2014年11月26日

四境戦争/芸州口古戦場碑     (広島県大竹市)

広島県大竹市にある芸州口古戦場に行ってきました。

<芸州口古戦場>
四境戦争 芸州口古戦場.jpg
住所:広島県大竹市新町1丁目
駐車場なし

<現地解説>
芸州大竹口に揃った幕府の軍勢は彦根藩、高田藩を中心とした3万、
小瀬川を挟んで対峙する岩国軍の実に5倍であった。
1866年6月14日未明、彦根軍は使番竹原七郎平と曽根佐十郎の
二騎に小瀬川を渡らせる。岩国軍は小瀬川の半ばにして狙撃、戦いの
火ぶたがきって落とされた。
数で圧倒的に不利と見られた岩国軍だったが遊軍との挟撃作戦が功を
奏して彦根軍を撃退、小瀬川は血の海になった。
これは甲冑に陣羽織といった旧態依然の幕府軍に対し、長州軍が
西洋式の砲銃戦を取り込んだ事による勝利であった。
その後幕府は勝海舟をつかわして何とか芸州口の戦いを休戦。
引き分けとしたものの、その他の大島口、石州口、小倉口では完敗と
いう有様で260年以上も続いた徳川の時代が崩壊する予兆であった。

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JR大竹駅前にある芸州口古戦場の碑を見に行ってきました。
実際の古戦場は駅から数キロいった小瀬川で、この小瀬川が今も広島県と山口県の
県境になります。

第二次長州征討(長州側では四境戦争)の古戦場のひとつ芸州口の戦いです。
交戦勢力は、長州側が岩国藩(吉川氏)、幕府側が彦根藩(井伊氏)、高田藩
(榊原氏)を中心とした軍勢です。

井伊家は徳川譜代筆頭で、小牧長久手の戦いの功績により、その後徳川の戦いに
おいて先鋒をつとめるのは井伊と決まっている家柄です。
井伊と言えば、旧武田の遺臣を召し抱えた事から赤備えと言われる真っ赤な甲冑
が有名。
実際この四境戦争においても井伊の軍勢は赤備えの軍勢だった様です。

しかしながら甲冑兜の戦いは戦国の世のものであって、西洋砲術の戦いでは逆に
機動力を削いでしまう物になります。
赤備えはかえって目立つ事により、格好の的になってしまった様です。
大混乱に陥った井伊の先鋒隊は混乱の極地に陥り、赤備えを脱ぎ捨てて敗走します。
後詰めの高田藩兵は戦いもせず逃走、世の笑いものになったという事です。
高田藩の榊原家も徳川四天王の榊原康政のながれをくむ名家。

この戦いの敗戦により、幕府の権威が失墜するとともに、戦いの手法に関しても
火気の優劣が勝敗を決めるという事がはっきりした戦いといわると思います。

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2014年02月12日

妙正寺     (広島県三原市)

広島県三原市にある妙正寺に行ってきました。

<妙正寺>
妙正寺.jpg
住所:広島県三原市本町2丁目9−14
駐車場なし

妙正寺は、三原浅野氏の菩提寺として1674年に米田山麓に創建され、1723年
から現在地に移された。本道は1674年に創建された堂を1724年に移築したも
のである。棟札によるとその時に規模を拡大し、屋根を二重にするなど、現在の姿
になった。内部に僅かながら創建時の部材や移築時の改変の痕跡が残るが、ほとんど
の部材が移築時のものと思われる。
正面や両側面の廻縁上に設けられた海老紅梁や向拝の虹梁形頭貫といった部材は、享保
頃の特徴をよく表している。
本道の他、庫裏、鐘桜堂、最上殿、山門、墓所門といった主要な建物が全て残って
おり、棟札等により建立年代が正確に判明し、享保年間で統一されていることが
高く評価され、また現存例の乏しい日蓮宗寺院の遺構としても貴重である。

<本堂>
妙正寺2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
三原浅野家の菩提寺、妙正寺に行ってきました。
三原駅から歩いて10分かからないくらいですが、急な坂を登って行く
高台にあり、歩いて行くとややしんどいです。
三原駅は三原城があったところで、その三原城を眺めおろす様な場所に
妙正寺はあります。移築してこの地に来たようですが、移築に際しては
この場所を敵に占拠された場合、城を見下ろされてしまうため、反対も
あったそうです。

妙正寺の建物は、江戸中期の建物が残っており、とても貴重だそうです。
また、お寺の脇には浅野家累代の墓がありました。

<三原浅野家墓所>
三原浅野家墓所.jpg

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2014年02月09日

不動院    (広島市東区)

広島市にある不動院に行ってきました。

<不動院>
不動院 広島.jpg
住所:広島県広島市東区牛田新町3丁目4−9
駐車場あり(無料)
境内自由

<現地解説>
新日山安国寺不動院は江戸時代の「新山雑記」では当寺の開基は僧空窓であると伝え
られていますが、創建の時代や由緒については判然としていません。
ただ金堂内に安置されている本尊薬師如来座像が定朝様式であることから、当寺は
平安時代には創建されていたと推察されています。当寺が安国寺不動院と呼ばれる
由縁は足利尊氏が日本六十余州に設立した安国寺の一寺であったことに由来します。
以後、安芸安国寺として、安芸国守護武田氏の菩提寺として繁栄しました。

しかし戦国時代の大永年間(1521〜1527)武田氏と大内氏の戦いにより
安国寺の伽藍は焼け落ちてしまいました。

当寺を復興したのが戦国大名毛利氏の外交僧として、また豊臣秀吉の直臣大名
として戦国の世に名高い安国寺恵瓊です。恵瓊は当寺の伽藍復興に努め、金堂、
楼門、鐘楼、方丈、塔頭十二院などを復興整備士、時運は隆盛を極めました。

関ヶ原の戦いで恵瓊は非業の死をとげ、毛利氏も防長二国に国替えとなりました。
その後、福島正則が広島城主として入国し、さらにその後浅野氏の庇護も受け
安定した時期を迎えます。

明治以降庶民の信仰の場となりました。原爆も地理的条件が幸いして災禍を
免れました。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
不動院に行ってきました。
不動院に国宝建造物の金堂があるというので、それを見たいといのが
訪問の理由です。

<金堂・国宝>
不動院 広島2.jpg
1540年の建造。今ちょうど修繕工事が行われていました。

あと、これは知らずに行ったので現地で驚いたのですが、安国寺恵瓊や
福島正則の墓があった事です。恵瓊ゆかりの寺ですからね。

<安国寺恵瓊の墓>
安国寺恵瓊の墓.jpg

<福島正則の墓>
不動院 福島正則の墓.jpg
福島正則の墓は転封となった長野小布施にもあります。

<豊臣秀吉遺髪塚>
豊臣秀吉遺髪塚.jpg
なぜここに?という感じです。

<銀山城主・武田刑部小輔の墓>
銀山城主武田墓.jpg

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洞雲寺     (広島県廿日市市)

広島県廿日市市にある洞雲寺に行ってきました。

<洞雲寺>
洞雲寺1.jpg
住所:広島県廿日市市佐方1701-1
駐車場あり
境内自由

<現地解説>
洞雲寺は大内氏の重臣陶氏の菩提寺である龍文寺の僧金岡用兼を開祖とし、桜尾
城主であった厳島神社神主藤原教親・宗親親子により1487年その菩提寺として
建立された禅院である。金岡禅師は当寺名僧として名高く、永平寺の伽藍の復興を
なしとげ、また阿波国守護細川成之の帰依を受け、同国丈六寺と桂林寺も管轄して
いた。
藤原氏は宗親のあとも代々菩提寺として洞雲寺に領地を与え、その死亡後も代わって
大内氏がこの寺領を認め、さらに毛利氏の時代には、重臣の桂元澄、ついで元就の
四男元清が桜尾城代として洞雲寺を菩提寺のように保護したため、寺には40通に
及ぶ戦国期の貴重な古文書が残されている。
寺内には桂元澄、毛利元清夫妻の墓や陶晴賢の首塚などがあり、戦国期の興亡の姿
を今に語りかけている。

洞雲寺2.jpg

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廿日市市の洞雲寺に行ってきました。
厳島の戦いに敗れた陶晴賢の首塚があるというので訪問しました。
寺も由緒あるお寺の様で、大内氏、陶氏、毛利氏ゆかりの古文書などを
多数保有しているそうです。

<陶晴賢の墓>
洞雲寺 陶晴賢の墓.jpg
陶晴賢の首塚です。厳島の戦いで討ち死に。この地に首が葬られたとの事。

<桂元澄夫妻の墓>
洞雲寺 桂元澄の墓.jpg
毛利家家老。桂氏の子孫には、木戸孝允(桂小五郎)や桂太郎(首相)などがいる。

<穂井田元清の墓(毛利元清)>
洞雲寺 穂井田元清の墓.jpg
毛利元就の四男。穂井田家の養子になるが、後に毛利に復姓。
長府毛利家の祖

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豊国神社 / 千畳閣   (広島県廿日市市)

宮島にある豊国神社に行ってきました。

<豊国神社 / 千畳閣>
豊国神社 宮島1.jpg
住所:広島県廿日市市宮島町1-1
昇殿:100円

1587年、豊臣秀吉が戦で亡くなった人を弔うため、安国寺恵瓊に命じて
建立させた寺院です。秀吉の急死で建築は途中で止まり、天井板がはられて
いない未完成の状況で現在に至っています。

豊国神社 宮島3.jpg

明治維新後、神仏分離令により仏像は移され、ここは秀吉を祀る豊国神社
となったそうです。
大きな広間は約857畳の広さがあるという事で、そのスケールから千畳閣
と呼ばれています(確かにその広さには驚きます)

豊国神社 宮島2.jpg

豊国神社 宮島6.jpg

豊国神社 宮島5.jpg

千畳閣からの風景
豊国神社 宮島4.jpg

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宮尾城跡/要害山   (広島県宮島町)

広島県宮島町にある宮尾城跡(要害山)に行ってきました。

<宮尾城跡>
宮尾城跡(要害山).jpg
住所:広島県廿日市市宮島町

1551年、中国・九州地方に権勢を誇っていた大内義隆はその家臣
陶晴賢の謀反により滅亡した。義隆と盟友関係にあった毛利元就は1553年
晴賢に対し挙兵したが戦力的に陶軍の方がはるかに優勢であったため、奇襲の
一計を案じた。
平地での戦いを不利と見た元就は厳島に戦場をもとめ1555年5月、島の
宮尾に城を築き陶の2万余の大軍をおびき寄せた。

宮尾城跡(要害山)5.jpg

同年9月30日、元就は3500の兵とともに折からの暴風雨と夜陰に乗じ、
厳島神社の背後にあつ包ヶ浦に上陸、翌10月1日早朝、山を越え塔の岡に
ある陶軍の本陣を急襲した。これに加え、大鳥居側の海から小早川隆景の軍
と宮尾城の兵が呼応し、厳島神社周辺で大激戦となり、不意をつかれた陶軍
は壊滅した。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
宮尾城跡に行ってきました。宮尾城は厳島の戦いの為に造られた城で、おそらく
城とはいうものの、簡易な要塞みたいなものと思われます。
現在は案内板は出ていますが、現地には特に何もなく、城であったのかどうか
すら分かりません。

宮尾城跡(要害山)3.jpg

宮尾城跡(要害山)4.jpg

要害山からは、厳島神社の五重の塔やその脇の豊國神社なども見渡せ
ます。五重の塔付近に陶晴賢が陣取ったそうです。

宮尾城跡(要害山)2.jpg

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厳島門前の町並み   (広島県宮島町)

広島県宮島町の厳島神社門前の町並みを散策してきました。

<厳島門前の町並み>
厳島門前の町並み.jpg
住所:広島県廿日市市宮島町

何気に初めて厳島神社に行ってきました。
これだけ日本全国いろいろまわっておりましたが、こういう超メジャー
な観光地って逆にあまり足が向いてませんでした。まあ船で行かなくては
いけないってのもありますが。
厳島神社については私が書くまでもないかなと思い、こちらはパス。
今回厳島に行って気がついたのは厳島神社門前の町並みです。

昔ながらの町並みが残っていました。
門前にはお土産屋さんや食事処が多数並んでいますが、その商店街とは
まったく別。時間がずれてしまったかのような閑かな町並みです。

厳島神社は古くから参拝客で賑わっていたでしょうから、門前街も栄えた
んでしょうね。

<厳島神社門前の昔町>
厳島門前の町並み2.jpg

厳島門前の町並み3.jpg

厳島門前の町並み4.jpg

厳島門前の町並み5.jpg

厳島門前の町並み6.jpg

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日本の古い町並み
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桂浜         (広島県呉市)

広島県呉市の桂浜(かつらがはま)に行ってきました。

<桂浜>
桂浜 広島1.jpg
住所:広島県呉市倉橋町本浦
駐車場あり(無料)

呉市の倉橋島の最南部にある桂浜という白砂青松の海岸に
行ってきました。桂浜っていうと高知っていうイメージですよね。
こちらは「かつらはま」ではなく、「かつらがはま」と言うそうです。

呉市の桂浜は白砂青松の綺麗な海岸。
倉橋島は、古来瀬戸内の交通の要衝で、長門島と言われました。

桂浜 広島2.jpg

桂浜 広島3.jpg

736年に派遣された遣新羅使はこの地で歌を残しており、その歌碑が
桂浜に建てられています。

桂浜 万葉史跡 長門島.jpg

こちらは桂浜ドック跡。
桂浜ドック跡.jpg
幕末のもので、日本最古の西洋式造船所の跡との事です。

<桂浜神社>
桂浜神社 広島.jpg
736年遣新羅使、大石蓑麿一行が詠んだ歌にも出てくる桂浜神社。
その頃にはすでにこの地に鎮座していたものと思われている古社。

歴史の地であり、且つ風光明媚な海岸。長閑な雰囲気で時間がゆっくり
流れている様な感じのする場所でした。

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平清盛日招きの像 @音戸ノ瀬戸公園  (広島県呉市)

広島県呉市にある音戸ノ瀬戸公園で平清盛日招きの像を見てきました。

<平清盛日招きの像>
平清盛日招きの像.jpg
住所:広島県呉市警固屋8丁目
駐車場あり

音戸ノ瀬戸は広島県呉市本州側と倉橋島の間の海峡で、幅は約90メートル。
平清盛が開削したという伝説があります。
この海峡は平清盛が1日で工事を完了させるため、沈もうとする太陽を扇で
招き戻したという伝説があり、それにちなむ清盛像が建てられています。

平清盛日招きの像2.jpg

その事が神の怒りにふれ、熱病で死んだと言うような話を聞いた事があり
ます。
音戸ノ瀬戸公園はかなり広いんですが、その一番の高台に清盛像。夕陽とか
見たらまた綺麗な場所かなと思います。

<清盛像付近からの景色>
音戸ノ瀬戸公園.jpg
第二音戸大橋を眺めた風景。

音戸ノ瀬戸公園2.jpg

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2014年02月08日

千光寺公園    (広島県尾道市)

広島県尾道市にある千光寺公園に行ってきました。

<千光寺公園>
千光寺.jpg
住所:広島県尾道市西土堂町19−1
駐車場あり(有料)

<千光寺および千光寺公園>
千光寺は806年の開基と伝えられ、往古から霊験あらたかな信仰と比類のない
景勝の寺として広く知られております。千光寺公園は明治36年、時の千光寺
住職が公園敷地として尾道市へ寄付した寺領約4452平米を以てその発祥
とし、その後昭和32年、尾道市の懇請により公園補用地として寺領の一部
約33000平米の管理運用を尾道市に委託し現在に至っています。

千光寺公園は眺望良好、また桜の名所として名高く、桜の名所100選に選ばれて
います。

<千光寺>
千光寺2.jpg

千光寺3.jpg

<千光寺公園からの風景>
千光寺公園より.jpg

千光寺公園より2.jpg

千光寺公園より3.jpg
千光寺公園からは尾道市内を一望出来ます。

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2014年02月05日

小早川隆景の墓@米山寺   (広島県三原市)

広島県三原市にある米山寺(べいざんじ)に行ってきました。

<米山寺>
米山寺.jpg
住所:広島県三原市沼田東町納所460
駐車場あり(無料)

米山寺は1153年、小早川茂平が念仏堂を建立し氏寺としたのが始まり。
以来、小早川家の菩提寺で初代実平から17代隆景までの宝篋印塔20基が並んでいます。

米山寺2.jpg

寺と道路を挟んで向かい側に小早川家の宝篋印塔が並びます。

米山寺3.jpg

その一番右端に小早川隆景の墓があります。
米山寺 小早川隆景の墓.jpg
墓は149センチメートルの宝篋印塔。
小早川隆景は1533年、毛利元就の三男として生まれ、竹原小早川家の養子に迎え
られたのち、1550年には沼田小早川家を相続し、兄吉川元春とともに父元就を助け
て毛利氏の中国統一を成就させ、のちに豊臣秀吉の五大老の一人となった。

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結構細い道を数キロ走っていくので、交通はやや難ありです。

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2014年01月22日

三原城    (広島県三原市)

広島県三原市にある三原城跡に行ってきました。

<三原城>
三原城趾.jpg
住所:広島県三原市館町1-1-1
駐車場なし(近隣コインパーク等利用)

三原城は戦国の武将毛利元就の三男で沼田小早川家を継いだ小早川隆景
が1567年沼田川河口の三原湾に浮かぶ大島・小島を繋いで築いた城
である。城は1596年頃偉容を整え、海に向かって船入りを開き、
城郭兼軍港としての機能を備えた名城で、満潮時には海に浮かんだように
見えることから浮城とも呼ばれた。
明治時代に鉄道が本丸を貫き、今では市街化が進み天守台とそれをめぐる
濠、船入り跡、船入り櫓跡及び本丸中門跡を残すのみである。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
三原城跡に行ってきました。
地図を見ると、三原駅の北側に隣接するようになっています。どうなってる
のか疑問でした。
現地に着き、車を近隣の有料駐車場に停め、三原駅に向かいます。

三原城趾2.jpg

三原城趾3.jpg
三原駅に着くと、三原駅の建物に入り込む様に三原城の石垣があり、とても
不思議な感じです。

三原城趾4.jpg
駅の中に、三原城への入り口がありました。
この矢印の階段の先は、三原城の天守台の入り口。駅からしか城の天守台に
入れないんですね。

三原城趾6.jpg
城の天守台です。目の前にあるのは三原駅の新幹線ホーム。新幹線から見える
んですね。三原駅はいつも通過なので、気付いてなかったです。

三原城趾5.jpg
天守台から濠を眺めます。大きな城郭だった事がうかがえます。
かつては海につながっていたんですね。今は市街地なので、明治以降埋め立て
が進んだんですね。

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2014年01月21日

小早川隆景像   (広島県三原市)

三原市にある小早川隆景像です。

<小早川隆景像>
小早川隆景像.jpg
住所:広島県三原市本町1−1

小早川隆景(1533〜1597)は毛利元就の三男。
兄に毛利隆元、吉川元春がいる。毛利両川の一角をなし、水軍の指揮に優れた。
毛利氏の武将として活躍し、後に豊臣秀吉に臣従。秀吉の信頼を得、五大老の一人
として数えられる。
朝鮮出兵では立花宗茂とともに碧蹄館の戦いで明軍を撃破している。

1582年に居城を三原に移している関係から、三原は小早川氏ゆかりの地。
そんな三原の駅前に小早川隆景の像があります。
三原駅北側のロータリーは隆景広場という愛称が付いています。

隆景広場.jpg

そこに鎮座するのがこの銅像。

小早川隆景像2.jpg

武将の銅像は騎馬に乗ったものとか、鎧兜姿の像がほとんどですが、
智将らしく着物姿の像がまた良い感じでした。

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2009年03月04日

浄土寺    (広島県尾道市 観光名所)

広島県尾道市の浄土寺に行ってきました。

<浄土寺>
浄土寺 山門
住所:広島県尾道市東久保町20-28
駐車場あり(無料)

616年、聖徳太子の開基と伝える。
1186年、紀州高野山領大田荘の政所となり、後白河天皇の勅願
所となった。のち荒廃したが、1306年、奈良西大寺の律僧定鉦
上人によって伽藍が再整備され、西大寺長老信空上人ら僧百余名
を招き盛大に落慶法要が行われた。
1336年、足利尊氏は二度にわたり同寺に参拝して戦運挽回を
祈願し、三十三首法楽和歌を奉納した。
境内には我が国の中世寺院建築を代表する本堂(国宝)、
多宝塔(国宝)をはじめ阿弥陀堂(国指定重要文化財)、山門
(国指定重要文化財)などが伽藍を広げる。

<本堂・国宝>
浄土寺本堂

<多宝塔・国宝>
浄土寺 多宝塔

<阿弥陀堂・国指定重要文化財>
浄土寺 阿弥陀堂(重要文化財).jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
尾道の浄土寺に行ってきました。
尾道の古寺巡りの中でも、ここ浄土寺の由緒は際だっているような
気がします。
聖徳太子創建の古刹で、現在残る本堂や多宝塔は鎌倉時代末期の建築。
足利尊氏のゆかりを聞けば、足利尊氏もこの本堂や多宝塔を見たん
だろうなという事で、歴史のロマンを感じます。

足利尊氏の崇拝もあつかったんでしょうね。
境内には尊氏の供養塔(お墓)もありました。

浄土寺 足利尊氏供養塔.jpg

尾道古寺の一番東側にあるので、東から巡る場合は最初のお寺になり
ます。個人的には非常に良いお寺だなと思いました(^-^)

国宝建造物を巡る
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平成20年冬旅
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2009年02月10日

天寧寺    (広島県尾道市 観光名所)

広島県尾道市の天寧寺に行ってきました。

<天寧寺>
天寧寺 本堂
住所:広島県尾道市東土堂町17-29
駐車場無し
境内自由

1367年に尾道の人万代道円の発願により足利2代将軍足利義詮
が父尊氏の意思をついで工費を寄進し、開山したもの。
本尊は釈迦如来。
三重塔は1388年の建築で国指定重要文化財。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
尾道の天寧寺に行ってきました。
尾道は古刹めぐりが観光のひとつ。坂道を歩きながら散策します。
天寧寺は三重塔と五百羅漢が良かったです。

五百羅漢堂があり入ってみました。
天寧寺五百羅漢
文化年間から明治にかけて作られた526体の羅漢様が並びます。
この数は壮観です。
ちょっと違うかもしれませんが、三十三間堂の千手観音様の並ぶ
光景に少し似てるかなと思いました。

天寧寺三重塔.jpg

ここの三重塔は、坂道を登って上から眺めるアングルが良いですね。
尾道市内をバックに眺める風景が良かったです(^-^)

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2009年02月09日

天満神社     (広島県呉市)

広島県呉市、御手洗にある天満神社に行ってきました。

<御手洗の天満神社>
八幡宮(御手洗)
住所:広島県呉市豊町御手洗
駐車場(御手洗の観光駐車場利用)

御手洗という名の起こりは、神功皇后が三韓侵略のとき、この地で
手を洗われたということから、この名がつけられたと言われ、古く
から神功皇后伝説があった。
1860年にこの地に遊んだ勤皇僧、宇都宮黙林の詩にもそのことが
書かれている。
明治に入ると御手洗の主人公は菅原道真に移った。
901年、菅公が太宰府に左遷されたとき、船をこの地に寄せ天神
山の麓のこの地で、口をすすぎ、手を洗われ天神地祇にお祈りした。
このところを菅公御手洗いの井戸とし文筆の神にあやかって、正月
の書き初めは必ずこの若水をくんで書いたものである。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
御手洗の天満神社に行ってきました。
天満宮と言えば、菅原道真。この神社のゆかりも菅原道真による
ものでした。(もとは神功皇后だったみたいですが)

神社に入ると、傍らに古い菅公の碑が。
菅公の碑

本殿参拝後、脇にある菅公御手洗の井戸へ。
菅公御手洗の井.jpg
何故か井戸のうえにバケツ!?
なんでしょう。

と、思ったら、なんと井戸をにバケツを落として水を汲んでください
という事でした。
菅公御手洗の井
上蓋をとったら、水がなみなみとあるじゃないですか。
さっそくバケツで汲んで、手洗いです。
菅公、神功皇后を真似てみました。
これで何か良いことがあると良いんですが(笑)

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天満神社

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2009年02月07日

満舟寺     (広島県呉市)

広島県呉市の満舟寺に行ってきました。

<満舟寺>
満舟寺本堂
住所:広島県呉市豊町御手洗字榎町
駐車場(御手洗の観光駐車場利用)

平清盛が安芸守であったとき、上洛の途中関前灘で風波にあった。
今にも船が転覆しそうになったとき、清盛公は手を洗い、口をすすぎ、
一心に称名して大悲薩埵の大慈を頼んだところたちまち風やみ、天
晴れ衆人蘇生の思いをした。
その恩を感じ、庵を結んで十一面観音を安置したと伝えられています。

寺の立派な石垣は、秀吉の四国征伐の際、前線基地として加藤清正
が築城したものと伝えられています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
呉の御手洗にある満舟寺に行ってきました。
御手洗の町並みを散策していたところ、立派な石垣を発見。
城かなと思って近寄ってみるとお寺でした。

満舟寺石垣

城と勘違いする様な石垣、すごいな〜と思ったら、築城の名人と言わ
れる加藤清正が前線基地として作ったものと判明。
なるほどね〜という感じです。

お寺自体は小さなお寺で、御手洗の街中にひっそりとある感じ。
境内には、江戸時代の俳人栗田樗堂のお墓もありました。
栗田樗堂の墓

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著名人の墓
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満舟寺

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松濤園     (広島県呉市 観光名所)

広島県呉市の松濤園に行ってきました。

<松濤園>
松濤園
住所:広島県呉市下蒲刈町下島2277−3
電話:0823−65−2900
駐車場あり
入園料:800円
開園:9時〜17時

下蒲刈島は古くから瀬戸内海の海上交通の要衝として栄えた町であり
、江戸時代には善隣友好の使節団である朝鮮通信使が12回来日した
うち、11回立ち寄ったという古い歴史と伝統をもつ、由緒ある
町です。
松濤園は、そんな下蒲刈島の歴史や自然を生かした全島庭園化事業の
一環として作られたもので、富山県砺波の商家「旧有川邸」、
山口県上関町の商家「旧吉田邸」、広島県宮島町の町屋「旧木上邸」
を移築復元しています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
下蒲刈島にある松濤園に行ってきました。
ここは、日本の旧家を移築復元した民家園みたいな所です。
移築されたものではあるんですが、それが下蒲刈島の雰囲気にとけ
こんで非常に自然な感じがするところでした。

特に興味深かったのが、旧有川邸を移転して作られた朝鮮通信使
資料館。
朝鮮通信使に関する博物館で、その内容も濃くて良かったです。
朝鮮通信使をもてなした食事の内容とか、意外な事も分かります。
(写真不可のため、写真はありません)

松濤園

松濤園3.jpg

松濤園4.jpg

松濤園5.jpg

松濤園6.jpg

平成20年冬旅
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松濤園

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呉の赤れんが倉庫   (広島県呉市)

呉で赤れんが倉庫を見てきました。

<赤れんが倉庫>
呉貿倉庫運輸
住所:広島県呉市昭和町6番6号
駐車場無し

もともと呉工廠の水雷部と電気部の工場であった赤レンガ造りの4棟の建物で、戦後貿易倉庫として活用されたものです。
現在も現役で、呉貿倉庫運輸という会社の倉庫として使われています。

呉市内から音戸ノ瀬戸に向かって走っている途中、とても趣のある
赤れんが倉庫だったので車を停めて写真を撮りました。

呉貿倉庫運輸2.jpg

赤れんが倉庫と言えば、京都の舞鶴を思い出します。
呉と舞鶴、共通するのは軍港という事。
呉の赤れんが倉庫の前の海もこんな感じで潜水艦が停泊してました。

呉貿倉庫運輸 前の海.jpg
歴史を感じる風景と、軍港というイメージ。意外に良いんですよね。
呉と舞鶴は、「肉じゃが」発祥の地を巡って争ってますが(笑)、
町の風景も似たような感じで、仲良くやっていけば良いんじゃない
かなと思いました(^-^)

レンガ倉庫の規模では、やはり舞鶴の方が大きいですけどね。

平成20年冬旅
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呉の赤れんが倉庫

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2009年02月04日

歴史の見える丘    (広島県呉市)

広島県呉市の歴史の見える丘に行ってきました。

<歴史の見える丘>
歴史の見える丘.jpg
住所:広島県呉市宮原5丁目
駐車場無し

軍港都市から平和産業港湾都市へと変化をとげた呉の歴史が一望でき
る場所。この丘には「大和」にちなむ「嘻戦艦大和之塔」、戦艦大和
などを建造した造船ドックの記念碑などがあります。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
広島市街地から音戸ノ瀬戸に向かう道の途中にある公園です。
上の解説にもある様に、ここからは呉の歴史を眺める事が出来ます。

歴史の見える丘2.jpg

目の前にはIHI(石川島播磨重工業)の呉第一工場を眺めおろせ
ます。ここで大和が建造されたという事です。

戦艦大和の塔.jpg
嘻戦艦大和之塔です。

呉 正岡子規の歌碑.jpg
正岡子規の歌碑です。
「呉かあらぬ 春の裾山灯をともす」
明治28年、友人を見送るため呉にきた正岡子規が詠んだ句です。

平成20年冬旅
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歴史の見える丘

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大和ミュージアム   (広島県呉市)

広島県呉市の大和ミュージアムに行ってきました。

<大和ミュージアム>
大和ミュージアム
住所:広島県呉市宝町5-20
電話: 0823-25-3017
休み 火曜(祝日の場合は翌日休、GW・7月21日〜8月31日は無休)
時間 9:00〜17:30
駐車場 駐車場あり(有料)
料金 大人500円、高校生300円、小・中学生200円

<大和ミュージアムについて・パンフレット抜粋>
戦艦大和を建造した東洋一の軍功、日本一の海軍工廠の町として栄えた
呉。戦後は戦前から培われてきた技術が新しい技術と結びつき、世界
最大のタンカーを数多く建造するなど、日本が戦後約10年ほどで
世界一の造船国へ発展する一翼を担いました。
呉市海事歴史科学館「大和ミュージアム」は呉の歴史と、その近代化
の礎となった造船・鉄鋼をはじめとした各種の科学技術を先人の努力
や当時の生活・文化にふれながら紹介します。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
今回の冬旅の一番の目的地「大和ミュージアム」です。
2005年の開館の時から気になっていたんですが、やっとで
行くことが出来ました。
呉は戦艦大和が建造された町。
数年前に映画『男たちの大和』を見てから大和に対する興味も更に
増していました。

博物館の内容は想像以上でした。

大和ミュージアム 展示.jpg

大和ミュージアム 展示2.jpg

大和ミュージアム 展示3.jpg

明治以降の日本の軍備増強。呉海軍工廠の歴史。
大和の開発について。
などなど展示の内容は非常に充実しています。
海に沈んでいる大和の映像も感動しました。

大和で亡くなった人たちの親や兄弟などのお話を流す映像など、靖国
神社の展示館みたいな雰囲気もありました。

入り口を入るとあるのが1/10モデルの戦艦大和。
大和ミュージアム 戦艦大和.jpg
写真だと分かりづらいかもしれませんが、一緒に移っている人の大き
さと比べるとその大きさが分かるんじゃないかと思います。
迫力満点です。

今回、15時半くらいに大和ミュージアムに入りました。
2時間あるし良いかなと思ったんですが、2時間ではゆっくり見る
事が出来ませんでした。もう少し余裕を持っていけば良かったです。
また行ってみたいなと思う博物館でした!

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2009年02月02日

安芸国分寺    (広島県東広島市)

広島県東広島市にある安芸国分寺に行ってきました。

<安芸国分寺>
安芸国分寺仁王門
住所:広島県東広島市西条町吉行2064
駐車場あり
境内自由

741年、聖武天皇の勅願で建立されたもの。安芸国分寺もその
時の建立で、当寺は七堂伽藍35の僧坊があり国内無比の大道場
で信仰を兼ねた行政府でもあった。
その後、2度の兵火にあうなどして数々の秘録を遺し、明治初年
まで藝藩主浅野家の祈祷所として代官の直支配下にあった。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
西条の酒蔵通りから少し歩いたところ、線路の反対側に安芸国分寺
がありました。

<本堂>
安芸国分寺

奈良時代に全国に建てられた国分寺。さすがに現在、当時の雰囲気を
残すところはほぼ無いと言っても良い位でしょう。
ここも、他の国分寺跡にありがちですが、本堂は再建で、跡地に礎石のみ残るという様な感じです。

安芸国分寺跡

安芸国分寺塔跡

夢の跡という様な感じがしますね。

平成20年冬旅
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国分寺を巡る
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安芸國分寺


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2009年01月31日

西条酒蔵通り   (広島県東広島市 古い町並み)

広島県東広島市の西条酒蔵通りに行ってきました。

<西条酒蔵通り>
西条酒蔵の町並み
住所:広島県東広島市西条本町

西条はかつて、山陽道(西国街道)の四日市という宿場町として
栄えました。現在、四日市宿の本陣跡も残ります。

西国街道四日市宿 茶屋本陣.jpg

明治時代に入り、四日市は西条という町に変わり、酒蔵が建ち並ぶ
町並みへとかわっていきます。
賀茂鶴、賀茂泉、亀齢、福美人、西条鶴、白牡丹、山陽鶴、賀茂輝
などなどの酒蔵が並びます。
西条は伏見、灘と並ぶ日本三大名醸地として知られています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
酒蔵西条の町並みを散策してきました。
駅前は綺麗な町並みの西条駅。そのすぐ近くに酒蔵通りがあります。

こちらは急に雰囲気が変わり、白壁土蔵とベンガラ色の屋根が目立つ
町並みになります。ここにあるのは酒蔵。
しかも今も酒を造り続けている酒蔵です。

賀茂鶴、賀茂泉など広島のお酒として、知名度は全国区。僕も都内
の居酒屋などでよく飲むお酒です。

西条酒蔵の町並み

町並みは雰囲気がとても良いです。
酒蔵の前には、酒の仕込み水になる井戸水が飲める様になってます。
観光客用という感じです。

<西条鶴の井戸>
西条鶴酒造の井戸

<賀茂鶴の井戸>
賀茂鶴の井戸

日本酒好きの僕としては、こういう町並みは非常に良いです。
普段飲んでるお酒も、地元で買うと別物の様に感じてしまうのが不思議
なところですね。

【写真は続きをどうぞ】

平成20年冬旅
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日本の古い町並み
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福禅寺 対潮楼    (広島県福山市)

広島県福山市の福禅寺対潮楼に行ってきました。

<福禅寺>
福禅寺
住所:広島県福山市鞆町鞆2
拝観:200円

海岸山千手院福禅寺は、平安時代の天暦年間(950年頃)の創建
と伝えられる真言宗の寺院です。本堂やそれに隣接する対潮楼は、
江戸時代の元禄年間(1690年代)に建立されました。
客殿からの海の眺めはすばらしく、特に1711年朝鮮通信使は、
この景観を「日東第一形勝」と賞賛し、従事官李邦彦はその書を
残しました。また1748年には正使洪啓禧は客殿を「対潮楼」
と命名し、洪景海がその書を残しています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
鞆の浦にある福禅寺に行ってきました。
ここは何と言っても朝鮮通信使が絶賛した景観を眺める事が出来る
「対潮楼」が見所です。
拝観料を払い、中に入りました。

<対潮楼からの風景>
対潮楼からの景色

対潮楼からの景色

これがその風景です。瀬戸内の穏やかな海がとても良いです。
夕暮れなども良い光景でしょうね。
かつては、宮城道雄の「春の海」のイメージとして、最近では、
宮崎駿の映画『崖の上のポニョ』のモチーフとなった海の風景
です。

穏やかな海の光景は、ゆっくりお茶でも飲みながら眺めていたい様
な感じです。

対潮楼の中には、朝鮮通信使の「日東第一形勝」の額も。
日本第一景勝
鞆の浦に行ったらここは外せない場所かと思います。

平成20年冬旅
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山中鹿之助首塚   (広島県福山市)

広島県福山市にある山中鹿之助首塚です。

<山中鹿之助首塚>
山中鹿之助首塚
住所:広島県福山市鞆町(静観寺)

戦国時代、毛利氏に滅ぼされた尼子氏の家臣山中鹿之助は、主家の
再興を願い兵をあげました。1578年、岡山県の高梁川阿井の
渡しで討たれ、毛利輝元や足利義昭に首実検をされました。
その首は鞆に持ち込まれたと伝えられています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
戦国好きならば知らぬ者はいない山中鹿之助。
鞆の浦を歩いていたら偶然首塚を見つけました。
月山富田城とか関係地には行ったことがありましたが、首塚が
ここにあるのは知りませんでした。

意外な発見で少しビックリでした。

平成20年冬旅
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著名人の墓
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山中鹿之助首塚

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鞆の浦の町並み   (広島県福山市 古い町並み)

広島県福山市の鞆の浦の町並みを散策してきました。

<鞆の浦の町並み>
鞆の浦の町並み
住所:広島県福山市鞆町
駐車場あり(有料)

鞆の浦の町並みを散策しました。
鞆の浦に行くのは10年振りくらいで、久しぶり。
10年前には、その穏やかな海だけを見て立ち去っていました。

今回はひとつ裏にある町並みを歩いてみました。
これがびっくり!かなり大規模な町並みでした。
鞆の浦は、福山藩最大の町で、江戸時代には港町として栄えたところ。
朝鮮通信史が宿泊したりしています。

港町として、昔ながらの町並みがここまで大規模に残るのは鞆の浦
くらいじゃないでしょうか。
いずれ、伝統的建造物群保存地区に指定されるのは間違いないで
しょう。今、開発との狭間でもめている様ですが、この町並みは
是非残してほしいものだと思いました。

【写真は続きをご覧ください】

平成20年冬旅
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2009年01月27日

高鳥台公園   (広島県呉市)

広島県呉市、音戸ノ瀬戸公園の中にある高鳥台公園に行って
きました。

<高鳥台公園>
音戸ノ瀬戸公園  高鳥台公園.jpg
住所:広島県広島県呉市呉市和庄町
入場無料

音頭の瀬戸を眺める高鳥台公園に行ってきました。
音頭の瀬戸は、平清盛が日宋貿易の為に開削したというもの。
一日で開削するため、夕陽を扇で舞もどしたなんていう無茶くちゃな
伝説も残っています。
音戸の瀬戸の幅は約90メートル。潮の流れも早いです。

高鳥台公園からは、川の様な音戸の瀬戸を眺める事が出来ます。
一応、広い意味で高鳥台公園は音戸ノ瀬戸公園の一角という事に
なっている様です。
ここから見る、夕陽や日の出も綺麗そうだな〜って思いました。

<高鳥台公園>
音戸ノ瀬戸公園  高鳥台公園 二重の塔.jpg

音戸ノ瀬戸公園 平清盛.jpg

高鳥台公園からの風景は続きをどうぞ。

平成20年冬旅
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2009年01月24日

西郷四郎終焉の地   (広島県尾道市)

広島県尾道市、西郷四郎終焉の地です。

<西郷四郎終焉の地>
西郷四郎終焉の地
住所:広島県尾道市東久保町

<現地解説>
西郷四郎先生は、日本柔道界の奇才で、嘉納治五郎師範が講道館を
創設した頃、それを助けて日本柔道を大成した人物です。
小柄な体躯でしたが、その特技「山嵐」の大業は天下無敵。
小説・映画で有名な「姿三四郎」は先生がモデルでした。
大正9年、病気療養のため尾道に来て、吉祥坊に仮寓し、養生につと
めていましたが、大正11年57才で亡くなりました。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
尾道を散策しているときに偶然みつけた西郷四郎終焉の地の碑です。
僕が西郷四郎を知ったのは、昔漫画雑誌週刊ジャンプで連載してい
た「ひかる チャチャチャ」っていう漫画がきっかけでした。
その時知った知識で、小柄ながら「山嵐」という技を駆使した天才
柔道家というイメージでした。

まさか尾道を観光しているところで、西郷四郎氏の碑に出くわそう
とは思わなかったのでびっくり。

西郷四郎像
等身大の銅像です。確かに小さい。
こんなに小さな天才柔道家がいたんだな〜と改めて思いました。

平成20年冬旅
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2009年01月20日

御手洗の町並み   (広島県呉市 古い町並み)

広島県呉市の御手洗の町並みを散策してきました。

<御手洗の町並み>
御手洗
住所:広島県呉市豊町御手洗
駐車場あり(無料)

<現地解説>
風まち、潮まち、港町。江戸時代の中継貿易港御手洗には人が集い、
物が集まり、文化が育った。町には江戸から明治、大正、昭和初期
までに建てられた貴重な建物が混在している。
その映画の残像が平成の今、日本文化を伝えてくれる。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
呉市の御手洗の町並みを散策しました。
御手洗は瀬戸内海の大崎下島という島にあり、以前は船でしか行けな
かったため、行けずにいましたが、昨年橋が開通したため呉観光の
ついでに行ってみました。
呉市とは言っても、呉の市街地からは1時間位みておいた方が良い
かもしれません。下蒲刈島・上蒲刈島などを橋で渡って行きますが、
道路はよく整備されていて、快適に走ることが出来るのも良かった
です。

御手洗には、無料駐車場がり、車を停めて歩いて散策です。
一番の見所は、常磐町どおり。
昔ながらの町並みが並びます(重要伝統的建造物群保存地区)
島という、本土とは隔絶された場所で、こういう町並みが残ってる
事に感動しました。本土と離れていたからこそ残ったのかもしれま
せん。

御手洗の町並み2.jpg

瀬戸内海の港町として栄えた町。
今は広島県呉市になります。目の前に見える岡村島は愛媛県。県境の
町でもあります。
穏やかな瀬戸内海の雰囲気と、昔ながらの町並みがすごく良い町でし
た(^-^)

続きをご覧ください。

平成20年冬旅
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日本の古い町並み
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2008年12月30日

灰ヶ峰の夜景   (広島県呉市)

広島県呉市の夜景の名所、灰ヶ峰に行ってきました。

<灰ヶ峰>
灰ヶ峰
住所:広島県呉市栃原町
駐車場あり(無料)

呉の夜景といえば、ここ灰ヶ峰。
呉と言うより、広島を代表する夜景の名所です。
いつか見に行きたいと思っていましたが、今日行ってきました。
18時半ですでに真っ暗。ここから灰が峰を目指します。

カーナビを灰ヶ峰公園に設定(これが実は失敗)して突撃です。
カーナビは住宅地の中のものすごい細い道を選択。すれ違いも厳しい
ほどです。
灰ヶ峰は標高700メートル超。かなりの高さです。
住宅地を抜けると一気に山の中。木が傾いてきてたり、かなりやば
そうな雰囲気。失敗したかな〜と思いつつ、ここまで来たら引き返
せないという事で、先にすすみます。
カーナビの誘導どおり、灰ヶ峰公園に到着。
しかし・・・、何もなし(涙)
僕のほかにももう一台、迷ってる県外ナンバーの車あり。
やはり迷うんですね。
カーナビをセットする時、灰ヶ峰公園を指定してはいけません。
灰ヶ峰山頂を目指さないとだめです。

そんな苦難をこえてやっと山頂に到着。
夜景は素晴らしいです!まさに絶景。
苦労が報われました(^_^)

灰ヶ峰 西側

灰ヶ峰アップ

あと、住宅地を突破したのも間違い。カーナビにしてやられました。
灰ヶ峰に行く時は、「西畑」という交差点から山に突入。
途中に「灰ヶ峰山頂」という標識がありますので、それに従えば
比較的楽に山頂に行けます。

何事も事前の調査が重要ですね。

夜景の名所巡り
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平成20年冬旅


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2008年08月03日

竹原の町並み   (広島県竹原市 観光名所)

広島の竹原の町を散策してきました。

<竹原の町並み>
竹原の町並み
住所:広島県竹原市本町

竹原は「安芸の小京都」と呼ばれる町です。
江戸時代には製塩業で栄え、今もその時の町並みが残ります。
竹原は戦国時代、毛利家の小早川隆景が治めた町でもあり、市内に
は隆景ゆかりのお寺などもあります。

僕が竹原を訪問したのは7年前、平成13年になります。
早朝の訪問でした。
日が昇って、それでも曇っていたので薄暗い中散歩です。
人も誰もいない中、昔ながらの町並みを見ていると、タイムスリップ
したかのような感じがしました(笑)

竹原は良い町並みですね。閑かで、すごく良かったです。

<竹原の町並み>
竹原の町並み

竹原の町並み

竹原の町並み

竹原の町並み

日本の古い町並み
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2006年07月22日

明王院   (広島県福山市 国宝建造物 観光名所)

広島県福山市の明王院です。

<明王院・本堂(国宝)>
明王院本堂(国宝).jpg
住所:広島県福山市草戸町1473
駐車場あり(無料)
境内自由

<由緒>
全身の「常福寺」は807年に空海(弘法大師)によって創建されたという
寺伝が残る福山の古刹。中世には門前に草戸千軒町(川底に埋もれた中世遺跡として著名)が栄えた。江戸時代には福山藩主となった水野家・阿部家の庇護の下で繁栄した。

本堂は国宝建造物。建築様式は全体的に和洋の姿をとりながらも、細部に
は大幅に唐様が採用されている折衷様。
尾道の浄土寺本堂(国宝)とともに、内海地域で最も古い建物として貴重
です。
五重塔も国宝建造物。1348年住持頼秀の時、一文勧進の小資を積んで
造られたものです。和洋の形態を良く整え、手法も雄大で南北朝時代を
代表する建築。全国の指定19塔のうち5番目の古さをほこっています。

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平成17年夏旅は8月10日に突入。
前日長崎島原から北九州小倉に向かう長崎街道を走っている最中に車の
警告灯がつきやばい事態に。
山口の周南市でディーラーに駆け込みました。
結局原因はブレーキパッド摩耗での交換。われながら情けない状況でした。

午後気を取り直して観光しようと思ったんですが、今度は渋滞と豪雨。
まったく観光をしないまま福山まで来てしまいました。

せめて1ヶ所観光という事で行ったのが明王院。
ここは弘法大師創建の古刹で、なんと言っても本堂・五重塔と2つの国宝
建造物があるというすごいところなのです。
明王院に着いたのが確か17時半くらいだったでしょうか。もう夕方。
駐車場(無料)に車を停め走って本堂に向かいました。

行ってみて感動!「おぉ〜すごい」
本堂と五重塔、2つの国宝建造物が並び、その雰囲気は荘厳です。
行った時間が遅かったせいもあって、観光客も僕一人。
静寂の中、本堂と五重の塔をゆっくり見てまわりました。
福山にこれだけの寺院があったのには驚きました。福山城とかに目が行き
がちですが、歴史的由緒など考えても明王院こそ福山の一押し観光名所
かと思います。またいつか再訪したい場所です。

平成17年夏旅
http://rover.seesaa.net/article/19481587.html

明王院(国宝建造物が2つも!)

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2005年12月17日

黄金山の夜景   (広島県広島市 夜景 観光名所)

広島の夜景スポット、広島市南区の黄金山(おうごんざん)です。

<黄金山の夜景>
広島黄金山_夜景.jpg
住所:広島県広島市南区黄金山町
駐車場あり(無料・広いです)

<ひとこと>
広島の夜景スポット、黄金山です。
読み方は「こがねやま」と読むのかな〜と思うところですが、「おうごんざん」と読む
みたいです。隠し財宝の伝説でもあったんでしょうかね。
ついつい気になってしまう名前です。
国道2号線を走っていると、黄金山の標識があります。
そこから急な坂道をのぼり黄金山頂に着きます。
道路もそんなに悪くないので、初心者の方でも大丈夫かと思います。

夜景は四方違った雰囲気があります。
北に広島市街、南は高速道路の明かり、西には綺麗にライトアップされた橋などいろ
いろです。
広島市街は少し距離があるので、建物等が大きく見える訳ではありませんが、光が
ちりばめられた感じの夜景は見応えがあります。市街方面に木がちょっと生えている
ので、それがちょっと邪魔なんですけどね。

<黄金山夜景>
広島黄金山_夜景東方面

広島黄金山_夜景南方面

広島黄金山_夜景北方面

(黄金山夜景 おすすめ度 ★★★★)
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