2021年11月21日

勝栄寺   (山口県周南市)

周南市にある勝栄寺に行ってきました。

<勝栄寺>
勝栄寺.jpg
住所:山口県周南市中央町3−10
駐車場あり(無料)
境内自由

<勝栄寺について>
勝栄寺2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
周南市の勝栄寺に行ってきました。
勝栄寺は陶弘政を開基とするお寺で、室町時代初期の創建と考えられています。
ここはお寺であると同時に、土塁などがあり、城としての役割も持っていたもの
と思われます。

勝栄寺6.jpg
これ、土塁と思われます。

毛利元就は一揆の鎮圧に際し、ここに陣を敷きました。
また、毛利元就と言えば、三矢の教訓で有名な教訓状がありますが、その教訓状は
この寺で書かれたものだそうです。

勝栄寺3.jpg

勝栄寺4.jpg

<市文化財・板碑>
勝栄寺5.jpg

歴史的に有名な教訓状の件や、九州攻めに際し秀吉が宿泊したなど、歴史的な
重要なお話がいろいろあるのがこのお寺です。
立ち寄れて非常に良かったです。

令和3年春旅2 大遠征
http://rover.seesaa.net/article/481725269.html

大河ドラマの舞台
http://rover.seesaa.net/article/112515106.html

日本の城を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21222307.html



posted by 南行 at 12:01| Comment(0) | 山口県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

西国街道・富海宿   (山口県防府市)

防府市、西国街道・富海宿を散策しました。

<西国街道・富海宿>
富海宿2.jpg
住所:山口県防府市富海
駐車場無し

西国街道は京を起点に山口の下関(長府)を結ぶ街道で、道中には50の宿場町が
あります。
富海(とのみ)宿は京から42番目の宿場町になります。
幕末には下関戦争を回避すべく帰国した伊藤博文と井上馨が上陸した地でもあります。

本陣を中心に歩いてみました。
正直残っている古い建物は少なく、本陣の門を数件を残すのみという感じでした。

<本陣門>
富海宿4本陣の聞.jpg

富海宿4本陣の門.jpg

<富海の町並み>
富海宿.jpg

富海宿3.jpg

富海宿7.jpg

富海宿5.jpg

富海宿6.jpg

令和3年春旅2 大遠征
http://rover.seesaa.net/article/481725269.html

日本の古い町並み
http://rover.seesaa.net/article/21960937.html




posted by 南行 at 11:42| Comment(0) | 山口県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

伊藤博文・井上馨上陸の地  (山口県防府市)

防府市にある伊藤博文・井上馨上陸の地に行ってきました。

<伊藤博文・井上馨上陸の地>
伊藤博文・井上馨上陸の地.jpg
住所:山口県防府市富海2566
駐車場無し

伊藤博文・井上馨上陸の地4.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
伊藤博文・井上馨上陸の地に行ってきました。

1863年、長州藩は外国船に対し攘夷を決行。
砲撃をします(四国艦隊下関砲撃事件)
それに対し、イギリス・フランス・オランダ・アメリカの四国は報復の為、長州に
迫ります。英国に留学していた伊藤博文と井上馨は戦争を止めるべく緊急帰国。
その際上陸したのがこの地で、富海で飛船問屋を営む入江家に身を寄せ、ここから
山口に向かいました。
結局戦争は始まり長州藩は砲台を占拠され敗退。敗戦後の交渉で伊藤、井上両人は
重要な役割を果たすことになります。
入江家は現在は無く、空き地になってました。そこに碑や説明などがあります。

伊藤博文・井上馨上陸の地2.jpg

伊藤博文・井上馨上陸の地3.jpg

伊藤博文・井上馨上陸の地5.jpg

令和3年春旅2 大遠征
http://rover.seesaa.net/article/481725269.html



posted by 南行 at 11:02| Comment(0) | 山口県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

三田尻御舟倉跡  (山口県防府市)   

防府市にある三田尻御舟倉跡に行ってきました。

<三田尻御舟倉跡>
三田尻御船倉跡.jpg
住所:山口県防府市三田尻3丁目8−43
駐車場あり(無料)

<三田尻御舟倉跡について>
三田尻御船倉跡5.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
三田尻御舟倉跡に行ってきました。
三田尻御舟倉は長州藩によって造られた水軍の基地です。
長州藩の毛利氏は、萩から三田尻に出てそこから水路で大坂に向かう参勤交代の
ルートをとっていた様です。

毛利氏が関ヶ原後に領地を減らされ長州に封じ込められた時に三田尻や萩往還の
整備も行われました。萩往還という街道は萩と三田尻を結ぶ街道です。
三田尻はその起点(終点)です。
三田尻御船倉跡6.jpg

三田尻御舟倉跡は現在は小さな堀の様な形で残っています。
もともとは、ここまで海があったんでしょうね。今は埋め立てられたのか海まで
数百メートルの距離があります。

三田尻御船倉跡2.jpg

三田尻御船倉跡3.jpg

三田尻御船倉跡4.jpg

令和3年春旅2 大遠征
http://rover.seesaa.net/article/481725269.html



posted by 南行 at 10:29| Comment(0) | 山口県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

防府天満宮   (山口県防府市)

防府市にある防府天満宮に行ってきました。

<防府天満宮>
防府天満宮.jpg
住所:山口県防府市松崎町14−1
駐車場あり(無料)
境内自由

<防府天満宮について>
防府天満宮7.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
防府天満宮に行ってきました。
防府と言えば防府天満宮ってほど、防府で観光と言えば一番に思いつく神社です。
菅原道真を祀った天満宮。日本三天満宮に数えられます。
やはり大きな神社ですね、15年ぶりの訪問でしたが、久しぶりに驚きました。
早朝という事もあり、そんなに観光客も来ていなかったので、広い境内をゆったり
散策することが出来ました。

防府天満宮2.jpg

防府天満宮3.jpg

防府天満宮4.jpg

<貞宮遙拝所>
防府天満宮5 貞宮遙拝所.jpg

防府天満宮6.jpg

<野村東望尼の像>
防府天満宮 野村望東尼の像.jpg
高杉晋作らを支援した幕末の女流歌人・勤王家。

<毛利重就像>
防府天満宮 毛利重就の像.jpg
長州藩7代藩主。

<楫取 素彦・美和子像>
防府天満宮 香取素彦.jpg
大河ドラマ『花燃ゆ』の主人公でもある楫取 美和子と夫の楫取 素彦像です。
楫取 素彦・美和子夫妻の墓は防府市内にあります。

令和3年春旅2 大遠征
http://rover.seesaa.net/article/481725269.html

大河ドラマの舞台
http://rover.seesaa.net/article/112515106.html

銅像めぐり
http://rover.seesaa.net/article/142026310.html



posted by 南行 at 10:11| Comment(0) | 山口県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

周防国分寺   (山口県防府市)

防府市にある周防国分寺に行ってきました。

<周防国分寺>
周防国分寺2.jpg
住所:山口県防府市国分寺町2−67
駐車場あり(無料)
境内自由

<周防国分寺について>
周防国分寺.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
周防国分寺に行ってきました。
防府天満宮に行って、そこから車ですぐの場所にあったので立ち寄りました。
国分寺は聖武天皇の勅願により各国に建立されたものですが、伽藍が残っている
ものはほとんどありません。国分寺って大体国分寺跡なんですよね。

周防国分寺に関しては、ちゃんと伽藍が残っています。
もちろん当時の建物ではないですが、今に至るまで伽藍が整備されて残っている
のはすごいなと思いました。

周防国分寺5.jpg

周防国分寺4.jpg

周防国分寺3.jpg
周防国分寺7.jpg
筋塀という格式を示す塀がありました。

令和3年春旅2 大遠征
http://rover.seesaa.net/article/481725269.html

国分寺巡り
http://rover.seesaa.net/article/26833575.html



posted by 南行 at 09:35| Comment(0) | 山口県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

小栗上野介終焉の地   (群馬県高崎市)

高崎市にある小栗上野介終焉の地に行ってきました。

<小栗上野介終焉の地>
小栗上野介終焉の地4.jpg
住所:群馬県高崎市倉渕町権田
駐車場無し

<小栗上野介終焉の地について>
小栗上野介終焉の地3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
小栗上野介終焉の地に行ってきました。
小栗上野介は幕末の幕臣。勘定奉行、外国奉行などを歴任した人物。
大坂から慶喜が戻った後、薩長に対し強行に交戦を主張した為、お役御免となり
高崎(倉渕)に隠棲しますが、上野介を危険視した新政府軍により捕らえられ、
無実の罪によりこの川原で斬首されました。

今まで小栗上野介について詳しく紹介する幕末ドラマ等はありませんでした。
これは勝海舟が江戸無血開城に導いた一方の英雄という扱いをする為、勝と対立し
た小栗は悪役に追いやられていたからと思います。

今年の大河ドラマ『青天を衝け』では、初めて小栗の先見性や幕府、日本の将来に
関する思いなどが取り上げられました。歴史は都合の悪い事や人を正確に伝えず、
ねじ曲げた形で伝えられて行く事が多いです。小栗の功績に関しては、勝海舟と
同等以上に評価していくべきではないかなと思います。

烏川の川原の碑文。
「偉人小栗上野介 罪無くして此所に斬らる」とあります。
小栗上野介終焉の地2.jpg

小栗上野介終焉の地.jpg

高崎市ではありますが、旧倉渕村なので、市街地からは車で40〜50分はかかります。

大河ドラマの舞台
http://rover.seesaa.net/article/112515106.html



posted by 南行 at 09:23| Comment(0) | 群馬県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする