2022年10月09日

金峯山寺   (奈良県吉野町)

吉野町にある金峯山寺に行ってきました。

<金峯山寺>
金峯山寺3.jpg
住所:奈良県吉野郡吉野町吉野山2498
駐車場(少し離れた下千本駐車場から歩き)
蔵王堂拝観:800円
境内自由

<金峯山寺について>
金峯山寺5.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
金峯山寺に行ってきました。
金峯山寺は7世紀後半に役小角によって創建された修験道の総本山です。
吉野の中心寺院であり、蔵王堂・仁王門は国宝に指定されています。

こういう有名寺院はこのブログで紹介する必要は無いと思ってるので、基本はしょり
ます(笑)
蔵王堂は国宝建造物だけあって、とにかく立派。
有料の中は拝観しませんでしたが、参拝はしてきました。

<国宝・蔵王堂>
金峯山寺2.jpg

また、この地は鎌倉幕府末に、大塔宮護良親王が北条軍を迎え撃った古戦場でもあり
ます。現地には大塔宮陣地跡の碑や、大塔宮の身代わりとなって死んだ村上義光の碑
などもありました。

<大塔宮陣地跡>
金峯山寺4.jpg

<村上義光の碑>
金峯山寺  村上義光公碑.jpg

<後醍醐天皇導きの稲荷>
金峯山寺 後醍醐天皇導きの稲荷.jpg

金峯山寺 後醍醐天皇導きの稲荷2.jpg

<昔撮った蔵王堂・平成11年8月13日撮影>
金峯山寺6.jpg

令和4年夏休み旅 奈良・和歌山
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古戦場めぐり
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国宝建造物を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21220842.html



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吉野朝宮跡   (奈良県吉野町)

吉野町にある吉野朝宮跡に行ってきました。

<吉野朝宮跡>
吉野朝宮跡3.jpg
住所:奈良県吉野郡吉野町吉野山2494
駐車場無し

<吉野朝宮跡について>
吉野朝宮跡2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
南朝の吉野朝宮跡です。要は南朝の皇居跡です。

吉野金峯山寺の脇にあり、後醍醐天皇から3代の御座所となりました。
江戸時代に入ると、徳川幕府から吉野修験道の強大な勢力を警戒され、弾圧政策
をとられました。
明治期の廃仏毀釈などもあり、今は遺構はほぼ無く、完全に跡地になってしまって
おりました。

<吉野朝宮跡>
吉野朝宮跡.jpg

吉野朝宮跡4.jpg

令和4年夏休み旅 奈良・和歌山
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2022年10月05日

如意輪寺・後醍醐天皇陵   (奈良県吉野町)

吉野の如意輪寺に行ってきました。

<如意輪寺>
如意輪寺.jpg
住所:奈良県吉野郡吉野町吉野山1024
駐車場あり
拝観:500円

<如意輪寺について>
如意輪寺4.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
如意輪寺に行ってきました。
吉野散策の最後の訪問地です。下千本駐車場から歩いて行ったので、片道40分
くらいかかりました。
近くに駐車場がある様なのですが、金剛峯寺とは別方向から来る必要がありそうです。

如意輪寺は三好善行の弟日蔵道賢上人により真言宗のお寺として建立されました。
後醍醐天皇が吉野に行宮を構えた際に、後醍醐天皇の勅願寺と定められました。

後醍醐天皇は亡くなると如意輪寺の北側の丘に葬られます。
天皇陵のなかで唯一の「北面の御陵」という北向きの御陵です。
これは京に帰りたいという天皇の願いを示すものだそうです。

<後醍醐天皇陵>
如意輪寺5.jpg

如意輪寺6.jpg

また、南北朝時代中期には、楠木正行が四條畷に出陣する際、後村上天皇に別れを
告げ、この寺を詣で辞世の句を残して出陣したとの事です。
そんな歴史的由緒のある如意輪寺、歩き疲れての訪問でしたが、十二分に堪能して
きました。

<如意輪寺>
如意輪寺2.jpg

如意輪寺3.jpg

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大河ドラマの舞台
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著名人の墓
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2022年09月24日

黒木御所跡    (奈良県十津川村)

十津川村にある黒木御所跡に行ってきました。

<黒木御所跡>
黒木御所跡.jpg
住所:奈良県吉野郡十津川村谷瀬4
駐車場無し

<黒木御所跡について>
黒木御所跡4.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
十津川村にある黒木御所跡に行ってきました。

ここは赤坂城の戦いで敗れた大塔宮護良親王を竹原宗親が匿った仮御所跡です。
「黒木」というのは、「仮の」または「粗末な」という様な意味なんだそうです。

黒木御所跡2.jpg

黒木御所跡3.jpg

また、幕末には天誅組がここで幕府軍を迎え撃つべく計画していた場所でもあります。

黒木御所6.jpg

谷瀬の吊り橋を渡り、渡った先から歩いて2〜3分の場所にあります。
今回も吊り橋を渡って黒木御所跡を合わせて観光しました。

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2022年09月18日

瀧川寺    (奈良県上北山村)

奈良県上北山村にある瀧川寺に行ってきました。

<瀧川寺>
瀧川寺3.jpg
住所:奈良県吉野郡上北山村小橡228
駐車場無し
境内自由

<瀧川寺・後南朝のお話・クリックすると拡大します>
瀧川寺6.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
後南朝旧跡・瀧川寺に行ってきました。
後南朝って知ってる人もほとんどいないですよね。歴史の授業でも習いませんし。
1392年に南北朝は統一されて終焉となるんですけど、その後、持明院統と大覚寺
統の皇位継承が守られなかった事から、旧南朝方の勢力との抗争が1500年近く
までくすぶる事に。その旧南朝勢力を後南朝と称する様です。

この瀧川寺は1457年に起こった長禄の変の旧跡です。
南朝の系譜をひく北山の宮が神器を持ってこの寺に潜伏していたのですが、嘉吉の乱
で破れた赤松氏の遺臣によって殺され神器が奪われる事件が起こりました。
一旦は神器を奪った赤松の遺臣でしたが、それを知った村人達に北山宮の首と神器が
奪い返されました。
村人は北山宮の首を瀧川寺に手厚く葬ったとの事です。

<瀧川寺>
瀧川寺.jpg

瀧川寺2.jpg

<北山宮墓所>
瀧川寺3北山宮の墓.jpg
南朝皇族の墓という事で、宮内庁の管理看板が建ってました。

<瀧川寺からの風景>
瀧川寺5.jpg

瀧川寺4.jpg

奈良の奥地に後南朝の遺跡あり。勉強になりました。

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2022年09月11日

谷瀬の吊り橋   (奈良県十津川村)

谷瀬の吊り橋に行ってきました。

<谷瀬の吊り橋>
谷瀬の吊り橋.jpg
住所:奈良県吉野郡十津川村上野地65−2
駐車場あり(有料:800円)
橋は無料

<谷瀬の吊り橋について>
谷瀬の吊り橋2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
谷瀬の吊り橋に行ってきました。
谷瀬の吊り橋は高さ54m、長さ297.7m、日本一の吊り橋と言われる吊り橋
です。
この吊り橋、観光用につくられたものではなく、昭和29年に800万をかけて
生活用に架けられたものです。

今までいろいろ吊り橋を渡ってきました。しかし、この吊り橋、今までで一番恐怖
を覚えました。
高さもしかりなんですが、吊り橋を構成する板と板を繋ぐ金具が外れ気味。また板
の強度も大丈夫かという不安で生きた心地がしませんでした。
板が仮に割れたら一気に転落しそうな状況で・・・。
この板の下がスカスカなもんで。いやはや恐怖恐怖でした。

ここまで来たら渡るしかないという事で渡りましたが、帰りもあるかと思うと・・。
帰りは一切下を見ずに、早歩きで渡りきりました。
もう二度とこの橋を渡ることはないでしょう(^^;

GWなどの混雑時は一方通行になり、渡った先からバスで戻る事になるそうです。
また、橋を渡った先に南北朝時代の大塔宮遺跡である黒木御所跡があります。

<谷瀬の吊り橋>
谷瀬の吊り橋3.jpg

谷瀬の吊り橋4.jpg

谷瀬の吊り橋5.jpg

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2022年08月28日

村上義光の墓を参拝  (奈良県吉野町)

吉野にある村上義光の墓を参拝しました。

<村上義光の墓>
村上義光の墓.jpg
住所:奈良県吉野郡吉野町橋屋480
駐車場無し

<村上義光について>
村上義光の墓3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
吉野にある村上義光の墓を参拝しました。
村上義光に関する資料は少なく、良く分かっていない人物の様です。
『太平記』では大塔宮護良親王の忠臣として描かれています。

1333年、吉野城に籠もる護良親王の軍に対し、鎌倉幕府の軍が攻めよせ、吉野城
は落城。村上義光は護良親王の身代わりとなって討ち死にしました。
明治41年になって、村上義光の忠節を評し従三位が追贈されています。

<村上義光の墓・五輪塔>
村上義光の墓2.jpg

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宇陀松山城   (奈良県宇陀市)

奈良県宇陀市にある宇陀松山城址に行ってきました。

<宇陀松山城>
宇陀松山城.jpg
住所:奈良県宇陀市大宇陀春日
駐車場あり(宇陀市松山地区まちづくりセンター駐車場)

<宇陀松山城について>
宇陀松山城2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
続日本100名城「宇陀松山城」に行ってきました。
宇陀松山城は、南北朝時代に宇陀郡の有力国人であった秋山氏の本城として築かれ
ました。別名秋山城とも言います。
1585年、豊臣秀長の大和郡山入部に伴う秋山氏の退去後は豊臣家傘下の大名の
居城として改修・整備され大和国支配の拠点になりました。

関ヶ原後に入封した福島高晴が1615年に改易されたことにより廃城となり、
城は取り壊されました。

平成7年から発掘調査が行われ、石垣や本丸御殿跡などが見つかったとの事。
まだつい最近の事ですね。

ふもとのまちづくりセンターの駐車場を利用して良い様ですが、数台分しかありま
せん。今回は道の駅宇陀路大宇陀に車を停めて散策しました。

まちづくりセンター裏に登山道あり。
道は綺麗に整備されているので、ハードな山城ではありません。
片道15分位で本丸跡まで登城出来ます。

確かに、発掘された石垣や虎口など当時の様子がうかがえる素晴らしい山城です。
ゆっくり堪能したかったんですが、夏の山城恒例のメマトイの攻撃に加え、雨も
降り出した為、早々の退散となりました。

<虎口>
宇陀松山城  南虎口.jpg

<石垣>
宇陀松山城 石垣.jpg

宇陀松山城 石垣2.jpg

<本丸跡>
宇陀松山城 本丸跡.jpg

宇陀松山城 本丸跡2.jpg

<空堀>
宇陀松山城  空堀.jpg

<本丸からの風景>
宇陀松山城からの風景.jpg

令和4年夏休み旅 奈良・和歌山
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日本の城を巡る
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2020年11月11日

達磨寺で松永久秀の墓を参拝   (奈良県王寺町)

王寺町にある達磨寺に行ってきました。

<達磨寺>
達磨寺.jpg
住所:奈良県北葛城郡王寺町本町2丁目1−40
駐車場あり(無料)
境内自由

<達磨寺について>
達磨寺2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
達磨寺に行ってきました。
ここは聖徳太子ゆかりの古刹です。
ここに松永久秀の墓があるというので行ってきました。
松永久秀は信貴山城で籠城の末、平蜘蛛の茶釜とともに爆死(異説あり)
遺体は筒井順慶により達磨寺に葬られたそうです。

信長に対する反逆者だからか、久秀の墓は非常に小さなお墓でした。

<松永久秀の墓>
達磨寺松永久秀の墓.jpg

達磨寺松永久秀の墓2.jpg

達磨寺松永久秀の墓3.jpg

また、ここ達磨寺は聖徳太子ゆかりの寺と言う事で、太子ゆかりのものも。
その中で気になったのが雪丸塚。

<雪丸塚>
達磨寺雪丸塚.jpg

達磨寺雪丸塚2.jpg
聖徳太子に愛犬がいたってのは初めて知りました。
人間の言葉を理解したって、訳分からん話ですね(笑)

入口の山門には雪丸の像も(^-^)
達磨寺雪丸塚3.jpg

令和2年夏旅3 九州大旅行
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大河ドラマの舞台
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著名人の墓
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筒井城址    (奈良県大和郡山市)

大和郡山市にある筒井城址に行ってきました。

<筒井城址>
筒井城.jpg
住所:奈良県大和郡山市筒井町1486
駐車場無し

<筒井城について>
筒井城2.jpg

筒井城3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
筒井城址に行ってきました。
1429年頃筒井順覚によって造られたお城で、筒井氏の居城でした。
松永久秀との戦いを乗り切り、筒井氏の大和支配の拠点となりました。

現地は今は空き地になっていて、そこのフェンスに筒井城の説明が書いてあるのみ
となっています。
現地までの道はかなり狭いです。あと、車を停める場所もありません。
僕は近くのオークワさんの駐車場に停めて見に行きました。
もちろん、その後オークワで買い物。あまりに暑いので、アイス休憩という事に
しました。

令和2年夏旅3 九州大旅行
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2018年03月11日

多聞城跡       (奈良県奈良市)

奈良市にある多聞城跡に行ってきました。

<多聞城跡>
多聞城跡(若草中学校).jpg
住所: 奈良県奈良市法蓮町1416−1
駐車場なし

<多聞城について>
多聞城跡.jpg

多聞城跡(若草中学校)2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
松永久秀の多聞城跡に行ってきました。
かつて4層の天守閣があったと言われる巨大な城跡です。
現在は若草中学校の敷地になっていて、中学校の前に解説板があるんですが、
城の遺構は正直どこにどう残っているのか分かりませんでした。
有名な城だけに、何かあるかなと思ったんですが、ちょっと残念な感じでした。

平成29年〜30年 年末年始の旅
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日本の城を巡る
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柳生藩陣屋跡      (奈良県奈良市)

奈良市の柳生の里にある柳生藩陣屋跡に行ってきました。

<柳生藩陣屋跡>
柳生藩陣屋跡.jpg
住所:奈良県奈良市柳生町339
駐車場無し

<柳生藩陣屋跡について>
柳生藩陣屋跡2.jpg

柳生藩陣屋跡3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
1642年に柳生宗矩によって建築され、江戸時代の藩主の屋敷として使われ
ました。江戸時代中期に焼失し、その後は仮建築のまま明治維新を迎えます。

現在は石垣で建物跡が示され、公園として整備されています。
春は桜の名所となる様です(^-^)

柳生藩陣屋跡5.jpg

柳生藩陣屋跡4.jpg
顔出しのやつもありました(笑)

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天石立神社と一刀石

奈良県奈良市にある天石立神社に行ってきました。

<天石立神社>
天の石立神社.jpg
住所:奈良県奈良市柳生町
駐車場無し(市営有料駐車場を利用)

<天石立神社について>
天の石立神社2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
天石立神社に行ってきました。
奈良の柳生の里、芳徳禅寺から山道を少し400mほど歩き天石立神社に到着です。
ご神体は巨大な岩で、いかにもパワースポットって感じのする場所です。

<天石立神社ご神体>
天の石立神社3.jpg

天の石立神社4.jpg

天石立神社のご神体の奥に一刀石という柳生の観光の中で一番有名な岩があります。

<一刀石>
一刀石.jpg

一刀石2.jpg

柳生宗厳の伝説の残る岩です。柳生の観光関係のパンフには必ず出る岩ですね(^-^)

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2018年02月28日

芳徳禅寺      (奈良県奈良市)

奈良市にある芳徳禅寺に行ってきました。

<芳徳禅寺>
芳徳禅寺2.jpg
住所:奈良県奈良市柳生下町445
駐車場無し(市営有料駐車場を利用)

<芳徳禅寺について>
芳徳禅寺3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
奈良市の柳生の里にある芳徳禅寺に行ってきました。
ここに行くのは今回で2回目です。まあ前回行ったのは15年も前の話なので、
初訪問同様な感じでした。

芳徳禅寺は柳生宗矩による開基、沢庵和尚による開山のお寺で、柳生宗厳の居城で
あった柳生城の跡地に柳生宗厳の菩提を弔う為建立されました。

芳徳禅寺 石舟斎塁城跡.jpg
城跡であった事を示す「石舟斎塁城跡」の碑。

芳徳禅寺2.jpg

その後、柳生氏の菩提寺となり、柳生家の歴代の墓碑が並ぶ柳生家墓所寺の裏にあり
ます。

<柳生家墓所>
芳徳禅寺4.jpg

柳生宗厳.jpg
柳生宗厳(石舟斎)の墓

柳生家墓所.jpg
左側が柳生宗矩の墓。真ん中が柳生三厳(十兵衛)の墓です。

歴史を感じられる寺ですね〜。
とても良いんですが、こんな山の中にあるのに駐車場が無いのが残念。
市営駐車場500円位するし・・・・。

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2018年02月21日

十兵衛杉      (奈良県奈良市)

奈良市にある十兵衛杉を見てきました。

<十兵衛杉>
十兵衛杉.jpg
住所:奈良県奈良市柳生下町
駐車場なし

<十兵衛杉について>
十兵衛杉2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
柳生の里にある十兵衛杉を見てきました。
柳生十兵衛ゆかりの杉の木ですが、あいにく枯れてしまっていました。

いずれ北海道のトドワラの様に風化してしまうんでしょうね。
ちと寂しい感じがしました。

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2017年03月18日

秋津城址      (奈良県下市町)

奈良県下市町にある秋津城址に行ってきました。

<秋津城址>
秋津城址.jpg
住所:奈良県吉野郡下市町下市字本町
駐車場無し

<秋津城について>
秋津城址2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
秋津城址に行ってきました。
秋津城は平安時代にこの地に赴任した秋津氏の居城。南北朝時代には
南朝方として忠勤に励んだそうです。
秋津城は秋津氏の居城で、山城として防御の拠点でしたが、築城年代
等は分かっていない様です。

国道沿いに八幡神社入り口という案内があり、この神社が城跡の様です。
秋津城址5.jpg
ここから登っていきます。

秋津城址3.jpg

秋津城址4.jpg

普通の神社で、特に城跡というような雰囲気はありません。
城の大部分は隣接する墓地のあたりの様です。

平成28年〜29年 年末年始の旅
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日本の城を巡る
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2017年03月15日

下市の町並み    (奈良県下市町)

奈良県下市の町並を散策してきました。

<下市の町並み>
simoiti.jpg
住所:奈良県吉野郡下市町下市
駐車場無し

下市は吉野への入り口の交通の要衝として栄え、金峯山寺への参拝客など
で賑わいました。
吉野町には上市という町があり、上市・下市は関連する地名の様です。
今回下市の町を歩いてきましたが、国道309号線沿いに昔ながらの町並み
が残っていました。

<下市の町並み>
下市の町並み.jpg

下市の町並み2.jpg
この建物は昭和初期の様な雰囲気を感じますね。

下市の町並み6.jpg
今は閉まっていますが、銭湯です。

下市の町並み4.jpg

下市の町並み3.jpg

下市の町並み5.jpg

下市の町並み7.jpg
川沿いの建物、全て川の上にオーバーハングしてるんですが・・・。
建坪率守られているのか疑問に感じてしまいました(^^;;;;

平成28年〜29年 年末年始の旅
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日本の古い町並み
http://rover.seesaa.net/article/21960937.html

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栄山寺     (奈良県五條市)

奈良県五條市にある栄山寺に行ってきました。

<栄山寺>
栄山寺2.jpg
住所:奈良県五條市小島町503
駐車場あり(無料)
拝観料:400円

<栄山寺について>
栄山寺.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
五條市にある栄山寺に行ってきました。
栄山寺は藤原不比等の子で、奈良時代に権勢を誇った藤原四兄弟の長兄
である藤原武智麻呂が創建したお寺です。

重要文化財級の建物がありますが、一番の見所は国宝である八角円堂です。

<八角円堂・国宝>
栄山寺 八角円堂.jpg

栄山寺 八角円堂2.jpg
この八角円堂は、武智麻呂の死後、子の藤原仲麻呂が父の菩提を弔う為に
建立した物だそうです。
八角形のお堂、見事な建築です。奈良時代の建築技術すごいです(・o・)

<大日堂・重要文化財>
栄山寺 大日堂.jpg

<七重石塔婆・重要文化財>
栄山寺 七重石.jpg

平成28年〜29年 年末年始の旅
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国宝建造物を巡る
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2017年03月13日

天誅組本陣跡 / 桜井寺   (奈良県五條市)

奈良県五條市にある天誅組本陣跡に行ってきました。

<桜井寺>
桜井寺.jpg
住所:奈良県五條市須恵1丁目3−26
駐車場あり(無料)

<天誅組本陣について>
天誅組本陣跡2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
天誅組本陣跡である桜井寺に行ってきました。
天誅組は幕末に、土佐藩脱藩吉村寅太郎を中心に、主将に公家の中山忠光
を要して起こされた内乱です。
急進的な尊王攘夷派の決起で、五條の代官所を襲い代官の首をとり、
桜井寺に本陣を置きました。
桜井寺には天誅組本陣跡の碑が建っています。

<本陣跡の碑>
天誅組本陣跡.jpg

また、討ち取った五條代官の首を洗ったという水盤が今も残されています。

<代官首洗いの水盤>
天誅組本陣跡3.jpg

天誅組の変はその後幕府軍の攻撃により鎮圧されますが、明治維新へ繋がる
一連の歴史の流れの中で、一番最初の動きと言って良いような事件だったと
思います。

平成28年〜29年 年末年始の旅
http://rover.seesaa.net/article/445480957.html

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2017年03月05日

藤原武智麻呂の墓参拝     (奈良県五條市)

奈良県五條市にある藤原武智麻呂の墓を参拝してきました。

<藤原武智麻呂の墓>
藤原武智麻呂の墓.jpg
住所:奈良県五條市小島町
駐車場あり(無料)

藤原武智麻呂は、藤原不比等の長男で奈良時代初期に権勢をふるった
藤原四兄弟の一人です。藤原四兄弟はそれぞれ南家、北家、式家、京家
という家の祖となり、武智麻呂は南家の祖になります。
栄山寺は武智麻呂創建のお寺、その裏山にお墓があります。

藤原武智麻呂の墓2.jpg
栄山寺脇にある駐車場からこんな道を登って行きます。
カーナビを見ると、武智麻呂の墓のすぐそばに道路がある様に見えました。
ネットでいろいろ調べましたが、武智麻呂の墓の前まで車で行けるかどうか
まったく分かりません。

栄山寺脇の駐車場にある案内板には、ここから登って行くという案内のみ。
やむなく山登りする事にしました。
大晦日の夕方に息を切らして山登り。片道30分くらいかかる山を登り

頂上とおぼわしき場所に出ます。
藤原武智麻呂の墓3.jpg
何か駐車スペースみたいなのがあります。これは車で来るべきだったかと
の思いがよぎりました。

しかし、ここには武智麻呂の墓はありません。
更に進みます。
頂上とおぼわしきところから数分歩くと、遂にありました藤原武智麻呂の
墓です。

藤原武智麻呂の墓4.jpg
確かに前に道路はありますが、幅員は2mちょい。これは軽自動車くらい
じゃないと厳しい道幅です。やっぱ歩いてきて正解でした。

この小高い森の中に武智麻呂の墓がありました。
藤原武智麻呂の墓5.jpg
墓の裏を見ると太政大臣正一位武智麻呂公とあります。
藤原武智麻呂って太政大臣になってたっけ?
ふと疑問を感じました。
調べてみると、武智麻呂が亡くなった時の官位は正一位左大臣だったの
ですが、数十年後に太政大臣を追贈されたとの事でした。

武智麻呂の流れである藤原南家は子の藤原仲麻呂が恵美押勝の乱を起こ
し敗れた事などで、その後あまり目立つ事もなく、弟の藤原房前の流れで
ある藤原北家が主導権をにぎります。藤原氏の栄華を極めた藤原道長・頼道
親子も藤原北家の人物です。

平成28年の大晦日、歴史を感じた墓参りでした(^-^)

平成28年〜29年 年末年始の旅
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著名人の墓
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2017年02月05日

五條新町の町並み散策     (奈良県五條市)

奈良県五條市、五條新町の町並みを散策してきました。

<五條新町>
五條新町1.jpg
住所:奈良県五條市五條1丁目、新町1丁目他
駐車場あり(無料)

<五條新町について>
五條新町.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
国の重要伝統的建造物群保存地区「五條新町」の町並みを散策してきま
した(^-^)

五條新町は江戸時代初期に松倉重政の二見城の城下町として整備された
町並みだそうです。
五條新町通沿いに昔ながらの蔵や木造の古い建物が密集して残っており、
あたかも江戸時代にタイムスリップしたかの様な町並みを堪能出来ました。
昔町マニアの私ですが、密集度といい五條新町は全国でも有数の町並み
だなと思いました。

駐車場は、まちなみ伝承館、史跡公園長屋門のどちらかの駐車場を利用
出来ます。無料です。

<五條新町の町並み>
五條新町4.jpg

五條新町2.jpg

五條新町3.jpg

五條新町7.jpg

五條新町6.jpg

五條新町8.jpg

五條新町5.jpg

五條新町9.jpg

平成28年〜29年 年末年始の旅
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日本の古い町並み
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2016年11月21日

信貴山城址      (奈良県平群町)

奈良県平群町にある信貴山城址に行ってきました。

<信貴山城址>
信貴山城址.jpg
住所:奈良県生駒郡平群町信貴山
駐車場あり(有料:朝護孫子寺駐車場を利用)

<信貴山城について>
信貴山城址2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
信貴山城址に行ってきました。
信貴山城と言えば、なんと言っても有名なのは松永久秀がこの城に籠城
し、織田信長と戦った事。松永久秀は平蜘蛛の茶釜とともに爆死します。

そんな有名な城ではありますが、まだ訪問していませんでした。
10年前に朝護孫子寺を参拝したんですが、その時、信貴山城には行き
ませんでした。

信貴山城は朝護孫子寺の一角、空鉢護法堂がある場所がその跡地と言われ
ています。
朝護孫子寺の行者堂の脇にある鳥居を潜り、信貴山山頂に向かいます。
信貴山城址3.jpg

信貴山城址4.jpg
こんなつづら折りの坂を登って行きます。

行者堂から山頂までは約15分〜20分位で到着します。道のりは険しい
です。
山頂の空鉢護法堂の所に信貴山城の石碑もあります。ここは標高437m
あり、遠くまで見渡すことが出来ます(^-^)
信貴山城址5.jpg

本丸跡から北東方向へ下って行くと、松永久秀の屋敷があったという松永屋敷
跡に到着します。

信貴山城址 松永屋敷跡.jpg

信貴山城址 松永屋敷跡2.jpg
松永屋敷跡には木の兵隊も(笑)

<松永屋敷について>
信貴山城址 松永屋敷跡3.jpg

信貴山城は信貴山朝護孫子寺の一角ですので、お寺と一緒に訪問というのが
基本ですが、最低でも1時間くらい時間はいておいた方が良いと思います。
また雨の日は登頂は厳しいかと思います。

真夏も訪問でしたが、一番の難敵は暑さではなく小虫の襲撃でした。
ものすごい数の小さい虫が飛んでて、顔に纏わり付いてきて最悪の
状況でした。口の中に入ってきたりするし(>_<)
夏に行く場合は虫除けは必須かと思います。

平成28年夏旅 目指せ名護屋城ツアー
http://rover.seesaa.net/article/441115763.html

日本の城を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21222307.html

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2015年02月08日

高松塚古墳    (奈良県明日香村)

奈良県明日香村にある高松塚古墳に行ってきました。

<高松塚古墳>
高松塚古墳2.jpg
住所:奈良県高市郡明日香村大字平田439
駐車場あり(無料)
壁画館:250円

明日香村にある高松塚古墳に行ってきました。
あまりにも有名な古墳なんですが、あまり古墳に興味が無いせいか今まで
一度も行ったことがありませんでした(近くはよく通りかかるんですが)
今回は一度は行っておくかという事で行ってみました。

高松塚古墳は昭和47年橿原考古学研究所の調査により発見された円墳
です。直径23m及び18m、高さ5mの二段式の円墳で、中には国宝に指定
されている壁画があります。
その後壁画にカビが発生したりといろいろトラブルが発生したのは有名
な話ですね。石廓内の湿度の問題などで管理が難しい様ですね。
ちなみにまだ誰の墓かは分かっていないそうです。

高松塚の壁画はレプリカを壁画館で見る事が出来ます。
高松塚壁画観.jpg

写真は不可なので、載せることが出来ません。
外の看板の絵をアップします。

高松塚古墳.jpg
これは切手の図柄にもなった有名な女子群像です。他に白虎・青龍・男子群像などの
壁画があります。

古墳自体は外から見るとこじんまりとした円墳なんですよね。
もっと大きいのかと思ってました。
高松塚古墳3.jpg

平成26年・27年 年末年始の旅
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2015年01月04日

吉祥草寺         (奈良県御所市)

奈良県御所市にある吉祥草寺に行ってきました。

<吉祥草寺>
吉祥草寺.jpg
住所:奈良県御所市茅原279
駐車場あり(無料)
境内自由

<現地解説>
修験道の開祖「役の小角(えんのおづぬ)」は634年、この地に生まれ、青年
のころから葛城山で修行をかさね、そして大峯山で荒行をつみ、神通力を会得し、
各地の山々を開かれた。このため天智天皇から天下泰平の祈願を受け、また悪病
や天災がおこると大法要を行い世の中の平和を取り戻したので「役の行者」と
広く信望をあつめられた。
この吉祥草寺は舒明天皇が七堂伽藍を寄進されたのが初めとされている。
本堂は1396年の再建で、洞内には創建以来不動明王を中心に五大明王が安置
されている。本堂東側にある行者堂には室町時代の行者像と母の像が祀られて
いる。

吉祥草寺2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
吉祥草寺に行ってきました。
ここは修験道の開祖役の小角の生誕の地という事でした。
修験道は日本古来の山岳信仰と仏教が融合した日本独自の宗教で、厳しい荒行の
もと悟りを開くというものです。
山伏が修験道の行者ですね。

修験道の開祖・役の小角(えんのおづぬ)は実在の人物らしいのですが、日本史の
教科書にも名前が出てくるわけでもなく、マイナーな人物です。
実際、後年の創作な部分も多いらしく、はっきしりしていないそうです。
生誕の地はここ吉祥草寺のある御所市で、吉祥草寺の中に産湯の井戸と腰掛け石
がありました。

<役の小角産湯の井戸>
吉祥草寺 役行者産湯の井戸.jpg

<役の小角腰掛け岩>
吉祥草寺 役行者腰掛け岩.jpg

平成26年・27年 年末年始の旅
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甘樫丘        (奈良県明日香村)

奈良県明日香村にある甘樫丘に行ってきました。

<甘樫丘>
甘樫丘2.jpg
住所:奈良県高市郡明日香村豊浦
駐車場あり(無料)

<現地解説>
甘樫丘(あまかしのおか)は古くは日本書紀などの中にもその記述が
見られ、7世紀前期には当時の有力者であった蘇我蝦夷、入鹿親子が
大邸宅を構えていた場所であるとも言われています。
北側に大和三山とその中央に位置する藤原京、さらに遠くの生駒山、
二上山、葛城山、金剛山系の山並を望む事が出来ます。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
明日香観光をしてきました。今まで何度か明日香には行ってますが、ここは
まだ行ったことがありませんでした。
甘樫丘は蘇我蝦夷・入鹿親子の屋敷跡という事です。
標高は約150mほど。ちょっとした高台です。
ここからは明日香を一望する事が出来ます。
晴は桜も咲くそうで、眺望とともに桜を楽しめるなら良い場所かなと。
特に料金もかかりませんので、気軽に立ち寄ることが出来ます。

甘樫丘3.jpg

甘樫丘4.jpg

甘樫丘 大.jpg
クリックすると拡大します。

平成26年・27年 年末年始の旅
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2013年10月09日

在原神社 / 筒井筒    (奈良県天理市)

奈良県天理市にある在原神社に行ってきました。

<在原神社>
在原神社.jpg
住所:奈良県天理市櫟本町3916  
駐車場なし

在原神社が鎮座するこの地には明治9年まで在原寺という寺院があり、本堂・庫裏・
楼門などが並んでいました。在原寺の創建はは835年とも880年とも言われ、
後者の説をとる「寛文寺社記」には在原業平の病没後にその邸を寺としたとの記述
があります。在原寺の井筒を『伊勢物語』に見える「筒井筒」の挿話の舞台とする
伝承もここから生まれたものと考えられます。
在原業平(825〜880)は平安期を代表する歌人で、六歌仙にも選ばれています。

現在の社殿は大正9年に改築されたものですが、もとは紀州徳川家が寄進した立派なもの
だったと言われ、遅くとも江戸時代には寺と神社が共存していたようです。

<筒井筒>
筒井筒.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
天理市にある在原神社に行ってきました。
名阪国道の天理ICのすぐ近くにありました。何度も通っているんですけど、
全然ここの存在は知りませんでした。
現在は小さな神社。近くに案内板等もないので、気付かないですね。

ここに祀られているのは歌人の在原業平。
かつてここは在原業平の屋敷だった様です。
『伊勢物語』に出てくる「筒井筒」のお話。かつて国語の授業でこの話が
出てきたので、知っておりました。
その話の舞台と知り、興味深く見てきました。

筒井筒は昔契った井筒の女(紀有常の娘)が現れ、業平との在りし日の交情
を物語るお話。
業平
「筒井筒 井筒にかけし まろがたけ 過ぎにけらしな 妹見ざるまに」

それに対する女の返し、 
「くらべこし ふりわけ髪も 肩過ぎぬ 君ならずして たれかあぐべき」

という和歌が印象的です。

天理市にある古典の舞台。感慨深いものがありました。

平成25年夏旅
http://rover.seesaa.net/article/372055300.htm


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2013年09月25日

大納言塚 / 羽柴秀長の墓     (奈良県大和郡山市)

奈良県大和郡山市にある大納言塚に行ってきました。

<大納言塚>
大納言塚.jpg
住所:奈良県大和郡山市箕山町14
駐車場なし

豊臣秀吉の弟、大和大納言豊臣秀長が1591年、郡山に没するとこの地
に葬られました。豊臣氏滅亡後に秀長の菩提寺大光院は移転し、位牌・墓所は
春岳院に託されました。その後、墓所は荒廃したため、春岳院僧栄隆、訓祥や
町の人々の努力により1777年現在のような五輪の塔が建立されました。
五輪塔は高さ約2mで、塔表面には秀長の法名「大光院殿 前亜相春岳 紹栄居士」
裏面には「春岳院現住法印訓祥、郡山内町中建立之」と刻まれています。

大納言塚2.jpg

大納言塚3.jpg
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
大納言塚に行ってきました。
豊臣秀吉の弟で、大納言羽柴秀長のお墓です。
羽柴秀長は人望もある秀吉旗下の有力武将として、秀吉の天下統一に大きな
功績を残した人物。最後は大和郡山城主で、この地で亡くなっています。
歴史にたらればは無いですが、もし秀長が生きていたら秀吉死後の豊臣家の
崩壊も無かったのではないかと言われています。
そんな秀長のお墓が大和郡山の住宅街の中にありました。
本当に目立たないところです。
徳川の世になり、豊臣に関する事は悉く追いやられた結果なのかもしれない
ですね。ただこの五輪塔自体は、町の人々の協力の下造られたとの事。
秀長の遺徳のたまものでしょうか。

平成25年夏旅
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著名人の墓
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2012年05月27日

筒井順慶の墓     (奈良県大和郡山市)

奈良県大和郡山市にある筒井順慶の墓に行ってきました。

<筒井順慶の墓>
筒井順慶の墓.jpg
住所:奈良県大和郡山市長安寺町
駐車場なし

五輪塔覆堂(国指定重要文化財)
筒井順慶(1549〜1584)の墓所。順慶は1584年郡山城中で
亡くなり、奈良の円証寺に葬られましたが、後に改葬し、この地に葬られました。
桁行1間、梁間1間の宝形造の建物で、柱の間に貫をわたして板塔婆を
目透かしに打ち付け、内法長押は連子窓とします。
覆堂の中には五輪塔が1基あり「順慶陽舜房法印三十六歳、干時入滅天正
十二季甲申八月十一日」の刻銘があります。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
大和郡山市にある筒井順慶の墓に行ってきました。
筒井順慶の墓は、高野山奥の院で織田信長の墓と並んであったのを
見たことがあります。あちらは供養塔かと思います。
近鉄橿原線平端駅近く、車だと停めるところがなく結構ウロウロ
しました・・・・。
筒井順慶の墓は五輪塔で、それを覆うのがこの覆堂です。
ぽつんと古い建物があって、そこが筒井順慶の墓というのに驚き
ました。

著名人の墓
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平成23年末〜24年年始の旅
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2011年02月21日

法隆寺     (奈良県斑鳩町)

奈良県斑鳩町の法隆寺に行ってきました。

<法隆寺>
法隆寺.jpg
住所:奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1
料金:1000円
駐車場あり(近隣有料)

今回の年末年始の旅で、法隆寺に行ってきました。
今回の訪問で2回目なんですが、前回行ったのが相当昔なので、
かなり忘れていて、初めて行ったような感覚になりました。

法隆寺は私が細かく説明する事も無いでしょう。
創建は推古天皇の607年と言われています。
金堂を含む西院伽藍は世界最古の木造建造物と言われています。

1000円という入場料は高く感じますが、見ることが出来る文化財
の数々を考えればこんなものかなと思います。
国宝の建造物も多く、見応え十分。
今回は、見ている最中に激しい雨が降ってきて、あわてて車に傘を
とりに行く事態にあせあせ(飛び散る汗)

以下は今回の写真です。
法隆寺五重塔.jpg

法隆寺3.jpg

法隆寺2.jpg

法隆寺4.jpg

法隆寺五重塔4.jpg

法隆寺五重塔5.jpg

見学後、門前の太子堂というお店で「柿の葉寿司」のセットで昼食にしました。
太子堂で食べた柿の葉すしのセット.jpg

門前の駐車場は400円〜500円。
どうせお土産買ったり食事したりするなら、そういうお店の駐車場に停めて
行くのが良いかと思います。

平成22年〜23・年末年始の旅
http://rover.seesaa.net/article/178174721.html

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2011年01月23日

稗田環濠集落    (奈良県大和郡山市)

奈良県大和郡山市の稗田環濠集落に行ってきました。

<稗田環濠集落>
稗田環濠集落2.jpg
住所:奈良県大和郡山市稗田町
駐車場あり

稗田は大和の環濠集落の典型例として有名です。
詳しい形成過程は不明ですが、室町時代には現在のような形になったと
考えられています。

稗田環濠集落.jpg

環濠は東西260m、南北260の規模で、北東側は七曲と呼ばれる特異な
形をしています。
西側と南側は特に幅が広くつくられ、10mもあります。
環濠の内側には住宅が密集し、東西南北に大きな道がとおり、そこからさらに
細い道が延びています。
道はT字に交差したり、袋小路になっていて、遠くが見渡せない防御に適した
構造となっています。
環濠は整備されましたが、基本的な形は室町時代から変わらず、旧来の景観
を残しながら現代生活の中に生き続けています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
愛用している昭文社『歴史知図帳』に出ていた稗田環濠集落に行って
きました。国道24号線奈良バイパスから少し裏に入ったところです。
奈良バイパスはよく車で走るんですが、こんなところがすぐ近くに
あることは全然知りませんでした。

稗田環濠集落6.jpg
この写真のような掘に囲まれた集落です。
その造りからも分かるように、おそらく軍事的な目的でつくられたもの
でしょう。実際は詳しい事は分かっていない様です。

集落の中を散策してみました。
集落には昔ながらの建物が残り、とても風情がありました。
稗田環濠集落3.jpg

稗田環濠集落4.jpg

稗田環濠集落5.jpg
環濠集落内は迷路みたいになっていて、非常に分かりづらい感じ
でした。

日本の古い町並み
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平成22年〜23・年末年始の旅
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2009年08月16日

大野寺     (奈良県宇陀市)

奈良県宇陀市の大野寺に行ってきました。

<大野寺>
大野寺 宇陀1.jpg
住所:奈良県宇陀市室生区大野1680
駐車場あり(無料)
拝観時間:8時〜17時
拝観料:200円

681年に役の小角が開き、824年に弘法大師が室生寺を開創の
とき西の大門と定め一宇をたて、本尊弥勒菩薩を安置して慈尊院
弥勒寺と称しました。その後地名を名付けて大野寺となりました。

大野寺 宇陀2.jpg

見所は磨崖仏。1207年に興福寺の雅縁大僧正の発願で、後鳥羽
上皇の勅願によって造立されました。
高さ33メートルの弥勒菩薩、日本石仏史上重要な遺例です。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
奈良県宇陀市の大野寺に行ってきました。
どんなお寺か知らなかったのですが、行ってみてびっくり。
素晴らしい磨崖仏がありました。
最初、ただの岩なのかな〜と思ってたら弥勒菩薩が彫り込まれて
いました。大きな磨崖仏見事です。
お寺の解説書によると、約800年前に作られた歴史上も重要な
石仏という事で、大変素晴らしいものを見ることが出来ました。

大野寺 磨崖仏.jpg

大野寺 磨崖仏2.jpg

春は桜も綺麗なお寺だそうです。

平成21年夏旅
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室生寺    (奈良県宇陀市)

奈良県宇陀市の室生寺に行ってきました。

<室生寺>
室生寺.jpg
住所:奈良県宇陀市室生区室生78
拝観時間:8時〜17時
拝観料:600円
駐車場(近隣有料 500〜600円)

「女人高野」として名高いこの寺は、681年に役行者によって
開かれ、後に弘法大師の手で伽藍の整備が行われました。
この寺は高野山と同じ真言宗に属していますが、古くから女人の
入山を許していました。
境内には金堂、五重塔などの伽藍、本尊釈迦如来像、十一面観音像
等多くの国宝、重文が残されています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
室生寺に行ってきました。
前回来たのが平成10年だったと思います。11年振りです。
平成10年に台風の影響で五重塔が損傷を受け、修理中という状態
でした。
その時、復旧の費用として500円寄贈してきた覚えがあり、今回
復旧後の五重塔をようやく見ることが出来ました。

室生寺はお寺の雰囲気といい、国宝・重文の建造物が多々あるなど
非常に威厳を感じます。

<金堂・国宝>
室生寺 金堂(国宝).jpg

<弥勒堂・重文>
室生寺 弥勒堂(重文).jpg

<潅頂堂・国宝>
室生寺 潅頂堂(国宝).jpg

室生寺 潅頂堂(国宝)2.jpg

<五重塔・国宝>
室生寺 五重塔(国宝).jpg
これが復活した五重塔。とても美しい塔ですね。
興福寺とか瑠璃光寺の様な男性的な塔とはちょっと違います。
無事復旧出来てよかったです。

平成21年夏旅
http://rover.seesaa.net/article/125779471.html

国宝建造物を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21220842.html



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伊勢本街道神末の町並み   (奈良県御杖村)

奈良県御杖村、伊勢本街道神末(こうずえ)の町並みを散策して
きました。

<神末の町並み>
神末の町並み1.jpg
住所:奈良県御杖村神末
駐車場無し(御杖神社に神社の駐車場あり)

伊勢本街道は大和から伊勢に向かう旅人でにぎわった街道です。
その伊勢本街道の奈良と三重の県境の奈良側にある宿場町が神末です。

国道から御杖神社という看板の方に曲りすこし行ったところに神末
の町並みがあります。

神末の町並み2.jpg

神末の町並み3.jpg

神末の町並み4.jpg

神末の町並み5.jpg

川をはさみ東西に町並みが続きます。

神末の町並み 文政9年の燈籠.jpg
常夜灯がありました。文政九年(1826年)の文字があり。
分かれ道を照らしていたんでしょうか。

平成21年夏旅
http://rover.seesaa.net/article/125779471.html

日本の古い町並み
http://rover.seesaa.net/article/21960937.html

神末の町並み

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2009年08月01日

龍泉寺    (奈良県天川村)

奈良県天川村の龍泉寺に行ってきました。

<龍泉寺>
龍泉寺.jpg
住所:奈良県吉野郡天川村洞川494
駐車場あり(無料)
境内自由

大峯山の役行者が泉を見附八大竜王を祀った事を起源とする真言宗
醍醐派の別格本山。近畿三十六不動尊霊場第31番札所。

龍泉寺1.jpg

龍泉寺2.jpg

龍泉寺に伝わる龍の口伝説というお話があります。
昔、龍泉寺で働いていた夫婦に男の子が出来た。しかし、自分が
白蛇の化身であることを知らされた母親は、乳のかわりに片方の
目を与えて姿を消した。
その目が無くなると、再び龍の口から姿を現し、もう片方の目も
与えた。そして、朝に六つ、暮れに七つの鐘を合図に乳を飲ませに
参ります、と言って泉に消えた。
今でも龍の口の泉は枯れることなく大峯山修験者の清めの水と
なっている。

龍の口清浄水.jpg

龍の口清浄水2.jpg
龍の口のお話は、看板に書いてあったことをそのまま書かせて頂き
ました。が、僕には何を言ってるのかいまいちよく分からず。主語が
誰なのかよく分からないですよね(僕が頭悪いだけか?)

天川村の洞川にある龍泉寺は、湧き水にめぐまれた神社。
洞川湧水群は日本名水百選にも選ばれているもので、まさに湧き水の
地です。
お寺の境内も水にあふれ、夏の熱い中、涼をとるのには良いところだなと思いました(^-^)

平成21年海の日の旅
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日本の名水巡り
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龍泉寺


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天河神社     (奈良県天川村)

奈良県天川村の天河神社に行ってきました。

<天河神社>
天河神社1.jpg
住所:奈良県吉野郡天川村坪内107
駐車場あり(無料)
境内自由

700年頃(飛鳥時代)、役行者が同じ天川村の大峰山を開山し修験道をはじめる前にここで修行を行った。役行者が始めたと多門院日記に記述されている。大峯蔵王権現に先立って、最高峰である弥山(みせん)の鎮守として祀られたのに始まる。弘法大師が高野山の開山に先立って大峯山で修行し、最大の行場が天河神社であった。弘法大師にまつわる遺品が奉納されている。、役行者が同じ天川村の大峰山を開山し修験道をはじめる前にここで修行を行った。役行者が始めたと多門院日記に記述されている。大峯蔵王権現に先立って、最高峰である弥山(みせん)の鎮守として祀られたのに始まる。弘法大師が高野山の開山に先立って大峯山で修行し、最大の行場が天河神社であった。弘法大師にまつわる遺品が奉納されている(引用Wikipedia)

天河神社2.jpg

<解説看板が無かったので、Wikipedia引用です>

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
10年振りくらいで奈良県天川村の天河神社に行ってきました。
奈良県の天川村は吉野から更に南に行ったところにある山の中の村
で、自然豊かなところです。
初めてこの地を訪れたのは10年以上前で、映画『天河伝説殺人事件
を見て、一度行ってみたいなと思っての事でした。

『天河伝説殺人事件』は能に関するお話で、実際天河神社にも能舞台
がありました。神社の拝殿の向かいに能舞台。
天河神社 拝殿.jpg

天河神社 能舞台.jpg
天河神社には安土桃山時代の能装束や能面が数多く残されており、
能楽発祥の頃から天河神社が深く関わってきたようです。

拝殿前に能舞台、まさに神に捧げる能という感じです。
神前の薪能なんかだったらとても神秘的でしょうね。
天河神社は他の神社にはない、特徴ある神社です。

平成21年海の日の旅
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天河大弁財天社
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丹生川上神社下社    (奈良県下市町)

奈良県下市町の丹生川上神社下社に行ってきました。

<丹生川上神社下社>
丹生川上神社下社1.jpg
住所:奈良県吉野郡下市町長谷
駐車場あり(無料)
境内自由

676年「人声の聞こえざる深山に宮柱を立て祭祀せば、天下のた
めに甘雨を降らし霜雨を止めむ」との御神誨により創建された古社。
延喜式の名神大社二十二社の一社。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
丹生川上神社下社に行ってきました。
車で通りかかったので寄ってみました。なんでも日本最古の水の神
という事で、昔から雨乞いなどが行われてきたようです。

本殿脇には井戸があり名水「いのちの水」と書いてあります。
丹生川上神社下社 名水いのちの水.jpg
昔ながらの井戸を動かし、水を一杯。
つめたくておいしいです!

丹生川上神社下社2.jpg
こちらは拝殿。

丹生川上神社下社 後醍醐天皇歌碑.jpg
後醍醐天皇の碑もありました。

平成21年海の日の旅
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日本の名水巡り
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丹生川上神社下社


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2009年07月28日

洞川の町並み    (奈良県天川村)

奈良県天川村の洞川の町並みを散策してきました。

<洞川の町並み>
洞川の町並み1.jpg
住所:奈良県吉野郡天川村洞川

奈良県天川村の洞川を散策しました。ここは洞川温泉の温泉街にな
っており、町並みは旅館の建物が多いです。
いつ頃の建築なんでしょう、木造2階建てでかなり古そうな建物も
ちらほら。町並み全体として昔懐かしい雰囲気がします。
洞川の町並み2.jpg

洞川の町並み3.jpg

洞川の町並み4.jpg

洞川の町並み5.jpg

また、この地域は洞川湧水群という日本名水百選に選ばれた名水の
地だけあり、街中のいたるところで湧き水らしきものを見かけました。
これなんか可愛いですね(^-^)
洞川の町並み 湧き水.jpg

平成21年海の日の旅
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洞川の町並み
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伝飛鳥板蓋宮跡    (奈良県明日香村)

奈良県明日香村の伝飛鳥板蓋宮跡に行ってきました。

<伝飛鳥板蓋宮跡>
伝飛鳥板蓋宮跡.jpg
住所:奈良県高市郡明日香村岡
駐車場無し

飛鳥板蓋宮跡は643年に移された皇極天皇の都。蘇我蝦夷によって
造営された。
その後645年の大化改新のクーデターの舞台にもなった場所です。
奈良県明日香村に伝飛鳥板蓋宮跡と言われる場所があります。
今回初めて行ってみました。
現地には礎石と思われるものがあるのみ。
どうもここが板蓋宮跡かどうか、まだ確定している訳ではないそうで、
伝飛鳥板蓋宮跡という名前になっています。
大化改新は歴史的大事件、それが起こった場所という事で、ここが
その場所なのか〜と思うとロマンを感じます。

伝飛鳥板蓋宮跡2.jpg

伝飛鳥板蓋宮跡3.jpg

平成21年海の日の旅
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飛鳥寺     (奈良県明日香村)

奈良県明日香村の飛鳥寺に行ってきました。

<飛鳥寺>
飛鳥寺1.jpg
住所:奈良県高市郡明日香村飛鳥682
駐車場あり(有料:500円)
拝観料300円

『日本書紀』によれば、588年に蘇我馬子は法興寺を建立する
ことを計画、日本最古の本格的寺院で、その造営に際して多くの
博士・工人が朝鮮半島から渡来してあたった事が記されている。

大化改新や天皇の病気平癒など飛鳥時代を通じて飛鳥における中心的
な役割を果たしたが、1196年に焼失し現在に至る。
法興寺・元興寺とも称され、現在は止利仏師の作と伝える重要文化財
の金銅丈六仏(飛鳥大仏)が残る。
発掘調査の結果、塔を忠臣に三方に金堂を置き、北側に講堂、南側
に中門・南門の跡があることが判明した。
飛鳥では大官大寺とともに最大規模の寺院であった。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
飛鳥寺に行ってきました。
飛鳥寺はかつては大寺院だったようですが、今は焼失して小さなお寺
です。

飛鳥寺2.jpg

そんな飛鳥寺の見所は本堂にある飛鳥大仏です。
日本最古の大仏と言われ、止利仏師の作です。

拝観料300円を払うと本堂の飛鳥大仏を見ることが出来ます。
写真は禁止ってところが多いですが、ここは撮影OKの様でみんな
写真を撮っていました。

飛鳥大仏.jpg
西暦609年に完成。高さ3メートル、15トンの重さがあるそうで
す。かつての火災でダメージを受けていますが、よくぞ残ったという
感じです。
もともとは釈迦三尊像で、脇侍がいたそうですが、火災ですべてを
失ったとの事。

日本最古の大仏ですが、国宝ではありません。飛鳥大仏を国宝にとい
う要請はしている様ですが、文化庁の回答は「造立当時のものは一部
だけで、飛鳥時代の様式を残していない」との事で国宝には指定され
ていません。私には国宝昇格要件は分かりませんが、国宝になって
しかるべき大仏の様な気がします。

お寺の西側には大化改新で殺された蘇我入鹿の首塚があります。
蘇我入鹿の首塚.jpg

平成21年海の日の旅
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著名人の墓
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明日香の町並み    (奈良県明日香村)

奈良県明日香村、飛鳥座神社門前の昔ながらの町並みを散策して
きました。

<明日香の町並み>
明日香の町並み.jpg
住所:奈良県明日香村大字飛鳥

奈良県明日香村、飛鳥座神社(あすかにいますじんじゃ)の門前を
車で通りかかったところ、昔ながらの町並みが続いていたため、車
を降りて散策してみました。
ここに昔ながらの町並みがある事を知ってて行った訳じゃないんで、
まったくの偶然です。
飛鳥座神社から約300メートルくらいでしょうか、昔ながらの町
並みが続いていました。

明日香の町並み2.jpg

明日香の町並み3.jpg

明日香の町並み4.jpg

明日香の町並み5.jpg

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日本の古い町並み
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明日香の町並み

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山田寺跡   (奈良県桜井市)

奈良県桜井市の山田寺跡に行ってきました。

<山田寺跡>
山田寺跡.jpg
住所:奈良県桜井市山田
駐車場あり(無料)

山田寺は右大臣蘇我倉山田石川麻呂が発願した、飛鳥時代を代表
する寺院の一つです。

山田寺跡2.jpg

記録に拠れば641年に着工し2年後には金堂が完成したものの
649年に石川麻呂が政争で自殺したため造営は中断しました。
その後、本格的に造営が再開され、676年に塔が完成、685年
には現在興福寺に仏頭が残る本尊丈六仏の開眼供養が行われました。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ここも久しぶりの訪問の山田寺跡です。
山田寺を知ったのは、昔300円切手の図柄が山田寺仏頭(興福寺
仏頭)だったからです。
その後歴史の勉強の中で蘇我石川麻呂の存在も知り、山田寺跡を
訪問しました。今回で2回目の訪問。

山田寺跡3.jpg
歴史的価値が高いんですけど、現地は跡地なだけに特に何かある
訳ではありません。往時を偲ぶ感じですね。

平成21年海の日の旅
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安倍文殊院    (奈良県桜井市)

奈良県桜井市の阿部文殊院に行ってきました。

<安倍文殊院>
安倍文殊院.jpg
住所:奈良県桜井市阿部645
駐車場あり(有料)
境内自由

安倍文殊院は大化の改新時の左大臣安倍倉梯麻呂によって創建され
たお寺で、日本三大文殊のひとつ。
安倍一族には、阿倍仲麻呂や陰陽道で有名な安倍晴明などがいます。
安倍晴明に関連して、近年晴明堂が建立されました。
晴明堂.jpg

晴明堂がある丘は、安倍晴明が天体観測を行ったと言われるところです。
安倍晴明天文観測の丘.jpg

本堂は1600年代の建築。本尊は文殊菩薩です。
安倍文殊院1.jpg

境内に文殊院西古墳という古墳があります。
文殊院西古墳.jpg
豪族安倍氏の陵墓と言われ、安倍倉梯麻呂のお墓という説が有力です。

弁天堂は池に突き出すようにあり、なかなか綺麗です。
安倍文殊院 弁財天.jpg

以前、正月に安倍文殊院に来たことがあります。
さすがにお正月は初詣のお客さんでいっぱい。お雑煮もふるまわれて
いました。
安倍文殊院 正月.jpg

平成21年海の日の旅
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大神神社    (奈良県桜井市)

奈良県桜井市の大神神社(おおみわじんじゃ)に行ってきました。

<大神神社>
大神神社1.jpg
住所:奈良県桜井市三輪1422
駐車場あり(無料)
境内自由

大神神社は三輪山を神体山とする我が国最古の神社で、元官幣大社、
延喜式内の名神大社二十二社の一社で大和国一之宮、全国各地に祭祀
せられる大物主神の総本社。
拝殿は1664年、徳川4代将軍家綱公の改建(国指定重要文化財)

大神神社 本殿.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
大神神社に来るのは今回で3回目。ですが、かなりの時間があいた
ためすっかり忘れておりました。
前回来たときは、御神酒がふるまわれていて、もらった覚えがあり
ました。祭神の大物主神は酒造りの神でもあるそうで、そんな関係で
御神酒が配られていたようです。

徳川家綱公によって作られた拝殿で参拝。
大神神社 本殿2.jpg
酒での失敗を無くしたいものです(^^;

平成21年海の日の旅
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一之宮巡り
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2009年07月25日

宇陀松山の町並み   (奈良県宇陀市)

奈良県宇陀市の宇陀松山の町並みを散策してきました。

<宇陀松山の町並み>
宇陀松山の町並み.jpg
奈良県宇陀市大宇陀区拾生 他
駐車場あり(道の駅宇陀路大宇陀に駐車)

松山地区は宇陀松山城の西側に展開している歴史的な町並みです。
この町並みは戦国時代、秋山氏の築いた城下の集落から始まり、
近世初頭に豊臣氏の家臣により城下町の範囲が拡大されました。
関ヶ原の戦い以後、この地は織田氏が4代にわたって支配した後
天領になり商業の町として栄えました。
明治時代には宇陀郡役所や裁判所が置かれ、政治経済の中心地とし
て更に発展していきます。
松山地区は近世初頭の敷地割が残り、この上に江戸時代から戦前まで
に建てられた町家は建ち並んでいます。
平成18年に国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されました。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
奈良県宇陀市(旧大宇陀町)の宇陀松山の町並みを散策してきま
した。近くにある道の駅「宇陀路大宇陀」に休憩で立ち寄ったところ、
宇陀松山の町並みについて書いていて、すぐ近くという事で行って
みました。

平成18年に重要伝統的建造物群保存地区に指定されたところと言う
事で、指定された事自体知りませんでした。

町の規模はかなり大きく、広範囲に昔ながらの町並みが残っています。

宇陀松山の町並み2.jpg

宇陀松山の町並み3.jpg

【続きもご覧ください】

道の駅宇陀路大宇陀には何度も来たことがありました。それなのに、
そこから道1本裏にこんな町並みがあるなんて全然知りませんでした。
日本には、観光的に表舞台に出ていないけど、実はすごいところが
まだまだ残ってるんでしょうね。

今回は時間もなく、30分ほどの観光でした。次回ゆっくり宇陀松山
の町を散策してみようと思います。

平成21年海の日の旅
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日本の古い町並み
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2009年07月23日

丹波市の町並み   (奈良県天理市)

奈良県天理市の丹波市の町並みを散策してきました。

<丹波市の町並み>
天理 丹波市の町並み.jpg
住所:奈良県天理市丹波市町
駐車場なし

丹波市の町並みは、中世において市場があり丹波市と呼ばれた。
古くは江戸時代に長谷や伊勢に通じる道(「上街道」と呼ばれていた
道)で伊勢詣の宿場町としても栄え、神社を中心に南北約100m
ほど市場が開かれるようになりました。
今なおここは道幅も広く、昔日の面影が残されています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
天理市の丹波市に行ってきました。丹波っていうと京都・兵庫?
っていう様な気がします(実際兵庫県丹波市ってありますし)が、
奈良県天理市の丹波市町というところです。

天理駅からもそんなに遠くなく、歩いていけるところに古い町並み
が残っていました。市座神社を中心に商家風、旅籠風の建物が残って
います。

天理 丹波市の町並み2.jpg

天理 丹波市の町並み3.jpg

観光地化していない町で、今でも昔ながらの建物に人が住んでいます。
穴場的な良い町並みでした!

天理 丹波市の町並み4.jpg

天理 丹波市の町並み5.jpg

天理 丹波市の町並み6.jpg

平成21年海の日の旅
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日本の古い町並み
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[ここに地図が表示されます]



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2009年07月22日

ごろごろ水   (奈良県天川村)

奈良県天川村の「ごろごろ水」を飲んできました。

<ごろごろ水>
ごろごろ水.jpg
住所:奈良県天川村洞川686-139
駐車場あり(300円)

古くは「仏水秘水」と呼ばれ、大峯参りの行者たちがこの水で
喉をうるおしたという。
この前を通ると一瞬の涼しさを感じると共に岩の間より「ごろごろ」
という音が聞こえた。
いつしか地元の人々はこの水のことを「ごろごろ水」と呼ぶように
なり今日まで大切に守ってきた。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
奈良県天川村の「ごろごろ水」です。日本名水百選「洞川湧水群」の
ひとつで、洞川温泉から歩いて行けるところにあります。
「ごろごろ水」を飲みにきたのは10年ぶりくらい。
完全に場所を忘れてました。

また行ってみてびっくり。いつの間にか水くみ場も整備されていて、
車で来た人は駐車料金300円を払うことにより水くみが出来る
様なシステムになってました。
個人的には少し興ざめです。
水くみ場から少し行ったところに昔からある碑文と水場があります。
ここの水でまずは顔を洗ってすっきり。本当に冷たい水です。
飲用は水くみ場で少しもらいました。

修験道の山、大峯山。ここで修行をする人が飲んだであろう水。
ちょっと神秘的です。

ちなみに奈良県内ではペットボトルのお土産にもなっています。
ごろごろ水2.jpg
話題のせんとくんデザインです(笑)

平成21年海の日の旅
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日本の名水巡り
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ごろごろ水
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2009年01月31日

誕生寺    (奈良県奈良市)

奈良県奈良市の誕生寺に行ってきました。

<誕生寺>
中将姫誕生寺
住所:奈良県奈良市三棟町2
電話:0742-22-5333‎
駐車場なし

ならまちを散策しているときに、中将姫誕生の地、誕生寺の前を通り
かかりました。

中将姫についてはこちら(Wikipedia)

中将姫は藤原豊成と紫ノ前の娘で、能や歌舞伎にも出てくる伝説の
人物です。
この誕生寺は藤原豊成の屋敷跡という事で、中将姫誕生のお寺。

お寺の裏には、中将姫産湯の井戸
中将姫誕生寺 産湯の井.jpg

中将姫の石像
中将姫.jpg

中将姫を迎えにきた二十五菩薩の石像
中将姫誕生寺 観音様

中将姫っていまいちよく知りませんが、旅をしているといろんな所で
名前を見かけます。
奈良の当麻寺や、岐阜の中将姫誓願桜とか。

生誕の地は、ならまちにひっそりとありました。
中将姫については、もうちょっと詳しく知ってみたいところです。

平成20年冬旅
http://rover.seesaa.net/article/112075386.html

誕生寺

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2009年01月26日

竹内の集落   (奈良県葛城市 古い町並み)

奈良県葛城市の竹内の集落を散策してきました。

<竹内の集落>
竹内街道(奈良側)
住所:奈良県葛城市竹内
駐車場なし
見学自由

竹内の集落は、推古天皇の613年に難波と飛鳥京の間におかれた日本
最古の官道竹内街道沿いに栄えた町並みです。
中・近世には伊勢、長谷参詣が隆盛し、茶屋、旅籠が峠を行く人々
の旅情を慰めました。竹内街道の風景には多くの文化人たちが筆を
とり、貞享5年に松尾芭蕉が河内に向かい、幕末嘉永6年には
吉田松陰が、文久3年には天誅組の中山忠光が志し果たせぬまま、
ここに逃走しています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
竹内街道(たけのうちかいどう)の町並み(奈良側)を散策しました。
ここは国道166号線があり、何度か葛城から大阪の太子町に走り抜
けた事がありました。
その国道の1本裏に、昔ながらの町並みが残る旧街道がありました。
今まで全然気がついてなかったです。
国道が発展し、旧街道を見ることなく通り過ぎる様になってしまった
がゆえに、今まで見落としていた町並みです。

今回は、地図をたよりに竹内の旧街道に入り込みました。
これが、まいった。道が狭い!
前から車が来て、すれ違いにキュウキュウ(>_<)
やっとで集落を抜けたところで一安心しました。
とりあえず、車を離れた所に停めて、歩いて散策しました。

町並みは良いですね〜。竹内街道の竹内峠に向けて、坂道を登って
いくんですが、坂道沿いに昔ながらの町並みです。

竹内街道(奈良側)

多くが、今も人が住んでいる建物です。

街道の途中に、松尾芭蕉縁の「綿弓塚」がありました。
松尾芭蕉ゆかりの綿弓塚
松尾芭蕉の『野ざらし紀行』に「綿弓や 琵琶に慰む 竹の奥」
とあり、後世それを記念するために造った碑です。

竹内街道の町並み、非常に良かったです。お土産屋とかあるような
観光地ではありませんが、古い町並み好きにはたまらない町並み
です。

【写真は続きをどうぞ】

平成20年冬旅
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日本の古い町並み
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2009年01月24日

元興寺   (奈良県奈良市 国宝 世界遺産)

奈良県奈良市の元興寺に行ってきました。

<元興寺>
元興寺
住所:奈良県奈良市中院町11
拝観料400円

蘇我馬子が建立した飛鳥寺が起源とう古刹。
かつては興福寺と並ぶ大寺院で隆盛を誇ったが、火事で焼失するなど
あり、今は本堂、禅室などを残すのみとなっている。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
以前、奈良に行ったときには、外から見ただけだった元興寺。
国宝建造物でもあるので、今回は拝観料を払って中に入って
みました。

元興寺 東門

元興寺東門を入ると、すぐに本堂(国宝)があります。

元興寺 本堂
こちらが本堂です。1244年の再建ですが、奈良時代の様式を
よく表した建築物で、国宝に指定されています。

元興寺 極楽坊禅室(国宝).jpg
禅室(国宝)です。鎌倉時代の建築です。
この禅室も昭和初期には荒廃していたものを、修繕復旧したものです。

<かえる石>
かえる石
淀君の霊が宿っているという「かえる石」。かつて河内のかわべりに
あった殺生石だったが、太閤秀吉が気に入って大阪城に運んだもの
だそうです。

<元興寺 浮図田>
元興寺 浮図田
中世に、元興寺や興福寺関係の人々、近在の人たちが浄土往生を願
って、極楽坊周辺に免罪積徳作善のため造立した供養仏塔。

さすがに奈良の古刹は京都より歴史が長いので、重みがあります。
2つの国宝建造物は素晴らしいです。

また、宝物館みたいな所に、五重の塔のミニチュアみたいなのがあり
ます。実は、五重小塔と言って、このミニチュアが国宝なのです。
写真不可だったので、写真無しですが、こういうのは珍しいなと思い
ました。この五重小塔は、昔から屋内観賞用として作られたものの
様です。

平成20年冬旅
http://rover.seesaa.net/article/112075386.html

国宝建造物を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21220842.html



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2009年01月19日

ならまち    (奈良県奈良市 観光名所)

奈良県奈良市の「ならまち」を散策してきました。

<ならまち>
ならまち
住所:奈良県奈良市中院町 他
駐車場(近隣有料駐車場利用)

「ならまち」は、奈良興福寺の南に位置する町並みです。
江戸時代に奈良奉行がおかれ、晒や酒などで産業の町として栄え
ました。明治維新後、奈良にも文明開化の波がおしよせ、昔ながら
の町並みは少なくなりました。
「ならまち」は江戸時代の奈良の雰囲気を感じさせてくれる町です。

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奈良に行くと、寺巡りばかりで、町並みを散策するって事がありま
せんでした。興福寺とか東大寺とか、奈良の寺にはほとんど行った
んですけどね。
今回は奈良の昔ながらの町並みを散策してみました。
近鉄奈良駅の南、猿沢池の南側にひろがる「ならまち」です。
場所的には元興寺を中心としたエリアという感じです。

古都奈良と言っても、やはり文明化の波には逆らえません。
今は新しい住宅が多いですが、「ならまち」を歩くとかなり広範囲
に昔ながらの蔵や木造の建築物が残っています。

観光客が寺巡りに流れるため、「ならまち」はそんなに観光客がいま
せん。ゆるりと昔ながらの町並みが楽しめました。

「ならまち」の写真は続きをご覧ください。

平成20年冬旅
http://rover.seesaa.net/article/112075386.html

日本の古い町並み
http://rover.seesaa.net/article/21960937.html

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