<篠原国幹戦死の地>

住所:熊本県玉名郡玉東町原倉2141−34
駐車場あり(無料)
西南戦争における薩摩軍の篠原国幹戦死の地です。
1877年3月4日、薩軍一番大隊長・篠原国幹は紺裏の外套をまとい
銀装の太刀をおびて、この地で陣頭指揮をとっていました。
そこに同郷の近衛歩兵一連隊第二大隊長・江田国通の指示による狙撃にあい
戦死したと言われています。
一方狙撃を指示した江田少佐も薩軍の銃弾によって戦死。
薩軍の猛攻により官軍は高瀬に撤退しました。
吉次峠の戦いは西南戦争でも最大規模の激戦地です。


令和7年第三回流浪の旅 甑島上陸
http://rover.seesaa.net/article/519463738.html



































