2025年01月18日

安楽律院   (滋賀県大津市)

令和6年10月16日、大津市にある安楽律院に行ってきました。

<安楽律院>
安楽律院9.jpg
住所:滋賀県大津市坂本本町4220
駐車場あり

<安楽律院について>
安楽律院2.jpg

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安楽律院に行ってきました。
今回の旅で絶対行こうと思っていた目的地のひとつです。
ここは、延暦寺横川飯室谷の別所である安楽谷にかつて存在した天台宗安楽律法流
の寺院で、 放火を免れた一部の建物と高僧の墓、藤原定家の碑と爪塚が残っていま
す。

そんな安楽律院は映画『るろうに剣心 伝説の最期編』のロケ地です。
安楽律院.jpg
そのロケ地を見るべくの訪問です。
映画では、安楽律院にある小屋が剣心の師匠である比古清十郎の家として使われて
いました。ただ、その小屋はもうありませんでした(>_<)
まあ雰囲気だけでも楽しめればという事で。

山奥にあるお寺。お堂はありますが、それ以外は朽ちて廃寺院という様な雰囲気。
それがまた良い感じではあります。
安楽律院4.jpg

安楽律院8.jpg

安楽律院6.jpg

安楽律院5.jpg

安楽律院3.jpg

安楽律院7.jpg
苔むした石仏も良いですね〜。



アクセスですが、ここへ通じる県道47号線は、どっちから来ても狭くて厳しい
道路です。離合が厳しい道をかなり進まないといけません。
難易度高いです。
長寿院というお寺があり、そこに車を停めて数分歩いて安楽律院を観光しました。

令和6年秋旅1
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鏡神社    (滋賀県竜王町)

令和6年10月16日、竜王町にある鏡神社に行ってきました。

<鏡神社>
鏡神社.jpg
住所:滋賀県蒲生郡竜王町鏡1289
駐車場あり(道の駅竜王かがみの里に駐車して観光)

<鏡神社について>
鏡神社2.jpg
鏡神社2a.jpg

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鏡神社に行ってきました。
私、知らなかったんですが、ここが源義経元服の地なんだそうです。
道の駅竜王かがみの里に立ち寄った際、そのことを知り観光しました。
1174年、京都鞍馬から奥州藤原氏の元に向かう途中、ここ鏡の宿で自ら元服し
源義経と名乗ったそうです。

鏡神社6.jpg

道の駅竜王かがみの里付近には義経に関する史跡がいろいろある様です。
今回は鏡神社しか行かなかったので、また改めて他の史跡等も見たいなと思いました。

<鏡神社>
鏡神社3.jpg

鏡神社4.jpg
鏡神社本殿は室町時代の建築と推定され、国指定重要文化財です。
鏡神社5.jpg

<義経烏帽子掛けの松>
鏡神社7.jpg

令和6年秋旅1
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大河ドラマの舞台
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2025年01月13日

九品の滝    (滋賀県栗東市)

令和6年10月16日、栗東市にある九品の滝に行ってきました。

<九品の滝>
九品の瀧.jpg
住所:滋賀県栗東市井上
駐車場あり(無料)

<九品の滝について>
九品の瀧2.jpg
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
九品の滝に行ってきました。
3段に分かれて流れ落ちる高さ20mの滝。
九品浄土を思わせる光景という事で九品の滝と言われるそうです。
駐車場に車を停めて、5分位歩いて到着しました。
観瀑台があり、そこから一番上の滝を間近で見る事が出来ました。

九品の滝.jpg

九品の滝2.jpg

九品の滝3.jpg

日本の滝巡り
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令和6年秋旅1
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2025年01月09日

正明寺    (滋賀県日野町)

令和6年10月16日、日野町にある正明寺に行ってきました。

<正明寺>
正明寺.jpg
住所:滋賀県蒲生郡日野町松尾560
駐車場あり(無料)
境内自由

<正明寺について>
正明寺2.jpg

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正明寺に行ってきました。
聖徳太子の創建という話のある古刹という事での訪問です。
江戸時代に後水尾天皇の勅願により再建されたそうです。
重要文化財の本堂は京都御所にあった建物のひとつを移築したものです。

<山門>
正明寺3.jpg

<本堂・重要文化財>
正明寺4.jpg

正明寺 本堂.jpg

<経蔵>
正明寺6.jpg

正明寺5.jpg

令和6年秋旅1
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尼子氏発祥の地・土塁公園   (滋賀県甲良町)

令和6年10月16日、滋賀県甲良町にある尼子氏発祥の地に行ってきました。

<土塁公園>
土塁公園.jpg
住所:滋賀県犬上郡甲良町尼子1329
駐車場あり(無料)

<尼子氏発祥の地について>
尼子氏発祥の地2.jpg

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尼子氏発祥の地に行ってきました。
尼子氏は 室町時代中期に京極氏の分流京極高久が所領の近江国犬上郡尼子郷から
尼子を称したのに始まったそうです。
高久の嫡男が近江尼子氏、次男が雲州尼子氏として分かれていったそうで、ここは
近江尼子氏の館があった場所になります。
近江尼子氏は戦乱の中で没落した為、あまり知られていない様です。
ちなみに私も知りませんでした。

近江尼子氏の居館跡は、発掘の中で土塁が発見され、土塁公園として整備されて
いました。
しかしながら、場所が分かりづらく、正直ここを訪れる人はほとんどいないのでは
と思ってしまいました。

<尼子氏発祥の地>
尼子氏発祥の地.jpg

地名も尼子です。
尼子氏発祥の地3.jpg

<土塁公園>
土塁公園2.jpg

土塁公園4.jpg

土塁公園3.jpg

土塁公園5.jpg

令和6年秋旅1
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2025年01月03日

高虎公園    (滋賀県甲良町)

令和6年10月16日、甲良町にある高虎公園に行ってきました。

<高虎公園>
高虎公園.jpg
住所:滋賀県犬上郡甲良町在士294
駐車場無し

甲良町にある高虎公園に行ってきました。
甲良町は藤堂高虎の出身地。そんな事もあり藤堂高虎の銅像などがある
高虎公園が整備されています。
小さな公園ですが、高虎像や大阪城の再建用に切り出された石などがあり
ました。

<藤堂高虎象>
高虎公園5.jpg

高虎公園4.jpg
何故か池の真ん中にある高虎像です(^^;

<高虎公・残念石>
高虎公園6.jpg

高虎公園7.jpg
大阪城再建の為切り出されたけど使われなかった岩。

<駒止め石>
高虎公園3.jpg

<藤堂家の家紋入り灯籠>
高虎公園2.jpg

駐車場が無かったので、公園前に少しだけ路駐して公園を見てきました。

令和6年秋旅1
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銅像めぐり
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2023年10月14日

姉川古戦場・家康陣跡  (滋賀県長浜市)

令和5年8月9日、姉川古戦場・家康陣跡に行ってきました。

<姉川古戦場・家康陣跡>
姉川の戦い 家康陣.jpg
住所:滋賀県長浜市東上坂町1244
駐車場無し

<姉川古戦場・家康陣跡について>
姉川の戦い 家康陣4.jpg

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姉川古戦場に行ってきました。姉川古戦場は何度か行っていたのですが、家康の陣
跡には行ったことがありませんでした。

初訪問です。
田んぼの真ん中に小さな森みたいなところがあり、そこに神社がありました。
この神社の場所は家康の陣跡だそうです。

正直、特にコレってのはありません。
神社見て、参拝して終了という感じです。

<家康陣跡>
姉川の戦い 家康陣2.jpg

姉川の戦い 家康陣3.jpg

令和5年夏休み旅
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大河ドラマの舞台
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古戦場めぐり
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2022年01月23日

虎御前山城   (滋賀県長浜市)

滋賀県長浜市にある虎御前山城に行ってきました。

<虎御前山城>
虎御前城跡9a.jpg
住所:滋賀県長浜市湖北町河毛
駐車場あり(無料)

<虎御前山城について>
虎御前城跡9.jpg

虎御前城跡5.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
虎御前山城に行ってきました。
虎御前山城は浅井氏の本城である小谷城から南西に500mほどの場所にある
山城です。

姉川の戦いに敗れた浅井長政は、小谷城に籠城して信長を迎えうちましたが、
その小谷城攻略の為、信長が築城したのがこの虎御前山城です。
1572年に築城され、秀吉が城番になりました。

小谷城落城後、虎御前山城は役目を終え廃城となった様で、城として存在したのは
1年ほどだった様です。

城の下から城跡にある展望台付近までの道はかなり狭いですが、距離は短いので
他の車とのすれ違いは無く到着しました。

展望台付近に車を停め、城跡へ。
訪問したのが夏だったせいもあり「メマトイ」の攻撃を受けました(>_<)
とにかく凄い数のメマトイ。虫除け必須です。

山城ですが、車で上まで行けるので、攻城はそんなに苦ではありません。

虎御前城跡2.jpg
こんな感じの山道を軽く歩いて行く感じの場所です。

虎御前城跡3.jpg

虎御前城跡4.jpg

虎御前城跡8小谷城.jpg
前に見える山が浅井方の小谷城。

虎御前城跡6.jpg
ちょうど田んぼアートが造られてました。

虎御前城跡7竹生島.jpg
城から遠くに見える島は、琵琶湖に浮かぶ竹生島です。

<織田信長陣跡>
虎御前城跡 織田信長陣.jpg

虎御前城跡 織田信長陣2.jpg

<丹羽長秀陣跡>
虎御前城跡 丹羽長秀陣.jpg

<滝川一益陣跡>
虎御前城跡 滝川一益陣.jpg

<堀秀政陣跡>
虎御前城跡 堀秀政陣.jpg

各武将の陣跡が城跡に点在しています。

令和3年夏旅1
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日本の城を巡る
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大河ドラマの舞台
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2022年01月10日

実宰院    (滋賀県長浜市)

滋賀県長浜市にある実宰院に行ってきました。

<実宰院>
実宰院1.jpg
住所:滋賀県長浜市平塚町149
駐車場あり(無料)
境内自由

<実宰院について>
実宰院3.jpg

実宰院は浅井長政の姉・阿久姫が昌安見久尼と称して出家した庵です。
小谷城落城の際、浅井長政は姉に茶々・初・江の3人の娘を預け匿わせ
ました。
そういう歴史の舞台という事で訪問しました。

小谷城からも近いので、合わせて観光すると良いかと思います。

実宰院2.jpg

令和3年夏旅1
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大河ドラマの舞台
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小室城址   (滋賀県長浜市)

長浜市にある小室城址に行ってきました。

<小室城址>
小室城址.jpg
住所:滋賀県長浜市小室町600
駐車場無し(駐車スペースはあり)

<小室城について>
小室城址4.jpg

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小室城に行ってきました。
ここは庭園の造園で有名な小堀遠州が築城したお城です。
代々小堀家が治め、陣屋として機能しました。

現在屋敷があった場所に石碑があるのみで、これといった遺構は残っていません
でした。
1788年小堀政方の時に改易になり廃城となった様です。

小室城址2.jpg

小室城址3.jpg

小室城址5弥勒堂.jpg

令和3年夏旅1
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日本の城を巡る
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京極氏館跡   (滋賀県米原市)

米原市にある京極氏館跡に行ってきました。

<京極氏館跡>
上平寺城址.jpg
住所:滋賀県米原市上平寺
駐車場あり(無料)

<京極氏館跡について>
上平寺城址2.jpg

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米原にある京極氏館跡に行ってきました。
近江国守護の京極高清によって造られた城館跡です。
この館の後背には戦用の詰め城として、上平寺城が築城されました。

伊吹神社のある場所が京極氏城館跡。建物等の遺構などは一切はりませんが、荒れ
果てた庭園跡が当時の武家庭園の面影を残している様な気がしました。

上平寺城址3.jpg

上平寺城址4.jpg

上平寺城址5.jpg

<京極氏庭園>
上平寺城址6京極氏庭園跡.jpg

上平寺城址6京極氏庭園跡2.jpg

<伊吹神社>
上平寺城址7.jpg

<京極氏一族の墓>
上平寺城址8.jpg

駐車場は伊吹山登山用の駐車場が整備されており、そこを利用します。

令和3年夏旅1
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日本の城を巡る
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2019年09月08日

坂本城跡公園      (滋賀県大津市)

大津市にある坂本城跡公園に行ってきました。

<坂本城跡公園>
坂本城址公園.jpg
住所:滋賀県大津市下阪本3丁目1
駐車場あり(無料)

<坂本城について>
坂本城址公園4.jpg

坂本城址公園3.jpg

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坂本城跡公園に行ってきました。坂本城といえば明智光秀。
2010年に坂本城の碑を見に行きました。
http://rover.seesaa.net/article/159804194.html

今回、近くに城址公園があるのを知り行ってみました。
ここは、上の地図にもある様に、坂本城の城域だった場所からは少し外れている
感じです。

ここには明智光秀の石像と、何故こんな歌をつくったか不明ですが、「光秀の意地」
とかいう歌の歌碑がありました。

<明智光秀石像>
坂本城址公園5.jpg

<光秀の意地>
坂本城址公園6.jpg



琵琶湖に面した公園です。
坂本城址公園2.jpg

令和元年夏休み旅
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老杉神社      (滋賀県草津市)

草津市にある老杉神社に行ってきました。

<老杉神社>
老杉神社.jpg
住所:滋賀県草津市下笠町1194
駐車場あり(無料)
境内自由

老杉神社2.jpg

<老杉神社について>
老杉神社3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
老杉神社に行ってきました。建物が重要文化財に指定されたいるという事で訪問
しました。神社の由緒等の前知識はありません。

祭神は素戔鳴尊。社伝によれば大和時代の末期に神霊が大杉の梢に降臨し、これを
祀って老杉神社としたのが始まりとの事です。

老杉神社8.jpg
1452年に造られた本殿。檜皮葺で確かに重要文化財というのも頷ける建物です。

境内にいろいろある像の方も気になりました。
由緒ある神社に可愛い像がいろいろありました。

老杉神社4.jpg

老杉神社5.jpg
猿はバナナ食べてるし(笑)

老杉神社6.jpg

老杉神社7.jpg

令和元年夏休み旅
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2019年09月01日

水口城       (滋賀県甲賀市)

甲賀市にある水口城址に行ってきました。

<水口城>
水口城.jpg
住所:滋賀県甲賀市水口町本丸4−80
駐車場あり(無料)
資料館(10時〜17時:100円)

<水口城について>
水口城2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
水口城(みなくちじょう)に行ってきました。

この城は1634年に徳川家光の宿所として築城されたもので、いわゆる戦国の
戦の為の城ではありません。
その後、水口藩の城となり明治維新まで存続します。
明治時代になり、建物等が壊され旧本丸跡は学校の運動場になるなど城としては
荒廃しますが、昭和40年代後半になりその価値が評価され、再生されました。

櫓には資料館があり、僕も資料館で水口城の歴史などを見てきました(^-^)

水口城4.jpg

水口城3.jpg

最初、駐車場から続く道を歩いて堀を渡ったところ、そこにあったのが学校の
グランドでびっくりりました(^^;

令和元年夏休み旅
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日本の城を巡る
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中野城址       (滋賀県日野町)

滋賀県日野町にある中野城址に行ってきました。

<中野城址>
中野城址.jpg
住所:滋賀県蒲生郡日野町大字西大路2869
駐車場あり(無料)

<中野城について>
中野城址5.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
中野城(日野城)に行ってきました。
ここは戦国時代初期に蒲生氏によって築城されたお城です。
蒲生氏は後に会津に移り、江戸時代には市橋氏がこの日野の藩主として明治維新
までこの地を治める事になります。

この中野城は戦国の名将・蒲生氏郷の出生地でもあり、城の片隅に蒲生氏郷
産湯の井戸もあります。
蒲生氏郷産湯の井戸.jpg

土塁や、江戸時代市橋氏の統治時代に作られた神社などが城跡に残ります。
中野城址2.jpg

中野城址3.jpg

中野城址4.jpg

ここ中野城はその雰囲気から、映画「るろうに剣心」のロケ地にもなりました。


令和元年夏休み旅
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2019年08月28日

蒲生氏郷像       (滋賀県日野町)

滋賀県日野町で蒲生氏郷の銅像を見てきました。

<蒲生氏郷像>
蒲生氏郷像3.jpg
住所:滋賀県蒲生郡日野町大字上野田 ひばり野
駐車場無し

名神高速を降りて目的地水口城址に向かっていると、道路沿いに上の看板を発見。
急遽立ち寄りました。

この日野という町は蒲生氏ゆかりの地で、昭和63年にこの銅像が造られたそう
です。

蒲生氏郷像.jpg
何か帳簿みたいなの持ってる?って思いましたが、和歌を詠んでる姿だった様で(^^;
文禄元年(1592)名護屋陣に向かう途中、中山道武佐の宿より郷土日野を望み、
「思ひきや 人のゆくへぞ定めなき わがふるさとを よそに見んとは」と詠んだ
その姿だそうです。

蒲生氏郷像2.jpg

令和元年夏休み旅
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銅像めぐり
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2015年07月08日

黒田氏発祥の地      (滋賀県長浜市)

滋賀県長浜市(旧木之本町)にある黒田家発祥の地に行ってきました。

<黒田氏発祥の地>
黒田氏発祥の地3.jpg
住所:滋賀県長浜市木之本町黒田里の内
駐車場あり

<現地解説>
筑前国福岡藩主黒田氏の始祖は、当地の御廟に祀られている源宗清で、ここ黒田に
館を構え、この地方を統治し、姓も地名から黒田判官と称した。
この周辺は当時の屋敷跡で、「構屋敷」と呼ばれ公共の使用以外は遠慮したと今に
伝え、旧縁の地として昭和2円石碑が建立された。
さらに昭和48年集会所改築時に源宗清の名の刻まれた石塔が見つかりこれにより
黒田氏始祖の地と確定され、碑文に明記された。
黒田家はここに覆屋を作り出土した石塔を納めて祀り御廟所として翌年竣工した。
この初代宗清より6代の高政まで約200年間黒田氏は当地に在住していたが、
1511年山城国船岡山の戦いに参戦した軍命違反で厳しく咎められ当地を去っ
た。
その後、備前国邑久郡福岡に定住し、ここで7代重隆に跡継ぎが誕生、職隆と名
乗り播磨国御着城主小寺氏に仕え、姓も小寺と改め姫路城主になった。

1554年ここで9代代孝高(黒田官兵衛)が生まれ、長じて秀吉の軍師として
活躍して名を馳せた。
また10代長政は1600年関ヶ原の戦いで東軍勝利に貢献し、徳川幕府から
筑前国52万3000石を拝領、これを礎に黒田氏はそれ以降明治維新まで
260年間続く大名家となった。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
木之本にある黒田氏発祥の地に行ってきました。
昨年の大河ドラマ『軍師官兵衛』ゆかりの地です。
以前にも黒田氏発祥の地の碑を探した事があったんですけど見つけられなくて、
今回が初訪問になりました。

軍師官兵衛ゆかりの地である旨、旗や絵などが出ています。
黒田氏発祥の地4.jpg

黒田氏発祥の地2.jpg

公園の様になった場所の奥に黒田氏廟の碑があります。
黒田氏発祥の地.jpg
黒田氏の祖、源宗清の廟所との事です。

平成27年GWの旅
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大河ドラマの舞台
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鉄砲の町国友     (滋賀県長浜市)

滋賀県長浜市、鉄砲の町国友を散策してきました。

<鉄砲の町国友>
鉄砲鍛冶の町 国友.jpg
住所:滋賀県長浜市国友町
駐車場あり(無料)

<現地解説>
鉄砲は1543年、ポルトガルから種子島に伝来しました。
その後、根来・堺でも生産されていますが、国友では足利将軍からの製作の命に
よって生産が始まりました。
以来、国友鍛冶は信長・秀吉の保護を受け特に国友の技術に目を付けた徳川家康は
『天領』として統治しました。
一方国友鍛冶は御用鍛冶として結束を固め、分業体制を導入して大量生産につとめ
ました。こうして国友は我が国最大の鉄砲工業地として栄えていきました。
江戸時代の初期が国友鍛冶の最盛期でしたが、世の中が平和になると鉄砲の受注
は少なくなり、鍛冶師たちは金工彫刻や花火などに活路を見いだしていきました。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
鉄砲の町国友を散策してきました。
浅井氏を姉川の戦いで破ったあと、国友は信長の管理下となり秀吉に命じて
鉄砲を生産させました。

戦国の戦の世で発展した国友も平和が続いた江戸時代は鉄砲だけでは食べていく
事が出来ず、そこから派生した金工細工などの工芸品の制作を行っていた様です。

今の国友の町には大きなお宅が多くのこり、かつての国友繁栄を今に伝えている
様に見えます。司馬遼太郎は『街道をゆく』でその光景を記しています。

司馬遼太郎 街道を行く.jpg

町の中心に国友鉄砲の里資料館があり、そこで国友鉄砲の歴史を見てから町の
散策をしました。
鎖国と江戸時代の平和が国友鉄砲の衰退をまねきました。
幕末の動乱期には国友の影は見えません。輸入されたエンフィールド銃、ミニエー
銃などが戦いで使われています。

<国友の町並み>
鉄砲の町 国友2.jpg
国友の町の中には、個人宅の前にかつての鍛冶職人の名前が石碑で記されています。

鉄砲の町 国友4.jpg

鉄砲の町 国友3.jpg

鉄砲の町 国友6.jpg

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2015年07月06日

中山道・鳥居本宿     (滋賀県彦根市)

滋賀県彦根市、中山道鳥居本宿を散策してきました。

<中山道・鳥居本宿>
鳥居本宿.jpg
住所:滋賀県彦根市鳥居本町
駐車場なし

<現地解説>
鳥居本は江戸から数えて中山道67次(東海道と共通の大津・草津を加えると69)
の63番目にあたる宿場町です。
当時旅人に道中合羽を製造販売していた店の古い木製看板や、万病に効くと
言われる道中薬を江戸時代から製造販売している有川家など旧街道の名残が
見られます。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
中山道鳥居本宿を散策してきました。
彦根というと、彦根城や埋木舎、佐和山城など観光地として有名ですが、今回は
ちょっとマニアな中山道の宿場町を歩きました。

鳥居本宿には古い町並みが残っていると聞いていました。
国道8号線を北から走ってきて、彦根に入ってすぐのところで中山道の旧道に入る
と鳥居本宿の町並みが見えます。

旧街道の入り口のところに上の写真の様な旅人の像があります。

鳥居本宿は雨合羽が名物だったようです。関ヶ原近辺の気象の影響でしょうかね。
旅人に雨合羽を売る店が15軒もあったそうです。
また、赤玉神教玉という薬も有名だったそうです。旅の常備薬として売った様です。
ちなみにこの赤玉神教玉は今でも売っているというのが驚きです
http://www5.ocn.ne.jp/~arikawai/syokai.htm

鳥居本宿の町並みは古い建物が密集している感じではありませんが、旧中山道沿いに
古い建物が点在していて、昔を偲ぶことが出来る町並みでした(^-^)

<鳥居本宿>
鳥居本宿6.jpg

鳥居本宿1.jpg

鳥居本宿3.jpg
こちら、かつて合羽屋さんだった建物だそうです。

鳥居本宿2.jpg

鳥居本宿5.jpg

鳥居本宿4.jpg
赤玉神教玉の有川家住宅です。今でも薬を売っています。

彦根道分岐.jpg
鳥居本宿で中山道と彦根道が分かれます。これはその道標です。

平成27年GWの旅
http://rover.seesaa.net/article/418505052.html

日本の古い町並み
http://rover.seesaa.net/article/21960937.html

中山道六十九次
http://rover.seesaa.net/article/124324406.html

[ここに地図が表示されます]

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2014年01月15日

膳所城     (滋賀県大津市)

滋賀県大津市にある膳所城に行ってきました。

<膳所城>
膳所城 石碑.jpg
住所:滋賀県大津市本丸町
駐車場あり(無料)

関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は、関ヶ原の戦いの翌年1601年、東海道を制し、
湖上の船運を抑える目的で膳所城を築城させました。
築城計画は藤堂高虎が担当し、それまで膳所崎に流れていた相模川を北方につけかえたと
いいます。
はじめのお城は本丸と二の丸、三の丸が分かれていましたが、1662年の大地震で城が
大きな被害を受け、それまで分かれていた本丸と二の丸を合体させ、東西が80間南北55間
の規模を持つ本丸として再生しました。
本丸跡が現在の膳所城跡公園となっています。

膳所城4.jpg

歴代城主は、初代が戸田一西、以後戸田氏鉄、本多康俊、本多俊次、菅沼定芳、石川忠総
石川憲之と続き、1651年本多俊次が再度の任について以降、本多家が代々城主を歴任
しました。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
膳所城跡公園に行ってきました。
膳所は「ぜぜ」と読みます。知らないと読めないですね。
琵琶湖岸にある城跡で、関ヶ原後に造られた城だそうです。
今は、普通の公園という感じです。

膳所城.jpg

膳所城3.jpg

膳所城2.jpg
琵琶湖岸で、散歩にも良い感じのところ。
下の写真は公園から近江大橋を眺めた風景です。

日本の城を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21222307.html


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2012年09月08日

竹生島    (滋賀県長浜市)

琵琶湖にうかぶ竹生島に行ってきました。

<竹生島訪問>
名勝 竹生島.jpg
住所:滋賀県長浜市早崎町
入島料:400円

竹生島は琵琶湖にうかぶ周囲2キロ、面積0.14キロ平方メートル
の島で、神々の住む島として古来より信仰されてきました。
神仏一体の思想で信仰されてきましたが、明治維新後の神仏分離令に
より現在は都久夫須麻神社と宝厳寺に別れています。

竹生島に行くには船に乗っていく必要があります。
彦根・長浜などからの船がありますが、今回は旅の日程の都合上、
マキノから出ているオーミマリンの船(要予約)に乗って竹生島にむかい
ました。

<オーミマリン>
オーミマリン1.jpg
船は往復2000円です。片道25分の船旅です。

オーミマリン2.jpg
船から見える景色もなかなか良いです。

いよいよ竹生島に上陸です。
竹生島上陸.jpg

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2012年09月01日

かくれ里 菅浦   (滋賀県長浜市)

滋賀県長浜市(旧西浅井町)にある菅浦の集落を散策してきました。

<菅浦の集落>
かくれ里菅浦.jpg
住所:滋賀県長浜市西浅井町菅浦
駐車場あり(無料)

菅浦は琵琶湖の北端にある集落です。
奈良時代、恵美押勝の乱で廃位された淳仁天皇が流されて
きた地と言われています。淳仁天皇は幽閉されたこの菅浦の
地で亡くなったそうです。
菅浦は、入り口に四足門があり、かつては通行を厳しく制限
したそうです。つい最近までも外部の人との交流をあまりしない
など、完全に閉鎖された集落という土地です。

奥琵琶湖パークウェイを走っていると、確か「歴史の里菅浦」
とかいう標識があります。それにつられて行った次第です。
集落内は車で入るのが厳しいため、集落の入り口付近に観光客
用と思われる駐車場があったため、そこに車を停めて散策しま
した。
集落内は古い町並みが残り、淳仁天皇の菩提寺跡の碑や、浅井長政
ゆかりの寺院などいろいろあり、歴史的な雰囲気を味わう事が出来ました。

まあそういう集落ですから、部外者が歩いていると目立つのかな、
なんて思ったりしながら歩いてきました。

<菅浦の集落>
かくれ里菅浦2.jpg

かくれ里菅浦3.jpg

かくれ里菅浦4.jpg

かくれ里菅浦5.jpg

淳仁天皇菩提寺跡
淳仁天皇菩提寺長福寺跡.jpg

かくれ里菅浦2 浅井長政由緒寺.jpg

日本の古い町並み
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平成24年夏旅
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余呉湖   (滋賀県長浜市)

滋賀県長浜市にある余呉湖に行ってきました。

<余呉湖>
余呉湖.jpg
住所:滋賀県長浜市余呉町川並
駐車場あり(無料)

<現地解説>
余呉湖は周囲約6000平米の小さな断層湖えある。
南に高いのが賤ヶ岳、天正11年兵どもの夢の跡がある。
また湖の近くには天女羽衣伝説の残る柳の木がある。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
久しぶりに余呉湖に行ってきました。
琵琶湖の北にある小さな湖です。
今は静かなこの湖も、戦国時代には賤ヶ岳の戦いのまさに舞台で
戦いが行われたと思うと、隔世の感があります。
また、湖の北側に天女の羽衣伝説の残る柳の木があります。

天女の衣かけ柳.jpg
静岡の三保の松原にも天女の羽衣伝説がありますね。
それと同じ話だと思います。
今回は余呉湖を車で1周してみました。
北側から入り、余呉湖駐車場までの道は広いんですけど、そこから
先に行くと道が狭い・・・。ちょっとしんどかったです。

<余呉湖>
余呉湖2.jpg

余呉湖3.jpg

平成24年夏旅
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古戦場めぐり
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2012年08月18日

脇坂安治生誕の地  (滋賀県長浜市)

滋賀県長浜市にある脇坂安治(賤ヶ岳七本槍の一人)生誕の地に行ってきました。

<脇坂安治生誕の地>
脇坂安治生誕の地.jpg
住所:滋賀県長浜市小谷丁野町
駐車場あり

小谷から国道356号線を北上していると、「脇坂安治生誕の地」という
看板を発見。立ち寄ってみました。
国道を曲がるとすごく細い道。ここ車で行けるんだろうかという不安に
かられる様な道を数百メートル進むと駐車スペースがあります。

現地には産湯の池、屋敷跡の碑などがありました。

<産湯の池>
脇坂安治生誕の地 産湯の池.jpg

脇坂安治生誕の地 産湯の池2.jpg

<屋敷跡の碑>
脇坂安治屋敷跡2.jpg

脇坂安治屋敷跡.jpg

脇坂安治はもとは浅井氏の家臣でしたが、後に秀吉に仕え、
賤ヶ岳の戦いで活躍し、「賤ヶ岳の七本槍」の一人として数えられます。
関ヶ原の戦いでは小早川秀秋の陣の前に布陣し、秀秋が寝返ると脇坂安治も
東軍に寝返り、平塚勢を撃破します。
もとから調略を受けており、予定通りの行動だったという話です。
初代伊予大洲藩主。また、京都の「中書島」という地名は、脇坂安治が
屋敷を構えたことに由来するそうです(脇坂は役職から中書様と呼ばれていた)

平成24年夏旅
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岡本神社/浅井氏発祥の地  (滋賀県長浜市)

滋賀県長浜市にある岡本神社に行ってきました。

<岡本神社>
岡本神社2.jpg
住所:滋賀県長浜市小谷丁野町810
駐車場なし

<現地解説>
当社は延喜式内神名帳所録、近江国浅井郡十四座の一。
1442年、三条大納言が丁野に配流の際、当社に祈願する
ところありて、拝殿一棟献納せらる。
古来より、浅井氏の祈願所であった。
1572年、織田氏兵乱の際、朝倉義景勢がここに立てこもる。
時に戦利あらず、拝殿一棟を残し社殿その他焼失す。
1572年12月、神官脇坂和泉尉霊夢を感じ、現在の地に
再建鎮座す。
豊臣氏よりも祭供田奉納有り。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
長浜市にある岡本神社に行ってきました。
上の現地解説が建ってたんですが、いまいちよく分からない
解説文でした・・・。

境内には浅井亮政(あざいすけまさ)生誕の地の碑がありました。

浅井亮政出生の地.jpg
浅井亮政は浅井長政の祖父にあたる人物で、守護の京極氏から実権
を奪った下克上の人物。
その出生の地ゆえか、現地は小谷浅井氏発祥の地という事になって
いる様です。

浅井氏発祥の地.jpg

<岡本神社>
岡本神社.jpg

岡本神社3.jpg

大河ドラマの舞台
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平成24年夏旅
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小谷寺   (滋賀県長浜市)

滋賀県長浜市にある小谷寺に行ってきました。

<小谷寺>
小谷寺.jpg
住所:滋賀県長浜市湖北町伊部329
駐車場あり(無料)
境内自由

寺伝によれば728年、泰澄上人により開基、常勝寺と称し、
小谷山に建てられた修験道場のひとつであった。
浅井亮政が小谷城築城後、深く帰依し小谷寺と改称、以後
浅井三代の祈願時となる。
もと北谷にあり落城の際全焼。その後、豊臣秀吉、徳川家康
より寺領44石の主因を受け再興した。古様を有して名高い本尊
如意輪観音、孔雀紋馨、両界曼荼羅などすぐれた寺宝が多い。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
小谷寺に行ってきました。
8月12日早朝、朝の散歩で小谷城に行こうかと思ったところ、
今年はシャトルバスでしか城に行けない事が判明。
そのまま帰ろうかと思ったところ、小谷寺の看板があり立ち寄り
ました。
小谷城の山の麓にあり、かつては浅井三代の信仰が厚かった様
です。今はひっそりとあるお寺で目立たないですが、小谷観光の際
立ち寄っても良いかなというところです。

大河ドラマの舞台
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平成24年夏旅
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2012年08月15日

北国街道・木之本宿  (滋賀県長浜市)  

長浜市にある木之本宿を散策してきました。

<木之本宿>
北国街道 木之本宿1.jpg
住所:滋賀県長浜市木之本町木之本
駐車場あり(駅前・無料)

当地は大陸と都を結ぶ交通の要衝として古代より開けた
場所で、木之本地蔵院の門前町を中心に宿駅が京成されて
きました。江戸時代、金沢城下から中山道鳥居本宿を結ぶ
街道が北国街道として本陣や問屋などが整備され、旅籠や
酒屋が軒を並べる宿場の町並みが成立し今日に至るまでその
名残をとどめています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
北国街道の木之本宿を散策してきました。
今までも賤ヶ岳古戦場に行ったり余呉湖に行ったりとこの辺は何度
も行っているんですけど、木之本の町の中心には入らず通り過ぎる
だけでいました。
木之本には北国街道の名残を残す古い町並みがあるというので、今回
街中を歩いてみました。

町の中心に木之本地蔵院があり、そこから街道沿いに古い町並みが
残っていました。
岩倉具視が泊まったという冨田家や、山内一豊が馬を買った馬宿
平四郎など、歴史的ゆかりのある建物もあり、とても興味深い町で
した。

<木之本の町並み>
北国街道 木之本宿2.jpg

北国街道 木之本宿3.jpg

北国街道 木之元宿4.jpg

北国街道 木之元宿5.jpg
岩倉具視が泊まった冨田家。

北国街道 木之元宿6.jpg

馬宿平四郎.jpg
山内一豊が馬を買った馬宿平四郎。

日本の古い町並み
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平成24年夏旅
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2011年10月06日

八幡山城     (滋賀県近江八幡市)

滋賀県近江八幡市にある八幡山城に行ってきました。

<八幡山城>
村雲御所.jpg
住所:滋賀県近江八幡市宮内町
駐車場あり(無料)

八幡山城は1585年、四国攻めの功績により近江八幡43万石を
与えられた羽柴秀次(のちの豊臣秀次)が築城した山城です。
安土から建物などを移築して建設されました。
この城は秀吉の軍事的戦略に基づいて築城されたものですが、のちに秀次が
切腹となり、京極高次が入城、その後すぐに廃城になっています。

現在はふもとからロープウェイで上り、山頂駅からぐるっと15分くらいで1週
出来ます。

八幡山ロープウェイ.jpg

今は石垣などが荒れた状態で残るのみです。
八幡山からは、琵琶湖や安土城のあった安土山などを眺めることが出来ます。

八幡山城からの琵琶湖.jpg

八幡山城からの景色2.jpg
安土城方面を眺めます。向かいに見える山が安土山です。

八幡山城からの景色.jpg

平成23年夏旅
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大河ドラマの舞台
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日本の城を巡る
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2011年09月27日

観音寺城    (滋賀県近江八幡市)

滋賀県近江八幡市の観音寺城に行ってきました。

<観音寺城>
観音寺城.jpg
住所:滋賀県近江八幡市安土町石寺
駐車場あり

観音寺城は近江の守護佐々木六角氏の本城であって、中世の代表的
な大山城。
築城は1468年。
標高433メートルの繖山の山上に築かれている山城で、大規模な
山城です。応仁の乱では東軍についた六角氏と西軍の京極氏との戦い
が繰り広げられました。
戦国時代になり、京へ上洛する織田信長の前に六角氏は観音寺城を
追われ、そのまま廃城になったものと思われています。
総曲輪数は1000を超え、石垣で囲まれた全国屈指の大規模な
山城と思われています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
日本百名城のひとつ、観音寺城に行ってきました。
近江八幡市安土町にあるお城。安土と言えば安土城ですが、ここ
観音寺城も日本百名城に選ばれている名城です。

車で行くルートは2つある様ですが、どちらも有料で、入り口で
集金されます。
老蘇口という方から観音寺城を目指しました。
駐車場から観音正寺へ通じる階段を上ります。
階段がなんと400段あせあせ(飛び散る汗)
ここに来る前に安土城の山登りをしたばかり。この階段はかなり応えました。
老蘇口じゃない方の林道だと、階段上りがないらしく、行くルートを
誤ったという感じです。

観音正寺で参拝。百名城スタンプはここにあります。
観音正寺からさらに山道を5分ほどで観音寺城本城跡に到着します。
山中のいろいろな所に石垣が散見されます。
大きな城であったことがうかがわれます。

観音寺城 本丸.jpg

観音寺城2.jpg

観音寺城3.jpg

観音寺城4.jpg

観音寺城5.jpg

石垣は修復されず、まさに荒城という感じです。
100名城は綺麗に整備されているところがほとんどですが、ここは
そんな雰囲気は感じませんでした。
廃城され、500年以上風雨にさらされてきたんだなとそのままに
感じることが出来ました。

平成23年夏旅
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日本の城を巡る
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2011年09月22日

安土城     (滋賀県近江八幡市)

滋賀県近江八幡市(旧安土町)にある安土城趾に行ってきました。

<安土城趾>
安土城趾.jpg
住所:滋賀県近江八幡市安土町下豊浦
駐車場あり(有料:500円)
入山料500円

安土城の築城は織田信長が武田勝頼を長篠合戦で打ち破った翌年1576年に
始まります。築城に当たっては、畿内・東海・北陸から多くの人夫が徴発され、
当代最高の技術を持った職人達が動員されました。
築城から3年後の1579年には天守が完成して信長が移り住みました。
しかしその3年後の1582年に本能寺の変で信長が殺されると城は明智光秀の
手に渡り、その光秀が秀吉に敗れたすぐ後に天守・本丸は焼失してしまいます。
それでも安土城は織田氏の天下を象徴する城として、秀吉の庇護のもとで織田信雄
や孫の三法師が入城を果たし、信長の跡を継ぐ者であることをアピールします。
しかし、天正12年小牧長久手の戦いで信雄が秀吉に屈すると織田氏の天下は
終焉を迎え、翌年安土城はその役目を終えて廃城となるのです。
その後、江戸時代を通じて信長が城内に建てた総見寺がその菩提を弔いながら
現在に至るまで城跡を守り続けていくことになります。
昭和27年に国の特別史跡に指定されています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
安土城趾に行ってきました。以前、安土城の資料館みたいな「信長の館」には
行ったんですが、肝心の安土城趾には行っていませんでした。
今回初めて安土城趾散策です。
安土城趾は、今残るのは石垣と信長の菩提を弔う総見寺のみ。
ただその石垣の壮大さと、天守台からの景色は天下人の城という威厳を感じさせる
ものです。

安土城.jpg

安土城2.jpg

安土城3.jpg

安土城4.jpg

安土城5.jpg

入り口から石段を登ること10分くらいで天守台に着きます。
登って景色を眺め、ぐるっと1週観光をするのに約40分くらいかなと
思います。石段上りはかなり疲れました(^^;

平成23年夏旅
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大河ドラマの舞台
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日本の城を巡る
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著名人の墓
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2011年07月19日

長浜城     (滋賀県長浜市)

滋賀県長浜市にある長浜城に行ってきました。

<長浜城>
長浜城.jpg
住所:滋賀県長浜市公園町10-10
駐車場あり(無料)

長浜はもともと今浜といいバサラ大名として有名な佐々木道誉が室町時代
の初め頃に出城を築きそれが長浜城のはじめと伝えられる。
姉川の合戦後、その功によって湖北三郡を与えられた羽柴秀吉は1574年
頃小谷城から当地に城下町を移し、長浜と改め居城とした。
1583年の賤ヶ岳の戦いではここを拠点として大勝し、織田信長の後継者
としての立場を確立した。
秀吉の家臣である山内一豊も1585年から5年間在城した。
江戸時代になり、1615年に廃城となる。
建物及び石垣の大半は彦根城の築城に際し移され、その天秤櫓や三重の隅櫓
は長浜城の遺構と言われている。

長浜城2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
長浜城に行ってきました。
5年ぶりくらいに長浜観光に行きました。今回は大河ドラマの博覧会
が開催中という事で、長浜の町は賑わっていました。

長浜城は秀吉の居城として有名です。

長浜城 豊臣秀吉像.jpg

現地は公園になっていて、城は再建された天守が博物館になっています。
旧来の天守跡には、天守閣跡の碑が建っています。

長浜城天守閣跡.jpg

長浜城は琵琶湖に面し、琵琶湖を眺める眺望の良いお城です。
公園も琵琶湖畔で非常に気持ちが良かったです。
琵琶湖の湖面に、「太閤の井」という石碑がありました。
長浜城太閤の井.jpg
ここに秀吉ゆかりの井戸でもあったのでしょうか。

平成23年GWの旅
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日本の城を巡る
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大河ドラマの舞台
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2011年07月07日

豊國神社     (滋賀県長浜市)

滋賀県長浜市にある豊國神社に行ってきました。

<豊國神社>
豊國神社 長浜1.jpg
住所:滋賀県長浜市南呉服町6-37
境内自由

豊國神社の前身である豊国社は、1599年の京都における豊国社の造営
を受けて創始されました。それは1600年8月18日の事で、現長浜八幡宮の
お旅所内に社を置いて「豊國大明神」と称しました。しかし、1615年に
大阪の陣で豊臣家が滅亡すると、長浜の豊国社も廃止に追い込まれてしまいます。

その後、1792年に至り、お旅所にあった豊国社の旧地に蛭子社と合わせて
豊国社が祀られ、1846年には秀吉公250回忌にあたり、社前に石灯籠や
釣灯籠が奉納されています。明治維新になって豊神社と改名し、明治25年
には現在地に移り、1920年に豊國神社と改名しました。

豊國神社 長浜2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
長浜にある豊國神社に行ってきました。
豊國神社といえば、京都・大阪かと思っていましたが、秀吉ゆかりの
長浜にもあるのは今回初めて知りました。
秀吉亡き後、神格化のために造られたんでしょうね。

豊臣家の滅亡とともになくなった様ですが、再び復活して現在に
いたる様です。

現在の社の最新は豊臣秀吉、加藤清正、木村重成だっそうです。
境内には加藤清正の銅像がありました。
豊國神社 加藤清正像.jpg

平成23年GWの旅
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大河ドラマの舞台
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銅像めぐり
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2011年05月24日

秀吉・石田三成 出会いの像  (滋賀県長浜市)

滋賀県長浜市にある秀吉・三成出会いの像を見てきました。

<秀吉・石田三成出会いの像>
秀吉・三成出会いの像.jpg
住所:滋賀県長浜市北船町(JR長浜駅前)

長浜城主の羽柴秀吉公は、鷹狩りの途中に観音寺へ立ち寄り
ました。
汗をかいた様子の秀吉公を見た寺の小姓の佐吉少年は、大きな
茶碗にぬるいお茶をなみなみと持ってきました。
秀吉公がもういっぱい頼むと、少年は先ほどよりも少し熱い
お茶を茶碗に半分ほど差し出しました。そこで秀吉公はさらに
一杯所望したところ、今度は小さな茶碗に熱いお茶を入れて
出しました。秀吉公は茶の入れ方ひとつにも気を配る佐吉少年
を気に入り、召し抱えました。この少年がのちの石田三成公で、
この話は「三献の茶」として今も語り継がれています。
三成公はここから5キロメートル東の長浜市石田町の土豪の子
として生まれ、今も出世地あたりには官名にちなんだ治部という
小字が残っています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
長浜駅前にある秀吉と三成出会いの像を見てきました。
以前、三成出生の地や、観音寺には行ったことがありましたが、
駅前にこんな銅像があるのは今回初めて知りました。
「三献の茶」の有名な話を表現した銅像。歴史マニアなら見て
おきたいですね(^-^)

秀吉・三成出会いの像2.jpg
クリックすると拡大します。

大河ドラマの舞台
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銅像めぐり
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2011年05月19日

浅井長政・お市の方銅像   (滋賀県長浜市)

滋賀県長浜市にある浅井長政とお市の方の銅像です。

<浅井長政・お市の方銅像>
河毛駅 浅井長政 お市の方銅像.jpg
住所:滋賀県長浜市湖北町山脇字馬場560
駐車場あり

北陸本線河毛駅前にある浅井長政・お市の方の銅像です。
河毛駅から数キロの所に浅井長政の居城だった小谷城跡があります。
そんな関係で、ここに浅井長政・お市の方夫妻の銅像が造られた
のだと思います。
この浅井長政はちょっとポッチャリ系かなと(^^;

河毛駅は、城の形をしており、駅内では歴史グッズなどが販売されて
いました。かわった駅ですね。
河毛駅.jpg

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銅像めぐり
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2010年08月18日

坂本城趾    (滋賀県大津市)

滋賀県大津市にある坂本城趾に行ってきました。

<坂本城趾>
坂本城趾.jpg
住所:滋賀県大津市下阪本三丁目

<現地解説>
織田信長配下の明智光秀は比叡山焼き討ち後の1571年、下阪本の湖岸
に大天主と小天主をもつ水城を築きました。
当時来日していたルイス・フロイスはこの坂本城をのちに築城される天下の
名城安土城についで豪壮華麗な城と述べています。
坂本城築城の目的には山門の監視ばかりではなく、近江の反信長勢力、特
に浅井、朝倉軍に対する前線基地や、彦根の佐和山城とともに、信長の
領国美濃と京都との往還の確保などがあげられます。
この城は1582年の山崎の合戦ののち焼失しますが、丹羽長秀によって
再建され1586年に大津城に移るまでこの地にありました。
昭和54年の調査で、焼土中かた城の施設の一部と見られる礎石や井戸
、池、溝などが見つかりました。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
大津市の坂本城に行ってきました。

坂本城と言えば、明智光秀が比叡山焼き討ち後に坂本を領地とした事に
由来するお城ですが、今までどこにあるのか知りませんでした。
以前、坂本の町を散策したときにもそういえばお城はどこだったんだろう
と思っていました。

今回車で走っていたら、偶然カーナビに坂本城の文字が。
寄るしかないなと思い、立ち寄りました。
国道から1本裏に入った通りで、住宅地の中に「坂本城趾」の石碑を
発見しました。
まさにあるのはこの石碑のみ。名城と言われた坂本城も夢の跡という感じ
でした。

平成22年夏旅
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日本の城を巡る
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黒田観音寺   (滋賀県長浜市)

滋賀県長浜市(旧木之本町)にある黒田観音寺に行ってきました。

<黒田観音寺>
黒田観音寺.jpg
住所:滋賀県長浜市木之本町黒田
駐車場あり
電話:0749-82-4111
拝観:500円(要予約)

賤ヶ岳のふもとにある黒田観音寺というお寺に行ってきました。
黒田官兵衛(如水)の墓がこの辺にあるというので、ここかな〜と思って
行ってみましたが、見あたらず。
この黒田という地名は、この地が黒田氏発祥の地という事に由来している
そうです。のちに福岡に移っています。

この黒田観音寺には国指定重要文化財の千手観音像があります。
これは予約しないと見ることが出来ないそうです。あいにく予約はして
なかったので見ることが出来ず、お寺の外観だけで撤収してきました。

平成22年夏旅
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賤ヶ岳古戦場   (滋賀県長浜市)

滋賀県長浜市(旧木之本町)にある賤ヶ岳古戦場に行ってきました。

<賤ヶ岳古戦場>
賤ヶ岳古戦場.jpg
住所:滋賀県長浜市木之本町大音
駐車場あり(無料)
駐車場からリフトで登ります(往復760円)

賤ヶ岳古戦場に行ってきました。超久しぶり。おそらく7〜8年ぶりの
訪問です。来年の大河ドラマが「お江与の方」という事で、その関連地
でもある賤ヶ岳に久しぶりに行くことにしました。

賤ヶ岳の戦いは、羽柴秀吉と柴田勝家が戦った古戦場。
柴田軍3万、羽柴軍5万とも言われる戦いは羽柴軍の勝利に終わり、その
まま北ノ庄城を取り囲み柴田勝家・お市の方は自害して果てるという結果
となります。

賤ヶ岳があるのは琵琶湖の北端、木之本です。
気がついたら木之本町は長浜市に合併されていた様で、住所は長浜市で
すが、距離的には長浜から20キロくらいは離れています。

駐車場に車を停め、リフトで賤ヶ岳山頂を目指します。
賤ヶ岳リフト.jpg

リフトを降りてから山頂までは約300m。歩いて10分くらいです。

山頂からの景色は絶景です。琵琶湖と余呉湖の間にある立地のため、両方
の湖を眺めることが出来ます。

【琵琶湖】
賤ヶ岳古戦場 琵琶湖.jpg

【余呉湖】
賤ヶ岳古戦場 余呉湖 柴田勝家の陣.jpg
柴田勝家が陣をおいたのが余呉湖の向こうに見える山です。

賤ヶ岳古戦場2.jpg

山頂には武将の像。
賤ヶ岳古戦場 武士像.jpg
ちょっと疲れている感じです・・・(^^;

賤ヶ岳の戦いの合戦図があったので掲載します(クリックすると拡大します)
賤ヶ岳合戦図.jpg

ここで戦いがあったなんて信じられないところです。
木々が多いですが、ほとんどが明治時代以降の木だそうで、合戦当時は
木々がうっそうとしていた訳ではない様です。

大河ドラマの舞台
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平成22年夏旅
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古戦場めぐり
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佐和山城    (滋賀県彦根市)

滋賀県彦根市にある佐和山城に行ってきました。

<佐和山城>
佐和山城1.jpg
住所:滋賀県彦根市古沢町
駐車場あり(無料)

<現地の解説>
佐和山城の歴史は古く、鎌倉時代の初期に近江源氏佐々木定綱の六男時綱
が佐和山の麓に館を構えたのが始まりと伝える。
その後佐々木氏は湖南の六角氏と湖北の京極氏に別れて対立。佐和山城は
両勢力の境目の城として攻防が繰り返された。
やがて湖北では京極氏に変わって浅井氏が覇権を確立し、湖南の六角氏と
と間で佐和山城争奪戦が展開される事になる。

信長・秀吉の時代にも佐和山城は近江の要衝を守る城として重視された。
信長は佐和山城に重臣の丹羽長秀を配し、安土城築城までの間、佐和山城
が安土城の機能を維持した。

秀吉の代も堀秀政、堀尾吉晴、そして五奉行の石田三成の入城と佐和山城
に重きをおく姿勢は変わらなかった。
この間、佐和山城は次第に整備され、山上に本丸以下二の丸・三の丸など
が連なり山下には東山道に面して大手門が開き、二重に巡らされた堀の内外
には侍屋敷・町屋そして足軽屋敷などの城下町が形成された。
関ヶ原の戦い後廃城。建物は彦根城に移築されたものの他はことごとく破壊
されたため、今は何も残っていない。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
彦根にある佐和山城に行ってきました。彦根城は何度も行っていますが、
佐和山には一度も行ったことがなく、是非行きたいと思っていました。
龍潭寺というお寺の脇に佐和山への登山口があります。

登山口を入るとすぐに石田三成の銅像と供養塔がありました。
石田三成像 佐和山城.jpg

佐和山城 石田三成供養塔.jpg
佐和山城と言えば石田三成の居城として有名。関ヶ原の合戦後、父が守って
いた佐和山城も落城しています。
「治部少 に過ぎたるもの二つあり 島の左近と佐和山の城」
と言われる様に、石田三成=佐和山城くらいの感覚です。
他の話はここに来て初めて知りました(築城の話とか)

さて、山城ゆえにある程度は覚悟していましたが、山登りです。
足場は悪く、ちょっと危険だなと思うところも。
雨の日は避けた方がよさそうです。
登ること20分ほどで佐和山城本丸に到着します。

佐和山城3.jpg

佐和山城2.jpg
特にこれっていうものはありません。「武士の夢 佐和山」とありましたが、
まさに強者どもが夢の跡という感じでした。

標高はどれくらいでしょうか。とても景色は良かったです。
眼下には彦根市街。(クリックすると拡大します)
佐和山城からの風景1.jpg

佐和山城からの風景2.jpg
見えづらいかもしれませんが、眼下の山の上に彦根城があります。

著名人の墓
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2010年02月09日

井伊直政像   (滋賀県彦根市)

滋賀県彦根市、彦根駅前にある井伊直政像です。

<井伊直政像>
井伊直政像.jpg
住所:滋賀県彦根市旭町(彦根駅前)

井伊直政は徳川四天王の一人に数えられ、井伊の赤備えでも有名な
武将です。
関ヶ原の戦いの戦功で近江佐和山城主となり、後に彦根藩初代藩主
となります。その関係で彦根駅前には井伊直政の銅像があります。

この日は朝方雪が降っていた事もあり、雪をかぶった井伊直政の
銅像です。

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2010年01月05日

宗安寺    (滋賀県彦根市)

滋賀県彦根市の宗安寺に行ってきました。

<宗安寺>
宗安寺.jpg
住所:滋賀県彦根市本町2-3-7
駐車場あり(無料)
境内自由

宗安寺は百万遍知恩寺を本山とする浄土宗の寺院です。足利尊氏・直義
兄弟が各国毎に一寺を選び、安国寺と名付けた寺院のひとつ、上野国
の安国寺がその起こりと伝えます。1590年頃のちの彦根藩初代藩主
井伊直政が箕輪(群馬県高崎市)の城主であったとき、正室の東梅院
が両親の菩提のために再建されました。
1598年、直政が高崎城主になると安国寺の高崎に移転。
関ヶ原の戦いの後、直政が近江佐和山への転封にともなって、佐和山
の麓に移転されました。彦根城築城が始まった1603年、現在
の地に移り安国寺から宗安寺へと寺号を変えました。

<本堂>
宗安寺 本堂.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
彦根の夢京橋キャッスルロードの真ん中へんにある宗安寺というお寺
に立ち寄りました。
彦根城の博物館に、井伊家ゆかりの寺ということで紹介があったから
です。
確かに大きなお寺で、由緒あるんだろうなというのが分かります。
もとは上野の安国寺ってのがびっくりです。今でも高崎に安国寺が
ありますから、そことは同根なんですね。

またこれは偶然の発見になりましたが、この宗安寺には豊臣家の若き
勇将木村重成の首塚がありました。

<木村重成の首塚>
宗安寺 木村重成の首塚.jpg

大阪の陣で討ち死にした木村重成の首塚が何でこんなところに?、と
いう疑問を感じましたが、こういう理由みたいです。

大阪夏の陣で討ち死にした木村重成の首級を彦根藩士安藤長三郎は
傍らに生い茂るススキに包み込み、これを護持して彦根に帰り首実検
の時の主君より懇ろなる弔いをせよとの言葉を受けて佐和山の麓の池
で丁寧に洗い、己が菩提寺の宗安寺安藤家墓所に厚く葬り、自家先祖
と同様に祭祀することとしたそうです。

首を包んだススキはその後根付き繁茂したという事で、この宗安寺に
「血染めのススキ」として解説がありました。

宗安寺 血染めのすすき.jpg

意外な発見に驚きました。

著名人の墓
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2010年01月04日

夢京橋キャッスルロード (滋賀県彦根市)

滋賀県彦根市の夢京橋キャッスルロードに行ってきました。

<夢京橋キャッスルロード>
夢京橋キャッスルロード1.jpg
住所:滋賀県彦根市本町

彦根市本町は彦根城の築城に並行して城下が建設された折、町人
の居住区の町割りを本町から割り始められるなど明治維新まで政治
経済文化の中心地として栄え、歴史的に由緒ある町でした。
その本町に約300メートルにわたり江戸時代の町並みを再現し、
お土産屋や食事処などが軒を連ねる町並みになりました。
これが夢京橋キャッスルロードです。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
彦根城を観光したあと、お土産を買おうと思い夢京橋キャッスルロード
に行ってきました。
夢京橋キャッスルロードは昔ながらの風景が連なる町並みですが、これ
は再現されたものだそうです。一部昔のものもあるのかな〜、その辺
はよく分かりませんが、町並みとしてはとても風情を感じます。

夢京橋キャッスルロード2.jpg

夢京橋キャッスルロード3.jpg

夢京橋キャッスルロード4.jpg

今回もお土産を購入するために、いろいろ散策。
「夢京橋あかり館」というお店でお土産を購入しました。
その夢京橋あかり館の中では「ひこにゃん神社」という神社を発見。
参拝してきました(^-^)

夢京橋キャッスルロード ひこにゃん神社.jpg
初詣には賑わうんでしょうかね。

日本の古い町並み
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2010年01月03日

埋木舎   (滋賀県彦根市)

滋賀県彦根市の埋木舎に行ってきました。

<埋木舎>
埋木舎1.jpg
所在地:滋賀県彦根市尾末町1-11
電話番号:0749-23-5268
料金:300円

井伊直弼が17歳から32歳までの青年時代を300俵の捨て扶持で
過ごしたところで、直弼は自らを生涯花咲くこともあるまいと埋もれ
た木にたとえて埋木舎と呼んだ。ここで彼は茶道、華道、禅、歌道、
武術などの研究に励んだ。
茶道では石州流を学び裏手にある茶室は濡露軒と名付け数多くの弟子
に一期一会の茶道精神を伝えた。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
彦根の埋木舎(うもれぎのや)に行ってきました。
相当昔に一回行ったら改修中かなにかで入れず、中に入ったのは
今回が初めてです。
埋木舎は井伊直弼が若い時代を過ごした建物。第一回の大河ドラマ
『花の生涯』の舞台にもなったところです。

小さな建物で、後の大老井伊直弼の若き頃の苦労が分かる気がしま
した。訪問した日は雪で、また風情がありました。

埋木舎2 表座敷.jpg

埋木舎3.jpg

埋木舎4.jpg

花の生涯.jpg


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2009年12月25日

彦根城    (滋賀県彦根市)

滋賀県彦根市の彦根城に行ってきました。

<彦根城>
彦根城.jpg
住所:滋賀県彦根市金亀町1-1
駐車場あり(有料:400円)

1600年、井伊直政が関ヶ原の戦いの戦功により石田三成の佐和山城
を与えられ、1601年上野の高崎城から佐和山城に移ってきた。
その後、直政は城を彦根山に移そうと考えたが実現せず病死し、
1603年、その子直継が父直政の遺志を受けて彦根城の築城に着手
した。徳川家康は特に奉行を差し向け7ヶ国12大名にも応援させ
1622年現在の彦根城が完成。築城をはじめてから実に20年の
歳月を要したもので、城地面積約75800余坪、周囲約4キロ、
高さ約50メートルの彦根山に築城した平山城である。
昭和26年に彦根城天守閣をはじめ天秤櫓・太鼓門櫓・三重櫓・
佐和多聞櫓が重要文化財に指定され、さらに同27年には天守閣を
国宝に、同31年には彦根城一帯を特別史跡に、同38年に馬屋が
重要文化財に指定される。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
久しぶりに彦根城に行ってきました。
この日は朝方まで雪が降っていて、雪の彦根城になりました。
彦根城は江戸時代初期の建造物で、今残る数少ない現存の城です。
建物は国宝。すばらしいものです。

雪景色もまた良くて、今までとはひと味違う彦根城を堪能出来ました。

彦根城2.jpg

彦根城 天秤櫓.jpg

彦根城3.jpg

彦根城4.jpg

彦根城西の丸から.jpg

日本の城を巡る
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国宝建造物を巡る
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2008年12月16日

坂本の町並み   (滋賀県大津市)

滋賀県大津市の坂本の町を散策してきました。

<坂本の町並み>
坂本の町並み
住所:滋賀県大津市坂本本町

比叡山延暦寺の門前町として栄えた町がここ坂本です。
かつては、明智光秀が居城とした事もあります。

穴太積みと言われる石垣の町並みで、今では重要伝統的建造物群保存
地区にも指定されています。

坂本 穴太積みの町並み

坂本 穴太積みの町並み

坂本 穴太積みの町並み

坂本の石垣の町並みは、滋賀院門跡付近が一番雰囲気があって良いな
と思います。以前来たときは雨だったんですが、雨に濡れた石垣も
また趣がありました。

日本の古い町並み
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石積みの門前町坂本

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2008年12月13日

東海道大津宿   (滋賀県大津市)

滋賀県大津市、旧東海道を歩いてみました。

<東海道大津宿>
東海道大津宿
住所:滋賀県大津市京町 他

大津宿は東海道53次の最後の宿場町。
また、中山道では69番目の宿場町です。どちらも最後の宿場に
なります。
ここから逢坂山を越えればそこは京都です。

国道1号と、琵琶湖岸道路の間に旧東海道があります。
膳所から三井寺の方まで歩いてみました。
ずっと古い町並みが続くわけではありませんが、随所に昔ながらの
面影を感じることが出来ました。

東海道大津宿

東海道大津宿

東海道大津宿

東海道大津宿

東海道五十三次
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東海道大津宿

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日吉大社   (滋賀県大津市 観光名所)

滋賀県大津市の日吉大社に行ってきました。

<日吉大社>
日吉大社
住所:滋賀県大津市坂本5-1-1
駐車場あり
拝観料:300円

日吉大社は東西両本宮を中心に数多くの社殿が鎮座している。
全国に3800余社の分霊社があり、その総本宮である。
西本宮を筆頭に、東本宮、宇佐宮、牛尾宮、白山宮、樹下宮、三宮宮
と続き、それぞれに神輿を有する。
境内は八王子山をふくむ13万坪で、国宝2棟、重要文化財17棟を
有す。かつては境内108社、境外108社と言われ境内ならびに
坂本の町までもが神々の一大拠点であった。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
大津の日吉大社に行ってきました。今回で3回目です。
解説にもある様に、この神社の建物はほとんどが重要文化財に指定
され、東西両本宮は国宝という文化財マニアの僕にとってはたまら
ない神社です。
前回はこれらの建造物をゆっくり見て歩きました。

今回は紅葉を見ようと思っての訪問でした。
日吉大社もみじ祭りが開催中という事で行ってみました。
ちょっと時期をすぎていましたが、それでも残ったモミジが朝日を
あびて綺麗に光っていました。
日吉大社はやはり秋が良いですね。秋に行って紅葉と歴史ある建造物
を堪能すれば満足間違い無しという感じです(^-^)

<西本宮楼門・重要文化財>
日吉大社 西本宮楼門

<西本宮・国宝>
日吉大社 西本宮(国宝)

<宇佐宮本殿・重要文化財>
日吉大社 宇佐宮本殿(重要文化財).jpg

<白山宮本殿・重要文化財>
日吉大社 白山宮本殿(重要文化財).jpg

<東本宮・国宝>
日吉大社 東本宮(国宝).jpg

<大宮橋・重要文化財>
日吉大社 大宮橋(重要文化財).jpg

紅葉の名所巡り
http://rover.seesaa.net/article/22577081.html

国宝建造物を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21220842.html

【紅葉の写真は続きをどうぞ】

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2008年12月11日

長等神社   (滋賀県大津市 観光名所)

滋賀県大津市の長等神社(ながらじんじゃ)に行ってきました。

<長等神社>
長等神社
住所:滋賀県大津市三井寺町4-1
TEL:077-522-4411
境内自由

長等神社は天智天皇が近江大津宮へ遷都の際に都の鎮護として須佐之
男命を志賀の長等山岩座谷の地に祀られたのが始まり。
1340年足利尊氏によって再建。
湖南の大社と言われ、皇室をはじめ武将や多くの民衆から深く崇敬
され、隆盛を極めた。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
大津市内をさまよっていて発見した神社です。
由緒を見てみると、1300年もの歴史をほこる神社でびっくり。
あまり観光的に知られていない神社なので、意外でした。
この近くには三井寺(園城寺)という有名なお寺があるため、完全
にその影に隠れているような気がします。

山門といい、本殿といい、建物も充分に立派なのに、もったいない
です。
長等神社

あとこの長等神社で良かったのは紅葉。
すごく綺麗でした。
探せば隠れ名所があるものですね!

【紅葉の写真は続きをご覧ください】

紅葉の名所巡り
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長等神社

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2008年08月06日

中山道柏原宿    (滋賀県米原市 観光名所)

滋賀県米原市の柏原宿の町並みを散策しました。

<中山道柏原宿>
中山道柏原宿
住所:滋賀県米原市柏原

柏原宿はお江戸日本橋より中山道69宿のうち61番目になり、
京都までは21里のところにある。
柏原宿は規模が大きく、69宿中宿高で4番目、宿場の長さ13丁
(1420メートル)は10番目。
旅籠は隣宿との距離が近かったにもかかわらず22軒もあった。

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平成18年3月24日、中山道柏原宿を散策しました。
ここは美濃・近江の国境にある宿場町で、古戦場で有名な関ヶ原の
西側にあたります。
現在も交通の要衝という事もあり、何度となく近くの国道は走った
事がありましたが、宿場町の中を散策するのは今回が初めてでした。

あいにく22軒あった宿場は今では1軒も残っていないそうです。
そこは残念。
今残る古い建築はそんなにありませんが、1.5キロにわたってつづ
いた町並みの面影は感じることが出来ます。

<中山道柏原宿>
中山道柏原宿

中山道柏原宿

中山道柏原宿

日本の古い町並み
http://rover.seesaa.net/article/21960937.html

中山道六十九次
http://rover.seesaa.net/article/124324406.html



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2008年03月09日

ひこにゃん    (滋賀県彦根市)

先日、新宿駅で最近ブレイク中の「ひこにゃん」を目撃しました。

<ひこにゃん>
ひこにゃん

ひこにゃんは、国宝・彦根城築城400年祭のキャラクターとして誕生
したキャラクターです。

江戸の豪徳寺で彦根藩2代目藩主の井伊直孝が、雨に遭い木の下で
雨宿りをしていると手招きをする白猫がいて、近寄ったところ、今
まで雨宿りしていた木に落雷がありました。
直孝はこの猫に感謝し、豪徳寺を井伊氏の菩提寺にしたそうです。
その猫と、井伊家の赤備えの兜をモチーフにしたのがこの
「ひこにゃん」です。

そのゆるいキャラが受けて、今や人気は全国区です。
僕もそんな「ひこにゃん」が大好き。
先日は偶然新宿駅で遭遇。生ひこにゃん、やっぱ可愛かったです(^-^)

<動画もいろいろあるみたいです>

ひこにゃん The Movie

ひこにゃん The Movie 2

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2007年08月27日

琵琶湖博物館   (滋賀県草津市)

滋賀県草津市にある琵琶湖博物館に行ってきました。

<琵琶湖博物館>
琵琶湖博物館
住所:滋賀県草津市下物町1091
電話:077-568-4811
営業:9:30〜17:00(入館は16:30まで)
入場:600円

琵琶湖博物館に行ってきました。琵琶湖東岸、烏丸半島にある博物館
です。
今回は、蓮の群落にひかれて烏丸半島へ。水生植物園とこの琵琶湖
博物館をセットで観光しました。

琵琶湖博物館は琵琶湖の歴史や生態系、漁業、琵琶湖の研究などに
ついての展示や、琵琶湖の生物の水族館などを兼ねた施設です。

常設展示だけでも見きるには1時間半くらいかかります。すごく展示
の規模も大きく見応えがある施設でした。

<漁業についての展示>
琵琶湖博物館

<アーチ型の水槽>
琵琶湖博物館
水族館ブースには琵琶湖の生き物が飼われています。
もちろん、最近増殖したブラックバスやブルーギルもいるあたり
差別はされていません。ある意味興味深いです。

ここは琵琶湖観光では一度見ておいた方が良い施設だなと思いました。
常設展の他にも、随時特別展(別料金)も開催されている様です。

平成19年夏旅
http://rover.seesaa.net/article/51511781.html

琵琶湖博物館

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