2020年11月07日

風船爆弾発射台跡  (茨城県北茨城市)

北茨城市にある風船爆弾発射台跡に行ってきました。

<風船爆弾発射台跡>
風船爆弾.jpg
住所:茨城県北茨城市平潟町
駐車場なし

<風船爆弾について>
風船爆弾2.jpg

風船爆弾3.jpg

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風船爆弾発射基地跡に行ってきました。
以前、千葉の一宮にある発射基地跡に行きました。ここも同様にその基地跡です。

千葉の一宮は特に遺構はありませんでしたが、北茨城はコンクリートの発射台が
そのまま残っています。

風船爆弾4.jpg
こちらがその場所。

まあそれと知って見なければただのコンクリートの何か。
でもこういうものはしっかり残していってほしいものだと思います。

風船爆弾5.jpg

風船爆弾6.jpg

風船爆弾7.jpg

場所は大伸建設の資材置き場の真裏になります。

戦争遺跡・軍事遺跡
http://rover.seesaa.net/article/476666823.html



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2020年05月03日

石岡の町並み     (茨城県石岡市)

石岡の町並みを散策してきました。

<石岡の町並み>
石岡の町並み1.jpg
住所:茨城県石岡市国府3丁目付近
駐車場無し

茨城の石岡の町を散策しました。
石岡の町は昭和4年に大火で焼失し、その後東京中心に関東大震災の後
に当時流行っていた看板建築の建物が多く建築されました。

ここ石岡にはその建築が今でも多く残り、メインストリートには昔ながら
の町並みが見られます。あまり知られていませんが、歩いて散策するとと
ても雰囲気があって良いです。昔の建物を利用したお店もあり、観光にも
力を入れて居る感がありました。

<石岡の町並み>
石岡の町並み.jpg

石岡の町並み5.jpg

石岡の町並み4.jpg

石岡の町並み2.jpg

石岡の町並み3.jpg

石岡の町並み6.jpg
訪問は平成29年7月2日。この日は地元の神社のお祭りが行われていました。

日本の古い町並み
http://rover.seesaa.net/article/21960937.html

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2020年05月02日

女化稲荷神社   (茨城県龍ケ崎市)

龍ケ崎市にある女化神社に行ってきました。

<女化稲荷神社>
女化稲荷神社2.jpg
住所:茨城県龍ケ崎市馴馬町5387
駐車場あり(無料)
境内自由

女化(おんなばけ)神社に行ってきました。
行った理由、名前が変わってるからです(^^;

女化稲荷神社.jpg

「おんなばけ」何か理由があるんだろうなという名前ですよね。
調べてみると、この地方に伝わる狐の恩返しの民話に基づいている
事が分かりました。

それは龍ケ崎市の観光物産協会のホームページにも記載がありました。

<狐の恩返しについて>
https://www.city.ryugasaki.ibaraki.jp/kanko/kankokyokai/more-ryugasaki/mamechisiki/mukashibanashi/2013091900317.html

助けられた狐が女に化けて恩返しに来たという話だそうです。
その話に出てくる忠七の子孫がこの女化神社を創建したという話も
あるとか。

鶴の恩返しは有名ですが、狐の恩返しってのもあるんですね。
日本の昔話、いろいろあって面白いもんです。

女化稲荷神社3.jpg

平成29年1月29日訪問

B級観光スポット・珍スポット
http://rover.seesaa.net/article/106120393.html

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2020年04月29日

塚原卜伝の墓を参拝   (茨城県鹿嶋市)

塚原卜伝の墓を参拝しました。

<塚原卜伝の墓>
塚原朴伝の墓.jpg
住所:茨城県鹿嶋市須賀
駐車場あり(無料)

<塚原卜伝について>
塚原朴伝の墓3.jpg

鹿島新当流の開祖、剣豪の塚原卜伝の墓を参拝しました。
今年の大河ドラマ『麒麟がくる』でも登城する室町幕府13代将軍
足利義輝に剣をを指南した事でも知られます。
戦国の世にあって、活人剣を説いた人物でもあります。

<塚原卜伝の墓>
塚原朴伝の墓2.jpg

訪問したのは平成25年7月14日です。

著名人の墓
http://rover.seesaa.net/article/26837973.html

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posted by 南行 at 21:17| Comment(0) | 茨城県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月20日

八溝山    (茨城県大子町)

茨城県大子町にある八溝山に行ってきました。

<八溝山>
八溝山.jpg
住所:茨城県久慈郡大子町大字上野宮
駐車場あり(無料)

<八溝山について>
八溝山5.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
19年ぶりに八溝山山頂まで行ってきました。
八溝山は茨城県の最高峰。茨城と言えば筑波山が有名ですが、最高峰はこちら八溝山
になります。福島県との県境にあります。

山頂(1022m)まで車で行くことが出来ます。
前回行ったのが20年近く前と言う事もあり、記憶が曖昧です。比較的容易に行けた
という記憶がありました。
今回は郡山に宿をとっているので茨城側から登って、福島に抜けて行く事にしました。
茨城側からは道が狭いながら、まあ比較的容易に登頂できました。

山頂付近にある、坂東三十三霊場の21番札所で役小角が創建したという日輪寺を参
拝しました。

<日輪寺>
八溝山日輪寺.jpg

日輪寺から数分で山頂に到着します。
現地にはお城風の展望台がありました。

八溝山6.jpg

そこから見た各方面の風景

八溝山3.jpg

八溝山4.jpg

八溝山2.jpg


その後、福島県棚倉町方面にぬけていったのですが、この道が最悪でした。
すれ違い困難な道がかなりの距離続きます。
前から車が来ないことを祈りましたが、あえなく遭遇。
こちらが下がる事になってしまいました。

八溝山7.jpg

福島側は走らない方が良いと思います。

令和元年夏休み旅(後半)
http://rover.seesaa.net/article/468842903.html

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2019年09月08日

筑波海軍航空隊記念館・永遠の0ロケ地   (茨城県笠間市)

筑波海軍航空隊記念館に行ってきました。

<筑波海軍航空隊記念館>
筑波海軍航空隊記念館.jpg
住所:茨城県笠間市旭町654
駐車場あり(無料)
入場料:500円

筑波海軍航空隊は、1938年に創設された大日本帝国海軍航空隊の部隊の一つで戦闘
機専修搭乗員を育成するため、筑波山地近くの飛行場で実機訓練を行いました。
2013年公開の映画『永遠の0』の物語上の舞台でもあり、大戦末期の特攻もここ筑
波で編成されたものです。

僕はこの施設、まったく知りませんでした。この日は久しぶりに笠間稲荷でも行こうか
なと思い家を出ました。北関東自動車道・友部インターをおりたところ、すぐに「永遠
の0」ロケ地という案内板が目に入りました。
友部ICから数キロという事だったので、笠間稲荷に行く前に立ち寄る事にしました。

現地に着くと、永遠の0の看板が出でいます。
筑波海軍航空隊記念館5.jpg

中に入ってみます。記念館があるので、料金を払って見学です。
ちょうど映画『アルキメデスの大戦』の展示会が開催中でした。
筑波海軍航空隊記念館3.jpg
令和元年9月末まで開催中だそうです。
アルキメデスの大戦、見てなかったんですが、ここで展示会を見たので、翌週映画も見
に行きました。



基本展示は、筑波航空隊について、特攻についてなどなどです。
写真撮影OKだったので、写真撮ってきました。

筑波海軍航空隊記念館2.jpg

筑波海軍航空隊記念館4.jpg

戦争に関する資料館は埼玉資料館、靖国神社遊就館、知覧特攻平和会館、
沖縄平和祈念資料館などなど行ってきました。

筑波のこの資料館も同じような展示ではあります。ただ、ここが決定的に違うの
が、戦時の司令庁舎がそのまま残っていて、そこを見る事が出来る事です。
そちらが本当に見て感動しました。

続きをどうぞ

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2018年05月13日

村松山虚空蔵尊     (茨城県東海村)

東海村にある村松山虚空蔵尊に行ってきました。

<村松山虚空蔵尊>
村松山虚空蔵尊.jpg
住所:茨城県那珂郡東海村村松8
駐車場あり(無料)
境内自由

村松山虚空蔵尊は、807年空海によって創建されたお寺です。
空海が真言密教を広めるため各地を巡った際、この地で海の彼方に光る
ものがあると聞き、引き揚げたところ大きな老木であった。
それに虚空蔵菩薩を刻みこの地に安置したのが始まりとされています。

正式名称は村松山日高寺という名前です。
日本三大虚空蔵尊の一つに数えられています。

夕方に訪問したせいか、参拝客は数人しかいませんでした。

村松山虚空蔵尊2.jpg

村松山虚空蔵尊3.jpg

村松山虚空蔵尊4.jpg

村松山虚空蔵尊5.jpg

平成30年いわき湯本温泉ちょい旅
http://rover.seesaa.net/article/457700247.html

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夤賓閣跡      (茨城県ひたちなか市)

ひたちなか市にある夤賓閣跡に行ってきました。

<夤賓閣跡>
いひんかく跡.jpg
住所:茨城県ひたちなか市湊中央1-1
駐車場無し(近くに有料市営駐車場あり)

<夤賓閣について・現地解説>
夤賓閣(いひんかく)は1698年に徳川光圀が建てた別荘で、湊御殿、お浜御殿
とも呼ばれていた。夤賓とは中国の古典で「夤賓日出・・」(つつしんで日出づる
を導く)からとり、夤賓閣は応接所という意味も持っている。

建坪は約300坪を有する広大なもので、建物は一部分が2階建ての豪壮な造り
であったと推定されており、歴代の藩主らによって酒宴や詩歌の会が催された。

その後、夤賓閣は1864年天狗党の乱により焼失し、明治30年に湊公園と
して整備された。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
夤賓閣跡に行ってきました。夤賓閣(いひんかく)、まあ読めませんね(^^;
ここは水戸光圀が造った別荘だそうで、ひたちなか市の海を眺める丘の上にあり
ます。ここからの景色は良いですね。確かに別荘を建てるには良い場所かなと思い
ました。

今は遺構は残っておらず、当時からと思われるのは天然記念物の松の木くらいで
した。

<夤賓閣跡>
いひんかく跡5.jpg

いひんかく跡4.jpg

いひんかく跡3.jpg

いひんかく跡2.jpg

<湊御殿の松・天然記念物>
浜御殿の松.jpg
1698年、水戸光圀が夤賓閣を建築した時に植えたと言われる松の木です。
天狗党の乱の火災も切り抜けました。

<イワレンゲ・天然記念物>
イワレンゲ.jpg
イワレンゲという植物が自生していました。

平成30年いわき湯本温泉ちょい旅
http://rover.seesaa.net/article/457700247.html

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posted by 南行 at 16:28| Comment(0) | 茨城県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

大洗磯前神社         (茨城県大洗町)

大洗磯前神社に行ってきました。

<大洗磯前神社>
大洗磯前神社2.jpg
住所:茨城県東茨城郡大洗町磯浜町6890
駐車場あり(無料)
境内自由

<大洗磯前神社について>
大洗磯前神社6.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
大洗磯前神社、久しぶりに行ってきました。
平安時代初期856年創建の歴史ある神社です。1600年代後半に水戸光圀公に
よって現在の本殿が造営されました。

大洗磯前神社.jpg

大洗磯前神社3.jpg

大洗磯前神社4.jpg

大洗磯前神社5.jpg
神社の境内にガールズ&パンツァーというアニメの看板がありました。
大洗が舞台の様です。僕はまったく知らないのでなんですが。。

<神磯の鳥居>
神磯の鳥居2.jpg

神磯の鳥居.jpg
大洗磯前神社と言えば神磯の鳥居という位有名な鳥居です。
初日の出の名所としても有名ですね。
最近はインスタ映えを狙ってか、鳥居に接近して海に落ちる事故が頻発
しているとか。気をつけたいところですね。

ここからの景色を見た水戸光圀公は、
「あらいその岩にくだけて散る月を一つになしてかへる月かな」
という句を詠んでいます。

神磯の鳥居3.jpg

<2000年元旦撮影の神磯の鳥居>
2000年元旦.jpg
18年前撮影の写真です。

平成30年いわき湯本温泉ちょい旅
http://rover.seesaa.net/article/457700247.html

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2017年07月16日

鈴木三樹三郎の墓を参拝   (茨城県石岡市)

茨城県石岡市にある鈴木三樹三郎の墓を参拝しました。

<東耀寺>
東耀寺.jpg
住所:茨城県石岡市若宮1丁目1−35
駐車場あり(無料)

茨城県石岡市の東耀寺というお寺にある鈴木三樹三郎の墓を参拝しました。
東耀寺2.jpg

鈴木三樹三郎は常陸志筑藩士の子として生まれ、兄の伊東甲子太郎らとともに
新撰組に参加します。
新撰組では九番隊組長をつとめますが、後に御陵衛士として新撰組から分裂。兄の
甲子太郎が殺された油小路の変も切り抜け生き残ります。
明治時代には忠良と改名し、警察官として生活し、鶴岡警察署長まで務めたという事
です。
大正8年に石岡で亡くなり、東耀寺に葬られました。

<鈴木三樹三郎の墓>
鈴木三樹三郎の墓.jpg
右の鈴木忠良というのが鈴木三樹三郎です。

僕はここに鈴木三樹三郎の墓があることを知っててきた訳ではありません。
すぐ近くに石岡市民俗資料館という博物館があり、そこでお墓の存在を知りました。
東耀寺というお寺にあるんですが、お寺には一切の解説も案内もありません。
墓碑は鈴木忠良だし、ここは知ってないと来れないな〜って場所でした。
偶然ではありますが、新撰組の組長の墓を参拝する事が出来、良かったです。

著名人の墓
http://rover.seesaa.net/article/26837973.html

新撰組関連の史跡
http://rover.seesaa.net/article/26835008.html

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2017年02月01日

小坂城址     (茨城県牛久市)

牛久市にある小坂城址に行ってきました。

<小坂城址>
小坂城址.jpg
住所:茨城県牛久市小坂町1966−31
駐車場あり(無料)

<小坂城について・クリックすると拡大します>
小坂城址6.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
牛久にある小坂城址(おさかじょうし)に行ってきました。
小坂城は、戦国時代のお城で1560年前後に築城されたと思われて
います。城主は小田氏から分かれた岡見氏。
小田氏が佐竹氏の攻撃の前に没落すると岡見氏は北条氏の傘下に入り
戦うことになります。

城は近年発掘調査および史跡として整備が行われました。
曲輪や土塁の跡などがはっきりと分かり、戦国期の城跡を堪能する事が
出来ました(^-^)

<小坂城址>
小坂城址2.jpg

小坂城址3.jpg

小坂城址 一ノ曲輪跡.jpg

小坂城址4.jpg
小坂城址からの景色。

日本の城を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21222307.html

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2016年12月16日

木田余城址       (茨城県土浦市)

土浦市にある木田余城址に行ってきました。

<木田余城址>
木田余城址.jpg
住所:茨城県土浦市木田余
駐車場なし

<木田余城について>
木田余城址2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
土浦市にある木田余城址に行ってきました。
築城年代は不明の城で、小田氏に仕えていた信太氏の居城だった様です。
戦国時代、当主信太範宗は小田氏治と対立し誅殺され、木田余城は小田
氏が入りますが、佐竹義重に攻められ落城。城は破壊され廃城となり
ました。

城跡は常磐線に分断され、痕跡を確認する事も出来ません。
木田余城址4.jpg
常磐線の線路の脇に線路をくぐる道があり、この先に城跡の碑があります
が入り口には「関係者以外立ち入り禁止」の文字。
でもここまで来たからには見るしかないという事で、線路をくぐって
石碑を見てきました。
こんなところに碑があっても誰も見る事が出来ないじゃないですかね。
市の史跡との事ですが、これでは意味がないなと。

木田余城址3.jpg
まわりは一面の田んぼです。

日本の城を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21222307.html

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2016年11月20日

薬王寺の紅葉   (茨城県桜川市)

茨城県桜川市にある薬王寺で紅葉を見てきました。

<薬王寺>
薬王寺の紅葉1.jpg
住所:茨城県桜川市青木1375
駐車場あり(無料)
境内自由

薬王寺の紅葉.jpg

<薬王寺について>
薬王寺.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
桜川市観光協会のホームページを見ての訪問です。
紅葉の名所として紹介されていました。

行ってみて、寺中がモミジで真っ赤に染まる光景にびっくり。
良いですね〜(^-^)
あいにく薬王寺に着いたあたりで雲がかかり、日の光が届かなくなりま
した。少し暗めになってしまったのが残念ですが、それでも十分に紅葉
を楽しむ事が出来ました。

<薬王寺の紅葉・平成28年11月20日撮影>
薬王寺の紅葉2.jpg

薬王寺の紅葉3.jpg

薬王寺の紅葉4.jpg

薬王寺の紅葉5.jpg

薬王寺の紅葉6.jpg

薬王寺の紅葉7.jpg

紅葉の名所巡り
http://rover.seesaa.net/article/22577081.html

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月山寺の紅葉    (茨城県桜川市)

桜川市の月山寺で紅葉を見てきました。

<月山寺>
月山寺.jpg
住所:茨城県桜川市西小塙1677
駐車場あり(無料)
境内自由

月山寺は平安時代初期、桓武天皇の時代に創建された古刹です。
桜川市の観光協会のHPで紅葉が綺麗な庭園があるという事を知り訪問
しました。

庭園は本堂の前にありました。
いや〜、確かに綺麗!
一般にはあまり知られていない所ですが、この紅葉は見事ですね〜。
感動しました(^-^)

<月山寺の紅葉・平成28年11月20日撮影>
月山寺の紅葉1.jpg

月山寺の紅葉.jpg

月山寺の紅葉2.jpg

月山寺の紅葉5.jpg

月山寺の紅葉6.jpg

月山寺の紅葉7.jpg

月山寺の紅葉3.jpg

月山寺の紅葉4.jpg

紅葉の名所巡り
http://rover.seesaa.net/article/22577081.html

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2016年10月15日

小田城址     (茨城県つくば市)

つくば市にある小田城址に行ってきました。

<小田城址>
小田城址.jpg
住所:茨城県つくば市小田
駐車場あり(無料)

<小田城について>
小田城址2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
小田城址に行ってきました。
小田城は、鎌倉時代から戦国時代まで小田氏の居城となった平城です。
南北朝時代には、南朝方の拠点として北畠親房が入城し、『神皇正統記』
をこの城で執筆しました。
その後、宇都宮氏、北条氏、佐竹氏、上杉氏などの抗争の舞台となりま
したが、1602年佐竹氏の移封とともに廃城となりました。

今は国指定の史跡になっており、綺麗な土塁などが残されています。

<小田城址>
小田城址3.jpg

小田城址5.jpg

小田城址4.jpg

小田城址6.jpg

小田城址7.jpg

日本の城を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21222307.html

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2016年10月12日

小野小町の墓   (茨城県土浦市)

茨城県土浦市にある小野小町の墓を参拝してきました。

<小野小町の墓>
小野小町の墓3.jpg
住所:茨城県土浦市小野
駐車場なし

<小野小町の墓について>
小野小町の墓.jpg

筑波山のふもとにある小野小町の墓を参拝してきました。
小野小町は僕が説明するまでもありませんが、平安時代の歌人です。
六歌仙の一人で、絶世の美女と言われています。

しかしながら、その晩年はよく分かっておらず、生まれ故郷の秋田湯沢で
過ごしたとか、京都山科の小野の地で過ごしたなどという話があります。
この地に墓があるのは、上の説明にあるように旅の途中、この地で亡く
なったという伝説によるものです。

<小野小町の墓>
小野小町の墓2.jpg

小野小町は晩年は落ちぶれて、その骸を在原業平にさらしたという話が
あったり、まあ悲惨だったんだろうなという事は想像出来ます。

著名人の墓
http://rover.seesaa.net/article/26837973.html

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2016年05月26日

豊田城趾        (茨城県常総市)

茨城県常総市にある豊田城趾に行ってきました。

<豊田城趾>
豊田城趾2.jpg
住所:茨城県常総市本豊田
駐車場あり

<豊田城について・クリックすると拡大します>
豊田城趾.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
豊田城趾に行ってきました。
豊田城は桓武平氏の流れをくむ豊田氏の居城で、室町時代初期に築かれたお城です。
城は戦国期まで続きますが、豊田氏が滅亡し廃城になります。

現在、当地には復元天守が作られたりしていますが、これはあくまで地域施設とし
て作られた物で、当然当時の豊田城には天守などありません。

豊田城趾5.jpg

復元天守から東に2〜3キロ行った小貝川の堤防道路沿いに豊田城跡の碑があります。
特に遺構は見当たらず、一面の田んぼという感じでした。

豊田城趾3.jpg

現地はちょっとした公園の様になっていて、「上善若水」の碑がありました。
豊田城趾4.jpg

日本酒は「上善如水」でしたかね。文字は違いますが読みは一緒の様です。

日本の城を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21222307.html

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2016年05月23日

関城趾    (茨城県筑西市)

茨城県筑西市にある関城趾に行ってきました。

<関城趾>
関城趾.jpg
住所:茨城県筑西市関舘
駐車場あり(無料)

<関城について>
関城趾4.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
関城趾に行ってきました。ここは南北朝の騒乱時、南朝方に味方した関氏の居城。
小田城を出た南朝方の北畠親房はこの城に移り、有名な『神皇正統記』を完成させ
ています。
関城は北朝方の高師冬の軍勢に攻められ落城、城主の関宗祐らは討ち死にします。

関城跡はかなり大きな遺構で、現在関城跡の碑が残る場所には、城主関宗祐や
北朝方の武将結城直朝の墓などがあります。

関城趾3.jpg

<関宗祐の墓>
関城趾 関宗祐の墓.jpg

<結城直朝の墓>
関城趾 結城宗朝の墓.jpg

大河ドラマの舞台
http://rover.seesaa.net/article/112515106.html

日本の城を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21222307.html

著名人の墓
http://rover.seesaa.net/article/26837973.html

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2016年05月22日

小貝川フラワーフェスティバル  (茨城県下妻市)

茨城県下妻市の小貝川ふれあい公園で開催中の小貝川フラワーゲスティバルに
行ってきました。

<小貝川フラワーフェスティバル>
住所:茨城県下妻市堀篭1650−1
駐車場あり

下妻市の小貝川ふれあい公園の花畑でフラワーフェスティバル開催中です。
今日(5月22日)は特にイベントなども行われていて賑やかでした。
ここは筑波山をバックに、約300万本のポピー畑が広がります。

小貝川ポピー6.jpg

小貝川ポピー5.jpg

花畑の南側はキンセンカの畑です。こちらも青空の下でとても綺麗でした(^-^)
小貝川ポピー3.jpg

小貝川ポピー.jpg

小貝川ポピー4.jpg

小貝川ポピー2.jpg

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多賀谷城趾     (茨城県下妻市)

茨城県下妻市にある多賀谷城趾に行ってきました。

<多賀谷城趾>
多賀谷城趾公園.jpg
住所:茨城県下妻市本城町2丁目50
駐車場あり(無料)

<多賀谷城について・現地の解説>
多賀谷氏は初代氏家が現在の多賀谷城趾公園の一郭に本丸を構え、隣国
豪族を攻めてその勢力下に置くほか小田原北条氏政の再三の来襲を撃退
するなど7代にわたり147年間下妻城主として栄えていた。
慶長5年、関ヶ原の戦いが起き、多賀谷重経は佐竹氏とともに西軍に心を
寄せ徳川家康の再三の誘いにも出陣しなかった。この戦いで家康に憎まれ
石田三成に組みした理由で慶長6年2月、城主追放城破却となり当地を
去った。
現在本丸跡にある多賀谷氏遺跡碑は旧主を慕う家臣子孫が明治23年に
建立した物である。

多賀谷城趾公園4.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
多賀谷城趾に行ってきました。下妻市の中心部に城趾公園として整備されています。
今は遺構の様な物はほぼ見る事が出来ませんが、本丸跡に多賀谷氏の顕彰碑等が
ありました。
公園は結構賑わってて、市民の憩いの場という感じです。

多賀谷城趾公園2.jpg

多賀谷城趾公園3.jpg

多賀谷城趾公園5.jpg

日本の城を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21222307.html

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2016年03月02日

高井城趾      (茨城県取手市)

茨城県取手市にある高井城趾に行ってきました。

<高井城趾>
高井城趾.jpg
住所:茨城県取手市下高井
駐車場あり(無料)

<高井城について>
高井城趾3.jpg

高井城趾4.jpg
クリックすると拡大します。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
高井城に行ってきました。戦国時代の平山城ですが、築城の詳細は分かっていない
そうです。
下総相馬氏の領地であった事から、相馬氏の居城であったと思われます。
秀吉の小田原攻めの際、相馬氏は滅亡する為、高井城も廃城になった様です。

現在は高井城趾公園という公園になっています。
高井城趾2.jpg

高井城趾5.jpg

高井城趾6.jpg

今日びっくりしたのは、本丸跡と思われるところに桜があって見事に咲いてい
たこと。
品種は河津桜かな、早咲きの桜ですね。もう8分咲きという感じでした。

<高井城趾の桜・平成28年3月2日撮影>
高井城趾7.jpg

高井城趾8.jpg

高井城趾9.jpg

日本の城を巡る
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<桜の名所まとめのページはこちら>
http://rover.seesaa.net/article/14535679.html

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2015年12月28日

お屋敷通り      (茨城県高萩市)

茨城県高萩市にあるお屋敷通りを歩いてきました。

<お屋敷通り>
お屋敷通り5.jpg
住所:茨城県高萩市下手綱地内
駐車場あり(無料)

江戸時代、水戸藩附家老中山氏が松岡城に入り、城下町を整備しました。
現在松岡城跡地は松岡小学校の敷地内になっており、小学校の正門前から直線
に伸びる通りが旧武家屋敷の面影を残した「お屋敷通り」と呼ばれる通りに
なります。

お屋敷通りは石畳の道路の両側に昔ながらの町並みが残ります。
規模は大きくありませんが、昔町の面影があって良いですね。

お屋敷通り6.jpg

お屋敷通り3.jpg

お屋敷通り4.jpg

お屋敷通り2.jpg

お屋敷通り.jpg

平成27年秋旅3 いわき湯本温泉へ
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日本の古い町並み
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2015年12月27日

小松寺       (茨城県城里町)

茨城県城里町にある小松寺に行ってきました。

<小松寺>
小松寺1.jpg
住所:茨城県東茨城郡城里町上入野3912
駐車場あり(無料)
境内自由

<小松寺について>
小松寺3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
小松寺に行ってきました。
ここはもともと奈良時代に行基菩薩開基のお寺だそうです。
その後、源平の合戦で平家が滅ぶと、平重盛の妻がこの寺に逃れ、夫重盛の菩提を
弔ったそうです。
小松寺という名前も小松内大臣(平重盛)の名からついたものです。

<本堂>
小松寺.jpg

<唐門>
小松寺2.jpg
この唐門は、京都にあった平重盛邸の門を模したもので、1191年に
造られたと言われています(寺伝)

<平重盛の墓>
小松寺 平重盛の墓.jpg
本堂裏の山に平重盛の墓があります。

小松寺 平重盛の墓2.jpg

小松寺 平重盛の墓3.jpg

京の都を遠く離れた常陸の地に平重盛の墓があるのには正直驚きました。
平重盛は人望もあったという事で、重盛が長生きしていれば平家は滅びな
かったのかもしれません。まあ歴史のタラレバの話ですね。

平成27年秋旅3 いわき湯本温泉へ
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著名人の墓
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大河ドラマの舞台
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2015年12月26日

松岡城趾       (茨城県高萩市)

茨城県高萩市にある松岡城趾に行ってきました。

<松岡城趾>
松岡城.jpg
住所:茨城県高萩市下手綱43
駐車場あり(無料)

<松岡城について>
松岡城4.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
松岡城趾に行ってきました。
平安時代にはすでにこの地にお城があったという事で、古くから軍事上の拠点で
あったものと思われます。室町時代には竜子山城として築城され、江戸時代には
水戸藩家老の居城として明治時代を迎えます。

現在は高萩市立松岡小学校という小学校の敷地になっていて、隣接地には城趾公園
のようなものが整備されています。

小学校には猷将館という展示施設があり、松岡城の歴史を見ることが出来ます。
小学校の中にありますが、一般の人も無料で見る事が出来ます。
(おそらく日曜のみの開館と思われます)

<松岡城趾>
松岡城2.jpg

松岡城3.jpg

松岡城5.jpg

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那珂西城 / 宝憧院     (茨城県城里町)

茨城県城里町にある那珂西城跡に行ってきました。

<那珂西城跡・宝憧院>
那珂西城.jpg
住所:茨城県東茨城郡城里町那珂西1958
駐車場あり(無料)

<那珂西城について>
那珂西城3.jpg

<宝憧院について>
宝憧院2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
那珂西城跡に行ってきました。
南北朝時代の城跡だそうです。その後この地に宝憧院というお寺が移転して
きたため、今はお寺の境内になっています。
国道123号線から細い入り口があります。車で入るのが躊躇われますが、すぐに
着きますし、境内は広く駐車スペースも充分にあります。

南北朝時代のものという事で、今はお城だったことがはっきりと分かる遺構は
あまりありません。
関東は南朝方の武将が多かったのですが、那珂氏もそんな南朝方の武将として
活躍した様です。

宝憧院.jpg

那珂西城2.jpg

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2015年12月23日

瓜連城 / 常福寺       (茨城県那珂市)

茨城県那珂市にある常福寺(瓜連城跡)に行ってきました。

<常福寺>
瓜連城跡3.jpg
住所:茨城県那珂市瓜連1222
駐車場あり(無料)
境内自由

<常福寺について>
常福寺2.jpg

<瓜連城について>
瓜連城跡2.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
瓜連城(うりづらじょう)跡に行ってきました。
瓜連城は南北朝時代に、南朝方の武将楠木正家が居城としたもので、北朝方の
佐竹氏と抗争を繰り広げました。
楠木正家は楠木正成の弟とも甥とも言われる人物です。
この瓜連城に籠もり佐竹氏と戦いますが、落城。のちに楠木正行に従い、四條畷の
戦いに参戦、討ち死にしたそうです。

瓜連城跡にはのちに常福寺が建築され、現在は常福寺の境内になっています。
常福寺.jpg

ここも城と知らなければ普通のお寺と思ってしまう場所ですね。
瓜連城跡.jpg

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2015年03月04日

泉神社 / 泉が森       (茨城県日立市)

茨城県日立市にある泉神社に行ってきました。

<泉神社>
泉神社 日立.jpg
住所:茨城県日立市水木町2−22−1
駐車場あり(無料)
境内自由

泉神社は紀元前42年に創建されたという歴史的由緒のある神社です。
社記に「上古霊玉此地に天降り 霊水湧騰して泉をなす 号けて泉川云ひ
霊玉を以て神体とする」とあり、太古より霊水の湧く神社として信仰
されてきたことが分かります。

<泉が森の説明・クリックすると拡大します>
泉が森 解説.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
こちらも久しぶりの訪問の泉が森です。
神社は紀元前よりあるという泉神社。静かな森の中に神社がりますが、そこには
霊水と呼ばれる綺麗な泉があります。
湧き水は「平成の名水百選」に認定されており、今も綺麗な水が湧き続けています。

泉神社 日立4.jpg

その名水は本当に綺麗。日が当たるともっと綺麗に見えるのかな。
青々とした水は本当に澄み渡って、霊験あらたかなという感じがします。



神社で参拝するとともに、泉を眺めてきました。
ここの水を飲めるとか、そういう感じではありません。

<泉神社>
泉神社 日立3.jpg

泉神社 日立2.jpg

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佐竹寺         (茨城県常陸太田市)

茨城県常陸太田市にある佐竹寺に行ってきました。

<佐竹寺>
佐竹寺.jpg
住所:茨城県常陸太田市天神林2404
駐車場あり(無料)
境内自由

<現地解説>
佐竹寺は真言宗豊山派の寺院で、985年に花山天皇の勅願により元密上人
が開山したと伝えられ、創建当時は現在地から西北西に約700m離れた
鶴ヶ池の洞崎の峰に建てられ、観音寺と称していた。
佐竹氏初代昌義は1177年に同寺に寺領として300貫の土地を寄進し、
六代長義は衰えていた寺堂を佐竹氏の祈願所として再興するなど、佐竹氏
の隆盛と共に寺運も栄えた。
しかし1543年に兵火にかかって焼失してしまい、1546年義昭に
よってこの地に再建された。
1906年に国指定重要文化財となった本堂はかやぶき屋根寄せ棟造りで、
主屋の周囲にこけら葺の裳階をめぐらし、正面中央に唐破風をあげている。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
常陸太田市にある佐竹寺に行ってきました。
12年前に一度訪問していらい、久しぶりの訪問です。
佐竹氏ゆかりのお寺で、見るべきは重要文化財の本堂。
重厚な茅葺きの屋根、この手の屋根の本堂は何ヶ所か見てきていますが、この
佐竹寺本堂は手入れが良く、建物の重厚感が良いですね。
旧国宝の様ですが、いずれ本堂は国宝になってもおかしくない建物かと思います。

<佐竹寺本堂>
佐竹寺4.jpg

佐竹寺2.jpg

佐竹寺3.jpg

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2015年03月01日

助川海防城跡      (茨城県日立市)

茨城県日立市にある助川海防城跡に行ってきました。

<助川海防城跡>
助川海防城跡.jpg
住所:茨城県日立市助川町5丁目10番4号
駐車場なし(多分無いと思う)

<現地解説>
水戸藩9代藩主徳川斉昭公は、天下に率先して海防の重要性を強調し、
1836年家老山野辺義観を海防総司という新設の重職に任命し、太平洋
を一望におさめるここ助川村の高台、要害の地形に拠って城郭を築いて
居住させ、異国船の無断侵入に備えさせた。
これが助川海防城である。これを海防城と通称するのは、一大名の城と
異なり、わが国にも当時類例の無い海防を目的とする城郭だったからで
ある。
この城は完成までに5年の歳月を要し、総面積は約68万兵法メートル
で、助川小学校の校門付近にあった館入り口から三の丸、二の丸、本丸
と進むに従って高く、本丸には、異国船を見張る櫓もあった。

<助川海防城全体図・クリックすると拡大します>
助川海防城跡6.jpg

海防城は1864年9月、幕府水戸藩の内乱の時に焼失し、当時の遺構
としては本丸表門の礎石の一部と、二の丸にあった鳩石だけとなった。

大佛次郎の『夕顔小路』に、この海防城の落城前後の模様が興味深く
書かれている。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
日立市にある助川海防城跡に行ってきました。
徳川斉昭は海防の重要性を認識して、この海防城を築城させたというお話です。
1836年というと、まだ世の中は水野忠邦の天保の改革の最中という頃で、
その先進性に驚かされます。まあ幕末にはペリーの来航以前から異国船が来て
いたわけで、それに真っ先に対応したという事ですね。

<助川海防城跡>
助川海防城跡4.jpg

助川海防城跡2.jpg

助川海防城跡3.jpg

助川海防城跡5.jpg
遠くに太平洋を一望出来ます。
城の規模も非常に大きいです。

日本の城を巡る
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2015年02月25日

正宗寺     (茨城県常陸太田市)

茨城県常陸太田市にある正宗寺に行ってきました。

<正宗寺>
正宗寺.jpg
住所:茨城県常陸太田市増井町1514
駐車場あり(無料)
境内自由

<現地解説>
臨済宗円覚寺派で萬秀山正宗寺と称し、佐竹氏の菩提寺であった。
923年に平良将が律宗の増井寺を建立したことに始まる。
その後真言宗に変わり勝楽寺と改称され、鎌倉時代には八代行義が
寺中に正法寺を建立した。
南北朝時代になり九代貞義の庶子月山周枢が臨済宗に改め、夢想国師
を中興の勧請開山とし、自らは開基二世となり寺中に正宗庵を営んだ。
室町時代、十代義敦が庵を寺とし、正宗寺が初めて興った。
江戸時代には徳川家光義御朱印100石を拝領し、水戸家初代頼房
以来歴代水戸藩主の尊崇も厚い寺であった。
1838年総門を残し焼失し、現在の本堂は昭和63年に建てられた。
裏山の中腹には佐竹一族の墓と言われる宝篋印塔や,水戸黄門の「助さん」
のモデルとされる佐々宗淳の墓がある。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
10年以上ぶりですが、常陸太田市にある正宗寺に行ってきました。
ここは佐竹氏の菩提寺のひとつであり、1000年の歴史を誇る古刹であるとともに
水戸黄門に出てくる「助さん」こと佐々宗淳の墓があることで知られています。
助さんのお墓、だいぶ昔に参拝しましたが、久しぶりに訪問です。

<助さんの墓>
佐々宗淳の墓.jpg
助さんは佐々宗淳と言い、通称を助三郎といいます。
戦国大名佐々成政の姉の孫にあたり、徳川光圀に仕えました。
光圀の『大日本史』の編纂事業に従事し、彰考館総裁を務めました。
水戸黄門では諸国漫遊して、悪を撃退しますが、それはフィクションです。

同じく、水戸黄門に出てくる格さんこと安積澹白の墓は水戸市の常磐共有
墓地にあります。
<常磐共有墓地>
http://rover.seesaa.net/article/232370476.html

また風車の弥七のモデルとなった忍者松之草村小八兵衛の墓は常陸大宮市
にあります。
<風車の弥七の墓>
http://rover.seesaa.net/article/104482019.html

正宗寺はもともと佐竹氏の菩提寺。助さんの墓の奥に佐竹氏の墓と言われる
宝篋印塔が並んでいます。

<佐竹氏宝篋印塔>
佐竹一族の墓.jpg

<正宗寺の柏槙・天然記念物>
正宗寺の柏槙.jpg
樹齢600年の柏槙です。

著名人の墓
http://rover.seesaa.net/article/26837973.html

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2015年02月22日

鯨ヶ丘      (茨城県常陸太田市)

茨城県常陸太田市、鯨ヶ丘を散策してきました。

<鯨ヶ丘>
鯨ヶ丘.jpg
住所:茨城県常陸太田市東一町 他
駐車場無し(今回は常陸太田市郷土資料館に停めて歩きました)

<現地解説>
景行天皇の時代(4世紀頃)、日本武尊が東夷征伐のためにこの地を巡った際、
丘陵の起伏があたかも鯨が洋上に浮遊している状に似ているので「久自」と
名付けた。「久自」変じて「久慈」となり「鯨ヶ丘」となった。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
常陸太田市の鯨ヶ丘を散策しました。
鯨ヶ丘の名は日本武尊に遡る歴史あるもの。この地は平安時代末期から戦国時代まで
佐竹氏が治め、古くから物産の集積地として栄えたそうです。

今は街道沿いに古い建物が点在し、昔ながらの雰囲気を感じることが出来ます。
鯨ヶ丘はその名にもある様に丘であり、ここから坂を下る雰囲気もまた良いのです。
鯨ヶ丘では坂道の風景を見るのも良いですね。

<鯨ヶ丘の町並み>
鯨ヶ丘4.jpg

鯨ヶ丘5.jpg

鯨ヶ丘3.jpg

鯨ヶ丘6.jpg

鯨ヶ丘2.jpg

鯨ヶ丘7.jpg

常陸太田市郷土資料館(梅津会館)
梅津会館.jpg
鯨ヶ丘にある常陸太田市郷土資料館です。昭和11年に当時の太田町役場
として建築された建物です。

日本の古い町並み
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2015年02月18日

辰ノ口展望台     (茨城県常陸大宮市)

茨城県常陸大宮市にある辰の口展望台に行ってきました。

<辰ノ口展望台>
辰の口展望台.jpg
住所:茨城県常陸大宮市辰ノ口
駐車場あり(無料)

辰の口親水公園にある展望台に行ってきました。
特に料金はかかりません。
展望台へは車でちょっとした山道を登り、その頂上に鉄製の展望塔があり
ます。展望塔は30m位の高さでしょうか。山の高さとあわせると高さ
200mくらいあるのかな。
展望塔は階段で上りますが、下も見えるのでちょっと恐いです。

展望台からの景色は良いです。
久慈川沿いに広がる農村風景を見渡す事が出来ます。
この日は風が強かったせいもあり、ものすごい土埃。
上から見ると土埃が舞い上がるところがよく分かりました。

辰の口展望台2.jpg

辰の口展望台4.jpg

辰の口展望台3.jpg

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2014年01月22日

静御前伝説・思案橋   (茨城県古河市)

茨城県古河市にある思案橋に行ってきました。

<静御前像>
静御前像 古河.jpg
住所:茨城県古河市下辺見
駐車場なし

茨城県古河市にある思案橋という橋は静御前の伝説の残る地です。
その橋の所に小さな公園があり、静御前の銅像が建っています。
国道354号線沿いで、以前通りかかった時に気になっていました。

<思案橋の伝説>
兄の源頼朝に追われ奥州平泉まで落ち延びた源義経を慕って、静御前
は侍女の琴柱をつれて京都から旅に出ました。
やっと下総国にたどり着いた静御前は下辺見の茶店で休んでいるとき
に「平泉で源義経が死んだ」と知らされました。
近くを流れる小川の橋の上で、平泉まで行こうか戻ろうか思案した
静御前は行くことを諦め、義経の叔父が住職をしている高柳寺を訪れ
ることとし出発しました。
寺に着いた静御前は義経を失った悲しみのために、病の床に伏し22才
の生涯を終えたと言われています。こうした幸せの薄かった静御前の
生前をしのんで、静御前が思案にくれて立ちつくした橋を「思案橋」と
呼んで後世にに伝えています。


こちらが現在の思案橋です。国道354号線にかかる小さな橋です。
静御前 思案橋2.jpg

その橋のたもとに小さな公園があり、上の静御前の旅姿の銅像がたって
います。

静御前 思案橋.jpg

この話が本当か嘘かってのはよく分かりませんが、隣町である
埼玉県久喜市(旧栗橋町)には静御前の墓も残っています。

静御前の墓
http://rover.seesaa.net/article/15297682.html

大河ドラマの舞台
http://rover.seesaa.net/article/112515106.html

銅像めぐり
http://rover.seesaa.net/article/142026310.html


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2011年12月13日

那珂湊反射炉跡   (茨城県ひたちなか市)

茨城県ひたちなか市にある那珂湊反射炉跡に行ってきました。

<那珂湊反射炉跡>
那珂湊反射炉跡.jpg
住所:茨城県ひたちなか市栄町1-10
駐車場あり(無料)
見学自由

幕末、那珂湊沖にも異国船が出没するようになり、水戸藩9代藩主徳川斉昭
が、海防の要をとなえて領内各地に砲台を築くため、大砲鋳造を目的として当
吾妻台に建設したのが反射炉(大型金属溶融炉)である。
建設にあたっては、薩摩藩士竹下矩方、三春藩士熊田宗弘、南部藩士大島高任
らの協力を得て、那珂湊の大工飛田与七や瓦職人福井仙吉が尽力した。
1855年に1号炉、1857年に2号炉が完成した。高さ15m、使用された
煉瓦は約4万枚と言われている。
1864年の元治甲子の乱で破壊され、昭和12年に現在の模型がほぼ原形通り
に復元された。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
那珂湊の反射炉に行ってきました。
韮山の反射炉に行ったことがあるので、ここで2ヶ所目です。
那珂湊に反射炉があるのは知ってたんですが、何気に行って無くて、
今回初めて行ってきました。当時の反射炉が残っていのかなと
思っていたんですが、当時のものは壊されて、昭和に入ってから
復元されたものでした。
当時のままに復元されたという事で、復元ものとはいえ、なかなか
に雰囲気のある反射炉です。
水戸藩は幕末に先進的な考えを持っていたことがよく分かる史跡
ですね。

那珂湊反射炉跡2.jpg

那珂湊反射炉跡3.jpg

那珂湊反射炉跡4.jpg

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妙雲寺     (茨城県水戸市)

茨城県水戸市の妙雲寺に行ってきました。

<妙雲寺>
妙雲寺1.jpg
住所:茨城県水戸市見川2丁目103
駐車場あり(無料)

妙雲寺は慶長元年、法雲院日道聖人の開基と伝えられ、延宝6年(1678)に
藩命により義公寺町より現在地に移ってきています。
境内には家老で天狗党に参加した武田耕雲斎の墓(水戸市指定史跡)があります。

武田耕雲斎の墓.jpg

武田耕雲斎の墓2.jpg

気になったのは井伊直弼台霊塔なる石碑があったこと。

妙雲寺 井伊直弼台霊塔.jpg

なぜに水戸に井伊直弼の供養塔の様なものがあるのか?
全然分かりませんでした。
後で調べたんですが、桜田門外の変で殺された井伊直弼の首級を桜田烈士
の一人、広木松之介が持ち帰り徳川斉昭の命でここに供養したというもの
だそうです。
境内にはその桜田烈士・広木松之介の墓もありました。

妙雲寺 広木松之介の墓.jpg

意外な井伊大老の供養塔に驚いたお寺でした。

著名人の墓
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2011年11月11日

永源寺    (茨城県大子町)

茨城県の大子町にある永源寺に紅葉を見に行ってきました。

<永源寺>
永源寺 本堂.jpg
住所:茨城県久慈郡大子町大子1571
駐車場あり(無料)
境内自由

1446年の創建。曹洞宗のお寺で本尊は釈迦如来。
1864年、天狗党の乱で寺の大半を焼失。
現本堂は、1953年に再建されたものです。

その永源寺に紅葉を見に行ってきました。
寺の入り口には「もみじ寺」の石碑。やはりここは紅葉の
名所の様です。この日は平日にもかかわらず、かなりの人出
でした。

<永源寺の紅葉・平成23年11月9日撮影>
永源寺 紅葉 大子.jpg

永源寺 紅葉 大子2.jpg

永源寺 紅葉 大子3.jpg

永源寺 紅葉 大4.jpg

永源寺 紅葉 大子5.jpg
晴れてはいるんですが、日の当たりがいまいち。
寺の地形から見て、午前中に訪問すれば良い日の当たり具合のような
感じです。平成23年11月9日現在紅葉は見頃かなと思います。

永源寺って言うと滋賀県の永源寺も紅葉の寺として名高いですね。
茨城にも永源寺ってあるんだって事も少しびっくりでした。

紅葉の名所巡り
http://rover.seesaa.net/article/22577081.html


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2011年11月10日

袋田の滝    (茨城県大子町)

茨城県大子町の袋田の滝に行ってきました。

<袋田の滝>
袋田の滝.jpg
住所:茨城県久慈郡大子町袋田
駐車場あり(無料)
入場:300円

<滝についての解説>
袋田の滝は幅73メートル、高さ120メートル、四段に落下する事から
別名四度の滝と呼ばれ、日本三名瀑のひとつであり、四季それぞれに織りなす
滝の造形は、心の安らぎと感動を与えることでしょう。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
日本の滝百選のひとつ、また日本三名瀑のひとつである袋田の滝に行って
きました。そうとう久しぶりの訪問です。
なんでも新しい観瀑台が出来たというので、楽しみでした。

駐車場は、町営無料駐車場がありますが、滝まで歩いて5分以上かかります。
近くの駐車場はお土産屋とかの駐車場で、お土産買うと無料になるという
ところばかりです。
僕はこの手の駐車場が好きではないので、町営無料駐車場に停めて
歩いて行きました。

袋田の滝は観光トンネルをくぐって観瀑台に向かいます。
第一観瀑台からの写真は上の写真です。
下から見上げるアングルです。
このアングルからは太い幅や迫力が実感出来ます。

ここからエレベーターで第二観瀑台に上ります。以前来たときには、
この第二観瀑台がありませんでした。上から眺めた景色は
また違った感じを受けました。

袋田の滝2.jpg

上から見ると紅葉の中に映える滝の美しさを感じる事が出来ます。
ちょうど紅葉も見頃を迎えており、滝の美しさを際だたせていました。

<紅葉の袋田の滝・平成23年11月9日撮影>
袋田の滝 大.jpg

袋田の滝 大2.jpg
この2枚はクリックすると拡大します。

最後の1枚は脇にある吊り橋から撮影したものです。
袋田の滝3.jpg

久々に行って驚いたのは、平日だっていうのに混んでるって事。
土日はさぞかしすごいんでしょうね。

袋田の滝は四季それぞれに良さがあります。
今の時期は紅葉がとても良かったです。

日本の滝巡り
http://rover.seesaa.net/article/25540563.html

紅葉の名所巡り
http://rover.seesaa.net/article/22577081.html

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2011年11月07日

結城城跡    (茨城県結城市)

茨城県結城市にある結城城に行ってきました。

<結城城跡>
結城城跡.jpg
住所:茨城県結城市結城2486−1
駐車場あり

<現地解説>
結城城は治承年間(1177〜1180年)に結城朝光が築いた
とされるが確証はない。むしろ南北朝動乱期に築城されたと見るべき
だろう。
その後、結城家は室町時代に関東八家の一に列して勢力をふるい、
戦国時代には宇都宮・佐竹氏らとごして生き残り、1591年に
徳川家康の次男秀康を17代晴朝の養子にもらい受け、1601年
越前福井への国替えまで関東の雄として栄えた。
結城氏の転出後、結城城は廃城となったが、1700年水野勝長の
入部によって再興され、明治にいたるまで水野氏の居城となった。
結城の名を不朽にしたのは1440年の結城合戦である。
鎌倉公方足利持氏が将軍義教と争って滅ぶと、結城家11代氏朝は
持氏の遺児春王丸と安王丸を奉じて兵をあげた。
幕府は諸将に氏朝らの討伐を命じたが、結城城落城まで1年余の
歳月を費やし、結城の名を天下に轟かす結果となったのである。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
結城合戦で有名な結城城に行ってきました。
結城合戦は高校の歴史の教科書でも太字になってるような有名な
合戦です。1年あまりの攻城戦がくりひろげられたお城。

ですが、今は公園になってはいますが、城跡と感じるようなものは
ほぼなくなっています。

結城城跡2.jpg

<曲輪跡>
結城城曲輪跡.jpg

せめて何か石碑のひとつでもと公園内を探したところ、こんな石碑
を発見しました。

結城城跡3.jpg
結城合戦タイムカプセル埋設地??
昭和56年に埋めたものらしく、結城合戦から600年の2041年に
掘り起こす事になっているようです。
何が入っているんでしょうね????
これ以外、特にこれってのが無かったかな。ちょっと残念でした。

日本の城を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21222307.html


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2011年10月28日

常磐共有墓地    (茨城県水戸市)

茨城県水戸市にある常磐共有墓地に行ってきました。

<常磐共有墓地>
常磐共有墓地.jpg
住所:茨城県水戸市松本町13-34
駐車場あり(無料)

<現地解説>
常磐共有墓地は1666年、水戸徳川家2代徳川光圀により家臣に賜った
墓地です。光圀公は生涯の大事業とされた『大日本史』の編纂を通して、
我が国の皇道精神の発揚と水戸教学の源流を開拓し、王政復古への大業
の至指南となられたことはあまねく知られたところですが、一方、藩政
においても諸制度の整備、士風の育成、民生の安定、産業経済の振興、
城下の市政等高邁な識見により仁政をほどこされました。
就中、宗教界の混乱には深く憂慮され、神仏習合を禁止して迷信邪教
淫祠を打破し、純正な信仰をうちたてようとして、寺社の改革を断行され
ました。その一環として葬祭の簡素化をはかり、家臣に仏式の葬礼法要
に対して自葬祭を勧め「喪祭儀略」を編集して葬祭の仕方を教え、
墓石の大きさ、形まで規定して説に奢侈に流れぬよう戒めました。
爾来300有余年私どもはこのご下賜の趣旨を堅く守り、特定の寺院に
属さない諸宗の共有墓地として今日にいたっております。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
常磐共有墓地に行ってきました。
昨年、映画『桜田門外の変』を見て、桜田門外の変において井伊直弼
を襲撃した水戸藩士の墓がここにあるという事を知り、今回おじゃま
しました。
常磐共有墓地は平成23年3月11日に発生した東日本大震災の影響
で、墓石がいたるところで崩れ壮絶な状況となっていました。
そんな中、桜田烈士の墓など参拝してきました。

<安積澹泊の墓(格さん)>
格さんの墓.jpg
安積澹泊は水戸黄門で有名な格さんのモデルになった人物です。

<藤田東湖の墓>
藤田東湖の墓.jpg
水戸学の学者。水戸藩の政治家。徳川斉昭の側近。
藤田東湖の墓も無惨に倒れてました。
藤田東湖は安政の大地震で亡くなっており、今度はお墓も地震で崩れるという
なんとも悲しい状況になっていました。

<藤田小四郎の墓>
藤田小四郎の墓(天狗党).jpg
藤田東湖の子。水戸天狗党に参加しています。

<関鉄之助の墓・桜田烈士>
関鉄之助の墓.jpg
桜田門外の変の首謀者の一人。映画『桜田門外の変』の主人公。

<金子孫二郎の墓・桜田烈士>
金子孫二郎の墓(桜田烈士).jpg
桜田門外の変の首謀者の一人。

<高橋多一郎の墓・桜田烈士>
高橋多一郎の墓(桜田烈士).jpg

<黒澤忠三郎の墓・桜田烈士>
黒澤忠三郎の墓(桜田烈士).jpg

<山口辰之介の墓・桜田烈士>
山口辰之介の墓(桜田烈士).jpg

<原市之進の墓・徳川慶喜側近>
原市之進の墓(徳川慶喜側近).jpg

<前木新八郎の墓・東善寺事件志士>
前木新八郎の墓(東善寺事件志士).jpg

著名人の墓
http://rover.seesaa.net/article/26837973.html


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2011年09月01日

安倍晴明出生の地   (茨城県筑西市)

茨城県筑西市にある安倍晴明出生の地に行ってきました。

<安倍晴明出生の地>
安倍晴明生誕の地2.jpg
住所:茨城県筑西市猫島
駐車場あり

『簠簋抄』(ほきしょう)という江戸時代の書物に、安倍晴明は
現在の筑西市の出身で、幼少時を過ごしたという記述があるそうです。
安倍晴明は映画『陰陽師』で有名な平安時代の人物。
生まれは大阪の阿倍野区っていうのが通説ですが、茨城にも出生の地
伝説があったのには驚きです。
大阪の阿倍野には阿倍野晴明が丘なんてところもありますしね。

茨城県筑西市の猫島には晴明橋公園という公園が整備されています。
ここが出生の地と言われ、安倍晴明が造った橋があったそうです。

安倍晴明生誕の地3.jpg
これが橋に使われていた石だそうで。

どこまで本当か分かりませんが、伝説として面白いなと思いました。


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2011年03月13日

間宮林蔵の墓   (茨城県つくばみらい市)

茨城県つくばみらい市にある間宮林蔵の墓に行ってきました。

<間宮林蔵の墓>
間宮林蔵顕彰碑.jpg
住所:茨城県つくばみらい市上平柳5(専称寺内)
駐車場あり(無料)

間宮林蔵は1780年、常陸国上平柳村に生まれ、1844年65歳の
生涯を終え、ここに眠っています。
間宮林蔵は専称寺住職伯栄和尚に学び、その才能を発揮、小貝川の堰き止め
工事で認められたと言われ江戸に出て行きました。
ここ専称寺は林蔵の勉学の場であり、遊びの場でもありました。

上の写真は明治43年に建立された顕彰碑です。

<間宮林蔵の墓>
間宮林蔵の墓.jpg
右は間宮林蔵の両親の墓。左が間宮林蔵の墓です。
1807年に決死の覚悟で樺太探検に出発するにあたり、間宮林蔵
自ら建立した生前の墓です。偉大な事業を成し遂げる前の身分の低い
武士にあった、百姓並の墓です。

著名人の墓
http://rover.seesaa.net/article/26837973.html

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間宮林蔵生家    (茨城県つくばみらい市)

茨城県つくばみらい市にある間宮林蔵の生家に行ってきました。

<間宮林蔵の生家>
間宮林蔵生家碑.jpg
住所:茨城県つくばみらい市上平柳64
駐車場あり(無料)

この家は1809年、間宮海峡の発見という大偉業を成し遂げた
探検家・地理学者間宮林蔵の生家である。

間宮林蔵生家.jpg

間宮林蔵は、1780年この家で生まれ、15〜6歳ころまでここで
暮らしたと言われる。
幼い頃から神童ぶりを発揮した林蔵は、この家で、両親の愛情に包まれ
立身出世を願っていた。
この生家は、昭和46年に移築・復元されたもので、それまでは現在地
の南西約50mの位置にあった。
創建の年は明らかではないが、細部の建築手法から見て、安永年間より
も大してさかのぼりえないと考えられている。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
間宮林蔵の生家に行ってきました。間宮海峡の発見により、樺太は半島
ではなく島であることを証明した事で有名ですね。
生家は76平米ほどの家で、こじんまりとした感じです。

間宮林蔵像.jpg
現地には間宮林蔵の銅像、その後ろには無料で見ることが出来る
間宮林蔵の資料館があります。


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2010年11月06日

桜田門外の変オープンセット (茨城県水戸市)

茨城県水戸市、千波湖畔に作られた映画『桜田門外の変』のオープンセット
を見てきました。

<桜田門外の変オープンセット>
桜田門外の変オープンセット.jpg
住所:茨城県水戸市千波町
駐車場あり
入場料:800円
開館:9時〜17時

先頃公開された映画『桜田門外の変』のオープンセットが水戸にある
というので行ってみました。
映画は先頃見ました。その桜田門外の変の事件のシーンはよく出来て
おり、そのセットが見れるというので楽しみでした。
2億円かけて作ったというセット、裏から見たときはしょぼそうに見え
ましたが、中に入ったらなかなかの出来でした。

こちらが江戸城桜田門。
桜田門外の変オープンセット1.jpg
雪がかかった感じも出ています。

参考までにこちらは本物の桜田門。
こちら本物の桜田門.jpg
こうして見るとよく出来てますよね。

桜田門外の変オープンセット2.jpg

桜田門外の変オープンセット3.jpg
桜田門前の武家屋敷です。

赤門が井伊家の屋敷です。
桜田門外の変オープンセット4 井伊家の門.jpg
現在は国会議事堂の目の前あたりの地になります。

オープンセットには江戸城松の廊下も再現されていました。
桜田門外の変オープンセット 江戸城松の廊下.jpg

オープンセットも見応えがありますが、映画に関する展示もあり、なかなか
に充実した内容でした。
ここを見てから映画でも良いかもしれません。

平成23年3月31日まで(予定)の期間限定との事です。


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2010年03月02日

芹沢鴨顕彰碑   (茨城県行方市)

茨城県行方市の法眼寺にある芹沢鴨顕彰碑を見てきました。

<芹沢鴨顕彰碑・クリックすると拡大します>
芹沢鴨顕彰碑.jpg
住所:茨城県行方市芹沢505
電話:0299-55-1283
駐車場あり(無料)

当地出身の芹沢鴨と、同じ副長助勤を務めた平間重助。
大河ドラマ『新撰組!』の放映後、新撰組水戸派の人たちも注目
されるようになり、訪れる観光客も増えたそうですが、芹沢・平間の
墓は当地に無いため、顕彰碑建立の機運が高まり、両家の菩提寺で
ある法眼寺に顕彰碑が建立されたそうです。

近藤や土方などが華々しいのに対し、水戸の人たちは地味な感じ
の存在。新撰組の水戸関係ももっと盛り上がって、資料館など出来る
と面白いんじゃないかなって思うところです。

大河ドラマの舞台
http://rover.seesaa.net/article/112515106.html

新撰組関連の史跡
http://rover.seesaa.net/article/26835008.html


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2010年01月18日

芹沢鴨の生家  (茨城県行方市)

茨城県行方市にある芹沢鴨の生家に行ってきました。

<芹沢鴨の生家>
芹沢鴨の生家.jpg
住所:茨城県行方市芹沢
駐車場なし(近くの法眼寺に停めて見に行くと良いかと)

新撰組の筆頭局長芹沢鴨は茨城県行方市芹沢(旧玉造町)の出身。
芹沢鴨は上席郷士芹沢貞幹の三男として生まれました。
1863年に清河八郎の浪士組に同郷の平間重助と参加。
京都に着いた浪士組のうち、芹沢鴨らは近藤勇、土方歳三らと
新撰組を結成。京都の治安維持にあたった。
しかしその後近藤らと対立、1863年9月16日惨殺された。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
近藤勇の前の新撰組局長芹沢鴨の生家に行ってきました。
新撰組というと、どうしても近藤や土方などが人気があり、芹沢鴨
というと悪人あつかいされがちです。
僕も新撰組関連の地をいろいろ訪ねてきましたが、芹沢など水戸派
の人たちの関連地はついぞ行ったことがありませんでした。

今回、こちらの方に行く機会があったため、生家に行ってみました。
細い道路を進んだ奥に芹沢鴨の生家を発見。

芹沢鴨の生家2.jpg

芹沢鴨の生家3.jpg

芹沢鴨の生家という立て看板があり、脇には芹沢鴨の解説の掲示が
ありましたが、中に入って見ることは出来ない様でした。
中は人が住んでるのか?その辺はよくわかりませんでしたが、敷地も
大きくとても立派な佇まいでした。

大河ドラマの舞台
http://rover.seesaa.net/article/112515106.html

新撰組関連の史跡
http://rover.seesaa.net/article/26835008.html


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2009年11月25日

小島草庵跡   (茨城県下妻市)

茨城県下妻市の小島草庵跡に行ってきました。

<小島草庵跡>
小島草庵跡.jpg
住所:茨城県下妻市小島
駐車場あり(無料)

越後流罪と滞留7年の後、親鸞は1214年、妻子をともなって
上野の国佐貫を経て、常陸の国に入り最初に居住したのが、ここ
小島草庵である。
小島郡司の武弘が親鸞の徳を慕い、この地に草庵を設けて迎えた。
ここに3年滞留し、越後で果たせなかった真宗念仏の伝道に積極的に
乗り出した。
この草庵こそ親鸞が関東において真価を発揮した最初の土地である。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
車で走ってると、小島草庵跡という標識があり、何かと思って
行ってみました。周りになにもないところに、突如史跡がありました。

小島草庵跡2.jpg

そこは親鸞上人の草庵跡でした。
茨城での布教の原点は稲田御坊(笠間市)だと思っていたので、それ
以前に草庵を構えたところがあったという事にちょっとびっくり。
まあ親鸞の足跡ははっきりしていない所があり、この小島草庵も
伝説のひとつという事みたいですが。



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2009年10月11日

水野忠邦の墓    (茨城県結城市)

茨城県結城市にある水野忠邦の墓を参拝してきました。

<水野忠邦の墓>
水野忠邦の墓 title.jpg
住所:茨城県結城市山川新宿
駐車場あり(無料)

水野忠邦は江戸末期に幕府老中となり天保の改革を行った事で知られて
いる。
山川水野氏の初代忠元は大阪夏の陣の功により、下総国結城郡山川など
を領地とする3万5千石の大名とされた。山川水野氏はそれを栄誉と
して、のちに国替えになるが、この地に万松寺を建立し、初代忠元
より11代忠邦までの菩提寺とした。
1855年、万松寺は火災にあい廃寺となった。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
こちらも10年振りの訪問、水野忠邦の墓です。
水野忠邦は12代将軍徳川家慶のもと、先代家斉の大御所政治で疲弊
した幕府の改革を行った人物です。
天保の改革のは賛否ありますが、幕末の歴史に重要な意味をもつ人物
の一人です。

かつてはお寺があった様ですが、火災で廃寺になっているため、
水野忠邦の墓は畑の真ん中にぽつんとあり、ちょっと違和感があり
ます。
水野忠邦の墓.jpg

水野忠邦の墓の他、初代忠元から忠邦までの歴代藩主の墓も並び
ます。

水野家墓所.jpg
大名墓所にしては質素な感じです。茨城百景のひとつに選ばれてい
ます。

著名人の墓
http://rover.seesaa.net/article/26837973.html


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2009年10月10日

逆井城    (茨城県坂東市)

茨城県坂東市の逆井城に行ってきました。

<逆井城>
逆井城.jpg
住所:茨城県坂東市逆井1262
駐車場あり(無料)

逆井城は飯沼に臨む標高20mの台地先端にあり、城の北側は飯沼
が洗い、西側は入江の蓮沼に接していました。
飯沼は江戸時代の新田開発により湖水はなくなりましたが、およそ
1km・南北30キロにわたりその名残を残しています。
戦国時代にはこの飯沼が小田原北条氏と佐竹・結城・多賀谷氏ら
の領国の境目でした。
侵攻を続ける北条氏は飯沼に築城を始め、1577年北条氏繁は、
藤沢より城の建物を作るため大鋸引の職人をよんでいます。
城主となった北条氏繁はさかんに佐竹・下妻方面の動勢を報告し
ていますが、1578年にこの飯沼城中で没し、その後氏舜が
城代となりました。
天正18年、豊臣秀吉の侵攻により、この城も廃城となりました。

逆井城2.jpg

逆井城3.jpg

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
逆井城に10年ぶりに行ってきました。
前回の訪問が1999年2月21日。
逆井城4.jpg
こちら10年前の写真です。

10年もたつと忘れてるものですね〜、来たことあるなという程度の
記憶でした。
公園としてより整備されて綺麗になっていました。
再建された櫓がなかなか良い感じです。

城の説明書きがあるんですが、天正6年が1558年と書いてあった
り(実際は1578年)、ちと杜撰なところも(^^;

日本の城を巡る
http://rover.seesaa.net/article/21222307.html



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2009年04月12日

水戸街道土浦の町並み (茨城県土浦市)

茨城県土浦市、水戸街道の面影を残す旧街道沿いを歩いてみました。

<水戸街道土浦宿>
水戸街道土浦の町並み.jpg
住所:茨城県土浦市中央1
駐車場無し

水戸街道は江戸と水戸を結ぶ街道で、当時は千住宿から水戸宿まで
20の宿場町がありました。
土浦城(亀城公園)訪問時に、近くに旧街道があって、そこを歩いて
みました。
規模は小さいですが、昔の面影を僅かながら感じる事が出来ます。
川越みたいな蔵もありました。

<水戸街道土浦の町並み>
水戸街道土浦の町並み2.jpg

水戸街道土浦の町並み3.jpg

水戸街道土浦の町並み4.jpg

水戸街道土浦の町並み5.jpg
川越にある蔵と似たような感じです。この矢口家は1841年の大火
の後に建てられたものだそうです。

水戸街道土浦の町並み バス.jpg
こういうバスもレトロで良いですね。

日本の古い町並み
http://rover.seesaa.net/article/21960937.html

水戸街道土浦の町並み

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桜川のサクラ   (茨城県桜川市)

茨城県桜川市の桜川のサクラを見に行ってきました。

<桜川のサクラ>
桜川のサクラ.jpg
住所:茨城県桜川市磯部
駐車場あり(無料)

「桜川のサクラ」は古来より西の吉野、東の桜川と並び称される
サクラの名所でした。
平安時代の歌人紀貫之が
「常よりも 春べになれば桜川 波の花こそ まなくよすらめ」
と詠っている事からも東国の桜川の評判が遠く平安京の都人にまで
届いていた事が伺えます。
江戸時代になると水戸光圀や笠間藩主牧野貞喜なども
度々桜川の地を訪れ、特に水戸光圀は偕楽園前を流れる小川の
ほとりに「桜川のサクラ」を移植し、その川を桜川と名付けるほど
「桜川のサクラ」を愛でたと言われています。
また、徳川家綱は隅田川堤に、徳川吉宗は小金井堤にというように
歴代将軍による花見の名所作りのため「桜川のサクラ」は大量に
江戸に移植されました。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
謡曲「桜川」で知られる天然記念物「桜川のサクラ」を見に行って
きました。「桜川のサクラ」は1本の桜ではなく、ここにある数々の
桜の総称です。
古くからの桜の名所という事で期待して行ったんですが、規模はそん
なに大きくはありませんでした。現地は公園になっていて、花見客が
大勢来ていました。
平成21年4月11日現在、桜は散り始めという感じでした。

<桜川のサクラ・平成21年4月11日撮影>
桜川のサクラ2.jpg

桜川のサクラ3.jpg

桜川のサクラ4.jpg

桜川のサクラ5.jpg

<桜の名所まとめのページはこちら>
http://rover.seesaa.net/article/14535679.html

磯部桜川公園

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