2017年07月19日

坂越浦城址    (兵庫県赤穂市)

赤穂市にある坂越浦城址に行ってきました。

<坂越浦城址>
坂越浦城.jpg
住所:兵庫県赤穂市坂越
駐車場あり(無料)

<坂越浦城について>
坂越浦城4.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
赤穂にある坂越浦城址に行ってきました。
戦国時代、龍野城主赤松氏の通い城として、坂越支配の拠点でした。
江戸時代には赤穂藩による航行する船の監視所として御番所が置かれた
そうです。
今はその痕跡はなにひとつ残ってません。ちょっとした公園になっていて、
ここからは秦河勝の墓がある生島などを眺める事が出来ます。

坂越浦城3.jpg

坂越浦城2.jpg
坂越浦城から見た生島。

平成29年GWの旅
http://rover.seesaa.net/article/449677065.html

日本の城を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21222307.html

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2017年07月16日

大避神社      (兵庫県赤穂市)

赤穂市にある大避神社に行ってきました。

<大避神社>
大避神社2.jpg
住所:兵庫県赤穂市坂越1299
駐車場(近くにある観光駐車場利用)
境内自由

<大避神社について>
大避神社.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
赤穂市坂越にある大避神社(おおさけじんじゃ)に行ってきました。
御祭神はこの地に逃れてきた、秦河勝です。

瀬戸内海三大船祭りのひとつ「坂越の船祭り」はこの神社のお祭りです。

<大避神社>
大避神社3.jpg

大避神社4.jpg

大避神社5.jpg



平成29年GWの旅
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2017年07月14日

妙見寺 / 児島高徳の墓   (兵庫県赤穂市)

赤穂市にある妙見寺に行ってきました。

<妙見寺>
妙見寺.jpg
住所:兵庫県赤穂市坂越1307
駐車場あり(無料)

<妙見寺について>
妙見寺3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
妙見寺に行ってきました。
妙見寺は奈良時代に行基によって創建され、その後空海によって再興
されました。
最盛期には165坊もの庵を構えた大寺院だった様です。
現在残る観音堂は、1722年の再建。清水寺の様な舞台造りが見所です。

妙見寺 観音堂.jpg

妙見寺2.jpg

妙見寺で見ておくべきところがもう一ヶ所。児島高徳の墓です。
児島高徳は南北朝の戦いにおける南朝方の功臣で、太平記の作者とも
言われる人物です。ただ、その存在自体が『太平記』にしか存在しない
事から、実在の人物かどうか疑問をもたれている人物でもあります。

戦国大名として名をはせた宇喜多氏は、児島高徳の子孫をうたっており
旗印は「兒」(児の旧字体)を使っていました。

児島高徳はここ坂越で亡くなったという伝説があり、妙見寺にお墓が
あります。

<児島高徳の墓>
児島高徳の墓.jpg

児島高徳の墓2.jpg

群馬にも児島高徳終焉の地と呼ばれる場所があり、墓もありました。
要はこの人物についてはよく分かっていないという事ですね。

<群馬の児島高徳の墓>
http://rover.seesaa.net/article/150229846.html

平成29年GWの旅
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著名人の墓
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2017年07月13日

坂越の町並み       (兵庫県赤穂市)

赤穂市の坂越の町並みを散策してきました。

<坂越の町並み>
坂越の町並み.jpg
住所:兵庫県赤穂市坂越
駐車場あり(無料)

坂越の町は、その昔、蘇我入鹿の乱を避けて秦河勝が逃れてきた地で、秦河勝はこ
の地で亡くなります。
江戸時代、赤穂の町は塩の生産が盛んで、その塩を運ぶための港がこの坂越の町
でした。
町の中心部には旧庄屋などの伝統的建造物群による古い町並みが形成されており、
かつて内海の要衝として拓けてきた港町を偲ばせる風情をなおとどめています。

赤穂の中心部は何度か観光したことがありましたが、坂越は今回初訪問。
こんな良い町並みが残っていようとは、いやはやびっくりです。
まだ重要伝統的建造物群保存地区には指定されていませんが、いずれ指定される
であろう素晴らしい町並みでした(^-^)

<坂越の町並み>
坂越の町並み3.jpg

坂越の町並み4.jpg

坂越の町並み5.jpg

坂越の町並み6.jpg

坂越の町並み2.jpg

坂越の町並み7.jpg

坂越の町並み8.jpg

平成29年GWの旅
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日本の古い町並み
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2017年07月12日

大石内蔵助旅立ちの像   (兵庫県赤穂市)

赤穂市にある大石内蔵助旅立ちの像を見てきました。

<大石内蔵助旅立ちの像>
大石内蔵助像.jpg
住所:兵庫県赤穂市御崎
駐車場あり(無料)

<大石内蔵助の旅立ちについて>
大石内蔵助像3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
今回の旅で、やっと海に出てきました。
赤穂御崎で海でも眺めようかと思って訪問したところ、大石内蔵助の
像があったので見てきました。知ってて行った訳ではなく、偶然見つけ
ました。

大石内蔵助像2.jpg

この像は、赤穂城が接収され、その後吉良邸討ち入りまでのいろいろな
流れがありますが、大石内蔵助は京都山科に隠遁し、まずは主家赤穂浅野家
の家名再興を目指し動き出します。
その旅立ちを表現したのがこの銅像です。
今回、大河ドラマ『元禄繚乱』を見たところだったので、この像を見る事が
出来てとても良かったです(^-^)

<赤穂御崎>
赤穂御崎.jpg

赤穂御崎3.jpg

赤穂御崎2.jpg
直前の上月城では良い天気だったんですが、赤穂御崎に来たときには
あいにくの曇り。ちょっと残念でした。

平成29年GWの旅
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大河ドラマの舞台
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銅像めぐり
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佐用城址     (兵庫県佐用町)

佐用町にある佐用城址(福原城)に行ってきました。

<佐用城址>
佐用城.jpg
住所:兵庫県佐用郡佐用町佐用1573
駐車場なし

<佐用城について>
佐用城5.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
佐用城址に行ってきました。
佐用城は鎌倉時代末期に佐用範家によって築城された城で、その後
赤松氏36人衆のひとり福原氏にがこの城に入った為、福原城とも
言われます。
戦国時代に、織田信長の播磨攻めの際、秀吉の軍勢に攻撃され落城。
廃城となりました。

ここに来る前に、上月城に行きました。佐用城はその上月城や高倉城など
を合わせ赤松氏の城郭群を形成していました。

現地は細い道を入っていきます。
駐車場は無く、城跡を少し過ぎた位の場所に1台分くらい停車でいるスペースが
あったので、そこに停車して見学しました。

上の写真の神社は福原霊社と言い福原藤馬允則尚の首を祀った神社だそうです。
ここにお参りすると首から上の病が治るとか。

見終わったあと、その道路を前進で通過出来るか微妙な幅員だったので、頑張っ
てUターンして帰りました。結構しんどかったです(^^;

<佐用城址>
佐用城4.jpg

佐用城3.jpg
土塁が綺麗に残ってますね(^-^)

佐用城2.jpg
福原則尚の辞世の句です。
「死ぬなれば花の下にと思いしに 師走の花の咲くべくもなく」

平成29年GWの旅
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日本の城を巡る
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2017年07月09日

上月城址     (兵庫県佐用町)

兵庫県佐用町にある上月城址に行ってきました。

<上月城址>
上月城.jpg
住所:兵庫県佐用郡佐用町上月373
駐車場あり(無料)

<上月城について・クリックすると拡大します>
上月城について.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
上月城址(こうづきじょうし)に行ってきました。
今回の旅の一番の目的地です。
大河ドラマ『軍師官兵衛』で、上月合戦をかなりひっぱっていたので、
すごく印象に残りました。

上月城1.jpg

この日は、黒井城、岩尾城、黒田城と山城をすでに3つ登城していて、
上月城で4ヶ所目。足にかなりの疲労が蓄積していましたが、旅の目的
地で力尽きる訳にはいきません。気合いで山城攻めに向かいます(^-^)

上月城2.jpg

道は綺麗に整備されています。急な坂道があるわけでもなく、比較的
緩やかな山道です。
そんな山道を歩くこと15分位で主郭跡に到着します。

上月城3.jpg

主郭跡は、本当にただの跡でした(^^;
特に何もなし。しかも眺望が開けている訳でもなく、そんなに達成感が
ある山城ではなかったですね。

<赤松政範の墓>
赤松政範供養塔.jpg
主郭にあったのは、上月城主赤松政範の墓です。
上月城はもともと鎌倉時代に上月氏によって築城されたものですが、戦国期には
赤松氏の居城になっていました。
赤松政範は宇喜多直家の援軍を得て、信長の播磨攻略軍と上月城で戦いますが、
信長軍の攻撃の前に敗れ、自らの首を秀吉に差し出す事で、城兵らの命乞いを
しますが、結局秀吉により城兵は皆殺しにされたそうです。

その後、上月城には尼子勝久・山中鹿之助主従が入城しますが、毛利勢3万に
囲まれ、遂には落城。尼子勝久は自刃、山中鹿之助は護送途中に惨殺されます。
この上月城は、尼子家再興の戦いの終焉の地にもなりました。

そんな数々の激戦の舞台となった上月城で、戦いを思いながら歩いてきました。

<上月城からの景色>
上月城4.jpg
上月の町を眺めます。

<歴史資料館>
上月城 歴史資料館.jpg
上月城の歴史資料館です。本当は中を見たかったんですが、16時で閉館。
僕が着いたのちょうど16時位だったので、中を見ることが出来ませんでした(>_<)

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大河ドラマの舞台
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著名人の墓
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日本の城を巡る
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観音寺 / 赤穂義士の墓     (兵庫県加東市)

兵庫県加東市にある観音寺に行ってきました。

<観音寺>
観音寺.jpg
住所:兵庫県加東市家原14-4
駐車場なし
境内自由

<観音寺について>
観音寺4.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
加東市にある観音寺に行ってきました。
ちょうど平成11年の大河ドラマ『元禄繚乱』を見ていたこともあり、
忠臣蔵ゆかりの地訪問です。

この観音寺には赤穂四十七士の墓と浅野家四代の墓碑があります。

観音寺3.jpg

なんでここに赤穂義士の墓?
実は、ここ加東市は赤穂浅野家の分家がこの地を領地として、幕末
まで存続した場所だからです。
赤穂義士は忠義の士として世間の喝采を浴びた関係で、歌舞伎の題材
になったり、顕彰碑が建てられたりしました。
そんな流れで、赤穂浅野家の分家でも後に観音寺に赤穂義士らの墓を
作ったという流れの様です。

本堂裏に四十七士の墓があります。
観音寺5.jpg
真ん中に浅野四代の墓碑。その前に大石内蔵助と嫡男の主税の墓。
それを取り囲むように赤穂義士達の墓があります。

観音寺 赤穂義士の墓.jpg
真ん中が浅野四代の墓。右・大石内蔵助、左・大石主税の墓です。

観音寺6.jpg
寺の前にこんな旗が。平成11年にやってるからね〜、再度の大河ドラマは
なかなか難しいでしょうけどね。僕も別キャストでの忠臣蔵も見てみたい気は
します(^-^)

観音寺では、毎年赤穂義士祭が開催されているそうです。

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2017年06月29日

荘厳寺     (兵庫県西脇市)

兵庫県西脇市にある荘厳寺に行ってきました。

<荘厳寺>
荘厳寺.jpg
住所:兵庫県西脇市黒田庄町黒田1589 
駐車場あり(無料)
境内自由

<荘厳寺について>
荘厳寺2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
西脇市にある荘厳寺(しょうごんじ)に行ってきました。
黒田庄にあるお寺で、黒田官兵衛ゆかりの地というアピールをしていま
した。

荘厳寺3.jpg

この荘厳寺には、黒田家家系図が伝えられています。
黒田庄は、黒田城をはじめ黒田氏の拠点だった場所で、黒田官兵衛もこの
地で生まれました。
お寺に黒田家家系図が所蔵されている事から、このお寺が黒田氏のゆかりの
寺だった事が分かります。
荘厳寺は奈良時代の創建。現在平成の大改修が行われており、持仏堂はには
足場とシートがかかり中をうかがうことが出来ませんでした。

持仏堂を回り込み、本堂に向かいます。本堂へは、長い階段をのぼって行く
事になります。
荘厳寺4.jpg

荘厳寺5.jpg
どこまでも続く階段、かなり体力を使います。

距離にして300mの階段道を歩き本堂に到着です(^-^)
荘厳寺6.jpg

荘厳寺7.jpg
秋には綺麗な紅葉が楽しめそうです。

<多宝塔>
荘厳寺8.jpg
もとは平安時代末期に建てられた様ですが、現在の多宝塔は江戸時代中期の
再建です。

荘厳寺9.jpg
境内に、官兵衛と妻の光のゆるキャラ。
荘厳寺には、黒田官兵衛、櫛橋光の位牌があるそうです。

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大河ドラマの舞台
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2017年06月23日

黒田城址     (兵庫県西脇市)

西脇市にある黒田城址に行ってきました。

<黒田城址>
黒田城.jpg
住所:兵庫県西脇市黒田庄町黒田1330
駐車場あり(無料)

<黒田城について>
黒田城2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
西脇市にある黒田城址に行ってきました。
西脇市黒田庄町は、戦国時代に活躍した黒田官兵衛に繋がる黒田氏発祥
の地です。
黒田氏は赤松氏の庶流で、この地を治めました。

黒田城についてははっきりとしたことは分かっていないそうです。
現在、黒田城址と思われる場所には稲荷社があります。
小さな山城で、本丸跡までは片道10分もあれば到着出来ます。

<黒田城址>
黒田城4.jpg

黒田城6.jpg

黒田城5.jpg
黒田城からの景色。

<黒田官兵衛生誕の地>
黒田城3.jpg

黒田城7.jpg
この地は黒田官兵衛生誕の地でもあります。

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2017年06月22日

岩尾城址       (兵庫県丹波市)

丹波市にある岩尾城址に行ってきました。

<岩尾城址>
岩尾城.jpg
住所:丹波市山南町和田1
駐車場なし

<岩尾城について>
岩尾城2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
岩尾城址に行ってきました。
1516年に和田斉頼によって築城された山城です。
1579年、丹波平定を目指す織田信長の旗下明智光秀軍の攻撃を受け
落城。その後1586年、豊臣秀吉の部下佐藤栄有が岩尾城に入ります。
佐藤栄有のもと石垣が築造されますが、1596年に廃城となり破却され
ました。
今は山頂付近に佐藤栄有によって築造された石垣の一部が残っています。

そんな岩尾城登城です。
丹波市立和田小学校を目指して行きます。
城は和田小学校の裏山です。小学校の裏に登山口があります。
小学校の入り口にはこんな掲示。
岩尾城9b.jpg
平日の場合は小学校に届け出ないといけない様です。
僕は休日の訪問だったので、そのまま通過しました。

岩尾城3.jpg
非常に分かりづらい山道を登って行きます。

登る途中に井戸がありました。
岩尾城4.jpg
山城での籠城戦は水が重要になります。この井戸は人工的に掘られた井戸で、
深さは7mにも及ぶそうです。

更に進むと道はますます険しくなります。
岩尾城5.jpg
この城はかなりキツい(´Д`)
8合目くらいで息が上がりました。

そこから頑張り山頂へ。片道約30分ほどの登山になりました。
山頂部には当時の石垣が残ります。荒れていますが、それがまた良い雰囲気ですね〜。

岩尾城6.jpg

岩尾城7.jpg

岩尾城8.jpg

岩尾城9.jpg

岩尾城9a.jpg

<本丸からの景色>
岩尾城 本丸からの景色.jpg
本丸付近からの景色です。
遠くまで一望出来ます。良い景色を見ると苦労して登ってきたかいがあると
いうものです(^-^)
かなり体力を使いましたが、言って良かったです!

平成29年GWの旅
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日本の城を巡る
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2017年06月18日

兵主神社      (兵庫県西脇市)

兵庫県西脇市にある兵主神社に行ってきました。

<兵主神社>
兵主神社.jpg
住所:兵庫県西脇市黒田庄町岡372−2
駐車場あり(無料)
境内自由

<兵主神社について>
兵主神社4.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
兵主神社に行ってきました。
奈良時代創建の由緒ある神社です。
特徴的なのは、茅葺きの拝殿です。拝殿が茅葺きってあまり見たことが
ありません。

兵主神社2.jpg

兵主神社5.jpg

この拝殿は1591年、黒田官兵衛によって築造されたものだそうです。
ここ西脇市黒田庄は黒田官兵衛生誕の地でもあります。

兵主神社3.jpg

平成29年GWの旅
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2017年06月14日

興禅寺【再】    (兵庫県丹波市)

丹波市にある興禅寺に行ってきました。

<興禅寺>
興禅寺4.jpg
住所:兵庫県丹波市春日町黒井2263
駐車場あり(無料)
境内自由

<興禅寺について>
興禅寺2.jpg

<春日の局について・クリックすると拡大します>
興禅寺3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
11年ぶりで丹波市の興禅寺に行ってきました。
ここは、後に徳川家光の乳母となる春日の局生誕の地です。

<11年前の記事>
http://rover.seesaa.net/article/25539358.html

興禅寺5.jpg

春日の局はお福と言い、明智光秀の家臣斎藤利三の子です。
明智光秀は黒井城を攻め落とすと、黒井城に家臣の斎藤利三を城主として
配置します。
興禅寺は、斎藤利三の屋敷跡とも言われ、堀などを備え簡易的な城の様な
役割を果たしたものと思われます。

11年ぶりの訪問でしたが、堀の雰囲気とか非常に良く覚えていました。
ここは印象深いお寺です。

興禅寺.jpg

ずっと昔、大河ドラマで見た記憶がうっすらとあります。
まあ子供の頃に見た大河なので、改めて見てみたいですね。

興禅寺には、お福産湯の井戸や腰掛け岩など彼女ゆかりのものが残って
います。

<本堂>
興禅寺6.jpg

興禅寺8.jpg

<お福産湯の井戸>
興禅寺7.jpg

<お福腰掛け岩>
興禅寺9.jpg

平成29年GWの旅
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黒井城址      (兵庫県丹波市)

丹波市にある黒井城址に行ってきました。

<黒井城址>
黒井城.jpg
住所:兵庫県丹波市春日町黒井
駐車場あり(無料)

<黒井城について>
黒井城2.jpg

黒井城 赤井直正.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
赤井直正の居城黒井城址に行ってきました。だいぶ前に一度攻略しよう
と思って行ったことがありましたが、時間の関係で上まで登れません
でした。今回は本丸まで登ろうと行ってきました。

黒井城址は、建武の新政が始まった頃に赤松氏によって築城されたお城
です。戦国期には猛将赤井直正の居城となり、丹波平定を目指す織田軍
の明智光秀の軍勢と戦います。
赤井直正は善戦し、明智軍を撃退します。
再度明智軍に攻めかかられた際、赤井直正は病死し、最終的に黒井城は
落城しました。
落城後、明智光秀は家臣の斎藤利三を黒井城に入城させます。
利三の娘であるお福(のちの春日の局)はこの地で生まれました。

明智軍を退けた山城黒井城、攻略に向かいます。
駐車場から、登山口に向かいます。
黒井城3.jpg
急な道と緩やかな道と2道ありまして、緩やかな方で登って行きます。

黒井城4.jpg
緩やかと言いながらこんな感じです。

20分位歩いて木々が開け、東屋が見えてきました。
やっと到着!
黒井城5.jpg
ここは人工的な傾斜です。土塁かな〜。

黒井城6.jpg
東屋がありました、ここで景色を眺めながら休憩です。
到達感があります(^-^)

景色も良いですね〜。
黒井城8.jpg

黒井城7.jpg

満足して城を降り始めます。少し降りたところで衝撃的な事に気がつき
ます。少しおりてきたところで、本丸まで700mの表示。あれ、こんなに
降りてきたっけ?ここで疑問に思いました。
実は、僕が本丸跡と思ってたところは本丸跡じゃなくて、まだ先があったん
です(>_<)
下りはじめてから戻る気力が涌きません。もういいやという気分に。いやはや
無念でした。

完全に下に降りてから、再度城を見上げました。
そしたら、山頂付近に石垣が見えるじゃ無いですか。あそこが本丸跡だったん
だ。無念だな〜・・・。

黒井城9.jpg

黒井城9a.jpg
僕が途中で抜かした女の子4人組が山頂で万歳してるのも見えて尚やられた
感がありました(^^;

途中まで行きましたが、景色も良くて良かったと言えば良かったんですが。
何か不完全燃焼で終わりました。
どうでも良いですが、城の名前が黒井で城主が赤井。ううむ、これも何なのか(笑)

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2017年06月13日

白毫寺      (兵庫県丹波市)

丹波市にある白毫寺に行ってきました。

<白毫寺>
白毫寺.jpg
住所:兵庫県丹波市市島町白毫寺709
駐車場あり(無料)

<白毫寺について>
白毫寺2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
丹波市にある白毫寺に行ってきました。
昭文社さんの『歴史知図』をもとに、赤松氏ゆかりの寺という事で訪問
しました。
朝8時半位の訪問、寺に着いてびっくり駐車場への誘導員まで出てかな
りの人出です。
こんな朝からいったいなんなんでしょう?
特に有名な寺でもないでしょうにと思いました。

着いて初めて知ったんですが、この寺には九尺藤という有名な藤の木が
ありGWに見頃を迎えるとの事。ちょうど藤まつりが開催中でした。

長さ120mにもなる藤棚に九尺藤が枝を伸ばし咲いていました。
藤の写真は続きに掲載します。

お寺も古刹の雰囲気があふれて良い感じでした。

<白毫寺>
白毫寺3.jpg

白毫寺8.jpg

白毫寺9.jpg

白毫寺9 太鼓橋.jpg
これは太鼓橋という橋です。

白毫寺で目に付いたのは、春に紅葉するチシオモミジです。
以前福島の花見山でも春に紅葉を見ました。
白毫寺は本当に秋に来たかの様な綺麗な紅葉でした。季節外れ感が良いですね(^-^)

白毫寺4.jpg

白毫寺6.jpg

白毫寺5.jpg

白毫寺7.jpg


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2016年09月18日

宝憧寺・天滝展望台    (兵庫県養父市)

兵庫県養父市にある宝憧寺に行ってきました。

<宝憧寺>
宝憧寺.jpg
住所:兵庫県養父市大屋町蔵垣915
駐車場あり
境内自由

養父市の宝憧寺に行ってきました。
特に行くつもりだった場所では無いのですが、養父市街から鳥取の若桜に
向かう途中、「天滝展望台」という案内が出ていたので気になって行って
みました。

天滝は日本の滝100選に選ばれる滝で、落差98m。天から降り注ぐ様
な事から天滝と名付けられました。
1996年度のNHK連続テレビ小説「ふたりっ子」のオープニングに登場し
た滝でもあります。

実は前に一度天滝を見ようとこの地を訪れたのですが、遊歩道に天滝まで
片道徒歩40分とあったので断念してました。さすがに山道を片道40分
歩くほど時間がありませんでした。

そこで今回見つけたのが天滝展望台の案内。
なんだ、簡単に天滝を眺める事ができる場所があったなんて、それならそう
と早く教えてよと(笑)

宝憧寺2.jpg
駐車場にも天滝を展望の案内。楽しみです(^-^)

宝憧寺3.jpg
お寺に到着。寺の脇に展望スポットがある様です。

で、どこに見えるのかな〜・・・。

天滝3.jpg
え、これで見ろという事ですか??
確かに、遠くに小〜〜さく見えます(>_<)

天滝.jpg

これじゃあな〜、全然迫力も美しさも伝わってこないですよ。

天滝2.jpg

やっぱこの滝は苦労して見に行かないとダメですね。

平成28年夏旅 目指せ名護屋城ツアー
http://rover.seesaa.net/article/441115763.html

日本の滝巡り
http://rover.seesaa.net/article/25540563.html

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2016年09月15日

不動滝      (兵庫県養父市)

兵庫県養父市にある不動滝を見に行ってきました。

<不動滝>
不動滝 養父2.jpg
住所:兵庫県養父市大屋町若杉
駐車場なし

<不動滝について>
不動滝説明.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
兵庫県養父市にある不動滝です。
県道48号線沿いに遊歩道入り口があり、そこから120mほどで不動滝
があります。
養父市とは言うものの、養父の市街地からは車で40分位はかかる場所で
鳥取県との県境付近にあります。

不動滝説明2.jpg
こんな遊歩道を120m進みます。

不動滝 養父3.jpg
こちら不動滝です。
高さ13mの小さな滝です。不動滝っていう名前の滝は各地にありますね。
不動明王信仰と何か関係あるんでしょうか。この滝の近くにも不動明王が
祀られていました。

不動滝 養父.jpg

真夏の訪問でしたが、滝の近くは付近より数度気温が低いので、とても
気持ちが良いです。
暑い夏は滝見が良いですね(^-^)



平成28年夏旅 目指せ名護屋城ツアー
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日本の滝巡り
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2015年06月14日

余部橋梁     (兵庫県香美町)

兵庫県香部美町にある余部橋梁を見てきました。

<余部橋梁>
余部鉄橋.jpg
住所:兵庫県美方郡香美町香住区余部
駐車場あり(無料)

この地にはかつて明治45年に竣工した高さ41m、長さ310mの余部鉄橋
がありました。余部鉄橋は2010年に運用を停止し、今は鉄筋コンクリートの
余部橋梁になっています。

余部鉄橋2.jpg

かつてあった余部鉄橋は、明治42年12月16日着工、45年1月13日竣工
とその工事期間は実に2年2ヶ月。当時約33万円もの巨額の建設費とのべ25万
人もの人工を投じて敢行され、明治の最高の土木技術を結集して見事に完成しました。

余部鉄橋4.jpg

これだけの規模の鉄橋が、パソコン等も無い時代に設計・構築された事に驚きます。
構造計算とかどうだったんでしょうね。
そしてその鉄橋が平成22年まで約100年にわたって運用された事です。
明治の土木技術は凄かったんですね。

余部鉄橋3.jpg
新設された余部橋梁の脇に、かつての余部鉄橋が一部残されています。

余部鉄橋では昭和61年に風による転落事故が起こっています。下に電車が落ち、計
6人が亡くなりました。
現在の橋梁の下に慰霊の観音像があるのはその為です。

余部鉄橋5.jpg

余部橋梁の下にいつの間にか道の駅が出来ていました。
ここに車を停めて、橋梁を見学できます。明治の技術遺産、残っている部分だけ
は保存してほしいものです。

<平成9年に撮影した余部鉄橋>
余部鉄橋 平成9年撮影.jpg
これは平成9年に私が撮影した余部鉄橋。デジカメが35万画素のものなので、
画質がいまいちなのが残念。

平成27年GWの旅
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久畑の関所跡    (兵庫県豊岡市)

兵庫県豊岡市にある久畑の関所跡に行ってきました。

<久畑の関所跡>
久畑の関所跡.jpg
住所:兵庫県豊岡市但東町久畑
駐車場あり(無料)

1864年、京都でおこった蛤御門の変(禁門の変)で敗れた長州藩は京都で
討ち死にする者(来島又兵衛他)、自刃する者(久坂玄瑞他)多くの犠牲を出しました。
桂小五郎(のちの木戸孝允)は京都を脱出。丹波街道久畑の関まで逃れますが、
ここで関所の役人に疑われ取り調べを受けます。

そこを出石出身の商人広戸甚助に助けられ、その後甚助の妹おすみを嫁とし出石に
潜伏する事になります。

<桂小五郎潜伏地>
http://rover.seesaa.net/article/286784422.html

この地で甚助に助けられなければ桂小五郎はこの地で果てていたかもしれません。
現地には後に建てられた「維新史跡」の碑。
久畑の関所跡5.jpg

まさに明治維新の歴史の大きな場面だったかもしれませんね。

久畑の関所跡2.jpg

久畑の関所跡3.jpg
現地にある庚申塔。江戸時代中期のものです。桂小五郎もこの庚申塔を見た
事でしょう。

久畑の関所跡4.jpg

平成27年GWの旅
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大河ドラマの舞台
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2015年06月11日

はさかり岩    (兵庫県豊岡市)

兵庫県豊岡市にあるはさかり岩を見に行ってきました。

<はさかり岩>
はさかり岩2.jpg
住所:兵庫県豊岡市竹野町切浜
駐車場なし

洞門の天井部分が落下して岩と岩の間に挟まった奇岩です。
ナイスキャッチって感じの岩ですよね。
車で走っていたら、海岸に変な岩が見えたので停車して写真を
撮ったものです。

この岩は兵庫県指定の天然記念物に指定されています。
はさかり岩.jpg

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2015年06月10日

かえる島      (兵庫県香美町)

兵庫県香美町にあるかえる島を見てきました。

<かえる島>
かえる島2.jpg
住所:兵庫県美方郡香美町香住区境
駐車場あり(無料)

その名の通り、カエルの様な形をした岩です。
島って名前ですが、ただの岩ですね。
古くから祈願の岩として親しまれています。
昔、北前船で航海に出た男たちが無事に帰る(かえる)ことを祈願した
のが始まりといわれています。

面白い岩ですよね(^-^)
かえる島.jpg

後ろから見ると、一番カエルっぽく見えますかね。
かえる島3.jpg

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2015年06月03日

鎧駅       (兵庫県香美町)

兵庫県香美町にある山陰本線「鎧」駅に行ってきました。

<鎧駅>
鎧駅.jpg
住所:兵庫県美方郡香美町香住区鎧字タルビ410-2
駐車スペースあり

山陰本線の鎧駅に行ってきました。
ずーっと前に一度行ったことがありまして2回目の訪問です。
わざわざ行かないと行けないところなので、久しぶりに行くことに。
前に行ったときも「鎧」という名前にひかれて行ったと思います。

近くに鎧の袖という柱状節理と板状節理の断崖があります。

鎧駅自体はどう見ても失礼ながら公衆便所の様な建物(^^;
無人駅で自由に入ることが出来ます。
鎧駅5.jpg

この駅は2004年、TBS系列ドラマ『砂の器』の第2話において「丹後神山駅」
として登場します。

鎧駅6.jpg
本当に田舎の駅って感じですよね。こういう雰囲気好きです。

鎧駅4.jpg
隣の駅は余部鉄橋で有名な余部駅です。

駅のホームからは穏やかな入り江を眺め下ろす事が出来ます。
鎧駅2.jpg

鎧駅3.jpg
鯉のぼりが出てましたが、この日は風がなかったのでみんな干物の様にダラんと
してました(^^;

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大引の鼻展望台    (兵庫県香美町)

兵庫県香美町にある大引の鼻展望台に行ってきました。

<大引の鼻展望台>
大引の鼻展望台6.jpg
住所:兵庫県美方郡香美町香住区境
駐車場あり(無料)

<現地解説>
香住湾の東端に位置するこの展望台からは今子浦・白石島・黒島などが眺望出来、
但馬海岸を従にながめる絶好の場所である。
270度の大海原の日本海を足下にし、切り立った崖の上に立つとき、自然の荒々
しさが肌に感じられます。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
大引の鼻展望台に行ってきました。
夕陽の名所って事なんですが、天気も悪く青空でもないので美しさは減(>_<)
荒々しい岩は見応えがありました。
出来れば天気が良い日に訪問したいです。夕陽を見てみたいな(^-^)

大引の鼻展望台4.jpg

大引の鼻展望台2.jpg

大引の鼻展望台.jpg

大引の鼻展望台3.jpg
岩に穴が開いている風景は佐賀県の七ツ釜に似ているなと思いました。

大引の鼻展望台5.jpg
この岩はサイみたいな動物が座っている様にも見えるんですけど。
目みたいに見える窪みもありますし。

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2015年04月19日

五峰山光明寺     (兵庫県加東市)

兵庫県加東市にある光明寺に行ってきました。

<光明寺>
五峰山仁王門.jpg
住所:兵庫県加東市光明寺433
駐車場あり(無料)
境内自由

<現地解説>
594年、天竺飛来の法道仙人開基と伝える古義真言宗の古刹「播磨高野」とも
称され、新西国二十八番観音霊場として著名。卯月8日の仏生会は「滝野花祭」
の名で播州一のにぎわいを見せる。
塔頭寺院は現在四ヶ院であるが、文明年間には二十四を数えた。寺宝に本尊観世音
菩薩、大慈院の善導大師画像、遍照院の銅造如来座像などがある。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
光明寺に行ってきました。五峰山(ごふさん)の名の山号で、ひとつの山に
4つの塔頭がある大きな寺院です。

<五峰山図・クリックすると拡大します>
五峰山光明寺全景.jpg

駐車場から坂を歩いて登って行くのですが、これがかなりの急坂。
本堂にたどり着く頃には息もゼーゼー状態でした(^^;

<本堂>
五峰山本堂.jpg

<阿弥陀堂>
五峰山阿弥陀堂.jpg

<遍照院>
五峰山扁照院.jpg

また、この光明寺は足利尊氏と足利直義が争った観応の擾乱の光明寺合戦
の古戦場でもあります。

<観応の擾乱・光明寺合戦について>
1348年、吉野焼き討ちで南朝を征圧した北朝方では足利尊氏と直義兄弟の
争いが表面化した。いわゆる観応の擾乱である。
中国筋平定のため、書写山に移った尊氏を討つべく、石塔頼房は5000余騎
で光明寺に陣を構え、八幡の直義に援軍を求めた。
それを知った尊氏は援軍の来る前に打ち破ろうと1万余騎を率い光明寺を囲んだ。
1351年2月4日の事である。
尊氏は引尾山、高師直は鳴尾山、赤松則祐は八幡山に陣を敷いた。
仁王堂や東坂で激戦が展開されたが、いずれも寄せ手が敗れた。
両軍の対峙は10日に及んだが城方の後詰めがせまったので寄手は摂津まで軍を
引いた。
のち尊氏は直義と和睦し帰京したが、高師直・師泰兄弟は摂津の鷲林寺で処刑
された。

光明寺合戦.jpg

平成26年・27年 年末年始の旅
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古戦場めぐり
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2015年03月29日

酒見寺      (兵庫県加西市)

兵庫県加西市の酒見寺(さがみじ)に行ってきました。

<酒見寺>
酒見寺 山門.jpg
住所:兵庫県加西市北条町北条1319
駐車場あり(無料)
境内自由

<現地解説>
当山は聖武天皇の勅願時として歴代天皇の帰依深く、中でも平治元年(1159年)
平治の乱の際には一山悉く焦土と化しましたが、二条院様の勅により再建されたの
であります。江戸期には徳川家代々より御朱印を賜い、また播州にては姫路城主
池田輝政公以来姫路城の守護寺として栄えた播州の名刹であります。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
兵庫県加西市の酒見寺です。
西国街道北条宿の中心にある古刹です。北条宿自体が酒見寺の門前街として
栄えたものです。
境内には国指定重要文化財の多宝塔など主に江戸時代初期に建てられたお堂が
並び、大寺院の風格を感じました。

<金堂>
酒見寺 金堂.jpg

<地蔵堂>
酒見寺 地蔵堂.jpg

<多宝塔>
酒見寺 多宝塔.jpg

<引聲堂>
酒見寺 引馨堂.jpg

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2015年03月18日

亀山本徳寺     (兵庫県姫路市)

兵庫県姫路市にある亀山本徳寺に行ってきました。

<亀山本徳寺>
亀山本徳寺.jpg
住所:兵庫県姫路市亀山324
駐車場あり(無料)
境内自由

<現地解説>
亀山本徳寺は、もと英賀の地にあった浄土真宗布教の本拠、英賀本徳寺が
1580年秀吉の英賀城攻略の時、秀吉の命により現在地の亀山に移され
たのに始まる。
のち本願寺が東西に別れたのに従い西本願寺派の播磨の根本道場となった。
現在の建物は英賀から移転した当初の建物と推定される鼓楼をはじめとし、
大部分が17世紀末から18世紀前半のもので18世紀後半の住宅風建物
の茶所や大門など全体として30棟近くの建物がある。

建物全体が播磨における浄土真宗の中心道場としての伽藍形態をよく伝え
ていると共に個々の建物が年代を異にしていて江戸時代の建築様式を知る
事が出来る点で貴重である。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
姫路市にある亀山本徳寺に行ってきました。
浄土真宗の大寺院です。姫路にはいろいろ観光地がありますが、本徳寺は
ちょっとマイナー存在かなと思います。僕もここを訪問するのは2回目ですが、
前回行ったのも10年以上前なので、完全に忘れていました。

本堂は京都の西本願寺から移築した物で、西本願寺では北集会所という建物
でした。
この北集会所は、新選組の屯所として使われていたもので、姫路の地に新選組
ゆかりの建物が残っていました。

<本徳寺本堂>
亀山本徳寺3.jpg

昨年の大河ドラマ『軍師官兵衛』では、一向門徒が毛利軍に加勢する
為終結するシーンでこの本徳寺がロケ地になりました。
また平成16年の大河ドラマ『新選組』のロケ地にもなっています。

<本徳寺>
亀山本徳寺2.jpg

亀山本徳寺4.jpg

亀山本徳寺5.jpg

亀山本徳寺6.jpg

新撰組関連の史跡
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大河ドラマの舞台
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平成26年・27年 年末年始の旅
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2015年02月26日

黒田職隆廟     (兵庫県姫路市)

兵庫県姫路市にある黒田職隆廟を参拝してきました。

<黒田職隆廟>
黒田職隆廟.jpg
住所:姫路市飾磨区妻鹿字元宮372番1
駐車場なし

<現地解説>
黒田職隆は、安土桃山時代の武将黒田官兵衛の父である。
孫の長政は初代筑前福岡藩主。
廟所は南北約15m、東西約12mの規模で、中央の廟所内に大型の
五輪塔が建つ。五輪塔は角礫質凝灰岩製で、地輪に刻銘がある。
江戸時代の古文書『播磨古事』等によれば、1783年10月姫路城下
の心光寺住職入誉が墓所発見を福岡藩に報告し、翌年10月福岡藩が
玉垣を巡らし、廟屋を整備するなどしたとされる。
現在の廟屋は昭和52年に地元自治会が修築したもの。
北約800mには職隆が晩年に在城したとされる国府山城(妻鹿城)が
ある。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
妻鹿の駅から歩いて数分の住宅地の中に黒田官兵衛の父、黒田職隆の墓が
あります。
不思議なことに江戸時代中期まで、その所在が分からなくなっていたんですね。
黒田家が福岡に移封されたどさくさで分からなくなったのでしょうか。
謎なところです。

住宅地の中に、「筑前さん参道」の碑があり、その奥に廟所があります。
黒田職隆廟3.jpg

<黒田職隆廟>
黒田職隆廟2.jpg

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大河ドラマの舞台
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著名人の墓
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2015年02月25日

元宮八幡神社      (兵庫県姫路市)

兵庫県姫路市にある元宮八幡神社に行ってきました。

<元宮八幡神社>
元宮八幡神社.jpg
住所:兵庫県姫路市飾磨区妻鹿
駐車場なし

今は山の上にある御旅山八幡神社の元宮で、黒田二十四騎の一人母里太兵衛
の碑が建っています。
母里太兵衛は妻鹿の国人曽我一信の子として妻鹿に誕生。
槍術にすぐれた剛力の勇将として知られ、黒田軍の大将をつとめました。
また民謡「黒田節」に謡われる名槍「日本号」を福島正則から呑みとった
逸話でも知られています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
姫路の妻鹿にある元宮八幡神社に行ってきました。
この神社に黒田二十四騎の一人、母里太兵衛生誕の地の碑があるというので
行ってみた感じです。

元宮八幡神社 母里太兵衛生誕の地.jpg
新しめの碑が建っていました。
母里太兵衛の生誕の地がまさにここという訳ではないでしょうけど、妻鹿の出身と
いう事で、この碑が建てられたのでしょう。

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大河ドラマの舞台
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国府山城跡 / 妻鹿城跡     (兵庫県姫路市)

兵庫県姫路市にある国府山城(妻鹿城)跡に行ってきました。

<国府山城(妻鹿城跡)>
国府山城跡.jpg
住所:兵庫県姫路市飾磨区妻鹿
駐車場なし

国府山城は元は「太平記」で知られる妻鹿孫三郎の居城でしたが、織田信長が
石山本願寺と戦い始めてから毛利水軍の往来が激しくなり、これを監視するため
に黒田官兵衛の父職隆が再びこの山に城を構えました。
その後、秀吉に姫路城を譲った後官兵衛はこの城に移りました。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
姫路の妻鹿にある国府山城(こうやまじょう)跡に行ってきました。
ここは山城で、山頂からは小豆島まで望むことが出来ます。
今回は時間が無かったので、城の碑だけでも見ようと思い、行ってきました。

城の全景はこんな感じです。
国府山城跡3.jpg
山頂までは約20分の登山という事です。

城のふもとに荒神社という神社があり、ここに「妻鹿城跡」の碑がたっています。

<荒神社>
国府山城跡2.jpg

国府山城跡4.jpg

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大河ドラマの舞台
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日本の城を巡る
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2015年02月22日

青山古戦場      (兵庫県姫路市)

兵庫県姫路市の青山古戦場に行ってきました。

<青山古戦場>
青山古戦場跡.jpg
住所:兵庫県姫路市青山西5丁目4付近
駐車場なし

<現地解説>
1569年8月9日、播州龍野城主赤松政秀は3000余の兵を率いて
姫路の城を攻めんとこの地より遙か北の龍野街道を東へ侵撃してきた。
黒田官兵衛は父職隆のもとを離れ、指揮官として龍野赤松軍を迎えうった。
構えた陣地はこの地より東の菅生川近くの土器山に布陣し、悪戦苦闘を
重ねた。
その陣地の東一里には、何が何でも防護せねばならない、官兵衛が生誕
した姫路城がある。
官兵衛は秘策をつくして不意撃ち、挟み撃ちし敵の軍勢をおいつめてこの
地まで撃退した。そしてこの地が決戦場となった。
この戦いで敵の首70をあげた官兵衛は奇襲の作戦技もあって有名に
なった。
智将黒田官兵衛といわれるその兆しを見せたのがこの青山合戦であった。

<合戦図・クリックすると拡大します>
青山古戦場跡2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
姫路の青山古戦場に行ってきました。
ここは黒田官兵衛初陣の地と言われるところです。
敵は龍野城主赤松政秀。赤松家は室町時代の有力守護の家柄。この時代には
勢力は衰えていたとはいえ、小寺家傘下の黒田家とは動員できる兵の数なども
違い大勢力に違いありません。
実際、赤松軍3000に対して黒田軍は1/10の300程の兵力だった
と言われています。
それを奇策にて撃退し、黒田官兵衛の名前をあげたという事で、ひとつ注目
すべき合戦なのだと思います。

今古戦場の激戦地は青山ゴルフクラブとなっており、その敷地の脇に古戦場の
碑がたっています。

<古戦場>
青山古戦場跡3.jpg

青山古戦場跡4.jpg

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2015年02月18日

小寺大明神      (兵庫県姫路市)

兵庫県姫路市にある小寺大明神に行ってきました。

<小寺大明神>
小寺大明神.jpg
住所:兵庫県姫路市御国野町御着
駐車場あり(無料)

<現地解説>
この地は1519年に小寺政隆が築城したと言われる御着城の本丸跡に位置して
いる。
小寺大明神は1755年の「播州飾東郡府東御野庄御着茶臼山城地絵図」に「今
此所ニ小寺殿社アリ」と注記されており、社には御着城の城主であった小寺一族
と御着城に関係する人々をお祀りしている。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
御着城跡の公園の道路を挟んだところにある小寺大明神です。

小寺大明神3.jpg

小寺大明神2.jpg

御着城を築城した小寺氏を祀っています。
御着城はその後、秀吉の播磨侵攻の際落城し廃城となっています。
小寺氏の摘子はかつての家臣であった黒田家に召し抱えられ、その命脈を
保っています。

小寺大明神は小さな神社です。片隅には秀吉播磨侵攻に際し戦死した兵士
を祀る塚もあります。

<戦死者供養塚>
小寺大明神4.jpg

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2015年02月14日

御着城      (兵庫県姫路市)

兵庫県姫路市にある御着城趾に行っていました。

<御着城趾>
御着城趾.jpg
住所:兵庫県姫路市御国野町御着
駐車場あり(無料)

<現地解説>
御着城は茶臼山・天川城とも呼ばれ、播磨守護赤松氏の家臣小寺氏の居城。
1519年小寺政隆が築城、則職・政職と継承され、1578年か1579年
に羽柴秀吉の播磨侵攻で滅亡したとされるが、嘉吉年間(1441〜1444)
にはすでに構居が設けられていたとされ、1500年前後には赤松氏の播磨
支配の拠点として守護所の機能をもつ城郭として機能していた。
昭和52〜54年の発掘調査で、御着城が14世紀後半から16世紀後半まで
存在し、16世紀半ばに大・中型の堀や土塁が築かれ本格的な縄張りが行われ
た事が判明。中世の人々の生活に深く関わる土器・陶磁器・木製品・石製品
等の遺物も検出された。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
黒田官兵衛のからみで姫路の御着城に行ってきました。
黒田氏は御着城主の小寺氏の臣下にあり、今回の大河ドラマでも御着城は
序盤で大きくとりあげられました。
現在の御着城趾は小さな公園に整備され、城の様な建物で公民館が造られていま
す。
御着城趾2.jpg

公園脇には黒田家廟所があります。
御着城趾 黒田家廟.jpg
こちらは黒田官兵衛の祖父黒田重隆と生母が祀られています。

公園には黒田官兵衛の顕彰碑もありました。
御着城趾 黒田官兵衛.jpg

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法界寺 / 別所氏墓所    (兵庫県三木市)

兵庫県三木市にある法界寺に行ってきました。

<法界寺>
法界寺.jpg
住所:兵庫県三木市別所町東這田51
駐車場あり(無料)

<現地解説>
当寺は行基菩薩が聖武天皇の勅願を奉じて諸国を行脚しこの地に錫を
止められた折、一翁が「この地は和光同塵の地なり、よろしく伽藍を建立
して衆生を化益せば、我常に守護して退転せさらん」と弥陀の尊像を与う。
行基菩薩随喜の涙を流して信心肝に銘じ、翁の告げに応じて伽藍を建立し
法界寺と名付けた。
その後、延徳年間に到り別所氏中興の祖別所則治は諸堂を造営し、別所家
累代の菩提寺と定めた。
1580年1月17日羽柴秀吉の三木城攻めにより城主別所長治公自害され
た際、遺体を当寺に埋葬する。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
三木市にある法界寺に行ってきました。
ここはもともと行基の開基によるお寺ですが、その後三木城主別所家の菩提寺
となります。
秀吉による三木城攻めで落城後自刃した別所長治公の遺体もこのお寺に埋葬され
たとの事です。
境内には別所家霊廟(平成21年再建)や別所長治公像、別所家家臣の墓などが
ありました。

<本堂>
法界寺2.jpg

<別所家霊廟>
法界寺 別所公墓所.jpg

<別所長治公像>
法界寺 別所長治像.jpg
三木城にあった像と似ています。

<別所家家臣の墓>
別所氏家臣の墓.jpg

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志方城趾     (兵庫県加古川市)

兵庫県加古川市にある志方城趾に行ってきました。

<志方城趾>
志方城跡 観音寺.jpg
住所:兵庫県加古川市志方町志方町720
駐車場あり(無料)

<現地解説>
曹洞宗の寺院で、本尊は観世音菩薩です。観音寺の付近一帯は、志方城趾です。
現在の観音寺の境内を本丸とし、本丸を囲む内堀の周囲に二の丸(志方小学校
所在のあたり)、西の丸(旧志方町役場のあたり)とかなりの規模の城であった
ようです。この城の城主・櫛橋家は伊朝と祖とし赤松氏の家臣でした。
伊朝より五代の孫、櫛橋左京亮則伊は、赤松政則に仕えて大いに重んじられ、祖父
の例にならって播備作三国の財産出納の役をつとめ1481年志方天神山に城を
築き1492年この地に志方城を築きました。以来、伊家、伊定、政伊と父子
4代つづき1578年羽柴秀吉の侵攻にあって落城しました。
伊定の娘、光(てる)は秀吉の軍師として活躍した黒田官兵衛の妻となり、結婚
した翌年に嫡男が生まれました。後の福岡藩主黒田長政です。現在の観音寺は、
志方城落城後の1587年宝岩宗珍和尚が城主の菩提を弔うために城の本丸跡に
禅寺を建立したのが始まりです。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
加古川の志方城跡(観音寺)に行ってきました。

志方城跡 観音寺2.jpg

現在は観音寺というお寺で、これは落城後に城主を供養する為に建立されたもの
だそうです。城主櫛橋家の墓所もお寺裏の墓地にありました。

<櫛橋家墓所>
志方城跡 櫛橋家墓所.jpg

黒田官兵衛は有名なので何ですが、妻の光については今回の大河ドラマ
『軍師官兵衛』で初めて知りました。官兵衛が仕える羽柴秀吉が妻の実家
を攻める形になるのは戦国時代ならではの悲劇だなと思った次第です。
志方城趾には官兵衛ゆかりの地という事で旗がたてられたりして、観光客も
私以外にも何人か来ていました。

志方城跡 観音寺3.jpg

志方城跡 観音寺4.jpg

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2015年01月25日

雲龍寺 / 別所長治公首塚    (兵庫県三木市)

兵庫県三木市にある雲龍寺に行ってきました。

<雲龍寺>
雲龍寺.jpg
住所:兵庫県三木市上の丸町9-4
駐車場あり(無料)

<現地解説>
958年に慈恵僧正の創建と伝えられているが、、羽柴秀吉との三木合戦
時には、三木城内にあったため、殿堂及び伽藍は焼失しました。
1580年1月17日、一族の最後を弔うため、雲龍寺7世の住職春泰禅師
が当時の三木城主別所長治公の自害の席に招かれたときに、長治公は後事を
禅師に託し、日頃から愛用していた「天目茶碗」と「唐子遊び軸」を形見と
して贈りました。
三木城開城後、領主杉原伯耆守は秀吉に上訴して寺院を再建しました。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
三木市の雲龍寺に行ってきました。
三木城内にあった寺院で、別所長治から後を託された和尚によって、長治の
首塚が造られたようです。
雲龍寺脇に古い供養塔があり、これが別所長治公夫妻の首塚です。

<別所長治夫妻の首塚>
別所長治公首塚.jpg

三木城の近くにあるので、一緒に行くと良いかと思います。


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三木城     (兵庫県三木市)

兵庫県三木市にある三木城跡に行ってきました。

<三木城>
三木城.jpg
住所:兵庫県三木市上の丸町
駐車場無し(歩いて5分位のところに観光協会の駐車場があります)

<現地解説>
三木城は上の丸台地上に築かれた丘城です。15世紀後半に別所則治によって
築かれたと考えられています。1578年から1580年、東播磨最大の勢力を
誇る三木城主別所長治と織田信長の武将羽柴秀吉の間で起こった三木合戦では
「三木の干し殺し」と呼ばれる兵糧攻めが行われました。
落城語も三木が播磨における京都や大坂からの入り口として重要な場所であった
ため、主に豊臣家の直轄地として城代、城番が置かれました。
1600年、池田輝政の姫路入封に伴い、姫路城の支城となった三木城には家老
の伊木忠次が入城しましたが1615年の一国一城令によって廃城となりました。
構造は本丸・二の丸を中心とし、新城・鷹尾山城・宮ノ上要害で構成され、南側
は山と谷、他三方を崖に囲まれています。土造りの城としては播磨の中でも
最大級の規模を誇っています。

三木城2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
三木城に行ってきました。
以前からいつか行こうと思っていましたが、なかなか行けず、今回官兵衛のからみ
もあったのでやっと訪問という事になりました。
ここに来る前に、三木合戦秀吉本陣に寄ってからきました。この城から数キロの所
です。

三木城が一番注目されたのは秀吉による三木城攻略戦です。
秀吉本陣は実際城のようなもので、三木城を取り囲み長期の兵糧攻めに
持ち込んだものです。
最終的に別所長治の切腹で三木城は落城。秀吉の播磨平定の大きな一戦
が終わります。

今は城跡が公園の様になり、ここが城であったという事が分かる物はほぼ
ありません。
別所長治公の銅像や、辞世の句碑。そして解説板などが設置されています。

<別所長治石像>
三木城 別所長治.jpg

<別所長治辞世の句碑>
三木城 別所長治辞世の句.jpg
「今はただ 恨みもあらじ 諸人の命に代はる 我が身と思へば 」という句。
自分の死ですべてを解決しようという辞世の句ですね。

<三木城からの景色>
三木城からの景色.jpg


三木城 官兵衛.jpg

三木城3.jpg

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2015年01月14日

三木城合戦 秀吉本陣    (兵庫県三木市)

兵庫県三木市、三木城合戦秀吉本陣に行ってきました。

<三木城合戦秀吉本陣>
秀吉本陣 三木1.jpg
住所:兵庫県三木市平井・与呂木・志染町安福田
駐車場あり(無料)

<現地解説>
三木合戦の際、羽柴秀吉が本陣とした付城です。
美嚢川と志染川の間に挟まれた山上に位置し、南西に三木城を望むことが
出来ます。
1578年7月、織田信長の長男信忠が三木城を支援する神吉城や志方城を攻略した
後、築城したとされています。8月に羽柴秀吉が入ると10月15日に津田宗久を
招いて茶会を開催しました。
同22日に別所方が襲来して合戦が繰り広げられましたが、別所長治の弟別所治定
らが討ち死にするなど、別所方の敗北に終わっています。
城は土塁囲みの平坦地を主郭として東西に尾根が延び、その尾根から分かれる北側の
尾根には軍勢が駐屯するための段状の平坦地群が設けられています。
主郭の東側に延びる尾根は部分的に土塁で囲まれ櫓台状の土盛が見られます。

秀吉本陣 三木5.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
三木城合戦秀吉本陣に行ってきました。
三木城を遠くに眺める高台に秀吉本陣はあります。
駐車場に車を停め、ちょっとした山道を歩いて7〜8分くらいで主郭につきます。

秀吉本陣 三木.jpg
こんな道を歩いて行きます。

<主郭>
秀吉本陣 三木3.jpg
こちらが主郭です。遠くを眺めるために展望台みたいなのが造られていますが、
木が高くてあまり眺望が開けてないのが残念です(>_<)

木の間から三木城方面を眺めます。
秀吉本陣 三木4.jpg

秀吉本陣 三木2.jpg

今回は駐車場から主郭まで行って戻ってきましたが、全体の1/3位しか
歩いてない感じです。秀吉の大軍が陣取ったという事で、かなりの規模の
付城です。ここから睨まれたら三木城も厳しいですね。

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古戦場めぐり
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2015年01月12日

竹中半兵衛の墓     (兵庫県三木市)

兵庫県三木市にある竹中半兵衛の墓を参拝してきました。

<竹中半兵衛の墓>
竹中半兵衛の墓.jpg
住所:兵庫県三木市平井
駐車場なし

<現地解説>
一世の軍略兵法家として知られた竹中半兵衛重治は初め齋藤龍興に属し、
のちに織田信長に従い秀吉と共に各地に転戦し殊勲をたてましたが。
しかし、三木城攻防戦のたけなわの頃、平井山の陣中に胸を病み、一時
は京都に移って療養していましたが、固着した戦況を心配しこの地に
帰ってきました。けれども病魔には勝てず、1579年6月13日、
36歳の若さで永歿しました。臨終の時、秀吉に対して将来の天下人
を預言し息を引き取りました。秀吉はお先真っ暗と人前もはばからず
遺体にとりすがったと言われます。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
三木にある竹中半兵衛の墓を参拝してきました。
以前、岐阜県垂井町にある竹中半兵衛の墓を参拝したことがありましたが、
亡くなった三木にも墓があるという事で訪問しました。

三木城攻防戦で半兵衛が陣取った平井山の近くに墓はあります。
分かりづらい場所ですが、白い塀に囲まれた中に半兵衛の墓があります。

竹中半兵衛の墓2.jpg
歴史にたらればはありませんが、半兵衛が長生きしていたら、秀吉が暴走する事も
無かったのか朝鮮出兵はどうだったのかといろいろ考えてしまいます。
36歳と若くして亡くなっただけに、惜しまれます。
近くには三木城攻防戦秀吉本陣跡などもありますので、まとめて観光したいところ
です。

岐阜県垂井町・禅幢寺(竹中半兵衛の墓)
http://rover.seesaa.net/article/372582479.html

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2015年01月11日

西国街道・北条宿     (兵庫県加西市)

兵庫県加西市、西国街道北条宿を散策してきました。

<西国街道・北条宿>
西国街道 北条宿1.jpg
住所:兵庫県加西市北条町北条
駐車場:なし(酒見寺の駐車場に停めて歩いてきました)

千年以上前に建立された住吉神社、酒見寺の門前町として栄えてきた北条の宿
は古くから山陽・山陰を結ぶ交通の要衝として北播磨地方の中心的な存在でし
た。明治・大正・昭和初期には商業・流通の拠点として多くの商家が贅を競い、
その名残を現在に残しています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
西国街道北条宿を散策してきました。
行基の開基と言われる酒見寺の門前町として江戸時代に栄えた町です。
北条は戦国時代に兵火で焼けるものの、江戸時代には交通の要衝という事で、
商業の町としても栄えた様です。

残っている建物の数は少ないですが、かつての雰囲気をかすかに感じることが
出来ます。酒見寺、住吉神社とともに北条の町も歩いて観光すると良いかと
思います。

西国街道 北条宿5.jpg

西国街道 北条宿3.jpg

西国街道 北条宿2.jpg

西国街道 北条宿4.jpg

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日本の古い町並み
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2015年01月07日

有岡城       (兵庫県伊丹市)

兵庫県伊丹市にある有岡城跡に行ってきました。

<有岡城趾>
有岡城.jpg
住所:兵庫県伊丹市伊丹1丁目
駐車場なし

<現地解説>
南北朝時代から伊丹氏の城として発展してきた伊丹城は1520年には城下町をも
城の中に取り込んだ「惣構」構造の兆しが見られ、その後の一向宗との合戦など
数々の戦いを経て次第に強化されていきました。
1574年、織田信長の武将荒木村重が伊丹氏を破って入城し、有岡城と改名しま
した。そして摂津一国の軍事上の中心として大改修を行い、主郭部・侍町・町屋
地区の全体を堀と土塁で囲み、北・西・南にそれぞれ砦を配した惣構の城を完成
させました。
1578年、村重が信長に背いたため、大軍によって包囲され10ヶ月の攻防戦
の末に落城しました。その後、池田之助が城主となりますが、1583年には
美濃国に移り、城は廃されました。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
有岡城跡に行ってきました。
昨年の大河ドラマ『軍師官兵衛』ゆかりの地という事での訪問です。
この城は荒木村重は信長に背き、籠城した城です。黒田官兵衛は村重の説得に有岡城
に行きますが捕らえられ、有岡城の土牢に1年間幽閉されます。
そんな歴史の舞台のお城ですが、戦国末期には廃城となり、明治維新後には鉄道の
開通と共に大半が取り壊されました。

現在見る事が出来るのは、伊丹駅前にある主郭部分。
当時の石垣の一部も確認することが出来ます。

有岡城2.jpg

有岡城3.jpg

有岡城4.jpg

駐車場はありませんので、近隣のコインパークに停めるかするしかありません。
駅前なので、電車で行く場合はすぐなので楽かと思います。

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2014年07月13日

荒田八幡神社 / 安徳天皇行在所    (兵庫県神戸市)

兵庫県神戸市にある荒田八幡神社に行ってきました。

<荒田八幡神社>
荒田八幡神社.jpg
住所:兵庫県神戸市兵庫区荒田町3丁目99
駐車場なし
境内自由

<現地解説>
当八幡神社は古くは高田神社といい、後に宝地院境内にあった八幡社を
神仏混淆を避けて1898年にここへ合祀して荒田八幡神社とされました。

荒田八幡神社2.jpg

この近辺の土地は、周囲より一段高く、この高台付近が都の重要な地で
あったと考えられます。
八幡神社の土地は平清盛の弟・池大納言平頼盛の山荘であり、1180年
6月3日の福原遷都の際には安徳天皇の行在所(皇居)となり、境内には
安徳天皇行在所跡の地の碑がります。

荒田八幡神社 安徳天皇行在所跡.jpg

また昭和55年6月3日に建てられた福原遷都800年の記念碑があります。

荒田八幡神社 福原遷都.jpg

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清盛塚    (兵庫県神戸市)

兵庫県神戸市にある清盛塚に行ってきました。

<清盛塚>
清盛塚.jpg
住所:兵庫県神戸市兵庫区切戸町
駐車場あり

1181年、平清盛は亡くなり、能福寺の寺領内にあった太平山八棟寺に
平相国廟が造立されました。しかし平家滅亡と同時にことごとく破壊され、
能福寺も灰燼にきしました。以後廟は再建されることなくその存在すら
忘れられていましたが、1286年時の執権北条貞時は平家一門の栄枯盛衰
を哀れみ、その近くに一基の石塔を建て清盛の霊を弔ったとの事です。
それが今ある平清盛廟になります。

少し離れた能福寺にも平相国廟があります。

<能福寺・平相国廟>
平清盛廟.jpg

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2014年02月11日

賀茂神社    (兵庫県たつの市)

兵庫県たつの市(旧御津町)にある賀茂神社に行ってきました。

<賀茂神社>
賀茂神社 室津1.jpg
住所:兵庫県たつの市御津町室津74
駐車場あり(無料)
境内自由

京都の賀茂神社と同じ際神・賀茂別雷神を祀り、港町室津のシンボルでも
あります。五つの社殿とそれを取り囲む回廊と唐門は国指定重要文化財
です。例祭・小五月祭りに奉納される「棹の歌」は県指定無形文化財です。

江戸時代に室津は栄え、沢山の参拝があったでしょう。
1826年にはシーボルトが訪れ、賀茂神社に参拝したことがその紀行文
に記されています。

賀茂神社 室津2.jpg
また、山門には「平清盛」参拝という札もありました。
平安時代にもすでにそれなりの格式ある神社として存在していた
んでしょうね。

賀茂神社 室津3.jpg

賀茂神社 室津4.jpg

神社のすぐ裏側は海。景色も良いです。
賀茂神社 室津5.jpg

平成25年〜26年年末年始の旅
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室津の町並み     (兵庫県たつの市)

兵庫県たつの市、室津の町並みを散策してきました。

<室津の町並み>
室津の町並み.jpg
住所:兵庫県たつの市御津町

室津は神武天皇の東征に際し港を建設したという伝説の港町です。
江戸時代には海路参勤交代の大名が寄港する港町として栄え、旅籠なども
多くあった様です。明治以降参勤交代が無くなり、鉄道や道路の整備とともに
室津は宿場としての賑わいを失い、衰退していったとの事です。

今は小さな漁港という様な感じの室津。
そんななかに、かつての繁栄の町並みが少しだけ残っています。

室津の町並み2.jpg

室津の町並み3.jpg

室津の町並み4.jpg

室津の町並み5.jpg

平成26年元旦に訪問しました。室津では正月を祝うため、船に大漁旗を
掲げるそうです。この大漁旗の写真を撮るために来ている観光客の方もいました。

室津 大漁旗.jpg

室津 大漁旗2.jpg

平成25年〜26年年末年始の旅
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日本の古い町並み
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2013年03月10日

由良要塞跡   (兵庫県洲本市)

兵庫県洲本市にある由良要塞跡に行ってきました。

<由良要塞跡>
由良要塞跡2.jpg
住所:兵庫県洲本市由良生石
駐車場あり(無料)

開国を迫る外国船が頻繁に来港するようになった幕末の頃、幕府の命により、海防の備えとして
各地に砲台場が造られました。
ここ由良の町もその一つであり、巨大な高崎砲台を中心とする砲台場群が築かれ、紀淡海峡に
睨みをきかせていたと言われています。
明治時代になって、由良は海防上、東京湾要塞に次ぐ要所と位置づけられ、紀淡海峡、鳴門海峡
の防衛拠点として由良要塞司令部が置かれることになりました。
各所に見られる煉瓦積みの構築物や展示されている砲身はその由良要塞の遺構で、当時生石山砲台
と呼ばれた砲台跡です。

<由良要塞全貌>
由良要塞跡5.jpg

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由良要塞跡に行ってきました。幕末から大正時代まで重要な防衛拠点
となった要塞です。第二次大戦まで存在した様ですが、第二次大戦では
航空戦が主となったため、ほぼ意味が無いものになった様です。

淡路島と紀伊半島の狭い海峡を守備するのにちょうど良い立地。
煉瓦の構築物などに昔を偲ぶ事が出来ます。
現地までの道は狭いところもありますので、行く場合は注意して
ください。

由良要塞跡3.jpg

由良要塞跡4.jpg


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2013年02月17日

雪見御所跡  (神戸市兵庫区)

兵庫県神戸市にある雪見御所跡に行ってきました。

<雪見御所跡>
雪見御所跡.jpg
住所:兵庫県神戸市兵庫区雪御所町2−1
駐車場なし

『平家物語』などには平清盛が福原の地にいくつかの邸宅を持っていた事を伝える。
そのひとつが「雪見御所」で、その名を伝える雪御所町に存在した可能性が高い。
1986年、湊山小学校校舎建設に先立ち行われた発掘調査で確認された石垣のひとつ
は雪見御所の南を画する石垣、またはそれを踏襲する字境の石垣である可能性が考え
られる。雪見御所の北に安徳天皇が福原遷都の半年を過ごした本皇居があった。

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神戸の平野にある雪見御所跡です。
現在は湊山小学校の敷地内に石碑があります。敷地内とは言っても道路から普通に
見ることが出来ます。
雪見御所の正確な場所は分かっていない様ですが、過去の発掘調査から湊山
小学校の地付近が雪見御所跡であると思われる様です。

大河ドラマの舞台
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平成24年〜25年・年末年始の旅
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2013年01月19日

大石神社    (兵庫県赤穂市)

兵庫県赤穂市にある大石神社に行ってきました。

<大石神社>
大石神社1.jpg
住所:兵庫県赤穂市上仮屋旧城内
駐車場あり(無料)
宝物館・大石邸庭園入場料:420円(共通券)

大石神社は明治元年、明治天皇の東京行幸に際し、泉岳寺の義士墓前に宣旨並びに
全幣を賜ったのを契機に神社奉斎の議がおこり明治33年神社創立が公許され、
大正元年11月3日義士を崇敬追慕する方々の奉賛により御鎮座となった。
境内地は大石内蔵助、同じく家老の藤井又左衛門そして義士片岡源五右衛門、
大石瀬左衛門の邸跡一帯である。

大石神社2.jpg

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久しぶりに赤穂を訪問、赤穂城と大石神社に行ってきました。
ここは忠臣蔵で有名な赤穂浪士、赤穂四十七士を祀った神社です。

境内には討ち入りに関する資料などを展示した義士宝物殿や、大石邸庭園など
有料ですが見応えのあるものが揃っています。

<義士宝物殿>
大石神社 義士宝物殿.jpg

前回来たときは有料の部分は見てなかったんですが、ここはお金を払って
見た方が良いなと思いました。

<大石内蔵助像>
大石神社 大石内蔵助像.jpg

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銅像めぐり
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平清盛像   (神戸市兵庫区)

神戸市兵庫区にある平清盛像です。

<平清盛像>
平清盛像1 神戸.jpg
住所:兵庫県神戸市兵庫区下祇園町23

神戸市の平野商店街に平成24年に出来たばかりの平清盛像です。
平野は平清盛の福原遷都で、清盛の屋敷があった場所とも言われています。
そんな場所に、大河ドラマ放映に合わせて銅像が造られた様です。
この清盛の像、なんか松山ケンイチにそっくりですね・・。
まあ、よしとしましょう。

平清盛像大 神戸.jpg
クリックすると拡大します。

大河ドラマの舞台
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2013年01月12日

兵庫厳島神社   (兵庫県神戸市)

神戸にある兵庫厳島神社に行ってきました。

<兵庫厳島神社>
厳島神社 神戸1.jpg
住所:兵庫県神戸市兵庫区永沢町4-4-21
駐車場無し
境内自由

兵庫厳島神社は1180年、平清盛によって建立されました。
清盛公はかつて安芸守に任ぜられた時より、厳島明神を深く信仰していました
ので、都を京都から福原に移した際に、厳島明神を安芸国より勧請したのです。
兵庫厳島神社縁起によると、清盛公が兵庫の港に築島を築こうとされた時、
ある夜に天女が現れ「私は安芸国厳島明神である。この海を暴風雨から守り、
汝の志を能く成就せしめんが為に来たのである。篤く信仰して必ず疑うこと
なかれ」とお告げになりました。
清盛公は深く喜び、兵庫の港の守り神として明神を祀ることにしました。

厳島神社 神戸2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
新開地の駅から数分の所にある兵庫厳島神社に行ってきました。
平清盛が篤く信仰した安芸の厳島神社。
福原に都を移した際、この地にも厳島神社を勧請しています。

兵庫厳島神社は大きな神社ではありませんが、歴史由緒ある神社です。
清盛関連という事で訪問しました。

大河ドラマの舞台
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2013年01月04日

洲本城    (兵庫県洲本市)

兵庫県洲本市にある洲本城に行ってきました。

<洲本城>
洲本城.jpg
住所:兵庫県洲本市小路谷
駐車場あり(無料)

1526年三好氏の家臣安宅治興が築城。
1581年の淡路討伐の際、総大将羽柴秀吉に降伏し、城は仙石秀久に与えられた。
しかし、秀久は九州征伐の際に軍律違反を犯して高野山へ追放され、かわって脇坂安治
が城主となり、天守が造営されるとともに、石垣の大改修の際、倭城での経験から
「登り石垣」が築かれた。現在は壮大な石垣と、模擬天主がある公園となっている。
模擬天主は昭和3年の建築。模擬天主としては日本最古のものだそうです。

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洲本城に行ってきました。前に行ったのは何年前だったかな〜と思い、写真を調べたら
10年前でした。しかもその時は雨で、写真もいまいち。
今回は天気も良く、大きな洲本城に改めて感動しました。
石垣の規模はかなり大きく、圧巻。
模擬天主はあいにく損傷がある様で入ることが出来ませんでした。

<洲本城石垣>
洲本城1.jpg

洲本城2.jpg

洲本城3.jpg

洲本城で今回良かったのが、城からの眺望です。
前回来たときは雨で、あまり眺望が確認出来なかったんですが、今回は
目の前に広がる洲本の町と海の綺麗さに感動しました。

<洲本城からの眺望>
洲本城4.jpg
城に興味ない人も、この眺望を見るために行ってみても良いかと思います。

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日本の城を巡る
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