2022年09月24日

蓮乗寺で雑賀孫一の墓を参拝  (和歌山県和歌山市)

和歌山市の蓮乗寺で雑賀孫一の墓を参拝しました。

<蓮乗寺>
蓮乗寺.jpg
住所:和歌山県和歌山市平井252−1
駐車場無し
境内自由

<蓮乗寺について>
蓮乗寺2.jpg

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蓮乗寺に行ってきました。
和歌山市郊外にある小さなお寺です。
この寺は戦国時代に雑賀衆の門徒を率いた雑賀孫一の守り本尊が伝来するお寺で
境内に雑賀孫一のお墓があります。

雑賀孫一は雑賀衆の棟梁に引き継がれる名前で、複数の人物を雑賀孫一と呼びます。
ここにあるお墓は鈴木(平井)義兼の墓と言われています。

<雑賀孫一(鈴木義兼)の墓>
蓮乗寺3.jpg

鈴木義兼は1577年の信長による紀州征伐において活躍した雑賀衆猛将です。
鈴木佐大夫の子で、鈴木重秀の兄にあたります。

令和4年夏休み旅 奈良・和歌山
http://rover.seesaa.net/article/490701559.html

著名人の墓
http://rover.seesaa.net/article/26837973.html



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中野城址     (和歌山県和歌山市)

和歌山市にある中野城址に行ってきました。

<中野城址>
中野城址.jpg
住所:和歌山県和歌山市中野21
駐車場無し

<中野城について>
中野城址3.jpg

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中野城址に行ってきました。
中野城は築城時期は不明で貴志教信の城でした。
雑賀衆の支城としての役割を果たし、1577年の織田信長による第1次紀州征伐
の前線基地となりました。
当時の雑賀衆の鉄砲も発掘されたそうです。

googlemapで場所を調べてカーナビにセットして向かいましたが、場所がよく分か
らず少し迷いました。
スーパーセンターオークワ パームシティ和歌山店の店舗裏の駐車場に車を停め見学
しました。駐車場のすぐ脇に碑と説明板がありました。
遺構はまったく残っていません。
城マニア向けの場所という感じです。

中野城址2.jpg

令和4年夏休み旅 奈良・和歌山
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日本の城を巡る
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和歌山城    (和歌山県和歌山市)

和歌山市にある和歌山城に行ってきました。

<和歌山城>
和歌山城.jpg
住所:和歌山県和歌山市一番丁3
駐車場あり(有料)
入場料:天守閣 410円
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
和歌山城に行ってきました。
和歌山城は和歌山市の中心部に位置する標高48.9mの虎伏山山頂に建造され、北部を
流れる紀の川を天然の堀とする。本丸の北側に二の丸が配され、その外に大きく三の
丸が配された、梯郭式平山城です。

1585年、紀州を攻めた秀吉はこの地に築城を命じ、藤堂高虎を奉行として築城され
ました。
その後、桑山重晴や浅野幸長らが改修をすすめ、後に紀州藩主となった徳川頼宣に
よって大規模な改修が行われました。
明治維新後も本丸の天守などが残りましたが、太平洋戦争の空襲で焼失。
現在の天守は1958年に鉄筋コンクリートで再建されたものです。

前回和歌山城を訪問したのが平成9年7月20日なので25年ぶりの訪問です。
25年前には無かった歴史資料館も今回は訪問しました。
RCの再建もの天守ですが、雰囲気は良いですよね。石垣は当時のものでしょうから
こちらの規模は圧巻です。
かなりの大きさを誇る和歌山城の城址公園ですが、最盛期の和歌山城はこの4倍位
の規模があったそうですから、すごいですね。

<和歌山城>
和歌山城7.jpg

和歌山城8.jpg

和歌山城4.jpg

和歌山城6.jpg

和歌山城3.jpg

和歌山城2.jpg

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和歌浦天満宮    (和歌山県和歌山市)

和歌山市にある和歌浦天満宮に行ってきました。

<和歌浦天満宮>
和歌浦天満宮.jpg
住所:和歌山県和歌山市和歌浦西2丁目1−24
駐車場あり(無料)
境内自由

<和歌浦天満宮について>
和歌浦天満宮4.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
和歌浦天満宮に行ってきました。
康保年間(964〜968)に菅原道真を祀って創建された神社。
関ヶ原の戦い後に入国した浅野幸長が1606年に再興しました。
豪華に装飾された社殿は江戸幕府の大棟梁・平内政信が手がけたもので、
楼門から振り返ると和歌浦を一望出来ます。

令和4年8月12日の朝、和歌山は強い雨。そんな雨の中での和歌浦八幡宮訪問
です。20年ぶりの訪問です。
20年前の訪問時も写真を確認すると曇りだった様で、いまいちぱっとしません。
かなり急な階段をのぼっていくので、雨の中だとちょっとしんどい。
また、上からは和歌浦が綺麗に見えるはずなんですが、雨でいまいち。
そこはちょっと残念でした。

日本全国に菅原道真を祀った天満宮は数多くありますが、江戸時代の林羅山は
ここ和歌浦天満宮、京都の北野天満宮、福岡の太宰府天満宮を日本三大天満宮と
言ったそうです。

<楼門>
和歌浦天満宮2.jpg

<唐門>
和歌浦天満宮3.jpg
この写真だけ20年前の写真です。

<末社の覆屋>
和歌浦天満宮5.jpg

令和4年夏休み旅 奈良・和歌山
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2022年09月19日

日前神社・國縣神社を参拝    (和歌山県和歌山市)

和歌山市にある日前神社・國縣神社を参拝しました。

<日前神社・國縣神社>
日前神社2.jpg
住所:和歌山県和歌山市秋月365
駐車場あり(参拝者は無料)
境内自由

<日前神社・國縣神社について>
日本で最も歴史のある神社の一つで、神話と関わりが深い。『日本書紀』に、天照
大神が岩戸隠れした際、石凝姥命が八咫鏡に先立って鋳造した鏡が日前宮に祀られ
ているとの記述がある。社伝によれば、神武東征の後の神武天皇2年、紀国造家
(紀氏)の祖神である天道根命(あめのみちねのみこと)が、八咫鏡に先立って
鋳造された鏡である日像鏡・日矛鏡を賜り、日像鏡を日前宮の、日矛鏡を國懸宮の
神体としたとしている。

当初は名草郡毛見郷浜宮に祀られ、垂仁天皇16年に現在地に遷座したと伝えら
れている。なお、伊太祁󠄀曽神社の社伝では、元々この地に伊太祁󠄀曽神社があったが、
紀伊国における国譲りの結果、日前神・国懸神が土地を手に入れ、伊太祁󠄀曽神社は
現在地に遷座したとしている。また、日前・國懸両神宮の遷宮前の旧社地には浜宮
神社が鎮座している。

朱鳥元年(686年)には國懸神に奉幣したとの記事がある。『延喜式神名帳』では
名神大社に列し、紀伊国一宮とされた。中世には、熊野詣での途中で参拝されたと
の記録がある。

天正13年(1585年)に豊臣秀吉に攻め込まれ、社領が没収された。その際社殿が取
り壊され境内が荒廃したが、江戸時代に紀州藩初代藩主徳川頼宣により社殿が再興
された。しかし現在は最盛期の5分の1の広さになっており、社殿や施設などは往時
を忍ぶに及ばない。さらに1919年(大正8年)には国費による改善工事によって
境内の建物はすべて一新されており、旧観は大きく変化している。1926年(大正15
年)3月の工事完成をもって現在の左右対称の姿となった。

1871年(明治4年)、近代社格制度において両宮ともに官幣大社に列せられた。
現在は神社本庁などの包括宗教法人に属さない単立神社となっている。

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日前神社・國縣神社に行ってきました。
2つの神社は同じ敷地内にあり、2つの神社をあわせて日前宮とも言うそうです。

日前神社は日前大神 (ひのくまのおおかみ)
日像鏡(ひがたのかがみ)を神体とします。

國縣神社は國懸大神 (くにかかすのおおかみ)
日矛鏡(ひぼこのかがみ)を神体とします。

神域が非常に広くて、荘厳な雰囲気が漂ってます。
向かって左の日前神社、次に右の國懸神社を参拝してきました。

<日前神社>
日前神社4.jpg

<國縣神社>
日前神社3.jpg

令和4年夏休み旅 奈良・和歌山
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2020年01月05日

友ヶ島       (和歌山県和歌山市)

和歌山の友ヶ島に行ってきました。

<友ヶ島>
友ヶ島.jpg
住所:和歌山県和歌山市加太
交通:加太港より友ヶ島汽船(往復2000円)
友ヶ島汽船駐車場(1回700円)

友ヶ島は紀伊半島と淡路島の間にある島で紀淡海峡を塞ぐ様な形になって
います。
その場所の重要性から明治時代に外国艦隊の大阪湾への進入を防ぐ目的で
砲台が設置されました。その遺構が現在も残っています。
近年は天空の城ラピュタの雰囲気に似ているという事から、神奈川の猿島と
ともにラピュタの島として多くの観光客がその雰囲気を楽しみに来ています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
加太港から友ヶ島汽船で片道20分ほどで友ヶ島に到着します。

02友ヶ島.jpg

友ヶ島の桟橋のところに店が1軒あってコーヒー等売っています。あと自販機
はありますが、食事が出来る様な店はありませんでした。

友ヶ島は結構広くて、全体を見ようと思ったら多分4時間位みておかないと
厳しい感じがします。今回は主要な遺跡が残るエリアを中心に2時間ほどで
巡ってきました。
島は高低差もあり、ちょっとした山登りみたいな感じになるので、ちゃんと
した靴で行かないといけない感じです。

桟橋から西に向かうとまず最初にあるのが第二砲台です。
<第二砲台>
友ヶ島第二砲台.jpg

友ヶ島第二砲台2.jpg

友ヶ島第二砲台3.jpg

友ヶ島第二砲台4.jpg
第二砲台の大きさに驚きました。崩れた煉瓦がそのままの状態で、逆にそれが
歴史を感じさせてくれる様な気がしました。

続きます

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2017年03月15日

慈尊院    (和歌山県九度山町)

九度山にある慈尊院に行ってきました。

<慈尊院>
慈尊院3.jpg
住所:和歌山県伊都郡九度山町慈尊院832
駐車場あり(無料)
境内自由

慈尊院に行ってきました。
慈尊院は816年に嵯峨天皇から賜った地に空海が創建したお寺です。
ここは九度山町の名前の由来になったお寺です。
空海のが空海に会うために高野山を訪れますが、高野山は女人禁制。
そこで、麓にあるこのお寺に滞在。空海は月に9度母を訪ねて来たと
いう事から、このあたりの地名が「九度山」になったとか。
本尊は空海の母が信仰していた弥勒菩薩(国宝)です。

<弥勒堂>
慈尊院 本堂.jpg
国宝弥勒菩薩を安置するお堂です。建物は鎌倉時代の建築だそう
です。

<多宝塔>
慈尊院2.jpg

<弘法大師堂>
慈尊院 弘法大師堂.jpg

<本堂>
慈尊院5.jpg

慈尊院4.jpg

平成28年〜29年 年末年始の旅
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2017年03月01日

真田の抜け穴    (和歌山県九度山町)

九度山にある真田の抜け穴を見に行ってきました。

<真田の抜け穴>
真田の抜け穴2.jpg
住所:和歌山県伊都郡九度山町九度山
駐車場なし

<真田の抜け穴(真田古墳)について>
真田の抜け穴.jpg

真田の抜け穴3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
九度山にある真田の抜け穴を見に行ってきました。
真田の抜け穴というと、真田幸村が造った軍事的な何かか?と思って
しまうところですが、実際は古墳時代の古墳です。
九度山の真田庵の近くにある為、抜け穴説があった様です。

大阪にある三光神社にも大坂城に通じるという抜け穴伝説があります。
各所にこういう伝説地があるんですね。
江戸時代には既に人気があったという真田幸村。歴史の中でいろんな
伝説が作り上げられたんでしょうね。

この抜け穴もそんなひとつかと思われます。

平成28年〜29年 年末年始の旅
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大河ドラマの舞台
http://rover.seesaa.net/article/112515106.html

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2017年02月05日

紀州九度山の町並み   (和歌山県九度山町)

紀州九度山の町を散策してきました。

<九度山の町並み>
九度山の町並み.jpg
住所:和歌山県九度山町九度山
駐車場あり(道の駅九度山に駐車)

九度山は弘法大師空海の母が住んでいた慈尊院があり、空海が月に9度
母に会いに来ていた事から九度山という地名になったそうです。
明治時代になるまで高野山領だったとの事です。
今、九度山と言えば真田昌幸・幸村親子の蟄居の地というのが一番有名
な話ですかね。

そんな九度山の町には昔ながらの雰囲気を感じる建物が残っており、
町並みとしても昔町の趣がありました(^-^)

<九度山の町並み>
九度山の町並み2.jpg

九度山の町並み3.jpg

九度山の町並み4.jpg

九度山の町並み5.jpg

九度山の町並み6.jpg

九度山の町並み7.jpg

平成28年〜29年 年末年始の旅
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日本の古い町並み
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2017年02月03日

真田庵        (和歌山県九度山町)

九度山にある真田庵に行ってきました。

<真田庵>
真田庵.jpg
住所:和歌山県伊都郡九度山町九度山1413
駐車場なし

<真田庵について>
真田庵4.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
12年ぶりに真田庵に行ってきました。
真田庵とよばれるこのお寺は善名称院という真言宗の寺院で、江戸時代
に建立されたものです。

真田庵2.jpg

この善名称院がある場所が、真田昌幸と幸村が関ヶ原の戦い後に蟄居を
していた場所と言われています。
敷地内には、この地で亡くなった真田昌幸のお墓があります。

<真田昌幸の墓>
真田庵 真田昌幸の墓.jpg

前に来たときには無かった真田父子400回忌の石碑です。
真田庵3.jpg
2015年につくられたのかな〜。

入り口の門には真田太平記のポスター。色あせてますが、良いですね〜(^-^)
真田庵5.jpg
草刈正雄氏が若い。

こちらは今回のポスターです。
真田庵6.jpg

大河ドラマ放映という事もあり、真田庵は多くの観光客で賑わっていました。

駐車場はありませんが、近くに町営無料駐車場があります。

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大河ドラマの舞台
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2016年02月17日

樫野崎       (和歌山県串本町)

和歌山県串本町、樫野崎に行ってきました。

<樫野崎>
樫野崎灯台.jpg
住所:和歌山県東牟婁郡串本町樫野埼
駐車場あり(無料)

樫野崎に行ってきました。
樫野崎は紀伊大島の東端にある岬で、ここには日本最初の灯台のひとつである
樫野崎灯台があります。昔から樫野崎沖は船の難所で、多くの船が遭難してきた
場所で、明治23年にはトルコの軍艦エルトゥールル号が沈没し500人以上が
亡くなる大遭難事故が起こっています。

樫野崎の駐車場に車をとめ、エルトゥールル通りという通りを数分歩いて樫野崎
灯台に向かいます。

樫野崎灯台6.jpg
途中には日本とトルコの友好旗も見えました。

トルコ記念館.jpg
こちらはトルコ記念館です。エルトゥールル号の遭難に関する資料などが展示
されています。昨年末、映画『海難1890』が上映された事もあり、僕が行った
時にはその特別展も行われていました。

更に先に進むとエルトゥールル号遭難者慰霊碑があります。
トルコ軍艦慰霊碑.jpg

トルコ軍艦慰霊碑2.jpg
この遭難事件の被災者を大島の住民が助けた事から日本とトルコの友好が深まった
というお話です。この件は日本の歴史の教科書でももっと重要事項として教えるべき
じゃないかなと思います。

ムスタファアミル大統領.jpg
こちらはトルコ初代大統領・ムスタファ・ケマル・アタテュルクの騎馬像です。

その先に樫野崎灯台があります。
樫野崎灯台3.jpg

樫野崎灯台2.jpg

明治3年に作られた日本最古の灯台です。
石造りで、古座川の宇津木石が使われているそうです。

灯台からの景色です。
樫野崎灯台4.jpg

樫野崎灯台5.jpg

今回10年ぶりくらいで紀伊大島に行ってきました。天気も良くおだやかな
海でした。この地は台風の通り道になることが多く、船の難所という事なのですが
この日はそんな事は微塵もかんじられない長閑な景色を堪能しました。

樫野崎でカメラを落としたのが原因か、カメラに埃が入った様で影が映るようになって
しまいました(>_<)
前のカメラもこれで買い換えだっただけに、ちょっとショックです。
また買い換えになりそうです。

平成27年〜28年 年末年始の旅
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岬・灯台巡り
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2016年02月11日

海金剛        (和歌山県串本町)

和歌山県串本町にある海金剛に行ってきました。

<海金剛>
海金剛.jpg
住所:和歌山県東牟婁郡串本町樫野
駐車場あり(無料)

海金剛は紀伊大島の南岸に続く断崖絶壁の海岸です。
「海金剛」の名前は朝鮮半島の名勝金剛山に由来します。
ピラミッド型やドーム型の奇岩が点在し、雄大な景色を楽しむ事が
出来ます。

海金剛3.jpg

昭和58年に朝日新聞社の「21世紀に残したい日本の自然100選」
に選ばれました。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
久しぶりの訪問になった海金剛です。
前に来たときは曇りだったんですが、今回は快晴。海の景色は青空の下だととても
良いですね。青い海がより一層映えます。

海金剛2.jpg

とても穏やかな海ですが、1890年にはこの海でトルコの軍艦エルトゥールル号
が台風で沈没するという事故がおこります。また、それだけでなく、昔からこの地は
船が遭難する場所として有名な場所だそうです。
昨年末に見た映画『海難1890』を思い出しながら海金剛の景色を眺めてきました。

<大きい写真・クリックすると拡大します(クリック後再度クリック)>
海金剛 大.jpg

平成27年〜28年 年末年始の旅
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2016年02月07日

くしもと大橋脇の展望台    (和歌山県串本町)

和歌山県串本町、くしもと大橋脇の展望台に行ってきました。

<くしもと大橋脇の展望台>
くしもと大橋脇の展望台.jpg
住所:和歌山県串本町大島
駐車場あり(無料)

特に展望台の名前があるわけではなさそうだったので、くしもと大橋脇の展望台
という事にしました。
くしもと大橋は、本州と紀伊大島を結ぶ橋で平成11年に竣工しました。
苗我島との間の苗我水道及び本州方面を眺める事が出来ました。

くしもと大橋脇の展望台2.jpg
本州方面。対岸に串本の市街地が見えます。

くしもと大橋脇の展望台3.jpg

くしもと大橋脇の展望台5.jpg
潮岬方面です。

くしもと大橋脇の展望台4.jpg
橋のたもとにあるモニュメント。
右側には和歌山県知事の「四海兄弟」の文字。
左側には串本節の歌詞が書かれています。串本節は紀伊大島を歌ったものです。

<串本節>


平成27年〜28年 年末年始の旅
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高山寺       (和歌山県田辺市)

和歌山県田辺市にある高山寺に行ってきました。

<高山寺>
高山寺.jpg
住所:和歌山県田辺市稲成町392
駐車場あり(無料)
境内自由

<高山寺について>
高山寺の起源は聖徳太子の草創とも、弘法大師が修行中にここに留まったこと
によるとも伝えられます。
1816年建立の多宝塔など多くの歴史的建造物があり、多宝塔の中には鎌倉
時代後期の木造聖徳太子像が安置されています。

高山寺 多宝塔.jpg

高山寺2.jpg

高山寺3.jpg

高山寺墓地には、民俗・博物学者、生物学者南方熊楠、合気道創始者植芝盛平の墓があります。
(山川出版社:和歌山県の歴史散歩より引用)

南方熊楠の墓>
南方熊楠の墓.jpg

植芝盛平の墓>
植芝盛平の墓.jpg
合気道創始者

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
高山寺に行ってきました。
田辺の弘法さんと呼ばれる古刹という事で訪問しました。
田辺の高台に位置する大きなお寺でした。
多宝塔の他にも多くの建物があり、その伽藍の大きさにこの寺の隆盛を感じる
事が出来ます。

また墓地には南方熊楠、植芝盛平らの墓があります。
南方熊楠って田辺の英雄みたいな人物で、すごい人なんだろうなというのは僕の
イメージにもあるんですが、なにぶん何をした人なのかいまいちよく分かって
ません(^^;
特に菌類の研究で有名らしいのですが、その他幅広い分野に精通した博学な人物
だった様です。
僕なんかは和歌山で、南方熊楠の酒なんぞを見た事でこの人物を知った次第です。

合気道の創始者、植芝盛平の事はここで初めて知りました。
この人も田辺出身だったんですね。
著名人2人の墓を参拝出来ました。

暖冬だったせいか、大晦日にもかかわらずまだ紅葉が続いてました。
これもある意味すごい事で。

高山寺4.jpg

高山寺5.jpg

高山寺6.jpg

平成27年〜28年 年末年始の旅
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著名人の墓
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紅葉の名所巡り
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2016年02月05日

潮岬(再)      (和歌山県串本町)

和歌山県串本町、本州最南端潮岬に行ってきました。

<潮岬>
潮岬.jpg
住所:和歌山県東牟婁郡串本町潮岬
駐車場あり(灯台の駐車場は有料)

何年かぶりに潮岬に行ってきました。
前にも記事を書いているので、(再)にしました。
http://rover.seesaa.net/article/102951247.html

潮岬は本州最南端にあたる岬です。
何度か来ている潮岬ですが、今回は会心の青空!
こんな素晴らしい潮岬に来たのは今回が初めでです。一面に広がる青い海にとても
感動しました。

今回は潮岬灯台にも登ってみました。
潮岬灯台.jpg

潮岬灯台2.jpg

灯台から眺める潮岬の風景にまた感動しました。こういう景色を見ると気持ちが
大きくなりますね。良い景色を見ることが出来て良かったです(^-^)

潮岬2.jpg

潮岬3.jpg

潮岬4.jpg

平成27年〜28年 年末年始の旅
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岬・灯台巡り
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2016年02月03日

八幡山城       (和歌山県白浜町)

和歌山県白浜町にある八幡山城に行ってきました。

<八幡山城>
八幡山城4.jpg
住所:和歌山県白浜町矢田
駐車場なし

<八幡山城について>
八幡山城.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
八幡山城は水軍の将として活躍した安宅氏の防衛拠点だった城です。
普段は麓の本城で生活し、緊急事態になるとここ八幡山城に籠もるという城です。

安宅本城跡は何も残ってなくて、今は田んぼの方向を指して看板だけが建っています。
安宅本城跡.jpg

安宅本城の北側の山に八幡山城があります。
ちょっとした登山になります。
片道10〜15分位で山頂の本丸跡に着きます。
八幡山城 本丸.jpg

八幡山城 本丸2.jpg
本丸跡には小さな神社があるだけで、特にこれといった遺構はありません。
本丸跡は木があって、四方を見渡すことが出来ませんが、城に登る途中で景色が良い
ポイントがありました。
八幡山城3.jpg

平成27年〜28年 年末年始の旅
http://rover.seesaa.net/article/432024561.html

日本の城を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21222307.html

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日置の町並み      (和歌山県白浜町)

和歌山県白浜町の日置の町並を散策してきました。

<日置の町並み>
日置の町並み4.jpg
住所:和歌山県西牟婁郡白浜町日置
駐車場無し

日置の町は、日置川の河口に位置し昔から日置川上流で産出した木材を
集積する港町として栄えたそうです。
そんな日置の町には今での往時をしのぶ昔ながらの町並みが残っていま
す。国道から少しそれ、日置の町に入ります。
日置の町中は道幅が狭く、地元の人以外が車で入ったら出られなくなりそう
なほどの道。まさに昔町ラビリンスという様な雰囲気です。
歩いて散策しましたが、とても良い町並みだなと思いました。

<日置の町並み>
日置の町並み.jpg

日置の町並み6.jpg

日置の町並み3.jpg

日置の町並み2.jpg

日置の町並み7.jpg

日置の町並み5.jpg

平成27年〜28年 年末年始の旅
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日本の古い町並み
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2016年01月29日

闘鶏神社       (和歌山県田辺市)

和歌山県田辺市にある闘鶏神社に行ってきました。

<闘鶏神社>
闘鶏神社.jpg
住所:和歌山県田辺市東陽1−1
駐車場あり(有料)
境内自由

<闘鶏神社について>
闘鶏神社2.jpg

闘鶏神社3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
田辺市にある闘鶏神社に行ってきました。
闘鶏神社って気になる名前ですよね。何故闘鶏なんでしょう?
それは以下の故事によるものです。

弁慶 湛増の像2.jpg

この闘鶏によるお告げに従い源氏に味方した湛増の力もあり壇ノ浦の戦いで平家を
破る事が出来たと言われています。
この湛増という人物、弁慶の父と言われている人物ですが、確証は無いそうです。

この故事に基づく弁慶と湛増の銅像が境内にあります。立派な像です。
弁慶 湛増の像.jpg

また境内には弁慶を祀った弁慶社があります。
闘鶏神社 弁慶社.jpg

田辺は弁慶生誕の地。弁慶がらみの史跡のひとつとして闘鶏神社に行ってみると
良いかと思います。

平成27年〜28年 年末年始の旅
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大河ドラマの舞台
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銅像めぐり
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2011年11月05日

徳川家霊台     (和歌山県高野町)

和歌山県高野町にある徳川家霊台に行ってきました。

<徳川家霊台>
徳川家霊台1.jpg
住所:和歌山県伊都郡高野町高野山682
駐車場あり(無料)
入場:200円

徳川家霊台は徳川家光が大壇主となり、寛永9年旧正月二代将軍
秀忠公の死後、十数年の歳月と巨額の費用をかけて寛永20年、恰度、春日局
が亡くなられた年に創建されたものである。
右が家康霊屋
徳川家霊台2.jpg

左を秀忠霊屋
徳川家霊台 秀忠霊屋.jpg

と呼称する三間四面のこの建物は、東照宮形式として高野山に残る唯一の
ものであり、霊場高野に建てられたものとして他所に見ることの出来ない
特異な白木造で四囲の縁に静かな霊廟としての性格を強く打ち出している。
徳川家康公は寅年の生まれであり、守り本尊が薬師如来であるため、右の
家康霊屋を古くは薬師堂と称しており、正面の蛙股彫刻には寅が彫られ、
秀忠霊屋には兎が彫られており、秀忠は卯年の生まれかと思われる。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
高野山にある徳川家霊台に行ってきました。

ちょっとした参道の奥に2棟の建物がありました。
徳川家霊台3.jpg

東照宮形式とありますが、まさに日光東照宮にあるような建物。
そして色合いでした。
家光はこの手の色や雰囲気が好きだったんでしょうかね。
天下の霊場である高野山に家康・秀忠の霊廟を家光が造って、
父・祖父への感謝をしめしたんでしょう。

大河ドラマの舞台
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著名人の墓
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平成23年夏旅
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2011年11月02日

高野山奥の院   (和歌山県高野町)

高野山奥の院に行ってきました。

<高野山奥の院>
住所:和歌山県高野町高野山
駐車場あり
拝観無料

高野山奥の院は高野山の一番奥にあり、高野山信仰の中心地、
奥の院には弘法大師廟があり弘法大師が祀られています。
あいにく弘法大師廟は撮影禁止という事で写真がありません。

奥の院は参道が約2キロにわたって続き、そこには約20万基
とも言われる諸大名・武将などのお墓・慰霊碑などが並びます。
なぜここ名だたる大名や武将などの墓が並ぶのか。
弘法大師の前でともに眠る事に、宗教的な意味合いがあるん
でしょう。

いつか行きたいと思っていましたが、今回初めて行きました。
距離もかなりあるので、奥の院だけで1時間以上はかかります。
時間に余裕をもって行きましょう。

<お江の墓>
01お江の墓(高野山).jpg
浅井三姉妹の三女お江の方の墓です。
一番石と言われ、高野山奥の院で一番大きな墓石だそうです。
織田信長や豊臣秀吉の墓をも圧倒する大きさ。
この墓石を造った徳川忠長の母に対する愛情がここに見て取れますね。

お墓は沢山ありますので、続きをどうぞ。

続きを読む
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2011年09月01日

花山温泉      (和歌山県和歌山市)

和歌山県和歌山市にある花山温泉に行ってきました。

<花山温泉>
花山温泉.jpg
住所:和歌山県和歌山市鳴神574
TEL:073-471-3277 FAX:073-471-6467

阪和自動車道和歌山ICからすぐのところにある温泉です。
1万円以下で泊まれる宿で、温泉の泉質は特筆です。
炭酸泉との事ですが、鉄分が多く含まれ、茶褐色の色をして
います。有馬温泉に近い泉質ですね。
温泉の成分が床にこびりつき、かなり雰囲気があります。
温泉自体は平安時代から続くもので、歴史ある温泉です。

食事は失礼ながらこれっていう特徴はありませんが、ボリュームは
あり、大変満足。
レストランでの食事になるため、19時までに着かないとダメ
との事で、大阪で渋滞にはまった私はあやうく食事にありつけない
危機になりました(^^;

遅れましたが、宿の方の応対も親切で、大変好感が持てました。
またおじゃましたい宿です。

<花山温泉の夕食>
花山温泉2.jpg

花山温泉3.jpg

花山温泉4.jpg

花山温泉5.jpg

平成23年夏旅
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2011年02月26日

根来寺     (和歌山県岩出市)

和歌山県岩出市にある根来寺に行ってきました。

<根来寺>
根来寺光明殿.jpg
住所:和歌山県岩出市根来2286
駐車場あり(無料)
拝観料:500円
拝観時間:夏期 4月〜10月 9:10〜16:30 冬期 11月〜3月 9:10〜16:00

この寺は一乗山大傳法院根来寺と称し、今から1300年の昔に役の
行者が仏法隆昌の場所として葛城28ヶ所の行場として創立し、
その後、寛治年間に最初の寺として豊福寺の名で豊福長者の寄進で
建立され、更に鳥羽上皇の時代、1132年に院宣によって付近
の荘園とともにこの地を興教大師覚ばん上人に下賜され「大傳法院」
が建てられました。

<大傳法院>
根来寺伝法堂.jpg

その後、室町時代には山内の寺院2700以上、領地72万石という
大名並みの勢力となりました。
しかし1585年に豊臣秀吉の紀州征伐によって、大塔と二、三の建物
を残して全山焼失、さらに1623年から徳川家の援助によって復興が
始まり、寛政、文化、文政時代に大改革がすすみ、面目を一新して
今日に至っています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
和歌山の根来寺に行ってきました。ここも久しぶりの訪問です。
根来寺というと、戦国時代に鉄砲を駆使して戦う僧兵の寺という
イメージで、雑賀と並んで屈強なイメージがあります。

戦国期の根来寺の勢力は本当に凄かった様です。
上に書いた現地の解説でも分かるように70万石以上の石高も
誇ったようです。

結局は秀吉に攻められ、焼失。お城の落城って感じですよね。
その戦火でも残ったのがこの根本大塔(国宝です)

根来寺根本大塔.jpg
多宝塔の部類では、日本屈指の大きさかと思います。
正直これより大きい多宝塔はあまり覚えがありません。この根本大塔には
秀吉軍の鉄砲傷も残っているそうです。

<大師堂・国指定重要文化財>
根来寺太子堂.jpg

光明殿の中には中庭の様な庭園もありました。
根来寺庭園.jpg

年末に訪問したので、寺では正月の準備がすすめられていました。
ふと見たらダルマの箱。よくよく見ると産地は高崎・・・(^^;
根来寺でもダルマはやはり高崎産なんですね。ちょっと気になったもので。

平成22年〜23・年末年始の旅
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国宝建造物を巡る
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2011年02月11日

田辺城水門     (和歌山県田辺市)

和歌山県田辺市にある田辺城水門に行ってきました。

<田辺城水門>
田辺城水門 和歌山.jpg
住所:和歌山県田辺市上屋敷3-7
駐車場なし

田辺城は関ヶ原の合戦後、紀伊の国に入国した浅野幸長の執政・浅野
左衛門左氏重によって1606年会津川左岸河口に築城されました。
その後、1619年、紀州藩主徳川頼宣の附家老・安藤帯刀直次が
田辺領主となりましたが、安藤直次は紀州藩の重臣として和歌山城下
に常駐していたため、田辺城には直次の従兄弟・安藤小兵衛を
留守居役として置き、小兵衛家が代々城代家老を務めていました。
明治3年(1870)田辺城は廃城となり、遺構の多くは姿を
消しましたが、埋門型の水門とそれに続く石垣が当時の面影をとどめ
ています。
田辺城水門.jpg

田辺城水門2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
田辺観光の最初に田辺城水門に行ってきました。
田辺に城ってあったかな〜と思いつつ、ガイドに出ている住所の所に
行ってみると、そこにあったのは水門でした。
水門が現在残る田辺城の遺構です。

水門とはいうものの、城らしく石垣も綺麗に残り、往時を偲ばせます。
かつてはどれほどの大きさの城だったか分かりませんが、河口にあること
から海と川を掘の様にして守るそれなりのお城だったんだろうなと
想像しました。

日本の城を巡る
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平成22年〜23・年末年始の旅
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2011年02月08日

三段壁     (和歌山県白浜町)

和歌山県白浜町の三段壁に行ってきました。

<三段壁>
三段壁.jpg
住所:和歌山県西牟婁郡白浜町三段
駐車場あり(無料)

三段壁は湾岸線2キロにわたる巨大な屏風群です。その
絶壁の高さは約35m、最も高いところで41mもあります。
昔、漁師が魚群を見張る場所として「見段壁」と呼んで
いたが、いつのまにか三段壁と呼ばれるようになりました。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
久しぶりに白浜の三段壁に行ってきました。
個人的には白浜の一番の見所と思っています。断崖絶壁で、下を
覗くと足がすくみます。福井の東尋坊にも似た景色かなと。

三段壁2.jpg

三段壁3.jpg
写真だと分かりづらいですが、上の建物の大きさから崖の
高さを想像ください。

今回は前回の訪問では行かなかった三段壁洞窟にも行ってきました。
三段壁洞窟は、三段壁からエレベーターで岩の下に入っていく
不思議な洞窟です。かつては熊野水軍の舟隠し場でもあったそうです。
三段壁洞窟2.jpg

洞窟内には、神社みたいな場所や、水軍のあじとだった様な場所も
残されていました。
三段壁洞窟3.jpg

三段壁洞窟4.jpg

この日は風が強く、波がとにかくすごかった。
洞窟内にも容赦なく波が押し寄せ、すごい状況でした。
ここに流されたら終了って感じがしました。

三段壁洞窟5.jpg



上から見る三段壁も良いですが、洞窟はまだ別の良さがあるの
で両方見ることをおすすめします。

平成22年〜23・年末年始の旅
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千畳敷      (和歌山県白浜町)

和歌山県白浜町の千畳敷に行ってきました。

<千畳敷>
千畳敷 白浜.jpg
住所:和歌山県西牟婁郡白浜町千畳敷
駐車場あり(無料)

千畳敷は太平洋に突き出た広大なスロープ性砂岩です。
このでこぼこの岩畳は第3紀層のやわらかい砂岩が打ち
よせる荒波に長い間浸食されて出来たものです。
三段壁とともに白浜を代表する雄大な景勝地です。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
白浜の景勝地千畳敷に行ってきました。相当昔に1回だけ行ったこと
があり、今回が2回目の訪問です。

柔らかい砂岩の海岸で、洗濯板の様に岩が削られているのが特徴です。
この日はとにかく風が強く、まともに立っていられないほどの状況で
した。荒れた海が印象的でした。
この千畳敷は和歌山県朝日夕陽百選の地に選ばれています。

<千畳敷・平成22年12月31日>
千畳敷 白浜1.jpg

千畳敷 白浜2.jpg

千畳敷 白浜3.jpg

千畳敷 白浜4.jpg

<昔の写真>
千畳敷 白浜5.jpg

千畳敷 白浜6.jpg

平成22年〜23・年末年始の旅
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2008年08月05日

湯浅の町並み   (和歌山県湯浅町 観光名所)

和歌山県湯浅町を散策しました。

<湯浅の町並み>
湯浅の町並み
住所:和歌山県湯浅町湯浅

湯浅は、醤油発祥の地と言われ、江戸時代には大阪に積み出され
湯浅醤油として有名になった。
紀州藩の庇護もあり、大いに栄えたそうです。
明治時代になり、衰退しますが、今でも醤油造りを続けるお店も
あり、往時を偲ぶことが出来ます。
僕は平成18年3月25日に湯浅の町を散策しました。
昔ながらの町並みを歩いて、お土産に湯浅の醤油を買って帰還しま
した。

<湯浅の町並み>
湯浅の町並み

湯浅の町並み

写真が多いので、続きをご覧ください。

日本の古い町並み
http://rover.seesaa.net/article/21960937.html


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2008年07月23日

黒江の町並み   (和歌山県海南市 古い町並み)

和歌山県海南市黒江の町を散策してきました。

<黒江の町並み>
黒江の町並み
住所:和歌山県海南市黒江

黒江は日本四大漆器のひとつ、紀州漆器の産地として江戸時代に
栄えた町です。
そんな昔の雰囲気を感じさせる町並みが残っています。
今まで何度となく国道42号線は走ってきましたが、少し裏にこん
な町並みが残っている事は知りませんでした。

黒江はあまり観光地としてアピールしていないので、とてもひっそり
とした感じがしました。

<黒江の町並み>
黒江の町並み

黒江の町並み

黒江の町並み

黒江の町並み

的矢牡蠣&梅見ツアー(平成20年)
http://rover.seesaa.net/article/101825088.html

日本の古い町並み
http://rover.seesaa.net/article/21960937.html



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2008年07月22日

武蔵坊弁慶像   (和歌山県田辺市)

和歌山県田辺市、紀伊田辺駅前にある弁慶の銅像です。

<弁慶像>
弁慶像
住所:和歌山県田辺市湊

武蔵坊弁慶は源義経の家臣として活躍した人物で、まあいまさら
解説するまでも無いかと思います。

弁慶は謎につつまれた人物で、詳しい素性が分かっていません。
紀州出身と言われますが、その真意のほども不明です。
ただ、和歌山県田辺市は弁慶の出身地という事を観光でアピール
しています。

その関係もあって、紀伊田辺駅前に弁慶の銅像があります。
夜はライトアップされます。

泊まった宿から近かったので、行ってみました。

的矢牡蠣&梅見ツアー(平成20年)
http://rover.seesaa.net/article/101825088.html

弁慶像

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2008年07月14日

潮岬     (和歌山県串本町 観光名所)

和歌山県串本町の潮岬(しおのみさき)に行ってきました。

<潮岬>
潮岬 本州最南端
住所:和歌山県東牟婁郡串本町潮岬
駐車場あり

和歌山県串本町の潮岬に久しぶりに行ってきました。
潮岬は本州最南端に位置する岬です。よく台風中継などで、名前は
耳にする機会があるかと思います。
串本の町から車ですぐで、岬自体が島みたいな感じになってます。

潮岬に行くのは2001年の初日の出以来。久しぶりです。
21世紀の初日の出、どこで見ようかと思ってここで見ました。
懐かしい場所です。

潮岬は断崖絶壁という様な荒々しい風景ではなく、非常におだやか
な感じ、女性的な風景って言いましょうか、そんな感じです。

<潮岬からの風景>
潮岬の風景

潮岬の風景

今回は潮岬灯台にも行ってきました。
潮岬灯台

潮岬灯台は1866年、江戸幕府が締結した江戸条約にもと
づきけんせつが決められたもので、明治3年に完成しました。
その後、明治11年に現在の石造りの灯台に改築されました。

<2001年初日の出>
潮岬の風景日の出

的矢牡蠣&梅見ツアー(平成20年)
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橋杭岩    (和歌山県串本町)

和歌山県串本町にある橋杭岩に行ってきました。

<橋杭岩>
橋杭岩
住所:和歌山県東牟婁郡串本町橋杭
駐車場あり(無料)

その昔、弘法大師が紀州行脚の際、この地に立ち寄り向かいの大島
へ渡るため天邪鬼に手伝わせて橋をかけ始めたが、天邪鬼がくたび
れて鶏の鳴声をまねたので大師も夜が明けたと思って中止し、その
橋杭だけが残ったと言われている。

橋杭岩5.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
橋杭岩には上の様な伝説が残っているそうです。
実際は地質学的な要因でこの岩が出来たことが、解説として書いて
あったんですが、そちらは割愛します。
弘法大師の話の方が旅の話としては面白いですものね(笑)

橋杭岩は国道沿いにあるので僕も今回で3回目。
トイレ休憩も兼ねて立ち寄りました。
久々にゆっくり橋杭岩を見学。

確かに、橋の橋脚みたいにも見えますね。
不思議な感じの岩です。

橋杭岩

橋杭岩

的矢牡蠣&梅見ツアー(平成20年)
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2008年07月13日

捕鯨船史料館   (和歌山県太地町 観光名所)

和歌山県太地町にある捕鯨船史料館に行ってきました。

<捕鯨船史料館>
捕鯨船史料館
住所:和歌山県東牟婁郡太地町常渡
駐車場あり(無料)

和歌山県太地町にある捕鯨船史料館です。
この捕鯨船は昭和31年に極洋捕鯨株式会社(現在の株式会社極洋)が
建造し、昭和52年まで大型クジラを追って何氷洋北氷洋に活躍
した捕鯨船です。
昭和52年のIWCによる厳しい捕鯨制限のため、やむなく船団を
縮小することとなり、廃船として解体される事になったので、
水産庁、運輸省などの協力を得て保存し陸揚げ展示したものです。

中には、捕鯨の道具や歴史などが展示されています。

捕鯨船史料館

エンジンルームもこんな感じで。
昭和30年代って言っても、すごいエンジン作るもんだな〜と関心
しました。

捕鯨船史料館

的矢牡蠣&梅見ツアー(平成20年)
http://rover.seesaa.net/article/101825088.html

捕鯨船資料館

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2008年07月10日

くじらの博物館   (和歌山県太地町)

和歌山県太地町のくじらの博物館に行ってきました。

<くじらの博物館>
くじらの博物館
住所:和歌山県東牟婁郡太地町常渡2934-2
駐車場あり(無料)
料金:大人1050円、小学生630円、幼児(3歳以上)210円(ラッコ館、海洋水族館、捕鯨船資料館と共通)
営業:8:30〜17:00

和歌山県太地町は古式捕鯨発祥の地と言われる町です。
そんな太地の捕鯨の歴史を展示したのがこの「くじらの博物館」
です。
館内にはくじらの骨格や、その他捕鯨に関する資料が展示されて
います。

くじらの骨格

ここだけでも充分に楽しめますが、この施設にはラッコ館や海洋水族館
などが併設されていて、こちらもなかなか見応えありです。
外では、シャチのショーも行われていました。
雨の中でしたが、お客さんも結構来ていました。

くじらの博物館
太地町と言えばクジラ。太地に来たら、外せないスポットですね!
博物館前には、クジラ料理の店も何軒かあるので、料理も堪能したい
ところです。

的矢牡蠣&梅見ツアー(平成20年)
http://rover.seesaa.net/article/101825088.html



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2008年06月26日

熊野速玉大社   (和歌山県新宮市 観光名所)

和歌山県新宮市の熊野速玉大社に行ってきました。

<熊野速玉大社>
熊野速玉大社
住所:和歌山県新宮市新宮1
駐車場あり(無料)
境内自由

熊野速玉大社は景行天皇58年(約2000年前)に熊野三所権現
降臨の元宮「神倉山」から現在地に宮殿を造って遷宮したことから
旧宮の神倉神社に対して「新宮」と号したと言われています。
祭神は熊野速玉男命と熊野夫須美命を中心に十二の柱の神々を祀り、
那智大社、本宮大社とともに全国に祀る数千社の熊野神社の
総本宮として仰がれています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
新宮の熊野速玉大社に行ってきました。
この熊野速玉大社が「新宮」の名前の由来にもなった神社。
新宮市のシンボルみたいなものです。

ここに来るのは今回で2回目。前回来たときは夕暮れで、かなり
薄暗い中参拝した記憶があります。
よって写真も暗めでした。
今回は天気も良く、最高に観光日よりでした。

熊野速玉大社

熊野速玉大社

平重盛お手植えの「なぎの大樹」が境内にあります。
これは国指定の天然記念物に指定されています。
なぎの大樹

熊野三社は歴代天皇の信奉もあつく、熊野御幸が度々行われました。
熊野御幸

平成19年冬旅
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2008年06月25日

丹鶴城     (和歌山県新宮市 観光名所)

和歌山県新宮市の丹鶴城(新宮城)に行ってきました。

<丹鶴城>
丹鶴城
住所:和歌山県新宮市新宮字丹鶴7688-2
駐車場あり(無料)
入場無料

丹鶴城は戦国時代、堀内氏が築いたもの。
堀内氏が関ヶ原の戦いで西軍についたため一時廃城となる。
1618年、場所を熊野川の沿岸に移して再築。
以後、御三家である紀伊徳川家の家老水野氏が城主となり、明治維新
を迎える。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
新宮市の丹鶴城に行ってきました。
三重県側から車で走ってくると、熊野川の反対側に丹鶴城を眺める
事が出来るので、目には入ってましたが行くのは今回が初めてです。

片側が熊野川で、守りには良いお城という感じです。

丹鶴城2.jpg

丹鶴城

小高い場所にあり、新宮市内を眺めることが出来る展望もおすすめ
です!

<丹鶴城からの風景>
丹鶴城からの風景

丹鶴城からの風景


与謝野鉄幹の歌碑がありました。
丹鶴城_与謝野
「高く立ち秋の熊野の海を見て誰ぞ涙すや城のゆふべに」

明治39年に与謝野鉄幹が訪れて詠んだものだそうです。
もの寂しい感じの詩です。

夕暮れではありませんでしたが、年末の寂しさをふと感じました。

<丹鶴城から熊野川を望む・クリックすると拡大します>
丹鶴城から熊野川を望む.jpg

平成19年冬旅
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日本の城を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21222307.html



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2008年06月20日

徐福公園    (和歌山県新宮市 観光名所)

和歌山県新宮市の徐福公園に行ってきました。

<徐福公園>
徐福公園
住所:和歌山県新宮市新宮7178
駐車場あり(無料)
入園無料

徐福は秦の始皇帝の命で、不老不死の薬「天台烏薬」を求めて日本
にやってきた人物です。
新宮に上陸したと伝えられています。
ここ徐福公園は、徳川頼宣が建立した徐福の墓碑を中心に公園とし
て整備されたものです。

徐福公園

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
和歌山県新宮市の徐福公園に行ってきました。
JR新宮駅から歩いてすぐ。
駐車場も無料で完備されています。

中心には徐福の墓碑。
徐福は結局秦の始皇帝の元には戻らなかったという話ですからね。

公園の片隅にはお土産屋さん。
そこで「徐福之精」というお茶を購入しました。

徐福の精
不思議な味です。これで不老長寿になるんでしょうか??(笑)

著名人の墓
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平成19年冬旅
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2008年06月19日

阿須賀神社   (和歌山県新宮市 観光名所)

和歌山県新宮市の阿須賀神社に行ってきました。

<阿須賀神社>
阿須賀神社
住所:和歌山県新宮市阿須賀1-2-25
駐車場あり(無料)
境内自由

阿須賀神社は熊野三所権現と称されて、5代孝昭天皇53年の創祀。
阿須賀神社は、熊野三山に準じ、歴朝目遺族の崇敬殊に深く近郷末社
も多い。東京の飛鳥山は元亨2年豊島景村が当権現を勧請したもの。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
新宮には徐福ゆかりの地が何ヶ所かあります。
そんな1つがこの阿須賀神社です。
徐福は秦の始皇帝の命を受けて、日本に不老不死の薬を求めて来た
人物です。
その徐福が日本に上陸した地点が、この阿須賀神社裏の蓬莱山だと
言われています。
その関係もあって、阿須賀神社の一隅には、徐福の宮があります。

徐福の宮

徐福が日本に来た話は本当なんでしょうけど、謎が多い話だな〜と
思っています。

そんな徐福の足跡のある神社でした。

平成19年冬旅
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2008年06月17日

神倉神社   (和歌山県新宮市 観光名所)

和歌山県新宮市の神倉神社に行ってきました。

<神倉神社>
神倉神社
住所:和歌山県新宮市神倉1-13-8
駐車場あり(無料)
境内自由

60mの絶壁の上のごとびき岩と呼ばれる巨岩が御神体。
熊野権現として有名な熊野速玉大社の摂社である。
熊野三山の主神降臨の霊地、熊野信仰の根本とも申すべき霊所である。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
新宮市の神倉神社に行ってきました。

ここも熊野三山関連の神社という事で、世界遺産の旗がたっており
ました。
先に訪問した浮島の森で、神倉神社の場所を聞いて行きました。
すごく細い道を入っていくので、カーナビでも分かりづらかった
です。

鳥居から神社に入っていくと、ものすごい急な階段が続きます。
神倉神社_急な道

神倉神社_急な道
階段と人の大きさを見てください。
急なうえに、階段の一段一段もすごく段差があります。
正直かなり怯みました。
この神社は歳とったら無理ですね(笑)

その急な階段をヒーヒー言いながら山道を登ると、社殿があります。
社殿の上にはご神体の岩があります。

神倉神社本殿

苦労しただけあって、景色は良好。
新宮市内を一望する事が出来ます。
神倉神社からの景色

すごく良いところではあるんですが、体力が無いと厳しいところだな
と思いました。

平成19年冬旅
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浮島の森    (和歌山県新宮市 観光名所)

和歌山県新宮市の浮島の森に行ってきました。

<浮島の森>
浮島の森
住所:和歌山県新宮市浮島
駐車場あり(無料)
入場料:100円

1927年に国の天然記念物に指定された植物群落。
植物群落の全体が、沼池に浮かぶ泥炭でできた島の上にあることから呼ばれる。泥炭は、古代の植物の残骸からできあがったもの。
国指定天然記念物。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
新宮市の浮島の森に行ってきました。
以前一回行ったんですが、夕方で閉まった後でした。
という事で、今回初チャレンジです。

新宮市の中心部に突如、沼みたいなのがあって、その真ん中に森
の様なものがあります。それが浮島の森です。
構造的には、沼の上に森が浮かんでいる様な感じです。
実際歩くと、ふわふわしている様な感じがします。
正直、あまり歩いていて感慨がわかないんですよね。
学術的には価値の高いもので、解説など見ると「へ〜」と思うん
ですけどね。

浮島の森

浮島の森

浮島の森_解説

平成19年冬旅
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2008年06月16日

補陀洛山寺    (和歌山県那智勝浦町 観光名所)

和歌山県那智勝浦町にある補陀洛山寺(ふだらくさんじ)に行って
きました。

<補陀洛山寺>
補陀洛山寺
住所:和歌山県東牟婁郡那智勝浦町浜ノ宮348
駐車場あり(無料)
境内自由

補陀洛山寺は、仁徳天皇の時代に印度より渡来の裸形上人によって
開かれたと伝えられ那智本願の一寺として隆盛を極めた。
補陀洛山寺は、補陀洛渡海のお寺として知られている。
補陀洛渡海とは、那智の浜のから南海の観音浄土(補陀洛浄土)を
目指して行われた捨て身行で、平安時代から江戸時代にかけて20
数回にわたり補陀洛山寺の僧達が渡海した。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
那智勝浦の国道から那智山に向かう道路の入り口のところに、この
補陀洛山寺があります。

ガイドに出ていたので立ち寄ってみました。
正直、補陀洛渡海という事自体を知りませんでした。
現地の解説でなるほどという感じ。
まあいろんな事をするものだと思いました。
補陀洛船
これがその補陀洛船です。

補陀洛山寺の裏山にひっそりと平維盛の供養塔がありました。
平維盛供養塔
平維盛は平重盛の子で、平家最後の当主です。
こんなところに供養塔があるんですね。

補陀洛山寺も「世界遺産」に指定されています。

著名人の墓
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平成19年冬旅
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那智の滝    (和歌山県那智勝浦町 観光名所)

和歌山県那智勝浦町の那智の滝を見てきました。

<那智の滝>
那智の滝
住所:和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山
駐車場(近隣の有料駐車場利用)

那智の滝は直下133メートル・銚子口の幅は13メートル・
滝壺の深さは10メートル、水量は毎秒1トンと言われます。
宇多天皇をはじめ百十余度の御幸があり、花山法王の千日山ごもり、
また役行者の滝業以来、修験道の道場となりました。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
さて、今回で3回目の那智の滝です。
久しぶりに来ました。
那智の滝は「日本の滝百選」にも選ばれる名瀑です。

那智の滝
この日はやや水量が少なかったでしょうか。
やや水は少ないですが、綺麗な直爆を堪能出来ました。

那智の滝
ここでは、滝自体を神とあがめ、「お瀧」と呼んでいます。
滝の前には鳥居があって、参拝出来る様になっています。

<2011年元日撮影・クリックすると拡大します>
那智の滝2011.jpg

日本の滝巡り
http://rover.seesaa.net/article/25540563.html

平成19年冬旅
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青岸渡寺    (和歌山県那智勝浦町 観光名所)

和歌山県那智勝浦町の青岸渡寺です。

<青岸渡寺>
青岸渡寺
住所:和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山8
駐車場:近隣の有料駐車場を利用

青岸渡寺、熊野那智大社ともに創建年代はよく分かっていないが、
寺伝では仁徳天皇の時代、天竺から渡来した裸形上人による開基と
され、同上人が那智滝の滝壺で得た金製の如意輪観音を本尊として
安置したという。現在の本堂は、豊臣秀吉の再建によるもので国指
定重要文化財。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
熊野那智大社の隣、ほぼ同じ敷地と言っても良い場所にあるのが
この青岸渡寺です。西国三十三札所の1番のお寺です。

青岸渡寺で有名なのは、このポイントじゃないでしょうか。
青岸渡寺_那智の滝
よく旅行雑誌などでもこのアングルの写真使われますね。
青岸渡寺の三重塔と那智の滝の組み合わせです。
この景色、非常に良いですよね。
雑誌や旅行パンフレットによく使われるのもむべなるかなという感じ
です。非常に綺麗!

今回は本堂も中に入って参拝しました。以前来たときには、三重塔の
写真だけとって満足して帰ってしまいましたんで(^^;

延命の水「清浄水」
延命の水という清水です。

平成19年冬旅
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2008年06月15日

熊野那智大社    (和歌山県那智勝浦町 観光名所)

和歌山県那智勝浦町の熊野那智大社に行ってきました。

<熊野那智大社>
熊野那智大社
住所:和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山1
駐車場(近隣の有料駐車場を利用)
境内自由

那智山の信仰の始まりは、神倭磐余彦命が那智の滝を神として
祀られたことに始まり、仁徳天皇の御代にここにお社をお遷しした
事によります。御祭神は熊野十三神であり、御主神は熊野夫須美大神
(伊弉冉尊)です。
熊野速玉大社、熊野本宮大社とともに熊野三山と言います。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
この日泊まった宿が熊野那智大社門前だったので、朝一で熊野那智
大社を参拝しました。
ここに来るのは何年ぶりでしょう。以前来たときはまだ世界遺産に
は指定されてませんでした。
今回は鳥居をくぐるとまず「世界遺産」の石碑が目に入りました。

熊野_世界遺産

熊野もいつの間にか世界の熊野になってました。

僕の中では熊野三山って言うと、日本サッカー協会のマークにも
なっている三本足のカラス「八咫烏」が思い浮かびます。
実際、熊野ではサッカー守りなんていうお守りも売ってるんですけ
どね。

熊野那智大社
こちらが熊野那智大社本殿です。
伊弉冉尊は縁結びの神様でもあります。
良いご縁があれば良いなと、参拝してきました。

熊野那智大社からの風景
熊野那智大社からの風景です。
標高も高いので、非常に良い景色です!

平成19年冬旅
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2008年02月13日

南部梅林    (和歌山県みなべ町 梅の名所)

和歌山県みなべ町の南部梅林に行ってきました。

<南部梅林>
みなべチケット



南部梅林は、「一目百万、香り十里」と称される日本一の梅の里です。
ここ南部梅林、田辺梅林、岩代大梅林は日本でも屈指の梅林として
知られています。

今回は最初田辺梅林に行ったのですが、こちらはまだ咲き始めたばか
りでした。南部はどうかなと思ったのですが、南部は5分咲きくらい。
満開まではまだという感じでしたが、綺麗な梅の花は楽しむ事が出来
ました。

南部梅林は、お土産屋さんが多いですね。
お土産と言っても当然梅製品です。自家製の梅漬けが150円〜20
0円位で売られていて、非常にお得感があります。
僕も梅肉チューブを買ってきました。
早速お昼のお弁当で愛用しています(^-^)

駐車場が狭いので、なるべく早い時間に行った方が良いですね。

梅の名所巡り
http://rover.seesaa.net/article/13842621.html


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2006年03月27日

熊野本宮大社  (和歌山県田辺市 桜 世界遺産 観光名所)

和歌山県田辺市(旧本宮町)にある熊野本宮大社に行ってきました。

<熊野本宮大社>
熊野本宮大ミ1.jpg
住所:和歌山県田辺市本宮町本宮
新宮駅からバスで1時間
駐車場あり(無料)
拝観自由(8時〜17時)
宝物館は300円

<由緒>
熊野詣での終着地として名高い熊野本宮大社。
速玉大社、那智大社とともに熊野三山を構成し、全国熊野信仰の総本宮
の位置をしめる。
崇仁天皇の御代に創建された神社で、現在の社殿は1889年の洪水の際
残った4殿を再建移築したもの。
社殿(国指定重要文化財)、源頼朝奉納の鉄製大湯釜(国指定重要文化財)などがある。

<ひとこと>
熊野は一昨年世界遺産に指定されました。
僕が熊野三山を巡ったのはそうとう昔なので、世界遺産とかそういう話
からは初の散策となりました。
熊野古道を歩いて熊野詣での参拝客も多く、ハイキング風の人の姿も
多く見られました。歩いている人の雰囲気では四国お遍路とはちょっと
違った感じですね。
あいにく本殿は写真撮影禁止でしたので、撮影できませんでしたが、1800年代の建物のわりに重厚感があるものでした。
また、熊野といえば八咫烏(やたがらす)。
八咫烏は熊野神社で神の使いと言われています。
三本足の烏で、それゆえに日本サッカー協会のマークもこの八咫烏です。
足が1本多いので、ゴールするのに有利という話から八咫烏がサッカー
協会のマークになったという話を聞いたことがあります。
今年はW杯なのでサッカーもがんばってほしいところですね。
あと、桜は期待してなかったんですが、行ったら枝垂れ桜の巨木があり
ました。見事に咲いていて、良い感じだな〜と思いました。

<桜の名所まとめのページはこちら>
http://rover.seesaa.net/article/14535679.html



続きをご覧ください。

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2006年03月26日

高畑山桜並木  (和歌山県上富田町 桜の名所)

和歌山県上富田町、桜の名所高畑山です。

<高畑山桜並木>
高畑山の桜並木.jpg
住所:和歌山県上富田町岡1382
駐車場あり(無料)
JR紀伊田辺駅からバスで40分

<ひとこと>
道成寺から熊野本宮に向かい走っていたところ、国道42号線が渋滞。
回避ルートを探して迷い込んだ道で偶然発見したのがここ。
道路沿いに桜並木の旗がパタパタ。ついつい気になり立ち寄りました。
ここ高畑山は八上王子跡で、西行法師が熊野詣での途中に桜の綺麗さに
感動して、八上王子の玉垣に和歌を書き付けた事で有名なんだそうです。
高畑山は名前の通り山で、ちょっとした登山をしながら桜を楽しむ様な
感じの場所です。
僕はさすがに上までいく時間もないので、ふもとの普大寺のあたりまで
散策してきました。
平成18年3月25日現在3分咲きというところでしょうか。

<桜の名所まとめのページはこちら>
http://rover.seesaa.net/article/14535679.html

高畑山桜並木


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道成寺 (和歌山県日高川町 桜 観光名所)

和歌山県日高川町の名刹、桜の名所道成寺です。

<道成寺本堂・重要文化財>
道成寺本堂(重要文化財).jpg
住所:和歌山県日高川町鐘巻1738
JR道成寺駅徒歩7分
駐車場:あり(民間の駐車場かな・・・)

<由緒>
701年に文武天皇勅願所および宮子夫人の祈願所として紀道成によって
建立され、道成寺と名付けられたとされる。
8世紀後半までに大伽藍を誇り隆盛を極める。一端衰退後10世紀に
再び繁栄期を迎え、現在残る諸仏を配置する寺となる。
また、この寺は歌舞伎で知られる安珍・清姫伝説の地でもあり、三重塔の
そばに安珍を埋めたという安珍塚がある。

<ひとこと>
ここも紀三井寺同様10年ぶりに訪問しました。
本当に久しぶりだったんですが、ここの伽藍は良く覚えていました。
ただ、以前来たときと決定的に違うのは見事な桜。
今回はこれが目的だったんですけど、ここの桜はちょうど満開でした。
ここはソメイヨシノではなくエドヒガンサクラなど早咲きのもので、
3月末には満開になっています。
三重塔や本堂も桜をバックにすると非常に良いですね。
「感動!」の一言です。

<桜の名所まとめのページはこちら>
http://rover.seesaa.net/article/14535679.html

道成寺(桜の名所)

続きをご覧ください。

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紀三井寺  (和歌山県和歌山市 桜 日本名水100選 観光名所)

和歌山県和歌山市、紀三井寺に行ってきました。

<紀三井寺>
紀三井寺山門.jpg
住所:和歌山県和歌山市紀三井寺1201
JR紀三井寺駅徒歩10分
駐車場あり(有料)
拝観:9時から
拝観料:50円

<由緒>
紀三井寺は西国33所第2番目の札所で、
「ふるさとを はるばるここに紀三井寺 花の都も 近くなるらん」
のご詠歌で知られます。
今から1200年の昔、唐僧為光上人が仏法弘通のため、この地に
至り風光明媚な名草山に千手十一面観音菩薩の尊像を感得され、ここに
梵宇を建立、自ら一刀三礼して造立された十一面観音菩薩を本願仏と
しておまつりになったのが770年で、以来巡礼の姿織るがごとしと
たとえられ、現在も日夜香煙の絶えることなく、春は早咲きの桜の名所
として多くの文人墨客が訪れ詩歌に絵画に多く残されています。
(紀三井寺のチケットの紹介文より)

<ひとこと>
紀三井寺、行くのはなんと10年ぶり。本当に久しぶり。
今回は早咲きで有名な桜を見ようと行ってきました。
紀三井寺は1200年以上の歴史をほこる古刹。また、境内にある3つの
井戸は日本名水百選に選ばれている名水の地、また桜は和歌山気象台の
開花の標本木になるという桜の名所でもあります。
紀三井寺の駅からいくと、門前のお土産屋を通り抜け山門につきます。
拝観料は50円。寺の由緒の書いたしおりが貰えます。
山門をくぐると階段。結構急です。
紀三井寺の坂には紀伊国屋文左衛門の結婚の話があり、紀伊国屋文左衛門
が母を背負って観音詣でをしている時に、草履の鼻緒が切れ困っている
ところに玉津島神社の宮司の娘が通りかかり、鼻緒をすげかえた縁で結婚
したそうです。

さて、肝心の桜ですが、残念かな、まだ数輪咲いているだけでした。
ちょうどこの日が開花宣言だったのかと思います。
あと1週間おそければ良かったんですが。
ただ、階段の途中に品種が違う桜があり、こちらは綺麗に咲いていました。
(まあ、今回はこれでよしとしましょう)

紀三井寺は急な階段を上り、高い場所にあるので景色も良いです。
和歌山市の観光地では外せない場所ですね。

(紀三井寺 おすすめ度 ★★★★)

<桜の名所まとめのページはこちら>
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写真は続きに

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2005年10月12日

興国寺  (和歌山県由良町 寺社 観光名所)

納豆発祥の話しをしたついでで、醤油の発祥の地も紹介します。

<興国寺>
興国寺_和歌山湯浅2.jpg
住所:和歌山県由良町門前801
国道42号線沿いに看板があるので、そこを曲がるとすぐです。
駐車場あり(無料)

興国寺は1227年に源実朝の菩提を弔うために創建されたお寺。
秀吉の紀州攻めの時に消失したが、浅野幸長により再建される。
この寺は法燈国師が中国から習得してきたという金山寺味噌と、湯浅醤油
の発祥の地として知られています。

<醤油・味噌発祥の地>
興国寺_和歌山湯浅1.jpg

何でも味噌を作る最中に桶の底に沈殿した汁に工夫を加えて作った
ものが醤油との事です。

<筆者より>
国道42号線を走行中に偶然看板を見かけ立ち寄りました。
隣の湯浅町には醤油や金山寺味噌のお店をみかける事が出来ます。
醤油っていうと千葉県野田市かなって思いましたが、和歌山なんですね。
このお寺はそんな由緒もありますが、お寺としても大きいお寺で、梅が
咲く時期が良い時期だと思います。
興国寺_和歌山湯浅3.jpg

(興国寺 おすすめ度 ★★★★)

興国寺(醤油発祥の地)



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