2021年01月17日

立花道雪・立花宗茂の墓を参拝   (福岡県柳川市)

柳川市にある福厳寺で立花道雪・立花宗茂の墓を参拝しました。

<福厳寺>
福厳寺.jpg
住所:福岡県柳川市奥州町32−1
駐車場あり(無料)
境内自由

柳川にある福厳寺に行ってきました。
ここは柳川藩主・立花氏の菩提寺です。ここに立花宗茂と養父立花道雪の墓がある
というので訪問しました。

立花道雪の墓は福岡県新宮町にある梅岳寺というお寺に、また立花宗茂は江戸で
亡くなり、練馬区にある広徳寺というお寺にお墓がある為、ここのお墓は分骨
もしくは供養塔と思われます。

<練馬・広徳寺(過去訪問)>
http://rover.seesaa.net/article/190392177.html

本堂裏に立花家墓域があります。
福厳寺 立花氏墓域2.jpg

福厳寺 立花氏墓域.jpg

お寺に入って、墓域がどこにあるのか説明等無いので、とても分かりづらいです。

<立花道雪の墓>
福厳寺 立花道雪の墓.jpg

<立花宗茂の墓>
福厳寺 立花宗茂の墓.jpg

お二方の墓を参拝して撤退しました。

令和2年夏旅3 九州大旅行
http://rover.seesaa.net/article/477079249.html

著名人の墓
http://rover.seesaa.net/article/26837973.html






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2021年01月16日

柳川城址   (福岡県柳川市)

福岡県柳川市の柳川城址に行ってきました。

<柳川城址>
柳川城8.jpg
住所:福岡県柳川市本城町
駐車場無し

<柳川城について>
柳川城2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
文亀年間(1501〜1504年)に蒲池治久によって築城されたお城で、蒲池氏の居城と
して続きます。
後に立花宗茂が入城しますが、関ヶ原で敗れこの地を去った後、田中吉政が32万石
の石高で柳川に入城しました。
田中吉政が柳川城の大改修を行い、ほぼ現在の形にしました。
その後、田中家は跡継ぎがなく無嗣断絶となり、立花宗茂が再び柳川に入ることにな
ります。
明治維新まで立花家が柳川城主をつとめました。

現在、城の遺構はほぼ残っておらず、柳城中学校の校庭の脇に柳川城址の碑や説明板
があります。

<柳川城>
柳川城3.jpg

柳川城4.jpg
すぐ下は柳城中学校の校庭です。

柳川城5.jpg

城の遺構はほぼ残っていませんが、柳川の地図を見ると綺麗に堀が残っているのが
分かります。

柳川城.jpg
外堀、内堀が綺麗に分かります。

柳川観光の目玉、船下りがありますが、これは柳川城の堀を船で巡ってるんですね。

柳川城6.jpg

柳川城7.jpg

令和2年夏旅3 九州大旅行
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日本の城を巡る
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田中吉政像    (福岡県柳川市)

柳川市にある田中吉政像を見てきました。

<田中吉政像>
田中吉政像.jpg
住所:福岡県柳川市坂本町16−10
駐車場無し

<田中吉政について>
田中吉政像3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
柳川にある田中吉政像を見てきました。

田中吉政は近江の出身、最初は宮部継潤に仕えその後秀吉、秀次、関ヶ原後は
家康に仕えました。
関ヶ原の戦いで伊吹山中で三成を捕らえるという功績をあげました。
戦後柳川城主となり、柳川の町の基礎作りに尽力しました。
その関係もあり、柳川城の北側に吉政の像があります。

田中吉政像2.jpg

現地には駐車場がありません。柳川の有料観光駐車場に車を停めて歩いて現地に
行きました。

令和2年夏旅3 九州大旅行
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銅像めぐり
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2016年11月20日

崇福寺       (福岡県福岡市)

福岡市にある崇福寺に行ってきました。

<崇福寺>
崇福寺.jpg
住所:福岡県福岡市博多区千代4丁目7−79
駐車場無し
境内自由

崇福寺は鎌倉時代に湛慧により建立された寺院で、当初は太宰府にあり
ました。黒田長政が筑前に国替えとともに当地に移し、黒田家の菩提寺
として庇護を受けました。
かつては広大な伽藍を誇りましたが第二次大戦の空襲で焼失してしまい
ました。
山門はかつて福岡城の本丸門であったものを当地に移築したものです。

<山門>
崇禅寺.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
崇福寺に行ってきました。崇福寺訪問の目的はなんと言っても黒田家
墓所を参拝する事。
大河ドラマ『軍師官兵衛』で、関連地として紹介されていました。
ここに黒田官兵衛、妻の櫛橋光、黒田長政らのお墓があります。

天下の名将黒田官兵衛の墓、是非とも参拝したい!
今回の旅の目的の一つに設定していました。
黒田家墓所は崇福寺の山門から入った境内には無く、お寺の北側に囲われ
た一角にあります。
で、行ったところ、、、、、、、、、ガーン!!!
閉まってるじゃないですか(>_<)
黒田家墓所.jpg
土日祝日しか開いてないんだって。夏休みという事で自分は完全に
休みモードなんですが、よくよく考えると平日です。
なんてことだ〜・・・。お盆は特別に明けてよ(>_<)
ショックで死にそうになりました。

黒田家墓所2.jpg
塀の向こうにお墓は見えますが。。。残念。
またいつか来ます。

帰ろうかと思いましたが、境内の一角に玄洋社墓所なるものを発見。
玄洋社、日本史の教科書に出てきますね。有名な右翼団体です。
玄洋社墓地.jpg
歴史マニアとしてはこちらも参拝せねばという事で訪問しました。

<頭山満の墓>
頭山満の墓.jpg
頭山満は福岡藩士の家に生まれ、アジア主義を唱えた玄洋社総帥です。

<来島恒喜の墓>
来嶋恒喜の墓.jpg
来島恒喜は大隈重信を襲撃し、大隈に右足切断の重傷を負わせた
人物。大隈を襲撃し、自らはその場で自刃します。

玄洋社墓地は参拝出来ましたが、黒田家墓所を参拝出来なかったので、
またいつか再訪したいと思います。

平成28年夏旅 目指せ名護屋城ツアー
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著名人の墓
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大河ドラマの舞台
http://rover.seesaa.net/article/112515106.html

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古心寺 / 黒田家墓所   (福岡県朝倉市)

福岡県朝倉市にある古心寺に行ってきました。

<古心寺>
古心寺.jpg
住所:福岡県朝倉市秋月757
駐車場なし
境内自由

<古心寺について>
古心寺3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
古心寺は秋月藩初代藩主黒田長興が父長政の25回忌に創建したお寺で
黒田家の菩提寺です。

古心寺2.jpg

昔は大きかったのかもしれませんが、今はこじんまりとしていて、入り口
に案内も無いもんですから気付かずに一旦通り過ぎてしまいました。

境内には黒田家墓所があります。
秋月の藩主ではありませんが、藩祖として黒田長政の墓も造られています。

<黒田長政の墓>
古心寺 黒田長政の墓.jpg

<黒田長興の墓・秋月藩初代藩主>
古心寺 黒田長興の墓.jpg
右が長興の墓。左は長興の奥方の墓です。

平成28年夏旅 目指せ名護屋城ツアー
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著名人の墓
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2016年11月19日

秋月の乱出陣の地    (福岡県朝倉市)

福岡県朝倉市、秋月の乱出陣の地に行ってきました。

<秋月の乱について>
秋月の乱.jpg

秋月の乱出陣の地に行ってきました。
秋月の乱は明治初期に起きた旧士族の反乱のひとつです。
改めて説明する事も無いかと思いますが、明治維新後の諸改革
において特権を奪われた士族は不満を募らせました。
佐賀で江藤新平らが決起した佐賀の乱、前原一誠らが起こした萩の乱、
熊本の神風連の乱、そして秋月の乱です。
佐賀、萩は明治維新に貢献したにも関わらず、特権を奪われた士族の
不満が特に高かった場所と言えます。
神風連の乱と連動する形で秋月の乱は起こります。

旧秋月藩士宮崎車之助、今村百八郎ら400名が決起します。
反乱軍は乃木希典率いる政府軍と抗戦しますが敗れ、宮崎は自刃、今村
は捕らえられ斬首されました。

秋月の田中天満宮、西福寺跡が秋月の乱の史跡です。
西福寺跡から出陣して行ったそうです。今は西福寺は無く、西福寺跡です。

西福寺跡と田中天満宮は隣り合う形であります。

<田中天満宮>
田中天満宮.jpg

田中天満宮2.jpg

田中天満宮3.jpg

<西福寺跡>
西福寺跡.jpg

西福寺跡2.jpg

平成28年夏旅 目指せ名護屋城ツアー
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古戦場めぐり
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2016年11月17日

秋月の町並み       (福岡県朝倉市)

福岡県朝倉市、秋月の城下町を散策してきました。

<秋月の町並み>
秋月の町並み.jpg
住所:福岡県朝倉市秋月
駐車場あり(市営有料駐車場)

<秋月の城下町について>
秋月の町並み7.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
秋月の城下町を散策してきました。
秋月の町は、江戸時代福岡藩の支藩だった秋月藩の城下町でした。
明治維新後に秋月の乱の舞台にもなり、町も被害を受けたと思われます
が、今も往時の面影を残した町並みが残ります。
筑前の小京都とも言われ、平成10年には重要伝統的建造物群保存地区
に指定されています。

<秋月の町並み>
秋月の町並み2.jpg

秋月の町並み3.jpg

秋月の町並み4.jpg

秋月の町並み5.jpg

秋月の町並み6.jpg

とても良い町並みでした(^-^)

平成28年夏旅 目指せ名護屋城ツアー
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日本の古い町並み
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2016年11月16日

秋月城址       (福岡県朝倉市)

福岡県朝倉市にある秋月城址に行ってきました。

<秋月城址>
秋月城3.jpg
住所:福岡県朝倉市秋月野鳥
駐車場あり(町営駐車場・有料)

<秋月について>
秋月城8.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
朝倉市にある秋月城址に行ってきました。
古くから秋月氏の居城であった古処山城のふもとに縄張りをした城です。
江戸時代に黒田長政の三男長興が秋月藩主(福岡藩の支藩)として入城
しました。
江戸時代の城という事で、軍事的なものというより、陣屋と言われる
政庁の様なものだったと思われます。今は石垣が残ります。

秋月城.jpg

秋月城6.jpg

秋月城2.jpg

秋月城7.jpg

秋月城5.jpg
城跡にある建物は秋月中学校です。この中学校の校舎も味がありました。

秋月城4.jpg
旧大手門の「黒門」です。

平成28年夏旅 目指せ名護屋城ツアー
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日本の城を巡る
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2016年11月11日

岩屋城址      (福岡県太宰府市)

太宰府市にある岩屋城址に行ってきました。

<岩屋城址>
岩屋城跡.jpg
住所:福岡県太宰府市太宰府
駐車場なし(駐車スペースはあり)

<岩屋城について>
岩屋城跡5.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
岩屋城址に行ってきました。今回の旅の目的地のひとつです。
雑誌『歴史街道』を愛読しているんですけど、かなり前の記事になり
ますが岩屋城の攻防戦の回があり、それを読んでから岩屋城にいつか
行きたいと思っていました。

岩屋城攻防戦は、九州制覇を目指す島津の大軍が大友氏の居城である
岩屋城を攻撃したものです。岩屋城には高橋紹運率いる763名が籠城
し、島津の5万の大軍と戦います。
岩屋城籠城軍の抵抗に島津軍は苦戦。半月以上籠城軍は持ちこたえます。
しかし、島津軍の総攻撃の前に、763人全員が討ち死に。高橋紹運は
自刃しました。

岩屋城の攻略に時間がかかった為、立花山城を攻略する前に秀吉の20
万の大軍が九州に上陸。島津軍はやむなく撤退する事になります。
高橋紹運は、立花宗茂の実親でもあります。

今回この岩屋城を訪問して、岩屋城の攻防戦を偲ぶことが出来て本当に
良かったです。城の遺構はみてとる事ができませんが、合戦を思い浮か
べるだけで十分な場所でした(・o・)

<岩屋城址>
岩屋城跡6.jpg

岩屋城跡2.jpg

岩屋城跡3.jpg

岩屋城跡4.jpg

岩屋城の本丸がある場所から道路を挟んで少し下った場所に高橋紹運と
討ち死にした763名を祀る墓碑があります。

<高橋紹運の墓>
高橋紹運の墓.jpg
右が高橋紹運の墓。

岩屋城戦没者の碑.jpg

高橋紹運の墓2.jpg

平成28年夏旅 目指せ名護屋城ツアー
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著名人の墓
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2016年10月30日

長崎街道・木屋瀬宿   (福岡県北九州市)

北九州市八幡西区にある長崎街道木屋瀬宿を散策してきました。

<長崎街道・木屋瀬宿>
長崎街道木屋瀬宿.jpg
住所:福岡県北九州市八幡西区木屋瀬
駐車場あり(無料・観光駐車場があります)

木屋瀬宿(こやせしゅく)は、長崎街道の宿場町で小倉から数えて2番目の
宿場町です。木屋瀬宿で唐津方面に向かう唐津街道に街道は分岐していきます。

遠賀川の水運もあり非常に栄えた宿場町だったそうです。
今も昔ながらの町並みが残り、往時の反映を垣間見ることが出来ます。
夕方遅くの訪問で資料館も閉まっており、慌ただしい散策でしたが、町の雰囲気
は堪能出来たかなと思います。
こういう町並みは大好きです(^-^)

<長崎街道・木屋瀬宿>
長崎街道木屋瀬宿2.jpg

長崎街道木屋瀬宿3.jpg

長崎街道木屋瀬宿4.jpg

長崎街道木屋瀬宿5.jpg

長崎街道木屋瀬宿6.jpg

長崎街道木屋瀬宿7.jpg

平成28年夏旅 目指せ名護屋城ツアー
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日本の古い町並み
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2014年09月03日

麟翁寺 / 母里太兵衛の墓      (福岡県嘉麻市)

福岡県嘉麻市にある麟翁寺(りんのうじ)に行ってきました。

<麟翁寺>
麟翁寺2.jpg
住所:福岡県嘉麻市大隈町1023
駐車場あり(無料)
境内自由

<現地解説>
当寺は勇将福島正則から日本号の槍を呑み取り、今なお「これぞ真の黒田武士」
と謳いつがれております母里太兵衛友信公の菩提を弔うため1615年に建立
された曹洞宗の道場です。
当初は「大雄山永忠寺」と号し、その母の菩提を弔うため、後藤又兵衛によって
創建されましたが、1606年又兵衛出奔の後、庇護を失い衰微しました。
その後益富の城主となったのが母里太兵衛です。太兵衛は大隈入城の後、永忠寺
の住持である和尚に日々参禅。ここを自らの茂大事と定めて坐禅に励まれました。
最晩年をこの大隈の地で過ごし、1615年6月6日、大隈城内にて60年の生涯
を閉じました。

麟翁寺.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
大河ドラマ『軍師官兵衛』ゆかりの地めぐりという事で、福岡県嘉麻市
の麟翁寺に行ってきました。
ここは黒田官兵衛の側近の一人母里太兵衛の菩提寺で、その墓があります。

寺の前にはゆかりの地の旗も立っていました。

麟翁寺3.jpg

寺に入って右側に回り込んだところに母里太兵衛の墓があります。

<母里太兵衛の墓>
母里太兵衛の墓.jpg

墓は3基並んでいますが、一番左が太兵衛の墓で、右側2基はその子の墓だそう
です。

寺の山門は益富城の搦手門が移築されたものだそうです。

平成26年夏旅
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大河ドラマの舞台
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著名人の墓
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2014年09月02日

円清寺 / 栗山善助の墓    (福岡県朝倉市)

福岡県朝倉市にある円清寺に行ってきました。

<円清寺>
円清寺.jpg
住所:福岡県朝倉市杷木志波5276
駐車場あり(無料)
境内自由

<現地解説>
黒田藩草創の重臣栗山備後守利安(栗山善助)が主君黒田如水の死亡した1604年
その冥福を祈るために建立した寺であり、如水の法号龍光院殿如水円清大居士から
とって龍光山円清寺と名付けられたものです。
この寺には黒田如水、長政、栗山善助の位牌が安置してあり如水・長政・善助の画像
も寺宝として保存されています。

円清寺2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
大河ドラマ『軍師官兵衛』ゆかりの地という事で、福岡県朝倉市にある円清寺に
行ってきました。
ここは黒田官兵衛を祀ったお寺で、重臣の栗山利安(善助)によって建立されました。
今年は大河ドラマのゆかりで来る観光客も多いのか、栗山善助の墓はこちらという
案内板もありました。

本堂左脇の墓地の入り口付近に大きなお墓があります。
「栗山備後守利安墓」とあります。

円清寺 栗山善介の墓.jpg

円清寺 栗山善介の墓2.jpg

大河ドラマ『軍師官兵衛』では濱田岳さんが演じていますね。
黒田官兵衛の重臣で、黒田二十四騎の一人。

平成26年夏旅
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大河ドラマの舞台
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著名人の墓
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2014年02月16日

櫻屋跡地     (北九州市八幡西区)

北九州市八幡西区、櫻屋跡地に行ってきました。

<櫻屋跡地>
櫻屋跡地.jpg
住所:福岡県北九州市八幡西区田町2−5
駐車場なし

<現地解説>
江戸時代は、黒崎は長崎街道の宿場町として栄え、交通の要衝として
多くの人や物が行き交う場所でした。およそ1.1キロに及ぶ宿場町
には御茶屋、町茶屋、旅籠、人馬継所、代官所などが置かれました。
櫻屋は黒崎宿に設けられた旅籠です。1808年頃の創業と伝えられ、
古くは薩摩藩の定宿となったことから「薩摩屋」と称していましたが、
後に「櫻屋」と改めたと言われます。
幕末期、櫻屋には薩摩藩・長州藩・土佐藩などの勤王の志士が多く
投宿しました。また、櫻屋の当主は三条実美や東久世通禧など政変
で京都を追われた攘夷派の五卿を支援したとも言われています。
櫻屋には離れ座敷の庭に主人古海東四郎正顕と五卿にまつわる歌碑が
二基建てられていました。
勤王の志が厚い正顕は和歌にも造詣が深く、五卿に対して和歌を献上
したと言われています。

<三条実美歌碑>
櫻屋跡地 三条実美歌碑.jpg

<古海正顕歌碑>
櫻屋跡地 古海正顕歌碑.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
かつての長崎街道黒崎宿も現在は開発がすすみ、かつての宿場の
面影を残すものもほとんどありません。
黒崎宿で、幕末に尊攘志士の宿として使われた櫻屋も現在は無く、
マンションになっていました。

櫻屋跡地2.jpg

櫻屋の離れ座敷は江戸時代後期の建築と言われるもので、将来の
復元のため平成2年に解体保存されているそうです。


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春日神社     (北九州市八幡西区)

北九州市八幡西区にある春日神社に行ってきました。

<春日神社>
春日神社 黒崎1.jpg
住所:福岡県北九州市八幡西区藤田1−10−44
駐車場なし

<春日神社について>
春日神社は花尾城主麻生氏の祖神としていましたが、その後黒田長政が黒崎城を築い
た1604年に現在地に移されました。
黒田官兵衛をはじめ、息子長政は黒崎城の氏神様として春日神社を厚く崇敬しており
ました。
黒崎城の城主で「黒田二十四騎」の一人、井上周防之房は春日神社に黒田長政公を祀
り、その後、黒田官兵衛公、黒田二十四騎も合わせてお祀りしました。

春日神社 黒崎2.jpg

黒田官兵衛、黒田長政ゆかりの春日神社に行ってきました。
八幡西区の黒崎は黒田家ゆかりの地。黒崎城は黒田長政が福岡に入った折、
近隣防備のため黒崎城を築き、井上周防之房を城主として派遣しました。
黒崎城の氏神として、春日神社があり、官兵衛・長政らが祀られたという
事です。
黒崎駅から歩いて行ける小さな神社。官兵衛ゆかりの地の旗や大河のポスター
が貼られていたりと、官兵衛で染まっておりました(^-^)

春日神社 黒崎3.jpg

大河ドラマの舞台
http://rover.seesaa.net/article/112515106.html


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曲里の松並木    (北九州市八幡西区)

北九州市八幡西区にある曲里の松並木を散策してきました。

<曲里の松並木>
曲里の松並木.jpg
住所:福岡県北九州市八幡西区岸の浦二丁目6他
駐車場なし

<現地解説>
江戸時代後期の狂歌師大田南畝は「坂を下るに赤土の岸あり。松の並木
の中をゆくゆく坂を上り下りて又坂を下り行けば、左に黒崎の内海見ゆ」
とその紀行文『小春紀行』に、このあたりの様子を記しています。
この松並木は幕府が全国の街道に松や杉を植樹させた名残で、黒崎から
木屋瀬にかけて昭和20年ころまでは多くの松を残していましたが、今
はわずかにこのあたりが昔日の長崎街道の面影をとどめているのみです。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
北九州市指定の史跡「曲里の松並木」に行ってきました。
江戸幕府は街道を行く人のため、風よけなどののために松や杉を
街道に植樹させたという事です。
日光街道杉並木なども今に残る並木ですが、ここ曲里の杉並木も長崎街道
の面影を残す松並木にんまります。

開発により長崎街道の雰囲気を残すところもわずかという事で、こういう
ところは今後も大事に残してほしいものです。

現地はJR黒崎駅から歩いて10分くらいのところです。

<曲里の松並木>
曲里の松並木2.jpg

曲里の松並木3.jpg

曲里の松並木4.jpg

曲里の松並木5.jpg


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2013年12月04日

小倉城    (北九州市小倉北区)

北九州市小倉北区にある小倉城に行ってきました。

<小倉城>
小倉城1.jpg
住所:福岡県北九州市小倉北区城内2-1
入場:4〜10月 9:00〜18:00
   11月〜3月 9:00〜17:00
料金:350円
駐車場あり(有料)

細川忠興は1600年、関ヶ原の戦いの功により豊前国全域と豊後二郡を領する30万石
の大名として入国、中津城に在城した。居城を小倉に移すため慶長7年これまでの小倉の
城を廃して新しく築城をはじめ、その年の11月に小倉城に移った。
天守閣の外観は五重、内部は六層である。
1632年、細川氏は肥後に移り、かわって播磨明石城主だった小笠原忠真が小倉城に
入り15万石を領した。
幕末1866年、第二次長州征伐戦で、小倉藩は田川郡に撤退する際、小倉城に火を放ち
城内の建物はことごとく灰燼に帰した。なお天守閣は1837年の火災で焼失、以後再建
されなかった。
現在の天守閣は昭和34年再建されたものである。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
小倉城に行ってきました。
10年ぶりくらいの訪問、久しぶりです。
小倉城には立派な天守閣がありますが、あいにくこれは再建ものです。

小倉城2.jpg

小倉城3.jpg

中は資料館になっていて、小倉城の歴史などを見ることが出来ます。
小倉城 迎え虎.jpg
迎え虎という虎の絵が迎えてくれます。

天守閣最上部の展望台からは小倉の風景が一望出来ます。
小倉城からの風景1.jpg

小倉城からの風景2.jpg

小倉城からの風景3.jpg
遠くは皿倉山も見えます。

日本の城を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21222307.html

紅葉の名所巡り
http://rover.seesaa.net/article/22577081.html


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2013年11月27日

手向山公園   (福岡県北九州市)

福岡県北九州市にある手向山公園に行ってきました。

<手向山公園>
手向山公園.jpg
住所:福岡県北九州市小倉北区赤坂4
駐車場あり(無料)

北九州市小倉北区にある手向山(たむけやま)公園です。
ここは江戸時代、小倉藩家老だった宮本家が藩主から拝領していた土地です。
明治に入り、陸軍が接収し、関門海峡防備の為砲台が設置されました。
この砲台は実戦で使われる事無く終戦を迎えます。
手向山は戦後公園として整備され、一般開放されています。

小倉藩家老・宮本家は宮本武蔵の子伊織を祖とします。
その宮本伊織が、巌流島を見下ろすこの地に父宮本武蔵の顕彰碑を建てて
います。

<宮本武蔵顕彰碑>
手向山公園 宮本武蔵顕彰碑.jpg
かなり立派な顕彰碑。武蔵の生涯が刻んであるんでしょうか。

その近くに昭和になって造られた佐々木小次郎の碑があります。

<佐々木小次郎の碑>
手向山公園 佐々木小次郎碑.jpg

手向山は眺望の良い場所。
巌流島など門司方面の景色がとても綺麗でした。

<手向山公園からの景色>
手向山公園 風景1.jpg

手向山公園 風景2.jpg



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2013年11月26日

白野江植物公園の紅葉   (福岡県北九州市)

福岡県北九州市門司区にある白野江植物公園に紅葉を見に行ってきました。

<白野江植物公園>
白野江植物公園.jpg
住所:福岡県北九州市門司区白野江2丁目
駐車場あり(有料)
入園料:200円

白野江(しらのえ)植物公園は1952年頃、個人の植物園「四季の丘」として
開園し、市民に40数年間親しまれてきました。
1993年、北九州市が買い取り約3年の年月をかけて公園の整備ならびに改修
工事を行いました。1996年に北九州市立白野江植物公園として開園し、現在
に至っています。
春は桜、夏は蓮やアジサイ、秋は紅葉、冬には水仙など四季折々の風景を楽しむ
事が出来るそうです。
今回は紅葉を見に行ってきました。
白野江植物公園には約800本のイロハモミジの木があります。紅葉は見頃でした
が、日がやや陰ったせいもあり、彩りは悪くなってしまいましたが、紅葉まつり
開催中で多くの観光客で賑わっていました。

<白野江植物公園の紅葉・平成25年11月23日撮影>
白野江植物公園 紅葉1.jpg

白野江植物公園 紅葉2.jpg

白野江植物公園 紅葉3.jpg

白野江植物公園 紅葉4.jpg

白野江植物公園 紅葉5.jpg

白野江植物公園 紅葉6.jpg

紅葉の名所巡り
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2009年08月18日

豊前国分寺   (福岡県京都郡みやこ町)

福岡県みやこ町にある豊前国分寺に行ってきました。

<豊前国分寺>
豊前国分寺.jpg
住所:福岡県京都郡みやこ町国分304
駐車場あり(無料)
境内自由

741年より聖武天皇によって全国に設置された国分寺のひとつ。
この国分寺も奈良時代後半ごろから衰退し、天正年間に大友宗隣の
兵火にあってすべての伽藍が焼失したと伝えられています。
江戸時代になって復興が始まり、元禄年間(1688〜1703)に
は塔を除く主要な建物がほぼ完成したと伝えます。

豊前国分寺 本堂.jpg

明治時代に宮本孝梁師は塔の建立を発願され、多くの人の寄進を得て
明治28年に三重塔の完成をみました。

豊前国分寺 三重塔.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
豊前国分寺に行ってきました。
国分寺は奈良時代後半からの真言宗・天台宗などの発展とともに衰退
し、その後の兵火などによって現存するものはほとんどありません。
そもそも建物自体再建されず、今は礎石のみってところが多いのが
実情です。

そんな中、命脈を保ち、明治に入ってから三重塔まで建てられるこの
豊前国分寺は特異な存在かもしれません。

ちょっと気になったのは地名。「京都郡みやこ町」なにか言われでも
あるのかな〜って気がしますよね。
京都の様に栄えた町だったんでしょうか。国分寺があるくらいですの
で、この地域の中心地ではあったんでしょうけど。

平成21年夏旅
http://rover.seesaa.net/article/125779471.html

国分寺巡り
http://rover.seesaa.net/article/26833575.html



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2009年08月17日

千仏鍾乳洞    (福岡県北九州市)

福岡県北九州市にある千仏鍾乳洞に行ってきました。

<千仏鍾乳洞>
千仏鍾乳洞.jpg
住所:福岡県北九州市小倉南区平尾台3-2-1
駐車場あり(無料)
入洞料:800円

千仏鍾乳洞は平尾台にある洞窟の中で最大規模のもので、北北東に
向かって約900メートルのびています。
洞口は石灰岩層とその下層の黒色準片岩との境界付近にあります。
洞窟の形は幅が狭く、天井の高い峡谷状をなし、その横幅は1〜10
メートル、天井の最大高は約15メートルです。
入口には大小約30個の鍾乳石が垂れ下がり見事な景観となってい
ます。

千仏鍾乳洞 入口.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
平尾台にある千仏鍾乳洞に行ってきました。
入口で、途中から水の中を歩いて進む事を知り、すこし怯みましたが
ここまで来て帰るわけにもいかないので突撃しました。

千仏鍾乳洞 サンダル.jpg
サンダルを借りて出撃です(サンダルは無料で借りられます)

上の解説にもあるように、非常に道が狭い。よって他のお客さんとの
すれ違いが大変です。行きと帰りが同じ道なのでぶつかっちゃうんで
すよね。

千仏鍾乳洞2.jpg

千仏鍾乳洞3.jpg

千仏鍾乳洞4.jpg
鍾乳洞は綺麗ですが、ちょっと迫力には欠けるような気がしました。
飛騨の大鍾乳洞とかあぶくま洞とかみたいに、大きな吹き抜けになっ
てるところが無いのが影響してるんでしょうね。

途中からいよいよ水の中に突入です。
千仏鍾乳洞 奥の細道.jpg
水が流れる道を進むのですが、この水が冷たい(>_<)
最初はやばいなと思いました。
途中からは慣れてきましたが、1分と入っていられないという感じ
でした。

この水の道の先に素晴らしい光景があるのかな〜と期待していたん
ですが、特にこれといって無し。「ううむ・・・」この苦労は
なんだったんだろうって思ってしまいました。

平成21年夏旅
http://rover.seesaa.net/article/125779471.html


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平尾台     (福岡県北九州市)

福岡県北九州市の平尾台をドライブしてきました。

<平尾台>
平尾台1.jpg
住所:福岡県北九州市小倉南区平尾台

平尾台は北九州市の南にある標高約700メートルの地点に広がる
石灰岩台地。
樹木がなく草原の様な風景で、墓石地形とも言われるカレンフェルト
を見ることが出来ます。

初めて行ったんですが、木が無いせいかとても空が広く見えました。

平尾台2.jpg

平尾台3.jpg

平尾台4.jpg

平尾台5.jpg
風景的には山口の秋吉台と似ています。

平成21年夏旅
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平尾台
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菅生の滝    (福岡県北九州市)

福岡県北九州市の菅生の滝を見に行ってきました。

<菅生の滝>
菅生の滝.jpg
住所:福岡県北九州市小倉南区道原
駐車場あり(無料)

菅生の滝は高さ30メートル、2段に別れた滝です。
滝の名前の由来は滝のしぶきで、女性の化粧もはげて「すがお」に
なってしまう事からだそうです。(変わった名前の由来ですよね)

滝は見る角度によって、まっすぐだったり、二段に分かれている様
にも見えます。

菅生の滝2.jpg

北九州市は小倉や黒崎などすごい都会というイメージのところから、
少し南に入ると一気に自然豊かな感じになるのがすごいですね。

菅生の滝3.jpg
本当に自然あふれる環境で気持ちよかったです。

車で滝から700メートルくらいまで近づけます。
そこから遊歩道を歩いて行きます。整備された遊歩道なので、特に
苦もないかと思います。

平成21年夏旅
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日本の滝巡り
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門司港駅     (福岡県北九州市)

福岡県北九州市の門司港駅に行きました。

<門司港駅>
門司港駅.jpg
住所:福岡県北九州市門司区西海岸一丁目5-31

門司港駅の駅舎は1914年(大正3年)の建築で、レトロな雰囲気
を残します。また建物は国指定重要文化財にも指定されています。

門司港駅2.jpg

門司港駅3.jpg

駅舎も非常にレトロ。自動改札導入時には反対運動が起こったほど
だそうで、雰囲気を大事にしているんだなという事が分かります。

和布刈神事.jpg
駅の前には門司の和布刈神社の和布刈神事の像があります。
和布刈神事についてはこちらをご覧ください。
北九州市解説ページ

平成21年夏旅
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門司港駅

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旧門司三井倶楽部   (福岡県北九州市)

福岡県北九州市にある旧門司三井倶楽部に行ってきました。

<旧門司三井倶楽部>
旧三井門司倶楽部.jpg
住所:福岡県北九州市門司区港町7-1
駐車場なし
開館時間:9時〜17時
入館料:100円(JAF割引あり)

旧門司三井倶楽部は三井物産門司支店の社交倶楽部として現在の
門司区谷町に建築された。
設計者は当時九州建築界の若きリーダーであった松田昌平である。
竣工直後の大正11年には、かのアインシュタイン博士夫妻も宿泊
している。

旧三井門司倶楽部2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
旧門司三井倶楽部を訪問しました。
門司港には何度か行ってるんですが、昼間に散策するのは今回が初め
てです。夜のライトアップがすごく綺麗なので、夜にばかり来ていま
した。
という事で、門司三井倶楽部の中に入るのは今回が初めてです。

中は明治後半〜大正時代風の洋館です。
アインシュタイン博士も宿泊したという事で、メモリアルルーム
なるものもありました。

旧三井門司倶楽部 アインシュタイン博士メモリアルルーム.jpg

旧三井門司倶楽部 アインシュタイン博士のベッド.jpg
こちらがアインシュタイン博士夫妻の使ったベッドです。

奥には『放浪記』で知られる林芙美子記念資料室という部屋があり、
林芙美子氏に関する展示が行われています。
林芙美子記念資料室.jpg

入場料は100円。中に入る価値は充分にあるかと思います。

平成21年夏旅
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2006年07月09日

宮地嶽神社   (福岡県福津市 観光名所)

鎮国寺を出て、福津市(旧津屋崎町)にある宮地嶽神社に行きました。

<宮地嶽神社>
宮地嶽神ミ1.jpg
住所:福岡県福津市宮司1304
駐車場:あり(無料)

神功皇后が朝鮮出兵の際に当地に滞在し勝運を祈願したという由緒ある
神社。年間200万人もの参拝者の来る大神社です。
境内には、寒緋桜をはじめさまざまな桜や、えびね蘭、藤、つつじなど、季節の花が植えられています。5月下旬には江戸菖蒲約100種類、5万株が咲き、花の名所としても知られています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
鎮国寺をたって、宮地嶽神社に行きました。
ここ福津市(旧津屋崎町)は、もう亡くなりましたが祖母が入院していた
病院があったため、お見舞いで訪れた事がありました。
その時はお見舞いに来ただけだったのですが、今回はその津屋崎に観光
で訪れました。宮地嶽神社は年間参拝者も200万人という巨大神社。
外に着いた段階では大きさが分からなかったのですが、階段を上り境内に
着くと、神社の敷地の広さ、山門、本殿すべての規模に驚きました。
本殿には出雲大社バリの巨大しめ縄。ささっと参拝をすませて、帰ろうと
思ったら、御神馬と思われる像が。見ると、像の口元には人参が供えて
ありました。なかなかなセンスだと、ちょっと笑ってしまいました。
ここは花も綺麗な神社の様ですので、季節毎に訪れて見たい場所ですね。

宮地嶽神社

平成17年夏旅
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鎮国寺   (福岡県宗像市 観光名所)

宗像大社を出て、車で数分のところにある鎮国寺に行きました。

<鎮国寺>
鎮国寺.jpg
住所:福岡県宗像市吉田966
駐車場あり(無料)
拝観自由

<由緒>
弘法大師が806年、唐から帰朝後、日本で最初に創建したとされる古刹。
本堂には宗像5社の御本地仏を安置している。
国の重要文化財である弘法大師作の不動明王立像もあります。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
宗像大社の次にどこに行こうかと思った時に、ほんの近くに鎮国寺というお寺がある事を知りました。
弘法大師ゆかりの寺と言うことで、どんなもんかという事で鎮国寺へ。
現地解説石碑によると、鎮国寺は弘法大師が日本に帰ってきて、最初に
開基したお寺との事。歴史的由緒ある寺でした。
寺は敷地も広く、本堂前には集団撮影の時につかうであろう板(平成17年
8月8日鎮国寺参拝記念)が。
おそらくは宗像大社と鎮国寺は近いこともあり、旅行ツアーなどで一緒に
観光するスポットなのかもしれません。
境内には不動霊水という湧き水もありました。

鎮国寺(弘法大師ゆかり)

平成17年夏旅
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宗像大社   (福岡県宗像市 観光名所)

平成17年夏旅、3日目8月8日は小倉を発って、最初の観光地宗像市に
ある宗像大社に向かいました。

<宗像大社・むなかたたいしゃ>
宗像大ミ鳥居.jpg
住所:福岡県宗像市田島2331
拝観:6時〜18時(神宝館9時〜16時30分)
拝観料:無料 神宝館は500円(小中学生200円)
駐車場:あり(無料)

<由緒>
天照大神の御子神の三女神を沖津宮、中津宮、辺津宮の3つの島に祀り、
古来から国家繁栄と海上交通の安全を願い、人々に信仰されてきた。
沖津宮には数々の宝物があり、「海の正倉院」と言われる。
10月1日〜3日に行われる「みあれ祭」では多数の漁船が旗をなびかせて海上で神を迎えるという珍しいもの。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
宗像大社は、以前旅の勉強をしていたときに、教科書で勉強していた
場所で、名前だけは知っていたものの、まだ行った事がありません
でした。
大社は北九州市と福岡市の中間、宗像市にあり、着くなりおどろいたのは
神社というより巨大な駐車場でした。
ここの駐車場、いったい何台停めることができるんだろうってくらいの広さ。最近イオンの巨大ショッピングモールが家の近くにも出来ているんですが、イオンの駐車場も真っ青な位の広さです(笑)
初詣とかでも名前聞くだけに、相当な参拝者が来るんだろうなという事は
容易に想像できました。
由緒のところにも書きましたが、宗像大社は3つの社の総称。
今回宗像大社に行きましたと書いているのは、3つのうちの辺津宮の事に
なります。中津宮などへは船でいかないとダメみたいです。
まだ8時前という事で、人もほとんど来ていない中本殿に向かい、さっそく
参拝。御利益は交通安全という事で、旅の安全を祈願してきました。

宗像大社

平成17年夏旅
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2005年12月21日

皿倉山   (福岡県北九州市 夜景の名所)

福岡県北九州市、夜景の名所として有名な皿倉山です。

<皿倉山>
皿倉山_北九州市夜景1.jpg
住所:福岡県北九州市八幡東区
駐車場あり(無料)
駐車場から帆柱ケーブルカーとリフトで山頂へ
営業時間等は帆柱ケーブルホームページ

<ひとこと>
名高い夜景の名所皿倉山(標高622メートル)。
はじめて行ったときは、ケーブルカーの時間の問題で結局登れず2回目のチャレンジ
で登頂してきました。
いったんケーブルカーで登ったうえに、さらにリフトに乗り換え。
皿倉山山頂に行くと景色が一変します。もう感動の一言。
結構な高さまで登るので、建物が大きく見える訳ではありませんが、これぞまさに
宝石を散りばめた様なという表現が似合う夜景です。
函館、神戸、長崎など夜景を巡って来ましたが、ここが僕の中でナンバー1だという
のは今でも変わりません。
北九州市内を一望出来きるのはもちろん、関門海峡、下関など遠くまで眺める事が
出来ます。観覧車もライトアップしてたり(スペースワールドかな??)して、夜景への
アクセントも良いです。

ケーブルカー、リフトなど結構お金がかかりますが、ここの夜景は超おすすめです。
是非行ってみてはいかがでしょうか。

<皿倉山からの夜景>
皿倉山_北九州市夜景2.jpg

皿倉山_北九州市夜景2.jpg

皿倉山_北九州市夜景4.jpg

(皿倉山の夜景 おすすめ度 ★★★★★夜景おすすめ度ナンバー1)

皿倉山(夜景の名所)

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2005年12月20日

門司港レトロ地区 (福岡県北九州市 歴史的建造物 夜景 観光名所) 

福岡県北九州市、門司港にあるレトロ地区の夜景です。

<門司港レトロ地区>
門司港レトロ1.jpg
住所:福岡県北九州市門司区
駐車場あり(有料1時間200円)
JR鹿児島本線門司港駅下車

<ひとこと>
門司港は明治期に貿易で栄え、多くの洋館が建設されました。
そんな門司港の繁栄を伝える洋館を修復・移築し一ヶ所に集めたのがここ門司港レトロ地区
です。
まず鹿児島本線門司港駅の駅舎が大変レトロな雰囲気です。
写真を撮っていなかったのが非常に悔やまれるのですが、1914年の建築物で重要文化財
に指定されています。
また、1921年建築、三井物産の接待施設だった旧門司三井倶楽部。
復元した建物ですが、ロシア帝国が大連に建築した建物を忠実に再現した国際友好記念
図書館などレトロな建物が目白押しです。

今回は夜に行ったのですが、夜は建物のライトアップが行われています。
レンガはライトアップで更にいい雰囲気になりますね。

北九州市を訪れた時には是非おさえておきたいスポットです。

【門司港レトロ地区夜景】
門司港レトロ2.jpg

門司港レトロ3.jpg

門司港レトロ4.jpg

門司港レトロ5.jpg

(門司港レトロ地区 おすすめ度 ★★★★)


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和布刈公園   (福岡県北九州市 夜景の名所)

福岡県北九州市門司区、夜景の名所、展望スポットである和布刈公園(めかりこうえん)です。

<和布刈公園>
和布利公園から下関.jpg
住所:福岡県北九州市門司区旧門司二丁目
駐車場あり

関門海峡を見下ろす展望スポットです。
標高は175メートル、良い感じに関門橋から下関方面、門司港方面を
眺める事が出来ます。ツツジの名所でもあります。
昼は昼で良いんだと思いますが、僕は夜景を見に夜に行ったので、昼の景色は
さだかではありません。

下関から関門国道トンネルをくぐって、北九州側に出てすぐの場所にあります。
ちょっと小高い場所になっており、目の前には高速道路の関門橋が見えます。
関門海峡の向こうには下関の明かりが見えます。特に、海峡ゆめタワーが
下関のシンボルの様なかたちで見ることが出来ます。

北九州方面は門司港を眺める事が出来ます。
大きな建物は門司港ホテル。
門司港はレトロ地区がライトアップしているので、上から眺める夜景も非常に
綺麗です。

【和布刈公園夜景】
和布利公園から関門橋.jpg
関門橋です

和布利公園から門司方面.jpg
門司港方面です

ここから数キロで門司港に行けますので、ここと門司港のライトアップ両方セットで
観光すると良いかと思います。

(和布刈公園 おすすめ度 ★★★★)

和布刈公園(夜景の名所)





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