え、井伊の赤鬼と恐れられる活躍をした。
徳川四天王の筆頭に出世、関ヶ原の戦い後彦根に移る。
幕末井伊大老直弼が開国の偉業を成し遂げる。
龍譚寺はその千年余り、40代の祖霊を祀る井伊氏の菩提寺としてその歴史を
今日に伝えている。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
井伊氏の菩提寺である龍譚寺に行ってきました。
2回目の訪問なんですが、10年以上ぶりなので実質初訪問みたいなものでした。

見所は、小堀遠州作の庭園や、井伊氏霊廟、井伊氏初代井伊共保他歴代の墓など
です。
<龍譚寺庭園>
龍譚寺 小堀遠州庭園.jpg

龍譚寺 小堀遠州庭園2.jpg
江戸時代初期に造られた小堀遠州の庭園です。井伊直孝が小堀遠州と親しかった
そうで、その依頼により造られた庭です。
国指定の名勝です。

<井伊氏霊廟>
龍譚寺 井伊家霊殿.jpg
井伊氏歴代を祀っています。

<井伊氏祖・井伊共保の墓>
龍譚寺 井伊氏初代の墓.jpg
右側が共保の墓。左は22代直盛の墓です。

<井伊直虎の墓>
龍譚寺 井伊直虎の墓.jpg
真ん中が女城主井伊直虎の墓です。平成29年大河ドラマの主人公です。

<桶狭間の戦い戦死者の墓>
龍譚寺 桶狭間戦死者の墓.jpg
22代直盛公に従って桶狭間で戦い戦死した16名のお墓です。

<井伊直政出世の地碑>
龍譚寺 井伊直政出世の地.jpg
徳川家康の家臣として徳川四天王と呼ばれるまでに出世した井伊直政公を
顕彰する碑です。

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井伊氏発祥の地     (静岡県浜松市)

静岡県浜松市にある井伊氏発祥の地に行ってきました。

<井伊氏発祥の地>
井伊氏発祥の井2.jpg
住所:浜松市北区引佐町井伊谷1989
駐車場なし(龍譚寺の駐車場に停めて歩きました)

<現地解説>
一條天皇の寛弘年間藤原鎌足十二代の子孫 備中守共資公が遠江介として村櫛
へ下向、元旦 領内平安祈願のため渭伊神社へ参拝されました。たまたま神域
の当井戸の傍に嬰児を見付け抱上げつくづく見れば、俊秀麗顔、常人にあらず
まことに神授の神童なることを覚り己が子と致しました。後年共資公が自身の
一女と婚せしめ、郷名にちなみ名を井伊共保と称し当地方の宰主となり家紋を
この聖井を型取り、井桁に橘を以ってし、名門井伊氏の基を開いたと謂われます。

井伊氏発祥の井4.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
井伊氏発祥の地に行ってきました。
井伊氏と言えば、幕末の大老井伊直弼や徳川四天王の一人井伊直政などが有名な
人物ですね。
そんな井伊氏の発祥の地がここ浜松氏の龍譚寺前にあります。

現地の解説文を見ましたが、井伊氏の祖井伊共保は捨て子かなんかだったんですね。
井戸から子供が出てくるわけないですしね・・・(^^;

井伊氏の家紋などは、その井戸に由来する様です。
井伊氏発祥の井3.jpg

この井伊氏発祥の地(井)は龍譚寺から50mほど南の田んぼの中にあります。
井伊氏発祥の井.jpg
こんな感じです。

田んぼの中に何があるんだろって感じですよね(笑)

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2015年10月14日

井伊谷城跡    (静岡県浜松市)

静岡県浜松市にある井伊谷城に行ってきました。

<井伊谷城>
井伊谷城跡1.jpg
住所:静岡県浜松市北区引佐町井伊谷字城山
駐車場(多分無し。引佐多目的研修センターの駐車場に停めさせて頂きました)

<現地解説>
井伊谷城はこの城山の南麓にあり、本丸、二ノ丸、三の丸に分かれ井伊家の居城
であった。
1337年、井伊道政が後醍醐天皇の皇子宗良親王をお迎えしてより、1385
年8月10
日宗良親王この地で薨去し給うまで約50年、親王は京都と鎌倉の中間であるこ
の井伊谷城を本拠として、駿河、甲斐、信濃、越中、越後、上野の国々を転戦さ
れた。

この城山の一段高い所が御所丸跡で井の宮石陵があり、宮入御表門跡、搦め手門
跡等がある。

井伊谷城跡3.jpg

又、東山麓には宗良親王を祀る二宮神社、親王の御念持仏を祀る足切観音堂がある。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
井伊氏の居城、井伊谷城(いいのやじょう)に行ってきました。
ここは井伊氏の居城で、井伊氏の祖、井伊共保が築城したと言われています。
南北朝時代には宗良親王の拠点となっています。

戦国時代には女城主として知られる井伊直虎もこの城の城主です。
早い話ですが、平成29年の大河ドラマは「おんな城主 直虎」
主人公は井伊直虎です。
今は城マニアくらいしかこの城には来ていませんが、再来年には観光客も集まりそ
うですね。

城はちょっとした山城です。
南側の引佐多目的研修センター、東側の二宮神社側から登山道があります。
どちらからも片道15〜20分位の山登りになります。
山頂からは浜松市街を遠くに望むことが出来ます。

井伊谷城跡2.jpg
遠くにアクトタワーが見えました。

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2015年10月07日

鳥羽山城跡      (静岡県浜松市)

静岡県浜松市にある鳥羽山城跡に行ってきました。

<鳥羽山城跡>
鳥羽山城跡.jpg
住所:静岡県浜松市天竜区二俣町二俣2364
駐車場あり

<現地解説>
鳥羽山城は東西500m以上におよぶ標高108mの独立丘陵を巧みに加工して
築城されています。土塁や石垣が良好な状態で残され、本丸内部では礎石建物や
庭園が確認されています、また、大手道は幅6mを超える破格の規模を誇ります。
こういた特徴から、鳥羽山城は迎賓機能を備えた領主の館だったと推定できます。
一方、隣接する二俣城では、天守が築かれ軍事的な機能にすぐれた城郭が整備さ
れます。両城はその性格が対照的であり、「別郭一城」であると考えられます。
徳川方と武田方による攻防の際には、武田方の二俣城を攻めるために鳥羽山城に
徳川方の本陣が置かれました。
その後、家康の関東移封に伴い、堀尾氏が遠江に入ると鳥羽山・二俣両城は石垣
が築かれるなど現在の姿に整備されていきました。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
鳥羽山城跡に行ってきました。
二俣城のすぐ近く、二俣城の隣の山が鳥羽山城という感じの配置になっています。
上の解説にもありますが、城跡には枯山水庭園跡などもあり、この城は迎賓館的
な位置づけの城であったという事です。

鳥羽山城跡5.jpg

古い石垣などが残っており、かすかに城の面影を感じる事が出来ます。
二俣城より南側に位置し、景色も良い事から、ここで接待などが行われたんでしょ
うかね。

<鳥羽山城跡>
鳥羽山城跡4.jpg

鳥羽山城跡2.jpg

鳥羽山城跡3.jpg

鳥羽山城 枯山水庭園跡.jpg
ここが枯山水庭園跡です。

<鳥羽山城からの風景>
鳥羽山城跡からの風景.jpg
西側です。

鳥羽山城跡からの風景2.jpg
南側、浜松方面を眺めます。

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二俣城跡       (静岡県浜松市)

静岡県浜松市にある二俣城跡に行ってきました。

<二俣城跡>
二俣城.jpg
住所:静岡県浜松市天竜区二俣町二俣
駐車場あり(無料)

<現地解説>
二俣城は、天竜川と二俣川との合流点にあり交通の要衝として重要度の高い
場所でした。二俣城の築城は1500年代初頭、今川氏と斯波氏の抗争から今川
氏が築城したものと思われています。
標高90mの台地上に築かれた二俣城は、北側から北曲輪・二之曲輪・蔵屋敷、
南曲輪がほぼ一直線上に配置されています。天守台のある本丸の南・北にそれぞれ
虎口を設け、北虎口は食い違い虎口です。本丸西側には小規模な天守台が残って
おり、石積みは野良積となっています。

二俣城5.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
二俣城跡に久しぶりの訪問です。15年ぶりです(^^;
まあこういう所って、一度行ったら何度も行かないですからね。
でも10年以上たつと忘れてしまって、初めての様な気がします。

二俣城は徳川と武田の攻防戦があった場所として知られますが、歴史上大きな
事件があり、それがゆえに二俣城は知られている感もあります。
それは徳川家康の嫡男徳川信康と正妻の築山殿が信長の命により殺された事件です。
嫡男信康と築山殿が武田勝頼と通じたという嫌疑で信康は二俣城で切腹となりま
した。
二俣城での信康切腹に関しては武田と通じたという説や家康と信康の不仲からという
説などいろいろある様です。
とは言うものの、信長の命で家康はやむなく嫡男を切腹させたというのが通説です
ので、そう思って二俣城を訪問しています。

現在の二俣城は、本丸跡が公園の様になっており、片隅に小さな天守台があります。
二俣城2.jpg

二俣城3.jpg

川を見下ろす地形ですが、今は木が鬱蒼としており川の景色がよく見えません。
城の下に降りると天竜川が流れています。
二俣城4.jpg
これが天然の堀みたいな感じになてるんですね。

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天方城跡        (静岡県森町)

静岡県森町にある天方城跡に行ってきました。

<天方城跡>
天方城.jpg
住所:静岡県周智郡森町向天方
駐車場あり(無料)

<天方城解説>
室町時代の応永年間 (1394年 - 1427年)、山内対馬守道美が築城したお城です。
戦国期には今川義元麾下天方山城守の居城となり、義元死後徳川家康に攻め落と
されます。
またその数年後には武田信玄が侵攻し攻め落とすなど、戦国の戦いの舞台になっ
たお城です。
【詳細解説・クリックすると拡大します】
天方城解説.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
天方城跡に行ってきました。
天方城跡は公園になっており、駐車場も綺麗に整備されていますが、ここまで辿り
着くのには難所を突破しないと行けません。
歩いて行くのは厳しい場所にありますが、車で行くのもすれ違い場所もほとんど
無いような道を約1キロ以上走らないといけません。
大きな車だと正直厳しいです。

そんな山道を上り、天方城に到着。
天方城は堀と思われる地形が今も綺麗に残っていました。

天方城3.jpg

天方城2.jpg

戦国の山城として攻防を繰り広げた場所として、ここからの眺望は非常に良い
です。麓に見える景色は遠州の小京都と言われる森町です。

天方城からの風景1.jpg

天方城からの風景2.jpg

バイクとかだと容易に到着出来ますが、車で行く場合は注意が必要です。

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2015年09月23日

香勝寺 / ききょう寺      (静岡県森町)

静岡県森町にある香勝寺に行ってきました。

<香勝寺>
香勝寺.jpg
住所:静岡県周智郡森町草ヶ谷968
駐車場あり(無料)
ききょう園入園:500円

<香勝寺について>
香勝寺は天文14年(1545)2月18日、一ノ宮領主、武藤刑部守氏定公が寺領を寄付。
崇信寺八世全忠大和尚を歓請し開山したものです。
現在は桔梗の寺として知られています。

香勝寺3.jpg

一宮領主武藤氏墓所
香勝寺 武藤氏の墓.jpg

香勝寺からの風景
香勝寺2.jpg

香勝寺は桔梗のお寺です。
桔梗の花言葉は「変わらぬ愛」
桔梗園に入園すると、記念品として「招福銭」を頂きました。

香勝寺4.jpg

封を開けてないのでなんですが、5円玉が入っている様です。

恋愛観音です
香勝寺 恋愛観音.jpg

そんでもって桔梗園の端に恋愛観音という観音様がいらっしゃいます。
「変わらぬ愛」ね〜、そんなものはあるんですかね(´・_・`)
観音様には手を合わせてきました。

桔梗園の写真は続きをどうぞ

続きを読む
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2015年04月19日

興国寺城      (静岡県沼津市)

静岡県沼津市にある興国寺城跡に行ってきました。

<興国寺城跡>
興国寺城跡.jpg
住所:静岡県沼津市根古屋
駐車場あり

<現地解説>
興国寺城は戦国大名北条早雲が初めて城主となった城であり、彼の旗揚げの
城としても有名な城です。
早雲ははじめ伊勢新九郎長氏と称し、駿河守護今川義忠の側室であった妹を
頼って今川家に身を寄せていましたが、義忠の急死後今川家の相続争い
をまとめた功績によりこの城を与えられ、その後伊豆国を治めていた堀越公方
の内紛に乗じて足利茶々丸を滅ぼし、伊豆国の領主となって韮山城に移り戦国
大名へと成長しました。
その後、興国寺城は駿河・甲斐・伊豆の境目に位置していたために、今川・武田
北条の争奪戦の渦中におかれ、城主がめまぐるしく替わりました。
天文年間に今川義元が小規模な構造であった興国寺城を普請し、城地を拡大し
ました。永禄年間には駿河に侵攻した北条氏の城となり、武田信玄の攻撃を
退けました。
元亀年間の武田・北条の同盟成立以降は武田方の城となり、武田一門の穴山梅雪
の持ち城となりました。
1582年武田勝頼が滅亡したあと、城主の曽根下野守正清が開城し、徳川方の
城となり、家康関東移封後は豊臣秀吉の武将中村一氏の家臣河毛重次が城主となり
ました。
関ヶ原の合戦後には、三河三奉行のひとりで天野康景が城主となりましたが、康景
の逐電により廃城となりました。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
興国寺城跡に行ってきました。
北条早雲の出発の城っていう事は知っていましたが、それ以降ってどうなったのか
全然知りませんでした。
北条早雲が韮山城に移った後も、この城は各勢力の奪い合いがあったんですね。

今城跡を見ると大きな広場の様なところを中心に、奥に自然の地形を利用した防塁
の様な遺構を見る事が出来ます。

<興国寺城跡>
興国寺城跡2.jpg

興国寺城跡3.jpg

北条早雲の碑
興国寺城跡 北条早雲碑.jpg

天野康景の碑
興国寺城跡 天野康景碑.jpg

平成26年・27年 年末年始の旅
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日本の城を巡る
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竹採公園     (静岡県富士市)

静岡県富士市にある竹採公園に行ってきました。

<竹採公園>
竹採公園.jpg
住所:静岡県富士市比奈2085-4
駐車場あり(無料)
入園無料

静岡県富士市にある竹採公園に行ってきました。
ここは有名な「かぐや姫」のお話である竹取物語のゆかりの地という公園
です。
かぐや姫は月ではなく、富士山に帰ったという伝説もあるそうで・・・。
この地には古くから「竹採塚」と記された古い石碑もあり、昔からかぐや姫
ゆかりの地と伝えられているそうです。

<竹採塚>
竹採公園4.jpg

自分の知ってる範囲では奈良や鹿児島にもかぐや姫ゆかりの地があったな
と。そんな伝承地のひとつがこの竹採公園です。

<竹採公園>
竹採公園3.jpg

竹採公園2.jpg

平成26年・27年 年末年始の旅
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2015年04月17日

善得寺公園     (静岡県富士市)

静岡県富士市にある善得寺公園に行ってきました。

<善得寺公園>
善得寺公園.jpg
住所:静岡県富士市今泉5−15
駐車場あり(無料)

善得寺公園は、かつてこの地にあった善得寺の跡に整備された公園です。

<現地解説>
善得寺は1363年、下野国那須雲巌寺の大勲策禅師が開山した寺で、
戦国期には駿河国東部でも第一の寺となり、善得寺城も併設したと言われ
ます。
また天文年間の今川義元・武田信玄・北条氏康の駿河国東部を中心とした
抗争の中、今川義元の軍師で善得寺の重職でもあった太原雪斎の斡旋で
成立した「甲相駿三国同盟」の舞台になったところだと伝えています。
しかし、1569年2月、武田信玄の駿河侵攻にともない寺院はことご
とく焼かれてしまいました。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
善得寺公園は、かつて戦国時代の大きな同盟となった甲相駿三国同盟締結の舞台
となったところです。
たしかここで、武田信玄と今川義元が富士の見え方について語りあったという
話を大河ドラマ『武田信玄』の1シーンで見た覚えがあります。

善得寺での会談に関しては、真偽のほどが不明という事で、実際どうだったのか
は分かりませんが、一般に甲相駿三国同盟はこの善得寺の会談で結ばれたという
事になってますので、そう思っておきましょう。

善得寺は焼失し、今はその跡地と言われる場所に公園が整備されています。

善得寺公園2.jpg

善得寺公園3.jpg

善得寺公園 三国同盟の庭.jpg
三国同盟の庭です。

平成26年・27年 年末年始の旅
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大河ドラマの舞台
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2015年04月16日

山本勘助の墓 / 医王寺    (静岡県富士市)

静岡県富士市にある医王寺で山本勘助の墓を参拝してきました。

<山本勘助の墓 / 医王寺>
山本勘助の墓 医王寺.jpg
住所:静岡県富士市比奈1546
駐車場あり(無料)

<現地解説>
山本勘助の生誕地は富士宮市山本。1493年吉野貞幸、安女の三男として
生まれ、12才で三河国牛窪、大林勘左衛門の養子となり、名前を勘助と
改めた。
しかし、実子が生まれたため35才の時に離縁し、山本勘助と名乗り、再び
修行の旅へと出る。
勘助52才の時、武田信玄の家来となり、1546年には足軽隊将になり
800貫の知行取りにまで出世したが1561年第4回川中島の戦いで
自らの啄木鳥戦法の裏をかかれ69才で戦死する。
吉野家に伝わる徳川家康本領安堵状によれば天正十一年に所領を安堵したと
あり、所領吉原の郷とは富士市中里天念寺である。
山本家が医王寺の檀家になったのは江戸時代の事で、山本家に勘助の祖吉野
貞久の墓があるのは所領であった事と貞次の子孫の家とも推察されます。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
富士市の医王寺にある山本勘助の墓を参拝してきました。
以前、愛知県豊川市にある勘助の墓を参拝してきました。

<愛知県豊川市にある山本勘助の墓>
http://rover.seesaa.net/article/102023019.html

豊川にあった解説だと、勘助は豊川の牛窪の出身という事だったんですが、
ここの解説だと富士宮の出身という事になってました。
山本勘助は武田信玄の軍師として名が通っていますが、実際のところ存在した
のかどうかすらよく分かっていない謎につつまれた人物なんですね。
だから出身地やら墓やらも実際の所はよく分かってないという感じなんでしょう。
山梨県北杜市にも勘助の墓があったと思っています。

ここ富士市の勘助の墓はあまり知られていませんよね。
歴史マニア向けの観光地かと思います。

山本勘助の墓 医王寺2.jpg

平成26年・27年 年末年始の旅
http://rover.seesaa.net/article/411697633.html

大河ドラマの舞台
http://rover.seesaa.net/article/112515106.html

著名人の墓
http://rover.seesaa.net/article/26837973.html

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2015年04月15日

平家越の碑      (静岡県富士市)

静岡県富士市にある平家越の碑を見てきました。

<平家越の碑>
平家越の碑.jpg
住所:静岡県富士市新橋町11
駐車場なし

<現地解説>
1180年10月20日、源頼朝は軍勢を率いて平維盛を総大将とする平家軍
と富士川を挟んで対陣しました。
その夜半、甲斐源氏の武田信義の軍がひそかに平家軍の背後へまわって、夜襲
をかけようとしたその時、あたりに眠る幾万かの水鳥が不意に羽音をたてて
飛び立ちました。これを敵襲と誤った平家軍は陣を乱して西に敗走し、合戦は
一戦にもおよばず源氏軍の大勝利に終わりました。
市内にはこの「平家越」をはじめ「呼子阪」「和田川」など富士川の戦いゆかり
の深い地名や名前が残っています。
この記念碑は史跡を永く後世に語り伝えるため、大正13年に建立されたものです。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
源平の合戦で有名な富士川の戦いの記念碑「平家越の碑」です。
古戦場とは言うものの、実際平家軍は水鳥の飛ぶ音を敵襲と勘違いして逃げ去った
というもので、目立った交戦は無かったというものです。
この戦いには挙兵した甲斐源氏の武田信義が参戦しています。

平家越の碑2.jpg

またこの戦いの翌日には、奥州からかけつけた源義経と頼朝との対面が実現しています。

<頼朝・義経対面の地>
http://rover.seesaa.net/article/370160287.html

平成26年・27年 年末年始の旅
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大河ドラマの舞台
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古戦場めぐり
http://rover.seesaa.net/article/159539121.html

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2015年04月12日

富士と港の見える公園     (静岡県富士市)

静岡県富士市にある富士と港の見える公園に行ってきました。

<富士と港の見える公園>
富士と港の見える公園.jpg
住所:静岡県富士市鈴川字砂山
駐車場あり(無料)

富士と港の見える公園は田子の浦港の東側にある小高い場所にある公園で、
田子の浦港と富士山を見る事が出来ます。
富士市内の富士見スポットのひとつです。

平成27年1月2日の訪問です。あいにくの曇りでしたが、一応富士山ははっきり
と見る事が出来ました。

富士と港の見える公園2.jpg

ここに来るのは初めてではありません。過去の写真をあさってみました。
画像のタイムスタンプを確認。前回来たのは10年前でした。
しかも平成17年の元旦の訪問。まさに10年ぶり(笑)
平成17年は天気は良いんですが、富士山の雪のかかり具合がいまいち。
富士山は雪が良い具合にかかった景色が良いんですけどね。

<平成17年1月1日撮影の写真>
富士と港の見える公園 200501.jpg

富士と港の見える公園 200502.jpg

富士と港の見える公園 200503.jpg

富士と港の見える公園 200504.jpg

平成26年・27年 年末年始の旅
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源立寺 / 北条氏政首塚    (静岡県富士市)

静岡県富士市にある源立寺に行ってきました。

<源立寺>
源立寺.jpg
住所:静岡県富士市蓼原115
駐車場あり
境内自由

<現地解説>
小田原の北条氏は、豊臣秀吉が天下を統一した時に臣下の礼をとらなかった
事を理由に1590年に攻撃を受け落城し、悲劇的な末路をたどることとなった。
その当主北条氏政の墓がこの源立寺にある。
山門の扉には菊の紋が輝いている。
その理由は京都の泉涌寺(皇室の菩提寺)の開山月輪大師が鎌倉幕府の北条泰時
に招かれて下向したとき、この地にあった小庵に一時とどまった事に始まる。
北条氏政の墓は本堂裏手の墓地中央にある。

<本堂>
源立寺2.jpg

<北条氏政の首塚>
源立寺 北条氏政首塚.jpg

高さ62センチほどの小さなもので宝筐印塔の一部だけが残っているので、
一目して奇妙な形に見えるが、これは富士川が何度も氾濫して流されたためと
いう。
寺伝に拠れば、北条氏政は7月に切腹し、その首は京都に送られて晒し首にされ
たものを、家臣の佐野新左衛門がひそかに首を持ち下った。
ところが当地まできて、富士川の洪水の為足止めされてしまった。
暑いさなかであったので首の腐敗も早く、仕方なくこの寺に葬り、新左衛門はここ
に土着して主君の菩提を弔うことになったという。
そのため、氏政の墓は一名を首塚と称している。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
富士市にある源立寺に行ってきました。
ここの北条氏政の首塚があるという事での訪問です。
北条氏政の墓と言えば、箱根にある早雲寺にあったなと思っていました。
富士にあるのはどういう経緯なんでしょう。
現地の解説を見て、そんな話もあったのねと初めて知りました。
まだまだ知らない逸話などもあるものですね。
こういう場所を見つけると、旅マニアとしては嬉しい気分です(^-^)

著名人の墓
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大河ドラマの舞台
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2015年02月18日

中郷温水池      (静岡県三島市)

静岡県三島市にある中郷温水池に行ってきました。

<中郷温水池>
中郷温水池.jpg
住所:静岡県三島市富田町5-38
駐車場なし

中郷温水池は湧き水を稲作用水として利用するために水を温める池と
して昭和28年に国・県の事業として建設されました。
平成8年から平成10年に再整備され、現在の温水池となりました。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
三島市のホームページに富士山を見るポイントとして中郷温水池が紹介されて
いたので行ってみました。
温水池と言いますが、温かい水な訳ではなく冷たい地下水を一時的に溜めてぬるく
するための池という事です。

この日は天気が良かったので、富士山も綺麗に見えました(^-^)
逆さ富士も池にうっすらと見えます。

中郷温水池2.jpg

「農林水産省 ため池百選」にも選ばれているそうです。

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2015年02月08日

吉田松陰寓奇処    (静岡県下田市)

静岡県下田市にある吉田松陰寓奇処に行ってきました。

<吉田松陰寓奇処>
吉田松陰 寄寓之跡.jpg
住所:静岡県下田市蓮台寺300-1
駐車場あり(無料)
入場:100円

<現地解説>
1854年3月18日、米国ペリー艦隊を追って下田に到着した吉田松陰、
金子重輔は役人の目を逃れるため、それぞれ瓜中万二、市木公太と名を変え
岡方村(現在の下田市四丁目付近)の岡村屋に宿泊し、米艦に便乗しての
海外渡航の機会をうかがっていた。
当時皮膚病を患っていた松蔭は温泉による治療のため、この蓮台寺を訪れ、
向かい側にある共同湯で夜を明かそうとしていた。
そこで偶然この家の主、村山行馬郎医師と知り合い、その好意により
しばらく村山邸に身を寄せることになった。
松蔭らは3月27日深夜、柿崎の弁天島付近から小舟をだし米艦に漕ぎ着けて
便乗を懇願したが断られた。
企ての発覚を覚悟した松蔭は潔く自首しとらわれの身となり、4月11日
江戸伝馬町の獄へ送られた。
この村山邸は松蔭の居間として使われた二階の天井の低い部屋や、掘り下げ
られた内湯の浴槽がそのまま保存され、松蔭が使ったとされる机や硯箱と
ともに、幕末開港時の秘話の舞台となった松蔭隠れ家の面影を残している。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
平成25年1月13日、静岡県の下田市にある吉田松陰寓奇処に行ってきました。
下田の市街から北に数キロ、蓮台寺温泉の中にある村山邸という旧家です。

海外渡航の企てをおこした吉田松陰は疥癬の治療のため蓮台寺温泉に来たそうで、
そこで知り合った村山氏宅に滞在します。
村山邸は中を見ることが出来ます。

<吉田松陰居間>
吉田松陰 寄寓之跡2.jpg

<内湯>
吉田松陰 寄寓之跡3.jpg
夕方で暗かったので、写真が不鮮明になってしまいました。

村山邸のすぐ近くに共同湯があります。

吉田松陰 湯治の跡.jpg

大河ドラマの舞台
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吉田松陰像      (静岡県下田市)

静岡県下田市、三島神社内にある吉田松陰像です。

<吉田松陰像>
吉田松陰像2.jpg
住所:静岡県下田市柿崎122
駐車場あり(無料)

大河ドラマ『花燃ゆ』が始まったので、それに関連するものを書こうかと
思って吉田松陰の銅像のご紹介です。
静岡県下田市、三島神社内にある吉田松陰像です。

吉田松陰像 説明.jpg

この銅像は昭和17年に建立されたもの。戦時中で日本各地の銅像が金属を
回収するという事で取り壊されるなかで、この銅像が造られた事が驚きです。
賀茂郡教育会が中心となって日本各地の方の浄財で費用をまかなったそうです。
制作者は保田龍門氏。
荒々しい雰囲気のする吉田松陰像です。

吉田松陰像.jpg

大河ドラマの舞台
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銅像めぐり
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2015年01月21日

曽我寺       (静岡県富士市)

静岡県富士市にある曽我寺に行ってきました。

<曽我寺>
曽我寺.jpg
住所:静岡県富士市久沢229
駐車場あり(無料)
境内自由

<現地解説>
1193年5月、曽我十郎祐成、五郎時致兄弟が父の仇、工藤祐経を巻き狩り
の本陣、上井出で討った史実にまつわる史跡は曽我八幡宮、五郎首洗い井戸、
霊渡神社など鷹岡地区に数カ所伝えられている。
十郎は討ち入りの夜惨殺され、五郎は捕らえられこの鷹ヶ丘で首を討たれ境内
参道右側に兄弟を祀る墓と堂内に木像、位牌が安置されている。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
静岡県富士市にある曽我寺に行ってきました。
曽我兄弟の仇討ちは赤穂浪士の仇討ちにならぶ武士社会における有名な仇討ち
ではあるんですが、正直相当マニアな話で、知ってる人はほとんどいないんじゃ
ないでしょうか。
父の仇を討つため、源頼朝の家臣であった工藤祐経を富士の巻き狩りの際に
討ち果たすというものです。
その流れで頼朝を暗殺しようとしてたとかいう話もあり、北条時政が裏で曽我兄弟を
あやつって頼朝を殺そうとしたという暗殺説もあるようです。

そんな仇討ち話の曽我兄弟の供養塔・位牌などがあるのがこの曽我寺です。

<曽我兄弟供養塔>
曽我兄弟の墓.jpg
造り直したんですかね、新しい供養塔です。

<曽我兄弟の銅像>
曽我兄弟の像.jpg

平成26年・27年 年末年始の旅
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銅像めぐり
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2015年01月04日

富知六所浅間神社 / ドラえもん神社 (静岡県富士市)

静岡県富士市にある富知六所浅間神社に行ってきました。

<富知六所浅間神社>
富知六所浅間神社1.jpg
住所:静岡県富士市浅間本町5-1
駐車場あり(無料)
境内自由

富知六所浅間神社は、全国にある浅間神社の一社で、創建は不明ですが
2000年以上の歴史を誇る神社だそうです。
最初は富士山の山腹に建設されましたが、奈良時代末期に現在地に移り
現在に至るとの事。

平成27年1月2日早朝の訪問でしたが、正月という事もあり初詣客で
賑わっていました。

富知六所浅間神社2.jpg

さて、この由緒ある神社ですが、最近話題なのは境内にあるドラえもんの石像
です。何でこんなところにドラえもん??
神主さんの趣味?その辺はまったく不明です。
以下、その銅像です。

<ドラえもん>
富知六所浅間神社 ドラえもん.jpg

<ドラミちゃん>
富知六所浅間神社 どらみちゃん.jpg
ドラミちゃん細いですね・・・。

<のび太&しずかちゃん>
富知六所浅間神社 のび太&しずかちゃん.jpg
のび太もしずかちゃんも何か違う感が(^^;

<のび太アップ>
富知六所浅間神社 のび太アップ.jpg
何かエロそうなのび太・・・。

<ジャイアン>
富知六所浅間神社 ジャイアン.jpg
かわいいジャイアン。木こりの泉の「綺麗なジャイアン」を思い出しました(笑)

<スネ夫>
富知六所浅間神社 スネ夫.jpg
三段リーゼントの横顔が格好良い(^-^)

<ピカチュウ>
富知六所浅間神社 ピカチュウ.jpg
ドラえもんじゃないけど、何故かピカチュウも。

そのうちこの神社にジバニャンとかの像も出来るのでは(^^;

<明治天皇>
富知六所浅間神社 明治天皇.jpg
こちらは非常にまともな明治天皇像。

この神社は歴史ある神社なのにあやしさ満点です。

平成26年・27年 年末年始の旅
http://rover.seesaa.net/article/411697633.html

B級観光スポット・珍スポット
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令和2年〜3年 年末年始の旅
http://rover.seesaa.net/article/481542587.html

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2014年08月20日

中村家住宅 / 結城秀康生誕の地   (静岡県浜松市)

静岡県浜松市にある中村家住宅に行ってきました。

<中村家住宅>
中村家住宅.jpg
住所:静岡県浜松市西区雄踏町宇布見4912
駐車場あり
入場料:200円
入場時間:午前9時30分〜午後4時30分

<現地解説>
中村家は鎌倉時代から続く名門で、1483年この地に屋敷を構えた。
徳川家康の次男於義丸・のちの結城秀康が誕生した家である。
昭和48年、主屋が大規模で質が良く内部の板戸等古い建具も残されて
いるという事で、重要文化財に指定された。
平成13年〜15年にかけて解体復元工事を実施し、江戸時代前半の
1688年頃の建造物として現代によみがえった。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
浜松にある結城秀康生誕の家と言われる中村家住宅に行ってきました。
江戸時代の豪農の家という感じの立派な民家です。
平成に入ってから修復されたとの事です。

家康の次男の結城秀康がなんでこんなところで生まれたかはよく分かりませんが、
正室の子ではなく、正室の築山殿の奥女中の於万に家康が手を付けての子供な
だけに問題あってここで生ませたものと思われます。
結城秀康は家康に嫌われ、ひどい扱いを受けていくわけです。

結城秀康について
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%90%E5%9F%8E%E7%A7%80%E5%BA%B7

<中村家住宅>
中村家住宅2.jpg

中村家住宅3.jpg

中村家住宅4.jpg

<結城秀康胞衣塚>
中村家住宅 塚.jpg
1574年2月8日徳川家康の次男於義丸がこの中村家で生まれた。
母親はお万の方で出産時の胞衣を埋めたのが胞衣塚である。
塚の上の梅は家康のお手植えと伝えられ、数代を経ている。
1884年に越前松平家の一門が塚の由来を記した胞衣塚碑を建立
した。

平成26年夏旅
http://rover.seesaa.net/article/403847749.html




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2014年06月15日

本立寺    (静岡県伊豆の国市)

静岡県伊豆の国市にある本立寺に行ってきました。

<本立寺>
本立寺.jpg
住所:静岡県伊豆の国市韮山金谷268−1
駐車場あり
境内自由

<現地解説>
当山は比叡山で修行中の大檀那江川家十六代の当主江川太郎左衛門英親公が
日蓮聖人を当地に招き、そのおり日蓮聖人より御自筆の火伏の曼荼羅を
授与され、家門繁栄・子孫長久の祈願を奉行される。
以来江川家は700年の伝統を継承し現在に至る。
英親公73歳の春、身延山に登詣、日蓮聖人より優婆塞日久の法号を授け
御真筆の曼荼羅・祖師像を授かる。
本立寺の建立の歴史は英親公の力大なるものあり。

後、1506年江川家24代英盛公が邸内にあった大乗庵を当地に移し、
本立寺を建立す。
現在の本堂は昭和3年落慶。

本立寺2.jpg

本堂裏に江川家代々の墓碑が並ぶ。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
平成24年2月12日、本立寺に行ってきました。
本立寺は江川家の菩提寺です。
江川家は大和源氏の流れで鎌倉時代から続く名門の家柄。
江戸時代には韮山代官を務めた家柄です。
特に有名な人物は幕末に活躍した江川英龍ではないでしょうか。
江川英龍は韮山の反射炉を作ったり、日本で初めてパンを焼いた人物
として知られています。

<江川家累代の墓>
江川英龍の墓.jpg
左側の墓碑が江川英龍のお墓。

<江川英龍の像>
江川英龍像.jpg

著名人の墓
http://rover.seesaa.net/article/26837973.html

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韮山城      (静岡県伊豆の国市)

静岡県伊豆の国市の韮山城跡に行ってきました。

<韮山城跡>
韮山城.jpg
住所:静岡県伊豆の国市韮山
駐車場あり(無料)

<現地解説>
1493年、伊豆に侵攻した北条早雲によって本格的に築城され、
およそ100年にわたって存続した中世城郭。早雲は韮山城を本拠地として
伊豆から関東地方へ進出し、戦国大名北条氏の基礎を築いた。
1519年早雲が没したのも韮山城である。
北条氏の本拠地が小田原に移ったあとも、韮山城は領国支配と防衛の重要
拠点であった。1590年秀吉の小田原攻めの際、4万を超える軍勢に包囲
されたが、約3ヶ月にわたってもちこたえ、小田原城と前後して海上した。
その後、徳川家康の家臣内藤信成が城主となり、1601年信成の駿府転封
とともに廃城となった。
韮山城は通称「龍城山」に所在し、本丸・二の丸などの曲輪や、土塁、堀
などが良好な状態で残存している。平時の居館などがあったと思われる平地
部分には「御座敷」の字名が残る。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
平成24年2月12日、静岡県伊豆の国市にある韮山城趾に行ってきました。
韮山城は北条早雲ゆかりの城で、北条氏の躍進の拠点となった城です。

ちょっとした山ですが、歩道はちゃんと整備されていて、歩いて10分も
かからずに山頂に着きます。

韮山城3.jpg

本丸跡は特に城跡の碑があるわけでもなく、山頂広場って感じの所でした。

韮山城 本丸.jpg

眼下には韮山高校、その向こう側には天気が良ければ富士山が見えるのかなという
立地です。

韮山城4.jpg

日本の城を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21222307.html

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2014年05月21日

伊豆山神社     (静岡県熱海市)

静岡県熱海市にある伊豆山神社に行ってきました。

<伊豆山神社>
伊豆山神社2.jpg
住所:静岡県熱海市伊豆山上野地708-1
駐車場あり
境内自由

伊豆山神社の創建年代は不明ですが、孝昭天皇の年代という事ですから
紀元前からあったという古社です。
伊豆山神社で有名なのは、源頼朝と北条政子が結ばれたというお話。
石橋山の戦いの時に北条政子は伊豆山神社で頼朝の無事を祈ったそうです。

<頼朝・政子腰掛け岩>
頼朝政子の腰掛け岩.jpg

そんな事もあり伊豆山神社は縁結びの神として、今では多くの参拝客が
訪れます。
境内からの景色も絶景。熱海の綺麗な海が素晴らしいです。

伊豆山神社3.jpg

大河ドラマの舞台
http://rover.seesaa.net/article/112515106.html

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2013年07月24日

対面石 / 頼朝と義経の出逢いの地    (静岡県清水町)

静岡県清水町にある対面石を見に行ってきました。

<対面石>
清水 八幡神社.jpg
住所:静岡県駿東郡清水町八幡39
駐車場あり

<現地解説>
1180年、平家の軍勢が富士川付近まで押し寄せてきたとき、鎌倉にあった
源頼朝はこの地に出陣した。
たまたま奥州からかけつけた弟の義経と対面し、源氏再興の苦心を語り合い、
懐旧の涙にくれたという。
この対面の時、兄弟が腰掛けた二つの石を対面石という。
またこのとき、頼朝が柿の実を食べようとしたところ、渋柿であったので
ねじって傍らに捨てた。すると、後に芽を出し二本の立派な柿の木に成長し、
この二本は幹をからませねじりあっていたので、いつしかねじり柿と土地の
人は呼ぶようになった。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
対面石を見に行ってきました。
静岡県清水町(旧清水市ではありません)にある八幡神社の境内にあります。
本殿裏に対面石と言われる石が二つ。

対面石.jpg

本当にこれがその石なのかどうか、疑ったらきりがありまんので、
そうだという事で、歴史のロマンを感じてきました。

大河ドラマの舞台
http://rover.seesaa.net/article/112515106.html


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2013年02月13日

ペリーロード   (静岡県下田市)

静岡県下田市にあるペリーロードに行っていました。

<ペリーロード>
ペリーロード.jpg
住所:静岡県下田市3−13付近
駐車場なし

下田に上陸したペリーが了仙寺で下田条約を締結する際に通った道です。
現在、了仙寺から下田公園へ向かう平滑川沿いになまこ壁の建物や、昔ながらの雰囲気
を残す建物が並ぶ通りになっており、ペリーロードと呼ばれています。
開国した下田の面影を感じることが出来る通りという感じですね。

ペリーロード2.jpg

ペリーロード3.jpg

ペリーロード4.jpg

日本の古い町並み
http://rover.seesaa.net/article/21960937.html



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2013年02月11日

ペリー上陸記念碑   (静岡県下田市)

静岡県下田市にあるペリー上陸記念碑を見てきました。

<ペリー上陸記念碑>
ペリー上陸の碑.jpg
住所:静岡県下田市三丁目

嘉永七年(1854年)再来したペリーと幕府の間でもたれた日米和親条約の交渉過程で、
開港地として下田港が提示されると、ペリーは調査船を派遣した。
下田港が外洋と接近していて安全に容易に近づけること、船の出入りに便利なことを要求
している目的を完全に満たしている点にペリーは満足した。
条約締結により即時開港となった下田に、ペリー艦隊が次々入港した。そしてペリー艦隊
の乗組員が上陸したのが下田公園下の鼻黒の地であった。ここを上陸記念の地として
「ペリー上陸の碑」が建てられた。

ペリー上陸の碑2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ペリー上陸の碑を見てきました。
浦賀にもペリー上陸の碑がありますが、下田にもありました。
こちらはペリーの胸像が碑になっています。
ペリーは下田港を歓迎したそうですが、後にハリスは下田では日本との
やりとりに不便として、下田には不満を示したそうです。
確かに、交易や通商において、下田は便利な地では無いでしょうからね。


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2013年01月26日

吉田松陰踏海の企ての地   (静岡県下田市)

静岡県下田市にある吉田松陰踏海の企ての地に行ってきました。

<吉田松陰踏海の企ての地>
弁天島 吉田松陰1.jpg
住所:静岡県下田市柿崎
駐車場あり

吉田松陰は1854年にペリーが日米和親条約締結の為に再航した際に、金子重輔と二人で伊豆下田港に
停泊中のポーハタン号へ赴き、乗船して密航を訴えるが拒否されるという事件がおきました。
吉田松陰と金子は、柿崎弁天島の祠に身を隠し、夜になって小舟でポーハタン号へ向かったという事です。

現地には吉田松陰と弟子の金子重輔の像がたっています。
弁天島 吉田松陰2.jpg

現在の下田港です。
弁天島 吉田松陰3.jpg

弁天島 黒船.jpg
よくよく見たら黒船も(^^;

銅像めぐり
http://rover.seesaa.net/article/142026310.html

大河ドラマの舞台
http://rover.seesaa.net/article/112515106.html


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2013年01月15日

爪木崎   (静岡県下田市)

伊豆の爪木崎に水仙を見に行ってきました。

<爪木崎>
爪木崎.jpg
住所:静岡県下田市須崎
駐車場あり(有料:500円)

爪木崎は伊豆半島の東南部にある半島です。
近くには須崎御用邸があり、皇族が訪れる地でもあります。
爪木崎は水仙の群生地で、12月末あから2月上旬まで水仙の花を
楽しむことが出来ます。
今年の冬は以下の期間、水仙祭りが開催されています。
2012年12月20日(木)〜2013年1月31日(木)

平成25年1月13日、15年ぶりに爪木崎に行ってきました。
久しぶりの爪木崎、だいぶ忘れてました。水仙を見て、遊歩道を散歩。
水仙の花はまだ5分咲きくらい。まだまだという感じでしたが、咲いている
場所では、花の良い香りがしていました。

<爪木崎の水仙・平成25年1月13日撮影>
爪木崎の水仙1.jpg

爪木崎の水仙2.jpg

爪木崎の水仙3.jpg

爪木崎の水仙4.jpg

岬・灯台巡り
http://rover.seesaa.net/article/107423997.html



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2012年02月21日

江川邸    (静岡県伊豆の国市)

静岡県伊豆の国市にある江川邸に行ってきました。

<江川邸>
江川邸.jpg
住所:静岡県伊豆の国市韮山韮山1
駐車場あり(無料)
料金:300円

江川家は清和源氏の出とも言われる家柄で、江戸時代には韮山の世襲代官とし
てのこ地にありました。
有名なのはやはり幕末の江川英龍でしょうか。
幕末の政治家で、代官でありながら幕閣への入閣も果たした人物。
西洋砲術を推進し、韮山反射炉も手がけました。

現在の江川邸は1600年前後に建てられたものと言われています。
関ヶ原の戦いあたりの建築とは、驚きです。

江川邸2.jpg

江川邸3.jpg

江川邸5.jpg
重厚な建物。400年以上たってますが、しっかりした建物という
印象です。

また、江川邸は大河ドラマ『篤姫』における今泉島津家、ドラマ『JIN-仁-』
における医学館のロケ地として使われています。
やはりこの建物の雰囲気ゆえの事でしょう。

江川邸6.jpg

江川邸7.jpg

江川英龍は日本で初めてパンを焼いた人という話があり、敷地内
にはパン祖を顕彰する碑が建っていました。

パン祖の碑.jpg

大河ドラマの舞台
http://rover.seesaa.net/article/112515106.html


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2012年02月15日

熱海梅園    (静岡県熱海市)

静岡県熱海市にある熱海梅園に行ってきました。

<熱海梅園>
熱海梅園.jpg
住所:静岡県熱海市梅園町1169-1
駐車場あり(有料)
入園:300円(梅まつり期間のみ。それ以外は無料)

熱海梅園は明治の初め長与専斎という医師が「国民の健康の元をつくるには
温泉と自然に親しむことが一番」と、熱海梅園を開くことを提唱。
1885年に、2.5ヘクタールの山林を切り開いて梅、松、桜、桃、楓、杉、
柿、柳など3000本を植えたのが始まり。
日本一早咲きの梅として珍重され、1〜3月に開催される梅祭他、四季を
通じて見物客が訪れる。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
熱海梅園に行ってきました。
混んでるイメージがあって、なかなか足が向かなかったんですが、今回
初訪問です。
今年は開花が遅れているというニュースは聞いていたんですが、行く
時のバスで聞いたところ、1ヶ月遅れているそうです。
今年は寒い日が続いたので、こんなところにも影響が出てるんですね。
平成24年2月12日現在、3分咲きくらいという感じでした。

梅まつりの期間中、園内にある澤田政廣美術館が無料で見ることが
出来たりと、300円の入場料に見合う内容であることは間違い無い
のですが、やはり満開の梅が見たかったです。

<熱海梅園・平成24年2月12日撮影>
熱海梅園2.jpg

熱海梅園3.jpg

熱海梅園4.jpg

熱海梅園5.jpg

熱海梅園6.jpg

梅の名所巡り
http://rover.seesaa.net/article/13842621.html


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2012年02月14日

熱海桜     (静岡県熱海市)

静岡県熱海市の熱海桜を見に行ってきました。

<熱海桜>
熱海桜1.jpg
住所:静岡県熱海市中央町
駐車場(コインパーク等利用)

熱海の桜は明治4年頃、イタリア人によってレモン・ナツメヤシとともに
もたらされたものだそうです。
日本一の早咲きという事で、1月下旬には開花、2月上旬に見頃となります。
長く咲く品種で約1ヶ月間にわたって見頃が続きます。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
その熱海桜を見るべく、一昨日熱海に行ってきました。
場所は熱海市役所から歩いてすぐの糸川沿い。
車は熱海市役所の所にある有料駐車場(30分100円)に停めて
散策しました。

熱海桜まつりは一昨日の2月12日までという日程だったんですが、
その最終日にまだ2〜3分咲き(>_<)
今年はとにかく遅れているそうです。
今年は寒さが厳しいですからね・・・。

桜まつりは終わりましたが、見頃まではあと1週間くらいかかるのかな
という感じでした。

でもまあ今年初の桜で、早いですが春の気配を感じました。

<熱海桜・平成24年2月12日撮影>
熱海桜2.jpg

熱海桜3.jpg

熱海桜4.jpg

熱海桜6.jpg

熱海桜5.jpg

<桜のある風景>
http://rover.seesaa.net/article/14535679.html


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