2011年12月15日

山中城     (静岡県三島市)

静岡県三島市にある山中城趾に行ってきました。

<山中城趾>
山中城趾1.jpg
住所:静岡県三島市山中新田
駐車場あり(無料)

山中城は文献によると小田原に本城があった北条氏が永禄年間(1558〜1570)
に築城したと伝えられる中世最末期の山城である。
箱根山西麓の標高580mに位置する、自然の要害に囲まれた山城で、北条氏にとって
西方防備の拠点としてきわめて重要視されていたが、1590年3月全国統一を目指す
豊臣秀吉の大軍の前に1日で落城したと伝えられている。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
国道1号線沿い、箱根峠の静岡県側にすこし行ったところに山中城趾は
あります。公園になっていて、とても綺麗に整備されています。
規模は大きく、全部見ようと思うと1時間くらいはかかる規模の大きな
お城。こんな大きなお城ながら、秀吉の大軍の前にあっさり落城したって
いうのですから、すこし意外です。

すりばち曲輪
山中城趾2すりばち曲輪.jpg

山中城趾3すりばち曲輪.jpg

三の丸堀
山中城趾4三の丸堀.jpg

山中城趾5.jpg

山中城趾6.jpg

また城跡のすりばち曲輪付近からは富士山がとても綺麗に見えました。
山中城から見た富士.jpg

日本の城を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21222307.html


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2011年12月13日

松崎の町並み    (静岡県松崎町)

静岡県松崎町のなまこ壁の町並みを散策してきました。

<松崎の町並み>
松崎の町並み.jpg
住所:静岡県賀茂郡松崎町松崎
駐車場あり

伊豆松崎には古き良き時代に建築された「なまこ壁」の住家や土蔵が多く残され
ています。なまこ壁は保温・防湿・防虫、火災・盗難予防の目的で造られた
もので、多額の費用と多くの労力を要しています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
松崎になまこ壁の町並みがあるという事で行ってきました。
伊豆という事で、港町的なところかなと思ったんですが、町並みは
そんな感じではなく、城下町のような雰囲気を感じさせる町でした。
(城下町ではありませんが)
昭和初期までなまこ壁の建物が建てられたそうですが、今はあまり
数は残っていません。
明治の商家中瀬邸が資料館みたいになっています。中瀬家の隣の
駐車場は最初の数時間無料なので、ここに車を停めて散策すると
良いかと思います。

<中瀬邸>
松崎の町並み2.jpg

<松崎の町並み>
松崎の町並み3.jpg

松崎の町並み4.jpg

松崎の町並み5.jpg

日本の古い町並み
http://rover.seesaa.net/article/21960937.html


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2011年12月09日

蛭ヶ小島    (静岡県伊豆の国市)

静岡県伊豆の国市にある蛭ヶ小島に行ってきました。

<蛭ヶ小島>
蛭ヶ小島.jpg
住所:静岡県伊豆の国市四日町17-1
駐車場あり(無料)

<現地解説より>
蛭ヶ小島は平治の乱で敗れた源義朝の嫡子頼朝配流の地と言われている。
1160年、14才でこの地に流された頼朝は1180年34才で旗揚げ、
やがては鎌倉幕府創設を成し遂げることとなるが、配流20年間における
住居跡等の細部は詳らかではない。
しかし、『吾妻鏡』治承4年(1180年)の記事によれば、山木攻め
(頼朝旗揚げ)の頃は、妻政子の父北条時政の館に居住し、館内で挙兵
準備を整えたとある。このことから考えると頼朝は、北条政子と結ばれる
1177年頃までの約17年間をここ蛭ヶ小島ですごしたものと言えよう。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
静岡県伊豆の国市の蛭ヶ小島に行ってきました。
ここは上の解説にもあるように、平治の乱で敗れた源義朝の嫡子頼朝が
配流された場所です。

現在は公園になっており、移築されてきた古民家(頼朝とは関係ない)や、
この地で結婚した事に由来する源頼朝と北条政子の若かりし頃の銅像が
あります。

蛭が小島 頼朝と北条政子像.jpg

平成24年の大河ドラマは平清盛。ゆかりの地という事で先立って記事を
書いてみました。

大河ドラマの舞台
http://rover.seesaa.net/article/112515106.html


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2011年10月30日

若山牧水像    (静岡県伊豆市)

伊豆の土肥温泉にある若山牧水の銅像です。

<若山牧水像>
土肥若山牧水像.jpg
住所:静岡県伊豆市土肥

若山牧水は明治18年宮崎県東郷町に生まれる。
延岡中学校時代から文学に傾倒し牧水と号する。
早稲田大学に進み、様々な人々と文学的交流を深め、
浪漫的な作風の自然主義歌人として人気を博し、歌壇の先頭
に立ち活躍した。
旅と自然の歌、恋の歌ぞして酒の歌を多数詠み一世を風靡する。
牧水は土肥の自然、温泉、人情を好み、大正7年以来延べ100泊
150余の歌を詠む。

土肥若山牧水 歌碑.jpg

碑の歌は大正14年5月宿での作。
「花のころに 来なれて よしと思へりし 土肥に来て見つ その梅の実を」

昭和3年沼津市で若山牧水は亡くなる。

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土肥の松原公園前の橋の麓にある若山牧水の銅像です。
帽子をかぶってちょっとハイカラな雰囲気。
若山牧水は旅と酒が好きという事で、個人的にその生活にあこがれて
います(^^;

群馬の暮坂峠にも銅像がありましたが、土肥にも半身像ですがりりしい
銅像がありました。

銅像めぐり
http://rover.seesaa.net/article/142026310.html


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2011年10月29日

柏谷横穴群     (静岡県函南町)

静岡県函南町にある柏谷横穴群に行ってきました。

<柏谷横穴群>
柏谷横穴群 石碑.jpg
住所:静岡県田方郡函南町柏谷池頭781
駐車場あり(無料)

全体で300基以上が東西600メートル、南北250メートルにわたって
造られたと考えられている静岡県内最大規模の横穴墓群です。
横穴墓は、6世紀末頃から8世紀末頃までの200年間にわたって、お墓
として利用されました。
後半期には新たな横穴は造られず、今まであった横穴墓に追葬が行われ、
最後の頃には火葬骨を納めた例もみられます。
横穴墓が造られている地質は、箱根火山の噴火のときに流れ出た「箱根火山
新期軽石流」と呼ばれる軽石を主体としたもので、加工がしやすい反面
壊れやすいという特徴があります。
昭和51年2月20日に国の史跡に指定され、その後、発見された北伊豆
で一番古い横穴墓が、平成10年に追加指定されました。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
静岡県函南町にある柏谷横穴群に行ってきました。
ここは岩に横穴を掘って墓穴にしたものです。
うちの近くにも吉見百穴という横穴墓群があるので、こういうのは
見慣れています。軽石を主成分とする加工しやすい岩に掘られたもの
で、遠くから見ると、何かの住処かと思ってしまうようなものです。

柏谷横穴群.jpg

柏谷横穴群2.jpg

柏谷横穴群3.jpg

柏谷横穴群4.jpg

柏谷横穴群5.jpg

どうもこういう穴を見ると、戦争のトーチカか何かと勘違いして
しまいます(^^;


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2011年10月07日

三嶋大社    (静岡県三島市)

静岡県三島市の三嶋大社に行ってきました。

<三嶋大社>
三島大社.jpg
住所:静岡県三島市大宮町2−1−5
駐車場あり(有料)
境内自由

三嶋大社の創建は明かでないが、鎌倉時代初期には関東総鎮守として源頼朝
や多くの武将の尊崇を受けた名社である。
一遍聖絵の社頭と現在のそれとではかなり異なり、焼失記録を見ると、1268
年と1296年に焼け、また1744年と1854年の地震で倒壊している。
現在の社殿は1860〜1869年に再建されたものである。

三島大社 山門.jpg

三島大社 社殿.jpg

本殿は流れ造りで切り妻屋根、棟には千木・鰹木をつけている。
祭神は大山祇命、積羽八重事代主神。
伊豆の国一宮として天下のその名を知られた神社。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
三嶋大社に行ってきました。
久しぶりの訪問でした。特に行こうと思ってなかったんですが、
ふと三嶋大社のキンモクセイの事を思い出し立ち寄りました。
三嶋大社のキンモクセイは国指定の天然記念物。一度咲いているところ
を見てみたいと思っていました。

訪問すると、ほのかなキンモクセイの香り。
咲いてました(^-^)

<三嶋大社のキンモクセイ・平成23年10月4日撮影>
三島大社 キンモクセイ1.jpg

三島大社 キンモクセイ2.jpg
ふつうのキンモクセイの花はオレンジ色っぽいんですが、三嶋大社の
キンモクセイは薄い黄色。こんな花ははじめて見ました。
特別な品種なんでしょうね。

神社は鎌倉時代からある古社。伊豆の国一宮です。
境内には源頼朝の伝説も残ります。

<頼朝・北条政子腰掛け岩>
三島大社 頼朝・北条政子腰掛け岩.jpg

<厳島神社>
三島大社 厳島神社.jpg
北条政子の勧請。

<神池>
三島大社 神池.jpg

一之宮めぐり
http://rover.seesaa.net/article/26834634.html

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2011年01月08日

掛川城    (静岡県掛川市)

静岡県掛川市の掛川城に行ってきました。

<掛川城>
掛川城.jpg
住所:静岡県掛川市掛川1138-24
駐車場あり(有料)
時間 9:00〜16:30

掛川城は文明年間(1469〜1486)頃、今川氏の家臣が掛川城
を築いた事に始まります。
1513年頃に現在の位置に移り、今川氏の遠江支配の拠点となりました。
1569年徳川家康がここに立てこもった今川氏真を攻め、長期にわたる
攻防の末、掛川城は開城しました。
家康の支配下に入った掛川城は甲斐武田氏の侵攻を防ぐ拠点になりました。
1590年、豊臣秀吉は天下統一うぃ成し遂げ、脅威であった徳川家康
の領地を関東に移しました。さらに家康の旧領地に秀吉配下の大名を
配置し、掛川城には山内一豊が入りました。一豊は大規模な城域の拡張を
行い近世城郭として整備し、この時はじめて天守閣を造りました。
その後、掛川城は松平家、太田家など徳川譜代の大名11家26代の居城
として明治維新まで続きました。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
静岡県掛川市の掛川城に行ってきました。
相当久しぶりの訪問になりました。
掛川駅からほど近いところにあります。駐車場は歩いて数分のところに
大手町駐車場というのがあるので、そこに停めます。
駐車場の近くに大手門。

掛川城大手門.jpg

そこから歩いてすぐで城があります。
美術館があり、そちらとの共通券もありましたが、この日は美術館
が休みという事で、城(二の丸御殿含む)のみの券を購入しました。
階段を上り天守閣へ。天守閣内に展示はありますが、そんなにいろいろ
あるっていう感じでもありません。
天守閣からは掛川市内を一望する事が出来ます。

掛川城からの景色.jpg

二の丸御殿は1861年の建築で国指定の重要文化財です。
掛川城 二の丸御殿.jpg
中も見ることが出来ます。
掛川城 二の丸御殿2.jpg

天守閣は幕末の地震で倒壊。その後再建されませんでしたが、現在の天守は
平成に入ってから再建されたものです。

二の丸御殿はいろいろな映画のロケで使われているそうです。

日本の城を巡る
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大河ドラマの舞台
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平成22年〜23・年末年始の旅
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2010年02月14日

三方原古戦場碑   (静岡県浜松市)

静岡県浜松市の三方原古戦場に行ってきました。

<三方原古戦場の碑>
三方原古戦場碑.jpg
住所:静岡県浜松市北区根洗町784
駐車場あり(無料)

<三方原の戦い>
1572年、徳川家康は武田信玄の上洛を阻止せんと、武田軍およ
そ25000の兵力に対し、徳川軍はおよそ11000の兵力を
もって戦いを挑み、戦闘約2時間といわれるも、結果は大敗に終わっ
た。

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三方原古戦場に行ってきました。
前回行ったのはいつだったかな〜と思って写真のタイムスタンプを
見たら2003年。7年ぶりの訪問になりました。

そのせいもあり、どこにこの碑文があったか分からず、迷いましたが
何とか発見。市営浜松霊園の入り口付近にありました。
碑の筆は徳川宗家18代当主徳川恒孝氏。

三方原の戦いでは家康は馬上脱糞して逃げたという話があるほどの
大敗。こうして考えると家康は死の縁を何度か乗り越えて天下人に
なったもんですねと、しみじみ思うところです。


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2010年02月07日

本興寺   (静岡県湖西市)

静岡県湖西市の本興寺に行ってきました。

<本興寺>
本興寺本堂.jpg
住所:静岡県湖西市鷲津384
駐車場あり(無料)
庭園は300円

1383年、越後本成寺の日陣聖人が東海地方順教の途次、真言宗
薬師堂住持を教化し、寺を法華宗に改め住僧の日乗聖人を開山と
された寺である。
今川氏をはじめ多くの豪族の庇護を受け繁栄。江戸時代には徳川
家康から御朱印地を受け10万石の格式をもって遇され、葵の紋
の使用を許された。
寺域は26000坪、三方を山に囲まれ春は桜、秋は紅葉と四季折々
に趣がある。
本堂は国指定重要文化財。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
湖西市の本興寺に行ってきました。
行くまでどんなお寺か知らなかったのですが、東海地方きっての古刹
で、大寺院だという事が分かりびっくり。
確かに寺域は大きく、門を入ってから本堂まで少し歩きます。

本堂や客殿は茅葺きで、この寺ならではというか独特の雰囲気が
ありました。

<客殿>
本興寺 客殿.jpg

先に本堂を見た後に庭園と建物の中を拝観しました。
庭園は小堀遠州流の庭園。木の雰囲気もあり南国風の感じもする綺麗
な庭園です。

本興寺 庭園1.jpg

本興寺 庭園2.jpg

方丈、大書院には江戸時代の画家谷文晁の水墨画が描かれています。
文晁の間と呼んでいる様です。
写真はダメそうだったので無いのですが、大変すばらしい部屋でした。

時代劇のロケにも使われた事があるそうで、とても雰囲気のある
お寺でした。


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2010年01月20日

東海道舞坂宿  (静岡県浜松市)

静岡県浜松市の東海道舞坂宿を散策してきました。

<東海道舞坂宿>
東海道舞阪宿.jpg
住所:静岡県浜松市西区舞阪町舞阪
駐車場あり(無料)

舞坂宿は1601年の東海道宿駅制度設定に伴い開設された53次の
うち江戸から30番目の宿場町。
1845年の資料では人口1204人、戸数265戸でした。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
東海道舞坂宿を散策してきました。
弁天島の近くで、鳥居もすぐ近くに見ることが出来ます。
東海道の中で、唯一の脇本陣遺構「茗荷屋」が残り、当時の面影
を忍ぶことができます。

東海道舞坂宿脇本陣.jpg

東海道舞坂宿脇本陣2.jpg
脇本陣は無料公開されていて、中では解説員の方が説明をしてくれ
ます。

東海道舞坂宿1.jpg

東海道舞坂宿2.jpg

日本の古い町並み
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東海道五十三次
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2009年12月16日

駿府城   (静岡県静岡市)

静岡市の駿府城に行ってきました。

<駿府城>
駿府城.jpg
住所:静岡県静岡市葵区駿府公園1-1
駐車場無し
資料館と庭園は有料

駿河の国は室町時代、今川範国が駿河国守護職に任じられて以来今川
氏によって治められてきました。9代今川義元の今川氏全盛期の頃、
徳川家康は7歳〜18歳までの間、人質として駿府に暮らしました。
徳川家康は駿府の武田氏を1582年に追放したあと、、1585年
には駿府城の築城を開始し、浜松城から移りました。しかし徳川家康
は1590年に豊臣秀吉により関東に移封され中村一氏が駿府城主に
なりました。
関ヶ原の戦い後、1607年には大御所として再び駿府城へ。
この頃に駿府城は壮大な新城として生まれ変わりました。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
駿府城に行ってきました。前回行ったのはいつだったかな〜と思い
調べてみたら平成17年。4年振りの駿府です。

駿府城は大きな堀に囲まれ、本丸跡は公園になっています。
今ではとてものんびりとした雰囲気です。
本丸跡にある家康像です。

駿府城本丸跡 家康像.jpg
浜松城にある家康像は若き日の家康ですが、駿府は歳をとった家康
像です。鷹狩りの様子を現したものですね。
となりには天然記念物「家康手植えのみかんの木」があります。
天然記念物 家康公手植えのミカン.jpg

ついついこのミカンは誰かが取って食べるのかな〜なんて事を考え
てしまいます(^^;

駿府城2.jpg

駿府城3.jpg

今回は初めて、駿府城の資料館にも入りました。値段安いわりには
内容充実していて良かったです。

駿府 弥次喜多像.jpg
駿府城の堀の傍らにある弥次喜多像。『東海道中膝栗毛』の著者、
十返舎一九が駿府の出身と言うことで、ここに弥次喜多像が造られた
様です。

駿府城 地震で崩れた石垣.jpg
この夏の地震で、石垣が数ヶ所崩れてしまったそうです。
ブルーシートがかけられていました。地震恐るべしです。

日本の城を巡る
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2009年06月29日

柿田川湧水群    (静岡県清水町)

静岡県清水町にある柿田川湧水群(日本名水百選)です。

<柿田川湧水群>
柿田川湧水群.jpg
住所:静岡県駿東郡清水町伏見72-1
駐車場あり(無料)

源は約40キロ北方の富士山に降った雨や雪である。
これが三島溶岩流の間を長い年月(数ヶ月〜数十年)を経てミネラル
を適度に含み、日本有数のすばらしい地下水となりここに湧水して
いる。
水温年間平均15度前後。
湧水量1日100万トン。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
平成17年3月19日、静岡県清水町の柿田川湧水群に行ってきま
した。2回目の訪問です。

富士山を源とする柿田川湧水群。
その湧き出している場所が柿田川公園として整備されています。
清水町というのは、かつての清水市とは別物です。沼津と三島の
間にあります。

柿田川湧水群は見て感動します。

柿田川湧水群2.jpg

柿田川湧水群3.jpg
いたるところから砂を巻き上げるように水が湧いています。
まさに水の湧き出る水源地です。

柿田川湧水群4.jpg
そして、この青々とした水。天気が良い日にはこの様に見えます。
2回見に行きましたが、この水の色は感動しますね。

この柿田川の水は、沼津や三島の水源になっており、沼津市の水道
代はかなり安いという話を聞いたことがあります。
安く、このおいしい水がいただけるなら嬉しい話ですよね(^-^)

日本の名水巡り
http://rover.seesaa.net/article/21971174.html


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2009年06月21日

東海道日坂宿   (静岡県掛川市)

静岡県掛川市の日坂宿に行ってきました。

<日坂宿>
日坂宿.jpg
住所:静岡県掛川市日坂

東海道五十三次の25番目の宿場町です。
東海道の難所のひとつ、小夜の中山を前にした宿場町で、もともと
小さな宿場町だった様です。

小夜の中山は車で走っていく分には箱根や鈴鹿峠みたいないかにも
厳しい感じもしないんですが、徒歩が基本の江戸時代の旅ではここ
も難所だったのでしょう。

国道1号から1本裏に入った通りが東海道日坂宿。
旅籠川坂屋や高札場など、一部に昔ながらの面影を残しています。

日坂宿2.jpg

<川坂屋>
日坂宿 川坂屋.jpg

<高札場>
日坂宿 高札場.jpg

<浮世絵>
日坂宿 浮世絵.jpg

日本の古い町並み
http://rover.seesaa.net/article/21960937.html

東海道五十三次
http://rover.seesaa.net/article/25157365.html

日坂宿

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2009年01月28日

摩訶耶寺   (静岡県浜松市 観光名所)

静岡県浜松市の摩訶耶寺に行ってきました。

<摩訶耶寺>
摩訶耶寺
住所:静岡県浜松市北区三ケ日町摩訶耶421
TEL 053-525-0027
拝観300円
拝観時間 9時〜16時30分

摩訶耶寺は真言宗に属する県下最古の名刹の一つであり、そのはじめ
引佐町奥山の山中にあって真萱堂と称し、平安初期本町宇志の千頭峯
に移されたと伝えられる。
このお寺には1240年頃に作られた庭園があります。
平安末期から鎌倉初期築庭の典型的手法を遺している事が近年認知さ
れ有名になった。
京都の西芳寺の庭園に次ぐ古さの日本屈指の名庭として喧伝されてい
る。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
古庭園があるというので、行ってみました。
鎌倉時代初期の庭園という事で、江戸の大名庭園とは違った
趣がありました。基本的にシンプル。
池を中心に、石をうまく使って、自然の縮図を表した庭園という
事です。あまり知名度の高いお寺ではありませんが、この庭園を
見るために、観光客がチラホラきていました。

<摩訶耶寺庭園>
摩訶耶寺庭園

摩訶耶寺庭園

摩訶耶寺庭園

摩訶耶寺庭園

平成20年冬旅
http://rover.seesaa.net/article/112075386.html

摩訶耶寺

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方広寺    (静岡県浜松市 観光名所)

静岡県浜松市の方広寺に行ってきました。

<方広寺>
方広寺(浜松)
住所:静岡県浜松市北区引佐町奥山1577-1
電話: 053-543-0003
時間 9:00〜17:00
駐車場 駐車場あり(無料)
料金 大人300円、小人150円

1371年、後醍醐天皇の皇子無文元選禅師によって開創された禅寺
で、深奥山方広萬寿禅寺と称します。
60ヘクタールの境内には本堂、半僧坊真殿、三重塔など60余棟
の伽藍を擁する古刹。

<本堂>
方広寺 本堂.jpg
明治38年〜大正7年にかけて建てられた本堂。
間口32メートル、東海屈指の建物。
確かに大きいなと感じます。

<半僧坊神殿>
方広寺 半僧坊真殿
明治14年の大火後再建。鎮守半僧坊大権現をおまもりしています。

<らかんの庭>
方広寺 羅漢の庭
本堂裏にある「らかんの庭」
沢山の羅漢様が鎮座します。

<三重塔>
方広寺 三重塔
大正12年の建築。方広寺の一番高い場所にあり、下から見ても目立つ
建造物です。

<山門>
方広寺 山門

とにかく大きなお寺という印象です。
建物もそうですが、寺域が広い!
寺の参拝ですが、かなり歩きます。
山門をくぐってから、本堂に着くまで、羅漢様の道を歩いて向かい
ます。非常に良い雰囲気です。

「方広寺」って言うと、どうしても京都の方広寺を思い浮かべてしま
いますが、浜松の方広寺も由緒正しい古刹です。
是非参拝してみてください(^-^)

平成20年冬旅
http://rover.seesaa.net/article/112075386.html



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2009年01月19日

宝林寺    (静岡県浜松市 観光名所)

静岡県浜松市の宝林寺に行ってきました。

<宝林寺>
宝林寺仏殿
住所:静岡県浜松市北区細江町中川65-2
駐車場あり(無料)

江戸時代初期、黄檗宗の開祖隠元禅師に従って明の国から日本に
来ていた独湛禅師は1664年、金指近藤二代貞用の招きに応じ、
初山宝林寺を開創した。
以来当寺は金指、気賀両近藤家の菩提寺として栄え、この地方の
黄檗文化の中心となった。
上の写真は仏殿(本堂)で、国指定重要文化財。

<方丈>
宝林寺 方丈
方丈は歴代住職の起居堂で、修行僧との問答の場だったところ。
国指定重要文化財。

<報恩堂>
宝林寺 報恩堂

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
何も下知識なしに宝林寺に行きました。
なのでびっくり。建物が非常に重厚です。本堂の屋根の雰囲気なんか
いかにもって感じ。国宝級かと思ってしまいました。
それだけ良い建物です。

本堂、方丈と重なる様に立派な建物が並び、このお寺が栄えた事が
うかがわれます。

方丈の脇に「金鳴石」という石がありました。
宝林寺 金鳴石.jpg
この石を叩いて願うと金運の御利益があるんだそうです。
宝くじに当たるという石だそうです。
叩くと「キーーーン」っていう、金属の様な音がします。
とても石とは思えません。不思議なものです。

とりあえず、宝くじが当たりますようにとお願い。
して、結果は・・・。年末ジャンボ、あえなく撃沈でした(^^;
願いが足らなかったでしょうか。
今度は宝くじの券を持って願いにいかないとダメかもしれませんね(笑)

平成20年冬旅
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2009年01月18日

岩水寺   (静岡県浜松市 観光名所)

静岡県浜松市の岩水寺に行ってきました。

<岩水寺>
岩水寺
住所:静岡県浜松市浜北区根堅2238
駐車場あり(無料)

岩水寺は約1300年前、行基が開創したという真言宗の寺院です。
本尊は薬師如来。坂上田村麻呂にまつわる話がある子安地蔵は安産
子育てのお地蔵様として信仰をあつめます。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
岩水寺に行ってきました。今回で3回目です。
3回目なんですが、行ってみて、「あ、ここか」っていう感じでし
た。行くまで、かつて2回行った事がある寺って事を思い出せません
でした(印象うすいみたいです)
浜松の北部にあり、結構大きな寺院ではあるんですけどね。

開運の御利益もあるそうで、しっかりと参拝してきました。
今年がいい年であると良いんですが。

平成20年冬旅
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高天神城   (静岡県掛川市 観光名所)

静岡県掛川市の高天神城に行ってきました。

<高天神城>
高天神城
住所:静岡県掛川市下土方
駐車場あり(無料)
見学自由

10年振りに掛川の高天神城に行ってきました。
高天神城は武田と徳川が激しく攻防を繰り広げたお城として知られて
います。
武田信玄は結局この城を落とせず、武田勝頼の代になって高天神城
を攻略しています。しかしその後、再度徳川が奪還。
その際、武田に下っていた孕石元泰が切腹させられています。
孕石元泰は、家康が今川の人質になっていた際、孕石に嫌な思いを
させられた事があり、その報復で切腹させられたという話です。
(家康は執念深い!)

さて、高天神城はちょっとした山城です。
駐車場に車をとめて、山道を登っていきます。
高天神城 上り道
そんなに激しい山登りではないですが、片道10分以上登る事に
なります。山頂が本丸跡です。

高天神城 本丸
石垣や建物などがある訳ではなく、まさに荒城という感じです。

本丸下に石牢があります。
大河内政局石牢
徳川家臣の大河内政局が武田方に捕らえられ監禁された石牢です。

<高天神城からの景色>
高天神城からの景色

高天神城からの景色
高天神城は景色も良いです!

平成20年冬旅
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日本の城を巡る
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高天神城

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2009年01月15日

橘逸勢供養塔    (静岡県袋井市)

静岡県袋井市にある橘逸勢供養塔を見てきました。

<橘逸勢供養塔>
橘逸勢供養塔
住所:静岡県袋井市上山梨815
駐車場あり(無料)

<現地解説>
平安時代初期の役人、能筆家で嵯峨天皇、弘法大師とともに日本三筆
のひとりであり、特に隷書を得意とした。
804年、空海、最澄とともに唐へ渡り、帰国後、朝廷の世継争いで
ある承和の変にかかわり捕らえられ、伊豆の国に流される途中、
板築駅にて病み、月見里で死亡したと伝えられる。
逸勢の娘はこの地に屍を葬り、墓前に庵を結び墓を守ったと言われて
いる。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
袋井名物「たまごふわふわ」を買いに、つじもとというお店に行った
時に偶然発見しました(店の斜め前にあり)
橘逸勢供養塔です。

日本史では三筆のひとりとして登場しますね。
正直、それ以外よく知らないんですが、島流しになっていたのには
驚きました。
しかも、袋井で亡くなって、ここに供養塔があるというのにも驚き
ました。後醍醐天皇の側近、万里小路藤房の墓が秋田にあったのに
も驚きましたが、こちらも意外でした。

用福寺というお寺の一角に供養塔があります。
橘逸勢供養塔

著名人の墓
http://rover.seesaa.net/article/26837973.html

平成20年冬旅
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橘逸勢供養塔

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2009年01月10日

応声教院    (静岡県菊川市 観光名所)

静岡県菊川市の応声教院(おうしょうきょういん)に行ってきました。

<応声教院>
応声教院本堂
住所:静岡県菊川市中内田915
電話:(0537)35-2633
駐車場あり(無料)

応声教院は856年、今から1100余年前に文徳天皇の勅願所と
して開山されました。
当時天台宗でしたが、その後、桜ヶ池に龍身となられた皇円阿闍梨
上人のお弟子、法然上人により南無阿弥陀仏の浄土宗に改宗され、
今日に至ります。
東海初の念仏道場として、栄えたそうです。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
静岡県菊川市の応声教院に行ってきました。
最初の印象は、あまり寺らしい名前じゃないなと。
行ったきっかけは、重要文化財の山門があるという事でした。

<応声教院山門・国指定重要文化財>
応声教院山門
この山門は徳川家光が生母追悼のため建立したものだそうです。
大きくはありませんが、年代を感じる山門です。

お寺本堂は再建の新しいもので、特にこれといった印象は受けませ
んでした。

お地蔵様が気になりました。

<のんべえ地蔵>
応声教院のんべえ地蔵
酒を飲んでおられるお地蔵さんです。
酒に飲まれないように、気をつけたいと思います(^^;

<お茶地蔵>
お茶地蔵
さすがはお茶処菊川。お茶のお地蔵様もいらっしゃいました(^-^)

平成20年冬旅
http://rover.seesaa.net/article/112075386.html

応声教院

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2008年03月02日

河津桜    (静岡県河津町 桜の名所)

静岡県河津町に河津桜を見に行ってきました。

<河津桜>
河津桜


早咲きの桜として全国でも名高い河津の桜を見に行ってきました。
約8000本の桜は、ちょうど見頃を迎えていました。
川沿いに河津桜の並木が続き、菜の花とのコントラストも素晴らしい
です。
ソメイヨシノよりピンクの色が濃く、その分綺麗に見えます。
本当に感動する河津の桜を今日は充分に味わいました。

ただ、名高い名所という事は、当然混みます。
今日は混雑覚悟で出かけました。
もちろん作戦をたてて出陣です。
家を朝3時半に出発。
松屋で朝飯食べて、そのまま関越道へ。
環八、第三京浜、横浜新道、新湘南バイパスを突破。
朝6時に湯河原、河津へは8時前に到着です。
片道200キロ以上あるだけに、我ながら気合いの走行でした。

まだ8時前、どうだと思いましたが、すでに観光客はかなり来て
いました。(まだ駐車場は大丈夫でしたけどね)

10時頃には、すでに道路は大渋滞。駐車場は完全いに満車で
入ることが出来ない車がウロウロという感じでした。
河津だけなら良いですが、車の渋滞はずーっと伸びて、天城峠の方ま
で渋滞なんですから、恐れ入りました。
今回は朝8時に行った僕の作戦勝ちです。

土日に車で行くなら9時前に行くことをおすすめします。
10時だと駐車場が厳しいです。
また、午後から行こうと思ったら、河津まで着くまでが辛いです。
なるべく早く家を出ましょう。

<桜の名所まとめのページはこちら>
http://rover.seesaa.net/article/14535679.html

写真は続きをご覧ください!!

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2008年01月03日

道の駅潮見坂で初日の出  (静岡県湖西市 2008年初日の出)

新年、明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

早速初日の出の記事をアップします。
今年は浜松の中田島砂丘で初日の出を見ようと思い向かっていたの
ですが、途中、湖西市の道の駅潮見坂で気になるポスターを発見!

初日の出潮見坂.jpg
これ見たら、もう中田島砂丘に行く元気が無くなりました。
時間は大晦日22時半。ここで車中泊です。

すでに車中泊の車が20台くらいですかね、来ていました。
僕も紅白を見ながら就寝です。

元日朝5時起床。5時から甘酒が振る舞われるというので、駅構内
へ。始まってました、甘酒。さっそくいただきました。
売店や食堂もこの日は5時から営業開始。ありがたい限りです。

さて、朝5時半位には137台分ある駐車スペースはほぼ満車。
みな出が早いです!

日の出は7時前くらい。まだ早いので車の中で待ち、6時半位に
海岸に出ました。

<日の出前 6時半ころ>
道の駅潮見坂
すでにギャラリーは300〜400人という感じです。


<日の出直前 6時50分ころ>
日の出直前
皆から「おおぉ〜」と歓声!

<日の出 6時55分ころ>
静岡県湖西市 初日の出

あいにく水平線からの日の出ではありませんでしたが、綺麗な初日の
出を見ることが出来ました。

今年も良い年であってほしいものです。

道の駅 潮見坂

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2007年02月10日

東海道丸子宿   (静岡県静岡市 観光名所)

静岡県静岡市、東海道の宿場丸子宿(鞠子宿)を散策してきま
した。

<丸子宿>
鞠子宿
住所:静岡県静岡市駿河区丸子

丸子宿は(鞠子宿とも書きます)東海道五十三次で江戸から20
番目の宿場町です。平安時代の官道蔦の細道に始まり、東海道
の宿場として繁栄した歴史があります。
近くには、今川氏に仕えた連歌師宗長が庵を結んだ吐月峰紫屋寺
や武田・今川の縁の深い丸子城址などがあります。

現在、東海道丸子宿のメインストリートには、当時をしのばせる
建物はあまり残っていないのが残念ですが、とろろ汁の丁子屋の
あたりにはわずかにその気配を感じさせるものがあります。

滋賀・京都紅葉巡りツアー(平成18年秋旅)
http://rover.seesaa.net/article/28834314.html

東海道五十三次
http://rover.seesaa.net/article/25157365.html

東海道丸子宿

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2007年02月09日

誓願寺   (静岡県静岡市 観光名所)

静岡市の誓願寺に行ってきました。

<誓願寺>
誓願寺
住所:静岡県静岡市駿河区丸子5665
駐車場あり(無料)
拝観:300円

<由緒>
誓願寺は建久年間(1190〜1099年)に源頼朝の両親追善
のため建立されたが、天文年間(1532〜55)の丸子城の戦火
で焼失した。しかし、1568年駿府へ進出した武田信玄が
これを惜しんで再建した。
この寺はまた、大阪冬の陣をおこしたいきさつの舞台となった
ところである。
1614年、豊臣家重臣片桐且元は京都方広寺の鐘に刻まれた
「国家安康」の文字について駿府城の家康に申し開きのため
この寺に滞在していた。
しかし、家康には且元の意がくまれず、遂に大阪冬の陣を起こし
続いて1615年大阪夏の陣で豊臣家は滅びてしまう。
境内には子孫の片桐貞昌によって建てられた且元夫妻の墓が
並んでいる。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
静岡市駿河区の誓願寺に行ってきました。
5〜6年前に友達と一緒に行ったことがあったんですが、忘れ
かけていたので、ちょっと立ち寄ってみました。
この寺はなんと言っても大阪冬の陣の舞台のひとつである点が
注目です。片桐且元が滞在し、駿府の家康と交渉したのです。
とは言ってもなかなか会ってもらえず、その間に後からきた
大蔵卿の局が家康と会う事で、尚話しが混乱(家康の策略)す
るという展開になり、大阪の陣へ突入してしまうんですね。
家康恐るべしです。

誓願寺には、そんな歴史的なお話があるとともに、境内には
その片桐且元のお墓もあります。

【片桐且元の墓】
片桐且元の墓

歴史が好きな方にはたまらないお寺かと思います。

著名人の墓
http://rover.seesaa.net/article/26837973.html

滋賀・京都紅葉巡りツアー(平成18年秋旅)
http://rover.seesaa.net/article/28834314.html

[ここに地図が表示されます]


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2007年01月03日

御前崎・平成19年初日の出  (静岡県御前崎市)

静岡県御前崎市の御前崎で初日の出を見てきました。

<御前崎>
御前崎
住所:静岡県御前崎市御前崎
駐車場あり(無料)

御前崎は静岡県最南端の岬です。
江戸時代より、樽廻船・菱垣廻船などの航路となっていた場所ですが、
難破事故も多く、江戸時代に灯台の前身となる行灯型の灯明堂が造られて
いました。
現在の灯台は明治7年の建造物で、日本に残る灯台のなかでも最古級のもの
になります。

そんな御前崎に久しぶりに行ってきました。
ここももう7〜8年ぶりってところでしょうか。
久々に行ったら、前行った時の記憶とは大きく違っていて、初めて来たような
感じでした。
ちなみに今日は初日の出を見に御前崎に来ました。
前日の22時に着き、観光物産市場のなぶら館の駐車場で車中泊。
朝5時の時点で、灯台下の駐車場は満車。なぶら館の駐車場も半分以上
うまっている状況でした。
日の出は午前7時。なぶら館裏の小高い丘から初日の出を眺めました。

<平成19年初日の出>
2007年 初日の出
僕は海には相性良いらしく、海では何度か綺麗な日の出を見ています。
山は逆に全然ダメです。どうなってるんでしょ。
まあ何はともあれ、綺麗な初日の出でした。

今年も良い年でありますように。そう願ってきました。

御前崎で初日の出

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2006年03月28日

清見寺  (静岡県静岡市 梅 桜 観光名所)

静岡県静岡市清水区にある清見寺です。

<清見寺>
清見寺本堂.jpg
住所:静岡県静岡市清水区興津清見寺町
駐車場あり(無料)

<由緒>
天武天皇の時代に鎮護の関寺として創建されたのが始まりとされる古刹。
古来より景色の良さで名高かった。
寺としての基礎の固まったのは鎌倉時代。
のち足利尊氏がこの寺を再興。その後今川家軍師太原雪斎にうよって
妙心寺派の寺として再興。後、徳川家康により焼き払われるが、江戸時代に
再建された。

<ひとこと>
清見寺は旧清水の丘にあるお寺で古来より、清見が原として有名だった
場所に鎮座します。
この辺は気候も温暖で、明治の元老西園寺公望もこの清見寺のすぐ近く
に別荘を構えています。多分清見寺にも訪れたりしたんでしょうね。
清見寺は何度か訪れていますが、今回はふと梅がまだ咲いてるかな〜
と思い立ち寄ってみました。清見寺には家康が植えたという臥龍の梅と
いう梅の銘木があるかたです。
さて、梅はどうだったかというと、もう終了という感じでした。
数輪花が残っているかな〜って程度でした。
そのかわり桜が咲き始めていました。清見寺は桜も綺麗なんだな〜って
初めて知りました。
国道旧1号線沿いにありますので、立ち寄ってみてはいかがでしょう。

<梅の名所まとめのページはこちら>
http://rover.seesaa.net/article/13842621.html

<桜の名所まとめのページはこちら>
http://rover.seesaa.net/article/14535679.html

清見寺

続きをご覧ください。

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2006年02月15日

洞慶院    (静岡県静岡市 梅園 観光名所)

静岡県静岡市、梅の名所である洞慶院です。

<洞慶院>

洞慶院

住所:静岡県静岡市葵区羽鳥1840

駐車場あり

JR静岡駅から静鉄バス藁科線で30分 羽鳥バス停下車徒歩15分

<ひとこと>

梅の名所で知られる静岡市の洞慶院です。

静岡市とは言っても郊外の方で、藁科川を上流にのぼって行った方にあります。

お寺としては、永平寺の末寺として繁栄したお寺の様です。

 

2月下旬から3月中旬にかけて約500本の梅の木が咲き乱れます。

僕も3年前(平成15年)に洞慶院に梅の花を見に行きました。

梅園という形になっていて、非常に綺麗な梅の花を見ることが出来ました。

【洞慶院 梅園】

洞慶院梅園 静岡市 梅の名所

洞慶院梅園 静岡市 梅の名所

洞慶院梅園 静岡市 梅の名所

(洞慶院の梅 おすすめ度 ★★★★)

洞慶院の梅

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2006年02月13日

丸子梅園    (静岡県静岡市 梅園 観光名所)

静岡県静岡市にある梅園です。

<丸子(まりこ)梅園>
丸子梅園.jpg
住所:静岡県静岡市駿河区北丸子2−39−15
駐車場あり
JR静岡駅よりバス(藤枝行き)20分丸子橋入り口バス停歩2分
営業時間 9:30〜16:00
休業日 無休
料金:大人700円 学生400円

約340種800本の梅が咲く静岡の梅の名所です。

<ひとこと>
丸子梅園前を通りかかったところ、もう梅が咲いていたので、以前行った時の
写真をアップしてみました。
ここは東海道丸子宿(鞠子宿、まりこ)にある梅園です。
とろろ汁で有名な丁子屋もこの近くにあります。
梅園は国道1号線のバイパスじゃ無い方沿いにあります。
今回も車で前を通り過ぎながら見たって感じです。
道沿いの急な斜面に色とりどりの梅が咲いています。白梅・紅梅混ざって非常に
綺麗です。

【丸子梅園・平成15年3月2日撮影】
丸子梅園2.jpg

丸子梅園3.jpg

丸子宿観光の名所として、今の時期は是非行ってみた方が良い場所かと思います。

(丸子梅園 おすすめ度 ★★★)
丸子梅園
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2006年02月07日

光長寺    (静岡県沼津市 寺 紅葉 観光名所)

静岡県沼津市の光長寺です。

<光長寺>
光長寺2.jpg
住所:静岡県沼津市岡宮1055
沼津駅からバス根方線光長寺下車歩1分
駐車場あり(無料)

<由緒>
古くは天台宗の寺院で、鎌倉時代に日法により法華宗になり寺の名前も
徳永山光長寺となった。
仁王門は1645年の建立。ここいある金剛力士像は1652年の作である
事が分かっている。山門をくぐると塔頭が並ぶ。
本堂はかつて沼津市内最古の建造物だったが、1963年に現在のコンクリート
造りの建物になった。寺宝も多く、法華教刺繍や曼陀羅図など。

<ひとこと>
沼津の光長寺に立ち寄りました。
山川出版社の『静岡県の歴史散歩』に出ていたので、寄ったって感じです。
行ってみて思ったのは、この寺の前をよく車で走っていた事でした。
にも関わらず、全然気にもとめたことが無かったっていう。
灯台下暗しというのか、なんというのかって感じです。

さて、この光長寺、かつては大寺院であったことをうかがわせます。
塔頭が並ぶ寺院って、大寺院だなって感じますね。京都の寺院などもそうですけど。
【塔頭がならぶ感じ】
光長寺3.jpg

本堂はコンクリート造りで昭和30年代のもの。
新しい建物だとがっかりな気分。
【本堂】
光長寺1.jpg

ちょうど立ち寄った時は紅葉シーズン最終版。
散ったイチョウが地面を埋め尽くしていたりで、それはそれでまた良いものでした。
【紅葉】
光長寺2_紅葉.jpg

光長寺3_紅葉.jpg

紅葉のシーズンに行くと良いかと思います。

(光長寺 おすすめ度 ★★★)
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2006年02月06日

臨済寺    (静岡県静岡市 寺 観光名所)

静岡県静岡市にある徳川家康ゆかりの臨済寺です。

<臨済寺>
臨済寺2.jpg
住所:静岡県静岡市葵区大岩町 7-1
JR静岡駅から安東循環線水落町廻りバス15分・臨済寺前下車、徒歩2分
駐車場あり(無料)
境内自由

<由緒>
今川氏の菩提寺で、今川氏親が出家した子の梅岳承芳(今川義元)のために創建
したお寺。1536年に今川義元の兄氏輝が善得院に葬られると臨済寺と改められた。
この時京都妙心寺から大林宗休が招かれて開山となり、太原雪斎は2世。
雪斎は今川家の軍師であり人質時代の竹千代(後の徳川家康公)は雪斉に教えを受け
多大なる影響を受けました。本堂は国の重要文化財、庭園は国の名勝に指定。

<ひとこと>
ここは今川家の軍師太原雪斎のゆかりのお寺で、家康が幼少の人質時代に、雪斎に
教えを受けた勉学の寺でもあります。
そんな歴史的由緒ある地を訪ねて臨済寺を訪れたのはもう8年位前。
今回は歴史好きの友達と再訪しました。

お寺は本堂が国指定の重要文化財。
【臨済寺本堂】
臨済寺1.jpg

【山門】
臨済寺3.jpg

【太原雪斎の墓】
臨済寺_雪斉の墓.jpg
境内の左脇にある段々状の墓地の上の方に太原雪斎の墓があります。

小学生の時から信長の野望をやり続けてきましたが、今川家でやるといつも思うのは
雪斎がもう少し生きてくれればという事。
実際、太原雪斎があと少し長生きしていれば、桶狭間の信長の勝利は無かったかも。
まあ歴史にタラレバは何ですけどね。
歴史の中にある「もしも」ネタのひとつですね。

(臨済寺 おすすめ度 ★★★★)
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中田島砂丘   (静岡県浜松市 砂丘 観光名所)

静岡県浜松市の中田島砂丘です。

<中田島砂丘>
中田島砂丘.jpg
住所:静岡県浜松市中田島
駐車場:あり(無料・夜になると封鎖されます)
浜松駅からバス中田島行き15分

<中田島砂丘とは>
鳥取砂丘と並ぶ日本屈指の砂丘。
東西4キロ、南北600メートルにわたって砂丘が広がり、風で出来る
風紋も美しい。
初夏から秋にかけてウミガメが産卵のため浜に来ることも有名。

<ひとこと>
浜松のシメで中田島砂丘に行って来ました。
ここも来るのは本当に久しぶりでした。
久しぶりに来ましたが、やはりここは凄い!
鳥取砂丘が一番だってのにはかわりあリませんが、2番は間違いなくここです。
入り口から入ると、一面の砂浜が広がっています。
目の前が小高く砂が盛り上がっているので、見渡す限り砂っていう状況です。
小高い丘を越えると海が見えるっていう構図です。

【中田島砂丘の風景】
中田島砂丘2.jpg

中田島砂丘2.jpg

中田島砂丘4.jpg

中田島砂丘夕日.jpg

今回は年賀状用の写真撮影が目的。
友達はここの写真を使ってました。ここで撮った写真にアラビア語の字幕を付けて
中東からの中継の様な年賀状を作成していました。
一見すると、中東の砂漠からの写真に見えなくもないという。

ここはかなり良い場所ですよ!

(中田島砂丘 おすすめ度 ★★★★★)
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2006年02月05日

浜松八幡宮  (静岡県浜松市 神社 観光名所)

静岡県浜松市の浜松八幡宮です。

<浜松八幡宮>
浜松八幡宮1.jpg

浜松八幡宮2.jpg
住所:静岡県浜松市八幡町1
駐車場あり(無料)
拝観自由
遠州鉄道電車「八幡」駅から東へ徒歩3分

<由緒>
1570年、徳川家康が岡崎より浜松に入城した時、源義家の東征祈願の由緒があり、更に
鬼門鎮守の氏神として信仰が厚く1586年駿府に移るまでここを祈願所として数度参拝して
武運長久を祈ったと伝えられている。
更に1572年、三方が原の戦いに敗れた家康は天林寺に入り、義俊和尚が案内して浜松
八幡宮に入り「楠」の洞穴に潜み、甲州勢の追っ手を逃れました。
1603年家康が征夷大将軍になると朱印50石を与えられました。明治維新後は郷社に
列せられています。

<ひとこと>
浜松散策で立ち寄った神社です。
何でも、「浜の松」なる松が昔あったそうで、それが「浜松」の地名の由来になった
由緒ある神社だそうです。

境内に大きな楠があります。
雲立楠と言う楠です。
【雲立楠・静岡県指定天然記念物】
浜松八幡宮雲立楠.jpg
楠の巨木で地上1.5メートルの幹周り13m、根本まわり14m。
枝張東西21m、南北23m。幹の下部に巨大な空洞がある。
1051年源義家が浜松八幡宮に参拝のおり、樹下に旗をたてたとの伝承から「御旗楠」
と称された。1572年には家康が武田軍の追ってをかわし、その時に瑞雲が立ち上がった
との故事から「雲立楠」と称させるようになった。(現地看板)

家康が楠の窪みにかくれたとの事なんですが、こんな所に隠れていてもすぐ見つかり
そうだと思ってしまうのは僕だけかな・・。
かくれんぼでもちょっと隠れなさそうな場所です(^^;

ここ浜松八幡宮は結婚式場としても有名な様です。
ちょうど訪問したときにも結婚式が行われていました。

(浜松八幡宮 おすすめ度 ★★★)
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浜松城    (静岡県浜松市 城 観光名所)

静岡県浜松市の浜松城です。

<浜松城>
浜松城.jpg
住所:静岡県浜松市元城町100−2
駐車場あり(有料・30分100円だったかな・・)
入城料:150円
時間:8:30〜16:30

<浜松城について>
室町時代に築城された引馬城を1568年に徳川家康が拡張して浜松城とした
もの。1570年に家康入城。
引馬城を米倉として取り入れ、南北500メートル、東西450メートル、本丸・二の丸
三の丸がわずかな高低をもち階段状に並ぶ梯郭式とよばれるものだった。
1680年に大風で天守閣が破損。明治維新後廃城。
現在は1958年再建の天守に浜松城の資料館が入っている。

<ひとこと>
実は浜松城に行くのは今回が初。全国の城を巡ってきたんですが、ここはスポットで
残っていました。
さて、浜松城というと僕が思うところとしては三方が原の戦い。
その舞台っていうイメージが強いですね。
武田信玄の軍勢に完敗。その時に家康が絵師に描かせた情けない姿の絵が印象的です。
家康の人生で、この戦ほど完敗も無いのではという気がします。
この敗戦があって、その後の家康の天下取りにつながるんでしょうけどね。

城に入ると、まず若き日の家康像という銘の像があります。
【若き日の徳川家康像】
浜松城徳川家康像.jpg
城は資料館になっており、浜松城や三方が原の戦いに関する事などが展示されています。
もちろん、敗戦時に描かせた家康の絵もあります。
家康の石膏像もありました。
【家康石膏像】
浜松城徳川家康石膏.jpg
城からの眺望は、アクトシティ方面が網がかかっていていまいちなのが残念です。
【城からの眺望】
浜松城より.jpg

浜松城より2.jpg

【浜松城地下井戸】
地下井戸
(浜松城 おすすめ度 ★★★)
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2006年02月04日

久能山東照宮   (静岡県静岡市 神社 観光名所)

静岡県静岡市、徳川家康ゆかりの久能山東照宮です。

<久能山東照宮>
山2.jpg
住所:静岡県 静岡市清水区根古屋390
拝観自由
駐車場あり(日本平駐車場)
駐車場からロープウェイ
日本平ロープウェイのHP
1159段の階段で登るルートもあるらしい。

<由緒>
平安時代に久能寺が建てられたのが始まりで、後に武田信玄が侵攻し、久能山城を築城。
武田家が滅んだあとは、徳川家の所領に。久能山城は廃止となり、東照宮の神殿として
造営される。
社殿(国指定重要文化財)、他に唐門、神庫、神楽殿なども国指定の重要文化財です。
【久能山東照宮唐門】
山1.jpg

<ひとこと>
写真のタイムスタンプを見たら、平成11年に撮影したものでした。
もう7年前か〜、確かに記憶がうすれてきている。
日本平からロープウェイに乗って久能山に向かう。久能山はいつも国道150号線
から見上げている場所。実際に登ったのはこの1回きりです。
久能山東照宮は徳川家康の遺骨が慰霊された場所。家康の遺言によって1年間ここ
久能山東照宮におり、その後川越の東照宮経由で日光東照宮に移ります。
久能山から日光を囲う関八州を守るという家康の遺言によるものです。
久能山東照宮の額文字は後水尾天皇の筆(写真なし・・・)
また、東照宮からは国道150号線のいちごハウスなどが見下ろせ、非常に景色が
良いです(これも写真なし・・・)

だいぶ忘れてきているので、またいつか再訪したいところです。

久能山東照宮.jpg

家康廟
神廟(家康廟).jpg

著名人の墓
http://rover.seesaa.net/article/26837973.html


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日本平   (静岡県静岡市 展望スポット 観光名所)

静岡県静岡市にある日本平です。

<日本平>
日本平.jpg
住所:静岡県 静岡市清水区 草薙 597
駐車場あり(無料)

<日本平について>
静岡市清水区(旧清水市)の有度山山頂に開けた展望スポットが日本平です(国指定名勝)
かつて日本武尊が東征のおり、ここから日本を見渡したという伝説からこの名前が
ついたそうです。

<ひとこと>
天気も良かったので、富士山の名展望スポットである日本平に立ち寄りました。
ここに来るのももう何年振りか。かつて有料道路だった登山道路もいつの間にか
無料になっていました。
山頂に着くと巨大な駐車場があり、そこにお土産屋やレストランなどがあります。
その傍らに展望台があります。
展望台からは、東側の展望が開け富士山を遠望出来ます。
今年はあいにく雪のかぶりがいまいちで、残念でした。
やはり富士山はいい具合に雪がかぶった雰囲気が良いですね。
【日本平より】
日本平1.jpg

日本平2.jpg
【日本平より・平成9年撮影】
日本平1997.jpg

日本平からロープウェイに乗り数分で徳川家康ゆかりの久能山東照宮があります。
日本平と久能山、両方観光してみると良いと思います。



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2006年02月02日

豊積神社   (静岡県由比町 神社 観光名所)

静岡県由比町の豊積神社です。

<豊積神社>
豊積神ミ1.jpg
住所:静岡県庵原郡由比町町屋原185
駐車場 由比宿の駐車場利用

<由緒>
延喜式名帳に「駿河国虚原郡豊積社」とあり、ここの地を町屋原と称するは、古代に
おいて物々交換の市場が営まれたところで、社伝によれば第40代天武天皇の白鳳年間
ここに五穀の神「豊受姫」を祀る豊積神社が創建されたと伝えている。
平安時代に入り木花開耶姫を祀る浅間信仰が広く流布され、791年神主の夢想神託に
より木花開耶姫を祭神とし、豊受姫は稲荷社として境内社に遷宮された。
延暦16年、坂上田村麻呂が東征のおり、豊積神社に戦勝を祈願し、その帰路戦旋報告
に立ち寄ったのが旧正月一日とあって、ここに戦勝祝賀の宴が盛大に催され、大太鼓を
くりだし三日三晩夜を徹して町内をねり歩いた。これが今に伝えられるお太鼓祭りの
起源とされている。(神社看板より)

<ひとこと>
由比宿の西側にひっそりとある神社です。
お太鼓祭りという由緒ある祭りがある様ですが、見た感じだけでは、どこにでも
ある小さな神社でした。
豊積神ミ2.jpg

(豊積神社 おすすめ度 ★★)
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東海道由比宿の町並み  (静岡県由比町 古い町並み 観光名所)

江戸から16番目の宿場町、東海道由比宿を散策しました。

<東海道由比宿>
東海道由比宿1.jpg
住所:静岡県由比町
駐車場あり(無料)

<由比宿>
由比宿は東海道の江戸から16番目の宿場町。
天保年間の記録では、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠32軒が
あり賑わいをみせた宿場だったそうです。
現在は古い建物が点々としている様な感じで、町並みとしては古い町並み!
っていう感じではありませんが、再現された本陣など見所も多い場所です。

<ひとこと>
7〜8年ぶりに由比の町中を散策してきました。
由比といえば、サクラエビなど有名ですが、昔は宿場町として栄えた場所です。
現在、由比宿の見所としては、町並みというより、再現された本陣の公園、広重美術館
、由比正雪の生家と言われる正雪紺屋でしょうか。

【正雪紺屋】
東海道由比宿正雪紺屋.jpg
400年続く染物屋。由比正雪の乱で知られる正雪の生家と言われています。

【東海道広重美術館】
東海道由比宿広重美術館.jpg
安藤広重の作品を中心に展示した美術館。
入館料:500円
開館時間:9時〜17時
美術館前にいつの間にか綺麗な観光案内所みたいなものが出来ました。

【由比の町並み】
東海道由比宿2.jpg

東海道由比宿サンタ.jpg
クリスマス前に行ったので、サンタなどが。
今年はこれが流行なのか、梯子を登るサンタが多く見受けられました(^^)
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2006年01月26日

三保の松原  (静岡県静岡市 日本三大松原 観光名所)

静岡県静岡市、日本三大松原の一つ三保の松原です。

<三保の松原>
三保の松原3.jpg
住所:静岡県静岡市清水区三保
駐車場あり(無料)

福井の気比の松原、佐賀の虹の松原と並び日本三大松原に数えられ
る三保の松原。約5キロに渡る浜に広がる松林と、羽衣伝説の伝わる
羽衣の松などがあります。国指定名勝。

<羽衣伝説とは>
その昔、三保の松原のとある松の枝に美しい衣がかかっていました。
漁夫がそれを取って帰ろうとすると、どこからともなく天女が現れ、それは
私のものなので返して欲しいと言います。それが無いと天に帰れないという
お話です。漁夫は天女の舞を見せる事を条件に羽衣を返すと、天女は喜んで
舞を舞って見せ、やがて霧の彼方に消えていったという事です。
【羽衣の松】
羽衣の松.jpg

<ひとこと>
静岡駅で買った駅弁を食べる場所をどうしようか考えていたんですが、三保の松原
にでも行って食べようと思い、久しぶりに三保の松原に行ってきました。

日本三大松原ってのがあります。ここと福井敦賀の気比の松原、佐賀唐津の虹の松原
です。すべて行きましたが、富士を仰ぎ見るここ三保の松原が僕は一番好きです。

三保の松原2.jpg
平成18年1月、残念ながら富士は見えず。
三保の松原1.jpg
平成9年撮影。背後に富士山が見えます。(この時は35万画素)

海の対岸には伊豆半島の山々が見えます。
日の出スポットしても良い場所なんじゃないかなって思いました。

三保の松原で「清水のお茶」というお茶を発見しました。
羽衣の天女や、サッカーなど清水のイメージを表した缶です。
清水の御茶.jpg



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宇津ノ谷の集落   (静岡県静岡市 古い町並み 観光名所)

静岡県静岡市、古い町並みの残る宇津ノ谷の集落です。

<宇津ノ谷の集落>
宇津ノ谷の集落1.jpg
住所:静岡県静岡市駿河区宇津ノ谷
駐車場:道の駅宇津ノ谷などに駐車

東海道丸子宿(鞠子・まりこ)と岡部宿の間にある集落がここ宇津ノ谷です。
宇津ノ谷の名前は在原業平の『伊勢物語』の中で、主人公が東へ下る途中に「宇津の山に
さしかかった」という様な形で登場します。
この宇津ノ谷には江戸時代の面影を残した集落がひっそりと残っています。

宇津ノ谷の集落2.jpg

宇津ノ谷の集落3.jpg
このアングル、中山道の馬籠宿に似ていると思ったのは僕だけかな??

宇津ノ谷の集落4.jpg
宇津ノ谷の石川家住宅です。
ここは「お羽織屋」と言い、1590年秀吉が小田原の北条氏討伐に際し、
宇津ノ谷で休息し、その際馬の沓を献上し、また戦陣の勝利を示すような
縁起の良い話しをしたので、帰りに立ち寄って与えたのが石川家所蔵の
「お羽織」です。表は紙、裏はカイキ、後に徳川家康もこの羽織を見て
記念に茶碗を与えたという事で、それも保存されているそうです。

小さい集落ですが、古い町並みが残っている場所です。
時間があったら、宇津ノ谷から蔦の細道を歩いて、在原業平の『伊勢物語』の足跡
をたどってみるのも良いかもしれません。

日本の古い町並み
http://rover.seesaa.net/article/21960937.html

[ここに地図が表示されます]


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2006年01月03日

東海道袋井宿   (静岡県袋井市 宿場町 観光名所)

東海道の宿場町袋井宿です。

<東海道 袋井宿>
東海道袋井宿1.jpg
駐車場は特にありません。どこかに停めて散策しましょう。

<ひとこと>
袋井宿は江戸から27番目、京都からも27番目東海道53次の中間の宿場町にな
ります。
町中にも「ここはど真ん中袋井宿」の表示もありました。
袋井の地名は「へそ寺」の異名もある袋井山観福寺からきたものです。
【袋井山観福寺】
袋井山観福寺.jpg
793年創建の古刹です。ただ、現在の本堂は再建したもので、かなり新しそうです。

袋井宿の町並みを散策しましたが、あいにく袋井には昔を思わせる古い町並みは存在し
ませんでした。
昔を思わせるものとしては、本陣跡の門と、寛政年間の常夜灯くらいでしょうか。
【袋井宿 本陣跡】
東海道袋井宿本陣跡.jpg

【袋井宿常夜灯 寛政12年】
東海道袋井宿寛政年間の常夜灯.jpg

【現在の袋井宿】
東海道袋井宿町並み.jpg

(東海道袋井宿の町並み おすすめ度 ★★)
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2006年01月02日

許禰神社と木原畷古戦場 (静岡県袋井市 古戦場 観光名所)

静岡県袋井市、許禰神社とその境内にある史跡木原畷古戦場です。

<許禰神社>
許禰神ミ1.jpg
住所:静岡県袋井市木原
駐車場あり(無料)
境内自由

<由緒>
702年、紀伊の国熊野神社を勧請して社を建立。
徳川家康、1600年に旧社領70石を再興し、1605年に神殿を
造営。明治6年に郷社に列する。(神社看板より)

<木原畷古戦場>
1572年、鷲巣の久野城を攻めた武田信玄は浜松城を守る徳川家康と対陣し、
ここ木原に陣をはります。
三方原の戦いの前哨戦として小競り合いが行われ、それが木原畷古戦場です。
許禰神社の境内に古戦場の碑がたっています。
木原畷古戦場1.jpg

<ひとこと>
三方原の戦いの前哨戦木原畷古戦場を見るべく、袋井の許禰神社に行ってきました。
神社はどこにでもありそうな小さな神社。その一角に木原畷古戦場の碑がありました。
またその傍らには家康が腰掛けたという、家康の腰掛け岩がありました。
歴史上の合戦として結構メジャーな三方原の戦いですが、今ではそれを察する場所は
ほとんどありません。三方原自体も、石碑がひとつたっているだけです。
ここも歴史マニアなら行ってみると良いかもという様な場所です。

神社から少し行くと東海道木原一里塚が再現されています。
【木原一理塚】
木原一里塚.jpg

(許禰神社と木原畷古戦場 おすすめ度 ★★)
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事任神社  (静岡県掛川市 一宮 観光名所)

静岡県掛川市、遠江国一宮の事任神社(ことのままじんじゃ)です。

<事任神社>
事任神ミ1.jpg
住所:静岡県掛川市日坂
国道1号線掛川バイパスに最近出来た道の駅「掛川」の裏になります。
道の駅から200メートルくらいかな。
駐車場あり(無料)
拝観自由

<由緒>
創設年代は不明だが、807年坂上田村麻呂の東征の際に建立との言い伝え。
清少納言の『枕草子』に「遠江国に願い事ことのままにかなうありがたき言霊の社あり」
と記載がある事から、それ以前の創建なのは間違いがない様です。
1062年、源頼義が八幡宮を勧請。以来八幡社も併設。
徳川時代になり、朱印100石を賜り保護される。

<ひとこと>
遠江国一宮というと、僕は小国神社だと思っていました。
ふと車を走らせていると遠江国一宮事任神社の看板が有ることに気が付きました。
一宮は制度として定められたものではなく、自然発生的に出来た神社の序列だと認識
しています。よって時代によって一宮も変遷しており、複数存在する場合もあります。
遠江国も小国神社の他にも一宮があったっていう事ですね。
さて、この事任神社本当に一宮かっていうほどひっそり&こじんまりした神社です。
『るるぶ』みたいな観光ガイドに無いのはもちろん、僕が愛用している山川出版の
『静岡県の歴史散歩』にも出ていない。相当にマニアなスポットです。
ただ、由緒を見ていると『枕草子』でも話しが出るなど、昔は栄えた神社なんだなって
いう事が分かります。
小国神社は沢山の参拝客が訪れる大神社ですが、それと対照的なのが印象に残りまし
た。
本殿で参拝をすませると、目の前に住所・氏名を書く参拝記録があったので記入。
珍しいのは何を願いましたかという質問付き。
正直に「株価UP!」と書いて来ました(^^;
来年も良い株式相場でありますように。

あと、こんな時期に紅葉してました。
おそるべき遅さです。異常気象かな??
事任神ミ紅葉.jpg

(事任神社 おすすめ度 ★★)
posted by 南行 at 20:18| Comment(0) | TrackBack(1) | 静岡県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

小夜の中山 夜泣き石 (静岡県掛川市 ??? 観光名所)

静岡県掛川市、不思議な伝説の石「夜泣き石」です。

<小夜の中山 夜泣き石>
小夜の中山夜泣き石1.jpg
住所:静岡県掛川市日坂
国道1号線沿い(厳密には少しそれますが)
駐車場あり

<夜泣き石とは>
西行法師の歌によまれた小夜の中山。
そこにあるのが不思議な伝説の夜泣き石。
昔、妊婦がこの峠で山賊に斬られ、傷口から生まれた赤ん坊を
助けんと妊婦の魂が石にのりうつり助けを求め泣いたそうです。
その泣き声を聞いた近くの寺のお坊さんがかけつけたところ、丸い
石の傍らで妊婦は亡くなっており、赤ん坊も虫の息。
お坊さんは赤ん坊を寺に連れていき育てます。あいにく乳が無いので
水飴で子供を育てたそうです。そこから名物子育飴が出来て、当地の
名物になったそうです。

<ひとこと>
国道1号線を走っていると、「夜泣き石」の標識が目に入ります。
以前何なんだろうと思って立ち寄ってみました。
現地に行くと石がひとつあり、丁重に祀られています。
現地には夜泣き石伝説を説明する掲示板がひとつ。
上に書いた様なお話です。
現地にはお土産屋さんもあり、名物水飴を買うことが出来ます。

興味あったら立ち寄ってみてはいかがでしょうか。国道1号線
から脇にそれて1〜2分。夜泣き石自体は国道1号の脇にあります。
小夜の中山夜泣き石2.jpg

(小夜の中山夜泣き石 おすすめ度 ★★)
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大井川川越遺跡  (静岡県島田市 古い町並み 観光名所)

静岡県島田市、東海道大井の川越に残る史跡、大井川川越遺跡です。

<大井川越遺跡>
大井川越遺跡1.jpg
住所:静岡県島田市河原町1、2丁目
駐車場:島田市博物館駐車場を利用

<大井川越遺跡とは>
大井川は東海道島田宿と金谷宿の間の川で、軍事上の理由から橋が架けられません
でした。大井川は「箱根八里は馬でも越すが越すに越されぬ大井川」と言われる難所
となりました。
川の水量で渡しの料金が変わり、また水量が一定を越えると川止となりました。
川止めになるとどうしてもそこに泊まるしかないので、宿場も発展したという事です。
川止めの水位は5寸(136センチ)だそうです。

<ひとこと>
大井川は駿河の国と遠江の国を分ける川です。軍事的な理由で橋が架けられなかったので
宿場的には逆に発展したんでしょうね。
今は国道や高速など橋があるので快適に越えて行けますが、当時を思うと大変だった
んだろうなと思います。本当に水量は少ない川です。

今回は島田宿側を散策してみました。
国道1号(旧道の方)を走ると、川越遺跡の標識が出ているのでそれに従って走って
いくと大井川の土手の手前に古い町並みが出現します。
本当は島田市博物館で下知識を身につけたいところでしたが、あいにく年末のお休み
中でした。

【島田市博物館】
9時〜17時開館。入館料300円。月曜休館。駐車場あり(無料)
大井川川越を中心に資料を展示しています。

とりあえず町並みを散策してみました。
年末のせいか、人もほとんど居ませんでした。
川合所というところで、川越の事務手続きをしたそうです。
【川合所】
大井川川合所.jpg
川合所は無料で中を見学出来ます。中には川越用の輿などを見ることが出来ます。

当時の宿など復元されたものや、当時のものなどが並び、当時を偲ばせる町並みです。
【大井川越の町並み】
大井川越遺跡2.jpg

大井川越遺跡3.jpg

【現在の大井川橋】
大井川.jpg

旅をしていて毎度思うのは、あてが無い旅でもおおまかなスケジュールが重要だと
いう事。今日この辺まで行っておきたいとかいうくらいで良いんですけどね。
大井の川越みたいに水位でわたれなくなると、宿泊費などもかさみ、まったくスケジュール
がたたなくなってしまいますね。最長で28日間川止めになった事もあるそうです。
幕末に皇女和宮が将軍家茂に嫁ぐおり、京都から東海道を選ばずに中山道ルートにしたの
も大井川があったせいだという話しをいつだったか聞いたことがあります。
まさにむべなるかなという感じですね。

(大井川越遺跡 おすすめ度 ★★★★)
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大井神社    (静岡県島田市 神社 観光名所)

静岡県島田市、東海道島田宿の大井神社です。

<大井神社>
大井神ミ1.jpg
住所:静岡県島田市大井町2316
JR島田駅より徒歩5分
駐車場あり(無料)

<由緒>
島田宿の産土神で、1689年に現地に移し建築されました。
大井川の洪水を鎮め、安産にも御利益があるとか。
江戸時代に島田に嫁いできた人たちの間で、安産を祈願するため帯を奉納する風習が
生まれ、、この帯を神輿行列に従う山伏行列にもたせて披露したことから島田の
帯祭りが始まったとの事です。
帯祭りは日本三奇祭のひとつで3年に1回開催されます。

<ひとこと>
国道1号線を走っていると、日本三奇祭大井神社という看板があるので気になって
いた神社にはじめて行ってきました。
島田宿の守り神という事で、境内は広く由緒ある神社だなと感じました。
日本三奇祭帯祭りは3年に1度開催との事。実は今年10月に開催された様です。
次は2008年ですね。

境内には帯を祭る帯塚などもありました。
【大井神社 帯塚】
大井神ミ帯塚.jpg

(大井神社 おすすめ度 ★★★)
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大慶寺    (静岡県藤枝市 寺 観光名所)

静岡県藤枝市、日蓮ゆかりのお寺大慶寺です。

<大慶寺>
藤枝大慶寺1.jpg
住所:静岡県藤枝市藤枝4−2−7
電話:054−641−1229
拝観自由
駐車場あり(無料)

<由緒>
1252年、日蓮上人が比叡山に遊学のおり当地に立ち寄り、
道圓、妙圓の二人を説法教化し、本尊と毘沙門天像を与えました。
また記念に日蓮自ら松を植えたそうです。
後に道圓、妙圓の夫婦は法華堂を建立しそれが大慶寺のもとになったという
事です。大慶寺は東海道の日蓮ゆかりのお寺として知られます。
建築物としては、庫裡が田沼意次の御殿を移築したものだそうです。

日蓮お手植えの松は現在樹齢700余年。静岡県指定天然記念物になっています。
<久遠の松・天然記念物  日蓮上人お手植え>
久遠の松_日蓮手植の松.jpg

<ひとこと>
東海道藤枝宿にある由緒あるお寺。入るとまず日蓮お手植えと言われる天然記念物、
久遠の松が目に入ります。この松は樹齢700年というだけあって、かなり貫禄が
あります。
本堂は昭和2年の再建。庫裡が田沼意次の御殿を移築したものだそうですが、庫裡は
どれなのかよく分かりませんでした。
藤枝駅からバスで10分ほどのところ。商店街のアーケードの合間にひっそりとあり
ます。看板は出ていますが目立たないので、行くときは注意して看板を探してくだ
さいね。

(大慶寺 おすすめ度 ★★)
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2005年12月22日

静岡市清水区 日の出スポット (初日の出にどうぞ)

静岡県静岡市清水区、駿河健康ランド前の日の出です。

駿河健康ランド前の日の出>
静岡市興津日の出1.jpg
住所:静岡県静岡市清水区興津東町1234
駐車場あり

<ひとこと>
旧清水市ですが、最近合併して静岡市清水区になりました。
その国道1号線沿いにある駿河健康ランド(ホテル)の前で今年平成17年の初日の出
を見ました。
ここ数年初日の出では霧がかかってばかりで不発が多かったのですが、久々に会心の
初日の出を見ることが出来ました。
前日から駿河健康ランドに泊まり込み、朝7時前に外に出て待ちかまえました。
ここは目の前が駿河湾、対岸に山が見えるのですがそこは伊豆の山々です。
なので、水平線からの日の出ではなく、伊豆の山越の日の出になります。
今年は大変綺麗な日の出を見ることが出来ました。
幻想的な海霧も非常に良かったです。

外で待ちかまえたので、かなり寒かったですが、駿河健康ランドに展望レストランみた
いなところもあるので、そこで見れば寒い思いをしなくても良いのかもしれません。

<平成17年初日の出>
静岡市興津日の出2.jpg

静岡市興津海霧1.jpg
海霧はこんな感じです。

静岡市興津.jpg
富士はちょっと死角なんですけど少しだけ見えます。

初日の出にいかがでしょうか。
posted by 南行 at 23:25| Comment(0) | TrackBack(1) | 静岡県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする