2021年12月11日

上下代官所跡   (広島県府中市)

広島県府中市にある上下代官所跡に行ってきました。

<上下代官所跡>
上下代官所跡.jpg
住所:広島県府中市上下町上下
駐車場無し(少し離れた白壁観光駐車場利用)

<上下代官所について>
上下代官所跡2.jpg

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上下代官所跡です。
1700年、福山藩領だった上下は水野氏の断絶により天領となりました。
そこで設置されたのがこの代官所です。
明治維新までこの代官所は存在しました。
現在はまさに跡地。近年の発掘で当時の石垣などが発見されたそうです。
「跡」なのど、特にこれという物はありませんでした。

上下代官所跡3.jpg

上下代官所跡4.jpg

上下代官所跡5.jpg

令和3年春旅2 大遠征
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銀山街道・上下宿   (広島県府中市)

広島県府中市にある上下宿を散策してきました。

<銀山街道・上下宿>
銀山街道 城下宿.jpg
住所:広島県府中市上下町上下1017
駐車場あり(観光無料駐車場あり)

銀山街道は大森銀山から尾道・笠岡まで銀を運ぶために整備された街道です。
山陰と山陽を結ぶ主要街道として栄えました。
上下の名前の由来は中国山地の分水嶺という事からきたもの出そうです。

そんな上下宿を散策しました。
白壁観光駐車場という無料観光駐車場がありました。そこに車を停めていき
ます。
上下川を渡って、すぐ右に曲がると旧銀山街道。ここに昔ながらの町並みが
残っています。
正直、あまり期待して行ってなかった分、町並みの綺麗さに感動しました。
今回の旅では、勝山宿とここ上下宿がとても印象に残りました。
江戸からの町並み加え、明治時代の警察署の建物や大正時代の劇場など、様々
な建物が今の上下宿の町並みを構成しています。

<銀山街道・上下宿>
銀山街道 上下宿2.jpg

銀山街道 上下宿1.jpg

銀山街道 上下宿3.jpg

銀山街道 上下宿4.jpg
明治時代の警察署です。上には火の見櫓もあります。

銀山街道 上下宿5.jpg

銀山街道 上下宿6.jpg

銀山街道 上下宿7.jpg

銀山街道 上下宿8.jpg

銀山街道 上下宿9.jpg

銀山街道 上下宿9a.jpg

上下宿 翁座.jpg
翁座という大正時代の劇場です。

令和3年春旅2 大遠征
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日本の古い町並み
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2021年10月31日

毛利隆元終焉の地   (広島県安芸高田市)

安芸高田市にある毛利隆元終焉の地に行ってきました。

<毛利隆元終焉の地>
毛利隆元終焉の地.jpg
住所:広島県安芸高田市高宮町佐々部
駐車場無し

<現地解説>
毛利隆元終焉の地2.jpg

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毛利隆元終焉の地に行ってきました。
毛利隆元は、毛利元就の嫡男。吉川元春、小早川隆景の兄にあたります。
優秀な人物で人望もあった様ですが、1563年尼子攻めの加勢に向かう途中、
和智誠春の饗応を受けた後急病となりこの地にて亡くなりました。
その死は不自然な事から、和智誠春による毒殺が疑われていますが、はっきりした
事は謎のままです。
その後、和智誠春と隆元に同行していた赤川元保が元就に誅殺されています。
後に赤川元保は饗応を受ける事に反対していた事が明らかになり、潔白が証明される
のですが、殺された後の話になります。

隆元終焉の地はどう見ても民家の敷地の中にあります。
入って行く坂道は民家の敷地みたいなので、入るのをやめ、近くに路駐しました。
歩いて行きましたが、どうも気まずい感じ。誰もいなかったので、そのまま見学
しましたが、誰かいたら一声かけた方が良さそうな感じです。

<終焉の地碑>
毛利隆元終焉の地3.jpg

<隆元の湯灌石>
毛利隆元終焉の地4.jpg
湯灌ってのは、死者をお風呂に入れて身を清める儀式の事だそうです。
その際使った石という事の様です。

隆元の死は戦国ミステリーのひとつですね。
隆元が生き残っていれば、吉川元春・小早川隆景と3人でどうなっていたか、
興味深いものがあります。

令和3年春旅2 大遠征
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大河ドラマの舞台
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著名人の墓
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桂広澄の墓を参拝     (広島県安芸高田市)

安芸高田市にある桂広澄の墓を参拝しました。

<桂広澄の墓>
桂広澄の墓.jpg
住所:広島県安芸高田市吉田町桂980
駐車場無し

桂広澄の墓3.jpg

桂広澄は毛利氏執政・坂氏の一族で毛利家家臣。
1524年、毛利元就の弟相合元綱を擁立して元就を殺害を計画する事件が
あり、その事件に連座して広澄も自害しました。
広澄の子元澄は元就に仕え、厳島の戦いで戦功をあげるなど功績をあげました。

桂広澄の墓は安芸高田の外れの方にあります。
小さいお墓です。

<桂広澄の墓>
桂広澄の墓2.jpg
謀反ゆえ、こういう小さなお墓なのかなと。

広澄の墓は駐車場も無く、前面道路も狭いので前に車を停めることも出来ません。
少し離れた場所に車を停めて参拝しました。

令和3年春旅2 大遠征
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2021年10月30日

尼子三兄弟ゆかりの墓   (広島県安芸高田市)

安芸高田市にある尼子三兄弟ゆかりの墓を参拝しました。

<尼子三兄弟ゆかりの墓>
尼子三兄弟ゆかりの墓.jpg
住所:広島県安芸高田市向原町長田883
駐車場無し

<尼子三兄弟ゆかりの墓について>
尼子三兄弟ゆかりの墓3.jpg

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尼子三兄弟ゆかりの墓を参拝しました。

1566年、第二次月山富田城の戦いで降伏した尼子義久、倫久、秀久の三兄弟は
毛利氏に降伏。安芸高田市向原町長田の円明寺で幽閑されたあと、屋敷を与えられ
平穏な暮らしをしました。
毛利氏の移封とともに長門に移り、長門で没しました。三兄弟の墓は長門の大覚寺に
あり、ここは三兄弟の重臣たちの墓と考えられています。

この墓は明治時代に改修整備されたものだそうです。

<尼子三兄弟ゆかりの墓>
尼子三兄弟ゆかりの墓2.jpg

駐車場ありません。どこかに路駐するしかありません。あと入口が
分かりづらいです。民家の私道かと思える場所を少し登った先に
入口があります。


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尼子屋敷跡   (広島県広島市)

広島市にある尼子屋敷跡に行ってきました。

<尼子屋敷跡>
尼子屋敷跡.jpg
住所:広島県広島市安佐北区白木町志路7373
駐車場無し(車を停めるスペースはあり)

<尼子屋敷について>
尼子屋敷跡3.jpg

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尼子屋敷跡に行ってきました。
尼子氏は1566年、毛利元就による月山富田城攻め(第二次)により降伏。
当主尼子義久は毛利氏に降伏しました。
毛利元就は義久の自刃を許さず、命を安堵し安芸に移します。
1589年、毛利輝元よえい志道の地を与えられ、館を構えました。
それがこの尼子屋敷跡です。
尼子氏当主の義久が毛利氏の傘下で暮らした場所です。

1566年に大名家としての尼子家は滅びますが、尼子の嫡流は毛利に降伏した
義久。その後、尼子氏再興の戦いが行われますが、これには義久はまったく関与
しておらず、山中鹿之助ら身分の低かった家臣らが新宮党の流れを組む尼子勝久を
担ぎ上げて行ったものです。

当主義久は毛利氏の庇護の元、平穏な暮らしをしていた様です。

<尼子館跡>
尼子屋敷跡2.jpg

尼子屋敷跡4.jpg

尼子屋敷跡5.jpg

ちなみにここまでの道は結構狭くてしんどかったです。
ちゃんとした駐車場は無いんですが、尼子屋敷前に空き地みたいなのがあるの
で、そこに車を停めて見に行く感じです。

入口に門がありますが、自由に開けて入る事が出来ます。

令和3年春旅2 大遠征
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熊谷氏遺跡・土居屋敷跡  (広島県広島市)

熊谷氏遺跡・土居屋敷跡に行ってきました。

<熊谷氏遺跡・土居屋敷跡>
熊谷氏館跡2.jpg
住所:広島県広島市安佐北区三入南1丁目11
駐車場無し

<熊谷氏遺跡・土居屋敷跡について>
熊谷氏館跡4.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
熊谷氏遺跡・土居屋敷跡に行ってきました。
毛利氏の家臣に熊谷氏がいるのは知っていましたが、その熊谷氏のルーツが武蔵の
熊谷直実の一族だったんですね。知りませんでした。
その熊谷氏の館があったのが、この場所です。

今は石垣だけが少し残っているだけという感じです。
駐車場が無かったので、路駐してささっと見てきました。

熊谷氏館跡.jpg

熊谷氏館跡3.jpg

令和3年春旅2 大遠征
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日本の城を巡る
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2021年02月11日

府中恋しき    (広島県府中市)

広島県府中市にある府中恋しきに行ってきました。

<恋しき>
恋しき2.jpg
住所:広島県府中市府中町178
駐車場あり(無料)

府中恋しきに行ってきました。
車で走っていると「恋しき」という標識を発見。「恋しき」って何だという事で
調べてみたら、昔の料亭旅館で庭園が綺麗という事を知り行ってみる事にしました。

恋しき.jpg

恋しき3.jpg

恋しきは1872年創業の料亭旅館。
かつては犬養毅・吉川栄治・井状鱒二などもここを訪れた様です。
1990年に廃業後、地元企業が運営を引き継いでいました。
昨年、府中市が買取り府中市の施設として再スタートしたというところです。

建物は国の有形文化財。立派な旅館ですね。風格があります。
庭園に行ってみました。

料亭旅館という事もあり、庭園も素晴らしい。食事しながら庭園を見る様な感じ
だったんでしょうね。

<恋しき庭園>
恋しき7.jpg

恋しき6.jpg

恋しき4.jpg

恋しき5.jpg

庭園見学も無料なので、気軽に立ち寄れました。
近くに府中焼きの店もあるので、昼ご飯次いでの訪問になりました。

令和2年夏旅3 九州大旅行
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今高野山城と甲山防空監視哨   (広島県世羅町)

世羅町にある今高野山城に行ってきました。

<今高野山城>
今高野山城2.jpg
住所:広島県世羅郡世羅町甲山13−9
駐車場あり(無料)

今高野山城を攻略してきました。
ここには戦国時代、大田荘を支配した上原氏の居城があったと伝えられています。
今高野山龍華寺の境内に今高野山城への登山口があります。
朝一でしたが、真夏ですのでやはり暑い。夏の山城攻めはやはり地獄です。
比高180m、片道20分位かな山道を登っていきました。
汗だくで山頂に到着。模擬天守が鎮座しており、ここから世羅の町並みを眺め
ました。とても景色が良かったです。

今高野山城4.jpg

今高野山城3.jpg

今高野山城5.jpg

城に関する説明は超簡単なものがあっただけで、詳細が分かりません。ネットで
調べてもよく分からず、出来れば現地に解説文がほしかったです。

模擬天守のすぐ下に甲山防空監視哨という戦争遺跡がありました。

<甲山防空監視哨>
今高野山城 甲山防空監視哨.jpg

今高野山城 甲山防空監視哨2.jpg

今高野山城 甲山防空監視哨3.jpg
第二次大戦中に空襲に備えて作られた監視施設。原爆投下のB29を発見し
通報したのもこの監視哨だそうです。
確かにここからは敵機が良く見えそうです。

令和2年夏旅3 九州大旅行
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日本の城を巡る
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戦争遺跡・軍事遺跡
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2020年03月11日

福山城     (広島県福山市)

福山市にある福山城に行ってきました。

<福山城>
福山城.jpg
住所:広島県福山市丸之内1丁目
駐車場あり(有料)

<福山城について・wikipedeaより>
福山城は1615年(慶長20年)の一国一城令発布後の元和8年(1622年)に竣工した
城である。
大規模な新規築城による近世城郭では最後の例となった。備後福山藩の藩庁かつ藩主
の居城であった。
形式は輪郭式の平山城だが、2重の堀や瀬戸内海へ抜ける運河を持つために海城とし
ても知られる。五重の天守と7基の三重櫓を有していた。

1873年(明治6年)の廃城令によって、大蔵省の所管となり、建物の払い下げ、取り
壊しが実施されていたが、翌1874年(明治7年)に所在自治体の福山町などの請願に
よって、本丸の天守(付櫓を含む)・筋鉄御門・伏見櫓・御湯殿・鐘櫓の5棟の建築
物が残されることとなった。その内鐘櫓を除く4棟について、国宝保存法の国宝に指
定された。天守以外のこれらの現存建築は、福山城の築城時に伏見城から移築され
たものであったが、昭和20年(1945年)の福山大空襲によって、伏見櫓、筋鉄御門
(ともに、国の重要文化財)を残して焼失している。

一方、本丸以外の城郭遺構については、昭和初期までに城北側にある堀をかねた吉津
川以外のすべての堀が埋められ、三の丸は大半が市街地と化すなど遺構の破壊が進ん
だ。石垣も概ね本丸と二の丸の大部分と三の丸のごく一部に残る。

現在の天守(付櫓含む)、月見櫓、御湯殿は1966年(昭和41年)に鉄筋コンクリート
構造で復興されたのものである。
再建された天守内部は福山市立福山城博物館として利用され、天守最上階の回縁から
は市街を360度見渡せ、晴れた日には瀬戸内海を望むこともできる。三の丸南側はJR
福山駅が東西に貫き、新幹線や福塩線のホームからは、天守や伏見櫓が聳立する本丸
跡を間近に望むことができる。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
福山城に行ってきました。
福山駅の目の前にあり、前回ここに来たのはもう15年位前の話になります。
日本百名城にも選ばれる福山城。立派な天守閣がありますが、天守閣は戦争で焼失
したものを戦後に再建したものです。

今回は元日の訪問で城は休館につき中には入れませんでした。
外からだけぐるっと観光してきました。

<福山城>
福山城2.jpg

福山城5.jpg

福山城3.jpg

福山城6.jpg

福山城7.jpg

福山城4.jpg
幕末の福山藩主・阿部正弘の銅像です。幕末の幕府老中で、島津斉彬らの意見
を取り入れ幕府の軍事改革などに尽力しました。

令和元年〜2年・年末年始の旅
http://rover.seesaa.net/article/472938573.html

日本の城を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21222307.html

銅像めぐり
http://rover.seesaa.net/article/142026310.html

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2020年03月08日

鞆城址        (広島県福山市)

福山市にある鞆城址に行ってきました。

<鞆城址>
鞆城.jpg
住所:広島県福山市鞆町後地536−1
駐車場無し(近隣有料駐車場利用)

<鞆城について>
鞆城6.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
鞆城址に行ってきました。
鞆城は、1544年に村上吉充によって築城されたお城です。
その後、毛利氏に庇護された足利義昭がこの地に逃れて来ており、この地でも精力的
に各地の諸大名に信長打倒を呼びかけており、この地での義昭の体制を鞆幕府と呼ぶ
事があります。

鞆城はその後、福島正則の下に入り、江戸時代は水野氏のもと奉行所が置かれたそう
です。

現在は福山市鞆の浦歴史民俗資料館が鞆城跡にあり、石垣の一部のみが残っている
感じです。
訪問したのが元日という事もあり、歴史民俗資料館は休館で見る事が出来ません
でした。

<鞆城址>
鞆城2.jpg

鞆城5.jpg

鞆城4.jpg

鞆城3.jpg

鞆城 宮城道雄像.jpg
宮城道雄の像がありました。幼少期に鞆の浦で過ごした宮城道雄はその雰囲気を思い
名曲『春の海』を作曲しました。

令和元年〜2年・年末年始の旅
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日本の城を巡る
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2020年02月23日

大久野島     (広島県竹原市)

広島県竹原市にある大久野島を散策してきました。

<大久野島>
大久野島4.jpg
住所:広島県竹原市忠海町

今回の旅の目的地のひとつ、大久野島に行ってきました。
大久野島は瀬戸内海にうかぶ1周約3.3キロほどの島です。
今はうさぎの島として有名で、約900羽のうさぎが生息しています。

うさぎが島中にいるのどかな島なんですが、明治維新後この地の防衛に
おける重要性から芸予要塞が整備され、大久野島砲台が設置されました。
第二次大戦中はここに毒ガス工場が密かに建築され、イペリット、ルイ
サイトといった毒ガスが製造・貯蔵されました。
そんな軍事遺跡とうさぎを見るべく訪問しました。

早朝の船で大久野島に向かいます。いろいろルートはあるんですが、
今回は竹原市の忠海港から大久野島に向かいます。

大久野島9b.jpg

大久野島2.jpg
この建物の中に切符売り場があります。切符売り場の他お土産もあり、帰りに
お土産も購入しました。

大久野島.jpg
忠海から大久野島へは片道310円です。比較的安いですね。
元日ですが多くの観光客が来ていました。

大久野島3.jpg
この船で大久野島に向かいます。


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稲荷大明神神社前の海霧   (広島県三原市)

広島県三原市、稲荷大明神神社前で海霧の風景を見てきました。

<稲荷大明神神社>
稲荷大明神神社前の海霧.jpg
住所:広島県三原市須波1丁目1−1
駐車場無し

海霧というのは、暖かく湿った空気が、冷たい海面に接することで
生じる霧で、ごく限られた場所、時期、そして条件が整った日にし
か見る事が出来ません。
全国でも和歌山の田原の海霧とか有名な場所がありますが、それでも
海霧が発生する日は少なくカメラマンが何日もシャッターチャンスを
求めて泊まり込むなんて話も聞きます。

令和2年元日朝8時過ぎ、広島県三原市稲荷大明神神社の前を通りか
かったところ大勢の人が。何かと思ったら見事な海霧が広がっており、
みんなその写真を撮っていました。
僕もこれはと思い、車を停めて写真撮影。本当に幻想的で素晴らしか
ったです。

<稲荷大明神神社前の海霧・令和2年元日撮影>
稲荷大明神神社前の海霧2.jpg

稲荷大明神神社前の海霧3.jpg

稲荷大明神神社前の海霧4.jpg

稲荷大明神神社前の海霧5.jpg

令和元年〜2年・年末年始の旅
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2017年05月24日

龍山八幡神社     (広島県北広島町)

広島県北広島町にある龍山八幡神社に行ってきました。

<龍山八幡神社>
龍山八幡神社.jpg
住所:広島県山県郡北広島町新庄
駐車場あり(無料)
境内自由

<龍山八幡神社について>
龍山八幡神社5.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
北広島にある龍山八幡神社に行ってきました。
北広島は小倉山城、日野山城など吉川氏の本拠。
そんな北広島にある龍山八幡神社は、駿河から移ってきた吉川氏の祖が
駿河から勧請した神社です。
本殿は戦国時代に吉川元春によって再建されたものです。

<龍山八幡神社>
龍山八幡神社2.jpg

龍山八幡神社3.jpg
こちらが吉川元春再建の本殿です。

龍山八幡神社4.jpg
まだ雪が残ってました。やっぱ寒いんですね。

平成29年春旅 安芸国城攻め
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青田古墳     (広島県竹原市)

竹原市にある青田古墳に行ってきました。

<青田古墳>
青田古墳.jpg
住所:広島県竹原市東野町
駐車場なし

青田古墳2.jpg

<青田古墳について>
青田古墳3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
竹原にある青田古墳を見てきました。
竹原小早川家の居城である木村城の近くにある古墳です。
古墳時代後期のものの様で、奥行き5m弱の横穴式の石室です。

綺麗に残ってるものですね(^-^)

平成29年春旅 安芸国城攻め
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吉田郡山城    (広島県安芸高田市)

安芸高田市にある吉田郡山城に行ってきました。

<吉田郡山城>
郡山城.jpg
住所:広島県安芸高田市吉田町吉田
駐車場あり(無料)

<吉田郡山城について>
郡山城2.jpg

郡山城8.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
今回の旅の最終目的地、吉田郡山城登城です。前回来たのはいつだった
かな〜、画像ファイルのタイムスタンプを確認しました。
平成11年8月12日。17年ぶりの訪問か〜、久しぶりだな〜。
あの頃はまだ何も知らない頃で、何でも見て回りたい時期でした(^-^)

吉田郡山城は、毛利氏の本拠地で、強敵尼子氏の大軍もこの城を落とす
事が出来なかった要害の山城です。

毛利元就もこの地で生まれ、毛利家の家督を継いでこの城の城主になり
ます。戦国期の毛利家の本拠で、後に戦国の世が終わり山城が不要に
なり、本拠を広島城に移すまで毛利家は吉田郡山城を本拠とします。

早速登城します。

郡山城3.jpg
毛利家墓所付近から登山口が入り口があります。

郡山城4.jpg
最初は綺麗な石畳がありましたが、途中から荒れた山道になります。
片道20分位は見ておいた方が良いかと思います。そんな急な山道では
ありません。

郡山城5 蔵屋敷跡.jpg
山道を歩き、開けた場所に出ます。御蔵屋敷跡です。
屋敷跡と思われています。

郡山城6.jpg
御蔵屋敷の場所には人の手が加わったと思われる石がゴロゴロ。
高い石垣があったものと思われています。

郡山城7二の丸後.jpg
御蔵屋敷のすぐ上に二の丸跡があります。

郡山城9.jpg
本丸跡です。

郡山城91.jpg
本丸から二の丸方面を眺めます。

郡山城92.jpg
吉田郡山城から見た吉田の町並みです。

写真も多いので、続きます。


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駿河丸城址     (広島県北広島町)

北広島町にある駿河丸城址に行ってきました。

<駿河丸城址>
駿河丸城址.jpg
住所:広島県北広島町大朝
駐車場無し

<駿河丸城について>
駿河丸城址2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
吉川氏の居城だった駿河丸城址に行ってきました。
鎌倉時代末期に小倉山城に本拠を移すまで、吉川氏の本拠だった
城との事です。
「駿河丸城 100m」の案内板。すぐに何かあるんだろうなと思い
突撃しました!(^^)!

駿河丸城址3.jpg
道は荒れまくりです。誰も来ないんでしょうね。

駿河丸城址4.jpg
正直どこが城跡なのかさっぱり分かりません。解説板等も一切なし。
100m位歩きましたが、これといったものがありません。

駿河丸城址5.jpg
この先に何かあるかなと思いましたが、ここも何もなし。
ううむ、空振りだな〜。
何も無いじゃん。木に足がかかって転ぶし、もう最悪です(>_<)
無念の撤退となりました。

平成29年春旅 安芸国城攻め
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日本の城を巡る
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2017年05月21日

多治比猿掛城      (広島県安芸高田市)

安芸高田市にある多治比猿掛城に行ってきました。

<多治比猿掛城>
猿掛城址.jpg
住所:広島県安芸高田市吉田町多治比
駐車場あり(無料)

<多治比猿掛城について>
猿掛城址2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
多治比猿掛城に行ってきました。この城は今回の旅で是非訪問しようと
思っていた城です。
毛利氏の本拠は吉田郡山城ですが、毛利弘元は子の興元に家督をゆずり
隠居するとまだ4歳の松寿丸(のちの毛利元就)を連れて多治比猿掛城に
入ります。
まだ毛利氏の勢力は弱く、父弘元を幼少のうちに失った元就が不遇の
少年期を過ごしたのがこの多治比猿掛城です。

登山道入り口から本丸跡までは片道20分くらいの山登りです。
猿掛城址3.jpg
こんな道を登っていきます。比較的登山道は綺麗に整備されていますが、
今回は靴が普通の靴だった為、転んで痛い思いをしました(>_<)
一応山城なので、トレッキングシューズは履いていった方が良いですね。

<本丸跡>
猿掛城址5.jpg

猿掛城址6.jpg
本丸跡ですが、特にこれといって残っている遺構はありません。

猿掛城址4.jpg
ここから見る景色です。
遠くに見える町は吉田の町。その左側にある山が吉田郡山城です。

多治比猿掛城の麓には、毛利元就の父弘元の墓がひっそりとありました。

<毛利弘元の墓>
毛利弘元墓所2.jpg

毛利弘元墓所.jpg

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2017年05月17日

吉川元春館跡       (広島県北広島町)

北広島にある吉川元春館跡に行ってきました。

<吉川元春館跡>
吉川元春館跡4.jpg
住所:広島県北広島町海応寺255-1
駐車場あり(無料)
資料館入館料:300円

<吉川元春館跡について>
吉川元春館跡3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
吉川元春館跡に行ってきました。
吉川元春は毛利元就の次男で、鬼吉川と恐れられる吉川家の養子となり
吉川家を継ぎます。
毛利元就のかなりえぐい謀略により、妻の実家である吉川家を乗っ取った
というのが正しいかもしれません。

元就亡き後、弟の小早川隆景とともに毛利家の中枢をにない、元春は主に
山陰方面の司令官として活躍しました。

この館は、元春が隠居所として造った館との事です。その後、吉川家は
岩国に国替えになり、それとともにこの館も荒廃してしまった様です。
今、台所の建物が復元されるなど、歴史公園として整備されています。

今回の旅では、資料館も含めゆっくり見てきました。

<戦国の庭歴史館>
吉川元春館跡1.jpg

吉川元春館跡.jpg

吉川元春館跡2.jpg

<吉川元春館跡>
吉川元春館跡6.jpg

吉川元春館跡7.jpg

吉川元春館跡5.jpg

<吉川元春の墓>
吉川元春の墓.jpg
右が吉川元春の墓、左は嫡男の吉川元長の墓です。
吉川元春は、出陣先の豊前小倉城で病没します。

吉川元春の墓2.jpg

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2017年05月16日

国泰寺       (広島県広島市)

広島市にある国泰寺に行ってきました。

<国泰寺>
国泰寺.jpg
住所:広島県広島市西区己斐上3-975-5
駐車場あり(無料)
境内自由

<国泰寺について>
国泰寺3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
広島にある国泰寺に行ってきました。
国泰寺は毛利家に仕えた外交僧である安国寺恵瓊開基のお寺です。
秀吉が朝鮮出兵の為名護屋に向かいますが、その途中国泰寺に立ち寄り
恵瓊と会っているそうです。
江戸時代には安芸浅野家の菩提寺として庇護されました。

かつては、広島市の中心部にあり、現在でも国泰寺という地名が残って
いますが、昭和53年に郊外のこの地に移転したとの事。比較的最近
移転したんですね。

今回の旅で、国泰寺は訪問したいなと思っていたお寺です。
その目的は、忠臣蔵で有名な大石内蔵助の妻理玖の墓があるというので
参拝する事です。
ちょうど、昔の大河ドラマ『元禄繚乱』を今見ているところで気になって
ました。『元禄繚乱』では、理玖役を大竹しのぶさんが演じています。
内蔵助らが本懐を達し、切腹すると内蔵助ら赤穂義士は世間から忠義者と
いうことで大変評判となりました。安芸浅野本家は内蔵助の子息を是非家臣
にしたいという事で、内蔵助の三男大三郎を内蔵助と同じ石高で家臣として
召し抱えます。理玖も浅野本家から隠居料をもらい広島で暮らし、広島で
亡くなり、国泰寺に葬られたそうです。

ちなみに長男の主税は内蔵助と一緒に討ち入り切腹。次男は早世したそうです。

<国泰寺 大石家墓所>
大石理玖の墓.jpg
右が大石理玖、左が大石大三郎の墓です。

大石理玖の墓2.jpg

<赤穂義士追悼碑>
赤穂義士追悼碑.jpg
明治時代になってから建立された碑です。

<豊臣秀吉遺髪塚、安国寺恵瓊遺髪塚>
安国寺恵瓊の墓.jpg
秀吉と安国寺恵瓊の遺髪塚がありました

秀吉の墓.jpg

<国泰寺からの風景>
国泰寺2.jpg
国泰寺は広島の高台にあり、ここからは広島市街を見下ろす事が出来ます。

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2017年05月15日

白滝山        (広島県尾道市)

因島にある白滝山に行ってきました。

<白滝山>
白滝山.jpg
住所:広島県尾道市因島重井町
駐車場あり(無料)

<白滝山観音堂について>
白滝山観音堂2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
因島にある白滝山発訪問です。
白滝山は標高227メートルの山で、もとは修験道の修行の場だった
そうです。
その後、戦国時代には村上水軍により、海の監視所として観音堂が建立
されました。
江戸時代の1827年〜1830年にかけて柏原林蔵らによって五百羅漢
像が造られ、今も綺麗に残っています。

山へのアクセスは、白滝フラワーラインを走り山のかなり上の方まで車
で走っていきました。駐車場から歩いて10分ほど。
山登りではありますが、遊歩道が整備されているので比較的楽に登って
行くことが出来ます。

山頂付近に、上記観音堂、五百羅漢など見所があり、また瀬戸内の雄大な
景色を眺める事が出来ました(^-^)
明治〜昭和初期に活躍した歌人・吉井勇はここからの景色を以下の様な
詩に詠みました。
「白滝の 山に登れば眼路広し 島あれば海 海あれば島」

<白滝山観音堂>
白滝山観音堂.jpg

<五百羅漢>
白滝山 五百羅漢.jpg

<白滝山からの景色>
白滝山2.jpg

白滝山5.jpg

白滝山3.jpg

白滝山4.jpg

<ゴリラ岩>
白滝山巨大石2.jpg
白滝山山頂にある変な岩。ゴリラ岩というそうです。

白滝山巨大石.jpg
モアイ像かと思いました(^^;

白滝山日本大小.jpg
ゴリラ岩の前には「日本大小神祇」という石碑。
日本の様々な神々という様な意味です。

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2017年05月10日

小倉山城     (広島県北広島町)

北広島町にある小倉山城に行ってきました。

<小倉山城>
小倉山城.jpg
住所:広島県山県郡北広島町新庄字小倉山
駐車場あり(無料)

<小倉山城について>
小倉山城2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
小倉山城址に行ってきました。
この城は南北朝期に、吉川経見によって築城され、その後鬼吉川と称さ
れた安芸吉川氏の居城として戦国時代まで存在します。
毛利元就の正妻となる妙玖生誕の地でもあります。
小倉山城は1550年に吉川元春が日野山城に城を移し、廃城となります。

小倉山城址は綺麗に整備されています。
<案内図・クリックすると拡大します>
小倉山城  案内図.jpg

小倉山城3.jpg
登山道も歩きやすく、本丸までは10分位もあれば着きます。
到達難易度は低いかなと思います。

小倉山城4.jpg
本丸は建物の遺構が発掘されている様です。

小倉山城5.jpg

小倉山城6.jpg
土塁などが綺麗に残りますね。いかにも堅城という感じです。

小倉山城7.jpg

見学時間は30分もあればという感じ。山城の遺構としてとても状態が
良いなと思いました。

小倉山城8.jpg
これ、駐車場なんですが、50台くらい余裕で停められるのではという広さ。
しかし、観光客は自分一人という・・・(^^;
すごく違和感がありました(笑)

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大浜崎灯台     (広島県尾道市)

因島にある大浜崎灯台に行ってきました。

<大浜崎灯台>
大浜崎灯台.jpg
住所:広島県尾道市因島大浜町
駐車場あり(無料)

<大浜崎灯台について>
大浜崎灯台4.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
因島の最北端にある灯台です。明治時代に造られた灯台で、現在も
その役割を果たしています。
大浜崎灯台には、潮流信号施設が併設されています。今は灯台記念館
という資料館になっています。

大浜崎灯台5.jpg
潮流信号施設は、潮の流れが激しいこの海峡で船に対し潮流の方向を
伝える役割を果たした施設です。
今、信号施設で建物が残っているのはここ1ヶ所だそうです。

大浜崎灯台6.jpg
これが信号です。
瀬戸内の海って穏やかですが、狭い海峡では潮流が川のように流れていて
昔の船では航行がとても難しかった様です。今は船の性能の向上や航海技術
の向上で信号の必要性がなくなり、この施設も使われていません。

大浜崎灯台は因島の最北端、現地からは因島大橋を下から見上げて見る事が
出来て、とても良かったです(^-^)

大浜崎灯台3.jpg

大浜崎灯台2.jpg

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岬・灯台巡り
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因島村上水軍城     (広島県尾道市)

因島村上水軍城に行ってきました。

<因島村上水軍城>
因島村上水軍城2.jpg
住所:広島県尾道市因島中庄町3228−2
駐車場あり(無料)
資料館:310円

<因島村上水軍城について>
因島村上水軍城4.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
今回の旅の目的地である因島村上水軍城に到着。夕方ギリギリで到着です。
資料館が17時までで、16時半までに入らないといけない状況で、
16時半ギリギリで駆け込みました(^^;

標高24mの丘は片苅山と呼ばれ、そこに天守閣が建築されていますが、
戦国時代にこの地に天守閣があった事実はなく、あくまで資料館としての
仮想建築です。
因島村上水軍城.jpg

因島村上水軍城3.jpg

因島村上水軍城6.jpg

実際この地には、片苅城と呼ばれる城があり村上氏の居城ではあった様
です。
資料館には瀬戸内を支配した村上水軍に関する資料がいろいろ展示されて
いてなかなか興味深かったです。
村上氏を題材にした和田竜氏の「村上海賊の娘」もまだ読んでないので、是非
読んでみたいなと思いました(^-^)

城の麓には村上氏の菩提寺、金蓮寺があります。ここには村上氏一族の墓が
並んでいます。

<金蓮寺 村上氏墓所>
金連寺 村上氏墓所.jpg

金連寺 村上氏墓所2.jpg

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光明坊      (広島県尾道市)

生口島にある光明坊に行ってきました。

<光明坊>
光明坊.jpg
住所:広島県尾道市瀬戸田町御寺757
駐車場あり(無料)
境内自由

<光明坊について・現地解説>
光明坊4.jpg
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
光明坊に行ってきました。
ここは生口島にある古刹で、境内に松虫姫・鈴虫姫・法然上人らの墓が
ある旧跡です。

松虫、鈴虫は後鳥羽上皇に寵愛を受けた女性で、この二人が法然の影響を
受け上皇が熊野詣でに出ているすきに、出家してしまうという事件が起こ
ります。

これに激怒した後鳥羽上皇が法然・親鸞らを流罪、出家に関わった安楽坊
らを処刑します(承元の法難)

松虫姫、鈴虫姫は生口島に逃れ、この地で亡くなったそうです。
そんな関係で、この光明坊に両姫のお墓があるんですね。

<光明坊>
光明坊2.jpg

光明坊 十三重石塔婆.jpg
鎌倉時代に造られた十三重石塔婆です。

<五輪の塔>
光明坊3.jpg
左から、法然上人、後白河上皇の皇女如念尼、松虫姫、鈴虫姫の墓です。

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2017年04月30日

地蔵鼻        (広島県尾道市)

因島にある地蔵鼻に行ってきました。

<地蔵鼻>
地蔵鼻.jpg
住所:広島県尾道市因島三庄町
駐車場あり(無料)

<地蔵鼻について>
地蔵鼻2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
因島の地蔵鼻に行ってきました。
地蔵鼻は、美可崎城の下に突き出た岬です。
その昔、因島村上水軍の金山亦兵衛泰時によって理不尽に殺された
高橋蔵人の娘を祀るため造られた鼻地蔵が岬の先端にあります。

駐車場から坂を下りていきます。地蔵鼻までは歩いて5分くらいです。
地蔵鼻3.jpg

地蔵鼻4.jpg
海の水も綺麗ですね(^-^)

地蔵鼻6.jpg

地蔵鼻5.jpg
これが鼻地蔵です。お地蔵様は、この裏面に刻まれており、干潮の時しか
見る事が出来ません。
あいにく、訪問したときは潮が満ちていたのでお地蔵様は見る事が出来ません
でした(>_<)

地蔵鼻7.jpg

地蔵鼻へ続く道には他にもお地蔵様がありました。
地蔵鼻9.jpg

地蔵鼻8.jpg

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2017年04月28日

美可崎城址       (広島県尾道市)

尾道市にある美可崎城址に行ってきました。

<美可崎城址>
美可崎城.jpg
住所:広島県尾道市因島三庄町
駐車場あり(無料)

<美可崎城について>
美可崎城2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
因島にある美可崎城址に行ってきました。
地蔵鼻と呼ばれる岬の先端に築城されたお城で、室町時代中期に因島
村上氏が、ここを通る船から通行税を徴収する為の見張りの為の城だった
様です。
駐車場から歩いて数分で美可崎城の上に登っていけます。ここからは瀬戸
内の海を一望出来、確かにここからなら通る船を監視できるなと思いまし
た。
秀吉の天下統一とともに、村上氏が通行税を取ることが出来なくなり、
廃城になったものと思われます。

<美可崎城址>
美可崎城3.jpg
みかん畑の中を進んでいきます。

美可崎城4.jpg

美可崎城5.jpg
頂上には東屋の様なものがありました。

ここからの眺望は最高です。穏やかな海がとても綺麗です(^-^)
美可崎城6.jpg

美可崎城7.jpg

美可崎城8.jpg

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2017年04月27日

相合元綱の墓を参拝    (広島県安芸高田市)

安芸高田市にある相合元綱の墓を参拝してきました。

<相合元綱の墓>
合相元綱の墓.jpg
住所:広島県安芸高田市吉田町相合
駐車場なし

相合元綱は毛利元就の異母弟です。
元就の兄である毛利興元が亡くなり、その子である幸松丸が9才で亡くなる
と元就が毛利家の家督を継ぐことになりますが、尼子経久の調略を受けた
坂広秀・渡辺勝らが相合元綱を擁して元就に謀反。
その動きを察知した元就によって軍を向けられ元綱は討ち取られます。

その元綱の墓は、安芸高田市の郊外にひっそりとあります。
墓を見つけるのに非常に苦労しました。
どこにも案内はありません。
相合という地名の場所にあるらしいというので、そこにあった寺に入って
みたりしましたが見つからず。
諦めて帰ろうかと思ったところ、民家の庭に墓を発見!
こりゃ見つからんわ(^^;
墓はあっても、そこに何も解説も無いので、誰の墓なのか分かりません。
墓碑に相合四郎って書いてあったので、これかって感じになりました。
元就に謀反を起こしたゆえの扱いですかね〜。

合相元綱の墓2.jpg

大河ドラマでは、相合元綱役を西島秀俊さんが演じております。
相合元綱.jpg
若い!(^^;

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2017年04月26日

杉の大方の墓     (広島県安芸高田市)

安芸高田市にある杉の大方の墓を参拝してきました。

<杉の大方の墓>
杉の大方の墓.jpg
住所:広島県安芸高田市吉田町多治比
駐車場なし

<杉の大方の墓について>
杉の大方の墓2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
安芸高田にある杉の大方の墓を参拝しました。
杉の大方は毛利元就の父・毛利弘元の側室です。
毛利元就は、5歳で母を、10歳で父を失います。まだ小勢力だった
毛利家は家臣に領地を横領されたりと苦難の幼少期を送ります。
その元就を養育し、名将に育て上げたのが杉の大方です。

杉の大方に関しては資料も少なく、よく分かっていないのが事実の様です。
大河ドラマ『毛利元就』では、杉の大方役を松坂慶子さんが演じました。
最初は、実母でない杉の大方に対し、幼少期の元就は反発しますが、次第
にお互いを理解し合い、元就も杉の大方を母と呼ぶほど信頼するまでに
至る展開でした。

お墓は、猿掛城の近く、一般民家の前にあります。

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2017年04月23日

向上寺      (広島県尾道市)

生口島にある向上寺に行ってきました。

<向上寺>
向上寺.jpg
住所:広島県尾道市瀬戸田町瀬戸田57
駐車場なし

<向上寺について>
向上寺4.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
十数年ぶりで向上寺に行ってきました。
以前来たときは、まだしまなみ海道が全通してなかった頃で、橋を
渡る度に一般道に降りてって感じの時代でした。懐かしいです。

向上寺は室町時代創建のお寺で、なんと言っても見所は国宝の三重塔です。

<国宝三重塔>
向上寺5.jpg

向上寺6.jpg

向上寺7.jpg
向上寺の三重塔は上から見て瀬戸内の海をバックにするのがポイント
だったはずなんですが、木が大きくなって見えづらくなってました(>_<)

<昔の写真>
向上寺9.jpg

向上寺92.jpg
この2枚は以前訪問したときの写真です。

木が大きくなって瀬戸内海の景色が全体的に見えづらくなってましたね。
向上寺8.jpg

向上寺2.jpg

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国宝建造物を巡る
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毘沙門岩     (広島県竹原市)

竹原市にある毘沙門岩を見てきました。

<毘沙門岩>
毘沙門岩.jpg
住所:広島県竹原市東野町1769
駐車場なし

<毘沙門岩について>
毘沙門岩3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
毘沙門岩を見てきました。
竹原の北部、木村城のあるエリアです。ここは竹原小早川家の本拠地。
この毘沙門岩も中世に造られたものと推定されているので、竹原小早川家ゆかりの
ものではないかと思われます。
毘沙門天は上杉謙信が信仰した事でも知られ、北方を守護する仏神です。

道路から解説板が見えるので、そこから山道を少し歩くと毘沙門岩に着きます。
1〜2分程度です。
自然石に刻まれた毘沙門天、素晴らしいです(^o^)

毘沙門岩2.jpg

毘沙門岩3.jpg

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2017年04月22日

才蔵寺        (広島県広島市)

広島市にある才蔵寺に行ってきました。

<才蔵寺>
才蔵寺.jpg
住所:広島県広島市東区東山町1−11
駐車場なし
境内自由

<才蔵寺について>
才蔵寺2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
広島市にある才蔵寺に行ってきました。
名前から分かるかもしれませんが、この寺は戦国武将・可児才蔵を
祀ったお寺です。

結構細い道を進んでお寺に到着。あいにく駐車場がありません。
時間もわずかでしたので、少し離れた場所に道幅が広いところがあった
のでしばし路駐しました。

奥の階段の上が才蔵寺です。
才蔵寺3.jpg

山門をくぐるとすぐに可児才蔵の銅像がありました。
才蔵寺4.jpg
可児才蔵は柴田勝家、明智光秀、前田利家、織田信孝など様々な主君に仕え
た武将です。関ヶ原の戦いの折は、福島正則の武将として参戦。討ち取った
敵兵の首に笹の葉をくわえさせて目印にしたエピソードが有名ですね。
僕も昔、ゲームで信長の野望にはまったのですが、可児才蔵の顔グラフィック
は笹の葉をくわえていた覚えがあります。それゆえ印象深い武将でしたね。

1613年に広島で亡くなりました。
才蔵寺には可児才蔵の供養塔があります。

<才蔵寺本堂>
才蔵寺7.jpg

<可児才蔵供養塔>
才蔵寺6.jpg

才蔵寺8.jpg

<味噌地蔵>
才蔵寺5.jpg
このお地蔵様、受験の合格祈願のお地蔵様とか。
味噌をお地蔵様の頭の上にのせて、そのあと自分の頭に味噌をのせて
祈ると御利益があるとか(笑)

平成29年春旅 安芸国城攻め
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著名人の墓
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2017年04月19日

筆影山       (広島県三原市)

三原市にある筆影山に行ってきました。

<筆影山>
筆影山.jpg
住所:広島県三原市貝野町
駐車場あり(無料)

<筆影山について>
筆影山7.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
14年ぶりで筆影山に行ってきました。三原市の海沿いにある標高
311mの山で、ここから見る瀬戸内海の景色は随一と評判です。

筆影山の名前は、ここから見える島々の風景が筆の様に見えるという
事で江戸時代の学者・頼山陽が命名したそうです。

久しぶりに行ったので記憶がかなり曖昧。現地までの交通は難なく到着
したイメージだったんですが、行ってみたら道が狭くてすれ違いも厳しい
感じ。それでいて結構車が来たもんだからかなり厳しかったです。

駐車場は10数台停めることが出来ますが、この日は混み合っていて
僕の車で満車に。後から来た車は待ち状態になってました。

風景のイメージは残ってました。ここからの景色は絶景ですから、この
景色は忘れるべくもありません。本当に美しい瀬戸内の海を見る事が
出来ました。

<筆影山からの風景>
筆影山3.jpg

筆影山4.jpg

<クリックすると拡大します>
筆影山 大.jpg

筆影山は桜の名所として知られていますが、訪問した4月4日時点ではまだ
咲き始めという感じでした。

<筆影山の桜・平成29年4月4日撮影>
筆影山5.jpg

筆影山6.jpg

筆影山2.jpg

<14年前に撮影した筆影山からの写真>
筆影山8.jpg

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<桜のある風景>
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小早川神社       (広島県竹原市)

竹原市にある小早川神社に行ってきました。

<小早川神社>
小早川神社.jpg
住所:広島県竹原市新庄町
駐車場無し

<小早川神社について>
小早川神社2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
竹原にある小早川神社(和賀神社)に行ってきました。
小早川隆景を祀っている神社という事で、どんな所なのかなと思って
訪問しました。

が、、、行ってびっくり。
完全に廃墟でした。
解説には昭和20年に倒壊とありますが、瓦礫を見てるともう少し新し
そうにも見えます。

でもまあ、完全に廃墟化しており、管理されている気配はまったくあり
ません。小早川隆景公もさぞや無念でありましょう・・・。

<小早川神社>
小早川神社3.jpg

小早川神社4.jpg

小早川神社5.jpg
廃材が散乱しているので、釘とかあったら危ないです。
近寄らない方が良さそうです。

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2017年04月15日

手島屋敷     (広島県竹原市)

竹原市にある手島屋敷に行ってきました。

<手島屋敷>
手島屋敷2.jpg
住所:広島県竹原市東野町
駐車場無し

<手島屋敷について>
手島屋敷.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
竹原にある手島屋敷に行ってきました。
竹原小早川家家臣の手島氏の屋敷です。今も人が住んでおり、中に入る
事は出来ません。

武家屋敷との事ですが、立派な石垣は簡易の城の様な感じです。
竹原小早川家の木村城の支城的なものだったのかもしれません。

手島屋敷3.jpg

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2017年04月13日

竹原小早川家墓所        (広島県竹原市)

竹原市にある竹原小早川家墓所に行ってきました。

<竹原小早川家墓所>
竹原小早川家墓所2.jpg
住所:広島県竹原市東野町
駐車場なし

<竹原小早川家墓所について>
竹原小早川家墓所.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
竹原小早川家墓所を参拝しました。
毛利元就の子である隆景が竹原小早川家に入り、後に本家である沼田
小早川家を相続する形で毛利が小早川家を傘下におさめるきかっけと
なった家です。
小早川家の歴史は古く、鎌倉時代の初期に土肥氏から出た家柄との事
です。

竹原小早川家墓所3.jpg
現地には竹原小早川家の宝筺院塔が並びますが、どれが誰の墓かは
分かりませんでした。

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著名人の墓
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2017年04月11日

木村城址       (広島県竹原市)

竹原市にある木村城址に行ってきました。

<木村城址>
木村城址.jpg
住所:広島県竹原市新庄町城ノ本
駐車場あり

<木村城について>
木村城址2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
木村城に行ってきました。
木村城は竹原小早川家初代政景によって1258年に築城された
山城です。
毛利家から毛利元就の子である隆景が養子として竹原小早川家に入り
のちに本家である沼田小早川家を相続し高山城に移るまで、約300年
にわたって竹原小早川家の本拠地であったお城です。

県道沿いに登山口の案内があります。
木村城址3.jpg
ここから狭い道を数百メートル走って登山口入り口に着きます。
入り口のところに車1台分くらいのスペースがあります。

木村城址4.jpg
登山口から見た木村城です。目の前の山がそうです。

木村城址5.jpg
道は荒れてました。あまり来る人もいないのかな〜。

木村城址6.jpg
曲輪の部分には人工の石積みが。お城の遺構でしょうか。

木村城址7.jpg
本丸跡です。特に何かあるわけではありません。
本丸までは麓から15分〜20分位で登頂できます。

せっかくの山城なんですが、木々がすごくて眺望はいまいちでした(>_<)
木村城址8.jpg

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日本の城を巡る
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2014年11月26日

四境戦争/芸州口古戦場碑     (広島県大竹市)

広島県大竹市にある芸州口古戦場に行ってきました。

<芸州口古戦場>
四境戦争 芸州口古戦場.jpg
住所:広島県大竹市新町1丁目
駐車場なし

<現地解説>
芸州大竹口に揃った幕府の軍勢は彦根藩、高田藩を中心とした3万、
小瀬川を挟んで対峙する岩国軍の実に5倍であった。
1866年6月14日未明、彦根軍は使番竹原七郎平と曽根佐十郎の
二騎に小瀬川を渡らせる。岩国軍は小瀬川の半ばにして狙撃、戦いの
火ぶたがきって落とされた。
数で圧倒的に不利と見られた岩国軍だったが遊軍との挟撃作戦が功を
奏して彦根軍を撃退、小瀬川は血の海になった。
これは甲冑に陣羽織といった旧態依然の幕府軍に対し、長州軍が
西洋式の砲銃戦を取り込んだ事による勝利であった。
その後幕府は勝海舟をつかわして何とか芸州口の戦いを休戦。
引き分けとしたものの、その他の大島口、石州口、小倉口では完敗と
いう有様で260年以上も続いた徳川の時代が崩壊する予兆であった。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
JR大竹駅前にある芸州口古戦場の碑を見に行ってきました。
実際の古戦場は駅から数キロいった小瀬川で、この小瀬川が今も広島県と山口県の
県境になります。

第二次長州征討(長州側では四境戦争)の古戦場のひとつ芸州口の戦いです。
交戦勢力は、長州側が岩国藩(吉川氏)、幕府側が彦根藩(井伊氏)、高田藩
(榊原氏)を中心とした軍勢です。

井伊家は徳川譜代筆頭で、小牧長久手の戦いの功績により、その後徳川の戦いに
おいて先鋒をつとめるのは井伊と決まっている家柄です。
井伊と言えば、旧武田の遺臣を召し抱えた事から赤備えと言われる真っ赤な甲冑
が有名。
実際この四境戦争においても井伊の軍勢は赤備えの軍勢だった様です。

しかしながら甲冑兜の戦いは戦国の世のものであって、西洋砲術の戦いでは逆に
機動力を削いでしまう物になります。
赤備えはかえって目立つ事により、格好の的になってしまった様です。
大混乱に陥った井伊の先鋒隊は混乱の極地に陥り、赤備えを脱ぎ捨てて敗走します。
後詰めの高田藩兵は戦いもせず逃走、世の笑いものになったという事です。
高田藩の榊原家も徳川四天王の榊原康政のながれをくむ名家。

この戦いの敗戦により、幕府の権威が失墜するとともに、戦いの手法に関しても
火気の優劣が勝敗を決めるという事がはっきりした戦いといわると思います。

平成26年夏旅
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大河ドラマの舞台
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古戦場めぐり
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2014年02月12日

妙正寺     (広島県三原市)

広島県三原市にある妙正寺に行ってきました。

<妙正寺>
妙正寺.jpg
住所:広島県三原市本町2丁目9−14
駐車場なし

妙正寺は、三原浅野氏の菩提寺として1674年に米田山麓に創建され、1723年
から現在地に移された。本道は1674年に創建された堂を1724年に移築したも
のである。棟札によるとその時に規模を拡大し、屋根を二重にするなど、現在の姿
になった。内部に僅かながら創建時の部材や移築時の改変の痕跡が残るが、ほとんど
の部材が移築時のものと思われる。
正面や両側面の廻縁上に設けられた海老紅梁や向拝の虹梁形頭貫といった部材は、享保
頃の特徴をよく表している。
本道の他、庫裏、鐘桜堂、最上殿、山門、墓所門といった主要な建物が全て残って
おり、棟札等により建立年代が正確に判明し、享保年間で統一されていることが
高く評価され、また現存例の乏しい日蓮宗寺院の遺構としても貴重である。

<本堂>
妙正寺2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
三原浅野家の菩提寺、妙正寺に行ってきました。
三原駅から歩いて10分かからないくらいですが、急な坂を登って行く
高台にあり、歩いて行くとややしんどいです。
三原駅は三原城があったところで、その三原城を眺めおろす様な場所に
妙正寺はあります。移築してこの地に来たようですが、移築に際しては
この場所を敵に占拠された場合、城を見下ろされてしまうため、反対も
あったそうです。

妙正寺の建物は、江戸中期の建物が残っており、とても貴重だそうです。
また、お寺の脇には浅野家累代の墓がありました。

<三原浅野家墓所>
三原浅野家墓所.jpg

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著名人の墓
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2014年02月09日

不動院    (広島市東区)

広島市にある不動院に行ってきました。

<不動院>
不動院 広島.jpg
住所:広島県広島市東区牛田新町3丁目4−9
駐車場あり(無料)
境内自由

<現地解説>
新日山安国寺不動院は江戸時代の「新山雑記」では当寺の開基は僧空窓であると伝え
られていますが、創建の時代や由緒については判然としていません。
ただ金堂内に安置されている本尊薬師如来座像が定朝様式であることから、当寺は
平安時代には創建されていたと推察されています。当寺が安国寺不動院と呼ばれる
由縁は足利尊氏が日本六十余州に設立した安国寺の一寺であったことに由来します。
以後、安芸安国寺として、安芸国守護武田氏の菩提寺として繁栄しました。

しかし戦国時代の大永年間(1521〜1527)武田氏と大内氏の戦いにより
安国寺の伽藍は焼け落ちてしまいました。

当寺を復興したのが戦国大名毛利氏の外交僧として、また豊臣秀吉の直臣大名
として戦国の世に名高い安国寺恵瓊です。恵瓊は当寺の伽藍復興に努め、金堂、
楼門、鐘楼、方丈、塔頭十二院などを復興整備士、時運は隆盛を極めました。

関ヶ原の戦いで恵瓊は非業の死をとげ、毛利氏も防長二国に国替えとなりました。
その後、福島正則が広島城主として入国し、さらにその後浅野氏の庇護も受け
安定した時期を迎えます。

明治以降庶民の信仰の場となりました。原爆も地理的条件が幸いして災禍を
免れました。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
不動院に行ってきました。
不動院に国宝建造物の金堂があるというので、それを見たいといのが
訪問の理由です。

<金堂・国宝>
不動院 広島2.jpg
1540年の建造。今ちょうど修繕工事が行われていました。

あと、これは知らずに行ったので現地で驚いたのですが、安国寺恵瓊や
福島正則の墓があった事です。恵瓊ゆかりの寺ですからね。

<安国寺恵瓊の墓>
安国寺恵瓊の墓.jpg

<福島正則の墓>
不動院 福島正則の墓.jpg
福島正則の墓は転封となった長野小布施にもあります。

<豊臣秀吉遺髪塚>
豊臣秀吉遺髪塚.jpg
なぜここに?という感じです。

<銀山城主・武田刑部小輔の墓>
銀山城主武田墓.jpg

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国宝建造物を巡る
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洞雲寺     (広島県廿日市市)

広島県廿日市市にある洞雲寺に行ってきました。

<洞雲寺>
洞雲寺1.jpg
住所:広島県廿日市市佐方1701-1
駐車場あり
境内自由

<現地解説>
洞雲寺は大内氏の重臣陶氏の菩提寺である龍文寺の僧金岡用兼を開祖とし、桜尾
城主であった厳島神社神主藤原教親・宗親親子により1487年その菩提寺として
建立された禅院である。金岡禅師は当寺名僧として名高く、永平寺の伽藍の復興を
なしとげ、また阿波国守護細川成之の帰依を受け、同国丈六寺と桂林寺も管轄して
いた。
藤原氏は宗親のあとも代々菩提寺として洞雲寺に領地を与え、その死亡後も代わって
大内氏がこの寺領を認め、さらに毛利氏の時代には、重臣の桂元澄、ついで元就の
四男元清が桜尾城代として洞雲寺を菩提寺のように保護したため、寺には40通に
及ぶ戦国期の貴重な古文書が残されている。
寺内には桂元澄、毛利元清夫妻の墓や陶晴賢の首塚などがあり、戦国期の興亡の姿
を今に語りかけている。

洞雲寺2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
廿日市市の洞雲寺に行ってきました。
厳島の戦いに敗れた陶晴賢の首塚があるというので訪問しました。
寺も由緒あるお寺の様で、大内氏、陶氏、毛利氏ゆかりの古文書などを
多数保有しているそうです。

<陶晴賢の墓>
洞雲寺 陶晴賢の墓.jpg
陶晴賢の首塚です。厳島の戦いで討ち死に。この地に首が葬られたとの事。

<桂元澄夫妻の墓>
洞雲寺 桂元澄の墓.jpg
毛利家家老。桂氏の子孫には、木戸孝允(桂小五郎)や桂太郎(首相)などがいる。

<穂井田元清の墓(毛利元清)>
洞雲寺 穂井田元清の墓.jpg
毛利元就の四男。穂井田家の養子になるが、後に毛利に復姓。
長府毛利家の祖

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豊国神社 / 千畳閣   (広島県廿日市市)

宮島にある豊国神社に行ってきました。

<豊国神社 / 千畳閣>
豊国神社 宮島1.jpg
住所:広島県廿日市市宮島町1-1
昇殿:100円

1587年、豊臣秀吉が戦で亡くなった人を弔うため、安国寺恵瓊に命じて
建立させた寺院です。秀吉の急死で建築は途中で止まり、天井板がはられて
いない未完成の状況で現在に至っています。

豊国神社 宮島3.jpg

明治維新後、神仏分離令により仏像は移され、ここは秀吉を祀る豊国神社
となったそうです。
大きな広間は約857畳の広さがあるという事で、そのスケールから千畳閣
と呼ばれています(確かにその広さには驚きます)

豊国神社 宮島2.jpg

豊国神社 宮島6.jpg

豊国神社 宮島5.jpg

千畳閣からの風景
豊国神社 宮島4.jpg

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宮尾城跡/要害山   (広島県宮島町)

広島県宮島町にある宮尾城跡(要害山)に行ってきました。

<宮尾城跡>
宮尾城跡(要害山).jpg
住所:広島県廿日市市宮島町

1551年、中国・九州地方に権勢を誇っていた大内義隆はその家臣
陶晴賢の謀反により滅亡した。義隆と盟友関係にあった毛利元就は1553年
晴賢に対し挙兵したが戦力的に陶軍の方がはるかに優勢であったため、奇襲の
一計を案じた。
平地での戦いを不利と見た元就は厳島に戦場をもとめ1555年5月、島の
宮尾に城を築き陶の2万余の大軍をおびき寄せた。

宮尾城跡(要害山)5.jpg

同年9月30日、元就は3500の兵とともに折からの暴風雨と夜陰に乗じ、
厳島神社の背後にあつ包ヶ浦に上陸、翌10月1日早朝、山を越え塔の岡に
ある陶軍の本陣を急襲した。これに加え、大鳥居側の海から小早川隆景の軍
と宮尾城の兵が呼応し、厳島神社周辺で大激戦となり、不意をつかれた陶軍
は壊滅した。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
宮尾城跡に行ってきました。宮尾城は厳島の戦いの為に造られた城で、おそらく
城とはいうものの、簡易な要塞みたいなものと思われます。
現在は案内板は出ていますが、現地には特に何もなく、城であったのかどうか
すら分かりません。

宮尾城跡(要害山)3.jpg

宮尾城跡(要害山)4.jpg

要害山からは、厳島神社の五重の塔やその脇の豊國神社なども見渡せ
ます。五重の塔付近に陶晴賢が陣取ったそうです。

宮尾城跡(要害山)2.jpg

平成25年〜26年年末年始の旅
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日本の城を巡る
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古戦場めぐり
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厳島門前の町並み   (広島県宮島町)

広島県宮島町の厳島神社門前の町並みを散策してきました。

<厳島門前の町並み>
厳島門前の町並み.jpg
住所:広島県廿日市市宮島町

何気に初めて厳島神社に行ってきました。
これだけ日本全国いろいろまわっておりましたが、こういう超メジャー
な観光地って逆にあまり足が向いてませんでした。まあ船で行かなくては
いけないってのもありますが。
厳島神社については私が書くまでもないかなと思い、こちらはパス。
今回厳島に行って気がついたのは厳島神社門前の町並みです。

昔ながらの町並みが残っていました。
門前にはお土産屋さんや食事処が多数並んでいますが、その商店街とは
まったく別。時間がずれてしまったかのような閑かな町並みです。

厳島神社は古くから参拝客で賑わっていたでしょうから、門前街も栄えた
んでしょうね。

<厳島神社門前の昔町>
厳島門前の町並み2.jpg

厳島門前の町並み3.jpg

厳島門前の町並み4.jpg

厳島門前の町並み5.jpg

厳島門前の町並み6.jpg

平成25年〜26年年末年始の旅
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日本の古い町並み
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桂浜         (広島県呉市)

広島県呉市の桂浜(かつらがはま)に行ってきました。

<桂浜>
桂浜 広島1.jpg
住所:広島県呉市倉橋町本浦
駐車場あり(無料)

呉市の倉橋島の最南部にある桂浜という白砂青松の海岸に
行ってきました。桂浜っていうと高知っていうイメージですよね。
こちらは「かつらはま」ではなく、「かつらがはま」と言うそうです。

呉市の桂浜は白砂青松の綺麗な海岸。
倉橋島は、古来瀬戸内の交通の要衝で、長門島と言われました。

桂浜 広島2.jpg

桂浜 広島3.jpg

736年に派遣された遣新羅使はこの地で歌を残しており、その歌碑が
桂浜に建てられています。

桂浜 万葉史跡 長門島.jpg

こちらは桂浜ドック跡。
桂浜ドック跡.jpg
幕末のもので、日本最古の西洋式造船所の跡との事です。

<桂浜神社>
桂浜神社 広島.jpg
736年遣新羅使、大石蓑麿一行が詠んだ歌にも出てくる桂浜神社。
その頃にはすでにこの地に鎮座していたものと思われている古社。

歴史の地であり、且つ風光明媚な海岸。長閑な雰囲気で時間がゆっくり
流れている様な感じのする場所でした。

平成25年〜26年年末年始の旅
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平清盛日招きの像 @音戸ノ瀬戸公園  (広島県呉市)

広島県呉市にある音戸ノ瀬戸公園で平清盛日招きの像を見てきました。

<平清盛日招きの像>
平清盛日招きの像.jpg
住所:広島県呉市警固屋8丁目
駐車場あり

音戸ノ瀬戸は広島県呉市本州側と倉橋島の間の海峡で、幅は約90メートル。
平清盛が開削したという伝説があります。
この海峡は平清盛が1日で工事を完了させるため、沈もうとする太陽を扇で
招き戻したという伝説があり、それにちなむ清盛像が建てられています。

平清盛日招きの像2.jpg

その事が神の怒りにふれ、熱病で死んだと言うような話を聞いた事があり
ます。
音戸ノ瀬戸公園はかなり広いんですが、その一番の高台に清盛像。夕陽とか
見たらまた綺麗な場所かなと思います。

<清盛像付近からの景色>
音戸ノ瀬戸公園.jpg
第二音戸大橋を眺めた風景。

音戸ノ瀬戸公園2.jpg

平成25年〜26年年末年始の旅
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大河ドラマの舞台
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銅像めぐり
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2014年02月08日

千光寺公園    (広島県尾道市)

広島県尾道市にある千光寺公園に行ってきました。

<千光寺公園>
千光寺.jpg
住所:広島県尾道市西土堂町19−1
駐車場あり(有料)

<千光寺および千光寺公園>
千光寺は806年の開基と伝えられ、往古から霊験あらたかな信仰と比類のない
景勝の寺として広く知られております。千光寺公園は明治36年、時の千光寺
住職が公園敷地として尾道市へ寄付した寺領約4452平米を以てその発祥
とし、その後昭和32年、尾道市の懇請により公園補用地として寺領の一部
約33000平米の管理運用を尾道市に委託し現在に至っています。

千光寺公園は眺望良好、また桜の名所として名高く、桜の名所100選に選ばれて
います。

<千光寺>
千光寺2.jpg

千光寺3.jpg

<千光寺公園からの風景>
千光寺公園より.jpg

千光寺公園より2.jpg

千光寺公園より3.jpg
千光寺公園からは尾道市内を一望出来ます。

平成25年〜26年年末年始の旅
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2014年02月05日

小早川隆景の墓@米山寺   (広島県三原市)

広島県三原市にある米山寺(べいざんじ)に行ってきました。

<米山寺>
米山寺.jpg
住所:広島県三原市沼田東町納所460
駐車場あり(無料)

米山寺は1153年、小早川茂平が念仏堂を建立し氏寺としたのが始まり。
以来、小早川家の菩提寺で初代実平から17代隆景までの宝篋印塔20基が並んでいます。

米山寺2.jpg

寺と道路を挟んで向かい側に小早川家の宝篋印塔が並びます。

米山寺3.jpg

その一番右端に小早川隆景の墓があります。
米山寺 小早川隆景の墓.jpg
墓は149センチメートルの宝篋印塔。
小早川隆景は1533年、毛利元就の三男として生まれ、竹原小早川家の養子に迎え
られたのち、1550年には沼田小早川家を相続し、兄吉川元春とともに父元就を助け
て毛利氏の中国統一を成就させ、のちに豊臣秀吉の五大老の一人となった。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
結構細い道を数キロ走っていくので、交通はやや難ありです。

平成25年〜26年年末年始の旅
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大河ドラマの舞台
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著名人の墓
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2014年01月22日

三原城    (広島県三原市)

広島県三原市にある三原城跡に行ってきました。

<三原城>
三原城趾.jpg
住所:広島県三原市館町1-1-1
駐車場なし(近隣コインパーク等利用)

三原城は戦国の武将毛利元就の三男で沼田小早川家を継いだ小早川隆景
が1567年沼田川河口の三原湾に浮かぶ大島・小島を繋いで築いた城
である。城は1596年頃偉容を整え、海に向かって船入りを開き、
城郭兼軍港としての機能を備えた名城で、満潮時には海に浮かんだように
見えることから浮城とも呼ばれた。
明治時代に鉄道が本丸を貫き、今では市街化が進み天守台とそれをめぐる
濠、船入り跡、船入り櫓跡及び本丸中門跡を残すのみである。

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三原城跡に行ってきました。
地図を見ると、三原駅の北側に隣接するようになっています。どうなってる
のか疑問でした。
現地に着き、車を近隣の有料駐車場に停め、三原駅に向かいます。

三原城趾2.jpg

三原城趾3.jpg
三原駅に着くと、三原駅の建物に入り込む様に三原城の石垣があり、とても
不思議な感じです。

三原城趾4.jpg
駅の中に、三原城への入り口がありました。
この矢印の階段の先は、三原城の天守台の入り口。駅からしか城の天守台に
入れないんですね。

三原城趾6.jpg
城の天守台です。目の前にあるのは三原駅の新幹線ホーム。新幹線から見える
んですね。三原駅はいつも通過なので、気付いてなかったです。

三原城趾5.jpg
天守台から濠を眺めます。大きな城郭だった事がうかがえます。
かつては海につながっていたんですね。今は市街地なので、明治以降埋め立て
が進んだんですね。

日本の城を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21222307.html

平成25年〜26年年末年始の旅
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2014年01月21日

小早川隆景像   (広島県三原市)

三原市にある小早川隆景像です。

<小早川隆景像>
小早川隆景像.jpg
住所:広島県三原市本町1−1

小早川隆景(1533〜1597)は毛利元就の三男。
兄に毛利隆元、吉川元春がいる。毛利両川の一角をなし、水軍の指揮に優れた。
毛利氏の武将として活躍し、後に豊臣秀吉に臣従。秀吉の信頼を得、五大老の一人
として数えられる。
朝鮮出兵では立花宗茂とともに碧蹄館の戦いで明軍を撃破している。

1582年に居城を三原に移している関係から、三原は小早川氏ゆかりの地。
そんな三原の駅前に小早川隆景の像があります。
三原駅北側のロータリーは隆景広場という愛称が付いています。

隆景広場.jpg

そこに鎮座するのがこの銅像。

小早川隆景像2.jpg

武将の銅像は騎馬に乗ったものとか、鎧兜姿の像がほとんどですが、
智将らしく着物姿の像がまた良い感じでした。

平成25年〜26年年末年始の旅
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大河ドラマの舞台
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銅像めぐり
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