2015年02月25日

元宮八幡神社      (兵庫県姫路市)

兵庫県姫路市にある元宮八幡神社に行ってきました。

<元宮八幡神社>
元宮八幡神社.jpg
住所:兵庫県姫路市飾磨区妻鹿
駐車場なし

今は山の上にある御旅山八幡神社の元宮で、黒田二十四騎の一人母里太兵衛
の碑が建っています。
母里太兵衛は妻鹿の国人曽我一信の子として妻鹿に誕生。
槍術にすぐれた剛力の勇将として知られ、黒田軍の大将をつとめました。
また民謡「黒田節」に謡われる名槍「日本号」を福島正則から呑みとった
逸話でも知られています。

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姫路の妻鹿にある元宮八幡神社に行ってきました。
この神社に黒田二十四騎の一人、母里太兵衛生誕の地の碑があるというので
行ってみた感じです。

元宮八幡神社 母里太兵衛生誕の地.jpg
新しめの碑が建っていました。
母里太兵衛の生誕の地がまさにここという訳ではないでしょうけど、妻鹿の出身と
いう事で、この碑が建てられたのでしょう。

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国府山城跡 / 妻鹿城跡     (兵庫県姫路市)

兵庫県姫路市にある国府山城(妻鹿城)跡に行ってきました。

<国府山城(妻鹿城跡)>
国府山城跡.jpg
住所:兵庫県姫路市飾磨区妻鹿
駐車場なし

国府山城は元は「太平記」で知られる妻鹿孫三郎の居城でしたが、織田信長が
石山本願寺と戦い始めてから毛利水軍の往来が激しくなり、これを監視するため
に黒田官兵衛の父職隆が再びこの山に城を構えました。
その後、秀吉に姫路城を譲った後官兵衛はこの城に移りました。

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姫路の妻鹿にある国府山城(こうやまじょう)跡に行ってきました。
ここは山城で、山頂からは小豆島まで望むことが出来ます。
今回は時間が無かったので、城の碑だけでも見ようと思い、行ってきました。

城の全景はこんな感じです。
国府山城跡3.jpg
山頂までは約20分の登山という事です。

城のふもとに荒神社という神社があり、ここに「妻鹿城跡」の碑がたっています。

<荒神社>
国府山城跡2.jpg

国府山城跡4.jpg

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2015年02月22日

青山古戦場      (兵庫県姫路市)

兵庫県姫路市の青山古戦場に行ってきました。

<青山古戦場>
青山古戦場跡.jpg
住所:兵庫県姫路市青山西5丁目4付近
駐車場なし

<現地解説>
1569年8月9日、播州龍野城主赤松政秀は3000余の兵を率いて
姫路の城を攻めんとこの地より遙か北の龍野街道を東へ侵撃してきた。
黒田官兵衛は父職隆のもとを離れ、指揮官として龍野赤松軍を迎えうった。
構えた陣地はこの地より東の菅生川近くの土器山に布陣し、悪戦苦闘を
重ねた。
その陣地の東一里には、何が何でも防護せねばならない、官兵衛が生誕
した姫路城がある。
官兵衛は秘策をつくして不意撃ち、挟み撃ちし敵の軍勢をおいつめてこの
地まで撃退した。そしてこの地が決戦場となった。
この戦いで敵の首70をあげた官兵衛は奇襲の作戦技もあって有名に
なった。
智将黒田官兵衛といわれるその兆しを見せたのがこの青山合戦であった。

<合戦図・クリックすると拡大します>
青山古戦場跡2.jpg

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姫路の青山古戦場に行ってきました。
ここは黒田官兵衛初陣の地と言われるところです。
敵は龍野城主赤松政秀。赤松家は室町時代の有力守護の家柄。この時代には
勢力は衰えていたとはいえ、小寺家傘下の黒田家とは動員できる兵の数なども
違い大勢力に違いありません。
実際、赤松軍3000に対して黒田軍は1/10の300程の兵力だった
と言われています。
それを奇策にて撃退し、黒田官兵衛の名前をあげたという事で、ひとつ注目
すべき合戦なのだと思います。

今古戦場の激戦地は青山ゴルフクラブとなっており、その敷地の脇に古戦場の
碑がたっています。

<古戦場>
青山古戦場跡3.jpg

青山古戦場跡4.jpg

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2015年02月18日

小寺大明神      (兵庫県姫路市)

兵庫県姫路市にある小寺大明神に行ってきました。

<小寺大明神>
小寺大明神.jpg
住所:兵庫県姫路市御国野町御着
駐車場あり(無料)

<現地解説>
この地は1519年に小寺政隆が築城したと言われる御着城の本丸跡に位置して
いる。
小寺大明神は1755年の「播州飾東郡府東御野庄御着茶臼山城地絵図」に「今
此所ニ小寺殿社アリ」と注記されており、社には御着城の城主であった小寺一族
と御着城に関係する人々をお祀りしている。

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御着城跡の公園の道路を挟んだところにある小寺大明神です。

小寺大明神3.jpg

小寺大明神2.jpg

御着城を築城した小寺氏を祀っています。
御着城はその後、秀吉の播磨侵攻の際落城し廃城となっています。
小寺氏の摘子はかつての家臣であった黒田家に召し抱えられ、その命脈を
保っています。

小寺大明神は小さな神社です。片隅には秀吉播磨侵攻に際し戦死した兵士
を祀る塚もあります。

<戦死者供養塚>
小寺大明神4.jpg

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2015年02月14日

御着城      (兵庫県姫路市)

兵庫県姫路市にある御着城趾に行っていました。

<御着城趾>
御着城趾.jpg
住所:兵庫県姫路市御国野町御着
駐車場あり(無料)

<現地解説>
御着城は茶臼山・天川城とも呼ばれ、播磨守護赤松氏の家臣小寺氏の居城。
1519年小寺政隆が築城、則職・政職と継承され、1578年か1579年
に羽柴秀吉の播磨侵攻で滅亡したとされるが、嘉吉年間(1441〜1444)
にはすでに構居が設けられていたとされ、1500年前後には赤松氏の播磨
支配の拠点として守護所の機能をもつ城郭として機能していた。
昭和52〜54年の発掘調査で、御着城が14世紀後半から16世紀後半まで
存在し、16世紀半ばに大・中型の堀や土塁が築かれ本格的な縄張りが行われ
た事が判明。中世の人々の生活に深く関わる土器・陶磁器・木製品・石製品
等の遺物も検出された。

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黒田官兵衛のからみで姫路の御着城に行ってきました。
黒田氏は御着城主の小寺氏の臣下にあり、今回の大河ドラマでも御着城は
序盤で大きくとりあげられました。
現在の御着城趾は小さな公園に整備され、城の様な建物で公民館が造られていま
す。
御着城趾2.jpg

公園脇には黒田家廟所があります。
御着城趾 黒田家廟.jpg
こちらは黒田官兵衛の祖父黒田重隆と生母が祀られています。

公園には黒田官兵衛の顕彰碑もありました。
御着城趾 黒田官兵衛.jpg

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法界寺 / 別所氏墓所    (兵庫県三木市)

兵庫県三木市にある法界寺に行ってきました。

<法界寺>
法界寺.jpg
住所:兵庫県三木市別所町東這田51
駐車場あり(無料)

<現地解説>
当寺は行基菩薩が聖武天皇の勅願を奉じて諸国を行脚しこの地に錫を
止められた折、一翁が「この地は和光同塵の地なり、よろしく伽藍を建立
して衆生を化益せば、我常に守護して退転せさらん」と弥陀の尊像を与う。
行基菩薩随喜の涙を流して信心肝に銘じ、翁の告げに応じて伽藍を建立し
法界寺と名付けた。
その後、延徳年間に到り別所氏中興の祖別所則治は諸堂を造営し、別所家
累代の菩提寺と定めた。
1580年1月17日羽柴秀吉の三木城攻めにより城主別所長治公自害され
た際、遺体を当寺に埋葬する。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
三木市にある法界寺に行ってきました。
ここはもともと行基の開基によるお寺ですが、その後三木城主別所家の菩提寺
となります。
秀吉による三木城攻めで落城後自刃した別所長治公の遺体もこのお寺に埋葬され
たとの事です。
境内には別所家霊廟(平成21年再建)や別所長治公像、別所家家臣の墓などが
ありました。

<本堂>
法界寺2.jpg

<別所家霊廟>
法界寺 別所公墓所.jpg

<別所長治公像>
法界寺 別所長治像.jpg
三木城にあった像と似ています。

<別所家家臣の墓>
別所氏家臣の墓.jpg

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志方城趾     (兵庫県加古川市)

兵庫県加古川市にある志方城趾に行ってきました。

<志方城趾>
志方城跡 観音寺.jpg
住所:兵庫県加古川市志方町志方町720
駐車場あり(無料)

<現地解説>
曹洞宗の寺院で、本尊は観世音菩薩です。観音寺の付近一帯は、志方城趾です。
現在の観音寺の境内を本丸とし、本丸を囲む内堀の周囲に二の丸(志方小学校
所在のあたり)、西の丸(旧志方町役場のあたり)とかなりの規模の城であった
ようです。この城の城主・櫛橋家は伊朝と祖とし赤松氏の家臣でした。
伊朝より五代の孫、櫛橋左京亮則伊は、赤松政則に仕えて大いに重んじられ、祖父
の例にならって播備作三国の財産出納の役をつとめ1481年志方天神山に城を
築き1492年この地に志方城を築きました。以来、伊家、伊定、政伊と父子
4代つづき1578年羽柴秀吉の侵攻にあって落城しました。
伊定の娘、光(てる)は秀吉の軍師として活躍した黒田官兵衛の妻となり、結婚
した翌年に嫡男が生まれました。後の福岡藩主黒田長政です。現在の観音寺は、
志方城落城後の1587年宝岩宗珍和尚が城主の菩提を弔うために城の本丸跡に
禅寺を建立したのが始まりです。

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加古川の志方城跡(観音寺)に行ってきました。

志方城跡 観音寺2.jpg

現在は観音寺というお寺で、これは落城後に城主を供養する為に建立されたもの
だそうです。城主櫛橋家の墓所もお寺裏の墓地にありました。

<櫛橋家墓所>
志方城跡 櫛橋家墓所.jpg

黒田官兵衛は有名なので何ですが、妻の光については今回の大河ドラマ
『軍師官兵衛』で初めて知りました。官兵衛が仕える羽柴秀吉が妻の実家
を攻める形になるのは戦国時代ならではの悲劇だなと思った次第です。
志方城趾には官兵衛ゆかりの地という事で旗がたてられたりして、観光客も
私以外にも何人か来ていました。

志方城跡 観音寺3.jpg

志方城跡 観音寺4.jpg

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2015年01月25日

雲龍寺 / 別所長治公首塚    (兵庫県三木市)

兵庫県三木市にある雲龍寺に行ってきました。

<雲龍寺>
雲龍寺.jpg
住所:兵庫県三木市上の丸町9-4
駐車場あり(無料)

<現地解説>
958年に慈恵僧正の創建と伝えられているが、、羽柴秀吉との三木合戦
時には、三木城内にあったため、殿堂及び伽藍は焼失しました。
1580年1月17日、一族の最後を弔うため、雲龍寺7世の住職春泰禅師
が当時の三木城主別所長治公の自害の席に招かれたときに、長治公は後事を
禅師に託し、日頃から愛用していた「天目茶碗」と「唐子遊び軸」を形見と
して贈りました。
三木城開城後、領主杉原伯耆守は秀吉に上訴して寺院を再建しました。

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三木市の雲龍寺に行ってきました。
三木城内にあった寺院で、別所長治から後を託された和尚によって、長治の
首塚が造られたようです。
雲龍寺脇に古い供養塔があり、これが別所長治公夫妻の首塚です。

<別所長治夫妻の首塚>
別所長治公首塚.jpg

三木城の近くにあるので、一緒に行くと良いかと思います。


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三木城     (兵庫県三木市)

兵庫県三木市にある三木城跡に行ってきました。

<三木城>
三木城.jpg
住所:兵庫県三木市上の丸町
駐車場無し(歩いて5分位のところに観光協会の駐車場があります)

<現地解説>
三木城は上の丸台地上に築かれた丘城です。15世紀後半に別所則治によって
築かれたと考えられています。1578年から1580年、東播磨最大の勢力を
誇る三木城主別所長治と織田信長の武将羽柴秀吉の間で起こった三木合戦では
「三木の干し殺し」と呼ばれる兵糧攻めが行われました。
落城語も三木が播磨における京都や大坂からの入り口として重要な場所であった
ため、主に豊臣家の直轄地として城代、城番が置かれました。
1600年、池田輝政の姫路入封に伴い、姫路城の支城となった三木城には家老
の伊木忠次が入城しましたが1615年の一国一城令によって廃城となりました。
構造は本丸・二の丸を中心とし、新城・鷹尾山城・宮ノ上要害で構成され、南側
は山と谷、他三方を崖に囲まれています。土造りの城としては播磨の中でも
最大級の規模を誇っています。

三木城2.jpg

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三木城に行ってきました。
以前からいつか行こうと思っていましたが、なかなか行けず、今回官兵衛のからみ
もあったのでやっと訪問という事になりました。
ここに来る前に、三木合戦秀吉本陣に寄ってからきました。この城から数キロの所
です。

三木城が一番注目されたのは秀吉による三木城攻略戦です。
秀吉本陣は実際城のようなもので、三木城を取り囲み長期の兵糧攻めに
持ち込んだものです。
最終的に別所長治の切腹で三木城は落城。秀吉の播磨平定の大きな一戦
が終わります。

今は城跡が公園の様になり、ここが城であったという事が分かる物はほぼ
ありません。
別所長治公の銅像や、辞世の句碑。そして解説板などが設置されています。

<別所長治石像>
三木城 別所長治.jpg

<別所長治辞世の句碑>
三木城 別所長治辞世の句.jpg
「今はただ 恨みもあらじ 諸人の命に代はる 我が身と思へば 」という句。
自分の死ですべてを解決しようという辞世の句ですね。

<三木城からの景色>
三木城からの景色.jpg


三木城 官兵衛.jpg

三木城3.jpg

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2015年01月14日

三木城合戦 秀吉本陣    (兵庫県三木市)

兵庫県三木市、三木城合戦秀吉本陣に行ってきました。

<三木城合戦秀吉本陣>
秀吉本陣 三木1.jpg
住所:兵庫県三木市平井・与呂木・志染町安福田
駐車場あり(無料)

<現地解説>
三木合戦の際、羽柴秀吉が本陣とした付城です。
美嚢川と志染川の間に挟まれた山上に位置し、南西に三木城を望むことが
出来ます。
1578年7月、織田信長の長男信忠が三木城を支援する神吉城や志方城を攻略した
後、築城したとされています。8月に羽柴秀吉が入ると10月15日に津田宗久を
招いて茶会を開催しました。
同22日に別所方が襲来して合戦が繰り広げられましたが、別所長治の弟別所治定
らが討ち死にするなど、別所方の敗北に終わっています。
城は土塁囲みの平坦地を主郭として東西に尾根が延び、その尾根から分かれる北側の
尾根には軍勢が駐屯するための段状の平坦地群が設けられています。
主郭の東側に延びる尾根は部分的に土塁で囲まれ櫓台状の土盛が見られます。

秀吉本陣 三木5.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
三木城合戦秀吉本陣に行ってきました。
三木城を遠くに眺める高台に秀吉本陣はあります。
駐車場に車を停め、ちょっとした山道を歩いて7〜8分くらいで主郭につきます。

秀吉本陣 三木.jpg
こんな道を歩いて行きます。

<主郭>
秀吉本陣 三木3.jpg
こちらが主郭です。遠くを眺めるために展望台みたいなのが造られていますが、
木が高くてあまり眺望が開けてないのが残念です(>_<)

木の間から三木城方面を眺めます。
秀吉本陣 三木4.jpg

秀吉本陣 三木2.jpg

今回は駐車場から主郭まで行って戻ってきましたが、全体の1/3位しか
歩いてない感じです。秀吉の大軍が陣取ったという事で、かなりの規模の
付城です。ここから睨まれたら三木城も厳しいですね。

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2015年01月12日

竹中半兵衛の墓     (兵庫県三木市)

兵庫県三木市にある竹中半兵衛の墓を参拝してきました。

<竹中半兵衛の墓>
竹中半兵衛の墓.jpg
住所:兵庫県三木市平井
駐車場なし

<現地解説>
一世の軍略兵法家として知られた竹中半兵衛重治は初め齋藤龍興に属し、
のちに織田信長に従い秀吉と共に各地に転戦し殊勲をたてましたが。
しかし、三木城攻防戦のたけなわの頃、平井山の陣中に胸を病み、一時
は京都に移って療養していましたが、固着した戦況を心配しこの地に
帰ってきました。けれども病魔には勝てず、1579年6月13日、
36歳の若さで永歿しました。臨終の時、秀吉に対して将来の天下人
を預言し息を引き取りました。秀吉はお先真っ暗と人前もはばからず
遺体にとりすがったと言われます。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
三木にある竹中半兵衛の墓を参拝してきました。
以前、岐阜県垂井町にある竹中半兵衛の墓を参拝したことがありましたが、
亡くなった三木にも墓があるという事で訪問しました。

三木城攻防戦で半兵衛が陣取った平井山の近くに墓はあります。
分かりづらい場所ですが、白い塀に囲まれた中に半兵衛の墓があります。

竹中半兵衛の墓2.jpg
歴史にたらればはありませんが、半兵衛が長生きしていたら、秀吉が暴走する事も
無かったのか朝鮮出兵はどうだったのかといろいろ考えてしまいます。
36歳と若くして亡くなっただけに、惜しまれます。
近くには三木城攻防戦秀吉本陣跡などもありますので、まとめて観光したいところ
です。

岐阜県垂井町・禅幢寺(竹中半兵衛の墓)
http://rover.seesaa.net/article/372582479.html

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著名人の墓
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2015年01月11日

西国街道・北条宿     (兵庫県加西市)

兵庫県加西市、西国街道北条宿を散策してきました。

<西国街道・北条宿>
西国街道 北条宿1.jpg
住所:兵庫県加西市北条町北条
駐車場:なし(酒見寺の駐車場に停めて歩いてきました)

千年以上前に建立された住吉神社、酒見寺の門前町として栄えてきた北条の宿
は古くから山陽・山陰を結ぶ交通の要衝として北播磨地方の中心的な存在でし
た。明治・大正・昭和初期には商業・流通の拠点として多くの商家が贅を競い、
その名残を現在に残しています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
西国街道北条宿を散策してきました。
行基の開基と言われる酒見寺の門前町として江戸時代に栄えた町です。
北条は戦国時代に兵火で焼けるものの、江戸時代には交通の要衝という事で、
商業の町としても栄えた様です。

残っている建物の数は少ないですが、かつての雰囲気をかすかに感じることが
出来ます。酒見寺、住吉神社とともに北条の町も歩いて観光すると良いかと
思います。

西国街道 北条宿5.jpg

西国街道 北条宿3.jpg

西国街道 北条宿2.jpg

西国街道 北条宿4.jpg

平成26年・27年 年末年始の旅
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日本の古い町並み
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2015年01月07日

有岡城       (兵庫県伊丹市)

兵庫県伊丹市にある有岡城跡に行ってきました。

<有岡城趾>
有岡城.jpg
住所:兵庫県伊丹市伊丹1丁目
駐車場なし

<現地解説>
南北朝時代から伊丹氏の城として発展してきた伊丹城は1520年には城下町をも
城の中に取り込んだ「惣構」構造の兆しが見られ、その後の一向宗との合戦など
数々の戦いを経て次第に強化されていきました。
1574年、織田信長の武将荒木村重が伊丹氏を破って入城し、有岡城と改名しま
した。そして摂津一国の軍事上の中心として大改修を行い、主郭部・侍町・町屋
地区の全体を堀と土塁で囲み、北・西・南にそれぞれ砦を配した惣構の城を完成
させました。
1578年、村重が信長に背いたため、大軍によって包囲され10ヶ月の攻防戦
の末に落城しました。その後、池田之助が城主となりますが、1583年には
美濃国に移り、城は廃されました。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
有岡城跡に行ってきました。
昨年の大河ドラマ『軍師官兵衛』ゆかりの地という事での訪問です。
この城は荒木村重は信長に背き、籠城した城です。黒田官兵衛は村重の説得に有岡城
に行きますが捕らえられ、有岡城の土牢に1年間幽閉されます。
そんな歴史の舞台のお城ですが、戦国末期には廃城となり、明治維新後には鉄道の
開通と共に大半が取り壊されました。

現在見る事が出来るのは、伊丹駅前にある主郭部分。
当時の石垣の一部も確認することが出来ます。

有岡城2.jpg

有岡城3.jpg

有岡城4.jpg

駐車場はありませんので、近隣のコインパークに停めるかするしかありません。
駅前なので、電車で行く場合はすぐなので楽かと思います。

平成26年・27年 年末年始の旅
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大河ドラマの舞台
http://rover.seesaa.net/article/112515106.html

日本の城を巡る
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2014年07月13日

荒田八幡神社 / 安徳天皇行在所    (兵庫県神戸市)

兵庫県神戸市にある荒田八幡神社に行ってきました。

<荒田八幡神社>
荒田八幡神社.jpg
住所:兵庫県神戸市兵庫区荒田町3丁目99
駐車場なし
境内自由

<現地解説>
当八幡神社は古くは高田神社といい、後に宝地院境内にあった八幡社を
神仏混淆を避けて1898年にここへ合祀して荒田八幡神社とされました。

荒田八幡神社2.jpg

この近辺の土地は、周囲より一段高く、この高台付近が都の重要な地で
あったと考えられます。
八幡神社の土地は平清盛の弟・池大納言平頼盛の山荘であり、1180年
6月3日の福原遷都の際には安徳天皇の行在所(皇居)となり、境内には
安徳天皇行在所跡の地の碑がります。

荒田八幡神社 安徳天皇行在所跡.jpg

また昭和55年6月3日に建てられた福原遷都800年の記念碑があります。

荒田八幡神社 福原遷都.jpg

大河ドラマの舞台
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平成24年〜25年・年末年始の旅
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清盛塚    (兵庫県神戸市)

兵庫県神戸市にある清盛塚に行ってきました。

<清盛塚>
清盛塚.jpg
住所:兵庫県神戸市兵庫区切戸町
駐車場あり

1181年、平清盛は亡くなり、能福寺の寺領内にあった太平山八棟寺に
平相国廟が造立されました。しかし平家滅亡と同時にことごとく破壊され、
能福寺も灰燼にきしました。以後廟は再建されることなくその存在すら
忘れられていましたが、1286年時の執権北条貞時は平家一門の栄枯盛衰
を哀れみ、その近くに一基の石塔を建て清盛の霊を弔ったとの事です。
それが今ある平清盛廟になります。

少し離れた能福寺にも平相国廟があります。

<能福寺・平相国廟>
平清盛廟.jpg

大河ドラマの舞台
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著名人の墓
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平成24年〜25年・年末年始の旅
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2014年02月11日

賀茂神社    (兵庫県たつの市)

兵庫県たつの市(旧御津町)にある賀茂神社に行ってきました。

<賀茂神社>
賀茂神社 室津1.jpg
住所:兵庫県たつの市御津町室津74
駐車場あり(無料)
境内自由

京都の賀茂神社と同じ際神・賀茂別雷神を祀り、港町室津のシンボルでも
あります。五つの社殿とそれを取り囲む回廊と唐門は国指定重要文化財
です。例祭・小五月祭りに奉納される「棹の歌」は県指定無形文化財です。

江戸時代に室津は栄え、沢山の参拝があったでしょう。
1826年にはシーボルトが訪れ、賀茂神社に参拝したことがその紀行文
に記されています。

賀茂神社 室津2.jpg
また、山門には「平清盛」参拝という札もありました。
平安時代にもすでにそれなりの格式ある神社として存在していた
んでしょうね。

賀茂神社 室津3.jpg

賀茂神社 室津4.jpg

神社のすぐ裏側は海。景色も良いです。
賀茂神社 室津5.jpg

平成25年〜26年年末年始の旅
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室津の町並み     (兵庫県たつの市)

兵庫県たつの市、室津の町並みを散策してきました。

<室津の町並み>
室津の町並み.jpg
住所:兵庫県たつの市御津町

室津は神武天皇の東征に際し港を建設したという伝説の港町です。
江戸時代には海路参勤交代の大名が寄港する港町として栄え、旅籠なども
多くあった様です。明治以降参勤交代が無くなり、鉄道や道路の整備とともに
室津は宿場としての賑わいを失い、衰退していったとの事です。

今は小さな漁港という様な感じの室津。
そんななかに、かつての繁栄の町並みが少しだけ残っています。

室津の町並み2.jpg

室津の町並み3.jpg

室津の町並み4.jpg

室津の町並み5.jpg

平成26年元旦に訪問しました。室津では正月を祝うため、船に大漁旗を
掲げるそうです。この大漁旗の写真を撮るために来ている観光客の方もいました。

室津 大漁旗.jpg

室津 大漁旗2.jpg

平成25年〜26年年末年始の旅
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日本の古い町並み
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2013年03月10日

由良要塞跡   (兵庫県洲本市)

兵庫県洲本市にある由良要塞跡に行ってきました。

<由良要塞跡>
由良要塞跡2.jpg
住所:兵庫県洲本市由良生石
駐車場あり(無料)

開国を迫る外国船が頻繁に来港するようになった幕末の頃、幕府の命により、海防の備えとして
各地に砲台場が造られました。
ここ由良の町もその一つであり、巨大な高崎砲台を中心とする砲台場群が築かれ、紀淡海峡に
睨みをきかせていたと言われています。
明治時代になって、由良は海防上、東京湾要塞に次ぐ要所と位置づけられ、紀淡海峡、鳴門海峡
の防衛拠点として由良要塞司令部が置かれることになりました。
各所に見られる煉瓦積みの構築物や展示されている砲身はその由良要塞の遺構で、当時生石山砲台
と呼ばれた砲台跡です。

<由良要塞全貌>
由良要塞跡5.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
由良要塞跡に行ってきました。幕末から大正時代まで重要な防衛拠点
となった要塞です。第二次大戦まで存在した様ですが、第二次大戦では
航空戦が主となったため、ほぼ意味が無いものになった様です。

淡路島と紀伊半島の狭い海峡を守備するのにちょうど良い立地。
煉瓦の構築物などに昔を偲ぶ事が出来ます。
現地までの道は狭いところもありますので、行く場合は注意して
ください。

由良要塞跡3.jpg

由良要塞跡4.jpg

戦争遺跡・軍事遺跡
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2013年02月17日

雪見御所跡  (神戸市兵庫区)

兵庫県神戸市にある雪見御所跡に行ってきました。

<雪見御所跡>
雪見御所跡.jpg
住所:兵庫県神戸市兵庫区雪御所町2−1
駐車場なし

『平家物語』などには平清盛が福原の地にいくつかの邸宅を持っていた事を伝える。
そのひとつが「雪見御所」で、その名を伝える雪御所町に存在した可能性が高い。
1986年、湊山小学校校舎建設に先立ち行われた発掘調査で確認された石垣のひとつ
は雪見御所の南を画する石垣、またはそれを踏襲する字境の石垣である可能性が考え
られる。雪見御所の北に安徳天皇が福原遷都の半年を過ごした本皇居があった。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
神戸の平野にある雪見御所跡です。
現在は湊山小学校の敷地内に石碑があります。敷地内とは言っても道路から普通に
見ることが出来ます。
雪見御所の正確な場所は分かっていない様ですが、過去の発掘調査から湊山
小学校の地付近が雪見御所跡であると思われる様です。

大河ドラマの舞台
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平成24年〜25年・年末年始の旅
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2013年01月19日

大石神社    (兵庫県赤穂市)

兵庫県赤穂市にある大石神社に行ってきました。

<大石神社>
大石神社1.jpg
住所:兵庫県赤穂市上仮屋旧城内
駐車場あり(無料)
宝物館・大石邸庭園入場料:420円(共通券)

大石神社は明治元年、明治天皇の東京行幸に際し、泉岳寺の義士墓前に宣旨並びに
全幣を賜ったのを契機に神社奉斎の議がおこり明治33年神社創立が公許され、
大正元年11月3日義士を崇敬追慕する方々の奉賛により御鎮座となった。
境内地は大石内蔵助、同じく家老の藤井又左衛門そして義士片岡源五右衛門、
大石瀬左衛門の邸跡一帯である。

大石神社2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
久しぶりに赤穂を訪問、赤穂城と大石神社に行ってきました。
ここは忠臣蔵で有名な赤穂浪士、赤穂四十七士を祀った神社です。

境内には討ち入りに関する資料などを展示した義士宝物殿や、大石邸庭園など
有料ですが見応えのあるものが揃っています。

<義士宝物殿>
大石神社 義士宝物殿.jpg

前回来たときは有料の部分は見てなかったんですが、ここはお金を払って
見た方が良いなと思いました。

<大石内蔵助像>
大石神社 大石内蔵助像.jpg

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銅像めぐり
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平清盛像   (神戸市兵庫区)

神戸市兵庫区にある平清盛像です。

<平清盛像>
平清盛像1 神戸.jpg
住所:兵庫県神戸市兵庫区下祇園町23

神戸市の平野商店街に平成24年に出来たばかりの平清盛像です。
平野は平清盛の福原遷都で、清盛の屋敷があった場所とも言われています。
そんな場所に、大河ドラマ放映に合わせて銅像が造られた様です。
この清盛の像、なんか松山ケンイチにそっくりですね・・。
まあ、よしとしましょう。

平清盛像大 神戸.jpg
クリックすると拡大します。

大河ドラマの舞台
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2013年01月12日

兵庫厳島神社   (兵庫県神戸市)

神戸にある兵庫厳島神社に行ってきました。

<兵庫厳島神社>
厳島神社 神戸1.jpg
住所:兵庫県神戸市兵庫区永沢町4-4-21
駐車場無し
境内自由

兵庫厳島神社は1180年、平清盛によって建立されました。
清盛公はかつて安芸守に任ぜられた時より、厳島明神を深く信仰していました
ので、都を京都から福原に移した際に、厳島明神を安芸国より勧請したのです。
兵庫厳島神社縁起によると、清盛公が兵庫の港に築島を築こうとされた時、
ある夜に天女が現れ「私は安芸国厳島明神である。この海を暴風雨から守り、
汝の志を能く成就せしめんが為に来たのである。篤く信仰して必ず疑うこと
なかれ」とお告げになりました。
清盛公は深く喜び、兵庫の港の守り神として明神を祀ることにしました。

厳島神社 神戸2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
新開地の駅から数分の所にある兵庫厳島神社に行ってきました。
平清盛が篤く信仰した安芸の厳島神社。
福原に都を移した際、この地にも厳島神社を勧請しています。

兵庫厳島神社は大きな神社ではありませんが、歴史由緒ある神社です。
清盛関連という事で訪問しました。

大河ドラマの舞台
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2013年01月04日

洲本城    (兵庫県洲本市)

兵庫県洲本市にある洲本城に行ってきました。

<洲本城>
洲本城.jpg
住所:兵庫県洲本市小路谷
駐車場あり(無料)

1526年三好氏の家臣安宅治興が築城。
1581年の淡路討伐の際、総大将羽柴秀吉に降伏し、城は仙石秀久に与えられた。
しかし、秀久は九州征伐の際に軍律違反を犯して高野山へ追放され、かわって脇坂安治
が城主となり、天守が造営されるとともに、石垣の大改修の際、倭城での経験から
「登り石垣」が築かれた。現在は壮大な石垣と、模擬天主がある公園となっている。
模擬天主は昭和3年の建築。模擬天主としては日本最古のものだそうです。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
洲本城に行ってきました。前に行ったのは何年前だったかな〜と思い、写真を調べたら
10年前でした。しかもその時は雨で、写真もいまいち。
今回は天気も良く、大きな洲本城に改めて感動しました。
石垣の規模はかなり大きく、圧巻。
模擬天主はあいにく損傷がある様で入ることが出来ませんでした。

<洲本城石垣>
洲本城1.jpg

洲本城2.jpg

洲本城3.jpg

洲本城で今回良かったのが、城からの眺望です。
前回来たときは雨で、あまり眺望が確認出来なかったんですが、今回は
目の前に広がる洲本の町と海の綺麗さに感動しました。

<洲本城からの眺望>
洲本城4.jpg
城に興味ない人も、この眺望を見るために行ってみても良いかと思います。

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日本の城を巡る
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七宮神社    (兵庫県神戸市)

神戸氏兵庫区にある七宮神社に行ってきました。

<七宮神社>
七宮神社2.jpg
住所:兵庫県神戸市兵庫区七宮町2丁目3-21
境内自由

「白藤家記録」に七宮神社は「延喜式」の八部郡汶売神社とある。 主祭神大己貴命は、大国主命、大物主神、葦原醜男、八千矛神、大国玉神、顧国王神の七つの御名を称えて七宮神社という。
創建の年代は定かではありませんが、一説にはもとは会下山の南麓の集落で、北風家が祀っていたと伝えられています。平清盛が経ヶ島築造の工事を進めるにあたり暴風雨でなかなか進まないのを不審に思い、調べたところ、築造に必要な土砂を取っていた塩鎚山に住む神が怒って暴風雨を起こす事が分かり、そこにあった神社を現在の七宮町に移築し祀ったところ無事築造できたと言われています。

七宮神社.jpg

平清盛の史跡として訪問してきました。大輪田の泊関連の神社。
やはりこの時代、工事に何か問題が起こるとこういうネタが出るんですね。

大河ドラマの舞台
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2013年01月03日

鳴門の渦潮見学@クルーズ船咸臨丸  (兵庫県南あわじ市)

南あわじ市福良港から出港の咸臨丸で鳴門の渦潮を見に行ってきました。

<咸臨丸>
咸臨丸 福良.jpg
住所:兵庫県南あわじ市福良港
料金:2000円(JAF割引で100円引)

鳴門の渦潮を見に行ってきました。
以前、徳島側から渦の道で渦潮を見に行きましたが、その時は
潮の状況が悪く良く見れませんでした。
鳴門の渦潮は、瀬戸内海と太平洋の間を流れる潮流と鳴門海峡の
複雑な海底地形がおりなすもので、その潮流の早さは世界三大潮流
のひとつに数えられるものです。

渦潮を見るには潮のタイミングが重要です。
クルーズ船のHPにはその辺の状況が出ていますので、事前に確認して
から行きましょう。
http://www.uzu-shio.com/

<出航後>
うずしおクルーズ カモメ.jpg
カモメが船についてきます。
船内にカモメの餌が売られていて、餌付けが出来ます。

大鳴門橋 舟から.jpg
まもなく大鳴門橋。渦潮は大鳴門橋の下で見ることが出来ます。

<肝心なところは動画でどうぞ>


平成24年〜25年・年末年始の旅
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2013年01月02日

築島寺   (兵庫県神戸市)

神戸市にある築島寺に行ってきました。

<築島寺>
築島寺.jpg
住所:神戸市兵庫区島上町2-1-3
駐車場なし

二条天皇の御代、平清盛はこの地に良港を築くため海岸線を埋め立てる工事に
着手した。しかし潮流が早く難工事で完成目前に押し流されることが二度に
及んだ。時の陰陽師は龍神の怒りのせいだという事で人柱30人をと言上した。
この時、清盛の侍童松王が人柱は罪が深い。一人身代わりに沈めてくださいと
申し出た。1161年、松王は沈み経ヶ島が完成した。
二条天皇は大いに感動され、松王の菩提を弔うため、築島寺を建立し念仏の
道場とされた。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
平清盛ゆかりの築島寺に行ってきました。
現在は来迎寺という名前の様ですが、寺の前には両方の名前が書いて
ありました。
平清盛がこの地に港を築くにあたり、人柱になった松王丸を祀ったお寺
です。
お寺の建物自体は新しい建物で歴史的な雰囲気はありませんが、境内に
古い供養塔があり、そこに歴史をかいま見ることが出来ます。

築島寺2.jpg

<松王丸供養塔>
松王の碑.jpg

また、境内には平清盛が愛した白拍子、祇王・祇女の供養塔の様なものが
ありました。

<祇王・祇女の塔>
築島寺 祇王・祇女の塔.jpg

大河ドラマの舞台
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2012年09月22日

出石家老屋敷  (兵庫県豊岡市)

兵庫県豊岡市(旧出石町)にある出石家老屋敷に行ってきました。

<出石家老屋敷>
出石藩家老屋敷.jpg
住所:兵庫県豊岡市出石町内町98-1
駐車場:市営駐車場利用(400円)
見学:100円

<現地解説>
この屋敷は出石藩家老仙石左京の居館跡で長屋門の奥に木造で一見
平屋建てに見える細長い建物がその居宅ですが、隠し2階があり、
不意の襲撃にも備えてあります。
左京は藩主仙石氏の支族で1500石の知行を受け、大老も勤めた
人物で博学多才でした。幕末期の窮乏した藩財政再建に新政策を
打ち出し努力しましたが、守旧派に反発を受け遂に幕府が裁断により
天保6年、江戸鈴ヶ森の露と消えました。
世に仙石騒動と呼ばれ、左京はお家乗っ取りの極悪人に仕立てられ、
日本三大騒動として芝居や講談で世情を賑わせました。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
出石家老屋敷に行ってきました。
確かに一見平屋に見える木造建築物。1階には資料の展示があります。

出石藩家老屋敷2.jpg
永楽通宝の旗印は仙石氏が織田信長より下賜されたものと言われています。

出石藩家老屋敷3.jpg

こちらは隠し2階からの風景
出石藩家老屋敷4.jpg
まるで江戸時代の風景。良いですね〜。

平成24年夏旅
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出石城  (兵庫県豊岡市)

兵庫県豊岡市にある出石城に行ってきました。

<出石城>
出石城 石碑.jpg
住所:兵庫県豊岡市出石町内町
駐車場:城の前にある市営駐車場利用(400円)

出石はもともと守護大名山名氏の領地であり、此隅山城、有子山城
などの城があったが秀吉の侵攻により落城。
江戸時代に入り、1604年小出吉英によって出石城が築城され、
城下町が整備されました。

出石城.jpg

途中、仙石氏が出石に転封となり、幕末まで仙石氏の居城となります。
明治に入り廃城令により廃城。
現在は隅櫓などが再建され、登城橋河川公園として公開されています。

出石城2.jpg

よく再建天守などには博物館とかあったりしますが、ここは中に入る
事は出来ない様です。
城からは出石の町並みを眺めることが出来ます。

出石城からの景色.jpg

本丸跡には感応殿という神社があります。
出石城 感応殿.jpg
これは仙石氏の祖、仙石秀久を祀ったものだそうです。

平成24年夏旅
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日本の城を巡る
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出石資料館  (兵庫県豊岡市)

兵庫県豊岡市(旧出石町)にある出石資料館に行ってきました。

<出石資料館>
出石資料館1.jpg
住所:兵庫県豊岡市出石町宵田78
入場:9時半〜5時
駐車場なし

出石の豪商福富家の本邸として明治9年に建てられた建物。
当時流行の数奇屋風の建築。豊岡市指定文化財。
現在は豊岡市が所有する建物で、建物を一般公開するとともに、
蔵の中には出石藩の古資料、武具などを展示しています。
建物はとにかく大きく贅沢な建築。当時の豪商の生活をしのぶ
ことができます。
出石は桂小五郎潜伏の地ということで、床の間に桂小五郎の写真
が飾ってありました。

<出石資料館>
出石資料館2.jpg

出石資料館3.jpg

出石資料館4.jpg

出石資料館5.jpg

平成24年夏旅
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2012年09月19日

宗鏡寺/沢庵寺   (兵庫県豊岡市)

兵庫県豊岡市(旧出石町)にある宗鏡寺(沢庵寺)に行ってきました。

<宗鏡寺>
沢庵寺1.jpg
住所:兵庫県豊岡市出石町東條33
拝観:300円
駐車場あり(無料)

<寺の解説>
宗鏡寺は臨済宗大徳寺派に属し、出石町の東北、入佐山の麓にあります。
開山は東福寺の大道一以禅師。
開基は山名氏清公で、1392年頃に創立されています。
山名氏は代々禅法に帰依し、宗鏡寺は数ヶ寺の塔頭寺院を有して、山陰一の
伽藍を誇っていましたが、織田信長の第二回但馬征伐で羽柴秀吉により山名家
が亡び、寺もまた荒廃しました。
1616年、出石城主、小出吉英公により中興されました。
中興開山は沢庵和尚です。小出家断絶の後、出石城主となった仙石氏により
再中興され、明治維新まで「願成」「正眼」「極楽」「勝福」の諸塔頭を
有して寺運も隆盛でした。
沢庵和尚の遺品及び山名家系譜、小出氏、仙石氏ゆかりの宝物等も保存されて
います。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
出石にある宗鏡寺に行ってきました。
沢庵和尚ゆかりの寺という事で、通称沢庵寺と呼ばれているそうです。
境内には城主であった小出氏、仙石氏、また中興の祖である沢庵和尚の
墓などもあり、かつてこの寺が出石の中心的寺院であったことが分かります。

<本堂>
沢庵寺1 本堂.jpg

本堂裏には沢庵和尚の庭園があります。
裏山から流れる湧き水を使った庭園です。

沢庵寺2 庭園.jpg

沢庵寺2 庭園2.jpg

<仙石氏の墓>
沢庵寺3 出石藩主仙石氏の墓.jpg

<沢庵和尚の墓>
沢庵寺4 沢庵和尚の墓.jpg

境内はもみじも多く、秋の紅葉のシーズンはさぞ綺麗だろうなと
想像できました。

沢庵寺5.jpg

著名人の墓
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平成24年夏旅
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2012年08月26日

玄武洞公園   (兵庫県豊岡市)

兵庫県豊岡市にある玄武洞公園に行ってきました。

<玄武洞公園>
玄武洞 看板.jpg
住所:兵庫県豊岡市赤石1339
駐車場あり(無料)
見学自由
玄武洞周辺の岩石は灘石と呼ばれ、江戸時代から採石場として
開発されてきました。
中央にあって一番大きな玄武洞、節理が美しい青龍洞、小さいけど間近
に節理が見られる白虎洞、羽を広げた様な北・南朱雀洞、それぞれ特徴が
ある五つの洞があります。
特に玄武洞と青龍洞は節理の美しさや学術的な重要さから、1931年
に国の天然記念物に指定されました。
残り三洞と合わせて景勝地として知られています。
また、玄武洞一帯は山陰海岸国立公園に含まれ、2007年には日本の
地質百選にも選ばれています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
玄武洞公園に行ってきました。
城崎温泉から数キロのところにあるんですが、まだ行ったことがあり
ませんでした。
玄武洞って言うので、てっきり鍾乳洞かと思っていましたが、鍾乳洞
ではなく節理と言われるもので、マグマの冷却などによって出来た
地質の事で、それが5つ集まった公園が玄武洞公園です。
公園の入場料は無料。気軽に行くことが出来ます。

ちょっとした山道を登っていきます。
なぜか山にはカニが・・・。
玄武洞 何故かカニ.jpg

カニがいっぱいいるんですよ。かなりの数見ました。
山にこれだけカニがいるのにはびっくり。決して海の近くでは
ないんですが。不思議です。

玄武洞をはじめ、各洞窟は自然の神秘を感じる造形でした。
六角形に形作られた岩は本当にびっくりです。

<玄武洞>
玄武洞.jpg

玄武洞2.jpg

続きもごらんください。

平成24年夏旅
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2012年08月15日

辰鼓楼  (兵庫県豊岡市)

出石の町のシンボル、辰鼓楼です。

<辰鼓楼>
辰鼓楼3.jpg
住所:兵庫県豊岡市出石町内町
駐車場あり(市営・有料)

辰鼓楼は明治4年、旧三の丸大手門脇の櫓台に建設されました。
明治14年に池田忠恕氏が大時計を寄贈してからは、時計台として
親しまれ、今では三代目の時計が時を刻み続けています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
出石と言えば古い町並みにとけ込む辰鼓楼がシンボル。
出石の観光ガイド等には必ずと言って良いほど写真が出ます。
川越の時の鐘と、安芸の野良時計を組み合わせた様なデザイン。
昔ながらの雰囲気を感じる楼台に洋風時計がおつな感じですね。
町にとけ込む辰鼓楼はまさに出石のシンボルというにふさわしい
建造物かと思います。

<辰鼓楼>
辰鼓楼.jpg

辰鼓楼2.jpg

平成24年夏旅
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城下町出石   (兵庫県豊岡市)

兵庫県豊岡市(旧出石町)の出石の城下町を散策してきました。

<城下町出石>
城下町出石.jpg
住所:兵庫県豊岡市出石町東條、他
駐車場あり(市営・有料)

出石は『古事記』『日本書紀』にも登場する古い町です。
室町時代には山名氏が但馬を征圧、山名時義が此隅山に
本城を構えたことにより出石は但馬の中心として繁栄しました。
戦国時代に入り織田軍に攻められた此隅山城は落城、有子山に
城を移しましたが、こちらも落城しました。
その後、小出氏が領主となり、麓に平山城を築城、周囲に城下町
が形成されました。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
城下町出石に行ってきました。久しぶりの訪問です。
出石に行くのは今回で3回目。但馬の小京都を堪能してきました。
過去2回はかなり前の訪問で、写真をあまり撮って
ませんでしたが、今回は撮りまくりました。
やはり出石は町並みが良い。重要伝統的建造物群保存地区に指定
されており、江戸の城下町の面影を感じる事が出来ます。

また幕末には禁門の変後に追われる身となった桂小五郎の潜伏地
もあり、そこには碑文が建っています。

町は観光客で賑わっていました。観光客増えたなってのが第一印象で
した。

<城下町出石>
城下町出石2.jpg

城下町出石3.jpg

城下町出石4.jpg

城下町出石5.jpg

城下町出石 桂小五郎.jpg
桂小五郎潜伏地の碑

日本の古い町並み
http://rover.seesaa.net/article/21960937.html

平成24年夏旅
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2009年01月08日

鳴門岬    (兵庫県南あわじ市)

兵庫県南あわじ市の鳴門岬に行ってきました。

<鳴門岬>
鳴門岬
住所:兵庫県南あわじ市福良丙
駐車場あり(無料)

鳴門岬は淡路島と四国を隔てる約1.3キロの鳴門海峡に突き出た
岬です。岬の先には道の駅「うずしお」があり、海峡散策や食事な
どが出来ます。
ここは度々来ているんですが、まだ記事を書いてなかったので、今回
書いてみます。

鳴門海峡は、太平洋と瀬戸内海の潮の干満によって潮流の向きが約
6時間後とに変化し、その落差は2メートルに達します。
そして、潮流がこの狭い海峡を通過するときに激しい流れと、緩やか
な流れとの境目に渦が生じます。これが鳴門のうずしおです。
ここからは、渦潮を眺めることも出来ます。

この日はものすごい風も強く、建物の中に居ても建物が飛ばされるん
じゃないかってほどで、恐いくらいでした。
外に出て、散歩しましたが、強烈な風に押されました。

天気は非常に良くて、大鳴門橋から先の四国方面までくっきり。
潮流はものすごい早さ。まるで川の様です。
あいにく「うずしお」は見ることが出来ず。
何度か来てますが、何気に見たことがありません。
渦潮は見ることが出来る時間が決まっているそうです。うまく
あわせて来ないとだめなんでしょうね。

行ったとき、ちょうど鳴門海峡を船が通過中でしたが、川を遡る様
な感じで、かなり厳しそうな感じがしました。

鳴門岬

鳴門岬

鳴門岬

平成20年冬旅
http://rover.seesaa.net/article/112075386.html

岬・灯台巡り
http://rover.seesaa.net/article/107423997.html

道の駅うずしお

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2007年03月13日

神戸市役所からの夜景  (兵庫県神戸市 夜景の名所)

神戸市役所展望ロビーで夜景を見てきました。

<神戸市役所展望ロビー>
神戸市役所からの夜景
所在地 神戸市中央区加納町6丁目5番1号
交通機関 JR、阪急、阪神、市営地下鉄山手線「三宮」駅下車
徒歩約10分
市営地下鉄海岸線「三宮・花時計」駅下車徒歩約3分
営業時間 10:00〜21:00(平日は8:15〜)
料 金 無料

先日、神戸に行ったんですが、その時神戸市役所の展望ロビー
で夜景を見てきました。
神戸と言えば、夜景が綺麗なことで有名ですが、夜景を見る
スポットはいろいろあり、それぞれに良さがある様です。
今回は神戸市の中心部、三宮にある神戸市役所からです。
神戸市役所の24階が展望ロビーになっており、無料で入場
出来ます。

東側は、高いビルがあり視界が遮られてしまっているのが残念
ですが、それ以外の方向は非常に綺麗な夜景を見る事が出来ます。
山の方からしか夜景を見たことが無かったんですが、今回は
逆から山の方を見て、山には舟形や神戸市の市章などがライト
あっぷされている事に気がつきました。
神戸は本当に夜景を意識した街なんだなって思ってしまいました。

上の写真は、北側(三宮駅方面)の夜景になります。
その他の方角は続きをご覧ください!

夜景の名所巡り
http://rover.seesaa.net/article/23565397.html

神戸市役所展望ロビーからの夜景

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2007年03月04日

岡本公園の梅   (神戸市東灘区 梅 観光名所)

神戸市東灘区の岡本公園で梅を見てきました。

<岡本公園>
岡本公園の梅
住所:兵庫県神戸市東灘区岡本6丁目
阪急岡本駅徒歩7〜8分というところでしょうか
駐車場なし
入園無料

<岡本の梅について・現地解説>
昔から「梅は岡本、桜は吉野、みかん紀の国、栗丹波」と唄われた
岡本梅林の起源は明確でないが、山本梅岳の「岡本梅林記」に羽柴秀吉の来訪が記されているところより、かなり古くから存在して
いたようである。
1798年には「摂津名所図会」に岡本梅林の図が登場するほど
盛んとなった。

岡本梅林は昭和13年の災害で山が崩れ、戦災で梅の木も消滅
し、その後の開発で宅地化され、ほとんどその面影を残さない
状態になっていたが、岡本公園としてその一部を復活整備した
ものである。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
神戸市東灘区の岡本公園に行ってきました。
「岡本の梅」として秀吉も訪れた有名な梅林。
是非行ってみたいなと思っていました。
阪急岡本駅で降りて、坂道を登ること7〜8分で岡本公園に
到着しました。
午前中はすごく晴れていたんですが、昼になったあたりから急に
雲行きがあやしくなってきました。
岡本公園の梅は満開だったんですが、空が曇りだったことが
残念でした。
神戸の清閑な住宅街岡本の丘にある梅林。入園無料という事も
あり、多くの人が訪れていました。
丘の上にあるので、景色も良好です。本当、天気が良ければな
〜と、悔しかったです。

ちなみに駐車場は無いですし、近隣の道路も狭いので、ここは
電車で行きましょう!

梅の名所巡り
http://rover.seesaa.net/article/13842621.html

岡本梅林公園

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妙見社    (兵庫県明石市 梅 観光名所)

兵庫県明石市の妙見社に行ってきました。

<妙見社>
妙見社
住所:兵庫県明石市上ノ丸1−17
境内自由

<由緒・現地看板より>
當山の妙見尊は、その昔、武将「島左近」が常時崇拝された
尊像で、後年、明石藩に仕え、本松寺の檀徒となった島家の
末裔により當山に奉納された霊験誠にあらたかな尊像です。
當山では、本松寺の守護神として、ご本尊(本堂)の乾(西北)に安置し、毎朝、天下泰平・国土安穏と檀信徒並びに参拝者の
所願成就を祈願しております。

島左近について(Wikipedia)

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
明石の妙見社に行ってきました。
ここは、石田三成に仕えた名将島左近が崇拝した妙見尊を祀った
社という事です。
まさか、明石に島左近ゆかりの社があろうとは、驚きでした。
そんな由緒あるものなら、詣でねばならぬという事で、戦勝
祈願をしてきました(^^)

この妙見社には梅の木が植えられていて、白梅がちょうど花を
つけていました。紅梅はまだつぼみでした。
あと、このお寺はツツジも綺麗なお寺の様です。

梅の名所巡り
http://rover.seesaa.net/article/13842621.html

妙見社

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月照寺    (兵庫県明石市 梅 観光名所)

兵庫県明石市の月照寺に行ってきました。

<月照寺>
月照寺
住所:兵庫県明石市人丸町1−29
山陽電車人丸前から徒歩5分
境内自由

<由緒>
811年に弘法大師によって現在の明石城本丸の池に湖南山楊柳
寺として建立される。
1618年、明石城築城に際し、この地に移された。
1744年に「人丸山」の山号に改めた。

境内にある「八房の梅」は1702年、赤穂浪士大石良雄、間瀬
久太夫の両人が月照寺に参拝して、素願の成就を祈り大石氏は
墨絵鐘馗の図を描き奉納。
間瀬氏は持参の梅の鉢植え八ツ房を移植して祈願の印となした。
この梅は紅梅で一つの花から七、八個の実を結ぶので、八ツ房の
梅と称せられ多くの人々に親しまれている。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
明石市の月照寺に行ってきました。
ここも山陽電車のポスターで紹介されていたお寺です。
うえの由緒にもありますが、「八ツ房の梅」は、赤穂浪士が
祈願したときに植えた梅でという事で、歴史的由緒を感じる
事が出来ます。
境内は枯山水庭園になっており、「八ツ房の梅」とともに、
優美な雰囲気です。
柿本神社の隣になるので、一緒に観光すると良いかと思います。

梅の名所巡り
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月照寺

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2007年03月03日

柿本神社   (兵庫県明石市 梅 観光名所)

兵庫県明石市の柿本神社に行ってきました。

<柿本神社>
柿本神社
住所:兵庫県明石市人丸町1-26
電話:078-911-3930
山陽電車人丸前駅徒歩5分
駐車場あり
境内自由

<由緒・現地看板より>
祭神は柿本人麻呂。
柿本人麻呂は、奈良時代に宮廷にお仕えになられた歌人で、明石に
て詠まれた歌も数多くあります。
1620年、当寺明石城主であった小笠原忠政公が人麿公を歌聖
として大変崇敬され、縁深いこの地にお祀りいたしました。
主なご神徳は、学問・安産・火災除
更には非常に愛妻家として知られる公を夫婦和合の神としても
お祀りいたしております。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
明石市にある柿本神社に行ってきました。
目当ては、この神社にあるという「八房の梅」です。
この日、阪急塚口駅のポスターで、偶然この梅の事を知りました。
善は急げという事で、早速行ってみました。

山陽電車に乗り、明石駅のひとつ手前の人丸前で下車。
歩いて5分ほどで柿本神社に到着です。
名前の通り、祭神は柿本人麻呂。
何でこの地に柿本人麻呂を祀った神社があるのかな〜というのは
不思議に思いましたが、由緒を見て「なるほど」という感じです。

さて、目当ての「八房の梅」は境内にありました。
舟形の枠に沿って、見事な花を咲かせていました。
まさに満開、見事の一言です。

この神社からは、明石海峡大橋も眺める事が出来、非常に
景色も良かったです。

柿本神社から明石海峡大橋

梅の名所巡り
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柿本神社で梅を見る

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2006年10月15日

興禅寺   (兵庫県丹波市 春日局 観光名所) 

兵庫県丹波市(旧春日町)にある興禅寺に行ってきました。

<興禅寺>
興禅寺 春日局
住所:兵庫県丹波市春日町黒井
駐車場あり(無料)
拝観自由

<由緒・現地看板より>
興禅寺は、山号を大梅山といい曹洞宗の別格地で、本尊には仏師春日の作
釈迦如来を祀り七堂伽藍がよくととのった名刹です。
戦国時代、この寺域一帯は後背の山城黒井城の下館でしたが、天正7年8月
明智光秀の丹波攻めで落城。その戦後処理と西丹波一円の統治のため、ここ
に入ったのが明智光秀の家臣斉藤利三です。
今でも斉藤屋敷の伝承が残り、水濠と高石垣・白のねり堀のたたずまいは
往時の景観をよく残していて、国の史跡の一部となっています。
この年のくれ、母お安との間に生まれたのがお福(後の春日局)で、寺内
にはお福の産湯の井戸や腰掛け石なそが残り、幼い日の春日局を偲ぶこと
が出来ます。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
兵庫県丹波市(旧春日町)の興禅寺に行ってきました。
興禅寺も7年ぶりの訪問になります。
ここ興禅寺は春日局の出生の地として知られており、寺の門前には
「春日局出生の地」の石碑が建ちます。
春日局は明智光秀の家臣斉藤利三の娘で、後に徳川3代将軍徳川家光の
乳母となり、その後大奥で権勢をふるった人物です。

興禅寺はお寺なんですけど、水堀があったり、石垣で囲まれた雰囲気など
城を思わせるたたずまいです。
やはり戦国武将の館跡というこの寺ならではのものなのでしょう。
お寺の前に休憩所がありました。ここには1989年放映の大河ドラマ
「春日局」の写真がかざられていました。
そういやこの大河ドラマは見てたな〜って懐かしく思ってしまいました。

平成18年夏旅
http://rover.seesaa.net/article/22395156.html

興禅寺(春日局出生の地)

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柏原の町並み散歩  (兵庫県丹波市)

兵庫県丹波市(旧柏原町)の町並み写真です。

<柏原町>
柏原の町並み
柏原は織田家の城下町。
初代藩主織田信包(おだのぶかね)は織田信長の弟にあたります。
織田信包の流れは3代で嫡子がなく断絶。
柏原は天領になりますが、その後織田家の別家織田信休が藩主となり
明治まで織田家の支配が続きます。

城下町の雰囲気を残す物は陣屋くらいですが、町全体に昔懐かしい様な
雰囲気を感じます。

平成18年夏旅
http://rover.seesaa.net/article/22395156.html

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柏原八幡神社  (兵庫県丹波市 観光名所)

兵庫県丹波市(旧柏原町)の柏原八幡神社に行ってきました。

<柏原八幡神社>
柏原八幡神社
住所:兵庫県丹波市柏原町柏原八幡山400-1
駐車場あり(無料)
境内自由

<由緒・現地看板より>
1024年男山八幡の別宮として創建。その後明智光秀の丹波攻めで戦火に
あったが、1582年豊臣秀吉が武将堀尾茂助んい命じて再建させた。
構造形式は本殿拝殿がつづいた複合社殿で三間社流造、桃山期の手法で、
各部の彫刻は室町時代の様式である。
大正2年、国の特別保護建造物、昭和2年国宝(旧国宝)、昭和25年
国指定重要文化財に指定されている。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
7年ぶりに柏原八幡神社に行ってきました。
7年前の記憶もあったんですが、行ってみて記憶の曖昧さを思い知り
ました。三重塔があったのは覚えていたんですが、その雰囲気とか全然
違ってました。
神社の本殿・拝殿があり、その背後の高い場所に三重塔があり、正面から見る
と本殿の背後にそびえる三重塔がアングル的に非常に良く見えます。
神社に三重塔があるのは全国でも珍しく、18例しかないそうです。
駐車場から坂を登っていかなくてはならないので若干疲れますが、是非
柏原に行ったら立ち寄りたい場所です。

平成18年夏旅
http://rover.seesaa.net/article/22395156.html

柏原八幡神社

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柏原藩陣屋跡  (兵庫県丹波市 史跡 観光名所)

兵庫県丹波市(旧柏原町)の柏原藩陣屋跡に行ってきました。

<柏原藩陣屋跡>
柏原藩長屋門
住所:兵庫県丹波市柏原町柏原
駐車場なし
見学自由

<柏原藩陣屋跡・国指定史跡>
柏原藩陣屋跡は、1714年に初代藩主織田信休によって造営された柏原藩
織田氏の居宅跡です。
造営当初の建物は1818年の火災で焼失し、1820年頃に再建されたもの
が現存する御殿になります。
現在は表御殿の部分と長屋門が残るだけであるが、門から御殿玄関へと続く
構えは全国的に類例が少なく、近世大名の居館を考えるうえでも貴重な遺構
として国の史跡に指定されています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
氷上高等小学校のとなりにある柏原藩陣屋跡に行ってきました。
7年前に柏原に来たときには時間が無くて寄れなかった場所なので、今回
楽しみにしていました。
道路からは兵庫県指定文化財の長屋門が見え、歴史的な風格を感じる事が
出来ます。
さて、その長屋門をくぐり陣屋の御殿へ向かいました。
そこで見た物は・・・・、なんと修復工事中

もう何とタイミングが悪いのか・・。足場で覆われていて全然見えません。
もうがっくりでした。

また再訪しようと思います。

平成18年夏旅
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史跡・柏原藩陣屋跡

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旧氷上郡各町村組合立高等小学校 (兵庫県丹波市 観光名所)

兵庫県丹波市(旧柏原町)にある旧氷上郡各町村組合立高等小学校です。

<旧氷上郡各町村組合立高等小学校>
旧氷上郡各町村組合立
高等小学校

丹波市 観光名所
住所:兵庫県丹波市柏原町柏原 213
駐車場なし

<現地看板解説>
明治18年(1885年)旧氷上郡各町村組合立高等小学校として建てられ
た。その後氷上第一高等小学校、郡立柏原病院となり、明治41年(190
8)から昭和23年(1948年)まで柏原高等女子校校舎として使用され
、青垣出身の俳人細見綾子をはじめとする多くの才媛を育てた。
木造2階建、寄せ棟造りの本棟は、屋根は瓦葺きながら、外壁の下見板には
白色系のオイルペンキが塗られ、バルコニーを支える太い6本の円柱や
玄関扉上のステンドグラスを配した半円形の飾り窓などに明治中期の洋風
建築の円熟ぶりが感じられる。
市内に残る数少ない明治洋風建築で、学校制度の変遷を語るうえでも貴重な
建物である。(丹波市指定文化財)

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
兵庫県丹波市(旧柏原)を散策しました。
最初に行ったのが旧氷上郡各町村組合立高等小学校。
何か長い名前ですね(笑)
明治期の小学校で、洋風建築がふと目に付きました。
長野の中込学校や開智学校など明治期の学校建築は洋風のモダンなもの
が多いです。
ここ旧氷上郡各町村組合立高等小学校は中には入れない様ですが、外から
ぐるっとその洋風建築を堪能しました。

平成18年夏旅
http://rover.seesaa.net/article/22395156.html

旧氷上郡各町村組合立高等小学校
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2006年10月14日

清水寺   (兵庫県加東市 観光名所)

兵庫県加東市の清水寺に行ってきました。

清水寺
播州清水寺
住所:兵庫県加東市平木1194
駐車場あり(無料)
境内自由
車で行く場合、清水寺へ通じる道路が有料で300円かかります。

<由緒・現地看板より>
本尊・千手観音(大講堂)、十一面観音(根本中堂)

御開山法道仙人は、印度の僧で今より1800年前、人皇十二代景行天皇
の御時に中国、朝鮮を経て当山に止住され、鎮護国家豊作を祈願された。
627年、推古天皇の勅願により根本中堂建立、仙人一刀三礼の秘仏
十一面観音、脇士毘沙門天王、吉祥天女の聖像を安置された。
由来この地は水に乏しく、仙人、水神に祈って霊泉湧き出し感謝のあまり
清水寺と名付けられた。
725年聖武天皇は行基菩薩に勅願して大講堂を建立、永く講経の道場と
して法灯を輝かされた。
花山法王西国巡拝の時、この堂に詣で給いて、御詠あらせられてより、
西国25番札所と称するに至る。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
加東市の清水寺を参拝しました。
清水寺というと京都の清水寺が全国区ですが、他にも岩手や群馬の高崎
などにも清水寺はあります。
そしてここ加東市の清水寺。ここの清水寺は他と区別する為に、播州清水寺
と言ったりするそうです。

車で清水寺に行くには有料道路(300円)を通らなくてはなりません。
僕の前にいた車も入り口で悩んでいましたが、料金を払って入っていきました。僕も悩みましたが、まあここまで来て悩んでも仕方ないかという事で
300円払って清水寺へ。

広い駐車場からは、朱色の大きな仁王門を拝むことが出来ます。
仁王門をくぐってから歩くこと数分で、大講堂、根本中堂にたどり着きます。
あいにく、現在の大講堂・根本中堂は大正時代の再建もの。
でもまあ、大講堂は巨大建物で迫力がある建物で、一見の価値があるかと
思います。
あと印象的だったのが、彫刻家薮内佐斗司氏作の十二神将像。
平成13年にすべてが完成し、展示されています。
仏教彫刻というと、堅苦しいイメージがありますが、ここの十二神将はコミ
カルなイメージで何か好感が持てました。

播州清水寺も見所がいろいろあるお寺だなというイメージです。

平成18年夏旅
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播州清水寺

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2006年10月11日

朝光寺   (兵庫県加東市 国宝建造物 観光名所)

兵庫県加東市の朝光寺に立ち寄りました。

<朝光寺本堂・国宝>
朝光寺本堂 国宝
住所:兵庫県加東市畑609
駐車場あり(無料)
拝観自由

<由緒>
朝光寺は、法道仙人の創立と伝え、もとは裏の権現山にあったが、平安末期
1189年に現在地に移したという。
本堂は国宝建造物で、明確な記録がないが、室町初期の建造物ではないかと
思われている。

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加東市の朝光寺に行ってきました。
小野市の浄土寺が国宝建造物だという事に気づき、他に国宝が無いかどうか
改めて確認したところ、浄土寺からそんなに遠くない場所にもうひとつ
国宝建造物がある事が分かり立ち寄った感じです。

拝観無料で自由に見学できます。
本堂は大きな建物で、室町期の建造と伝えられる国宝建造物。
中にも自由に入れますので、中に入って参拝しましょう。

右脇には多宝塔や鐘楼(国指定重要文化財)などがあります。
観光客がいるわけでもなく、非常に閑かな雰囲気が良かったです。

平成18年夏旅
http://rover.seesaa.net/article/22395156.html

国宝建造物を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21220842.html

朝光寺(国宝建造物)

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2006年10月10日

浄土寺   (兵庫県小野市 国宝建造物 観光名所)

兵庫県小野市の浄土寺に行ってきました。

<浄土寺>
浄土寺 国宝
住所:兵庫県小野市浄谷町2094
拝観料:500円
駐車場あり(無料)

<由緒>
兵庫県小野市にある真言宗の寺院。山号を極楽山と称する。
本尊は薬師如来と阿弥陀如来、開山は俊乗坊重源で、1192年の創建。
多数の文化財を所有する古刹として知られ、大仏様(だいぶつよう)建築
の浄土堂と仏師快慶の大作「阿弥陀三尊像」などがある。

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平成18年夏旅は再び本州に上陸して、一路日本海へ向かうことに。
神戸から内陸に走っていると、小野市で浄土寺という看板を目撃して立ち寄り
ました。実は由緒など何も知らなかったんですが、立ち寄って良かったお寺
でした。
なんと、この浄土寺には国宝建造物があったのです。
国宝巡りをしている僕としては、あやうく前を素通りするところでした。
階段を上がると、左手に朱色の建造物浄土堂(国宝)があります。
1197年に完成した浄土堂は重源が東大寺再建に採用した新様天竺様
の手法を伝えるもので、わが国では類の少ない建造物だそうです。
浄土堂の本尊阿弥陀三尊立像も国宝です。

浄土堂の向かいには薬師堂(国指定重要文化財)があります。
薬師堂は再建ものですが、1517年の建築。和洋折衷の建造物。

浄土堂、薬師堂、開山堂など、伽藍は狭いですが国宝を含め歴史的
価値の高い建物が並びます。
芭蕉句碑があったり、いろいろ見所の多いお寺でした。

平成18年夏旅
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国宝建造物を巡る
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浄土寺(国宝建造物)

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posted by 南行 at 23:04| Comment(2) | TrackBack(0) | 兵庫県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

鳥の山展望所   (兵庫県淡路市 展望スポット)

兵庫県淡路市にある鳥の山展望所です。

<鳥の山展望所>
鳥の山
住所:兵庫県淡路市岩屋
駐車場あり

淡路島から本州に再上陸しようと、明石海峡大橋に乗ろうとした時に、
「鳥の山展望台」という標識を発見。景色良いのかな〜と思い、立ち寄る
事にしました。淡路ICの本当にすぐ近くです。

淡路島の北端で、かつて古歌にも詠まれた地「松帆の浦」を眺める事が
出来るかな〜と思っていったんですが・・・。
う〜ん、あまり景色良くなかった。
駐車場から歩くこと数分で鳥の山展望所に着きます。
せかっくの展望所なのに、一方が木で視界がふさがれ、すごく残念でした。
木を取り払えば良い眺望が開けると思うんですが・・・。

鳥の山

平成18年夏旅
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鳥の山展望所

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2006年08月30日

伊和神社   (兵庫県宍粟市 一之宮 観光名所)

兵庫県宍粟市、播磨の国一之宮である伊和神社に行ってきました。

<伊和神社>
伊和神社
住所:兵庫県 宍粟市一宮町須行名407
駐車場あり(無料)
境内自由

伊和神社6.jpg

伊和神社は創建は欽明天皇の御代西暦564年と伝えられ、平安時代初期の
806年には神戸18戸を与えられ、『延喜式』にも明神大として記されて
いる。現在の社殿は江戸時代の再建。檜皮葺の入母屋造り。

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全国の一之宮を巡っています。
ここ伊和神社は播磨国一之宮。初めての訪問になりました。
神社の前に道の駅があり、そこに車を停めて神社へ。
参道を進むと、「皇族下乗」の石碑があり、神社の境内へ。
「皇族下乗」ってどういう意味なんでしょう、少し気になりました。
たとえ皇族であっても、ここから先は馬を下りなさいよ!っていう意味
なんでしょうかね。
正直あまり「皇族下乗」っていう石碑は見慣れなかったもので。
伊和神社は一之宮としては規模小さいかなと思いました。
参拝をすませ、次の観光地へ向かいました。

平成18年夏旅
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一之宮を巡る
http://rover.seesaa.net/article/26834634.html



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posted by 南行 at 17:11| Comment(2) | TrackBack(0) | 兵庫県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

原不動の滝  (兵庫県宍粟市 日本の滝100選 観光名所)

兵庫県宍粟市、日本の滝100選に選ばれる原不動の滝を見に行きました。

<原不動の滝>
原不動の滝 日本の滝百選
住所:兵庫県宍粟市波賀町原
駐車場あり(無料)
入場料:200円

<滝解説・現地看板より>
滝は男滝と女滝からなり日本の滝百選に選定荒れている。
男滝は落差88メートルと県下最大の名瀑。
女滝は源流を異にして男滝によりそうように、同じ滝壺に落ちている。
周辺はブナやもみじの原生林に覆われ、全長88メートルの三段にな
った岩肌をすべり落ちる飛沫は過去から現在そして未来へと永久に絶える
ことなく、私たちの心を幽玄の世界へと導いてくれる。

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滝巡りをしているので、日本の滝100選はかかせない場所になります。
といいつつ、最近あまり百選を目指して行っていなかったので、久しぶり
に1つ制覇しました。
兵庫県宍粟市(旧波賀町)にあり、車で滝の入り口まで行きます。
お土産屋などがある巨大駐車場に車を停め、滝へ。
滝は環境保護などの名目で、滝の入り口で200円支払うことになりま
す。そこからちょっとした山道を約5分くらいですかね、歩くと吊り橋
があり、その上から滝を眺めることが出来ます。
直瀑でないため、全体像が見えづらく、うまい写真を撮ることが出来なか
ったのが少し残念でしたが、三段に分かれて落ちる男滝と、下の方で合流
する女滝の姿に癒されてきました。
暑いおりでしたので、滝を見てると非常に涼む事が出来ました。

平成18年夏旅
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原不動の滝(日本の滝百選)

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posted by 南行 at 16:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 兵庫県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする