2025年03月07日

綱敷天満宮   (兵庫県神戸市)

令和6年11月26日、神戸市にある綱敷天満宮に行ってきました。

<綱敷天満宮>
網敷天満宮.jpg
住所:兵庫県神戸市東灘区御影1丁目22−25
駐車場あり(無料)
境内自由

<綱敷天満宮について>
綱敷天満宮4.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
須磨の天神様と呼ばれ信仰される神社です。
天満宮なので御祭神は菅原道真公です。

菅原道真公が太宰府に渡るおり、須磨の浦に立ち寄り、須磨の漁師が造った大網の
円座で休憩したと言われ、それにちなみ、菅原道真公の死後この地に創建された神社
だそうです。

綱敷天満宮.jpg

境内には波乗りに関するものが。
綱敷天満宮2.jpg
菅原道真公がサーフボード持った像がありました(^-^)

綱敷天満宮3.jpg
確かに人生波に乗りたいものですね(笑)

令和6年秋旅2 四国お遍路
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2025年03月06日

孫文記念館        (兵庫県神戸市)

令和6年11月26日、神戸市にある孫文記念館に行ってきました。

<孫文記念館>
孫文記念館.jpg
住所:兵庫県神戸市垂水区東舞子町4−2051
駐車場あり(舞子公園有料駐車場)
入館料:300円

<孫文記念館について>
孫文記念館5.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
孫文記念館に行ってきました。
日本国内に孫文の記念館があるのは初めて知りました。
気になっての訪問です。

この建物は神戸で活躍した中国人実業家・呉錦堂の別荘「松海荘」を前身としてい
ます。
還暦を迎えた呉氏は八角三層の楼閣を増築し、移情閣と命名しました。
松海荘の本館には1913年準国賓として来日中の孫文が神戸在住の中国人および
財界有志による歓迎昼食会に招かれ立ち寄ったそうです。
戦後、神戸華僑会が管理し、1982年に神戸市に寄贈されました。
1984年に孫文記念館として一般公開されました。
移情閣は2001年に国指定重要文化財になっています。

そんな孫文記念館を見学しました。
孫文の一生に関する展示や、孫文の書、孫文の妻・宋慶齢に関する展示などとても
充実していました。
孫文記念館6.jpg

孫文記念館3.jpg

孫文記念館2.jpg

孫文記念館4.jpg

令和6年秋旅2 四国お遍路
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2025年02月24日

菊正宗酒造記念館      (兵庫県神戸市)

令和6年11月26日、神戸市にある菊正宗酒造記念館に行ってきました。

<菊正宗酒造記念館>
菊正宗酒造記念館.jpg
住所:兵庫県神戸市東灘区魚崎西町1丁目9−1
駐車場あり(無料)
入場無料

菊正宗酒造記念館に行ってきました。
この酒造記念館は旧酒造記念館は、1659年(万治2)に神戸・御影の本嘉納家
本宅屋敷内に建てられた酒蔵を、昭和35年に現在の地に移築し、酒造記念館と
して保存・一般開放していたものだそうです。

館内では菊正宗の歴史や、酒造りに関する道具や資料を見ることが出来ました。
菊正宗酒造記念館2.jpg

菊正宗酒造記念館3.jpg

菊正宗酒造記念館5.jpg

菊正宗酒造記念館4.jpg

菊正宗酒造記念館6.jpg

かなり充実した資料館。これで見学は無料です。駐車場も無料だし。
とても良い施設でした。
これだけ見せて頂いたので、お土産処でお土産の酒くらい買って行かねば
という事で、お土産の酒を購入しました(旅の途中で飲んじゃいました(^^;)

あとこの日はヴィッセル神戸応援プレゼント企画がおこなわれており、私は
浦和レッズサポである事を隠して、プレゼントを頂きました(^^;;;;
隠れキリシタンの心境です(笑)
菊正宗酒造記念館7.jpg

令和6年秋旅2 四国お遍路
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2023年11月20日

青蓮寺で西郡の局の墓を参拝   (兵庫県宍粟市)

令和5年8月13日、宍粟市にある青蓮寺に行ってきました。

<青蓮寺>
青蓮寺.jpg
住所:兵庫県宍粟市山崎町山崎170
駐車場あり(無料)

西郡の局の墓を参拝すべく宍粟市の青蓮寺に行ってきました。
西郡の局は徳川家康の側室のひとりで、督姫の母になります。
督姫は北条氏直に嫁ぎ、氏直が亡くなった後、池田輝政と再婚します。

1606年に亡くなり、娘の督姫が姫路市内に青蓮寺を建立し埋葬。
青蓮寺は1618年、池田輝澄によって宍粟市の山崎に移転。
池田氏が宍粟を離れた後も幕府から特別な扱いを受けたそうです。

西郡の局の墓を境内の一角にありました。
青蓮寺 西郡の局廟所.jpg
廟所の扉が開いていない為、外から参拝してきました。

令和5年夏休み旅
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大河ドラマの舞台
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著名人の墓
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山崎城址    (兵庫県宍粟市)

令和5年8月13日、宍粟市にある山崎城址に行ってきました。

<山崎城址>
山崎城跡.jpg
住所:兵庫県宍粟市山崎町鹿沢80
駐車場あり(無料)

<山崎城について>
山崎城跡5.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
山崎城址に行ってきました。
前日この近くの宿に泊まったので、朝一での訪問です。
この場所には中世、赤松氏の篠ノ丸城が存在しましたが秀吉の攻撃により落城。
江戸時代になり、池田輝澄がこの地に入ると1615年に山崎城が築城されました。
別名を鹿澤城と言います。
1679年、本多忠英が入封し以降陣屋が設置され幕末に至ります。

現在は、本多公園という公園になっていて、江戸時代に作られた紙屋門などが残って
います。

駐車場は北側に観光駐車場があって無料でした。イベント時などには有料になる様
です。

<山崎城址>
山崎城跡2.jpg

山崎城跡3.jpg

山崎城跡4.jpg

山崎城跡6.jpg

日本の城を巡る
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令和5年夏休み旅
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2023年11月19日

神子畑選鉱場跡   (兵庫県朝来市)

令和5年8月13日、朝来市にある神子畑選鉱場跡に行ってきました。

<神子畑選鉱場跡>
神子畑選鉱場.jpg
住所:兵庫県朝来市佐嚢1842−1
駐車場あり(無料)

<神子畑選鉱場について>
神子畑選鉱場7.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
近代産業遺産「神子畑選鉱場跡」に行ってきました。
神子畑鉱山は平安時代からあるという歴史ある鉱山。
その神子畑鉱山に1919年建造されたのがこの選鉱場です。
昭和15年の拡張工事を経て東洋一と言われる選鉱施設となりました。
最盛期の昭和30年代にはこの地区に1300人もの人が生活していたそうです。
昭和62年に鉱山の閉鎖とともに操業を停止。
現在はコンクリートの基部やシックナーの一部が残っています。

この施設跡、見ましたがすごいですね。大正時代にこれだけの鉱業施設が造られた
事が驚きです。
シックナーは佐渡でも見ました。不純物を除去する施設なんですが、円形の施設で
見た目が特徴的です。

<神子畑選鉱場>
神子畑選鉱場2.jpg

神子畑選鉱場3.jpg

神子畑選鉱場4.jpg

神子畑選鉱場6.jpg

神子畑選鉱場5.jpg

<ムーセ旧居>
神子畑選鉱場  ムー世旧居.jpg

神子畑選鉱場  ムー世旧居4.jpg

<ムーセ旧居について>
神子畑選鉱場  ムー世旧居2.jpg
神子畑選鉱場  ムー世旧居3.jpg

ムーセ旧居は鉱山の外国人技師の宿舎。ムーセという技師が住んでいたと
いう話からムーセ旧居の名前で親しまれていますが、実際住んでいたかどうか
は不明らしいです(^^;

このムーセ旧居の中に神子畑選鉱場に関する資料が展示されています。
入場無料なので、是非見た方が良いですね。

令和5年夏休み旅
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2023年10月11日

尼崎城   (兵庫県尼崎市)

令和5年8月10日、尼崎市にある尼崎城に行ってきました。

<尼崎城>
尼崎城5.jpg
住所:兵庫県尼崎市北城内27番地
駐車場あり(有料)

<尼崎城について・wikipediaより>
元和3年(1617年)、戸田氏鉄(うじかね)が5万石で入封し築いた。
3重の堀をもち、本丸には2重の付櫓を2棟付属させた複合式の四重天守
と3棟の三重櫓が上げられた。

城主は、築城から廃城まで3氏12代が入れ替わった。戸田氏の後は、青山氏4代、
そして正徳元年(1711年)桜井松平家の松平忠喬(ただたか)が4万6千石で入り、
以後桜井松平家の支配が7代と続き幕末を迎えた。
最後の藩主は松平忠興である。歴代城主については尼崎藩の歴代藩主の一覧に
記載がある。

弘化3年(1846年1月28日、本丸の女中部屋付近より出火。
本丸御殿が即日全焼した。再建の速度は領民の協力もあって甚だ早く、その年の
7月には着工、翌年の1月28日には上棟式、そして6月28日に完成したという
(「尼崎城本丸平面図」)

明治6年(1873年)の廃城令により建物が一部を除き取り壊されたが、明治7年
(1874年)、本丸御殿の一部である金之間が、菩提寺・深正院(市内大物町)の
本堂として移築された。
この本堂は戦前まで残っていたが、戦災に遭い焼失した。
「金之間」は、「牡丹之間」と「菊之間」を合わせた名称であり、「菊之間」と
「牡丹之間」は4面とも全て金箔張りであったことから「金之間」と呼ばれた。
本丸御殿で最も高い格式を持った来客専用貴賓室であった。

現在は本丸が尼崎市立明城小学校の敷地として利用されている他、他の曲輪および
埋め立てられた内外の堀跡の大半も市関連施設の敷地や宅地などで占められており、
西三之丸の北半が尼崎城址公園として整備されているにとどまる。
しかしながら、城址公園には石垣および土塀が模擬復元され、平成30年(2018年)
には資産家の寄贈による外観復元天守が完成した。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
尼崎城に行ってきました。
前回尼崎の寺町界隈を散策したのは2005年12月でした。
18年ぶりにこの付近を歩き、尼崎城を訪問しました。
前回来たときには、この尼崎城はこれと言ったものがありませんでした。

実は最近、家電量販店・旧ミドリ電化(現エディオン傘下)創業者の安保詮氏が
10億円という私財を投じて尼崎城天守閣を再建したという話を聞きました。
その天守閣を見てみようと思い訪問しました。

2018年(平成30年)再建の天守閣。
新しいだけあって非常に綺麗。
天守閣の前も芝が綺麗に敷かれていたり、城址公園として整備されています。

天守閣の中は尼崎城に関する展示などがされています。
入場料は500円です。

新しい城だけあって、中もハイテク。映像設備とか、VRとかいろいろ。
エレベーターだってありますし、エアコン効いてて涼しく快適です(^_^)
最近名古屋城の再建で、エレベーター付ける付けないで揉めてますが、旧来の
手法での再建ならエレベーターなんて付ける必要無いですし、そうでなく新しい
形の城だっていうなら、こういう近代的な城も良いよねと思いました。

<尼崎城>
尼崎城2.jpg

尼崎城.jpg

尼崎城6.jpg

尼崎城7.jpg

尼崎城8.jpg

<尼崎城からの景色>
尼崎城4.jpg

尼崎城3.jpg

日本の城を巡る
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令和5年夏休み旅
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2023年10月09日

智禅寺でマツコ弁天様を参拝   (兵庫県淡路市)

令和5年8月10日、淡路島の智禅寺に行ってきました。

<智禅寺>
マツコ弁天6.jpg
住所:兵庫県淡路市草香436
駐車場あり(無料)
拝観料:300円

<智禅寺について>
マツコ弁天5.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
淡路島の智禅寺に行ってきました。
淡路島七福神(弁財天)のお寺で、歴史は室町時代に遡る古刹です。

そんな智禅寺に行ったのには理由があります。
このお寺の弁天様が、マツコデラックスに似ているという事で、tvで話題にな
りました。そんな弁天様を見たいという事で訪問しました。

お寺さんの方も、マツコ弁天様を何気にアピール中です(^-^)
マツコ弁天4.jpg

マツコ弁天3.jpg

さて、その弁天様はどんな感じでしょうか。参拝してきました。
マツコ弁天2.jpg
こちらがその弁天様です。3体いらっしゃいますが、右側です。
本当小さいです。25cmほどの大きさ。
正式には「八臂宇賀弁財天」と言うそうです。

拡大するとこんな感じです。
マツコ弁天7.jpg

マツコ弁天.jpg
うむ、確かに似てらっしゃる(笑)

金運向上をとりあえず祈願してきました〜(^-^)

令和5年夏休み旅
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B級観光スポット・珍スポット
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2023年10月04日

鬼滅の壁   (兵庫県淡路市)

令和5年8月10日、淡路市にある鬼滅の壁を見てきました。

<鬼滅の壁>
鬼滅の壁3.jpg
住所:兵庫県淡路市尾崎3324−2
駐車場無し

淡路島にある鬼滅の壁を見てきました。
壁に鬼滅の刃の絵が描かれてるだけの場所です。
ううむ、これは著作権的にはどうなんだろ、そんな事を考えながらまあ良いか
という事で見学。

現地は駐車場は無く、車を停めて見るには場所が良くありません。
少し離れた場所にちょっとしたスペースがあったので、そこに一時駐車して
壁を見てきました。

<鬼滅の壁>
鬼滅の壁2.jpg

鬼滅の壁.jpg

鬼滅の壁5.jpg

鬼滅の壁4.jpg

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B級観光スポット・珍スポット
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2022年05月08日

常楽寺・神吉城址   (兵庫県加古川市)

加古川市にある常楽寺・神吉城址に行ってきました。

<常楽寺>
常楽寺.jpg
住所:兵庫県加古川市東神吉町1413
駐車場あり

常楽寺2.jpg

<常楽寺・神吉城址について>
常楽寺3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
神吉城址に行ってきました。
ここはかつて神吉城というお城があり、秀吉の播磨攻めに際しこの城に籠もった
神吉頼定は2000の兵で秀吉軍と激戦を演じますが、最後は秀吉方の調略による
裏切りにより暗殺され、神吉城も落城しました。

今は城の気配は感じませんでした。境内に秀吉と戦った神吉頼定の墓がありました。

<神吉頼定の墓>
常楽寺 神吉頼定の墓.jpg

令和3年〜4年 年末年始の旅
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日本の城を巡る
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著名人の墓
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2022年05月01日

高砂今津町の町並み  (兵庫県高砂市)

高砂市の今津町の町並みを散策しました。

<今津町>
高砂今津町.jpg
住所:兵庫県高砂市高砂町今津町
駐車場無し(高砂神社に停めてしばし散策しました)

<今津町について>
高砂今津町6.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
高砂神社を参拝したあと、今津町の町並みを散策しました。
今津町は江戸時代に姫路藩主本多忠政によって整備された町で、海運を中心に
栄えた様です。
現地に河合耆三郎生誕の地という解説の碑がありました。

<河合耆三郎生誕の地>
高砂今津町7.jpg
河合耆三郎は新選組で勘定方を務めた人物。資金の不正疑惑で切腹させられており
ます。

今津町は規模は小さいですが、昔ながらの町屋などが残り雰囲気は良かったです。
高砂今津町2.jpg

高砂今津町3.jpg

高砂今津町4.jpg

高砂今津町5.jpg

高砂今津町9.jpg

高砂今津町8.jpg
港の遺構です。

令和3年〜4年 年末年始の旅
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日本の古い町並み
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新撰組関連の史跡
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高砂神社   (兵庫県高砂市)

高砂市にある高砂神社に行ってきました。

<高砂神社>
高砂神社.jpg
住所:兵庫県高砂市高砂町東宮町190
駐車場あり(無料)
境内自由

<高砂神社由緒>
高砂神社2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
神功皇后の西征は大己貴命の加護によって果たされ、その凱旋の際に、大己貴命
の「鹿子の水門(かこのみなと)に留まる」との神託を受け、神功皇后の命により
大己貴命が当地に祀られたことにより創建されたという。

豊臣秀吉は朝鮮出兵の際、この神社に参拝し先勝を祈願したそうです。
また、謡曲『高砂』の舞台の一つ。

境内には相生の松という縁結びや和合、長寿の象徴とされる松の木があります。

<相生の松>
高砂神社4.jpg

<本堂>
高砂神社3.jpg

高砂神社の場所にはかつて高砂城がありました。
高砂城址の碑が境内にあります。

<高砂城址の碑>
高砂神社 高砂城址.jpg

高砂神社 高砂城址2.jpg

令和3年〜4年 年末年始の旅
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日本の城を巡る
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鶴林寺    (兵庫県加古川市)

加古川市にある鶴林寺に行ってきました。

<鶴林寺>
鶴林寺.jpg
住所:兵庫県加古川市加古川町北在家424
駐車場あり(無料)
拝観料:500円

<鶴林寺について>
鶴林寺3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
加古川市にある鶴林寺に行ってきました。
2005年7月に一度訪問しており、16年ぶりの訪問になりました。
鶴林寺は聖徳太子が秦河勝に命じて造らせたという古刹です。
知名度的にはそこまで有名ではないですが、境内には国宝・重要文化財の建造物
が多々あり、見所満載のお寺です。

聖徳太子創建というお寺ですが、建物は一番古い物で平安時代。
平安〜江戸時代の建物が点在します。
黒田官兵衛の書状なども残り、姫路城主だった黒田氏との関係も深かった様です。

今回の旅では建物を堪能するとともに、宝物館(500円)も合わせて見てきま
した。

<本堂・国宝>
鶴林寺2.jpg

<三重塔・重文>
鶴林寺 三重塔.jpg

<常行堂・重文>
鶴林寺 常行堂(重文).jpg

<太子堂・国宝>
鶴林寺太子堂.jpg

<ウインクする十二神将>
鶴林寺 ウインク仏像.jpg
トリビアの泉で取り上げられたウインクする仏像です(笑)

令和3年〜4年 年末年始の旅
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国宝建造物を巡る
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2021年09月26日

宮本武蔵初決闘の地   (兵庫県佐用町)

佐用町にある宮本武蔵初決闘の地に行ってきました。

<宮本武蔵初決闘の地>
宮本武蔵初決闘の場.jpg
住所:兵庫県佐用郡佐用町宗行387
駐車場あり(無料)

<武蔵初決闘の地について>
宮本武蔵初決闘の場2.jpg

宮本武蔵初決闘の場5.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
平福宿のすぐ南に宮本武蔵初決闘の地という看板を発見し、立ち寄ってきました。

宮本武蔵は13歳の時、この金倉橋のふもとで新当流の有馬喜兵衛に初決闘を挑み
一刀のもとに相手を倒したという伝説の地です。
正直自分は宮本武蔵についてはそんなに詳しくないので、へ〜そうなんだ程度で
現地を見てきました。
金倉橋は今はコンクリートのゴツい橋になってます。

宮本武蔵初決闘の場3.jpg

宮本武蔵初決闘の場4.jpg

宮本武蔵初決闘の場6.jpg

令和3年春旅2 大遠征
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2021年09月25日

因幡街道・平福宿    (兵庫県佐用町)

佐用町にある因幡街道平福宿の宿場町を散策してきました。

<因幡街道・平福宿>
平福宿.jpg
住所:兵庫県佐用郡佐用町平福444
駐車場あり(道の駅ひらふく利用)

<平福宿について>
平福宿9b.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
佐用川沿いに続く因幡街道の宿場町、平福宿を散策しました。
道の駅ひらふくに車を停め歩いて散策です。

元々は利神城の城下町として発展し、その後一国一城令により廃城となった後は、
因幡街道最大の宿場町として鳥取藩の本陣などもあり栄えました。

道の駅から歩いて往復30〜40分位散策してみました。
平日夕方という事もあり、観光客もほとんどおらず、とても閑かな雰囲気の町並み
を堪能しました。
とても雰囲気が良かったです。現時点で重要伝統的建造物群保存地区には指定され
てませんが、今後対象になってくるかもしれません。

<平福宿>
平福宿4.jpg

平福宿3.jpg

平福宿2.jpg

平福宿5.jpg

平福宿9.jpg

平福宿6.jpg

平福宿7.jpg

平福宿8.jpg

平福宿9a.jpg

<利神城>
利神城.jpg
平福宿から見あげると利神城(りかんじょう)が見えます。
元々この利神城の城下町であったのがこの平福宿です。

令和3年春旅2 大遠征
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日本の古い町並み
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2021年09月23日

金鑵城址     (兵庫県小野市)

小野市にある金鑵城址に行ってきました。

<金鑵城址>
金鑵城址2.jpg
住所:兵庫県小野市昭和町441−6
駐車場あり(無料)

<金鑵城について>
金鑵城址.jpg


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
金鑵城址に行ってきました。
金鑵城は青野ヶ原台地の突出部に築かれた中世の山城で、赤松氏の家臣中村氏に
よって築城されたお城です。後に三木城の別所氏の城になりました。

丘の上にあり、近隣の城を遠望出来る要衝の山城と言えます。

金鑵城跡は綺麗に整備され、堀や柵、展望櫓などがあります。あいにく櫓には
登れない様になっていました。

<金鑵城址>
金鑵城址3.jpg

金鑵城址4.jpg

金鑵城址5.jpg

金鑵城址7.jpg

<金鑵城からの風景>
金鑵城址6.jpg

令和3年春旅2 大遠征
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日本の城を巡る
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豊地城址  (兵庫県小野市)

豊地城址に行ってきました。

<豊地城址>
豊地城址4.jpg
住所:兵庫県小野市中谷町
駐車場無し

豊地城址に行ってきました。
南北朝時代、金谷経氏は丹生山城と東条城を拠点に北朝方の軍勢と戦っており、
その時の東条城が豊地城の前身と思われています。

室町時代には赤松氏の家臣依藤氏、戦国期には別所氏の一族別所重宗が城主と
なっていました。
1578年〜1580年の三木合戦で三木城が攻略され別所氏が滅亡すると、
秀吉の命により豊地城も廃城となりました。

豊地城の城域は東西約400m、南北約200mの規模で、現在城跡という場所には
小さなお堂があり、その周辺に土塁の様なものを見る事が出来ました。

<豊地城址>
豊地城址.jpg

豊地城址2.jpg

豊地城址3.jpg

令和3年春旅2 大遠征
http://rover.seesaa.net/article/481725269.html

日本の城を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21222307.html



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法光寺   (兵庫県三木市)

三木市にある法光寺に行ってきました。

<法光寺>
法光寺.jpg
住所:兵庫県三木市吉川町法光寺42
駐車場あり(無料)
境内自由

<法光寺について>
法光寺2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
法光寺に行ってきました。
旅のガイドにしている昭文社『歴史知図』に出ていたお寺です。
現地解説によると西暦651年の創建。大化の改新から6年後という長い歴史を
持つお寺です。

ただ、本堂他建物は近年建てられた物が多く、古刹の雰囲気はあまりありません。
境内に室町時代のものと思われる五輪塔があり、それは歴史の重みを感じました。

<五輪塔>
法光寺 五輪塔.jpg

法光寺7.jpg

<法光寺境内>
法光寺3.jpg

法光寺5.jpg

法光寺6.jpg

令和3年春旅2 大遠征
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2021年09月11日

安国寺・足利義教首塚   (兵庫県加東市)

加東市にある安国寺に行ってきました。

<安国寺>
安国寺 加東市.jpg
住所:兵庫県加東市新定851
駐車場あり(無料)

<安国寺と宝篋印塔について>
安国寺 加東市 足利義教の墓2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
安国寺に行ってきました。
ここは足利尊氏が全国に建立した安国寺のひとつで、播磨国安国寺になります。
今回たまたま通りかかった為訪問しました。

本殿や庭園も風情がありましたが、本殿の建築年代等については説明が無かった為
不明です。

<本殿>
安国寺 加東市2.jpg

<庭園>
安国寺 加東市3.jpg

この寺の見所は、本殿裏にある足利義教の首塚です。
安国寺 加東市4.jpg

室町幕府6代将軍・足利義教は強権的な政治で守護大名を支配した為、反発する
勢力も多く、足利持氏との争いやその流れで起こった結城合戦などが起こっていま
す。

播磨国守護赤松満祐は、次に粛正される事を恐れ、結城合戦の戦勝祝いと称し将軍
義教を招き、酒宴の席で義教を暗殺します。
赤松満祐は義教の首を播磨に持ち帰り、盛大な法要を行ったとの事。
その後、幕府の要請により首は返却されますが、足利家ゆかりの安国寺に足利義教の
首塚である宝篋印塔が残ります。

<足利義教の首塚>
安国寺 加東市 足利義教の墓.jpg

足利義教の首塚を参拝して戻ってきました。

令和3年春旅2 大遠征
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著名人の墓
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金心寺   (兵庫県三田市)

三田市にある金心寺に行ってきました。

<金心寺>
金心寺.jpg
住所:兵庫県三田市天神3丁目28−45
駐車場あり(無料)
境内自由

<金心寺について>
金心寺2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
8世紀創建の古刹です。
兵庫県三田市の地名の由来は、金心寺本尊の胎内から「当地は松山庄と言うが、こ
れを金心寺三福田により三田と改める」という文字が見つかった事によります。
よって、この金心寺が三田地名発祥の地という事になります。

建物はほぼ新しいものになっています。
唯一江戸時代の三田藩下屋敷の門を移築した山門が古い建築って感じでした。

金心寺3.jpg

金心寺4.jpg

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貴志御霊神社   (兵庫県三田市)

三田市にある御霊神社に行ってきました。

<御霊神社>
御霊神社2.jpg
住所:兵庫県三田市貴志1100−1−1
駐車場あり(無料)
境内自由

<御霊神社について>
御霊神社.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
御霊神社に行ってきました。
1470年創建の神社で、祭神は伊弉諾命・伊弉冊命です。
本殿が国指定の重要文化財に指定されています。

御霊神社3.jpg

御霊神社4.jpg

<本殿・重要文化財>
御霊神社5.jpg
こちらが重要文化財の本殿です。

<夜泣き石>
御霊神社 夜泣き石.jpg

御霊神社 夜泣き石2.jpg

西側のすずかけ台公園の方から来たら駐車場が見つかりませんでした。
反対側から来ると無料駐車場があります。

令和3年春旅2 大遠征
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2021年09月04日

蓮華寺   (兵庫県三田市)

三田市にある蓮華寺に行ってきました。

<蓮華寺>
蓮花寺.jpg
住所:兵庫県三田市下槻瀬678
駐車場あり(無料)
境内自由

<蓮華寺について>
蓮華寺.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
蓮華寺(蓮花寺)に行ってきました。
三田市にある古刹。多田源氏ゆかりの寺で、古文書等から鎌倉時代には既に存在
していたという歴史があります。

特に知っていた訳では無く、歴史知図を見ての訪問。
山門、多宝塔、板碑など歴史的価値のある建造物などを堪能してきました。

上の写真の山門は豊臣家寄進のものだそうです。

<多宝塔>
蓮華寺  多宝塔2.jpg

蓮華寺3.jpg

蓮華寺  多宝塔.jpg

<板碑>
蓮華寺4.jpg

蓮華寺5.jpg

<本堂>
蓮華寺2.jpg

令和3年春旅2 大遠征
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2021年08月29日

十二妃の墓   (兵庫県三田市)

三田市にある十二妃の墓を参拝しました。

<十二妃の墓>
十二妃の墓.jpg
住所:兵庫県三田市尼寺126−7
駐車場あり(無料)

<十二妃の墓について>
十二妃の墓3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
十二妃の墓を参拝しました。

花山天皇は19歳で出家、法皇となり三田の紫雲山に隠遁しました。
この墓は花山法皇について三田に移った弘徽殿 祇子と11人の女官の墓です。

十二妃の墓2.jpg

平安時代中期は天皇の皇位も藤原氏の思惑のもとに左右され、花山天皇が若くして
法皇になったのもそんな事によるものと思われます。
歴史上の事件で藤原伊周による花山法皇襲撃事件なんてのもありました。

そんな政争から逃れ、三田での隠遁生活はむしろ穏やかだったのかもしれません。

令和3年春旅2 大遠征
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著名人の墓
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2020年01月26日

ドラゴンクエスト記念碑    (兵庫県洲本市)

洲本市でドラゴンクエスト記念碑を見てきました。

<ドラゴンクエスト記念碑>
ドラクエの像.jpg
住所:兵庫県洲本市塩屋1丁目1
駐車場無し

ドラクエの像2.jpg

2017年ドラゴンクエスト誕生30周年を記念して、ドラクエ生みの親である
堀井雄二氏の故郷洲本市に、ドラゴンクエスト記念碑が建立されました。

ロトのつるぎ、ロトの盾、スライムの像です。
洲本市民広場の中にこの像があります。
こんなのがあるの、全然知りませんでした。自分は年齢的にドラクエ1からリアルに
やってきた世代。現在8で止まってしまってるんですが、時間を作って11もやって
みたいなと思う今日この頃です。

車は目の前にあるイオンスタイル洲本に停めました。1000円位買えば駐車料金
無料になるとの事でしたので。

令和元年〜2年・年末年始の旅
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枝吉城址   (兵庫県神戸市)

神戸市西区にある枝吉城址に行ってきました。

<枝吉城址>
枝吉城址.jpg
住所:兵庫県神戸市西区枝吉4丁目
駐車場あり(吉田郷土館駐車場)

<枝吉城について>
枝吉城址2.jpg

枝吉城址5.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
泊まった宿の近くにあった枝吉城址に行ってきました。
吉田郷土館という資料館の裏山が城跡です。
吉田郷土館の中庭みたいなところに登山口があります。行った時は休館日でした
が登城口は普通に入る事が出来ました。

枝吉城址4.jpg

15世紀前半、明石尚行によって築城されたお城で明石氏の居城となりました。
尼子氏、赤松氏らが絡んだ合戦に巻き込まれたりしており、何度かこの城は戦の
舞台になっています。
最後は高山右近の城になりますが、天正13年以降廃城になった模様です。

小高い丘程度の平山城です。木を切ればこの近隣では見晴らしの良い場所なんで
しょうけど、木がうっそうとしていて現在は遠くを見ることは出来ませんでした。

<枝吉城址>
枝吉城址3.jpg

枝吉城址 播磨吉田遺跡.jpg

令和元年〜2年・年末年始の旅
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日本の城を巡る
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2019年09月25日

但馬海岸遊覧船    (兵庫県新温泉町)

但馬海岸遊覧船に乗ってきました(^-^)

<但馬海岸遊覧船>
但馬海岸遊覧船.jpg
住所:兵庫県美方郡新温泉町芦屋
駐車場あり(無料)
料金:大人1600円 就航時間60分/回

但馬海岸遊覧船に行ってきました。
もう少し東に行った香住の方にも遊覧船がある様でしたが、今回は
こちらに訪問しました。
1航行で1時間。但馬海岸の荒々しい海岸線を海から見る事が出来ます。

この船、船底の一部が透けていて、海底を見る事が出来ます。
途中、入り江の様なところに入りそこの浅瀬で海底見学時間になります。
結構魚とか泳いでて楽しかったです。

柱状節理の巨岩など、陸からでは見えない見所が多いので、満足度は高
かったです。

<但馬海岸遊覧船>
但馬海岸遊覧船2.jpg

但馬海岸遊覧船3.jpg

但馬海岸遊覧船4.jpg

但馬海岸遊覧船5獅子の口.jpg
獅子の口という奇岩です。

但馬海岸遊覧船6.jpg

但馬海岸遊覧船7.jpg

但馬海岸遊覧船8下荒洞門.jpg
下荒洞門という洞門です。波が穏やかなときには洞門の中を観光船で
くぐれるそうです。この日はあいにく波が荒く入れませんでした。

令和元年夏休み旅
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2017年07月19日

坂越浦城址    (兵庫県赤穂市)

赤穂市にある坂越浦城址に行ってきました。

<坂越浦城址>
坂越浦城.jpg
住所:兵庫県赤穂市坂越
駐車場あり(無料)

<坂越浦城について>
坂越浦城4.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
赤穂にある坂越浦城址に行ってきました。
戦国時代、龍野城主赤松氏の通い城として、坂越支配の拠点でした。
江戸時代には赤穂藩による航行する船の監視所として御番所が置かれた
そうです。
今はその痕跡はなにひとつ残ってません。ちょっとした公園になっていて、
ここからは秦河勝の墓がある生島などを眺める事が出来ます。

坂越浦城3.jpg

坂越浦城2.jpg
坂越浦城から見た生島。

平成29年GWの旅
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日本の城を巡る
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2017年07月16日

大避神社      (兵庫県赤穂市)

赤穂市にある大避神社に行ってきました。

<大避神社>
大避神社2.jpg
住所:兵庫県赤穂市坂越1299
駐車場(近くにある観光駐車場利用)
境内自由

<大避神社について>
大避神社.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
赤穂市坂越にある大避神社(おおさけじんじゃ)に行ってきました。
御祭神はこの地に逃れてきた、秦河勝です。

瀬戸内海三大船祭りのひとつ「坂越の船祭り」はこの神社のお祭りです。

<大避神社>
大避神社3.jpg

大避神社4.jpg

大避神社5.jpg



平成29年GWの旅
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2017年07月14日

妙見寺 / 児島高徳の墓   (兵庫県赤穂市)

赤穂市にある妙見寺に行ってきました。

<妙見寺>
妙見寺.jpg
住所:兵庫県赤穂市坂越1307
駐車場あり(無料)

<妙見寺について>
妙見寺3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
妙見寺に行ってきました。
妙見寺は奈良時代に行基によって創建され、その後空海によって再興
されました。
最盛期には165坊もの庵を構えた大寺院だった様です。
現在残る観音堂は、1722年の再建。清水寺の様な舞台造りが見所です。

妙見寺 観音堂.jpg

妙見寺2.jpg

妙見寺で見ておくべきところがもう一ヶ所。児島高徳の墓です。
児島高徳は南北朝の戦いにおける南朝方の功臣で、太平記の作者とも
言われる人物です。ただ、その存在自体が『太平記』にしか存在しない
事から、実在の人物かどうか疑問をもたれている人物でもあります。

戦国大名として名をはせた宇喜多氏は、児島高徳の子孫をうたっており
旗印は「兒」(児の旧字体)を使っていました。

児島高徳はここ坂越で亡くなったという伝説があり、妙見寺にお墓が
あります。

<児島高徳の墓>
児島高徳の墓.jpg

児島高徳の墓2.jpg

群馬にも児島高徳終焉の地と呼ばれる場所があり、墓もありました。
要はこの人物についてはよく分かっていないという事ですね。

<群馬の児島高徳の墓>
http://rover.seesaa.net/article/150229846.html

平成29年GWの旅
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著名人の墓
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2017年07月13日

坂越の町並み       (兵庫県赤穂市)

赤穂市の坂越の町並みを散策してきました。

<坂越の町並み>
坂越の町並み.jpg
住所:兵庫県赤穂市坂越
駐車場あり(無料)

坂越の町は、その昔、蘇我入鹿の乱を避けて秦河勝が逃れてきた地で、秦河勝はこ
の地で亡くなります。
江戸時代、赤穂の町は塩の生産が盛んで、その塩を運ぶための港がこの坂越の町
でした。
町の中心部には旧庄屋などの伝統的建造物群による古い町並みが形成されており、
かつて内海の要衝として拓けてきた港町を偲ばせる風情をなおとどめています。

赤穂の中心部は何度か観光したことがありましたが、坂越は今回初訪問。
こんな良い町並みが残っていようとは、いやはやびっくりです。
まだ重要伝統的建造物群保存地区には指定されていませんが、いずれ指定される
であろう素晴らしい町並みでした(^-^)

<坂越の町並み>
坂越の町並み3.jpg

坂越の町並み4.jpg

坂越の町並み5.jpg

坂越の町並み6.jpg

坂越の町並み2.jpg

坂越の町並み7.jpg

坂越の町並み8.jpg

平成29年GWの旅
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日本の古い町並み
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2017年07月12日

大石内蔵助旅立ちの像   (兵庫県赤穂市)

赤穂市にある大石内蔵助旅立ちの像を見てきました。

<大石内蔵助旅立ちの像>
大石内蔵助像.jpg
住所:兵庫県赤穂市御崎
駐車場あり(無料)

<大石内蔵助の旅立ちについて>
大石内蔵助像3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
今回の旅で、やっと海に出てきました。
赤穂御崎で海でも眺めようかと思って訪問したところ、大石内蔵助の
像があったので見てきました。知ってて行った訳ではなく、偶然見つけ
ました。

大石内蔵助像2.jpg

この像は、赤穂城が接収され、その後吉良邸討ち入りまでのいろいろな
流れがありますが、大石内蔵助は京都山科に隠遁し、まずは主家赤穂浅野家
の家名再興を目指し動き出します。
その旅立ちを表現したのがこの銅像です。
今回、大河ドラマ『元禄繚乱』を見たところだったので、この像を見る事が
出来てとても良かったです(^-^)

<赤穂御崎>
赤穂御崎.jpg

赤穂御崎3.jpg

赤穂御崎2.jpg
直前の上月城では良い天気だったんですが、赤穂御崎に来たときには
あいにくの曇り。ちょっと残念でした。

平成29年GWの旅
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大河ドラマの舞台
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銅像めぐり
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佐用城址     (兵庫県佐用町)

佐用町にある佐用城址(福原城)に行ってきました。

<佐用城址>
佐用城.jpg
住所:兵庫県佐用郡佐用町佐用1573
駐車場なし

<佐用城について>
佐用城5.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
佐用城址に行ってきました。
佐用城は鎌倉時代末期に佐用範家によって築城された城で、その後
赤松氏36人衆のひとり福原氏にがこの城に入った為、福原城とも
言われます。
戦国時代に、織田信長の播磨攻めの際、秀吉の軍勢に攻撃され落城。
廃城となりました。

ここに来る前に、上月城に行きました。佐用城はその上月城や高倉城など
を合わせ赤松氏の城郭群を形成していました。

現地は細い道を入っていきます。
駐車場は無く、城跡を少し過ぎた位の場所に1台分くらい停車でいるスペースが
あったので、そこに停車して見学しました。

上の写真の神社は福原霊社と言い福原藤馬允則尚の首を祀った神社だそうです。
ここにお参りすると首から上の病が治るとか。

見終わったあと、その道路を前進で通過出来るか微妙な幅員だったので、頑張っ
てUターンして帰りました。結構しんどかったです(^^;

<佐用城址>
佐用城4.jpg

佐用城3.jpg
土塁が綺麗に残ってますね(^-^)

佐用城2.jpg
福原則尚の辞世の句です。
「死ぬなれば花の下にと思いしに 師走の花の咲くべくもなく」

平成29年GWの旅
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日本の城を巡る
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2017年07月09日

上月城址     (兵庫県佐用町)

兵庫県佐用町にある上月城址に行ってきました。

<上月城址>
上月城.jpg
住所:兵庫県佐用郡佐用町上月373
駐車場あり(無料)

<上月城について・クリックすると拡大します>
上月城について.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
上月城址(こうづきじょうし)に行ってきました。
今回の旅の一番の目的地です。
大河ドラマ『軍師官兵衛』で、上月合戦をかなりひっぱっていたので、
すごく印象に残りました。

上月城1.jpg

この日は、黒井城、岩尾城、黒田城と山城をすでに3つ登城していて、
上月城で4ヶ所目。足にかなりの疲労が蓄積していましたが、旅の目的
地で力尽きる訳にはいきません。気合いで山城攻めに向かいます(^-^)

上月城2.jpg

道は綺麗に整備されています。急な坂道があるわけでもなく、比較的
緩やかな山道です。
そんな山道を歩くこと15分位で主郭跡に到着します。

上月城3.jpg

主郭跡は、本当にただの跡でした(^^;
特に何もなし。しかも眺望が開けている訳でもなく、そんなに達成感が
ある山城ではなかったですね。

<赤松政範の墓>
赤松政範供養塔.jpg
主郭にあったのは、上月城主赤松政範の墓です。
上月城はもともと鎌倉時代に上月氏によって築城されたものですが、戦国期には
赤松氏の居城になっていました。
赤松政範は宇喜多直家の援軍を得て、信長の播磨攻略軍と上月城で戦いますが、
信長軍の攻撃の前に敗れ、自らの首を秀吉に差し出す事で、城兵らの命乞いを
しますが、結局秀吉により城兵は皆殺しにされたそうです。

その後、上月城には尼子勝久・山中鹿之助主従が入城しますが、毛利勢3万に
囲まれ、遂には落城。尼子勝久は自刃、山中鹿之助は護送途中に惨殺されます。
この上月城は、尼子家再興の戦いの終焉の地にもなりました。

そんな数々の激戦の舞台となった上月城で、戦いを思いながら歩いてきました。

<上月城からの景色>
上月城4.jpg
上月の町を眺めます。

<歴史資料館>
上月城 歴史資料館.jpg
上月城の歴史資料館です。本当は中を見たかったんですが、16時で閉館。
僕が着いたのちょうど16時位だったので、中を見ることが出来ませんでした(>_<)

平成29年GWの旅
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大河ドラマの舞台
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著名人の墓
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日本の城を巡る
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観音寺 / 赤穂義士の墓     (兵庫県加東市)

兵庫県加東市にある観音寺に行ってきました。

<観音寺>
観音寺.jpg
住所:兵庫県加東市家原14-4
駐車場なし
境内自由

<観音寺について>
観音寺4.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
加東市にある観音寺に行ってきました。
ちょうど平成11年の大河ドラマ『元禄繚乱』を見ていたこともあり、
忠臣蔵ゆかりの地訪問です。

この観音寺には赤穂四十七士の墓と浅野家四代の墓碑があります。

観音寺3.jpg

なんでここに赤穂義士の墓?
実は、ここ加東市は赤穂浅野家の分家がこの地を領地として、幕末
まで存続した場所だからです。
赤穂義士は忠義の士として世間の喝采を浴びた関係で、歌舞伎の題材
になったり、顕彰碑が建てられたりしました。
そんな流れで、赤穂浅野家の分家でも後に観音寺に赤穂義士らの墓を
作ったという流れの様です。

本堂裏に四十七士の墓があります。
観音寺5.jpg
真ん中に浅野四代の墓碑。その前に大石内蔵助と嫡男の主税の墓。
それを取り囲むように赤穂義士達の墓があります。

観音寺 赤穂義士の墓.jpg
真ん中が浅野四代の墓。右・大石内蔵助、左・大石主税の墓です。

観音寺6.jpg
寺の前にこんな旗が。平成11年にやってるからね〜、再度の大河ドラマは
なかなか難しいでしょうけどね。僕も別キャストでの忠臣蔵も見てみたい気は
します(^-^)

観音寺では、毎年赤穂義士祭が開催されているそうです。

平成29年GWの旅
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大河ドラマの舞台
http://rover.seesaa.net/article/112515106.html

著名人の墓
http://rover.seesaa.net/article/26837973.html

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2017年06月29日

荘厳寺     (兵庫県西脇市)

兵庫県西脇市にある荘厳寺に行ってきました。

<荘厳寺>
荘厳寺.jpg
住所:兵庫県西脇市黒田庄町黒田1589 
駐車場あり(無料)
境内自由

<荘厳寺について>
荘厳寺2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
西脇市にある荘厳寺(しょうごんじ)に行ってきました。
黒田庄にあるお寺で、黒田官兵衛ゆかりの地というアピールをしていま
した。

荘厳寺3.jpg

この荘厳寺には、黒田家家系図が伝えられています。
黒田庄は、黒田城をはじめ黒田氏の拠点だった場所で、黒田官兵衛もこの
地で生まれました。
お寺に黒田家家系図が所蔵されている事から、このお寺が黒田氏のゆかりの
寺だった事が分かります。
荘厳寺は奈良時代の創建。現在平成の大改修が行われており、持仏堂はには
足場とシートがかかり中をうかがうことが出来ませんでした。

持仏堂を回り込み、本堂に向かいます。本堂へは、長い階段をのぼって行く
事になります。
荘厳寺4.jpg

荘厳寺5.jpg
どこまでも続く階段、かなり体力を使います。

距離にして300mの階段道を歩き本堂に到着です(^-^)
荘厳寺6.jpg

荘厳寺7.jpg
秋には綺麗な紅葉が楽しめそうです。

<多宝塔>
荘厳寺8.jpg
もとは平安時代末期に建てられた様ですが、現在の多宝塔は江戸時代中期の
再建です。

荘厳寺9.jpg
境内に、官兵衛と妻の光のゆるキャラ。
荘厳寺には、黒田官兵衛、櫛橋光の位牌があるそうです。

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2017年06月23日

黒田城址     (兵庫県西脇市)

西脇市にある黒田城址に行ってきました。

<黒田城址>
黒田城.jpg
住所:兵庫県西脇市黒田庄町黒田1330
駐車場あり(無料)

<黒田城について>
黒田城2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
西脇市にある黒田城址に行ってきました。
西脇市黒田庄町は、戦国時代に活躍した黒田官兵衛に繋がる黒田氏発祥
の地です。
黒田氏は赤松氏の庶流で、この地を治めました。

黒田城についてははっきりとしたことは分かっていないそうです。
現在、黒田城址と思われる場所には稲荷社があります。
小さな山城で、本丸跡までは片道10分もあれば到着出来ます。

<黒田城址>
黒田城4.jpg

黒田城6.jpg

黒田城5.jpg
黒田城からの景色。

<黒田官兵衛生誕の地>
黒田城3.jpg

黒田城7.jpg
この地は黒田官兵衛生誕の地でもあります。

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日本の城を巡る
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2017年06月22日

岩尾城址       (兵庫県丹波市)

丹波市にある岩尾城址に行ってきました。

<岩尾城址>
岩尾城.jpg
住所:丹波市山南町和田1
駐車場なし

<岩尾城について>
岩尾城2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
岩尾城址に行ってきました。
1516年に和田斉頼によって築城された山城です。
1579年、丹波平定を目指す織田信長の旗下明智光秀軍の攻撃を受け
落城。その後1586年、豊臣秀吉の部下佐藤栄有が岩尾城に入ります。
佐藤栄有のもと石垣が築造されますが、1596年に廃城となり破却され
ました。
今は山頂付近に佐藤栄有によって築造された石垣の一部が残っています。

そんな岩尾城登城です。
丹波市立和田小学校を目指して行きます。
城は和田小学校の裏山です。小学校の裏に登山口があります。
小学校の入り口にはこんな掲示。
岩尾城9b.jpg
平日の場合は小学校に届け出ないといけない様です。
僕は休日の訪問だったので、そのまま通過しました。

岩尾城3.jpg
非常に分かりづらい山道を登って行きます。

登る途中に井戸がありました。
岩尾城4.jpg
山城での籠城戦は水が重要になります。この井戸は人工的に掘られた井戸で、
深さは7mにも及ぶそうです。

更に進むと道はますます険しくなります。
岩尾城5.jpg
この城はかなりキツい(´Д`)
8合目くらいで息が上がりました。

そこから頑張り山頂へ。片道約30分ほどの登山になりました。
山頂部には当時の石垣が残ります。荒れていますが、それがまた良い雰囲気ですね〜。

岩尾城6.jpg

岩尾城7.jpg

岩尾城8.jpg

岩尾城9.jpg

岩尾城9a.jpg

<本丸からの景色>
岩尾城 本丸からの景色.jpg
本丸付近からの景色です。
遠くまで一望出来ます。良い景色を見ると苦労して登ってきたかいがあると
いうものです(^-^)
かなり体力を使いましたが、言って良かったです!

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2017年06月18日

兵主神社      (兵庫県西脇市)

兵庫県西脇市にある兵主神社に行ってきました。

<兵主神社>
兵主神社.jpg
住所:兵庫県西脇市黒田庄町岡372−2
駐車場あり(無料)
境内自由

<兵主神社について>
兵主神社4.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
兵主神社に行ってきました。
奈良時代創建の由緒ある神社です。
特徴的なのは、茅葺きの拝殿です。拝殿が茅葺きってあまり見たことが
ありません。

兵主神社2.jpg

兵主神社5.jpg

この拝殿は1591年、黒田官兵衛によって築造されたものだそうです。
ここ西脇市黒田庄は黒田官兵衛生誕の地でもあります。

兵主神社3.jpg

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2017年06月14日

興禅寺【再】    (兵庫県丹波市)

丹波市にある興禅寺に行ってきました。

<興禅寺>
興禅寺4.jpg
住所:兵庫県丹波市春日町黒井2263
駐車場あり(無料)
境内自由

<興禅寺について>
興禅寺2.jpg

<春日の局について・クリックすると拡大します>
興禅寺3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
11年ぶりで丹波市の興禅寺に行ってきました。
ここは、後に徳川家光の乳母となる春日の局生誕の地です。

<11年前の記事>
http://rover.seesaa.net/article/25539358.html

興禅寺5.jpg

春日の局はお福と言い、明智光秀の家臣斎藤利三の子です。
明智光秀は黒井城を攻め落とすと、黒井城に家臣の斎藤利三を城主として
配置します。
興禅寺は、斎藤利三の屋敷跡とも言われ、堀などを備え簡易的な城の様な
役割を果たしたものと思われます。

11年ぶりの訪問でしたが、堀の雰囲気とか非常に良く覚えていました。
ここは印象深いお寺です。

興禅寺.jpg

ずっと昔、大河ドラマで見た記憶がうっすらとあります。
まあ子供の頃に見た大河なので、改めて見てみたいですね。

興禅寺には、お福産湯の井戸や腰掛け岩など彼女ゆかりのものが残って
います。

<本堂>
興禅寺6.jpg

興禅寺8.jpg

<お福産湯の井戸>
興禅寺7.jpg

<お福腰掛け岩>
興禅寺9.jpg

平成29年GWの旅
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黒井城址      (兵庫県丹波市)

丹波市にある黒井城址に行ってきました。

<黒井城址>
黒井城.jpg
住所:兵庫県丹波市春日町黒井
駐車場あり(無料)

<黒井城について>
黒井城2.jpg

黒井城 赤井直正.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
赤井直正の居城黒井城址に行ってきました。だいぶ前に一度攻略しよう
と思って行ったことがありましたが、時間の関係で上まで登れません
でした。今回は本丸まで登ろうと行ってきました。

黒井城址は、建武の新政が始まった頃に赤松氏によって築城されたお城
です。戦国期には猛将赤井直正の居城となり、丹波平定を目指す織田軍
の明智光秀の軍勢と戦います。
赤井直正は善戦し、明智軍を撃退します。
再度明智軍に攻めかかられた際、赤井直正は病死し、最終的に黒井城は
落城しました。
落城後、明智光秀は家臣の斎藤利三を黒井城に入城させます。
利三の娘であるお福(のちの春日の局)はこの地で生まれました。

明智軍を退けた山城黒井城、攻略に向かいます。
駐車場から、登山口に向かいます。
黒井城3.jpg
急な道と緩やかな道と2道ありまして、緩やかな方で登って行きます。

黒井城4.jpg
緩やかと言いながらこんな感じです。

20分位歩いて木々が開け、東屋が見えてきました。
やっと到着!
黒井城5.jpg
ここは人工的な傾斜です。土塁かな〜。

黒井城6.jpg
東屋がありました、ここで景色を眺めながら休憩です。
到達感があります(^-^)

景色も良いですね〜。
黒井城8.jpg

黒井城7.jpg

満足して城を降り始めます。少し降りたところで衝撃的な事に気がつき
ます。少しおりてきたところで、本丸まで700mの表示。あれ、こんなに
降りてきたっけ?ここで疑問に思いました。
実は、僕が本丸跡と思ってたところは本丸跡じゃなくて、まだ先があったん
です(>_<)
下りはじめてから戻る気力が涌きません。もういいやという気分に。いやはや
無念でした。

完全に下に降りてから、再度城を見上げました。
そしたら、山頂付近に石垣が見えるじゃ無いですか。あそこが本丸跡だったん
だ。無念だな〜・・・。

黒井城9.jpg

黒井城9a.jpg
僕が途中で抜かした女の子4人組が山頂で万歳してるのも見えて尚やられた
感がありました(^^;

途中まで行きましたが、景色も良くて良かったと言えば良かったんですが。
何か不完全燃焼で終わりました。
どうでも良いですが、城の名前が黒井で城主が赤井。ううむ、これも何なのか(笑)

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日本の城を巡る
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2017年06月13日

白毫寺      (兵庫県丹波市)

丹波市にある白毫寺に行ってきました。

<白毫寺>
白毫寺.jpg
住所:兵庫県丹波市市島町白毫寺709
駐車場あり(無料)

<白毫寺について>
白毫寺2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
丹波市にある白毫寺に行ってきました。
昭文社さんの『歴史知図』をもとに、赤松氏ゆかりの寺という事で訪問
しました。
朝8時半位の訪問、寺に着いてびっくり駐車場への誘導員まで出てかな
りの人出です。
こんな朝からいったいなんなんでしょう?
特に有名な寺でもないでしょうにと思いました。

着いて初めて知ったんですが、この寺には九尺藤という有名な藤の木が
ありGWに見頃を迎えるとの事。ちょうど藤まつりが開催中でした。

長さ120mにもなる藤棚に九尺藤が枝を伸ばし咲いていました。
藤の写真は続きに掲載します。

お寺も古刹の雰囲気があふれて良い感じでした。

<白毫寺>
白毫寺3.jpg

白毫寺8.jpg

白毫寺9.jpg

白毫寺9 太鼓橋.jpg
これは太鼓橋という橋です。

白毫寺で目に付いたのは、春に紅葉するチシオモミジです。
以前福島の花見山でも春に紅葉を見ました。
白毫寺は本当に秋に来たかの様な綺麗な紅葉でした。季節外れ感が良いですね(^-^)

白毫寺4.jpg

白毫寺6.jpg

白毫寺5.jpg

白毫寺7.jpg


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2016年09月18日

宝憧寺・天滝展望台    (兵庫県養父市)

兵庫県養父市にある宝憧寺に行ってきました。

<宝憧寺>
宝憧寺.jpg
住所:兵庫県養父市大屋町蔵垣915
駐車場あり
境内自由

養父市の宝憧寺に行ってきました。
特に行くつもりだった場所では無いのですが、養父市街から鳥取の若桜に
向かう途中、「天滝展望台」という案内が出ていたので気になって行って
みました。

天滝は日本の滝100選に選ばれる滝で、落差98m。天から降り注ぐ様
な事から天滝と名付けられました。
1996年度のNHK連続テレビ小説「ふたりっ子」のオープニングに登場し
た滝でもあります。

実は前に一度天滝を見ようとこの地を訪れたのですが、遊歩道に天滝まで
片道徒歩40分とあったので断念してました。さすがに山道を片道40分
歩くほど時間がありませんでした。

そこで今回見つけたのが天滝展望台の案内。
なんだ、簡単に天滝を眺める事ができる場所があったなんて、それならそう
と早く教えてよと(笑)

宝憧寺2.jpg
駐車場にも天滝を展望の案内。楽しみです(^-^)

宝憧寺3.jpg
お寺に到着。寺の脇に展望スポットがある様です。

で、どこに見えるのかな〜・・・。

天滝3.jpg
え、これで見ろという事ですか??
確かに、遠くに小〜〜さく見えます(>_<)

天滝.jpg

これじゃあな〜、全然迫力も美しさも伝わってこないですよ。

天滝2.jpg

やっぱこの滝は苦労して見に行かないとダメですね。

平成28年夏旅 目指せ名護屋城ツアー
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日本の滝巡り
http://rover.seesaa.net/article/25540563.html

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2016年09月15日

不動滝      (兵庫県養父市)

兵庫県養父市にある不動滝を見に行ってきました。

<不動滝>
不動滝 養父2.jpg
住所:兵庫県養父市大屋町若杉
駐車場なし

<不動滝について>
不動滝説明.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
兵庫県養父市にある不動滝です。
県道48号線沿いに遊歩道入り口があり、そこから120mほどで不動滝
があります。
養父市とは言うものの、養父の市街地からは車で40分位はかかる場所で
鳥取県との県境付近にあります。

不動滝説明2.jpg
こんな遊歩道を120m進みます。

不動滝 養父3.jpg
こちら不動滝です。
高さ13mの小さな滝です。不動滝っていう名前の滝は各地にありますね。
不動明王信仰と何か関係あるんでしょうか。この滝の近くにも不動明王が
祀られていました。

不動滝 養父.jpg

真夏の訪問でしたが、滝の近くは付近より数度気温が低いので、とても
気持ちが良いです。
暑い夏は滝見が良いですね(^-^)



平成28年夏旅 目指せ名護屋城ツアー
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日本の滝巡り
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2015年06月14日

余部橋梁     (兵庫県香美町)

兵庫県香部美町にある余部橋梁を見てきました。

<余部橋梁>
余部鉄橋.jpg
住所:兵庫県美方郡香美町香住区余部
駐車場あり(無料)

この地にはかつて明治45年に竣工した高さ41m、長さ310mの余部鉄橋
がありました。余部鉄橋は2010年に運用を停止し、今は鉄筋コンクリートの
余部橋梁になっています。

余部鉄橋2.jpg

かつてあった余部鉄橋は、明治42年12月16日着工、45年1月13日竣工
とその工事期間は実に2年2ヶ月。当時約33万円もの巨額の建設費とのべ25万
人もの人工を投じて敢行され、明治の最高の土木技術を結集して見事に完成しました。

余部鉄橋4.jpg

これだけの規模の鉄橋が、パソコン等も無い時代に設計・構築された事に驚きます。
構造計算とかどうだったんでしょうね。
そしてその鉄橋が平成22年まで約100年にわたって運用された事です。
明治の土木技術は凄かったんですね。

余部鉄橋3.jpg
新設された余部橋梁の脇に、かつての余部鉄橋が一部残されています。

余部鉄橋では昭和61年に風による転落事故が起こっています。下に電車が落ち、計
6人が亡くなりました。
現在の橋梁の下に慰霊の観音像があるのはその為です。

余部鉄橋5.jpg

余部橋梁の下にいつの間にか道の駅が出来ていました。
ここに車を停めて、橋梁を見学できます。明治の技術遺産、残っている部分だけ
は保存してほしいものです。

<平成9年に撮影した余部鉄橋>
余部鉄橋 平成9年撮影.jpg
これは平成9年に私が撮影した余部鉄橋。デジカメが35万画素のものなので、
画質がいまいちなのが残念。

平成27年GWの旅
http://rover.seesaa.net/article/418505052.html

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久畑の関所跡    (兵庫県豊岡市)

兵庫県豊岡市にある久畑の関所跡に行ってきました。

<久畑の関所跡>
久畑の関所跡.jpg
住所:兵庫県豊岡市但東町久畑
駐車場あり(無料)

1864年、京都でおこった蛤御門の変(禁門の変)で敗れた長州藩は京都で
討ち死にする者(来島又兵衛他)、自刃する者(久坂玄瑞他)多くの犠牲を出しました。
桂小五郎(のちの木戸孝允)は京都を脱出。丹波街道久畑の関まで逃れますが、
ここで関所の役人に疑われ取り調べを受けます。

そこを出石出身の商人広戸甚助に助けられ、その後甚助の妹おすみを嫁とし出石に
潜伏する事になります。

<桂小五郎潜伏地>
http://rover.seesaa.net/article/286784422.html

この地で甚助に助けられなければ桂小五郎はこの地で果てていたかもしれません。
現地には後に建てられた「維新史跡」の碑。
久畑の関所跡5.jpg

まさに明治維新の歴史の大きな場面だったかもしれませんね。

久畑の関所跡2.jpg

久畑の関所跡3.jpg
現地にある庚申塔。江戸時代中期のものです。桂小五郎もこの庚申塔を見た
事でしょう。

久畑の関所跡4.jpg

平成27年GWの旅
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大河ドラマの舞台
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2015年06月11日

はさかり岩    (兵庫県豊岡市)

兵庫県豊岡市にあるはさかり岩を見に行ってきました。

<はさかり岩>
はさかり岩2.jpg
住所:兵庫県豊岡市竹野町切浜
駐車場なし

洞門の天井部分が落下して岩と岩の間に挟まった奇岩です。
ナイスキャッチって感じの岩ですよね。
車で走っていたら、海岸に変な岩が見えたので停車して写真を
撮ったものです。

この岩は兵庫県指定の天然記念物に指定されています。
はさかり岩.jpg

平成27年GWの旅
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2015年06月10日

かえる島      (兵庫県香美町)

兵庫県香美町にあるかえる島を見てきました。

<かえる島>
かえる島2.jpg
住所:兵庫県美方郡香美町香住区境
駐車場あり(無料)

その名の通り、カエルの様な形をした岩です。
島って名前ですが、ただの岩ですね。
古くから祈願の岩として親しまれています。
昔、北前船で航海に出た男たちが無事に帰る(かえる)ことを祈願した
のが始まりといわれています。

面白い岩ですよね(^-^)
かえる島.jpg

後ろから見ると、一番カエルっぽく見えますかね。
かえる島3.jpg

平成27年GWの旅
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2015年06月03日

鎧駅       (兵庫県香美町)

兵庫県香美町にある山陰本線「鎧」駅に行ってきました。

<鎧駅>
鎧駅.jpg
住所:兵庫県美方郡香美町香住区鎧字タルビ410-2
駐車スペースあり

山陰本線の鎧駅に行ってきました。
ずーっと前に一度行ったことがありまして2回目の訪問です。
わざわざ行かないと行けないところなので、久しぶりに行くことに。
前に行ったときも「鎧」という名前にひかれて行ったと思います。

近くに鎧の袖という柱状節理と板状節理の断崖があります。

鎧駅自体はどう見ても失礼ながら公衆便所の様な建物(^^;
無人駅で自由に入ることが出来ます。
鎧駅5.jpg

この駅は2004年、TBS系列ドラマ『砂の器』の第2話において「丹後神山駅」
として登場します。

鎧駅6.jpg
本当に田舎の駅って感じですよね。こういう雰囲気好きです。

鎧駅4.jpg
隣の駅は余部鉄橋で有名な余部駅です。

駅のホームからは穏やかな入り江を眺め下ろす事が出来ます。
鎧駅2.jpg

鎧駅3.jpg
鯉のぼりが出てましたが、この日は風がなかったのでみんな干物の様にダラんと
してました(^^;

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大引の鼻展望台    (兵庫県香美町)

兵庫県香美町にある大引の鼻展望台に行ってきました。

<大引の鼻展望台>
大引の鼻展望台6.jpg
住所:兵庫県美方郡香美町香住区境
駐車場あり(無料)

<現地解説>
香住湾の東端に位置するこの展望台からは今子浦・白石島・黒島などが眺望出来、
但馬海岸を従にながめる絶好の場所である。
270度の大海原の日本海を足下にし、切り立った崖の上に立つとき、自然の荒々
しさが肌に感じられます。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
大引の鼻展望台に行ってきました。
夕陽の名所って事なんですが、天気も悪く青空でもないので美しさは減(>_<)
荒々しい岩は見応えがありました。
出来れば天気が良い日に訪問したいです。夕陽を見てみたいな(^-^)

大引の鼻展望台4.jpg

大引の鼻展望台2.jpg

大引の鼻展望台.jpg

大引の鼻展望台3.jpg
岩に穴が開いている風景は佐賀県の七ツ釜に似ているなと思いました。

大引の鼻展望台5.jpg
この岩はサイみたいな動物が座っている様にも見えるんですけど。
目みたいに見える窪みもありますし。

平成27年GWの旅
http://rover.seesaa.net/article/418505052.html

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2015年04月19日

五峰山光明寺     (兵庫県加東市)

兵庫県加東市にある光明寺に行ってきました。

<光明寺>
五峰山仁王門.jpg
住所:兵庫県加東市光明寺433
駐車場あり(無料)
境内自由

<現地解説>
594年、天竺飛来の法道仙人開基と伝える古義真言宗の古刹「播磨高野」とも
称され、新西国二十八番観音霊場として著名。卯月8日の仏生会は「滝野花祭」
の名で播州一のにぎわいを見せる。
塔頭寺院は現在四ヶ院であるが、文明年間には二十四を数えた。寺宝に本尊観世音
菩薩、大慈院の善導大師画像、遍照院の銅造如来座像などがある。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
光明寺に行ってきました。五峰山(ごふさん)の名の山号で、ひとつの山に
4つの塔頭がある大きな寺院です。

<五峰山図・クリックすると拡大します>
五峰山光明寺全景.jpg

駐車場から坂を歩いて登って行くのですが、これがかなりの急坂。
本堂にたどり着く頃には息もゼーゼー状態でした(^^;

<本堂>
五峰山本堂.jpg

<阿弥陀堂>
五峰山阿弥陀堂.jpg

<遍照院>
五峰山扁照院.jpg

また、この光明寺は足利尊氏と足利直義が争った観応の擾乱の光明寺合戦
の古戦場でもあります。

<観応の擾乱・光明寺合戦について>
1348年、吉野焼き討ちで南朝を征圧した北朝方では足利尊氏と直義兄弟の
争いが表面化した。いわゆる観応の擾乱である。
中国筋平定のため、書写山に移った尊氏を討つべく、石塔頼房は5000余騎
で光明寺に陣を構え、八幡の直義に援軍を求めた。
それを知った尊氏は援軍の来る前に打ち破ろうと1万余騎を率い光明寺を囲んだ。
1351年2月4日の事である。
尊氏は引尾山、高師直は鳴尾山、赤松則祐は八幡山に陣を敷いた。
仁王堂や東坂で激戦が展開されたが、いずれも寄せ手が敗れた。
両軍の対峙は10日に及んだが城方の後詰めがせまったので寄手は摂津まで軍を
引いた。
のち尊氏は直義と和睦し帰京したが、高師直・師泰兄弟は摂津の鷲林寺で処刑
された。

光明寺合戦.jpg

平成26年・27年 年末年始の旅
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古戦場めぐり
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